降誕祭の夜

 この世は望むがいい、肉と血が好むものを。
 わたしに生命へ至る道を示す、恵み深い彼の霊が、わたしを治め安らかな地へと導いてくださいますように。(※1

まえがき

 こんどこそ、ちゃんとしたクリスマスの物語を書きます。ほんとはもう二年前に、わたしはこれを書くつもりでした。それから去年も、こんどこそきっと、と思いました。ところが、いざ書くだんになると、きまってなにかじゃまがはいるのです。(※2

 一九三三年に、ある作家が自分の作品のまえがきでこう書いていますが、わたしだって、二年とはいわないが、少なくとも去年のクリスマスにはこれを書くつもりだったのです。ところが、いざ書くだんになると、絶対に予想していたようには筆が進まないというわけです。
 八月に開催されるイベントに合わせて掲載するものなのだから、わたしはほんとうは夏休みの話でも書こうと思ったのです。書きかけて放置してあるやつがあって、こっちを完成させるつもりでした。でもこの夏休みの話は、今回のクリスマスの話のあとの話であって、このクリスマスの話がうまいこと書き上がらないでは、わたしはどうしたってそっちを書き進めることはできないということに、ほどなく気づいてしまいました。
 物語が独自の生命力を持っているということを、わたしは以前書いたクリスマスの話の中で述べた気がしますが、作品というものが作者の生命である以上、それは当たり前のことであり、作品は作者の内的体験の結果として、書かれるべき時期というものをおのずからもちあわせています。この作者の中で生まれる作品への内的衝動というものは、この世の時間とまるで別の時間を生きているのでして、この世界が八月の死ぬほど暑いさなかだろうと、クリスマスの話を書かねばならぬといったら書かねばならぬのです。冒頭に引用した作家もまた、八月のさなかにクリスマスの話を書かねばならなくなり、しかたがないのでツークシュピッツェの山頂の雪を眺めながら書くことにしたそうですが、わたしはさいわい冷房の効いた部屋にとじこもって、どうにかこれを書きあげることができました。

 こんなことをだらだら書いたのは、いいわけのためでもありますが、このイベントではじめてわたしの書いたものを読む方がいたら大変だとも思ったためです。例の作家によりますと、まえがきというのは玄関のようなもので、作品にはぜひとも必要だということです。これはわたしもそう思います。見ず知らずの方がいきなりなにも知らずにわたしの作品を読むというのは、ちょっとやりにくいことに違いありません。わたしはたいへん頑固な書き手であって、自分がこうと決めたら原作がどうだろうと無視してかかるようなところがありますし、なによりFF7という作品は、いまやあまりにも大きなものになってしまいました。
 なにがいいたいのかというと、わたしの作品においては、一九九七年に発売されたあのFF7がいまもって現役なのでありまして、あれから先、ほとんど時は止まっているといってよろしい。ACは見たしCCも最近やりましたが、BCやDCのことはなにも知りませんし、リメイクのこともなにも知りません。ですから、たぶんあなたの中にお住まいのクラウドやセフィロスやザックスとは、微妙に、否かなり、ずれていることと思います。ザックス・フェア氏は、名字はさすがに公式にのっとりましたが、ソルジャーになったばかりの十代の少年ではありません。クラウド・ストライフは、たいへん内向的な、そしてたいへん意地っ張りな、ちょっとあやうい性格をしております。それからセフィロス氏は……彼については、もう読んでいただくしかない。彼はいわば中世の神秘家です。FF7というゲームの世界観と旧来のRPGの世界観の衝突とを、彼は一身に帯びております。それはまたあのストーリーの中で展開された、非常に重要なテーマでもありました。ゲームの主人公はクラウド・ストライフでしたが、あの世界におけるあらゆる矛盾を飲みこんだのはセフィロスです。わたしがなにかを書いているとき、わたしは神になろうとした彼の葛藤のために書いているといっても過言ではありません。
 この作品もまた、セフィロス氏のために書かれました。わたしのセフィロス氏は、ウータイ戦争ののち、二年も出社拒否を続けている男です。彼は自己の存在に真剣に苦悩する人です。原作のセフィロス氏は、ニブルヘイム事件が起きたために、いやおうなしに自己の存在に秘められたものに直面せざるを得なくなり、そこからすべては変わってしまいました。でも、もしあの事件が起きなかったら? そうしたら、彼はどうやって自己というものと対面し、それを乗り越える経験を重ねたでしょうか? もちろん、神秘家たる人間の最終目的は、いまもむかしも神になることです。人生の中で、一度でも神にとらわれてしまった人間は、もはや神から逃れることはできません。彼は神秘の階段を、ヤコブの見たあのはしごを、一段一段上ってゆかねばなりません。ひょっとしたらそれは地獄に通じているのかもしれないが、神秘家の熱情は、地獄をも天国と見なすことでしょう。

 この作品の中で、セフィロス氏は出社拒否をついにやめて仕事に戻る決意をします。時は〔ν〕-εγλ〇〇〇二年十二月二十五日、戦後二年が経ち、クラウドは十六歳になっています。十月に起こるはずだったニブルヘイム事件は、起きないままに過ぎてしまいました。セフィロス氏はどうするのでしょうか。そしてクラウドは、あの痛ましい人体実験がない以上、普通の人間のままです。彼の求める強さとはなんであり、どこにあるのでしょうか。ザックス・フェア氏はエアリス嬢とのつきあいをもうしているようです。これはそういう仮定のもとに進めていくひとつの実験的なシリーズの第一弾です。これで完結しているわけではないし、事件が解決しているわけでもありません。そういうことを前提として、読む気を起こされた方は、読んでみてください。
 この作品にはオリジナルの人物が多数登場しますし、年号も多用されます。読者の便宜を多少なりと図るため、巻末に登場人物一覧と年表を付しました。そのほかにもいろいろと細かな設定はありますが、読めばわかるように書いてあります。

 では、よい八月のクリスマスを。

Ⅰ 事件当日……十二月二十五日

第一章

「やあよ、おれ今日はもう仕事じまいなの。ザッくんは閉店しました。だって世の中祝日だもんね。これからおれゴンガガ伝統カエルカレーつくんの。袋詰めにされた何十匹って冷凍ガエルがおれを待ってんのよ。いまごろ溶けていい感じじゃない? 罪なきカエルをわれ捌き給う。あ、きみ手伝いに来る?」
 相手はそそくさと電話を切った。悪いやつではないのだが、ちょっとしつこい男なのだ。曰く、彼は「クリスマスにおけるミッドガルひとり暮らし男性を救済する会」を主催しており、要するに、大都市ミッドガルにおいて家族から遠く離れてひとり寂しく勉学や職務にはげむ単身者男性が集まって、家族のように団結し痛飲し愉快にやろうではないか、という会なのだ。本来は無害な会らしいのだが、二年前に、酔っぱらった勢いで道行く女性に手当たり次第に声をかけるというバカな真似をする男が出て、通報され、手入れに遭うという手痛い経験をした。通報した女性は、自分が性産業従事者と間違われたというので怒り狂っており、駆けつけた警備兵にありとあらゆることを吹きこんだらしく、警備兵たちはテロリストのアジトにでも乗りこむかのごとく武装して突入してきたのだった。
 実際、クリスマス華やかなりしミッドガルの陰では、街を警備する治安維持部隊の兵士たちの緊張は頂点に達している。この時期には毎年多くのチャリティベントが開催されるが、神羅の重役の出席するイベントには、必ずといっていいほど爆破予告やら殺害予告やらが舞いこんでくるからだ。たいていはいたずらにすぎないが、だからといって警戒をゆるめるわけにはいかない。特に、プレジデント神羅やその息子のルーファウス神羅が出席するとなると、警備を担当する兵士たちは、その後三日もぶっ倒れて眠りこむほど神経を使わなければならない。
 とはいえ、ザックス・フェア氏は治安維持部隊の人間ではないし、いまのところどこからも援助を請われてはいない。つまり彼のクリスマスはうるわしき自由に彩られ守られているのであり、午前のうちに早々に仕事を切りあげて帰宅したところで誰も文句は云えないのだ。
 だがクラウド・ストライフはそうはいかなかった……フェア氏は愛車を転がしながら、半月ほど前、クラウドにさんざん文句を云われたことを思いだしていた。クラウドは清く正しい治安維持部隊第十七連隊隊員であったから、クリスマスはもちろん書き入れどきであり、当然勤務表に名前が載っていた。クラウドいわく、この十二月になってからそれを変更してくれと云うことは、自分のような新米にとっては許されざることであり、これでおそらくクラウド・ストライフは、養成学校に続いてこの治安維持部隊においても村八分の目に遭うであろう。
 クラウド・ストライフは今年の八月、めでたく神羅軍の養成学校を卒業した。十四歳から十六歳までのひよっこ少年兵たちを預かる養成校は、幼年学校とも「保育園」とも呼ばれ、二年間の在籍期間を経て正式な兵科に配属されるための予備学校である。卒業後の配属先はおおむね本人の希望が通るようになっているが、ソルジャー志望であったクラウド・ストライフは、卒業直前に十六歳の誕生日を迎え、受験資格を満たしたので、ソルジャーになるための適性試験を受けた。そして落ちた。クラウド・ストライフはこの世の終わりが来たかというほど落ちこみ、卒業式にも出ず、配属先の希望を出すどころの話でなかった。残酷なことだが、このような目に遭う少年兵はクラウド・ストライフが最初でも最後でもなく、たいていは次の配属希望先が見つかるまで、自動的に治安維持部隊に入れられる。もっとも人手不足の深刻なところだからだ。そこからなにか新しい適性を考えつけばそれでよし、軍人をやめるならそれもそれだというわけである。
 だが試験に落ちたあとのクラウドはほんとうにひどかった。精神的にかなり不安定になって、ザックスをはらはらさせ、セフィロスをうろたえさせた。いらいらしたり、沈んだり、つっけんどんだったり噛みつくようだったりするクラウドを、ザックスはこのあいだまで自宅で預かり、毎日仕事に送り出してやっていた。セフィロスと一緒にしておくと、ふたりとも崩壊してしまいそうだったからだ。
 セフィロスほどの男になると、どんなに真剣なときでも、思いつめたときでも、どこかまだ余裕を残しているという印象を与えるが、クラウド・ストライフときた日には、いったん思いつめるとなったら、世の果てまで行きついて、崖のふちのふちに立たないと、自分は思いつめているのだと自分に云いきかせることもできないような人間なのだ。こういう人間が挫折の極みに達しているときに、セフィロスのような人間がよりによって当事者としてそばにいるのはたまらない。クラウドはどうしたって彼から離れなければならなかった。それに、セフィロスのようになるのだという夢が指先からこぼれ落ちたとき、クラウドはそのこぼれ落ちた夢であるセフィロスを、自分の知っているセフィロスから、ほんとうの意味で引きはがさなければならなかった。
 これがどれだけ困難な作業であるか、ザックスにはわかるような気がした。もちろん、ザックスはクラウド・ストライフなんかより、もっとずっとのんきな人種だ。セフィロスにあこがれたと云ったって、ザックスはセフィロスと自分があくまで別ものだとわかっている。できることはできるし、できないことはできないと割りきることもできる。でもクラウドはそういうタイプではなかった。なるとなったら、なりきらねば気のすまない子だった。セフィロスになると決めたのだから、セフィロスのすべてを自分の血肉としなければ満足しない。だが現実は冷酷だった。それはクラウドの夢を破り、希望を無残に引き裂いた。立ちなおるには時間が必要だった。ザックスはクラウドを引きとり、不安定で危険な数か月をなんとかやりすごした。クラウドはようやく二週間ほど前、急に「おれ帰る」と云いだして、セフィロスのところへ戻ったばかりだった。
 それでザックスはこのクリスマスを、彼らの和解と新しい出発に捧げる、ひとつの儀式にしようと考えていた。といって、別になにか神秘めいたことをするわけではない。ただ一緒に食事を作り、食べ、飲んで、くだらないことやくだらなくないことを話しあうのだ。クラウドはひとつの危機をむかえ、まだようやくそれを半分乗り越えたばかりだ。それにセフィロスもセフィロスで、自分の身のふり方という未解決の大きな問題を抱えていた。たぶん、クラウドがソルジャー試験に落ちたいま、セフィロスもまた考えねばならないだろう。ふたりとも、またとても大きなものを越えていかなくてはならないだろう。それがどれほど大きいか、どれほどの困難が待ち受けているかは、まだちっとも予測がつかないにしても。ザックスとしては、彼らになにがあっても、いつまでもできるだけ愉快にやっていてほしかった。そのためにできることなら、なんだってしてやりたいと思っていた。

 フェア氏の愛車が伍番街の高級住宅街にあるマンションに着いたのは、もうすぐ正午になろうかという時分だった。フェア氏は地下にある駐車場へ愛車を転がしていき、数分後には、食材のつまった大きな木箱を掲げもってセフィロス氏の自宅の玄関に現れた。そしてさっそく台所へ木箱を運びこんで、腕まくりをはじめた。
「ジャガイモの皮は剥いておいた」
 セフィロスが、台所の床に置かれた、大きな桶いっぱいのジャガイモを指さして云った。
「あらー、ありがとボス、ボクうれしい、愛してるわ」
 ザックスは感激して手を握りあわせた。
「おれの揚げじゃが、いつできんの?」
 クラウドがソファからとことこやってきた。
「一番最後だっつのバーカ。おまえ自分で食うぶん皮むけよ」
「なんで? そこにいっぱいあるだろ」
 クラウドは不満げに桶を指さした。
「これはおれとボスのぶんの揚げじゃがと、マッシュポテトと、その他諸々用なの。おまえのぶんは別なの」
 クラウドはぶつぶつ文句を云いながら、木箱の中身をかき回しはじめた。
 クリスマスのこのよき日に先だって、ザックスは今回の会食を、ゴンガガならびにニブルヘイムの郷土料理舞いおどる酒池肉林とするため、二週間ほど準備にいそしんできた。地方食材を仕入れ、セフィロス氏の自宅へ運びこみ、下ごしらえの必要なものはその都度下処理をして冷凍していくという、根気のいる作業をひとつずつ進めてきた。カエル数十匹の解剖はさすがにしなかったが、冷凍品を買いこんで、小麦粉やスパイスをまぶして漬けこんである。クラウドの愛する羊肉のシチューは、クラウドの母さんのレシピ通りに作るとすると、暖炉の上に鍋を何日もかけておかなくてはならなかったので、ザックスはひとまず自宅で煮こんでおき、今日は仕上げればいいだけにしてあった。ニブルヘイムのおそるべき塩漬けダラにいたっては、塩抜きに数日を要するため、セフィロスに頼んで桶に水をはってタラをつっこみ、定期的に水をとりかえてもらわなくてはならなかった。伝統的な料理は、手間も暇もかかる。
 ザックスはかつて、義務教育を終了した十四歳のころ、みずからの進路について兵士になるか料理人になるかで迷った男である。両親は、当然ながら息子が料理人になることを希望した。ひとり息子だったし、親として兵士などという危険極まりない職業に反対するのは当たり前だったが、ザックスはそれでも兵士になる道を選んだ。高給取りだし、料理人よりは早くひとり立ちできると考えたのだ。料理の世界では、十四で弟子入りしたとして、両親に仕送りしてみずからも生計を立てられるようになるまでに、まあ十年はかかるであろうが、兵士であれば、養成校を出てすぐにそれなりの給料が見こめるし、なによりセフィロスのようになることができるかもしれない。ザックスがそんな期待を胸にミッドガルへ出てきたとき、同じようなことを考えて田舎から出てきた少年はほかにも大勢いた。ソルジャーという存在は、まだ世に出て間もなかった。セフィロスという少年兵の存在が話題になりはじめたのは、そのたった一年かそこら前のことだ。誰もソルジャーというのがどんなもので、なにができるのか、よくわかっていなかった。神羅カンパニーだってよくはわかっていなかった。ザックスは、その未知の可能性にもなにか魅力を感じたのだ。たぶん、うまくいけば、二十歳そこそこで指揮官になり、途方もない給料をもらったり、名誉を身に受けたりすることだってできるかもしれないではないか?
「おれも若かったのよ」
 ザックスは母ちゃん直伝ゴンガガ伝統カエルカレーの食材を切りながら云った。ザックスの母ちゃん曰く、カエルカレーには、フルーツを蒸留して作った地酒をちょっと入れるのがコツだった。
「あんたにあこがれて田舎から出てくるやつなんて、まあだいたいそんな夢膨らまして来るんじゃない? な、クラ坊」
 クラ坊は踏み台に座って黙々とジャガイモの皮をむいていたが、顔を上げた。そしてテーブルに身をかがめて、サラダを彩りよく盛りつけることに命を懸けているらしいセフィロスを見た。セフィロスは画家かなにかのようにときどき身を引いて、全体のバランスを見極め、またかがみこんで、なぜこのイクラという愚か者はおれの意図に反してずり落ちてくるのだろうかとでも云いたげに、ころころ転がりまわる魚卵を根気よく移動させたりしていた。
「でもさ、ザックスの場合は、戦争行って、間近でこの人のこと見てたからまだいいよ。おれくらいのやつなんか、さんざんテレビでこの人のいろんな映像見せられて、あおられてミッドガル来たのはいいけど、戦争は終わってるし、本人は出てこないし、なんていうの? むなしさ? とホームシックのダブルパンチ食らって、とっとと田舎帰ったやつ、けっこういた。最初の半年で、たぶん三分の一は消えたもん」
「昔っからそんなもんだったよ」
 ザックスは地酒を鍋に入れるついでにひと口失敬して、んまい、と満足げに云った。
「だいたい、ソルジャー試験受けられるようになるまで軍のいじめ体質に耐えぬいて残ろうなんて骨のあるやつ、半分いりゃいいほうっしょ。試験受けて運よくソルジャーになったってさ、そっから先がまた長いんだ。まあおれんときは、いまとちょっと状況違ったけどね。そもそも人材少なかったから」
「あのころはまだよかった」
 セフィロスが急に話しはじめた。
「わが副官殿がソルジャーに昇格したころは。おれの責任もいまに比べれば紙のように薄かった。考えるべきことも多くはなかった、いまのようには……いまでは、あまりに多くの人間がこの分野にやってきたせいで、ありとあらゆるやつがいる。たびたび頭をぶち抜いて処刑したくなるような男もいる。誰とは云わないが……」
「あーあ、おれ誰かわかっちゃった」
 ザックスがその人物を思い出したとでもいうように、うんざりした声で云った。クラウドはまたジャガイモの皮むきに戻った。
「おれがファーストの進級になんのかんのと難癖をつけていつまでも寡頭政治体制にしておくのはそのせいだ。いざというとき自分が責任をもちたくないやつはそばに置かない。専制政治と云いたいやつは云えばいい。その手のストレスを常時抱えているくらいなら、ファシストとののしられたほうがましだ。もっとも、おれがいなくなったらどうなるのかは知らないが」
 セフィロスがこんな話をするのは珍しかった。彼は自分の立場や自分をとり巻く状況についてどう思っているのか、なかなか明かそうとはしない。というより、たぶん彼がそういう話を安心してすることができるのは、ザックス・フェア氏の前でだけだろう。それ以外の関係のなかでは、セフィロスの発言は常に公であり政治だった。ソルジャーの仲間うちで冗談を飛ばすときでさえ、彼は踏みはずさないように気をつけていた。それが習い性になってしまっていたので、はじめセフィロスは、クラウドになにを話してもよく、なにを話すのはよくないかの見きわめに苦労していたくらいだった。結局、その壁をぶち破ったのは怒りに満ちたクラウドの一撃だったが。
「ボスがいなくなったら、おれだって知らね。そうなったら、なんかどうでもよくなりそう、おれ。燃えつきて、田舎帰っちゃうかも。んで、しばらくしたら、またどっかちょっと開けたとこ出てさ、バルかなんか開いてさ、毎日客と一緒に飲んだくれんの」
「揚げじゃが出る?」
 クラウドがイモをむきながら訊いた。
「おれイモの皮むきのバイトくらいだったらしてやってもいいよ、揚げじゃが出るんなら。あと皿洗い」
「おまえに飲食商売ができるとは思えないんだよね、おれは」
 ザックスは疑わしげにクラウドを見た。大量のジャガイモが茹であがり、ザックスは用途別によりわけはじめた。
「おまえには向いていないと思う」
 セフィロスも云った。セフィロスはようやくいまいましいイクラやサーモンとの戦いを終えて、今度はチーズやマリネやオリーブなどの芸術的盛りつけに熱意を傾けはじめた。
「おまえほどサービス精神のない子も珍しい」
「だってどうでもいいだろ」
 クラウドは唇をとんがらせて云った。
「他人のことなんか。マッシュポテトできた? おれ味見する」
 ザックスは小さな皿にのっけて、食いざかりの坊主に出してやった。ザックスはたいへん美味なマッシュポテトを作る……すごくたくさんのバターと、ジャガイモの皮をひたして香りを移した牛乳で。

