拍手のお返事をしております|あと作品を全部書きなおす可能性

 マスダです。
 今日は拍手のお返事をしに来たので、そのついでに昔の話を全部書きなおす可能性について少し考えてみたいと思います。

 こないだ、クラウドさんについてある致命的な、といえそうな発見をしました。きっかけは最近読みあさっているユングなのですが、彼の著作のなかで、統合失調症の患者についての非常に示唆的な一文があり、これがわたしの長年の疑問、クラウド・ストライフはなぜ魔晄エネルギーによって精神崩壊したか? に納得のいく答えをくれそうな感じがしたのです。
 ユングの主張は、要するに、無意識への抵抗力の大きさは人により、しかもほとんど先天的なものである、ということなのですが、これはちょっと、かなりの衝撃をわたしに与えたものです。

 もともと、ものを書く人間などというものは、人生の半分を無意識の領域ですごしているようなものだが、ユングの本のなかに、この世界は自分が見ている絵本である、と信じている男の話が出てくる。そしてその男の話は、根本においてショーペンハウアーが『意志と表象としての世界』で書いている世界認識となにもかわらない、というのですね。ではなぜ片方の男はいわゆる「あっちの世界」に行ってしまい、片方の男はそれをひとつの哲学体系にまで高めることができたのか。それは片方の男が弱く、片方の男が強かったからだとしか云いようがないが、これは先天的なもので、どうしようもないのだ、というのです。

 そのときにわたしは、ああ、これだったのか、と思って、いろいろなものがすとんと腑に落ちた。
 わたしのクラウドさんは、もうずっと昔から、以前サイトをやっていたときから、かなりずれているという印象だった。ときどき怖くなるほどだった。最近では、たとえば「英雄志願者の死」などでは、わたしはもうかなり彼のことが怖くて、この子いったいなんなのだろう、なにをしたいのだろう、なんでこんなに得体のしれない感じをかもし出しているのだろう、と思った。
 断っておくが、書き手は自分がなにを書いているか、わかっていない。できあがるまで作品全体のことも知らないし、なにを書こうとして書いたのかさえわからないことがある。創造の源は無意識の領域に存在している。だから書き手としてはほんとに、自分がキーボードの前に座っていたら勝手に書かれたというのに近くて、わたしはひとりの書き手として、この無意識の領域とかなり通じがよくやりとりすることができ、それと現実そのものを混同することもない。

 実を云うと、わたしは昔から、自分は気が狂うことができないというか、許されていないという意識がものすごく強くある。ときどき限りなく狂いそうなところまで行くんだが、必ず戻ってこられる。わたしは信仰においては、神が、気が狂ってはならぬ、おまえは正気を保たねばならぬ、どんな状況でも、と命じているからだと思っているが、心理学においては、それは単にわたしがたまたま資質として強固なものをもちあわせているにすぎないのだ、ということになる。わたしはたぶんちょっと自我が強い、自我を保つという意味での力もおそらく強いほうだ。わたしはタイプでいえばあからさまに意志的な創作者だ。もぐりこんで、つかんで、ひきずり出してくるタイプの。これは疑いようがない。わたしは分裂したものをつなぎとめておける。それだけが自分の使命だとすら思っている。すぐ動揺するが、すぐ立ちなおる。気が違ってなるものかというか、正気を失ってなるものか、おのれを手放してなるものかという、猛烈な気持ちが、自我が揺さぶられたときには猛然とわき起こってくる。

 それでね、こういう人間だから、わたしはクラウドさんの認識をたいへん間違っていたのではないか、あまりにも自己中心的に解釈をしすぎたのではないか、さんざん云われていた彼の「弱さ」なるものをちっとも理解していなかったではないか、と思って、おそろしく反省してしまい、おのれの無感覚や共感能力のなさにほとほと腹を立てた。そして最近では、だからわたしはセフィロスさんのことが理解できないんだと気づいて、それも腹を立てている。気が狂うのを猛烈に阻止しようとする人間が、その向こうに身を投げた人間のことをわかれとは、こいつはきつい要求である。かなりきつい要求である。でもわたしはわからねばならんと思う。必ずやわかってみせようと思う。

 そんなこんなで、わたしはいま、八年目にしてはじめて、クラウドさんがときどきずれててこわい理由がわかり、彼をどう書いたらいいのかということについて、より素直に書けそうな気がした。わたしのかつての作品群のクラウドさんは、ちと強すぎる。わたしのように、世界に対して意志的でありすぎる。でも彼の力はおそらくそこにあるのではない。また別のところから彼は力を汲み取っているのだと思うし、おそらくぜんぜん違う思考回路をしている。
 わたしはいまいろいろ書いているが、彼が以前よりもとても自然に出てくるので、きっとこういう方向でいまは書かねばならぬのだと思う。そうすると、話のすべてが変わってきてしまう。以前のサイトで書いていたものは、みんな書きなおさねばならなくなってしまった。しばらくのあいだ、試行錯誤すると思う。試行錯誤中の作品を何作かお見せすることにもなると思う。どうか寛大なおつきあいを願いたい。そしてなにが変わったのか、どうなってしまったのか、見届けていただきたい。わたしもいけるところまで行こうと思うから。

 さあ、大変なことになってきた。でもとりあえずいまは、リーブ・トゥエスティさんとルーファウス社長である。このふたりが踊っている。とくにリーブさんが。クラウドさんとの絡みで、彼がこんな人になるとは、わたしはまったく想像もしなかった。

 やっぱりFF7のブラックボックスだと思う、クラウド・ストライフという人は。彼がどんな人なのか、ほんとに理解できるのは、やっぱりこの世にセフィロスさんしかいないと思う。ACを見たときから、それはわかっていた。クラウド・ストライフという人が、かなり「ヤバい」人だということはわかっていた(そのことはこの記事に書いてある)。わたしはその「ヤバさ」をわたしのうちに受け入れ、自分が恐れているものを見なければならない。

 創作とは、なんと自分が遠ざけたいものの直視であることよ! だがこれがわたしの仕事なのだ。招かれ許された大切な仕事。