7における言語についての妄想

 マスダです。
 サイトはまだいろいろ模索中です。毎回どっかしら変わったりしてて落ちつかないと思いますが、しばらくご辛抱を。なにかご意見あればください。

 拍手もありがとうございます。なんか連日申し訳ないですね笑 しかもお礼あんなですしね。個人サイトに来ていただけるだけでわたしはありがたいですよ。

 書いてる戯曲は順調です。仕上がりまでしばらくかかりますが、まあ気長にお待ちください。読んでくださったら、わたしがどれだけクラウドさんのことが好きか、ちょっとおわかりになるでしょう。

 で、突然ですが、アイスランド語に興味を持ちましたというか、よく考えたら昔のサイトでいつかやりたいって書いてました。とうとうその時期が来たかもしれない。
 ふと思い立って、下宮忠雄・金子定雄『古アイスランド語入門』(大学書林)を買ってきました。なんでこんなことになったかというと、大きく云えばクラウドさんのためですが、谷口幸男先生が翻訳した『エッダ』をようやく読みだしたんです。エッダは古アイスランド語でかかれているんだけど、ご存じのとおり、ニブルヘイムとかミズガルズとかFF7がたいへんお世話になっている重要なモチーフを提供している神話ですね。前のサイトやってたとき、同じく谷口先生の『エッダとサガ』を買って読んではいたのですが、最近、なにか神話をちゃんと読もうと思いましてね。で、どの神話から行こうかなと思って、北欧を選んだんですよ、せっかくだからね。
 この「神話を読む」というこころみは、なにを動機にしてはじめたのかというと、英雄とはなにか? というちょっとでかいテーマを自分なりに探求するためでもあります。ジョーゼフ・キャンベルという神話学の巨人がいるんですが、彼の初の著書にして主著である『千の顔をもつ英雄』という本があります。ハヤカワ・ノンフィクション文庫に入ってます。そのタイトルの通り古今東西の神話に登場する英雄たちの冒険を比較して論じているんですけど、この本にたどりついたとき、あーこれだ、と思いましてね。これだ、ってセフィロスさんのことね。結論から云えば、英雄って捧げる人のことなんだけど、わたしのセフィロスさんがねえ、どうしてあんな人なのか、わたしはこれでわかった。そしてわたしのセフィクラがどうしてこうなってるのか、わたしにはなんとなくわかったね。それで、いま書いている戯曲を書きはじめたんだけど。

 話を戻しますが、そんなこんなで、ちょいと北欧神話をまじめに読むぞと思って谷口先生のエッダを読みはじめたのだが、これがすこぶるおもしろくて、もうどうしようもない。というか、神話を読みはじめた段階で、その言語に興味を持つのは必然だった。
 こういうの読むと、場所の名前にナントカヘイムが多いとか、人の名前がとか、気になるじゃない? どういう仕組みでこんな言葉になるんだろう、主格のRって解説に書いてるけどどういうこと? とか。
 そういうのが来ちゃうと、わたしはもうだめですね。気になって。だから、本を買ってきました。いま、アイスランド語のラジオがわたしのiPhoneから流れてます。おもしろい響きです。

 なにを考えたかというとね、クラウドさんの母語がアイスランド語だったらとてもおもしろいと思ったのよ。ミッドガル周辺や世界共通語は英語なんだけれど、クラウドさんの母語はアイスランド語で、名前も世界共通名としてはクラウドだけど、母語では母語の名前があって、母さんと話すときはとたんにアイスランド語になるとかだとおもしろいなわたしが楽しいな、と思って。ユフィちゃんも、名前はユフィだけど名字はキサラギでしょう。ユフィってのは世界共通名で、ほんとはウータイ語の名前がちゃんとあるとか、そういうのいいな、と思って。
 で、もっと考えて、この妄想の7の世界では世界共通語としての英語が猛威を振るってて、各地方の言語は死にかけているといい。PHSまたの名パーティー編成システムでメールを打つときは、英語のアルファベットしかないため、英語しか書けない。ウータイの漢字もそのほかの地方の文字もない。支配と剥奪とはこういうところからはじまるのだ。よって若い人たちは、自分たちのルーツである言語を学校で習うだけで、前近代的でダサいものと思っており、ほとんど話すことはない、とか。