 彼らの今年のクリスマスはそんなふうにはじまった。三人で一緒に過ごそうなどとは、ザックスが云い出さなかったら誰も思いつかなかっただろう。そしてこれは、セフィロスにとってもクラウドにとっても、なかなかいいアイディアに思われた。クラウドは田舎から出てきてからというもの、クリスマスシーズンになるたびに、ニブルの母さんを思いだしてしまってなんだかやりきれない気持ちになるのだが、去年は、セフィロスといるとそのやりきれなさが解消されるどころか、よけいひどくなってしまうらしいことに気がついた。たぶん、セフィロスがクラウドの感傷に優しすぎるせいだ。それでクラウドはついいらいらしてしまい、いらいらした自分にあとから落ちこんで、とにかく散々だった。おまけにケーキをホールで食べるなどというばかな真似をしたせいで、夜中に気持ちわるくなったりした。ベッドのなかで気持ちわるさにうめきながら、もう来年は絶対にクリスマスなんかしないと心から誓ったくらいだ。でもザックスがいるのだったら、クラウドは落ちこまないですむ。ザックスはセフィロスではないし、クラウドの気分を甘やかしたりしないからだ。
 食卓はいまや簡易的な世界地図に見立てられ、南ブロックにゴンガガのカエルカレーや、すっぱいサラダや、スパイスがたっぷりかかった豆と野菜の煮こみなどが並び、北ブロックに、ザックスがはじめて挑戦したクラウドの母さん直伝ニブルの羊肉のシチューや、タラの干物料理や、塩ぬきした塩漬けダラとマッシュポテトのディップなどが並べられた。そしてそれらの周囲に、ミッドガル人セフィロスのために、ミッドガルでクリスマスの定番になっている鶏の丸焼き、サラダ、オードブル等々がちりばめられた。
 ザックスは大いに痛飲すべく、ゴンガガとニブルヘイムの地酒をたくさんとり寄せていた。クラウドのよく知っている、ニブルの男たちが炉端でちびちびやるジャガイモとスパイスで作った蒸留酒の瓶もある。スパイスの調合で、いろんな種類があるのだ。この酒を母さんもときどきちびちびやっていた。料理をこしらえながらときどき……けっこうたまに。クラウドは昔母さんに隠れてこっそり飲んでみたことがあるが、とてもまずくて変なにおいがし、飲めたものではなかった。そのときに、クラウド・ストライフは一生涯酒を飲まないことを誓ったのだ。
「いやいや、はじめて飲んだけど、このニブルのジャガイモ酒、うまいよ」
 ザックスは瓶を持ち上げてしげしげと眺めながら云った。
「貧困の味だよ、おれに云わせりゃね」
 クラウドは自分用の大きな鉢に盛られた揚げじゃがを満足そうに食べながら云った。
「食い物がジャガイモと、ぶちのめした羊と、チーズと、獲れてから一年もたったタラくらいしかないんだもん。あと干からびた豆」
「厳しそうだもんね、おまえんとこの土地。おれ北国に定住しようと思った人のこと尊敬しちゃうな……でもゴンガガだってやあよ。高温多湿、ものはすぐ腐る、作物はカビにやられやすいし、水害に遭いやすい。いやーな虫とかいっぱいいるしね。油断すると人さまの皮膚に卵産んだりしてさ……」
「おれぜったいやだ、ジャングルのそばに住むの。でっかい蚊がいるし、そもそも虫が全部でかいし」
「虫天国なのは否定しねえかな。でもおれたちはさあ、うるわしい故郷ってのがあるけど、セフィロスはどこに住みたい? それかどこに行きたい?」
 セフィロスはジャガイモ酒を味わいながら考えこんだ。
「なんだか、たいていのところに行ったことがある気がするんだが」
 セフィロスは考え考え、微笑んだ。
「どこもそれぞれに魅力的だった気がする。個人的には木があって、川が流れているところが好きなんだが」
「おれ頑張って川のある土地買ってもいいけど、そしたら水車小屋建てていい? 好きなんだ、水車。それで毎日粉ひいて、パン食べ放題にしてやるんだ」
 ニブルヘイムの貧困と乏しい食料の中で育ったクラウド・ストライフは、夢を見るような顔で云った。
「水車小屋には悪魔が住んでいる」
 セフィロスはおどすように声を潜めた。
「おまえがさらわれないように見張っていよう。それにおれは悪魔と仲良くやれそうな気がしているんだ、昔から」
「悪魔も逃げだすと思う、クラ坊の食い気見たら」
 セフィロスもザックスも、そのような少年時代を経てきたこともあり、クラウドの牛馬級の食欲を見ても少しも驚かないが、上品なご婦人あたりが見たら腰をぬかすだろう。大鉢いっぱいの揚げじゃがと、テーブルを埋めつくす料理の数々を食したのちに、なおケーキを食べフルーツをつまもうというような食欲を、クラウドの母さんひとりに背負わせなくて幸いだったと云わねばならない。ニブルヘイムの痩せ枯れた土地と冷涼な気候では、こんな少年を養うのは困難である。
 せっかくなので、めいめいにひとつ郷土料理にまつわるお話を披露してほしいとセフィロスが云った。ザックスとクラウドはじゃんけんし、ザックスが勝ったので、クラウドから話しはじめることになった。
「別に改めて話すようなことなんにもないんだけど」
 クラウドは唇をとがらせて云った。
「なんにもないってことはないっしょ。クリスマスにいつもなに食ってたとかさ、特定の日だけ食える料理があったとかさ」
「そりゃね、クリスマスの日は、ちょっとだけシチューの中の肉の割合が多かったよ。隣んちのじいさんは、羊のキンタマ食べてた」
 セフィロスがフォークをとり落した。
「すごく変な味がするんだ。発酵してて、すっぱくて、臭いんだ。でも隣んちのじいさんは、それを食うとまた一年元気でいられるんだって云ってた。元気って、どういう意味っておれ訊かなかった。やな予感したから」
「……それ、どういう形状で出てくんのか、一応訊いていい?」
 ザックスがすごい顔で訊いた。かつての料理人希望であり、自称全世界を股にかけた食の伝道師ザックス・フェア氏としては、いつかそれを食さねばならぬと早くも覚悟を決めているように見えた。
「スライスしてあるんだ。こんな感じで」
 クラウドは揚げじゃがのひとつを皿にとり、ナイフで斜めに切りわけはじめた。聴衆の顔が青ざめた。
「羊のキンタマって、けっこうでかいんだよ。一頭分食えりゃ立派なもんだぞ坊主って、じいさん云ってた。スライスされたキンタマに、ゆでたジャガイモと、豆の煮こみがついてた。それとパン食べるのが、じいさんのクリスマスの食事なんだって。でも連れのばあさんは、普通にソーセージ食べてた。おれ、ソーセージがあんなにうまいってこと、はじめて知ったんだ、その日」
 セフィロスは気が遠くなったような顔をしていたが、ザックスが揺さぶると、意識をとりもどした。
「おまえがとてもたくましい精神を持っている理由がわかったような気がする」
 セフィロスはげっそりして云った。
「そんなものまで食して生きのびてきた土地の子が、たくましくないわけはない」
「もうやめよ、クラちゃんの話。おれが別の話するから。ゴンガガ育ちのガキにはね、クリスマス前の恒例行事として、森にカエルつかまえに行くってのがあんの。食用にするためにね。母ちゃんにこんなでっかい瓶持たされて、カエル一匹入れられるくらいの口があって蓋がついてんのね。ゴンガガのカエルってさ、でかいんだよ、手のひらぐらいあって。しかもけっこう重いの。じゃなきゃ腹の足しになんないんだけどさ、ともかくガキどものミッションは、なるたけいっぱいカエルつかまえて、瓶の中でぴょんぴょん跳ねてる活きのいいところを、すぐさま家にもって帰ること、ってわけ。
 ある年のクリスマス前にさ、おれ友だちと三人で森にカエル獲りに行ったの。おれともうひとりは入れ物に瓶持ってきたんだけど、もうひとりはでかい麻の袋でさ、たしかにそっちのほうが軽いしいっぱい入るんだけど、そいついっぱい入るからっつって欲張りすぎたのね。気がついたら、袋ん中が妙におとなしいの。それで、そいつがおそるおそる袋開けたら、重みで下のほうの…………あれ? おかしいな、おれもしかして、いま羊のナニくらい気持ち悪い話してる?」
「してる」
 クラウドは青い顔で云った。
「おれはもっとささやかな、あるいは家庭的な話を期待していたんだが」
 セフィロスはため息をついた。
「この面子でそんな話を期待した自分がばかだったという気がしてきた」
「来年はもっと考えるよ、たぶん、覚えてたらね」
 クラウドは云い、最前羊のナニに見立ててスライスした揚げじゃがを口に入れた。セフィロスはそれを見てしまい、怖気をふるった。

 クリスマスの楽しい会は続いたが、クラウドはゴンガガのフルーツ酒をおそるおそるひと口飲んだとたんに眠気を覚え、途中で寝てしまった。ザックスはなおしばらくセフィロスといろいろ話しこみ、片づけをして、帰ることにした。午後七時近くになっていた。
「クリスマスに毎年顔出してるクラブのイベント、今年ものぞいとこうかなって思ってんの」
 セフィロスに今夜はなにをするのか訊かれて、ザックスは云った。
「クラ坊、年明けは一日が休みなんだっけ?」
 玄関まで見送りに来たセフィロスに、ザックスは訊いた。
「そうらしい。変則労働も深夜勤務もできないので、未成年は割に合わないとぶつぶつ云っていた」
「あいつ、まだ未成年なんだよなあ……」
 ザックスは天を仰いで云った。
「副官殿はなにを考えているんだ?」
 セフィロスがからかうように訊ねた。
「んー……なんか、おれも十六なときあったけど、おれの十六って、人生で一番うきうきだったんだよね。ほら、あのころのソルジャー試験規定って、いまよりめちゃくちゃ緩かったじゃん? おれなんか試験受けたの十五んときだし、そもそもそのころって、受かるも落ちるもないみたいな感じでさ。あれ完全に人体実験だったよなあ……廃人になるのが続出してさ、ぜーんぶ後決めだったじゃん、いろんなこと。そうやって、危険たっぷりだけどとにかくやっちゃえみたいなのと、いまみたいにちゃんと基準があってふるいにかけられんのと、どっちが幸せかなあって思って、たまに考えちゃうの」
 セフィロスはうなずいた。
「……どうすんのかなあ、クラちゃん、この先。あいつときどき、もう燃えつきて年寄りになったみたいな顔してるときあって、おれびっくりすんのよ……しっかりしろよおまえ、まだ十六年しか生きてねえんだぞって云ってやりたいんだけど、余計なお世話だよな、これ、きっと」
「熱量の問題で云えば、倍くらい生きただけ燃えたのかもしれないしな、実際」
 セフィロスは記憶を追いかけるような目をした。
「人間が生きているのは時間ではない、どう見ても。この何か月か、あの子がこのまま死ぬかもしれないと思っていた。あれはそういう子だとわかっていた……一瞬間、強烈にきらめいて、すぐに燃えつきてしまう……そういうタイプが確かにいる。そうした人種にとって、生き延びることが幸福なのかどうか、おれにはわからない。もしかすると地獄かもしれない。でもともかくあの子はまだ生きている。まだ生きているということは、少しは先を考えるつもりがあるんだろう。見つかるかどうかは別にして」
「川の流れる土地買う金貯めるくらいまでは、生きてるかもね。おれ、なんかむやみに感動しちゃったんだ、さっきクラウドがそう云ったとき。……なんか、ほんと、世話の焼けるやつだよ、あいつ。今度本気でぶっ飛ばしてやる。目覚ましたらそう云っといて」
 ザックスは安堵のあまり怒ったようになりながらセフィロスの家を出ていった。そして、セフィロスもクラウド・ストライフもザックス・フェアもみんなばかやろうだと思いながら、なじみのクラブへ向けて愛車を転がした。


第二章

 フェア氏が去ったあと、ソファに寝ていたクラウドの横に座ったセフィロス氏は、いつもクリスマスに読むことにしている断想集を開いて、読みはじめた。断想はいくつかの章にわかれている。愛、怒り、悲しみ、魂、そして神。クリスマスほど、神を考えるによい日はない。人とこの世のあり方、それに人類の救いについても。機関銃や飛行機がついに戦争に導入されはじめた激動の時代に従軍したこの思想家は、人類の行く末を深い憂いをもって見つめている。日々死体が積み重なる戦場において、神はどこにいると考えるべきか。これほど大量の同胞を死に至らしめることのできる人間とは、いったいいかなる存在であるか。いまひとりの同胞を殺すことは、明日の自分を殺すことではなかろうか。その問いを胸に抱いて、自分はこれから先を生きられるかどうか。そして自分の生きるその世界は、どこへ向かおうとしているのか。
 セフィロスが戦場に送られるようになったとき、すでに神羅カンパニーはありとあらゆる武器や移動手段を開発し戦争に導入していた。空を自在に飛ぶ戦闘機があり、機関銃があり、大砲をぶちこまれてもびくともしない要塞のような戦車があった。それらの技術を、終戦後は広く開放し、民間人の移動や生活をより便利にするであろうと、当時の神羅カンパニーは喧伝していたものである。われわれの目指す世界は便利である。魔晄とともにある世界は豊かである。その世界においては、もはや飢餓も貧困もなく、人は食料のために土地にしがみつくのをやめ、果てしのない労働から解放され自由を手にするであろう……それはまさにプレジデント神羅の理想であり、彼はそのために力づくで覇権を握ろうとしていた。いまは、ただ単に、そのための苦しい過渡期に過ぎないのだ、というのがプレジデントとその取り巻きの共通認識だった。この戦争も、先の戦争も、なにもかも、輝かしい未来のために捧げられる犠牲である。
 プレジデントは実際セフィロスにもそう云った。プレジデントが神羅製作所創業者一族の正式な嫡子ではなく、貧困と多産の中で人生を開始した人間だと、いまでは誰が知っているだろう。もしかしたら、知っている者はもう誰もいないかもしれない。なぜセフィロスがそれを知っているかは興味深い問題だ。なぜプレジデント神羅はそれをセフィロスに隠さなかったか。側近中の側近ですら知らないようなことを、実の息子でさえ知らないようなことを、セフィロスだけは知っているのはなぜか。セフィロスはその答えを知っているような気がする。そしてそれがプレジデントの思想の限界でありセフィロスの領域への期待であることを、知っているような気が。
 隣に寝ていたクラウドが、もぞもぞ動きだした。
「……ザックス帰ったの?」
 眠たげな、やや不満げな第一声はこれだった。
「おまえによろしくと云っていた。今度ぶっ飛ばしてやるそうだ」
「そしたら、ぶっ飛ばし返してやる」
 クラウドはにんまり笑って、体を起こした。
「ケーキ食べた? まだある? あの緑色の箱の」
「食べていないしそのまま残っているが、今日はやめておいたほうがいいんじゃないのか? また夜中に気持ちわるくなるかもしれない」
 セフィロスはちょっとからかった。クラウドは唇をひん曲げて頭突きをくらわしてきた。セフィロスは笑った。クラウドはそのままセフィロスによりかかって、おとなしくなった。心地よい沈黙が流れた。
「いま何時」
「七時半を過ぎた」
「じゃあおれ母さんに電話しよう。セーターのお礼云うんだ」
 クラウドはそう云うと、母さんに電話するために部屋を出て行った。クラウドの母さんは、離れて暮らす息子のために、今年はセーターと、靴下と、帽子を編んで送ってよこした。クラウドは母さんに、ハンドクリームと、いい香りの石鹸とタオル、それに丈夫で温かい靴下を贈った。クラウドは荷物の中に、このあいだちょっぴり出た賞与をみんな入れてやったが、母さんが気を悪くしないかどうか、ちょっと心配だった。もしかしたら、こんなことをしないで、自分のためにとっときなさいと怒られるかもしれなかった。荷物をこしらえているときセフィロスにその話をしたら、セフィロスは、怒ったほうが怒りんぼのクラウドの母さんらしくていいのではないかと云った。クラウドはそれもそうだと思ったので、お金をみんな入れたのだ。
 クラウドが戻ってきた。ちょっと目もとが赤らんでいたが、それをさとられないように、彼はソファに勢いよく飛び乗った。
「もうすぐ八時だ……クリスマス終わっちゃうね」
「去年おまえが、来年はクリスマスなんかしないと云ったので、今年はなにもないかと思った」
「……おれも。できないと思った」
 クラウドがうつむいた。セフィロスは体をひねって、クラウドに顔を向け、ソファの背もたれに頬杖をついた。
「おまえが帰ってきてくれたのでおれはうれしい」
「あんたそれ前も云ったよ」
 クラウドは赤くなって、その赤くなった顔を隠すように膝を立てて丸まりながら、ぼそぼそ云った。
「云えるときに云っておくさ。おまえのような子は、またいつどうなるかわからないんだから」
「まあね……情緒不安定ってのはなんとなく自覚ある……そういうの、自分でもどうなんだって思うんだけど、どうにもならないんだもんな……あの、いろいろご心配おかけしました」
「それも前に聞いたな」
「云えるときに云っとくんだよ」
 クラウドはやりかえし、しまいにはふたりして笑いだした。笑いが収まると、クラウドは急に真面目な顔になった。
「あのさ、話したいことがあるんだけど」
 セフィロスはうんとうなずいた。
「おれ……」
 そのとき、クラウドの電話が急に間の抜けた音楽を流しはじめたので、ふたりはちょっとびくっとなった。
「ザックスからだ……なんだよ、もう」
 クラウドはぶつぶつ云いながら電話に出た。
「もしもし……なに? 起きてたよ……横にいる……うん……わかった、いま代わる……」
 クラウドはセフィロスに電話を渡した。
「おれだ。どうした?」
「あんねボス、今日、プレジデントのおやっさんどこにいるか知ってる?」
 ザックスの声は真剣だった。
「例年、クリスマスは壱番街の市立歌劇場で、オペラのチャリティコンサートに出席しているはずだが」
「せーかい。あのね、いましがた、その市立歌劇場に、巡回中の治安維持部隊の兵士がひとり乱入してきて、プレジデントに銃向けようとしたらしい。もちろんすぐ射殺された。すぐね……」
 セフィロスはそれで? と云った。
「そいつ、うちの兵士じゃなかった。ぜんぜん違うやつだった。そこまでは百歩譲ってまあいいよ。問題はこっから。市立歌劇場って壱番街七区だろ? 第十七連隊第三大隊の担当だよ。クラウドのいる部隊。その射殺されたニセ兵士さ、アントン・ベイリー一等兵って兵士になりかわってたんだけど、このアントン・ベイリー一等兵って、今日クラウドが休む代わりに警備に入った子なんだよね。十六歳だって。本人は行方不明でいま探してる。四時の休憩終わりまでは確かにいたらしいから、きっとそっからなんかあったんだわ。んで、十字星同胞団が犯行声明出してる。本社に動画が送られてきた。いま送るわ。とりあえずそれ見て。その動画に映ってるやつが射殺されたやつだから。おれとりあえず劇場向かってる。とにかく動画見て。んでどうすっか考えて」
 ザックスは電話を切った。
「……ザックスどうしたの?」
 クラウドが怪訝そうな顔で訊いてきた。セフィロスはそれには答えず、ザックスから送られてきた動画を開いた。クラウドがのぞきこんでくる。
 画面に、青いローブのようなゆったりした上着を身につけた金髪の少年がアップで映しだされた。おそらくクラウドと同じ年ごろだ。明るい金髪に、青のローブがよく映えている。ローブの胸元には、金糸で十字架の中心に五芒星を配したシンボルが刺繍されており、そのまわりに星がいくつもちりばめられている。少年は典型的な北方人種で、目は美しい青色だが、奇妙に表情のない据わった印象で、肌も抜けるような白などというものを通り越して、いささか病的に青白い。唇も青みがかっていて、わずかに震えているようにも見える。全体的に生気がなく、なにかにおびえているような、病んでいるような印象を受ける少年だった。
 少年が静かに口を開き、こちらをまっすぐに見つめたまま話しはじめた。
「死、金、富、名誉を軽蔑する、新しい哲学者の学派が興る(※3)……五百年前のこの予言は真実である。そしてわれわれ十字星同胞団の予言者の予言も真実である。われわれはすでに三十年前、そのことを証明した。しかし度重なるわれわれの警告にもかかわらず、神羅カンパニーは魔晄炉の建設と魔晄エネルギーの使用をいまもって停止していない。われらが予言者の霊言の源、大いなる星の霊がこう云われる。
『あわれな人類よ、そなたたちが立ちあがらないなら、われらが母君の権能によって、われらはそなたらに悔い改めのための使者を遣わす。その使者は、世に平和でなく争いと剣をもたらす。剣に頼む者は、剣によって滅びる(※4)』
 神羅カンパニー、ならびにその権力と支配の象徴である神羅軍よ、われわれは、死、金、富、名誉を軽蔑する、新しい哲学者の学派である。われらは死を軽蔑する、なぜならわれわれの希望は死ののちに、母なる星へ還ることのうちにあるからである。われらは金、富、名誉を軽蔑する、それはあなたたちの求めるものであり、この世のものでありむなしいものだからである。
 われわれは今日、大いなる星の霊の命令によって、真の哲学者の集団であることに加えて、星の救済のための真の軍隊となったことを宣言する。われわれを率いるのはこの星の意志である。われわれはあなたがたに宣戦を布告する。われわれは死を恐れず、力による制圧をものともしない。それは今日証明されるであろう。今日われわれはこの星に、星の救済に向けた一歩をしるす。それは大いなる霊の命令であり、星の命令である。われわれはこの星の命令のもと、必ずや勝利をおさめるであろう。それは、神羅カンパニーの重役すべてと、神羅軍の壊滅をもって、達せられるであろう」
 そして動画はぷつりと切れるように終わった。
「なにこれ」
 クラウドは困惑した顔をしていた。
「なに云ってんのかさっぱりわかんない。こいつ、頭おかしいんじゃないの?」
「ある意味そうかもしれない」
 セフィロスは唇に手を当てて考えこんだ。
「十字星同胞団ってなに? 神羅となんの関係があんの? っていうか、ザックスなんの話したの」
 セフィロスは首をめぐらしてクラウドを見た。あの少年はクラウドと同じ年ごろだった。金髪碧眼という共通点があり、どことなく似た面影をもっている。彼はクラウドの就いていたはずの巡回警備につき、クラウドが歩いていたはずの道を歩き、おそらくはクラウドが通ったはずの劇場前を通った……そして突如として銃を構えて劇場に入りこみ、まっすぐに観客席のあいだを縫って、そして……
 セフィロスは首を振った。どうするか考えろ……確かにザックスとしては、それしか云えないだろう。ウータイ戦争の英雄セフィロスはというと、戦争が終わってからというもの、もう二年近くも仕事をせず、責任と役割から逃げまわっている。最近は、このまま静かに引退するのもいいなどと思ってさえいた……クラウドのソルジャー試験の結果によっては、もう神羅と縁を切ってやろうとさえ思っていた。ごちゃごちゃ云うやつは黙らせればいい。それくらいの力はあるのだからと。だがいまは? この状況は? なにが起きている? なにをしなければならない? なにを求められている? 考えろ、考えろ…………
「……あんた、大丈夫?」
 クラウドが心配そうな顔でセフィロスの顔をのぞきこんでいる。
「ザックス、なに云ったの、ほんと、なにがあったの? なんかまずいこと?」
 クラウドの疑問と不安だらけの顔を見たとき、セフィロスの口は考えるより先に答えを与えるべく動いていた。
「市立歌劇場でプレジデントを襲撃しようとしたやつがいる。すぐに射殺されたそうだが、さっきの動画はいわばその犯行声明といったところだ。ザックスがいま劇場に向かっているが、悲しいことにおれもおまえも無関係じゃない。詳しくは道々話そう。長い話になるんだが。それに……まったく、今日は厄日なのか? こんなクリスマスがあるか? おれは最悪の気分のどん底で、おまえに見せたいものがある、駐車場に行こうと云わなくてはならないのか?」
「……ごめん、なんの話?」
「いいからとにかく出かける支度だ。ああ、今日という日は呪われろ! あるいは門出を祝うべきなのか? ザックスに電話して、いまから行くと云ってくれ」

