同人誌の発行についていろいろ

 ついに現物の本を出す羽目になってしまった。
 こないだからのアンケートにご協力いただいた方には感謝を申し上げます。

 で、結果はというと、間違いなく十部で足りるということがわかったが、計算してみたら、十部刷るのはいいのだがそれだと本の単価が二千円を超えることがわかった。
 ここでわたくしマスダは考えこんでしまった。B6判150ページの本に二千円超えとはいかがなものであるか? そもそもわたしが表紙に箔押しなどしようとするからいけないのだが、イラストを描くスキルを持たず、習字もできない人間にとって、箔押しはほとんど唯一の本としてまともな体裁を保つための手段であったりする。
 いやこれも正確な表現ではない。わたしが箔押しを思いついたのは、たまたま最近読んでいた本の表紙に箔押しがしてあって、それがなんだかとってもよかったからなのである。フリードリヒ・エンゲルスにこんなことを教えてもらおうとは思わなかった。人生なにがあるかわからない。

 話がずれていきそうなので強引に戻すが、結局、箔押しというのは箔の型を作る単価が決まっている以上、どんだけ刷っても刷らなくてもある一定の金額が請求されるわけである。だから、部数が少なければ少ないほど一冊あたりの価格は跳ね上がってゆくわけで、五冊十冊でひいひい云ってるような弱小もの書きがこんなことすべきでないといえばすべきでない。しかしんなこと関係あっかこのクソッタレとか思えば思うこともできる。
 結果として、わたしは後者の立場を採ることにしたが、この立場を採用したことの弊害は部数を多めに刷る羽目になってしまったということである。どう見たって余り余ってしようがないのだが、さいわいうちは田舎なので広いし、土地はいっぱいあるし部屋もいっぱいあるので、本の十冊二十冊置いといたところでたいしたことない。三十年くらいだまって売り続けてれば売れるかもしれないし。

 いずれにせよ、これにてめでたく価格を当初の予定通り千五百円程度に抑えることに成功した。BOOTHの手数料というのがあるんで千六百円にさせてもらったけど、自分としてはそれなりにバランスのとれた価格になったような気がする。
 で、ようやく部数が決定したので印刷所に印刷を依頼することができた。これまた価格を下げるために発売はだいぶ先になる。一ヶ月以上先のことだが、BOOTHではもう予約できるらしいので、ページも公開しておいた。お暇な方は覗いてみてください。

 今回はこんなところですが最後に今回の改装と「Libri Animae」なる書籍発行部署の設立に関して。
 ラテン語を利用しようなどということを思いついてしまったために、わたしの心はまた急に中世の装飾写本の世界に舞い戻ってしまった。もうほんとに中世の美術が大好きなのだ。好きなあまり絵を模写したりカリグラフィーに手を出したりしてえらい目に遭ったことがあるが、そんなことを思い出しながら中世のゴシック体ふうフォントないかななどと思って探していたら、昔FF7のサイトをやっていたときに利用していた、フォントを配布しているサイトにちゃんとあったのだ。「Bliss」のロゴもこのサイトのフォントがあってはじめて決まったようなものだ。Linkに「typoasis」というのがあるのでよかったら訪問してみてください。二千年代前半のインターネットがまだ残っているのを感じられるはず。
 Blissのロゴは「Better Off1」というフォントで、メニューバーなどのゴシック体フォントはPaul Lloydさんが作った「Germanica」フォントシリーズを使わせてもらった。もうね、このサイト見てると、八世紀のアングロサクソンとか、十五世紀ドイツのブラックレターとか、明らかに中世オタクが情熱を傾けて作ったフォントみたいなのがいっぱいある。昔はこういうのが、商用利用も利用規約もへったくれもなく個人のウェブサイト上に転がっていたりして、いま思うとほんとうに楽しい時代だったね。

 また話がずれていくのでもういい加減やめるけども、このわが「Libri Animae」の試みは、なんだかわたしに昔の自分を思い出させてくれそうな感じである。あの懐かしき大学時代ですよ。ラテン語の勉強に大汗をかいていたわが青春時代、星の数ほどあったセフィクラサイトを毎日十二時間くらい読んで寝て飯食ってラテン語とギリシア語の時間以外大学も行かないでぼうっとしてたあの時代です。たぶん授業で皆勤賞だったのまじでラテン語とギリシア語しかない。単位落としまくるし部屋から一週間出ないしでなかなかすごい生活をしていた気がする。
 でもあの時代があっていまのわたしがあるんで、わたしはどうもあのころとまったく変わらない生活をしていて、大学を出て十年以上もたってからギリシア語はまたやる羽目になるし、ラテン語のほうはもうほとんど忘れてるけど折に触れてセフィロス関係で目についてしまうし。
 そうそう、カルミナ・ブラーナですね、あれがすべてのはじまりだった、わたしのラテン語人生の。そのために大学でラテン語やったようなもんだもんな。はるかのちになって中世装飾写本の世界を旅するときにこれが生きてくるようになるとはほんとに夢にも思わなかったし、ついでだしやってしまえと思ったギリシア語とこんなに長いこと関わる羽目になるとも思わなかった。ギリシア語で聖書を読むことになるとはほんとに思いもしなかったし、ビザンチンの写本をネットで探して閲覧するようになるとも思わなかったな。ナジアンゾスのグレゴリオスの著作を探してね。

 また話がずれてくるのでもういい加減やめるけど、とにかく、わたしとラテン語との関わりの始点にいるのがセフィロスなら、終点にいるのもおそらく彼なのだろうと思って、今回もう堂々とラテン語を使うことにした。こないだサンスクリット語をちょっと勉強したときに思ったのだが、などと書いていくとまた話がずれていくが、やはり古典語をやるということのメリットは非常に大きくて、深くは理解できなくても、そのさわりだけでも知っておくことは、世界を非常に豊かにする。その意味で行くと日本語の古典が苦手だということはわたしにとってかなり致命的なことなんだけど、これだっていつやるかわからないじゃない。
 なにが云いたいかといって、セフィロスという御仁がいなければわたしはラテン語もギリシア語も大学でやることはなかったんで、大学でやらなかったらきっとわたしの世界はいまとは全然違っていたに違いないという意味で、これもまたひとつの運命なのだろうと思うことにしている。そういうさまざまな意味をこめて、ここに「Libri Animae ex Bliss」を設立する。ex! この一語を辞書から見つけ出したとき、戻ってきたと思ったわよ、ラテン語の世界に。こういう感覚が起こるのは楽しい。こういう感覚を知っていることは楽しい。要するに、わたしが楽しんでやっているんで、本の形でみなさんにお届けするのはそのおすそわけみたいなものだ。

 相変わらずこんな感じだが、みなさんも楽しんでくれたらうれしい。