 この、ひとつの言語がほかの言語を駆逐していくというか飲みこんでいくというのは、文化的な現象というより経済的な現象のように見える、わたしには。7の世界の経済がどうなっているかということはわたしがずっと、ずーっと考えていかなくてはいけない問題だと思うが、なにがいいたいかって、西洋中世を舞台にしているファンタジーの中では魔法は許容されるし遍歴の騎士もいていい。でも、ミッドガルを中心とした7の世界では、魔法が存在するのはあきらかに矛盾だし、世界を戦いながら旅するクラウドさんたち一味の存在もあきらかにドン・キホーテだ。ドン・キホーテ読んだことある方はわかるでしょう、あの時代錯誤。
 そう、時代錯誤なんです。魔法は中世的存在だし、それはなにを意味しているかというと、中世という時代の精神性のなかにしか魔法は住めない。ルネサンスが来て、産業革命が来たら、もう魔法はおしまいです。7の世界で起きたことは一種の産業革命とその挫折ととれるでしょうが、この産業革命というやつを経てしまった世界には、魔法はあったらおかしい。聖なる王はいないし、教会もない、悪魔もいない、神話的世界を極端に脱した世界で、魔法だの、神話の登場人物だのは、存在のしようがない。
 7の世界は、もう戻れないくらいに資本主義経済化している。つまり、あの世界からは、ほんものの信仰と神話は消えてしまっている。マテリアはいいシステムだし、かろうじて許容範囲というぎりぎりの線をついているけど、ゲームをはずれるとやっぱりちょっと厳しい。小説なんかまともに書こうと思うと、ほんとに厳しいよ。無理だよ、このふたつのものの共存は。このことについて書くなら、わたしは経済史とか貨幣とはなにかとかから考えなくてはならない。いや、冗談じゃない。ほんとに。

 ああ、まずい、話がずれてきた、申し訳ない。この問題は、またちゃんと書く。ほんとに、これは、死ぬほど大事な問題だ。いまを生きるわたしたちにとって、神話と宗教の世界がなにを意味するか、ということは、ほんとに、ほんとうに喫緊の課題なので、わたしはそういうことを云うためにここにいるような気がしている。そしてあなた方にあなた方の内面を生きてほしい。あなたがあなたを生きるということは神話を生きるということだし、神話を生きるということは、あなた自身があなたの生において英雄的行為を生きるということよ。英雄的行為を生きるということは、自我よりも大きななにものかのためにおのれを捧げて生きていくということよ。これができるとき、人間は人間になる。そうでないなら、人間は人間でない。

 いやほんとにもう話を戻すね。
 クラウドさんの母語アイスランド語疑惑。セフィロスさんもある意味ニブル出身ということができようが、そういうわけでセフィロスさんはクラウドさんと同じ言語を話せたらわたしはとても、とてももだえるほどに興奮してしまう。社会的な側面ではふたりとも世界共通語を話しているが、ふたりになるとふたりとも共通する母語を話すようになる。母語なので、血肉にしみこんでおり、しかも周囲の人間にはふたりがなにをいっているかわからない。周りにちょっとぎょっとされるといいよ。その世界において、共通語以外の言語を聞くのはちょっと驚くような経験だったらいい。
 言語というのは最強の疎外を生みだすものでしょう、これはね。言語が異なる集団のなかにひとりで放りこまれたときの疎外感ったら、すさまじいでしょう。あの感じをふたりで出したらやばいなと思って。はげしくもだえますよわたしは。
 しかもニブル事件のあとにね、クラウドさんの母語が地上から消滅したと仮定すると、すさまじいインパクトがありませんか。クラウドさんとティファさんと、ふたりしか話者がいないとかさ。しかも、容姿からいって北方の要素が濃いのはあきらかにクラウドさんなんで、クラウドさんは完全に血肉化している母語だけど、ティファさんはそうじゃないかもしれない。ティファさんが現実にいたら、自分の祖先の言語を尊ぶタイプになるとは、わたしには思えない。クラウドさんはもっとその言語に密着した神話の場というか言語の場というかまあ空気のなかに生きている感じがするから、いくらでも言葉が出てくる感じがするんだけど。

 二次創作でね、クラウドさんがニブルでぼっちだった理由を、言語に置いたらおもしろいと思う。クラウドさんは濃厚な土着言語話者なんだけど、まわりはたいがい共通語話者とか。そうすると、彼の孤独と疎外はたぶん頂点に達する。そして、言葉による疎外のかなしさは、言葉によっていやされる。
 こういうセフィクラを書いてみようとすると、わたしはアイスランド語母語説をとなえたいんで、もうやるしかなくなってくる。もちろん、エッダとサガを読みたいのも大きいんだけど。

 わたしがどこまでまじめにやるものか、まあ期待しないで見ていてくださいよ。信じられないほど飽きっぽいんだからわたしは。