 セフィロス氏のマンションは、たいへん厳重なセキュリティに守られており、地下の駐車場へは、専用のカードキーがなければ降りられないつくりになっている。こうした設備があってはじめて安心できる人種が住んでいるのだが、それが幸福なことなのか不幸なことなのか、クラウドにはぜんぜんわからないし、セフィロスにもわからない。
 駐車場に降りてはじめて、外がどれほど寒いのかがわかった。天気予報によれば、ミッドガル上空に寒波が居座っており、年末にかけて雪が降る可能性があるらしい。
「駐車場がどうしたの? ていうかあんたなに隠してる?」
「せっかくのクリスマスなので、おまえに贈り物をしようと思って。こんな形で云いたくはなかったんだが」
 クラウドははっとして、立ちどまった。
「だめ」
 クラウドはあわてた声で云った。
「プレゼントは交換しなきゃ。おれのやつ、部屋にある」
「おれだってそのつもりだったんだが、見事に邪魔されたというべきだろうな。考えるだにみじめだが、プレゼント交換はまだだし、おまえの話も途中だし、こうなってしまったからには、今日はもうなにをしても計画倒れということになってしまうだろうから、あきらめよう……ほら、あれだ」
 セフィロスはある場所を指さした……その先にあるものを見て、クラウドは息が止まりそうになった。
 乗り物酔いがひどいくせに、クラウド・ストライフは重度の乗り物オタクだったが、世の多くの乗り物好きと同じように、神羅の販売するさまざまなオートモービルを雑誌で眺めては、みずからの資産に思いを致し、ため息とともに夢を吐きだす庶民のひとりにすぎなかったはずである。ところが、いったいなぜいまクラウド・ストライフは、神羅カンパニーが二年前に百台限定で発売した超のつく高級車、タイプ五六Cを目の前にしているのか? タイプ五六Cは、真っ黒な二ドアのクーペで、時速三百キロを出すことができ、ラジエーターグリルにつながる直線的なフロントのデザインと美しい流線を描くフェンダーの対比が信じられないほどエレガントで、黒光りするダッシュボードに座席のカバーも黒の本革でできていて、とにかく考えられないほど美しい車なのだ。
「夢を壊すようでなんだが、おれが買ったんじゃない。もらいものだ。いまさらおまえがおれに夢を見ているとしての話だが」
 クラウドはぜんぜん聞いていなかった。いまにもよだれを垂らしそうな顔をして、魂が抜けてしまったかのように、ふらふらと車のほうへ吸い寄せられていった。
「……すごい」
 クラウドは茫然と車体を眺めまわし、手を触れようとしてひっこめ、あわててダウンコートの下からセーターを引き出して手のひらを覆ってから、おそるおそる黒光りしているボディに触った。
「これあんたのなの?」
「そうらしい。処分しようかと思ったんだが、どうも贈られたときの文脈上、そうもいかない気がして」
「どういう意味?」
 クラウドは相変わらず指紋をつけることをおそれて手を覆ったまま、ドアを開け、運転席に鼻先をつっこんだ。
「おれがありとあらゆる乗り物に憎悪をいだいているのはわかるし、機械科学文明というものに反抗しているのもわかるが、それでもミッドガルに住んでいる以上車の一台くらいは持っていろというわけだ。どうせ気に入らないだろうが、最大限、おれの気に入るように作ったつもりなんだと、そういうニュアンスだった」
 クラウドは運転席から這いだしてきて、じっとセフィロスを見つめた。
「どうした?」
 クラウドはぱちぱちまばたきした。
「ううん、なんでもない。その人、あんたのこと好きなんだなって思っただけ。誰かは知らないけど」
「知りたいか?」
「知りたくない。だって、それ絶対おれにわかんないような頭よさそうな関係だもん、きっと」
「云っていることはわかる。確かに、はた目にはとてもわかりづらい関係かもしれない……とにかく、来年の免許取得に向けて、これで練習でもすればいい」
 クラウドはあきれたように目を細めてセフィロスを見つめた。
「そういうこと云えるの、この車がいくらするか知らないって証拠で、あんたがほんとに車に興味ないって証拠だよな。これ練習に使うような車じゃないし、傷でもつけようもんなら、おれ一生自分のこと許せない……でもとにかく、これ、ありがとう。来年免許取れて、ボロい中古車でさんざんガリガリこすったり、壁にぶつかったりしたあとで乗りまわすよ。そうなったら……おれどうかなっちゃいそう」
 クラウドは夢見心地で目を閉じた。セフィロスは笑いだしてしまった。


第三章

 ミッドガル市の八枚のプレートを行き来するには、プレートの外側を走るハイウェイに乗って移動するのが一番早い。ハイウェイには各街の幹線道路につながる八つのインターチェンジがあり、ほかにもいろいろと興味深い名前で呼ばれる出入口があって、冗談のようないわれを持っていたりする。
 ハイウェイは混んでいなかった。クリスマスの夜には、多くの人が家族や親戚や友人と、食卓を囲んで過ごすだろう。車で乗りだそうなどという人間は少数派に違いなかった。
「おまえの話を先にするか、それとも十字星同胞団の話をしたほうがいいか?」
 セフィロスは訊いた。
「おれの話はあとでいい。でもひとつだけ云っていい? あんたが車運転できるなんてぜんぜん知らなかった。なんか詐欺に遭った気分だよ」
 クラウドはハンドルを握るセフィロスを恨みがましく眺めまわした。
「人力派としてはたいへん遺憾なんだが、それができるんだ。別にしたくはなかったが」
 セフィロスは残念そうに云った。
「しなくていいよ、免許取ったらおれが運転するから。あんたが運転してるの見ると、なんかむずむずする。なんで車の運転って十七からじゃないとできないんだろ? バイク運転してもいいんだったら、車だって運転したっていいはずなんだ。田舎じゃ、十三、四から普通にトラック運転してるよ」
「ミッドガルの混雑した道路を、田舎の農道と一緒にするわけにもいかないと思う……それで、おれの呪わしい運転技術の話が終わったのなら、十字星同胞団の話をしてもいいか?」
 クラウドは肩をすくめた。
「十字星同胞団は、一種の宗教的な秘密結社のようなものだ。彼らは『大いなる星の霊』と呼ばれる霊の言葉に従って行動する者たちの集団で、以前はその霊媒であるシャーロット・ホフナーという女性が教団を率いていたが、現在ではジャマル・ハーストンという男が最高指導者になっている」
 セフィロスははじめた。
「教義としては、簡単に云うと、人類の幸福と救いは古代種のような星と調和した生活にあるとし……とおれはなにげなくはじめてしまったが、古代種については知っているか?」
「ずっと昔にこの星に住んでた人たちだってことは知ってる」
 クラウドは云った。セフィロスはうなずいた。
「云い伝えでは、彼らは星の声を聞くことができ、星と対話し、生命の源であるライフストリームを操って星を育てるようなことができたらしい。旅をする種族で、みずからの浄福が約束の地と呼ばれる場所にあると考えていた。同胞団が信奉する大いなる星の霊は、この古代種たちが聞いていた星の声を人間に伝えるべく星から遣わされた高位の霊とされている。母なる星は、迷妄に陥っている人類を憐れんで、霊媒を通じて地上にこの霊の言葉を遣わし、人間を正しい道へ立ち返らせようとしてくれているそうだ。
 教団のなりたちをかいつまんで云うと、一九六七年、シャーロット・ホフナーに突然大いなる星の霊がとりついて、異言を発するようになったところからすべてがはじまった。シャーロットは当時十七歳で、グラスランドエリアで姉のミリセントとともに両親の遺した農場を経営していた。両親はすでに他界しており、生活は豊かとはいえなかったが、シャーロットには子どものころから霊感があって、人の未来や守護霊やさまざまなものが見えたそうで、農場経営の片手間に、占いやカウンセリングのようなことをしてささやかな収入を得ていたらしい。
 ある日の夜、シャーロットがなんの気なしにテーブルの上に置かれたランタンの明かりを見つめていたら、なにやら頭がぼうっとしてきて、しだいにトランス状態になり、自分がうなり声のようなものを発しているのに気がついた。やがてそんなことがたびたび起こるようになり、はじめはうなっているだけだったのが、そのうちに明確な言葉を語るようになった。その言葉は、自分を大いなる星の霊と呼び、一九六八年に、星の命を揺るがす出来事が起こるであろう、と予言した。一九六八年の大事件といえば……」
「……ニブルに魔晄炉ができた年だ」
 クラウドが暗い顔で云った。
「そのとおり。世界初の魔晄炉が完成し、稼働をはじめた年だ。この予言のほかにも、大いなる星の霊はたびたびシャーロットにのりうつってさまざまなことを語った。星の命が危機に瀕していること、危機を回避するためには人間精神の根本的改革が必要であること、この言葉を世に伝えるためにシャーロットがとるべき行動について、など。シャーロットは自分の変化に戸惑っていたようだが、話を聞いた姉のミリセントは、この霊が語る言葉には重大な意味があり、世に広く知らしめなければならないという使命感を感じたらしい。冊子を作って配布したり、シャーロットを地元のラジオに出演させるべく奮闘したりした。だが耳を傾ける者は少なく、翌年ニブルヘイム魔晄炉が完成し、やがて神羅カンパニーは大々的な魔晄エネルギー推進政策を開始した。
 シャーロットの予言が広く世間に知られるようになるのはもっとずっとあとのことで、それから十年ほど経ち、魔晄エネルギーの弊害が明らかになってきたころのことだ。確か一九七六年だったと思うが、ある有名な心霊研究雑誌に、大いなる星の霊とその霊媒であるシャーロット・ホフナーの記事が出た。その記事を書いた記者は、偶然大いなる星の霊の霊言のことを知り、興味をもって、みずからシャーロットの暮らす農場へ出向いていった。そして実際に彼女がトランス状態になる過程を見届け、大いなる星の霊と言葉を交わした。大いなる星の霊は、非常に落ちついた男性の声音で話し、その言葉は格調高く、明らかにシャーロットが心得ていないレベルの修辞法や文学的素養を持ちあわせていたことから、記者はこれはほんものだと感じて、すぐさま熱っぽい記事に仕立て上げたというわけだ。
 グラスランドエリアに奇跡の女予言者があらわれたといういささか扇情的な記事は、その道に関心のある多くの人間の心をとらえ、大いなる星の霊の存在は一躍その筋の人間に知れわたることになった。それから数年のあいだに、大いなる星の霊の教えは無視できない数の共鳴者や信奉者を獲得し、やがてシャーロットの暮らす農場は、信者たちが共同生活を営む、かなり大がかりな場に発展していった。
 八十年ごろから、彼らは例の十字架と星のシンボルマークを掲げて十字星同胞団と名乗るようになり……これは大いなる星の霊の指示だったそうだが……人も資金も集まって、周辺の土地を買い上げたり、あちこちで講演をしたりするようになった。当時の彼らは前近代的な暮らしを営む平和な自給自足集団で、別に危険なことをするわけではなかったが、地元の住民たちはこれを快く思っていなかった。どこの誰ともしれない人間がやってきては住みつき、降霊会だの霊的生活だのといっている集団に対して寛大になれとは、ちょっとむずかしい話だ。常識的な隣人たちは眉をひそめ、どうかしてこの集団を追っ払えないものかと考えをめぐらしていた。そこへ好機がやってくる。ウータイ戦争だ。
 戦争のしばらく前から、神羅は露骨なメディア規制と思想統制めいたことをやりだし、魔晄エネルギーに反対する研究者や団体を表舞台から消しにかかった。新聞や雑誌からは批判的な記事が消え、学術書もかなりの被害を被った。テレビ番組は娯楽的なものが多くなり、反魔晄エネルギー思想の拠点ともいうべきコスモキャニオンやウータイへの移動も制限されだした。これをチャンスと見て、農場の近隣住民は、反神羅的であやしげな集団の存在を神羅へ通報、神羅は実態を調査したのち、問題があれば対処すると約束した。が、戦争を間近に控えた神羅軍には、片田舎のオカルトがかった共同体などいちいち相手にしている暇はない。結局その話はうっちゃっておかれて、半ば忘れられていた。
 ところがそのころ、神羅軍には暇をもてあましたひとりの少年兵がおり、おまけにオカルトが大好物だったので、ひょんなことからこの話を聞きつけて、たいそう興味を示した」
「待って、待って」
 クラウドは顔をしかめて云った。
「それいつの話? そのとき、あんたいくつ?」
「九二年。開戦直前で、おれはいまのおまえと同じ、十六歳だった。別に難しい任務じゃなかったんだ。同胞団の教義とやらを調べてどれくらい神羅にとって危険が大きいか判断し、危険が大きい場合には、しかるべき手を打てばいいというだけのことだった。こんなものは、たいした功績にもならないし、誰もやりたがらない。おれがやろうがやるまいが、文句を云うやつは誰もいなかった」
「あんたそんなことやってたの? 戦争前に?」
 クラウドはあきれたように云った。
「楽しい任務だったぞ、どちらかというと。非常におれ向きだった。話を聞いたプレジデントは思いきり顔をしかめて、ろくな結果になりそうもないと云い、おれの『神秘主義への嘆かわしい傾倒』のことを嘆いて、つける名前を間違えたとかなんとかぶつぶつ云っていた」
「セフィロスって、プレジデントがつけた名前なの?」
 クラウドは仰天して叫んだ。
「いや、たぶん違うと思う。名づけ親が誰かは知らない。誰かわかれば気が合うように思うんだが……いい名前だ。おれがどんなやつなのかをよくあらわしている気がして。もしかすると、荒野の予言者かもしれないな。おれがこの世に誕生した晩、たぶん暗い嵐の夜だったに違いないが、ふいにあらわれて、この子をセフィロスと名づけるべし、とでも云って、祝福か呪いかその両方を与えたんだ」
「それ、あんたが云うと冗談に聞こえなくて困る。それで? あんたどうしたの」
「農場に行った。霊媒や降霊会というものを見たことがなかったし、見てみなければわからないと思って。それに、大いなる星の霊の教えには、なにか惹かれるものがあったんだ」
 クラウドはこの男は大丈夫だろうかというような顔でセフィロスを見た。
「この先は、なかなか文学的な、味わいに富んだ話になるんだ。少々長くなるんだが、まあ、壱番街につくまでの暇つぶしにはなるだろう」
 セフィロスはそう云って、話しはじめた。

