ポケモンスリープのリサーチャーコード……と、今後の予定

 急にどうしたのかというと、ひょんなことからポケモンスリープなるアプリに手を出してしまい、そこからポケモンの勉強をはじめてしまい、なにやら大変なことになっているのでちょっと書き出しておく次第である。
 なおリサーチャーコードはここにあるので、それだけ知りたい方はそこまで飛んでください。

 いわずと知れたこの人気シリーズについては、存在だけは知っていた。初代ポケモンが出たのは小学生のころだったと思うし、アニメがはじまったのはたぶん中学生のころだ。ポケモンショックの騒動のこともなんとなく覚えているし、なにより高校のころ、同じバスで通学していた幼馴染がえらくポケモンにはまっていて、毎日ゲームボーイを持ち歩いてバスの中でやっていた。
 とはいえ個人的にはまったく興味がなく、なんの魅力も感じなかった。昔もいまも、流行というものにはなにか嫌悪を感じるし、アニメの絵もあまり好きになれなかった。それから二十年も経ってから、いまさらのようにアニメを見たりしはじめるのだからわからないものである。

 このゲームに惹かれるのは、なんといっても寝るだけだということがある。寝るだけでなにやら楽しいことが起こるらしいのである。そしてわたしは昔から寝ることだけは得意なのだ。中年になったいまだって、平均の睡眠時間は九時間を超える。冬場なんか平気で十時間も寝ている。
 要するに実に長時間よく眠っているわけだが、このよく眠るという能力は、それ自体ではほとんど何にも寄与するところがない。よく寝ますねといって褒められるのは子どもだけである。よく寝ることで人間関係が育つわけでもなく、経済の役にももちろん立たない。結局わたしという人間と同じように、このよく寝る能力は実生活においてはあまり行き場というか活躍の場がないわけである。

 ところがここに、寝るだけでいいという画期的なものがあらわれた。この喜びはよく寝る族以外の方にはちょっとおわかりいただけないかもしれない。統計などとったことがないが、よく寝る族に属する人間は、おそらくそれ以外の領域においてもぼんやりうっかりの起こりがちな、どちらかというと愚鈍な人種が多いのではないかと思う。ヤドンなるポケモンがいるが、われわれは大方ああいうぬぼーっとしたのろまなやつで、だいたいこういうやつでなければ、いい歳をして十時間もおめおめと眠っておれるはずがない。いやしくも健康体でありながら十時間もの睡眠を許されているだけでも、そいつがいかに現実社会に用のない人間であるかわかるというものである。

 が、それはともかくとして、こんな用なし人種の唯一の特技が、ポケモンスリープというアプリにおいてはなんらかの価値を有するらしいのである。こんなアプリを考え出す人はまったく大したものだが、わたしの睡眠評価は連日100点満点だ。これを下回ったことは、諸事情で睡眠時間がとれなかった一度と、連日の酷暑続きで眠れなかった先々週の幾晩かくらいのものである。週ごとの評価は常にS評価で、毎週よい習慣が作れたと褒められている。こんなに人に褒められたことは、わが怠惰と惰性と句安とに満ちた人生において、まったくはじめてのことである。

 日ごろゲームにあまりなじみがないものだから、スマホでするゲームといえばパズルくらいのもので、そもそもわたしがゲーム全般をあまり好きでない理由のひとつに(ゲームジャンルに属する二次創作などしている人間がこういう発言をするのもどうかと思うが、ほんとのことなのだから仕方がない)、どうしても競争の原理が入りこんでくるということがある。たとえばポケモンというゲームもその根本のシステムがおそろしくグロテスクだ。野生のポケモンを捕まえて育てて戦わせるというその仕組みそのものが、ただ一途に人間の競争意識と欲望とのあらわれであって、こんなものに利用されるなど、ポケモンにしてみればえらい迷惑であるに違いないと思うし、RPGにしたってモンスターとかなにかをやっつけながら先へ進まねばならないのだが、これがひどく徒労の感があるというか、気の重い作業ではある。そうしないと強くなれないし強くなければ先へ進めないとあってはなおさらである。

