あらためましてこのサイトに来られた方へ

ご挨拶とサイトのテキストについて

 はじめまして、マスダです。
 ちょっと訪問者数にびびっているのでこんなご挨拶をとり急ぎ書いております。

 まずはご訪問いただきましてありがとうございます。当方2012年から2013年にかけて一度セフィクラサイトをやっておりましたが、2020年の1月に出戻りました。
 うちはセフィクラのテキストサイトですが、出戻ったりなんだりしているうちに、はじめましての方にはずいぶん不親切な仕様になっているかもしれないので、ご説明しておきます。

 一番わかりやすい読み方はこんな感じです。

1.「旧サイト作品」の神羅時代ものを上からいけるとこまで辛抱して読んでください。
 これが基本になります。もう7年か8年も前の作品なので、いま読んだら古いうえにずいぶんたどたどしいが、捨てることはちょっとできません。キャラクターの基本的な性格がこのへんで定義され書かれています。
2.あとはどれでも好きに読んでください。

「旧サイト作品」のED後はおまけのような扱いです。全部はサイトにあげてません。ダウンロードできるように転がしてありますので興味がありましたらDLしてください。

うちのセフィさんとクラさん

 わたしはクラウドさんにありとあらゆる象徴をぶちこみがちですが、わたしにとって彼は美のイデアそのものなので、彼に対してはちょっと頭のおかしいことになっていますわたしが。だいたいのとこ、ファム・ファタールならびにイヴの息子という単語あたりで理解できるのではないだろうか。なにかイメージをお持ちになりたいのであれば、さしあたってフランツ・フォン・シュトゥックの絵画を見てください。ここに集めてきました。
 あとセフィロスさんに関しては、わたしたちのこの神なき世界において追放された神の空位を埋める、救済者ならびに犠牲の英雄の壮大なヴィジョンを抱いてるので、こんなとこでとても書けない。内省的な哲学者のようであるが彼は哲学をしているのではなく宗教を扱っているのでもなく、単におのれの内面にたいしてきわめて真摯に生きているだけです。そして自分の運命にたいする愛を成就しようとしているだけなのです。ストア派かって? まさか! ある意味でこういう人種は度外れに放埒と云っていいでしょう。そしてファム・ファタールに魅せられてしまった男の典型として、彼はこの地上においてはおのれに与えられた美をあがめているのです。

 ここまで読んで嫌な予感がした方はおのれの直感を信じてください。当たっています。

リメイクやコンピレーション作品について

 大変申し訳ないことに、
 リメイクプレイしてません。
 各種コンピレーション作品もプレイしてません。

 理由は、強いて云えばわたしが忠誠を誓っているものが創作の力そのものであるからです。この力に一度隷属してしまうと、人生そのものがほとんど破綻してしまいますが、それはこんなところにも及んできます。創作する力は外界の知でなく内面の生命にあって、これがどれだけ暴君か、わたしは身にしみて知っていますが、要するに、わたしはこの暴君のあわれな奴隷であって、原作すらもときにねじ曲げる傾向にあります。これは否定しません。
 無印7に対するわたしの愛の問題については、この記事に書いてあります。あなたの愛とずいぶん違うかもしれません。しかしこれが創造の実態です。創造の力に誠実な唯一の生と創作とはこのようなものです。わたしはそれを信じるものです。

 今後リメイクネタが入ってくるかどうか、わたしがプレイするかどうか、なんとも云えません。やりたいとは何度も思うのですが、環境的に難しい面が多々あり、それを解決する力がわたしにあるかどうか、そもそも解決すべきものかどうかすらわかりません。これはわたしの生き方そのものに関わる問題であり容易に結論の出ることではありません。答えをじっと待ちのぞめば神が教えてくださるでしょう。

 くりかえしになりますが、わたしはただわたしを襲いに来る創造のダイモンの奴隷にすぎません。自己の努力や意図は無力です。わたしはわたしの創作物の前に一途に無力であり、なにをなすこともできません。作品がわたしに属していると云うことすら、難しく感じることが多々あります。
 あなたがあなたのうちなる生命においてわたしの書くものを受け止めてくれるならたいへんうれしく思いますが、この場においてわたしが求め、またあなたに要求するものはそのような性質のものだと思ってください。わたしはわたしのうちなる生命をうごめかせているのです。そこにセフィロスさんとクラウドさんがいるわけです。これはほとんどもったいないほどの幸福といえましょう。わたしは幸福な者です。その幸福の源から、この場所を通じてあなたにお分けしたいものがあるのです。