 グラスランドエリアは広大な穀倉地帯で、あたりは見渡すかぎり一面に黄色い麦畑が広がっていた。十字星同胞団の共同体は、この広い穀倉地帯の外れに、いくつもの家屋や納屋や家畜小屋を建てて暮らしていた。敷地は柵で囲まれていたが、閉鎖的な感じはなく、鶏やガチョウがあたりを歩き回り、子どもたちがそこらじゅう走りまわっているような、牧歌的な世界だった。子どもたちはみな非常に人なつこく、見ず知らずのおれが突然あらわれても驚きもしないで、すぐにおれの周りに群がって、どこから来たのか、今日からここに住むのか、などと質問してきた。
 土曜日だった。うわさでは、毎週土曜日の夜には大いなる星の霊との降霊会が行われるということだったので、おれはわざわざその日に合わせてきたのだった。おれの用向きを聞きに出てきた、非常に朴訥な感じの鋤を担いだ男は、おれが神羅から来たというと驚いたが、特に警戒することもなく、通りかかった女におれをハーストンのところへ連れて行ってくれと頼んだ。
 おれは人なつこいガチョウに後を追いかけられながら農場の広い敷地を横切って、奥まったところにある家に入っていった。どうやらそれがホフナー家らしかった。古い農家で、家の脇にリンゴの木が植わっていて、そのそばに井戸があった。リンゴの白い花が咲いていた。蜂がブーンと音を立ててそばを通り過ぎていった。
 案内の女が呼び鈴を鳴らすと、中から若い男が出てきた。まだ十代と思われ、肌は浅黒く、目は少し離れて飛び出たようなかっこうで、なんとなくもたついたような厚ぼったい唇をした、痩せた背の高い男だった。彼はぎょろぎょろした剣呑な目でおれを長いこと見つめた。あとからわかったが、それはこの男のくせらしかった。この男がジャマル・ハーストンで、当時十八歳、どうやら若いくせに教団の中ではかなり重んじられている人物らしかった。
 ハーストンは、おれにあまりいい印象を持たなかったようだ。少し顔をしかめて案内の女を追い返すと、おれを応接間のようなところへ連れて行き、ソファに足を組んで座って、ぐっと顎を持ち上げておれを見た。
「それで?」
 これが彼の第一声だった。
「神羅の人間がわれわれになんの用なんだ?」
 彼はなんというか、年齢にそぐわない、非常にもったいぶった話し方をした。おれが自分より少々年下らしいので、見くびっているというか、半信半疑のようだった。なんとかおれがほんとうに神羅から来た人間だとわかってもらったのちに、おれは用向きを説明した。神羅はいま、自分たちに反対する組織や団体を容赦しないという方針を掲げているが、この十字星同胞団には現在、反神羅組織の嫌疑がかかっている。そこで、しばらく滞在させていただき、実態を調査してみたい。
 おそらくおれがあまりに率直に話をしたために、ハーストンはあきれたような顔をした。
「それで、万が一、われわれが神羅にとって危険だと判断された場合はどうなる?」
 ハーストンはさぐるような目で云った。おれは肩をすくめた。
「その場合にどうするかは、実は検討中なんだ。まだ問題を起こしたわけではないんだし」
「そんな話、われわれが承知するとでも思うのか? セフィロスといったか、いったい、きみはなにを考えているんだ?」
 ハーストンはおれを鼻で笑った。おれのことは、当時まだ世間にはあまり知られていなかったし、ましてや農場で自給自足の生活をする団体など、おれのことを知っていたはずもない。
「相手を知らないうちに、なにか判断するのは危険だと思って。それに、大いなる星の霊の教えや降霊会といったものには興味があるし」
 ハーストンはちょっと顔つきを変え、「へえ!」と云って、おれを試してやろうと思ったのか、大いなる星の霊の教えについてあれこれ質問してきた。おれはそれまでに、大いなる星の霊の霊言集だの、同胞団の歩みだのといった出版物はたいてい読みこんできていた。そのおかげで、ハーストンの質問にも答えることができ、ちょっとした持論まで展開することができた……もっとも、まだ非常に浅いものにすぎなかったが。おれを試しているうちに、ハーストンはあきらかに顔色を変えた。油断ならないやつが来たと思ってもらえたのだろう。と同時に、おれの容姿が持つちょっと異様な雰囲気に気がついたらしく、ハーストンは警戒するような顔になって、おれをじろじろと見つめた。
 そのとき、廊下からハーストンを呼ぶ声が聞こえてきた。
「ジャマル、ジャマル! 返事をしてちょうだい!」
 その声を聞くと、ハーストンははっとして立ち上がり、あわててドアを開け、「ここにいます、シャーロット!」と叫んだ。しばらくすると、衣擦れの音をさせて、シャーロット・ホフナーが部屋に入ってきた。
 シャーロット・ホフナーは青白い、少女のようにほっそりした女だった。四十を過ぎていたにもかかわらず、驚くほど若く見え、非常に美しい、神秘的な色合いの青い目をしていて、それが繊細な金髪の巻き毛や華奢な体と相まって、なんとなくこの世のものとは思われないような、精霊かあるいは亡霊と云ったほうがいいような雰囲気を醸しだしていた。流行していたのは二百年も前ではと思われるような時代錯誤なドレスを着て、それもまた、この女をなんとなく浮世離れさせて見せていた。
「シャーロット、もう起き上がっても大丈夫なのですか?」
 ハーストンはおれに見せていたふてぶてしい態度などどこへやら、へりくだって、うやうやしく、気遣うように話しかけた。
「まだ頭痛がするわ」
 シャーロットは額に手をやって、それからおれを見た。額にかざした手の影で、彼女はちょっと微笑んだように見えた。
「お客様ね? それとも、ここへ新しく入ってくださるのかしら?」
 シャーロットのもの云いも、なんとなく時代がかっていた。おれはなんだかほんとうに二百年も前の農家に迷いこんでしまったような気がしてきた。
 ハーストンは顔をしかめ、事情を手短に説明した。
「まあ、すばらしいことじゃないの。なんにせよ、大いなる星の霊の教えを学んでくださる方が増えるのはいいことだわ。何日かここにいれば、きっとわたくしたちが、平和で、愉快にやっている共同体で、なんの問題もないことがわかるはずだわ。外からではわからないのよ……霊感や心霊現象といったものを信じない方も多いし……」
 シャーロットは無邪気に云った。ハーストンはこれに大いに反対したかったようだが、この偉大な霊媒に逆らうことはできないらしかった。彼女はおれに部屋を用意するようにひとり決めしてしまうと、ちょっとよろめき、ハーストンに抱えられて、自室へ引き上げた。
「ごめんなさいね」
 と彼女は去り際に云った。
「わたくしはこの一年ほどは、具合が悪く降霊をしていません。でもいまではハーストンが、大いなる星の霊の偉大な霊媒なのです。今夜の降霊会は、きっと参加してくれるわね?」
 そして彼女はまたちらりと笑ったように見えた。それはひどく無邪気な笑みに見えたが、同時になにか途方もない謎を含んでいるようにも見えた。

 夕食は、大きな食堂に一同が会してとることになっていた。星の恵みに感謝する短いお祈りのあと、今日一日のできごとや、おれがしばらく客として滞在することなどが共有され、食事がはじまった。おれはその席でシャーロットの姉ミリセントに紹介された。太った、陽気だがなんとなくもの欲しそうな顔の女で、田舎の農場には不釣り合いな大きな宝石のついた指輪やネックレスをつけていた。着ているものはといえば、村はずれの占い師じみたありとあらゆる色と模様のドレスで、大きな声でしゃべり、女主人のようにふるまっていた。シャーロットは来ていなかった。隣に座っていたご婦人から聞いたところによれば、ここ何年かずっと具合がよくなく、ことにこの一年はひどく悪いそうで、めったに人前に出てこないし、降霊会はもっぱらハーストンがやっている、ということだった。
「大いなる星の霊は、誰にでも降りてくるものなのですか?」
 そのご婦人は、太った、気のいいおしゃべりな中年女性だったが、大きな体を揺すって笑った。
「まさか! そんな気軽なもんじゃないわ。ハーストン導師はね、二年ほど前に、ふらりとこの農場にやってきたの。天涯孤独で、自分のやるべきことを求めてさまよっている、ってことだったわ。痩せ細った、なんとなくおっかない目つきの少年だったけど、やることはとてもきびきびしてるし、はきはきものを云って、すぐに一番目立つ存在になったわ。彼はシャーロットさまにとても心酔していて、彼女の具合が悪いことを心配していたの。霊媒になるというのは、とても体力を使う、非常に負担の大きいものらしいのよ。霊媒のほとんどは、ひどく短命らしいわ。使命感がないとできないことよねえ。
 ともかく、長年霊媒を続けてきたせいで、ハーストン導師がやってきたころにはもう、シャーロットさまはすっかり消耗してしまって、とても弱っていらしたの。もう霊媒を続けるのは難しいかもしれないって、みんな話していたわ。それで、ハーストン導師はこの教団のために一念発起したのね。自らが霊媒になると云って、それはそれは厳しい修行をはじめたのよ。霊的な浄化のためと云って、農場の隅の小さな小屋にとじこもって、飲まず食わずで何日もお祈りして過ごしたり、自分の身体を痛めつけたり、そりゃあ厳しい苦行をなさったの。そして、ちょうど一年ほど前だったかしらね。ついに大いなる星の霊の許可が下り、導師が霊媒になることが許されたんですって。小屋から出てきた導師は、ただでさえ痩せ型なのにげっそりと痩せ細って、髪も伸び放題で、いまにも倒れそうだった。あんなこと、並の人間にできるものじゃないわ。シャーロットさまもいまじゃすっかり彼を信頼して、安心しているし、あの人は選ばれた人ですよ……」
 食事のあと、そのままその場で降霊会が行われた。ろうそくの明かりがともされ、人が立ったり座ったりするのに合わせてゆらゆら揺れていたが、やがて人の出入りも落ちつき、あたりは静かになった。ハーストンはそれを見届けて、静かに立ち上がった。
「同胞団の同志諸君、では、これから土曜日の降霊会をはじめます。母なる星の意志と、われらに遣わされた大いなる星の霊と、われら共同体の霊性の向上とに、感謝と期待をこめて」
 一同はみないっせいに同じ文句をとなえ、ハーストンはまた静かに座った。そしてしばらく目を閉じて深い呼吸をしていたが、やがてその身体がぐらぐらと揺れだし、しばらく前後左右に円を描くように揺れ続けた。揺れがおさまると、ハーストンはゆっくりと目を開けた。そして会衆を見まわしたときには、彼は別人のような穏やかな顔つきになっていた。大いなる星の霊が降りてきたらしい。
 はじめに大いなる星の霊からの挨拶があった。声はハーストンの声だったが、静かで、落ちついた口調だった。それから、大いなる星の霊は共同体のあり方を褒め、かつての古代種たちがどのように暮らしていたかについて話をし、人間のしかるべき道徳性や霊性といったことについて話した。話が終わると、質疑応答の時間になった。団員たちが次々に手を挙げて質問し、大いなる星の霊はなめらかに答えた。怒りをおぼえたときにはどうするか、死が恐ろしいと感じたらどうしたらいいか、ママに叱られて悲しい気持ちになったときどうしたらいいかなどという子どもからの質問にも、大いなる星の霊は丁寧に答えていた。それは先ほどおれと話したときのハーストンの様子とあまりに違っていたので、おれはこれはひょっとするとひょっとするかもしれないと信じかけたほどだ。
 質疑応答がひととおり終わると、大いなる星の霊はおれに向かってなにか聞きたいことはないかと訊ねてきた。おれは少し考えて、こう云った。
「自分に与えられた使命というものをどのように考えるべきでしょうか。特にそれがたいへんけわしく、厳しい道であると思われる場合には。自分自身とはなんでしょうか。そして自分の生命とは。それをどのように受けとめ、どのように生きるべきでしょうか」
「わたしたちの生命は、大いなるひとつの存在の中の、個別に散る火花のようなものです」
 ハーストン……大いなる星の霊……は話しはじめた。
「この星はひとつの大きな生命、ひとつの大いなる霊です。ある者はそれを神と呼び、ある者はそれを宇宙霊と呼び、ある神話では、それは世界の中心にそびえる世界樹という象徴であらわされます。われわれはその一枚の木の葉、葉にしたたる雨のひとしずく。それらがひとつになって、一本の大木を形成しているのです。おわかりですか?」
「わかります」
 おれは云った。
「おれが云いたいのは……ある詩人の言葉を借りれば、いったいどのようにして自分以外の人間が存在するのか、どのようにしてわたしの魂以外の魂が、わたしの意識とは無縁の様々な意識が存在しうるのかということ(※5です。この多様性とはなんであり、このおそるべき生命の広がりとはなんであり、これほど多くの人間が、まるで別のことを考えながら同時に存在しているということの背景にはどんな意味があるのか。なぜある人間はおそろしく不幸で攻撃的であり、ある人間は神かと見まがうほど穏やかで平和に満ちているのか。そして各人が抱えている運命の、あまりに大きな差というもの……こうしたことを考えると、おれはなんとなくおそろしくなり、いったい自分はどうしたらいいのだろうと考えこんでしまいます」
 その場は急に、なんとなく緊張したような雰囲気に包まれてきた。だがおれはこうした質問に答えをくれる誰かがもしいるのなら、それが霊媒を通じた霊だろうとなんだろうとどうでもいいと思っていた。おれは自分が何者なのかということに、このころからもうすでにひどく悩まされていた。おれの生活は、あきらかに普通の少年の生活とは違っており、おれがしなければならないことは、これもまたあきらかに普通の人間のものとは違っていた。おれは誰とも違う。おれの性格も、ものの考え方も、与えられた役割も、誰のものとも違っている。おまけに、おれに与えられたこの桁外れの身体能力が、しじゅうおれを戸惑わせ、疑問だらけのもの思いに誘った。このころおれにはザックス・フェアという、あの不滅の輝きをもつ友ができたが、彼の存在が、またおれを悩ませた。彼はおれの人生ではじめて遭遇した、ほんとうの意味で神羅の外の世界からやってきた人間だった。彼と話をするほどに、おれは自分の特殊性ということに対してひどく考えこまざるを得なかった。当時のおれは、そうした自分と折りあいをつけることが、いまよりもはるかに難しく感じられ、それだけに心から答えを求めていた。子どものころから書物に愛着をもってはいたが、このころから、おれはほとんど中毒のようにありとあらゆる本を読みあさるようになっていた。どこかに答えがあるのではないかと、かすかに期待しながら。
 その疑問を、おれはこの日ぶつけてみたのだ。大いなる星の霊の霊験には、なにかあきらかに、こちらの胸を打つものがあったからだ。シャーロットの記事を書いた記者ではないが、これはほんものではないかと思わせるなにかが、その言葉のうちにあったからだ。
「人の子よ、星の子どもたちよ、母なる星は、あなたがたの霊的な成長を願っているのです。かつて母なる星がこの星を創ろうと決めたとき……その創造の意志こそが、この世界の始まりであり、われわれの霊のはじまりでした……その母なる星の意志、世界を創造し、そのすべてを愛し、慈しみ、養い、光栄にもわれわれ自身にもまたその同じ力を付与してくださった母なる星の意志……その深く豊かな意志において、母なる星は、母の生むものを、みずからと等しい豊かさへと導こうとしています。子どもたちよ、祝福された者たちよ、ですから、あなたがたは懸命に慈しみ、愛しなさい。この暗闇のなかにおいて、自らもまた慈しみであり愛であり、光であろうと努めなさい。それが星の意志です。そのただひとつの意志です。あなたがたは母なる星の母のようになるのです。古代種たちがそうして生きてきたことを、あなたがたはもうご存じのはずです……」
 大いなる星の霊とは、その霊言集によれば、こんな言葉を語る存在なのだ。ここには確かになにかがある。世界中の各地に伝わる、聖なる書とされる数々の書に匹敵するようななにかが。それが自分に語りかけてくれるかもしれないという可能性に、おれはわずかに期待していた。
「生命の多様性は、創造の神秘です」
 大いなる星の霊は語った。
「その神秘は、母なる星の意志の中に深く隠されているものです。それは神秘の中の神秘であり、それが明らかにされることはないでしょう。とはいえ、母は子が生まれ、増え、豊かになることを望みます。母なる星の意志も、これと同じことなのだとお考えになってはいかがですか」
 おれはこの答えにはあまり納得がいかなかったので、続けて質問した。
「星命学によれば、星の生命とはライフストリームと呼ばれる大きな流れのようなものであり、われわれの精神の集合体のようなもの。われわれが生き、地上で経験した豊かさを、われわれは死後ライフストリームにたずさえて行くのだと、そしてそのことによってライフストリームはより豊かさを増し、この星は生命の豊かさを増すのだと、そのように考えられている。それはほんとうですか。われわれの生命や経験や意志は、この星をより豊かにするために存在するのですか。ところが一方で、ウータイのある学派の説によれば、われわれのいま見ているものはすべて、真我とよばれるわれわれの本来の姿である純粋精神のようなものが夢見る幻であるということになっています。われわれの人生の目的は、その夢を打ちやぶって、真我というものに到達すること、この世の一切は夢であると見やぶって、この物質世界を成立させる働きをすべて止めてしまうことです。(※6どちらも一理あるように見えますが、その世界観は根本的に異なっているし、人間に要請される態度というものもおそろしく異なっているように見えます。おれはこの地上での生を無意味に送りたくはない。自分が誰であり、どのような存在であるかを知らぬままにやり過ごしたくはない。あなたがほんとうに星の意志を語る存在ならば、どうかその意志をおれに告げてください。その意志において、人間の意志とは、魂とはなんであり、一体なにをなすものであるのかを」
 大いなる星の霊……ハーストン……は、おれをじっと見つめた。そして長いこと口をきかなかった。会衆は緊張し、息をこらしてじっと答えを待っていた。
「あなたの質問は、このような場で答えるにはとても大きすぎる」
 大いなる星の霊は、静かにそう云った。
「それはまた、個別の機会に個別にお伝えすることにしましょう。この降霊会は、みんなの集まりであり、みんなの共有できるような悩みを解消するためのものだからです」
「でも、彼の疑問はとても重要なものだと思います」
 ひとりの少女が立ち上がって、おそるおそる声を上げた。十五、六の、聡明な顔つきをした少女だった。
「わたしもときどき、そんなことを考えて、眠れなくなることがあります……」
 少女はそっとおれを見て、それから顔を伏せた。
「最近は、あまりそのようなお話をしてくださる機会がありませんでした。でもそういうお話を聞きたいと願っている人もいます……いまこの場でとは云いません、ぜひ、そうしたことを聞きたがっている人たちのために、お話をする機会をもうけてくださいませんか?」
 少女の周りにいた、おもに十代から二十代の若者たちが、いっせいに立ち上がった。
「わたしたちからもお願いします」
 彼らは云った。
「わたしたちはこの世のあり方に疑問を持ち、真理に飢えています。どうかわたしたちに真理の言葉をください」
「わかりました、あなたたちの気持ちはわかりました」
 大いなる星の霊はうなずいた。
「それでは今夜はここまでとして、ハーストンと降霊会の約束をとりつけるようにしてください。そのときには、わたしは必ずあなたたちのために語りましょう」
 そう云い終わると、ハーストンの身体から急にがくんと力が抜けたようになり、彼はしばらくのあいだうなだれていた。それから顔を上げて、ぱちぱちまばたきした。
「大いなる星の霊は去りました。再会を約束して」
 それが閉会の合図らしかった。彼らは星に感謝する歌を歌い、解散した。あの少女が、何人かの仲間を引き連れておれのところへやってきたので、おれたちは少し立ち話をした。話が終わって、外へ出ようとしてふとふり返ると、ハーストンが少し離れたところに立っていて、おれをにらみつけていた。

