今後の予定

 表題の件です。

 まずは執筆の予定から。
 来年は予定どおりいけば二冊本を出します。ちょっと予定とずれて、ウータイの話は飛ばしてクリスマス向けにクリスマスの話を書くのがひとつ。あとはもう一冊、二年前に書きかけて放置していた話をまじめに書き直して出します。

 クリスマスの話はニブルヘイム事件がなかった世界線の続きの話で、0003年のクリスマスの話になります。『天国に一番近い島』の次の話というか、ほんとはこの年の10月くらいにウータイの話がくる予定だったのだが、そっちより先にクリスマスの話を思いついてしまったのでそっちを先に書きます。ウータイの話そのものをどの時期にぶちこむかも、今後変更があるかもしれない。
 とか、いかにも大部な話を考えているかのようにいま書いているが、計画などなにもないので、すべては書きながら考えることになっています。でもたぶん最後には辻褄が合うようになんとかするつもり。とはいえ、その合わす辻褄もまったく予定は未定なのも事実なんだけど。

 次にいま着手しはじめたちょっとでかい計画について。
 FF7OGWikiというのを作ろうと思っています。
 Wikiです。
 あのWikiだけど、あんなWikiではなくて、とりあえず保守管理の手間のなさからクラウド型サービスを検討し、Notionでひとまず記事を書きはじめた。

 このWikiがどういうものかというと、要するにFF7とFF7インターナショナルの世界観とキャラクターに関する情報だけを網羅したやつ です。

 前々から書いているけどおれはアンチコンピリメイク派なので、あくまでオリジナルのFF7がおれのすべてなわけです。でも次から次にいろんな作品が出てきおって、いったいどれがオリジナルFF7時代からあったもので、どれが後づけの設定なんだか自分でもわけわかんなくなるわけです。しかも調べるのも手間なわけです。でも調べないと小説書くときに話がはじまらないので、どうせやるんだったら情報をまとめようと思ったわけです。

 Wikiを作るのはあくまでそのおまけみたいなもんです。そういう個人的な動機からはじまっていることなので、サーバーにソフトをダウンロードしてなんていう本格的なwikiを作成するつもりはいまのところありません。でもウェブ上に公開はします。
 Notionってやつは便利で、ページを作成すると自動的にHTMLを吐き出して公開までしてくれるので、わざわざソースを書いて自分でアップロードなんかする必要がないんですよ。装飾的に凝った見た目のサイトを作りたいという需要にはとても応じられないけど、あくまで文章ベースのファイルを公開するならかなりありだと思いました。というかHTMLはそもそもテキスト情報を共有するためのものですしね。CSSいじるようなことができないので、行間も設定できないし不便といえば不便で、本格的なwikiソフトのように自動的に既存の項目へリンクを貼ってくれたりもしないんですが、そこはまあ、わたしが手動でやればいいだけのことであって。

 で、いま項目がどれだけあるかページをとりあえず作成していってるんですけども、これがまた膨大でですね。たぶん死ぬまで完成はしないね。でもしょうがないね、はじめちゃったんだから。

 なんでこんなことはじめたんだとすでに思ったりするんだけど、たぶん直接的な原因はすくえあえにっくすにあって、わたしが騒いでた元号の誤植の話ですけど、あれ、公式からろくな答えもらえなかったんで、もう公式に期待するのはやめようと思ったんですよ。どうでもいいのかよこんな大事なことがよ、って思っておれはそれが悔しいんですよ。で、悔しいから、もうFF7に関する情報、昔の情報を、1997年当時の情報を、集められるだけ集めて、みんな自分の頭の中にインプットしてやるって思ったんです。

 別に頭はよくないが、学校の勉強できない子でもポケモンの名前は全部覚えてたりするでしょ、それと同じですよ。FF7に関する、しかもオリジナルだけに関する情報なら、本編のデータだって2ギガ弱くらいだし、たぶん頭に入るだろって思った。でもそう思った直後に、もうこれは天啓としかいいようがないが、知識が属人化するのは好ましくないみたいな文言をどっかで見て、はっとしたんですね。
 そうなんだよね。おれが全部の情報頭に入れたとするじゃん。でもそれって、おれが死んだら死んじゃうんだよね。それってどうなん? いや、それが人間の宿命だし、だからこそ伝承っていうものがあったわけなんだけど、そしてだからこそ人はものを書くわけだけど、あれ、待てよ、おれのものを書く動機はそういうこととはまったく関係ない。でも、FF7に関してはちょっと違うんじゃないか? セフィクラなんかこの際どうでもいいよ。なんかこういう云いかたもどうかと思うけど、でもまあどうでもいいじゃない、それは個人の趣味趣向の問題だから。でもさ、FF7っていうゲームの世界観とかキャラクターについて、公式の媒体から発表された情報って、これは公共物なのでは? というか、公共のものにすべき情報なのでは?

