今後の予定

 表題の件です。

 今年こそ夏に夏の話を出すべく、もう三年も前から書いているところの夏休みの話を書いているわけですが、すでに14万字を超えており、このままいくとたいへんな分量になりそうなのであります。いやはや参ったな。500枚は普通にいくだろうとは思っていましたが、この分だと600を超えそうなので、もう仕方がないので全部書きますが、次回の本は大変な厚さになることが予想されます。まあまずもって前回出した本の3倍はありますでしょうから、価格のほうも大変なものになりそうなのですが、あんまり大変なことになりそうなので早めにお知らせする次第です。

 しばらく前にこの話でなにを書かねばならないのかようやくわかったのですが、3年くらい考えてようやくわかったので時の経過というものは不思議なものだと思いました。3年前にこの話を思いついたとき、大体こんなことが起こるというような全体の構想はなんとなく浮かんでいたわけだが、3年かかって話はどんどん膨らんでしまい、登場人物の数もべらぼうに増えてしまい、なんだか推理小説でよくある登場人物一覧だけで読み手を恐怖に陥れるしろものじみてきた。困ったことですよ。

 本格推理小説みたいなものを自分が書けるとは思わないんだけど、今回の話では殺人事件が起こるのです。これは[υ]-εγλ0002年夏の話なのですが、すなわち『降誕祭の夜』から続いている話なのですが、SCがバカンスへ出かけた先で殺人事件が起こるのです。で、それを解決する羽目になるのだが、別に本式の推理小説を書くわけではないのであんまりこだわらずにあれこれ考えていたら、あっちもこっちも話が膨らんでゆき、だんだんに人の数も増えてしまい、とうとう表など作らねば間に合わなくなってきました。
 昔、谷崎潤一郎のおかげで犯罪小説とはなんぞみたいなことがわかったことがあるんですが、わかったからといって書けるかといったらそう話は簡単でないので、わたし程度の頭では緻密なロジックなんぞ夢のまた夢であって、人生で一度は華麗に難事件を解決するセフィロス氏というものを書いてみたい気はするけれどもたぶん夢で終わる。別のジャンルで法廷小説じみたものを書いたことがあるが、あれも非常に面白いので、軍事法廷で証言しているはずがいつの間にか事件を解決しにかかってしまうセフィロス氏というのも書きたいけれどもこれもまた夢で終わりそうな気がする。

 要するに、今回のお話は殺人事件とその謎解きを軸にしてゆるゆる進むが、いつものようにわたしの主軸は人間の心情のほうにあるので、まあゆるい夏の休暇の話としてゆるく読んでもらえるようなものになるはず。こんなに書いたのにまだ全体の3分の1も終わっていないことを考えると恐ろしいが、考えてしまったものは仕方がないのでわたしが最後まで書き切れるよう祈っていてください。

 予定では、この話を完成させたあとにウータイの話を書きますが、そのために中国思想の勉強をはじめたら面白くて、勢いでうっかり中国古典文学大系全60巻を買ってしまい、部屋の中が大変なことになっている。うっかり中国語の勉強もはじめた。でも面白いんだこれが。これで大唐西域記も西遊記も金瓶梅も史記も三国志演義も孔子も孟子も老荘もみんなおれのものだ!

 と舞い上がっているところ、荘子の解説で知は外的な運動であり外へ向けて際限なく広がる働きをもつとあって、なんだか頭を殴られた気がしたことでした。わたしのセフィロス氏は、いや公式のセフィロス氏も、知への欲求というものを過分に持ち合わせているわけだけど、公式のセフィロス氏がライフストリームからあらゆる知を吸収することに成功し、おれは神だ! となっているときに、インドの、中国の、東洋の叡智はそれにちゃんと水を差すわけですよ。その人間の愚かな万能感にですね。知があり不知があるならそれは相対的なものであり絶対でなく真理ではない、ということを、ちゃんと云ってくれる。

 砂漠式西洋式神がいい気になっているときに、ウータイのホトケはちゃんと知っている。知もまた人間の運動のひとつ、すなわち欲望のひとつに過ぎないことを。