 二、三日もすると、おれはすっかり農場になじんでしまった。なぜかおれにくっついてきて離れないガチョウがいたし、あの少女やその仲間たちはいい話し相手になり、彼らのうちの何人かはかなりの勉強家で、農作業のあいまに互いに読んだ本のことなどについて話しあったりもした。同時に、おれはなるべく多くの人から話を聞くように心がけ、農場の内情や、大いなる星の霊の教えをここの人たちがどう受けとめているのかを知ろうとした。わらをせっせと運んだり、逃げ出したウサギを追いかけたりしながら、おれはあちこちうろつきまわり、立ち話をした。女性たちはおれにたいそう親切にしてくれ、おれをお茶の時間に招いてあれこれしゃべりまくったりした。彼女たちの多くは単純素朴な、明朗な人たちで、農場での暮らしに満足し、自分たちに大いなる星の霊という偉大な霊がついていること、そして、星と調和し、星を大切にする生活をしていることに満足していた。
「あんた、ミッドガルから来たっていうじゃないの。おやめなさいよ、あんな空気の悪い、ごみごみした都市に住むのは」
 初日の夕食会でおれの横に座った女性は、どうやら婦人会役員という地位にある人らしく、世話好きで、自分の云うことがみんな相手のためだと心から信じて疑わない、あっけらかんとした魂の清らかさを持ちあわせていた。そしてその明るさで、しきりにおれの世話を焼き、ここへ移住してくるように勧めた。
「かわいそうに! あんたみたいな若い子が、あんな不健全なところで育たなけりゃならないなんて。だいたい、魔晄エネルギーなんて星をだめにする非常に危険なものなのよ。星をだめにするということは、人間をだめにするということだわ。わたしたちの生命は、星の生命と同じものなんですもの」
 一同はしきりにうなずいて、この農場の暮らしやすさと健全さ、大いなる星の霊にしたがって生活することの清らかさと精神的安らぎなどを語った。婦人のおしゃべりというものが、神経をいらだたせる一方の男と、かえって神経をやわらげるように働く男というのがいるようだが、おれはどうも後者らしい。かの偉大なる女性の友ザックス・フェア氏とおれとの奇妙な共通点のひとつだ。
 おれはご婦人方にさんざん甘やかされつつ、農場の偵察を続けた。シャーロット・ホフナーはほんとうにめったに家から出てこず、面会もあまり受けつけずに閉じこもっており、ハーストンがほとんどつきっきりで彼女の世話をしているようだった。ミリセントはその代わりとでもいうように農場を歩きまわって、人に指図したり相談に乗ったりしていたが、このミリセントとハーストンが、食事の際など一同が会したときに、ひどく意味ありげな目つきを互いに交わしているのをおれは何度も見た。それはあの農場の片隅になんとなくもの寂しく建つホフナー家の中でいったいなにが起こっているのか、想像をたくましくするのに十分なもので、おれはぜひともその謎をつきとめてやろうと思っていたのだが、ある晩、ふいにその機会が訪れた。夜も更けたころ、あの少女がおれの部屋のドアを叩いて、こう云ったのだ。
「シャーロットさまが、あなたとお話がしてみたいんですって」
 少女はひどくうれしそうな顔をしていた。
「わたし、あなたのこといろいろお話ししたのよ。シャーロットさまはわたしたちととても話が合うから、わたしたち、仲良しなの。シャーロットさまは具合が悪いので、ずっと部屋にこもりきりでしょう? すごく退屈していらっしゃるから、わたしたち、ときどき夜にシャーロットさまのお部屋に忍びこんで、みんなで内緒話したりするのよ……シャーロットさまはとても気さくな方よ。いまからお部屋に案内するわ」
 おれは少女に先導されるままに農場を横切って、ホフナー家に向かった。道々、少女はこの小さな冒険について、熱っぽく話をしてくれた。
「ハーストン導師はとてもシャーロットさま思いのいい方だけど、シャーロットさまは、ちょっと自分を心配しすぎると思っていらっしゃるの。ハーストン導師はいつもシャーロットさまのことを見張っていて、夜が更けてからの面会なんかはみんな追い返してしまうし、一日に面会できる人の数も制限しているのよ。だから、これは内緒の訪問ってわけなの。ミリセントさまは夜がとても早いから、いま時分だともう寝ているし、ハーストン導師も、家に鍵をかけたあとは安心して自分の部屋に戻ってしまうから、よく気をつけて行動すれば、ばれないですむの。シャーロットさまはわたしに、特別に裏口の鍵をくれた……ほら、これよ。すごく古いスペアキーで、見つけ出すのが大変だったっておっしゃってたわ。家の鍵は全部、ミリセントさまとハーストン導師が管理しているんですって」
 彼女はささやき、くすぐったそうに笑った。家に着くと、彼女は裏口へ回りこみ、唇に手を当てて、静かにしろというしぐさをしてみせた。そしてそっと鍵穴に鍵を差しこみ、ドアを開いて、中へ身を滑りこませた。
 裏口は台所につながっていて、そこを出るとすぐに、廊下があり二階へ上がる階段があった。少女は階段を指さし、われわれは音を立てないように慎重にのぼっていった。そして、二階の廊下の突き当たりにある部屋の前までやってきた。少女はノックもしないで、そっとそのドアを開けた。
「シャーロットさま、シャーロットさま」
 少女は中に向かってささやいた。
「あの人を連れてきました」
 そしておれを中へ押しこむと、彼女はドアを閉めて、いなくなってしまった。
 シャーロット・ホフナーの部屋は、なんというか、奇妙な空間だった。どうやら、子どものころから同じ部屋をそのまま使っているらしいのだが、ベッドのまわりを囲むようにたくさんのぬいぐるみや人形が置いてあり、部屋の隅には木馬がいて、それが天井からぶら下がったシャンデリアや、香水や化粧品の瓶が乗った鏡台やなにかとどうにも調和していなかった。四十を過ぎた年齢にふさわしい一面と、あまりに幼すぎる一面が、ちぐはぐにばら撒かれているような印象だった。そしてシャーロット・ホフナー自身は、これまたなんとなく時代錯誤な、真っ白な長い夜着を身にまとって書き物机に座っていたが、おれを見ると立ち上がった。
「まあ、よく来てくださいましたこと」
 彼女の話し方は、やっぱりひどく時代がかっていた。
「わたくし、もう何日も前から、あなたとこうしてお話がしてみたくて待ち焦がれていたの。外の世界のことを聞かせてくれる人はみんな大好き……ミッドガルから来たんでしょう? 見たことがないわ、すごく大きな町なんだそうねえ! わたくしはこの農場からほとんど出たことがないものだから、外の世界のことをまるで知らないの。まあ、とにかくそのソファへかけて……」
 シャーロットは自分の手でポットからお茶をくみ分け、おれに差しだした。いくつかのハーブを混ぜ合わせたもので、思いのほか美味だった。お茶を飲みながら、古くさい建物の古めかしい家具に囲まれ、ろうそくを無数に差したシャンデリアの明かりに揺られて、二百年も前の世界から抜け出してきたような女を見ていると、なんだか、なにかの物語の中にでも入りこんだような気がして、おれは一瞬、自分が夢でも見ているのではないかと思った。部屋の中は、香が焚かれて奇妙に甘ったるい香りが漂っていた。子どもじみた夢想の中に出てくる、綿菓子やチョコレートのような甘いお菓子を連想させる匂い……ベッドの周りをぐるりと囲んでいるぬいぐるみや人形や木馬が、お菓子の匂いをさせて自分を見つめているような気がしてきた。そしてその中心に、中年にさしかかっているにもかかわらず奇妙なほど年齢を感じさせない、青白い現実感のない女がいて、自分を見つめているのだ。
 おれは頭の片隅に頭痛を感じだしたが、彼女に願われるままに、ミッドガルのことやこれまでに訪れたことのある場所、見聞きしてきたものについて話した。おれもあまり神羅の外に出たことのない人間だったから、話せることは少なかったが、おれが話をするあいだ、シャーロットの青い大きな目は、ずっと食い入るようにおれを見つめていた。
「ああ! 外の世界は広いのだわ……」
 シャーロットはため息をついて云った。
「わたくしの両親は、わたくしが十三歳のときに事故で亡くなったの。わたくしと姉とは五歳離れていたから、姉はもう成人していて、そのときからずっと農場を切り盛りし、わたくしの面倒を見てくれたわ。わたくしも必死に働いて姉を助けました。でも、楽ではなかったわ。朝から晩まで仕事に終われどおしで、どこへ行く暇も、なにを見る暇もない。でも生活はすごく苦しかったの。十七歳のとき、あの大いなる星の霊がわたくしを訪ねてきてくれて、わたくしを選んでくれたけど、その後もしばらく苦しい生活は変わらなかった。わたくしも姉も交際や結婚どころではなく、農場のこと以外なにも知らないで、とにかく必死にやりつづけました。それがある日突然! がらりと変わってしまったの。わたくしは、はじめて世界が目の前に開けるというような感覚を味わったわ……そして確かにある意味ではそうだったんだわ。わたくしは奇跡の女予言者シャーロット・ホフナーとして、ある方面の人々のあいだではとても有名になり、シャーロットさまと尊敬をこめて呼ばれるような女になったんですもの。でも、そうしてもてはやされるようになってからは、かえって外へは出にくくなってしまった。奇跡の女予言者が気軽にあたりをぶらぶらしたり、あちこち見物に出て行ってはいけないと、みんな考えたのよ……そんなことは、大いなる星の霊の霊媒にはふさわしくないと。きっと一生涯、わたくしはこの農場で過ごして終わってしまうんだわ」
 シャーロットはため息をついて、なにかはるかなものを見つめるような目になった。夢見がちな、夢想するような青い目は、彼女の青白い顔の中で、奇妙に熱っぽくきらきらと輝いていた。
「あなた、古代種たちのことは聞いていて? そう、あの生涯旅をし続けた人たち。大いなる星の霊はわたくしに、この十字星同胞団もいずれそのような生活に入るべきだと前々から云っていました。わたくしたちは、あの古代種たちのように、各地をめぐり、土地を清め、大地のエネルギーを回復させてまわるべきだと。大地は母なる星の豊かな肌、そしてそれをかたちづくる土は、わたくしたちの体そのもの。大いなる星の霊は、わたくしにこの星の豊かさを、この星の信じられないほどさまざまな風景と風土のことを語り、わたくしを旅へのあこがれで満たしました。でも、この提案は、みんなにはかなり難しいことに聞こえたらしいの。この話を最初にミリセントにしたのはもう十年も前のことです。ミリセントは、時間が必要だと云いました。みんなにそれを伝え、納得してもらう時間が必要だと。というのも、わたくしたちの暮らしは、この農場という基盤があってこそ成立するとみんな考えていて、新しい場所でいちから同じことをはじめるのはとても難しいことなんだと云うの。土地を買ったり借りたりするにはお金がかかるし、放浪生活などはじめてしまったら、ますます外の人たちに疑われ、差別や偏見にさらされるだろうと……。わたくしはずいぶん頑張ってみました。でも、まだみんなの理解を得られてはいない。ジャマルもこのことには反対です。外の世界には、頑迷で不道徳な人間が多く、ここから出ていくのは危険だと云うの。いまは彼が霊媒ですから、きっと彼の云うことが正しいのでしょう。ああ、大いなる星の霊は、どうしてわたくしに語ることをやめてしまったのでしょう……わたくしはもう長いこと、あの慈悲深い、優しい声から遠ざかったまま……」
 シャーロットは眉根を寄せ、悲しげに目を閉じた。そしてしばらく悲しみに浸っているように見えたが、やがて静かに目を開け、首を振った。
「別にいいの。なにも不満はないわ。大いなる星の霊がわたくしから去ってしまったのなら、それは仕方がないことだわ。でも、こう思うのはいけないことかしら? わたくしも多くの女性たちがそうするように、もう少しどこかへ出かけて、広い世界を少しでも見て回ってみたかった、と。それに、霊媒でいることは楽なことではなかったわ。とても身体に負担がかかって、降霊会が終わったあとなんか、何時間も動けなくなるほどなの。自分の身体が自分の思うようにならず、自分の口が自分のものではない言葉を語るなんて、普通の人にはちょっと想像できないでしょうね。わたくしはそういう人生しか知らないし、これがわたくしの人生なんだわ。でも、その見返りに、わたくしはなにを得たのかしら。この農場のこの家の中に、まるで幽閉されたお姫様のようにほとんどずっと閉じこもったきりで……あなたのように、定住するつもりなどではなくふらりとここへやってくる人があらわれるたびに、わたくしは、ついあれこれ思ってしまうのよ……」
 シャーロットは、二十以上も年下の、息子のような年齢のおれに向かって、このようにまるで友だちに話しかけるように話しかけるのだったが、そのくせその内容は彼女の四十年分の人生の重みをまとったものだった。そのせいで、おれの頭は混乱してしまった。いったい、この女はなにをしたいのだろう? なにが目的だろう? こんなことをおれに云って、どうするつもりなのだろう?
 いつしか彼女はすがるような目でおれを見ていた。おれはひどく気まずくなり、頭のなかをかき回して必死に話題を探して、あれこれ話をした。シャーロットは青い目をきらきらさせて、おれを見つめていた。おれは彼女の身体が、しだいに自分のほうへもたれてくるのに気がついていたが、どうしたものかと思っていた。頭がぼうっとし、うまく働かなかった。お菓子のような甘い匂いは耐えがたいほどだった。やがて彼女の細い腕は、おれの腕にぴったりくっついてしまった。おれは彼女がなにを考えているかわかっていたし、その希望を受け入れるつもりはないというはっきりした意志もあったが、どうにも行動に移すことができなかった。ぼんやりして、体がだるく、ここへきてはじめて、おれは先ほど飲んだお茶の中身がなんだったのかについて真剣に考えるべきだと思い至った。どうやらおれは、この農場の牧歌的雰囲気にすっかりなじんでしまい、完全に油断していたらしい。
 やがてシャーロットは、自分を名前で呼んでくれるように云い、お近づきになれてこんなうれしいことはないと云い、そんなに若いのに、軍人をしているせいか、あなたはとてもたくましく、頼もしく見えると云った。それからおれの目についていろいろ云い、おれは相変わらずどうしたものかと思いながら、ぼんやりとシャーロットの青い大きな目を見ていた。おそろしく澄んでいるが、底のしれない青い湖のようなふたつの目。そこで溺れた人間が、助けを求めている幻想をおれはつい思い描いた。
「ねえ、あんた、わたしはここから出たいの。ほんの一日、二日でいい、ここを出て、わたしが誰かも知らず、わたしがなにをしている女かも知らず、わたしが誰だろうと関係ない人たちのあいだで時間を過ごしたい。わたしはとらわれの身なのよ、生まれてからずっと。霊感や霊媒になる才能や、わたしは確かにいろいろと恵まれている。でも、偉大な恵みというのは同時に呪いなのだわ。その才能に縛られ、どうしてもその能力にそった人生しか歩めなくなってしまい、おまけにその才能を利用しようとする人たちに、いいようにされてしまうの。姉はいつもわたしを利用したわ。わたしの才能を利用して、人やお金を集め、いいように操って、みんな自分のために利用したわ。わたしをこうして閉じこめて、閉め出してね。いまだって……。ハーストンはわたしを助けてくれると思ったけど、あの男も姉と同じよ。わたしを支配し、この部屋に縛りつけ、自分のために利用する……ねえ、あんた、あんたはそうじゃないわね? あんたはいい子で、わたしを助けて、ここから連れ出してくれるわね?」
 彼女の声や顔つきは、先ほどまでとはまるで別のものになっていた。それは夢見るか弱い女のものなどでは決してなく、狡猾で、怒りに満ち、四十年もの鬱憤をつのりにつのらせた、報復に燃える女のものだった。彼女の指先はいまや蛇のようにおれの頬を、顎の先を這いまわった。そして彼女がいまにもおれに覆い被さろうかというとき、ふいにドアが開き、その先にハーストンが無表情で立っていた。シャーロットはあわてて身を起こし、夜着のすそを整えだした。ハーストンはかなり長いこと無言でわれわれを見つめたあと、静かに云った。
「どうも話し声がすると思ったら、シャーロットさま、いけません。こんな夜更けまで起きていてはお体に触りますよ」
 シャーロットは追いつめられたような顔で、ハーストンを見つめていた。外から空気が入ってきたせいか、おれはようやく息がつけるようになり、失われつつあった感覚が急速に戻ってきた。おれはどうにか起き上がった。ハーストンが無言でおれに退出を促していたので、おれは立ち上がって、部屋を出ていった。ハーストンがドアを閉めながら出てきて、おれの行く手を遮るように立ちはだかった。
「やはりきみのことは信用ならない」
 ハーストンは冷ややかに云った。
「シャーロットさまがぜひにと云うから置いてやったけれど、後悔している。明日の朝、出て行ってもらおう。そもそも最初から、神羅の人間など、この農場に入れるべきではなかったんだ」
 おれは肩をすくめた。
「おれもそんな気がする。もう少しなじめると思ったんだが。明日早いうちに出て行くことにする」
 おれがそう云ってうなずくと、ハーストンはシャーロットの部屋に入っていった。怒鳴り合うような声が響き渡り、やがてシャーロットの泣き声が聞こえてきた。が、おれはきびすを返して、与えられた部屋に戻った。

 翌朝、まだ夜が明けきらないうちに、小さく部屋のドアを叩く音がした。おれがドアを開けると、青白い顔をしたシャーロットが立っていた。
「行ってしまうのね」
 シャーロットは泣き出しそうな顔をしていた。彼女はまた、か弱い女予言者に戻っていた。
「ああ、どうか、わたくしを見捨てないで! わたくしを助けて、わたくしの願いをかなえてちょうだい! わたくしはひどく苦しめられているの。わたくしはただ自由がほしいだけ、自由が、ほんのひとときの自由が! ね、どうかこの農場を焼き払ってくださいな。あなたはそれができるでしょう。あなたにはその理由や力があるでしょう。そうすればわたくしはもう自由だわ。わたくしをどうか一緒にミッドガルまで連れて行ってくださいな、そうしたら、わたくしきっとどうにか自分でやっていけるわ。ああ、どうかお願いよ、そうしてちょうだい!」
 彼女はへりくだってしきりに懇願した。おれはこの女が正気を失っているとは思わなかったし、彼女の云うことはおそらく事実なのだろうと思った。だがこの女は、やはりどこかまともではなかった。十代の子どもと心から友だちになったり、まともな男として扱ったりするこの女が、自分がもういい年をした女だということをどこまで理解しているのかあやしかったし、そんな女にこんなふうにすがりついてこられると、なんだか気味が悪く、とっととここからいなくなってしまいたい気持ちばかり強くなった。それに客観的に考えて、この農場を焼き払う理由などなかった。彼らは武装集団ではないし、独自の教えを貫いているだけで、反神羅活動を起こす気配もない。また大いなる星の霊の教えは、少なくともハーストンのもとでは、以前もっていたかもしれない輝きを失っているように見えた。シャーロットは、昨夜のことを経て改めて見ると、もてはやされもてあそばれた人間のあわれな末路という感じで、奇跡の女予言者の面影は、すでにはるかに遠のいていた。あのハーストンが霊媒としてトップに立っているのでは、遅かれ早かれ、この組織は崩壊していくだろうと思いもした。
「できません。する理由がありません。探してみましたが、見当たりませんでした。思うに、あの格調高い言葉で語る大いなる星の霊は、あなたにしか宿らないようだ。あなたの魂の、大変純粋な部分にしか」
 おれはそう云って彼女を押しのけ、暇乞いをして、出ていった。

