友よ、わたしは帰ってきた

 またお目にかかれてうれしい。あるいははじめてお目にかかれたのでうれしい。わたしがこの世界にいたのは、せいぜい2013年ごろまでのことだ、記憶が正しいなら。およそ七年にもおよぶブランクをとりもどすため、わたしはこの世界がいまどうなっているのか、少しのぞいてみた。
 どのジャンルにも、なにか独特の文化のようなものが存在しているように見える。わたしはまだいくつかのウェブサーチが実際に機能していることに驚いた。そして新着サイトがちゃんとあることを見てうれしかった。わたしはサイト文化が好きだ。自分の居場所くらい自分で作るのが好きだ。Pixivが楽なことは知っているが、そしてわたし自身、もうすっかりwordpress愛用者になってしまって、自分でFTPを使ってファイルをアップロードするなんてことは面倒だと思う人間になってしまったが、それでもわたしは個人のウェブサイトというやつが好きである。人よ、どうか言葉のもっとも美しい意味で、個性的であってほしい。わたしはそれを見て、きっと喜ぶだろう。
 わたしはまた、いくつか知っているサイトがまだ活動していることがうれしかった。わたしははまるととことん飽きると冷淡タイプの典型的なやつだから、誰にも顔向けできないような人間だけれども、長いことひとつのものを続けている人がいるのは、いつでもすばらしい。そういう人がいるので、人はなつかしいあの場所に帰ってきたという気持ちを味わうことができる。これはなんといってもすばらしいことである。

 ABOUTにも書いたが、わたしがサイトをふたたび立ちあげた直接のきっかけは、セフィロス氏(わたしは相変わらずこの人を呼び捨てすることにためらいを覚える。クラウドくんにもためらいを覚える)が出てくる奇妙な夢を見たことだ。あんまり奇妙なので、わたしは目が覚めてしばらく考えこんでしまった。それから数日は、なにごともなく過ぎた。そしてある晩、猛烈に自分の過去のFF7作品を読みかえしたくなってきた。
 わたしは朝までかかって、ひと通りのものを読んだ。そして静かな感動に打たれた。かつてのわたしよ、おまえはなんと必死に生きていたことだろう。つたない技術のなかから、なんと必死になにかをひねりだそうとし、また現実の前にもがいていたことだろう。わたしはわたしについての記憶を思いだした。そしてわたしがいまふたたびこれらの小説を書いていたころの自分に戻り、そのころの自分のように道を定めねばならぬ運命に、さしかかっているのを感じた。

 わたしは神を信じる人間である。ただ神だけがわたしを導くことができ、わたしを変えることができ、わたしに対して力を行使することができる。神は、わたしの執筆の最大の動機である。わたしは神を賛美したい。そして世界を賛美したい。そのために、わたしは自分の中にある最大に美しいものを、この世に呼びだしたい。そう思っている。
 実はついこのあいだまで、二次創作に戻ってくるつもりなどなかったのだ。わたしは昔から一次創作人間でもあって、こっちのほうが自分の本業だとひとりぎめしていたのだが、二次創作のほうも、どうやら捨てることができないらしい。一次創作がほんとうで、二次創作が二流だなどということは、ないはずだ。わたしが本気で書くのなら、そのときそこに神はおり、あなたがたに向けて喜びと、愛と、詩を、語るはずである。一次創作だろうと二次創作だろうと、わたしが存在を愛し、神を愛することは、なにも変わらない。ただ看板をかけかえるだけで、いかに多くの新しい読者が、わたしの前にあらわれることだろう。わたしはそれが愉快だ。

 リメイクが出るそうだが、こんなことも知らないほど、わたしはこの世界から遠ざかっていた。セフィロス氏が夢に出てこなかったら、わたしはどう考えてもここへ戻ってくることはなかった。リメイクをプレイするかって? 考えてみてほしい、わたしはあまりにもこの世界から遠い。そこにかける時間や資金を、わたしは読書や書籍に費やすだろうよ。そのほうが建設的というものだ。わたしにとってはね。いまはそう考えている。変わるかもしれないが。
 だから、あまり情報を追いかけないことにする。わたしの静寂さは、情報を過度に追わないことによっている。そしてあまりグッズを買ったりなんだりしないことに。ふり回されたくないのだ。結局最後にはふり回されたとしても。わたしは自分が有限だと知っている。必要なものと、そうでないものを、より分ける必要があるのを知っている。このサイトが各種派生作品を排除した理由も、大きくはそこに根ざしている。
 とはいえ、ACくらいは入ってくるかもしれないな。あの作品は好きだ。考えねばならないことが山ほどある。クラウドさんが美人過ぎてくらくらする。美しいものは文句なしによいものだ。あのアンニュイな空気のクラウドさんを、どうやったら言葉で再現できるというのだ。たぶんできない。でもやってみたいとは昔思っていたし、いままた思うのだ。
 それとアルティマニアオメガの「ひとつの仮説」を読んでからあたためはじめたパラレルじみた世界設定というのがあるのだが、それとつきあわせたらおもしろいことになるはずだ。そしていまは、キリスト教神学がそれにプラスされる。仏教も入れねばならんなあ。そのほかあらゆる宗教を入れこまねばならないだろう。その課程は興味深い作業になるだろう。

 ああなんだか困ったなあ。わたしは思いきりこの世を捨てようと思っていたし、二次創作も捨てようと思っていたけれど、結局わたしもまた、隠遁するには欲深すぎる人間のひとりなのだろうか。わたしはそういう勝負にでているかもしれない。隠遁者になるかどうか。その資格があるのかどうか。おまえにとって、外の世界はどんな意味を持っているのか。おまえは、どのようにこの世界におのれを、あらわしたいのか。

 ともかくも、わたしは戻ってきた。そしてまたここで、わたしにできる、好きなことを、やるつもりだ。あなたがたがついてきてくれるかどうかは、ぜんぜんわからないが。
 友よ、ともかくも、あなたに再会したことを、わたしは喜んでいる。