 ここ最近のおれがなにしてたかというと、こないだ立ち上げたディスコードのサーバーで過去の雑誌の情報を提供してもらって、ヤフオクやメルカリで買ったりしてた。国立国会図書館に過去のどの雑誌が献本されててどれがないのかも調べた。おれはそうやって、1997年当時の情報をできるかぎり収集しようとしていた。いまもしている。
 そういうことは、個人が自分のものとして公開しなければその人のものだ。その人が死んだら残った雑誌は処分されて終わり。だけど、ネットにサイト作って流したら残るじゃんね。信じられないような話なんだけど、おれネットをそういうものとして見たこと、たぶんほんとの意味では一度もなかった気がする。おれは社会性の極端に欠如した人間というか社会というものの存在意義も、それがほんとうにこの世にあるのかも疑ってかかっているけど、40年くらいかけて、ようやく社会ってものの根底というか根元にあるものにたどりついたような気がすんの。
 んでびっくりした。びっくりして、あれ、おれいままでなにやってたんだろうなって思った。たとえばさ、おれがカバラーに関する本読むじゃない? そんなもん個人が勝手に個人で読めよって思ってた。ゾーハルとかさ、原典だって勝手に自分で読めるじゃない。その気になれば。ゲルショム・ショーレム読めばいいんだよ、みんな好きに。それでいいだろ。

 と思ってたんだけど、なんかどうもそうじゃないみたいな感じがある。おれの外の空間に。自分の外の空間に、自分の学んだことを出力するなんてのは、基本的に無駄なことだと思っていた。だって学びというのは人格を抜きに考えられないもので、本質的に一度かぎりの、その人の中だけに蓄積され統合されてゆくなにものかなのである。そのなにものかを誰かに強制することもできなければ、そのなにものかの本質を他者が共有・体得することも、本質的には不可能なのである。
 この世界はそれほどまでに個別的なのであって、人間はそれほどまでに個なのだ。この考えをつきつめてゆくと、なにものも共有することなど不可能で、共同体など幻想だということになる。フランスあたりはもうそういう末期的な状況を呈しつつあるね。たぶん日本も一度これに近いような状態まで解体されずにはすまないだろうなと思うんだけど、その末期的ななかから、なにを見出せるか。人は集団で存在する意味があるか。
 そういうことを、考えるともなしに考えていたこの10年20年だったが、ふいに答えが、答えじゃないな、叡智がおれに舞い降りた。接触してきたというか話しかけてきたというか。

 叡智の声は偉大だ、聞いたことある人がいるかどうか知らないが。で、それは答えを、なにか全人格的な大きさと広がりとをもった、定式や公式や定義というものとはかけ離れたものとして投げかけてくる。それは単にわたし自身の認識であって、わたし自身の認識が神ないしそれに類するものに接続されたとき、わたしはそれを真に知るわけだ。そしてその知はもはや頭脳でも、知識でも、身体でも、そのほかいかなるものでもなく単に認識、すなわちグノーシスと呼ばれるあの叡智そのものになる。セフィロス氏は要するに、このグノーシスにすべてを賭け、そこへ身を捧げたのだが、彼の偉大さは結局のところ、それに尽きる。それは極めて人間的な営みだし、人間的な営為、人間的な認識の様式である。彼は天使ではないし、彼は神ではない。彼は人間だ。おわかりか。

 なんだかいろいろ書いたが、結局、またしてもFF7によってわたしはひとつの認識を手にした。wikiの作成は、こうしたわたしの営みの余波である。公表がいつになるかはわからない。そもそも扱うべき、書き起こすべき情報が膨大すぎて、その作業にかなり手間取るだろう。でも誰かと一緒に編集などしたくない。わたしは隅々まで自分自身で管理し、自分自身納得のいく記述を、納得できる姿を追求したいと思っている。まあ一年はかかるだろうなと思う。資料の収集も進めなければならないし。ときどき、このブログに資料の一覧を公開するので、公開の暁には、そこにない貴重な資料をお持ちの方はお知らせくださると幸いです。

 それか、発売当初からのFF7OGガチ勢の方がいらしたら、ディスコードのサーバーに入って助けてくださいませんか。方法はただひとつ、あなたのもっている資料や知識を提供してくださるだけでよいのです。
 サーバーはこれです。https://discord.gg/zPcM2BAF9P