 セフィロスがふとクラウドを見ると、クラウドはちょっと形容しがたい顔でセフィロスを見ていた。
「……あんたが中年女に襲われそうになるなんて」
 クラウドは口をパクパクさせていた。
「未遂だったけど、未遂でよかった。気をつけろよ、ばか」
「それは十六のおれに云ってくれないか。あの経験のおかげで、あれ以来、毒を盛られたり薬を嗅がされたりしたことはない。けがの功名というやつだ」
「その女、ぜったい少年好きの変態だ。母さんが云ってた。おれみたいな子は、男にも女にも気をつけなきゃいけないけど、とりわけ猫なで声の中年女には気をつけろって。骨までしゃぶられて捨てられるのがおちよ、って」
「おまえの母さんという人は、ほんとうに賞賛に値する人だ」
 セフィロスはため息をついて、クラウドを見つめた。
「人生を裏から表まで知り尽くした人らしいな、まったく……だがおれは、シャーロット・ホフナーがどうしてあんなふうになったのか、なんとなくわかるような気がするんだ。おそらく彼女は、ほんとうに姉に利用され続け、あの家に押しこめられ続けていたんだろう。ハーストンは彼女の崇拝者だったようだが、運の悪いことに、非常に支配的で圧政的なタイプの崇拝者だった。あの男はたぶん、ひと目でシャーロットの流されやすく云いなりになってしまいがちな性質を見破ったのだろうな。不運な女性だ、ある意味で、かなり。おれの幽閉生活はもっとずっと短かったが、それでも人生の最初の十五年ほどは、神羅の研究施設よりほかの世界をなにも知らなかった。一般家庭というものがどんなものかも知らなかったし、人が普通どんな日々を送っているのかもなにも知らなかった……幸い、おれは外に出してもらえ、少しは世の中のことを知る機会も与えられたが、もしあのままずっと神羅の施設内で育っていたらと思うとぞっとする。そうなっていたら、おれはどんな人間になっていたことか」
 セフィロスの口調にはかすかに怒りが混じっていた。彼が自分の子ども時代の話をすることはほとんどない。だがそれが、幸福で愉快なものなどでは決してなく、暗く、閉塞感の漂う、痛ましいものだったことは想像に難くない。クラウドはしばらくなにか考えこみながら、じっとセフィロスの顔を見つめていた。が、やがてそっと首を振って、口を開いた。
「で、その後あんたとその同胞団と、どうなったの?」
「おれが農場を出てほどなく、農場が火事になり、建物のほとんどが消失してしまったというニュースを聞いた。焼け跡からはシャーロット・ホフナーの遺体が見つかった。ほかの者はほとんど無事に逃げおおせたのに、なぜか彼女だけが逃げ遅れ、焼け死んでしまったという。事情を知っていた人間はおれがやったと思ったようだが、おれはやっていない。誰がやったのか、あるいは単なる事故だったのかは、いまもってわからない。そのあとを追うようにしてミリセントも病死したという話までは聞いたが、その直後に戦争がはじまって、おれは今度こそ同胞団どころではなくなった。
 次に同胞団のことを耳にしたのは、一九九八年、戦争末期のことで、ハーストンが指導者となった新生十字星同胞団が、地下組織化しておそろしい終末論を説きまくっているという話だった。どうやら、シャーロット・ホフナー亡きあと、教団はシャーロットを慕い、大いなる星の霊の教えに忠実であろうとする穏健派と、より急進的な世界改革を目指す過激派とに分裂したらしい。穏健派は、どこか別の土地へ移り、以前のような自給自足の生活に戻ったようだが、ハーストン率いる過激派は、戦争に乗じて、魔晄炉の廃絶と神羅カンパニーの解体を掲げる反神羅組織と化していた。どうやら、あの男の頭のなかでは、農場が焼け落ちシャーロットが死亡し同胞団が分裂したのはおれのせいで、あの火事の一件は、道を誤った人類の、同胞団に対する迫害のはじまりだということになっているらしい。ハーストンの考えはともかく、あの戦争はたしかに一種のイデオロギー戦だった。魔晄炉か石炭か。発展か伝統か。神羅か反神羅か。十字星同胞団のような復古的な思想を掲げる連中の一部が、ちょっとしたきっかけで過激な反神羅派に傾いていくのも無理はなかった。だがそうした組織の多くは、終戦とともにほとんど自然消滅してしまい、おれは十字星同胞団もそうした運命をたどったのかと思っていた。正直に云って、先ほどまでその存在も忘れかけていたんだ。終戦後、同胞団の名前を聞くこともなかったし、活動しているような話も聞いたことがなかったから」
 インターチェンジの入り口が見えてきた。クラウドはなんとなく遠慮したようにセフィロスを見上げた。
「でもさ、そしたらなんでいま急に活動再開したんだろ」
 セフィロスはちょっと考えこんだ。
「……わからない。ただひとつ云えるのは、今日連中がやらかしたような事件を起こすには、おそらく半年一年の準備ではとても足りないだろうということだけだ」
「それって……」
 クラウドは問いかけるような顔つきでセフィロスを見た。
「わからないな。実はいまかなり困惑させられている。それもおれがこうしてのこのこ出てきた理由のひとつなんだが」
 セフィロスはどこか重苦しい口調でそう云い、ハイウェイから抜け出すために、曲がりくねったインターチェンジに入りこんでいった。


第四章

 ハイウェイを降りて壱番街の幹線道路に入るとすぐに、バリケードが見えてきた。治安維持部隊の警備兵たちが立っており、検問をおこなっている。クラウドはあわてた。
「あのさ、あんたこの二年くらい、自分が一度もどこにも顔出してないの覚えてる?」
「二年程度でおれの顔を忘れているやつがいたら、不敬罪で軍法会議にかけてやろう」
 セフィロスは楽しそうに云った。
「いや、そういう意味じゃなくて……」
 クラウドが困った顔でセフィロスを見ていると、案の定、警備兵たちがふたり、威圧的な態度で警棒をふりながら近づいてきた。セフィロスは車の速度を落とした。ふたりの警備兵が、左右のドアの前に立ちふさがり、身をかがめて、ついさっき壱番街である事件が起きたため、われわれは道を封鎖し検問を行っているのである、窓を開け、身分証を出せとおどした。セフィロスは窓を開けた。警備兵がひゅっと喉を鳴らす音が聞こえた。
「いまその現場に向かおうとしているのだが」
 セフィロスはほとんど意地の悪い顔で微笑んでいた。
「われわれは身分証を提示したのち、ここで車を降りて歩かねばならないだろうか。ここからだと、劇場までは徒歩で一時間以上かかる。のんびりしていたせいで、ただでさえ遅刻気味なのだが……」
 どさりと大きな音をたてて、かわいそうな警備兵は気を失って倒れてしまった。
「あーあ」
 クラウドは云った。
「だから云ったんだ。あんた強烈すぎるんだよ。いろんな意味で」

 気を失った警備兵の相方が、セフィロスの存在にあわてふためき挙動不審になりながらも無線を飛ばしてくれたおかげで、彼らは無事幹線道路に乗っかることができ、市立歌劇場まで車を転がしていくことができた。ミッドガル市は行政上、各プレートが二十の区画にわけられている。プレート中央を縦断する幹線道路と、プレートを横断する九本の大通りによって区切られ、機械的に番号が割りあてられている。市立歌劇場は壱番街プレートのほぼ中央に当たる七区にあり、周囲には美術館、博物館、図書館などの文化施設が多い。大きな公園やゆったりした広場があり、文化的で優雅な市民たちの文化的で優雅な生活を支えている。
 劇場のそばに設けられたバリケードの前で、ザックスが待っていた。警備兵が追っぱらったのか、みんな集めてどこかに押しこんだのか、こういう現場につきものの野次馬の姿はなかった。
「ちょっとちょっと、ずいぶん豪華な出勤風景じゃないの。なんでおれも混ぜてくんないわけ? おれなんかクラブからバイクぶっ飛ばしてきて凍えてんのよ」
「おれだって自分のバイクで来るつもりだったよ」
 車から降りて、クラウドはぶつぶつ云った。
「こんなセレブっぽい登場の仕方、恥ずかしいよ。よりによってこの人とさ」
 クラウドが憎々しげに親指でぐいと指した先にいたセフィロスは、緊張してガチガチに固まっている警備兵に向かって、邪魔になるようならどかしてくれと云って車の鍵を渡してから、優雅にやってきた。
「あーあ、かわいそ、あの警備兵ちゃん、あんたの車の鍵、お守りみたいに握りしめちゃって。んでああいうやつにかぎって、鍵なくしたり車ぶつけたりすんだよ……おれも一度さあ……」
「それはあとで聞かせてもらうとして、状況は?」
 ザックスの話をさえぎって、セフィロスが訊いた。三人は劇場に向かって歩きだした。あたりには多くの警備兵がいたが、誰も彼もが、セフィロスの姿に釘づけになっている。
「アイアイ。んじゃいまからザックス・フェアくんの犯行再現ツアーを行うよ。クラ坊にも手伝ってもらお。時刻は午後八時ちょうど。B二ブロック担当の警備兵はどこでなにしてる?」
「午後八時っていや、勤務終わるとこだよ」
 クラウドは劇場を通りすぎて、通りをはさんだ先にある大きな公園のほうへ足を向けた。
「B二ブロックは、劇場通りから北に三ブロックぶんなの。東西は劇場裏通り、公園通り、市立病院通り。南北は幹線道路と、二本向こうのプラタナス通りまで。午後八時になったら、劇場前で夜間担当者に引き継ぎをやるんだ。でも今日の夜間勤務の人、いつも何分か遅れてくるんだよ。おれそれ知ってるから、このへんぶらぶら歩いて時間つぶしたと思う」
 クラウドは公園の入り口で足を止めた。フェンスに囲まれた広い公園は、学識豊かな壱番街市民たちの、散歩や運動の場として愛用されている。
「でも犯人はまっすぐ劇場に行ったんだろ。八時に劇場前につくのが時間通りの巡回ルートだからさ……引継ぎの相手はまだ来てなかったと思う」
「うん、八時五分ごろに来て、あたりが騒然としてるんでおったまげたらしいよ。たぶんしこたま怒られんだろうな、あとで。遅刻常習犯なんて知れたら、下手したら懲戒もんだ」
 三人は劇場へ戻った。市立歌劇場は、収容数二千を誇る大劇場を抱えた、ミッドガル市内でも随一とされる建築物である。ルスティカ仕上げ(※7の重厚なアーチが並ぶ下階の上に、軽やかで古典的なオーダーをもつ上階が乗った構成や、内部の大階段などは、設計を担当した建築家がこだわりぬいたために、完成まで十年以上を要したという。入り口の少し手前で、ひとりの男がセフィロスを待っていた。
「あら、部長、来てくれたの? うれしいなあ、ボク。クリスマスなのにありがとうございます。ガントナー部長にね、おれがさっき電話して、だいたいのとこ話しといたの」
 治安維持部門憲兵総局テロ対策部のガントナー部長は、セフィロスに握手を求め、ザックスの軽口に笑って応じてから、すぐに本題に入った。鋭い目つきのきびきびした男で、いかにも軍人あがりという感じだった。
「今後のことでお話をと思って。この手の事件は通常うちの担当ですが、事情が事情のようなので、正式に連携したほうがいいか、それともしないほうがいいか、ご意見を伺いたいんですが」
「本職の邪魔をする気はないですがひとつだけ。この子はこちらで預かっていたいのだが、いいでしょうか」
 セフィロスはクラウドの肩に手を置いて云った。クラウドがもの問いたげにセフィロスを見上げた。ガントナー部長はクラウドを見、次いでセフィロスを見て、うなずいた。
「そのほうがいいでしょうね。連絡係をつけます。こちらの情報は逐一お知らせしますが、あなた方のほうでもわかったことがあれば知らせてもらえると助かります。それから、わたしはこれからテレビカメラの前に立って事件の説明をしなけりゃならないんですが、とりあえず詳細は伏せて、プレジデントの殺害を図ったテロ事件として発表します。よろしいですね?」
 セフィロスはうなずき、話はそれでおしまいだった。部長は電話をかけながら通りへ歩いて行き、停めてあった自分のものらしい車に乗りこんだ。
「おれあの人大好き。この簡潔さ、感動もんじゃない?」
 ザックスがもみ手しながら云った。
「実にすばらしい指揮官だとおれも思う」
 セフィロスは走り去っていく車を見送りながら云った。
「おれがどうしたの? いまおれの話してなかった?」
 クラウドがセフィロスのコートを引っぱった。セフィロスは首をめぐらして、クラウドを見下ろし、安心させるようにちょっと微笑んだ。
「おまえはいつも通りにしていればいいということにする話をしたんだ。ややこしい話だから、あとでちゃんと説明してやろう」
 セフィロスはそう云うと、ザックスに話を促すように小さくうなずいてみせた。
「じゃ、改めてザッくんが犯行再現ツアーにご招待いたします。時刻は午後八時ちょうど。B二ブロックを巡回してた兵士が勤務時間を終えて劇場前に到着した。予定時刻ぴったり。通常は、ここで交代の兵士が待ってて、報告して敬礼してバイバイだよな。でもその兵士は止まらずに、まっすぐに劇場に入ってった」
 ザックスは劇場内に向かって歩きだした。入り口に立っていた兵士がさっと敬礼して、三人を中へ通した。広い吹き抜けのエントランスホールでは、シャンデリアがまばゆいばかりに輝いていた。正面に大階段がそびえ立ち、途中から二股に分かれて二階へ続いている。その豪奢できらびやかな雰囲気を、暗い制服姿の警備兵や憲兵たちが台なしにしていた。階段の脇に、たくさんの飾りをつけた大きなクリスマスツリーが置かれていて、今日がほんとうはめでたい日なのだと懸命に主張しているかに見える。エントランスの左手にチケットカウンターがあり、受付の女性たちが憲兵に質問攻めにあっていた。
「兵士があんまり自然に入ってきたんで、受付のお姉さん方は疑問に思わなかったらしい。犯人はそのまままっすぐ大階段に向かった」
 三人もホールを大階段へ向かって進んだ。あたりにいた兵士たちが、やっぱり通りすぎるセフィロスを目で追っていた。
「大階段の前には、劇場の警備員がふたり立ってた。警備員たちは声をかけたけど、犯人が急に背負ってた銃を向けてきたんで、思わず通しちまったんだって」
 ザックスは階段に足をかけて、銃を構える真似をした。
「気づいたチケットカウンターのお姉さん方は悲鳴上げる、警備員があわてふためいて応援を呼ぶ、その中を、兵士は悠々と銃を構えたまま階段を上がって、二階の正面席に通じる扉に向かった」
 三人は階段を上がり、左手に折れて、二階の回廊を回って正面席へ通じる扉へと進んだ。二階正面席は貴賓席とも云われ、プレジデントのような社会的地位のある招待客の定席である。重苦しい深紅のドアは、いまは開かれていた。
「扉の前には劇場のスタッフが立ってたけど、これもやっぱりとっさのことで、なんにもできないでいるあいだに、兵士は自分で扉を蹴やぶって、中に入ってった。舞台じゃきれいなソプラノ歌手がアリアを歌ってる真っ最中、このいいタイミングで騒々しい音立てて場内に入ってきやがったバカは誰だとふり返る観客、舌打ちは悲鳴に変わり、兵士はプレジデントのいる正面席の一列目になおも歩いていこうとして、扉の横に控えてたプレジデントの護衛に射殺された」
 ザックスは床を指さした。扉から劇場内に数歩踏み出したところに、白いシートにくるまれた遺体が転がっていた。
「以上、再現ツアーおしまい。この間ものの二、三分てとこね。一応、ご遺体はあんたが来るまで動かさないでいてもらった」
 セフィロスはかがみこみ、シートについていたジッパーを下げて端をめくった。最前動画で見た少年の横顔があらわれた。まだまぶたも閉じてもらえないで、顔を左に向けうつぶせに倒れている。クラウドと同じ美しい碧眼だ。そしてクラウドのような輝かしい北方の金髪。この少年はクラウドではない。クラウドではないが、なぜかひどくクラウドを思わせる。もしもザックスがクリスマスの楽しい食事会を考えつかず、クラウドが予定通り勤務していたとすれば……。
「ニール・ヤンソン、十六歳、壱番街七区の住人で私立校に通う高校生。父ちゃんが大学教授で、母ちゃんは研究員。弟がひとり。担任の話じゃ、成績は中程度で、友だちもあまりいなくて、目立たない生徒。家族が云うには、今日の朝家を出たきり帰ってない、友だちの家のクリスマスパーティーに招待されたって云ってたけど詳細は知らない……弟がもうちょっと詳しいこと知ってるかもしんないけど、ショック受けてて、聞きだすのは時間かかりそうだって」
 ヤンソン少年は、金髪碧眼であるだけでなく、背格好もどことなくクラウドに似ていた。年齢の割に小柄で、華奢な少年だ。痛々しいほどに。クラウドはそれでも鍛えているから、もう少し肩まわりなどはしっかりしているが、この少年はどう見ても、いかなる身体的訓練も受けていない、ごく普通の少年の体をしている。おまけに彼が着ている制服の本来の持ち主、ベイリー一等兵とやらは、かなり体格のいい少年なのだろう、制服はぶかぶかで、この状態では歩くたびに肩当てや膝当てがかちゃかちゃ音を立てたろう。
 続いて、人を見るときの癖で、セフィロスは彼の手を見た。手袋に覆われた手は、まだどこかふくよかな子どもの手をしているように見え、手袋を脱がせたところでマメもタコもひとつも見つからないだろうと思われた。銃や剣を扱いはじめると、新米兵士たちの手はとたんに荒れはじめる。ろくに道具など扱ったことがなく、長距離を歩いた経験もない少年たちは、足や手に無数のマメやタコを作りながら、一人前の兵士にさせられていくのだ。クラウドの手だって足だって、ずいぶん酷使されてひどい目に遭ってきたし、いまも遭っている。だがこの少年は……地元の高校生とは!
 セフィロスはシートをもとへ戻した。顔を上げてふり返ると、クラウドがザックスのうしろでちょっと青い顔をしていた。たぶんクラウドにとって、ほんものの死体を見るのはこれが初めてだ。最近の養成学校の生徒たちは、戦争がなくなったために、ほんとうに人が死ぬような実戦に駆り出されることはなくなった。学校を出たところで、仕事といえば演習のほかは、ほとんどが警備や護衛ばかり。ザックスが最近ソルジャーになった連中の扱いに困っているのも無理はない。戦いに飢えているのはみんな一緒なのだ。だがいずれにしても、セフィロスはクラウドがこんな形で死体と対面することなど望んでいなかった。それはこんなふうに、あまりにもちぐはぐで痛々しい犠牲者などではなくて……。
 そこまで考えて、セフィロスは苦笑した。どうせいつかは死体に遭遇しなければならないのなら、クラウドが人生で初めて目にする死体は、彼が自らの意志で生命をうばったものであってほしかったのだ。あるいはセフィロス自身が殺した死体……我ながら出来の悪いロマン主義だとセフィロスは思った。だがやはり、その夢想を破られたことは腹立たしかった。
「彼を運んでやってほしい」
 セフィロスが云うと、すぐにそばにいた憲兵たちが飛んできて、担架に乗せ、運んでいった。鑑識の連中やなにかがあたりをうろうろしていたが、誰も彼もみな、やりきれないという顔をしているように見える。
「これ、その子のポケットに入ってた」
 ザックスが暗い顔をして、赤い封筒を差しだしてきた。
「あんた宛てなんだよ。表見りゃわかるけど。封は最初からしてなかったらしい。まだ誰も読んでない」
 セフィロスは封筒を受けとった。表に、ソルジャー部隊総司令官閣下へ、と美しい筆記体で書いてある。セフィロスはザックスを見た。ザックスはうなずいた。セフィロスは裏返して、封筒の中へ指をすべりこませた。クリスマス用の二つ折りのカードが一枚。こう書かれてあった。