 ところがポケモンスリープはそうでない。これはほんとにただ寝ていればよい。戦わなくてもいいし、対戦相手などどこにもいない。こんなゲームがあるか? ゲームのことを知らないのでわからないのだが、まったく天国のようである。自分のろくでもない能力がはじめて発揮される機会を得たような気さえする。もちろん、このゲームにおいてもゲーム的な要素を抽出して考えはじめれば話はまた別になってくるので、そうなると結局、ゲームの進行に有利な個体と不利な個体というのがあり、その中で厳選したりどれをどう育てるか考えたりいろいろとやかましい問題が出てくるのだが、しかし結局最後には、重篤な課金者でなければよく寝たものの勝ちのような感は否めない。長く寝るというただそれだけのことが、こんなに力を持つことがあるとは思わなかったが、それを可視化させ、一種のエンターテインメントに昇華させることを可能にするゲームというシステムは、まったくたいしたものである。

 わたしたちの人生にとってゲームとはなにかを考えはじめると、なんだかわれわれにとってインターネットとはという問題を考えるときと同じような感覚に襲われる。それが浮き彫りにするのは、否応なしに装飾を剥がされたわれわれの本質なのではないかなどと、つい考えてみたりする。そうすると、ゲームに対する反応やネットに対する反応がどういうものかで、その人がどういう人かかなりわかるということを意味する……その人と世界との関係がどういうものかということを。

 そしてわたしと世界との関係とはどんなものであろう? それを考えながら、ここにわがポケモンスリープのリサーチャーコードを公開する。フレンド申請はお気軽に。
 ぐっすりが多めで水ポケモンとの相性がよく、水系ポケモンばかりよく育っている。これもまたわたしそのものを図らずも体現しているようでもある。

 

リサーチャーコード:2347-0704-6756

 それから、今後の予定だが、Misskeyのインスタンスを立ち上げようかと思っている。
 Misskeyというのはいわゆる分散型SNSというやつに分類されるが、ツイッターに似たSNSを自分で運用できるソフトウェアのこと。これを使って、自分用のSNSを作ろうと思っているのだが、これを思い立ったのは、例のイーロン・マスク氏がツイッターをXに変え、自分なりの運用をしているのを見て、SNSのあり方みたいなものについて考えてしまったことがひとつ。

 ツイッターでもInstagramでも、運営方針やアプリの仕様を決定するのはイーロン・マスクやマーク・ザッカーバーグであって、しかもこれらは企業の運営するものであるから、結局は利益を出すことが最優先になる。イーロン・マスク氏のやっていることには賛否両論あるが、彼は実業家なのであって、実業家は慈善家ではない。そこをはき違えてはならないので、企業活動とは結局は利益を出すために行うものだ。だから、利益からこぼれ落ちるもののことは、そこからこぼれ落ちたものたちがどうにかしなければどうにもならないのである。
 つまり、もしもSNSに求めるものが、わたしのように「世に向けた一種の自己開示」なのであれば、その手段は結局自分で確保し、自分の責任で運用しなければどうにもならない。こんな重要なことを収益性最優先の企業に任せきりにしておくわけにいかないのである。企業とは結局そういうものなのだから、自己の尊厳は自己の力で守らねばならないし、自己の生きる場は自分で勝ち取らねばならない。ピクシブだのツイッターだのに任せていてはだめなのである。

 とはいえSNSになにを求めるかは人によってかなり違うはずである。たぶん、趣味嗜好の似通った人と交流したいというのがSNSに対する非常に大きな、そしてメジャーな要求だと思うが、わたしの要求はそれと少し違っていて、やはり自分の考えやアイディアを披瀝する場という認識が強いのだ。だからあまり情報を追わないし、いいねとかも考えはじめると泥沼に陥るのであまりしない。
 こういう人間は少数派だろうし、ものを書くのならブログでいいのではという考えが一瞬頭をよぎるが、それに加えてもう少しライトな自己開示の場がほしいというのが正直なところで、ツイッターがとうとうログインしなければ見られなくなってしまったのはやはり痛かった。
 ツイッターという場の生な感じ、あの日々の思いつきを気軽に投稿できて見たい人に見てもらえる感じは、やはりああいう形式をもったシステムでなければ不可能なのである。そうした場に十年以上浸かっている人間としては、もはやそういう場が生活の一部みたいになってしまっている。その場を自分のために設ける、これが第一のわたしの欲求であって、その欲求が満たされた先に、わたしとつながりのある人たちのためにその場を開放するという選択が見えてくるが、このへんはもう少しアイディアを詰めてから改めて書いてみることにする。