人前で「セフィロス」と発音した話など

 マスダです。
 ちょっと聞いてください。
 今日、人前で「セフィロス」って云いました。わたしの日常をかんがみると、歴史的大事件です。

 なんでそんなことになったかというと、たまたまライン交換した方のアイコンがセフィロスさんだったからです。ぜんぜん関係ないとこで知りあった方なので、めっっっっっっっっっちゃびっくりした。。あーびっくりした。不意打ちのセフィロスさんは心臓に悪い。わたしあの人のビジュアル見ただけで悲鳴あげるんだから。
 びっくりしすぎて、思わず「セフィロスだー!」って叫んでしまった。あんまり動揺したのでさんづけを忘れるしまつだった。でもよく考えたら、セフィロスさんって呼んでるほうがやばさが際だつ感じがするので、これはこれでよかったのかもしれない。

 いやはやまいったびっくりした。その方は、セフィロスさんが好きっていうか森川さんが好きなんだそうで、「セフィロスさんを演じてるときの森川さん」が好きなんだそうです。ぜんぜん違うんだそうだ。そうなんですか? わたしは声優さんにはとんと疎くて、森川さんの声が実は高めで、セフィロスさんのときめっちゃがんばってたとかいうこと、その方に教えてもらわなんだらたぶん死ぬまで知らなかったと思います。

 いやあ、面白いなあ。なにをどう楽しむかとか、なにをどう好きなのかとかいうことって、人によってぜんぜんちがうけれど、それがいいんだよなあ。ほんとにそう思う。その方は7をプレイしたことはない、ACを観たことのある森川さんファンなんだ、とおっしゃってましたが、いやそれだって、ある意味立派なセフィロスさんファンな気がします。
 わたしのセフィロスさん好きとはまたぜんぜん違うんだけど、でも「好き」というくくりなんだよ。だから学べるんですよね、相手から。そうでなかったらつまらないよ。ひとりでゲームも声優も全部カバーするなんて物理的にも難しいだろうし、第一つまらないだろう、そういうオールラウンダーなファンなんて。わたしはそう思っているんだけど。

 オタクってなんにでもやたら詳しい人かというと、そんなことないでしょう。ファンだって、どんなことでも知ってるファンなんて、いてもいいが、いたら怖い。たとえば、セフィロスさんファンが声優さんのことも、各種ゲームのセフィロスさんも、セフィロート理論もなんもかんもみんな知ってたら怖いよ。学者じゃあるまいに。
 お互い知らないことがあるから、人間は相手に学べるんで、今日はなんだかそんなことを再確認した日でした。いい日だった。

 あとうっかり人前で「セフィロス」とか云ってしまったおのれに感慨深いものを感じました。
 わたしは自分が二次創作していることを、二次創作を通じて知りあった方にしかばらしてません。一次創作のことは知ってる人が多いが、二次創作のことは誰も知らない。アニメもゲームも興味ないやつと思われていると思う。実はこれ、あまり事実から遠くないんだけど。二次創作とわたしのかなりへんてこな関係についてはそのうち書きますが、わたしはいつも書くために書くためのものと出合うんで、原作を死ぬほど愛して二次創作はじめてしまうタイプとはちょっと違います。あくまで書くことが先にあるんですよ。書くためだったらわたしはなんでもする。わたしの大切な仕事なんでね。

 なにが云いたいといって、別になにも云いたいわけではないですが、まあこれまでいろいろ人に隠しすぎましたね。たとえば自分がなにが好きかとかね。こんなものを好きだなんて云うほど、自分がどんな人間なのかをあきらかにすることってないでしょう。わたしは隠したがり屋なんですよ。極度の隠れたがりなわけ。そのわたしが書かねばならぬ運命におちいるとは、神も粋なことをなさるものです。主に光栄。
 まあそれはいいのだが、「セフィロスだー」のくだりから、
「好きなんですか?」
「いや、めっちゃ大好きです、スマホの待受けいま彼なんで……」
 みたいな話を自然とできた自分に感慨深いものを感じた。そうかい、おまえはようやく人に隠さなくなりつつあるんだね、おまえを。よいよい、おまえをあきらかにするがよい。そしておまえの魂を与えるがいい、この世に向けて。神に向けてではなく。なぜなら神のことは、おまえは誰に命じられなくても見つめているが、この世のことはかなり強引に強制されないと、見つめようともしないのだからね。

 形而上から形而下へおりる。セフィロスさんもそうだね。わたしのセフィロスさんは、わたしの考える最高に頭のいい、最高の言説を駆使する男であって、神と人とのあいだに立つロゴスであって、すべてはわたしでありわたしはすべてであるところの知性界におわす。彼はそういう意味で人間じゃない。そういう彼を少しでも知り、近づくことは、わたしの目標なのだ、生涯をかけた。わたしの無能のせいで、わたしの考える最高のセフィロスさんのたかが知れてしまっており、正しくこの世に顕現させられないのは悲しいことだ。ますます精進せねばならない。

 わたしはそういうセフィロスさんファン。あなたとも違うし、きっと誰とも違うでしょう。みんなその人に固有の愛を持っているのだから。でも、だからこそ、お互いにお互いの考えや想像や創作を、楽しめるのではないですか。それが一番、肝心なことでしょう。
 今日はいい日だった。とても。

 あ、そういえば、サイトをちょいちょいといじっているのですが、どうもまだ納得いってないので、まだしばらくあちこち変わると思いますが、あまり気になさらないでください。見づらいとこがあったらおっしゃってほしい。