総司令官閣下

 親愛なる総司令官閣下へ、謹んでクリスマスのご挨拶を申し上げる。この数年で、実に様々なことがあった。ウータイ戦争の終結、神羅カンパニーの輝かしい勝利、そしてさらなる魔晄炉の建設。閣下にも、短い休暇のあいだにさまざまな変化があったものと推察する。生活に変化があるのはよいことであり、誰かを愛するのはもっとよいことだ。クリスマスの余興はお楽しみいただけただろうか? きっと楽しんでいただけたものと思う。われわれ十字星同胞団は、大いなる星の霊の叡知によって、あらゆることを知り、実行することが可能である。われわれは神羅軍の弱点、プレジデント神羅の弱点、そして親愛なる閣下の弱点も知っている。われわれの目は太陽のように全地にくまなく注がれており、われわれの耳は風のようにあらゆる音とともにある。それはすぐにも証明されるだろう。

閣下のご武運をお祈りしつつ
星の救世の師 ジャマル・ハーストン

「ハーストンはおれを楽しませようとクリスマスの余興を考えてくれたそうだ。気づかいに涙が出る」
 セフィロスはかすかに顔をしかめて、カードをザックスへ渡した。ザックスは文面に目を走らせ、けっ、と云った。
「この心温まるクリスマスカードは証拠品になるんだろう。もう押収してくれてかまわない」
 セフィロスが云うと、すぐに近くにいた憲兵が飛んできて、手袋をした手で受けとり、袋に入れた。
「手間を省くために云うと筆跡は本人のものじゃない。ハーストンは悪筆なんだ」
 セフィロスは憲兵に云ったが、その憲兵のことなどほとんど見てもいなかった。だが憲兵は律儀に礼を云って、封筒を入れた袋を持ち去った。
「ハーストンてやつ、よっぽどあんたのこと愛してんだな、きっと」
 ザックスが皮肉っぽく云った。
「クリスマスの余興劇かっての。あの住民みんなでやるやつだよ……おれいつも星持って歩く係やってた。今日、尊い救い主がお生まれになりました……羊飼いたちが、光りかがく星を目じるしに、救いの御子のもとへと向かいます……思い出しちゃったじゃん、おれあれ好きじゃなかったのに。どっちにしたってこんなん趣味悪すぎでしょ。護衛のやつなんか、子ども殺したってわかってショック受けちゃってさ、でも、劇場の暗がりにうちのヘルメットじゃ、子どもだか大人だかなんてとっさにわかるわけねえじゃん?」
 ザックスはまくしたてた。
「そうだろうな」
 セフィロスは冷たく聞こえるほど冷静な声で応えた。
「おれでもヤンソン少年を撃ち殺したろうさ。ところで、ヤンソン君が持っていた銃はうちの銃だったのか?」
「うん。弾もちゃんと装填されてた。制服からなにからまるっと一式、本来の巡回兵、アントン・ベイリー一等兵の持ち物だった。クラ坊と勤務代わってくれた子ね」
 クラウドはベイリーの名前を聞くとはっとした。
「あいつ、無事なの? いまどこにいんの?」
 クラウドは不安げな顔でザックスを見上げた。
「さっき、裏の公園のトイレで見つかった。身ぐるみはがされて、毛布にぐるぐる巻きになって。低体温症になりかけてて、軽い脱水症状があるけど、大丈夫。いま病院で治療受けてる。本人の話じゃ、午後五時過ぎに公園の裏通り巡回してたら、急に後ろからぶん殴られて、気づいたら毛布に巻かれて閉じこめられてたんだと。襲撃されたのはあいにくと監視カメラの死角だったんだけど、その直後に、公園の清掃員がでっかいカート押しながら公園に入ってくのが映ってて、たぶんその清掃員が襲撃犯。背格好からして、ヤンソン少年とは別人。ヤンソンのほうはトイレで待ってて、着がえて八時まで勤務したんだろうね」
 クラウドが唇を噛んでうつむいた。ザックスはクラウドの頭をがしがしなでた。
「あとでお見舞い行こ、クラちゃん。んで、このヤンソン君、まんまとベイリー一等兵になりすましたあとは、ちゃんと巡回ルートの通りに歩いてたっぽいんだ。あちこちのカメラの映像とり寄せてマルキン中佐に見せたら、そう云ってた。つうことはだ、治安維持部隊門外不出の巡回ルートもバレてるってことよ。中佐、いま下にいて、ボスと話したがってる。行く?」
「そうしよう」
 ザックスは先に立って歩いて行き、セフィロスはふとふり返ってクラウドを見た。クラウドは唇をぎゅっと噛んで、泣き出しそうなのをこらえているようにも見えた。この子がいまどれだけ自分を責め、腹を立てているか、セフィロスにはわかる気がした。
「おまえのせいじゃないぞ」
「……わかってるよ」
 クラウドはえらく反抗的に云った。
「おまえだったら、低体温症と脱水症状程度ではすまなかったろう」
 クラウドはどういうことだと問いたげな目でセフィロスを見た。セフィロスはその顔をちょっとのあいだ見下ろしていたが、そっと微笑んで云った。
「残念ながらこの話も後まわしだな。おまえの隊の隊長殿をあまり待たせてはいけない。まったく、今日はどういう日なんだ? こうもいろいろな話をあとまわしにしなくてはならないとは。おれがいくつ話を繰り延べにしたか、覚えていてくれ」

 治安維持部隊第一管区第十七連隊隊長であるマルキン中佐は、大階段の下で待っていた。四十くらいの、がっしりした、優しげな顔つきをした男だ。海の真砂の数ほどもいるザックスの飲み友だちのひとりで、いまはクラウドの上官でもある。ザックスいわく、試験に落ちて行き場のない神羅軍きっての問題児、クラウド・ストライフを引きとってもいいと云ってくれたのはこの男だけだった。
「とんだことになりました」
 中佐はセフィロスと握手しながら云った。
「死んだのが自分の部下でないとはいえ、これでは……」
 中佐は沈んだ顔をしていた。治安維持部隊には、ヤンソン少年と同じ年ごろの少年もたくさんいる。そうした未成年の面倒を見ながら、部隊を統率しまとめるのは楽なことではないに違いない。中佐はセフィロスの横にいるクラウドに目をとめ、休日にこんなことになるとは不運だった、今後の出勤については、憲兵総局の指示に従うようにと云った。もし上官としてここにいるのでなかったら、頭でもなでてやりたそうな感じだった。クラウドは恥ずかしそうに首をすくめて、ぼそぼそお礼を云った。
「あんたたち話してるあいだ、おれはクラウドに巡回路教えてもらってくるかな。つーわけでクラウド、こっちゃ来い」
 ザックスはクラウドを連れて、劇場の外へ出ていった。
「わたしの監督不行き届きです」
 マルキン中佐はふたりの姿が見えなくなると、いきなりそう云った。
「ザックスのやつに、ストライフは責任をもって預かると云っておきながら……」
「個人的な懺悔より」
 セフィロスは話をさえぎった。自分がもう、二年も手つかずにしておいたソルジャー部隊の総司令官として要求される態度をとりもどしかけているのを、セフィロスはさっきから感じていた。
「教えてほしいことが。部隊の人員配置を決めているのは?」
「七区に関しては、フィッツ・クイン曹長のチームです。隊員各人の巡回ブロックを決定し、勤務表を組みます。曹長はうちの頭脳ですよ……彼自身が少年兵からの叩きあげで、信頼できます……あんな人はなかなか見つかりません」
 セフィロスは問いかけるような視線を投げた。中佐は困惑した顔をしていた。
「治安維持部隊では、幼年学校上がりの未成年兵士を大勢受け入れていますが、ちゃんと規則にのっとって働かせている部隊は多くはありません。勤務時間や勤務内容に制限が多くて、いちいち守っていたのではやりにくくてしようがないんです。神羅がイメージアップに努めているのと、最近では未成年兵に対する市民の目がだいぶ厳しくなってきましたからね。そうした風潮を反映して、とくに終戦後は年々規則が厳しくなっています。たとえば、未成年兵士たちの勤務時間は午前九時から午後八時までのあいだと決められています。その時間内ならどんなシフトにしてもいいかというとそういうわけにもいきません。人によって、朝早いほうがよかったり夜のほうがよかったりしますから、そのへんを見極めて、あまり体に負担がかからないように勤務表を組んでやります。巡回経路も慎重に決定しなくてはなりません。あまりにひと気のない場所や危険な場所などは、やはり避けてやらなくてはならないからです」
 セフィロスはうなずいた。
「クイン曹長は、自身は十五で戦場にいたという経歴の持ち主ですが、そのあたりのことをよく飲みこんでいて、すべて考慮に入れたうえで人員配置をしてくれます。これがどれだけ難しく、それだけにありがたいことか、部外の人間にはわからないでしょう。たいていの部隊は機械的にやっているだけです。問題が起こらなければそれでいいというわけですね……」
 中佐はくやしそうな顔になった。ザックスに、クラウドを治安維持部隊にとりあえず入れるのはどうかと提案された日のことを、セフィロスは思い出していた。知りあいに、信頼できる人がいる。メンタルの高低差が激しい取りあつかい注意のクラウド・ストライフも、たぶんうまく扱ってくれる気がする……セフィロスは微笑んだ。
「ですから、わたしには信じられません。クイン曹長が、このクリスマスに、よりによって未成年兵士をこのあたりの警備担当にすること自体が……今年だって、プレジデントの殺害予告だけで二十二件ですよ……例年、最高度の警戒体制を敷かなくてはならないブロックです。少年兵の入る余地などありません……たとえミスがあったにしても、ストライフが勤務変更を願い出た段階で気づくべきです。そのあとにまた似たような歳の少年兵を配置するとは……もちろん、勤務表はわたしの承認で決定されるわけですから、最終的な責任はすべてわたしにあるのですが」
「クイン曹長に直接話が聞きたい。彼はいまどこに?」
 中佐は困ったような顔になった。
「それが連絡がつかないのです。おそらく家族で楽しんでいるのだと思いますが……」
 そのとき、中佐の電話が鳴った。中佐は失礼しますと云って、電話に出た。
「もしもし? 曹長か? きみはいったいどこでなにをしていたんだ、いま……わかった、電話に出なかったことはもういい……なんだって?」
 中佐が、緊張した面持ちでセフィロスを見た。
「間違い? 提出された勤務表と違う? どういうことだ……」
「曹長をおれの執務室へよこしてください」
 セフィロスは云うと、ひらひら手をふって、劇場を出ていった。

第五章

 およそ二年ぶりに足を踏み入れた執務室は、なにも変わっていなかった。ソルジャーフロアの清掃担当、みんなのアイドルマーリーンが、毎日心をこめて磨いていたのだとザックスが云った(マーリーンは、おそろしく厳格な審査基準を突破して神羅にやとわれた五十代の陽気な女性だが、元タークスだとか、特殊部隊にいたとかいううわさが絶えない)。入って正面にある大きな机はそのままだし、その横のソファとテーブルの応接セットもそのまま。大アルカナ夫人……幹がねじれた観葉植物……もデスクの脇で青々と葉を茂らせている。セフィロスは椅子に腰を下ろし、ぐるりと椅子を回してみた。椅子の後ろの壁は一面ガラスになっており、晴れた日にはたっぷりと日差しが射しこむが、いまは漆黒のなか、眼下にミッドガルの街並みが小さく見えるだけ。背後に夜景がちらつくのがなんだか落ちつかないような気がして、ふいに調光用のスクリーンをつけさせたときのことを思い出す。思い出して、スイッチを押してスクリーンを下ろした。ちらちらとまたたくような夜景が視界から消えた。それでいくらか気持ちが落ちついたような気がした。
「おれはまた古巣に帰るのか?」
 椅子を一周まわしてから、セフィロスは云った。
「わかんねえけど、いまベルゲ中尉が来るって」
 自らの定位置である、L字型に配置されたソファに寝転がって、ザックスが云った。クラウドはその横で、はじめての場所に連れてこられて、どこか不機嫌に縮こまっていた。慣れない場所では、クラウドはいつもちょっと不機嫌になる。うまくふるまえないのだ。
「中尉? ベルゲ少尉は中尉になったのか……」
「うん。まだテロ対策部とうちの連絡係してくれてる。飛びはねてくるだろうなあ、あの人、あんたのこと好きだから」
 ザックスは起き上がり、デスクの右手にあるガラスのドアへ向かった。その先に給湯室があるのだ。
「ボスにいつものハーブティーいれたげるね。マーリーンが切らさないでちゃんとストックしといてくれてんの。クラ坊は? なに飲む? 炭酸水あるよ」
 クラウドがあわててあとをついてきた。
「どったの」
 突進するようにしてついてきたクラウドに、ザックスは云った。
「……どうしよう、ザックス」
 クラウドはザックスの服の裾をつかみ、うつむいてぶるぶる震えていた。
「セフィロスがいる」
「はあ?」
「生セフィロスがいる。広報で出したフリーペーパーの写真みたいに執務室の机に座ってる。その冊子、おれ三冊持ってるんだ。すごい争奪戦で、おれ血だらけになりながら確保した。でもおれがいま見てるの、本物なんだよ。どうしよう」
 クラウドは真っ赤になった。
「……あー……あー……ああー……オッケー、クラちゃん、ちょっと深呼吸しよっか、ね。よかったね、生セフィロス見れて。はい、胸を大きく開いてー、吸ってー、吐いてー」
 ふたりはそろって深呼吸を何度かくりかえした。
「おれもう死んでもいい」
 クラウドは炭酸水のボトルを受けとって、両手で胸に抱きしめた。
「生きててよかった」
「うんうん、わかるわかる」
 ザックスはクラウドの金髪頭を引っかき回した。
「そうだよなあ。おまえ、一度も仕事してるセフィロス見たことないんだもんなあ。ここ一、二年で軍に入ったやつ、みんなそうか。まああの人のことだから、基本的にあのまんまなんだけど、ちょっと手厳しくなるかな、いろんなことが。それがまたいいってんで、マニアックな層に受けちゃうんだけどさ。戦闘シーンはまた格別なの。おまえなんか心臓発作起こすかもしんないな」
 ザックスはお湯を沸かし、ティーバッグを棚から取りだして云った。大きなキッチンが置かれた給湯室は広く、キッチンやキャビネットがすべて暗めの灰色で統一されており、休憩用のテーブルと椅子がある。壁には、セフィロスが古書店や骨董品店を探しまわって見つけてきた古い植物画がいくつかかけられていて、大きな窓は本社ビルの中庭に面しており、忙しいときに眺めると気分が落ちつくのだ。ザックスははじめてこの給湯室に入ったとき、思わず「カフェかよ」とつぶやいたものだとクラウドに云った。
「だってさあ、ほかの給湯室なんてひでえのよ? 安い簡易キッチンにやかん一個とかしかなくてさあ、まあ、つってもここの調理器具はほぼおれがそろえたんだけどね、えらくなるとこうなんだなって思ったっけ。でもあの人の部屋は特別手がかかってるね。このドアの横にもう一個ドアあっただろ。そっちにバスルームとベッドルームあるから見に行ってみ。あとでおれの部屋見る? ここに比べたら、お情けでくれた犬小屋って感じ。ぜんぜん広さ違うよ。セフィロスの部屋って会議室潰してつくったの、プレジデントのおやっさんが。あ、いけね!」
 ザックスはあわててガラスのドアの向こうに首をつっこんだ。
「ねえボスー、おやっさん本社に戻ってるって云うの忘れてたー……ってなにしてんの」
 ザックスは執務室に戻っていった。クラウドはおそるおそるガラスドアからのぞいた。セフィロスは床に大の字になって寝そべっていた。
「あの通気口がどこに通じているのか確かめた日のことを覚えているか?」
「うん」
 ザックスは天上についたダクトを見上げて云った。
「ありゃあ……えーと八年前ね。あんたがここに部屋もらった日。おれまだあの穴にかろうじて潜れるくらいの大きさだった。小柄な少年だったからなあ、おれ。あんたはもうでかすぎて無理だったけどね」
「八年か。そうか……」
 ドアをノックする音がした。ザックスが開けると、連絡係のベルゲ中尉が敬礼して立っていた。明るい金髪を短く刈りこんだ、二十代半ばの青年だった。
「ヨーハン・ベルゲ中尉、テロ対策部より連絡のためやってまいりました」
 ザックスが敬礼して応じ、中尉を中へ入れるため、身を引いた。
「なにをなさっているんですか?」
 ベルゲ中尉は大の字になっているセフィロスを見て、あきれたような顔をした。
「久々の古巣で思い出にひたってんの」
 ザックスがしようがないというように腰に手を当てて云った。セフィロスが寝転がったまま手をひらひら振った。
「昇級おめでとう、中尉」
「ありがとうございます、総司令官閣下。十字星同胞団について、この二年の調査記録をとり急ぎまとめてきました」
「おおまかに云って、進展は?」
 セフィロスはようやく体を起こした。ベルゲ中尉は、給湯室のドアからこちらをのぞいているクラウドにちらりと目をやったが、なにも云わなかった。
「残念ながら、ほとんどないと申し上げなくてはなりません。ほぼ無活動状態だった組織ですし、ここしばらくは例のアバランチ対策に追われていて、本部の関心も低かったと云わざるを得ません。同胞団が急にこのような行動に出るとは予想もしていませんでした。いったいどうなってるんでしょうね。いきなりこんな緻密な計算にもとづいた事件を起こすなんて」
「まったくだ。これは厄介な事件になるぞ、中尉」
 セフィロスは床に座ったまま、憂鬱そうに云った。ザックスはハーブティーを完成させるべく給湯室へ戻った。
「あのさ、おれどうしたらいいの」
 ドアの陰に隠れていたクラウドが、しかめっ面でザックスに云った。
「なりゆき上ここ来ちゃったけど、なんかおれいちゃいけないとこにいるって感じじゃない?」
「んー、ま、立場上はそうかもしんねえけど、おまえいま重要参考人だからな」
「おれが?」
「うん。おまけに保護対象だし。さっきマルキン中佐が、今後の出勤は憲兵総局の指示に従えって云ったろ?」
「うん」
「で、その前にボスとテロ対策部のガントナー部長が話してたとき、おまえのこと話に出たろ」
「うん」
「あれ、どういう意味かっていうとね、この事件、狙いはプレジデントじゃなくて、たぶんセフィロスで、おまえなんだよね」
「おれ?」
「うん」
「でも、おれ勤務代わってもらったし、無事だよ」
「まあな。でも、おまえと同じ金髪碧眼の十六歳の少年が、明らかに綿密に計画されたあからさまに稚拙な方法で、プレジデントの殺害をくわだてて射殺された。ここ大事なとこよ。あのやり方じゃ射殺されるに決まってる。わざと殺される計画練ったんだよ。あいつら、プレジデントじゃなくておまえのこと殺すって云ってんの。治安維持部門治安維持部隊第十七連隊所属のクラウド・ストライフ一等兵のことをだね、その勤務シフトもどこに配置されてるかも全部把握しててだね、ピンポイントで狙い撃ちにできるんだぞってことをあいつらは云ってんですよ。おまえにじゃなくて、セフィロスにね」
 ピューという鋭くどこか間の抜けた音を立てて、お湯が沸いた。
「で、そうなるってえと、おまえは憲兵総局テロ対策部の保護対象になって、おまえの身の安全は向こう様の責任になんの。さっきボスが話してたのは、それをおたくじゃなくてうちの仕事にしますよってことで、おまえはうちで保護しますよってことなの。うちでってソルジャー部隊でってことね。これほんとはすごくめんどくさいやりとりが必要なんだけど、ガントナー部長は細かい規則より現場の機動性優先って人だし、いろいろあってうちのボスのことすげえ信頼してるから、あの人がなんか云やあ、はいって云うの。かっこいんだから、うちのボス」
 ザックスはクラウドから視線を外し、ふたつのカップにお湯を注いで、蒸らすために蓋をした。
「……なんだよそれ」
 しばらくたってからぼそりとつぶやかれた声は、やや震えていた。
「だって、それって、おれただの足手まといになるってことだろ。そんな、おれのこと狙い撃ちにされたら。だって、おれソルジャーじゃないし、セフィロスじゃないし、ザックスでもないし、ただのペーペーの警備要員だもん……ああー、なんでおれ試験落ちたんだよ」
 クラウドはいらだたしげに吐き捨てた。ザックスは内心舌打ちした。せっかくクラウドのメンタルが安定しかけていたのに、これでみんな台無しだ! おまけにセフィロスは二度と面も見たくないと云って出ていったおのれの執務室に戻ってきてしまった。なんてクリスマスだ、ちくしょう!
「だから、試験落ちたのはおまえに落ち度があったわけじゃねえっつってんだろ。あのな、クラウド」
 ザックスはクラウドの両肩をつかんで、視線を合わせるためにちょっとしゃがみこんだ。
「これ全部、おまえのせいじゃねえし、セフィロスのせいでもねえし、誰のせいでもねえけど、でも、こうなっちまったからにはしゃあない。おまえ、確かにソルジャーじゃねえよ。どっち転んでも戦力外って感じになるかもしんない。おまえがとっつかまったり、かっさらわれたりしてセフィロスがやばいことになるかも。かもな。これ全部起きるかもしんない。けど、だからなんだよ。だからなんなんだよって話だよ、おれに云わせりゃさ。腹立てるなら、自分に対してじゃなくて、セフィロスに反感持ってるやつと、つっかかってくるやつだけにしとけ。たぶんおまえもすぐわかると思うけど、いっぱいいるんだよ、そういうのが、神羅ビルにも、ミッドガルの中にも外にも。十字なんたらなんて、そのうちのひとつってだけの話なんだ、マジで」
 云いながら、ザックスはことあるごとにセフィロスの足を引っ張ろうとするありとあらゆるやつの顔を思い出し、だんだん怒ったような口調になってきた。
「セフィロスが執務室に戻ったってことは、あの人またそういうやつらの相手しなきゃなんなくなったってことだ。自分の立場抱えてるだけでも楽じゃねえってのに。だから、いいか、おまえよく考えろよ、おまえがそいつらからセフィロスのこと守んだぞ。これおまえの仕事。わかる? おれらは物理的にあの人の助けになれるけど、おまえはここで」
 ザックスはクラウドの心臓に人さし指を押し当てた。
「戦うんだよ。おれらがやってることとと一緒だ。おれらってソルジャー部隊のことな。おれたち別に誰も神羅に操立てて戦ってるわけじゃないの。うちのボスがここにいるから、おれらもここにいんの。おまえとおんなじだ。みんなあの人のことが好きなの。そう思わせちゃう人なの。な? わかんだろ、おまえなら」
 クラウドは口をちょっと開いて放心したような顔でザックスの話を聞いていた。何度もまばたきし、そのたびに目のふちに涙がたまってゆき、いまにもこぼれそうになって、クラウドはあわててぐっと顔を引きしめた。それから力強くうなずいた。ザックスは笑って、クラウドの頭をがしがしなでてやった。実際、セフィロスにとって、ソルジャーかどうかなんてことはたいした問題ではない。一番それが問われていない立場のクラウドが、一番それを気にしているとはおかしなことだ。おかしなことだが、愉快なことでもあった。もしもそんなことを少しも気にしないで、セフィロスにおんぶに抱っこで平気でいるようなやつだったら、クラウド・ストライフとは云えないだろう。物理的に強くなることは、物理的にできる。でも自分を恥じたり誰かを守ろうなどという高貴な気持ちを起こすには、もっととても複雑なものが必要で、それをほんとうの意味で持っているやつは、決して多くはない。
「よし、ハーブティーできた。ちょっと長く浸しすぎたかな? ま、大丈夫っしょ。ほら行くわよ、クラウドちゃん、ちょっとドア開けてくんない?」
 ザックスがそう云ってカップをふたつ手にしたとき、クラウドはもう自分をとり戻しているように見えた。

 ふたりが執務室へ戻ったとき、セフィロスはまだ床に座ったままで、中尉と話しこんでいた。中尉はどこかからホワイトボードを持ってきていて、セフィロスと話しながらいろんな紙や写真をボードに貼りつけ、事件の概要をまとめていた。
「はいはい、ハーブティーが通りますよー」
 ザックスがセフィロスとベルゲ中尉にカップを配り、みずからもコーヒーのカップを抱えて、セフィロスの左に座った。クラウドはセフィロスの右側に座った。
「そのガタガタホワイトボード、まだ生きてたんだ」
 ザックスがコーヒーを飲みながら云った。ホワイトボードは確かに、百歳にはなっていそうに見え、ところどころかなり黒ずんでいたし、足にはどこかにぶつけたらしいへこみがあった。おまけに車輪のほうも、とてもすべりがよさそうには見えなかった。
「そうなんですよ。総務課に、司令官閣下のファンの女性社員がいて、なんでもかんでもとっとくんです……よし、できました」
 中尉はホワイトボードに文字を書き終え、ちょっと得意げに一座をふり返った。
「中尉って字きれいよね」
 ザックスが感心したように云った。青いペンで書かれた文字は、非常に読みやすく美しい楷書体だった。
「昔、趣味で文通してたことがあるんですが、そのときにちょっと特訓しまして」
 中尉は恥ずかしそうに肩をすくめた。
「ふーん、文通ねえ……ふうーん」
 ザックスはわざとらしく云い、にやにやした。中尉は赤くなって、咳払いした。
 執務室のドアがノックされ、男がひとり入ってきた。五十がらみの、あまり特徴のない男で、ぼうっと草を食んでいる羊のような顔をしている。ベルゲ中尉が敬礼し、迎え入れて、皆に紹介する。
「うちの捜査部隊長、トースキーです。皆さん、初対面ですよね」
「ガントナー部長とはつきあい長いけど、隊長さんとははじめてかも。今年の秋に着任したんでしたっけ?」
 社交的なザックスがさっそく手を差しだし、話をはじめる。
「どうも、はじめまして、フェア副司令官。総司令官閣下も。そうです、九月からですね。去年の組織改革でテロ対策課がテロ対策部として独立して以来、内部組織も再編成をせまられていろいろとごたついていたんですが、ようやくおさまってきましてね。めでたく大役をおっつけられたってとこですよ」
 トースキー隊長はやはりどこかぼうっとした笑みを浮かべて、曖昧に笑った。
「そうそ、ガントナー部長も、課長から急に部長になって、ぶつぶつ云ってたっけ。そんときは、ボスが云うとおりになっちゃったなって思ったんだ、おれ」
「テロ対策課が、そのうち拡大せざるを得ないことはわかっていた。ガントナー部長とよくその話をしたものだ」
「らしいですね。部長が今夜はいろいろと手いっぱいで、きちんとお目にかかれるのは明日になりそうだと云っています。それでわたしが代わりに来たわけですが、なるほど、こっちもこっちで進んでるようですね」
 隊長はホワイトボードを見て、ちょっとうなずいた。
「クイン曹長がいまこちらに向かっているそうだから、彼が来る前にやることをやってしまおう。ストライフの聴取をいまからこちらでしてもかまいませんか、トースキー隊長」
 セフィロスはクラウドを見ながら云った。クラウドが目をぱちくりさせる。
「ええ、おまかせします。わたしは聴いてますよ。メモを頼むよ、ベルゲ中尉」
 隊長は人がよさそうに云い、ベルゲ中尉はメモ帳をとりだし、ペンをかまえた。
「では、こちらがクラウド・ストライフ一等兵、本来なら今日の壱番街七区B二ブロック警備についているはずだった。というわけで、トースキー隊長とベルゲ中尉に対して、アントン・ベイリー一等兵と勤務交代した経緯を述べよ」
 突然セフィロスに云われて、クラウドはあわてた。
「おれ?」
「そうだ。こんな状態だが正式な聴取だぞ、これは。隊長や中尉に対して虚偽の申告をしたり、空とぼけたりした場合には、おれに与えられた権限によっておまえを不名誉除隊にしてやる」
 セフィロスはにやりと笑った。
「っていってもどっから云えば……えっと……」
 クラウドは頭をかいた。
「ザックスにクリスマス休めないかって云われたのが今月の……えーと、あれいつだっけ?」
「あー……待てよ、おれらハンバーガー食ってて、おまえメガサイズのポテトをハラペーニョソースとチーズソースで食ってた日だから……十三日だよ」
 ザックスがうなずいた。
「そっか。十三日。おれその次の日の勤務開始前に……その日の勤務は十時開始だったから、たぶん九時四十分ごろ……クリスマス休みにしてほしいって云いに行ったんだ。クイン曹長のとこに」
 セフィロスがちょっと眉を上げ、ベルゲ中尉がペンを止めた。
「クイン曹長ってそういう人なんだよ。なんでも直接云いにこいって云ってくれたんだ、おれが入隊したとき。いい人だよ、あの人。で、おれは曹長の部屋に行ったんだけど、曹長は席外してて、スアレス伍長って、曹長の部下がいた」
「フルネームを」
 ベルゲ中尉が口をはさんだ。ザックスは立ちあがり、歩いていって、机の上の端末を立ちあげた。
「ニコラス・スアレス伍長。クイン曹長のチームのひとりです」
「スアレス……ニコラス……おお、出た出た。この人ね。二十七歳、一九九六年、治安維持部隊第八管区第五連隊入隊。〇〇年から第十七連隊勤務」
 ベルゲ中尉のペンがすばやく紙の上を走った。
「それで? スアレス伍長とどんな話をした」
「クリスマスの勤務休みにしたいんですけどいいですかって話した。正直この人に話すのやだなって思ったけど。なんかやな人だから。案の定ちくちく云われたけど、わかった、代わりを探しておくって云ってくれた。おれが書類書かなくていいんですかって訊いたら、曹長に聞いておくけど、たぶんいらないと思う、必要なら声かけるからって。話したのはそれだけ」
「では、クイン曹長はその場におらず、きみは書類も書かなかったんだね?」
 ベルゲ中尉はペンを止めて、ちらりとクラウドを見た。
「普段はちゃんと書きますよ……書類書いてないの、いま思い出した……」
「のっけから規則違反が見つかった」
 セフィロスは楽しそうに云った。
「せっかく呼びつけた曹長だが、伍長を呼んだほうがよかったかもしれないな」
「伍長、まだ退勤してないっぽいよ」
 ザックスが端末の画面を眺めたまま云った。
「退勤時間打刻されてないもん。朝九時から衛所にいんのに、ご苦労なこったね。忙しいのかな、クリスマスだし」
「ことと次第によっては、おれが乗りこんでやろう」
 セフィロスはとても楽しそうに云った。
「きっと愉快なことになる。それで、話の続きだが、伍長に話したあとはどうなった? 伍長から改めて話はあったのか?」
「その次の日の朝、衛所で云われた……代わりを見つけたから、クリスマスは休んでいいって。書類のことはなにも云われなかった。その話はそれでおしまい……じゃないか。ベイリーに、何日か経ってから、自分が代わりに出るんだって云われたんだ。勤務前に着替えしてたとき。あいつ、おれは実家遠いし、クリスマスは毎年なにもないから、仕事できてかえってよかった、もしきみが気にしてるんだったらと思って、一応ね、って云ってた」
「いいやつじゃん」
 ザックスがちょっと感動したように云った。
「そうなんだ。あいつだけなんだよ、同年代でおれにまともに話しかけてくれるの」
「おれそいつに今度飯おごってやろうかな……ベイリー……アントン……こいつか。十六歳、〇〇年、神羅軍養成学校入学、〇二年から第十七連隊勤務。おまえと同期じゃん。見るからに優しそうな顔してるもんな」
「補足しますと」
 ベルゲ中尉がペンをもった手をちょっと持ちあげた。
「先ほど病院でベイリー一等兵の聴取が行われたんですが、それによると、一等兵は十二月十三日の勤務終了後、衛所に戻ってきたところをスアレス伍長に声をかけられ、クリスマスの日は予定が入っているかと聞かれました。彼が特にありませんと答えると、では二十五日の十一時から勤務してもらえないか、そのかわり、二十七日を休みにするから、と云われたそうです。一等兵が更衣室に戻り、ロッカーのドア裏に貼ってあった勤務表を見たら、ストライフ一等兵の名前が書いてあったので、きっとストライフ一等兵はなにか用事ができたんだなと思ったそうです」
 クラウドの顔が曇った。
「まあまあクラちゃん、その用事こさえたのおれだからね。あとで一緒に殴られに行こ」
 ザックスがそう云って、クラウドをなぐさめた。
 そのとき、だしぬけにドアが開いた。
「サー、フィッツ・クイン曹長を連れてきました、よくお帰りで……ってなぜ床に座ってるんですか」
 二十代前半の男がひょっこり顔を出した。鼻にかかったような声で話し、なんとなく高慢そうな顔つきをした男だ。
「作戦会議中だからだ、フィリポット君。ドアは開ける前にノックしてくれないか?」
 セフィロスがたいへん冷たい声で云ったが、フィリポットと呼ばれた男……クラスセカンドの制服を着ている……は聞いていなかった。
「またお目にかかれてうれしいです。こちらがフィッツ・クイン曹長です」
 フィリポットに引き入れられて部屋に入ってきたクイン曹長は、五十代のどっしりした、頑固そうな顔つきをした男だった。部屋をぐるりと眺めわたし、品定めするように、順番にひとりずつに目をとめた。視線がセフィロスにとまったときは、彼の渋い顔はますます渋くなった。
「ともかく、戻ってきてくださってうれしいです、サー。ではまた」
「二度と来なくていい」
 ドアが閉まってから、セフィロスはため息をついた。フィリポットは部屋を出ていく前、セフィロスの横にいるクラウドをたっぷり一分は無遠慮に眺めまわして、鼻をひくつかせていた。
「あれだよ、クラ坊、ボスが処刑したいやつ」
 クラウドはあーあ、と云った。
「あんなやつの話はしないでくれ。とにかく、クイン曹長、わざわざどうも」
 セフィロスが立ちあがり、握手を求めた。トースキー隊長も同じようにし、クイン曹長は疑わしげな顔でふたりを見まわした。それからクラウドに目をとめた。クラウドは曹長のために、給湯室から椅子を持ってきたところで、手で表面のほこりをちょっとはらった。曹長は左足をやや引きずるようにして歩いて行き、すまんな、ストライフ、と云った。クラウドはその斜め後ろに立った。セフィロスは小さく微笑んだ。
「さて、曹長が来たところで聴取を開始したいが、これは隊長にお任せしたほうがいいでしょうか」
 トースキー隊長はちょっと笑って、のんびりと首を振った。
「どうぞお構いなく。わたしとしちゃ、聞くことが聞ければ同じことです。どうせうちはあとから、いやというほどいろんな人間に話を聞きまくらなけりゃならない。いまのうちに楽をさせてもらいますよ」
 トースキー隊長は両手を広げて云い、くつろいで床の上にあぐらをかいた。
「わけがわからんであります」
 曹長は椅子に腰を下ろし、不機嫌な声で云った。
「わたしが見た担当表では、そもそもストライフが配置されていたのはD八ブロックで、ストライフからベイリーに交代した話も聞いとらんであります。どういうことでありますか?」
「それはこっちが聞きたい。最初から。なにか根本的な誤解があるような気がする」
 セフィロスも床に座りなおし、辛抱強く云った。
「D八ブロックに配属されていた、とは? そもそもあなたのチームは、どのようにして人員配置を決定し、誰が最終的に承認するんです?」
「わたしのチームはわたしを含めて全部で八名いるであります。チームは壱番街七区から九区の配置を担当しているのでありまして、一区画ごとに二名ずつ人員配置の担当がいるであります。これで要員六名、あとの一名は未成年兵士たちの配置と勤務チェックが担当でありまして、それぞれが作成した配置表をわたしが最終的につきあわせて確認し、担当表を確定するのであります。わたしがサインし承認したのちに、マルキン中佐へ届けられ、中佐の承認を得たのち、各隊員に正式な担当表が告知されるのであります」
「勤務変更の場合の手続きはどのように?」
 セフィロスは物憂げな顔で云った。
「通常は書類を書き、わたしのチームに提出するのであります」
「ストライフ一等兵の話では、十二月二十五日の彼の勤務は七区B二ブロックで、十一時から二十時までだった。彼は十二月十三日午前九時四十分ごろ、やむにやまれぬ事情からあなたのところへ勤務変更を願い出に行ったが、あなたはおらず、スアレス伍長がいた。そのため伍長に勤務交代の話をしたところ、伍長はあなたに伝えておくと云ったそうだが、その話は伝わっていますか」
「聞いていません。ますますわからん。ですから、そもそも今日のストライフの勤務は、七区D八ブロックであって、あそこは図書館とミッドガル市設立記念館しかない静かなところで、およそ危険なことなんぞ起きそうにない場所であります。よりによって今日、ストライフのような未成年兵をB二ブロック警備に配置するようなバカな真似を、スアレス伍長はしないはずであります」
「スアレス伍長が未成年兵士の担当?」
 ザックスがのんびりした声で云った。
「……そうであります」
 曹長はやや苦しい顔になってきた。
「で、曹長はストライフからベイリーへの勤務交代の話も聞いてないし、そもそも違うブロック担当だと思いこんでた?」
「わたしが見た担当表では、確かにストライフはD八ブロックだったのであります。わたしに提出された担当予定表では……」
「でも、おれいまおたくの警備担当表見てんだけどね」
 ザックスは頬杖をついて端末を見つめた。
「こっちはちゃんとB二ブロック担当んとこに、ベイリーって書いてあんだよね。あんたの見た担当表ってなに? どこにあんの、それ」
 曹長は汗をかきはじめた。
「……わたしは最近のそのデジタルとやらに非常に疎いのでありまして」
 曹長は歯を食いしばって云った。
「常に印刷されたものを確認しているのであります。わたしの机の引き出しにそれがあるのでありまして……」
「変更上がってくるたびに手書きで修正してんだろ? データは誰かに直させて。バンザーイ!」
 ザックスは両手を挙げた。
「だから云ったっしょ? ボスも端末を敵視してるといつかまずいことになるよって。おれが誠実な部下で、まじめに仕事してるからいいけどさあ、これでおれが勝手にデータいじって、あんたには別の印刷して見せたりしてごらん? こういうことになんだよ」
「その話はまた今度にしないか」
 セフィロスは眉間にしわを寄せて云った。
「わたしの部下も誠実であります」
 曹長はぐっと顎をつき出して云った。
「そう思いたいのはわかるけどさあ」
 ザックスが急に怒ったような声を出した。
「だけど、実際それで問題起きてんじゃん。百歩譲って成人年齢過ぎた連中ならまだしょうがねえって云ったとしても、巻きこまれたの未成年の連中でしょ、よりによって。ボク思うに、未成年兵士に関わるやつって、一番信頼できる人間じゃなきゃいけないと思うのね。伍長って、十五、六の少年たちが安心して相談できるような人? そういうことが云いたいんですよ、おれは」
 ザックスはガリガリ頭をかいた。
「ひとまず、このおそるべき誤解の原因はわかったような気がする」
 セフィロスはこのうえなく冷ややかに云った。
「そこで問題は、あなたの話を信頼するとすればスアレス伍長に絞られるわけだが、伍長はどういう男です?」
 曹長は追いつめられた、敵対的な顔つきでセフィロスを見た。彼は本能的に、自分の後ろに立っているストライフを守ろうとするかのように、胸をそらせてかばうような姿勢を見せていた。たぶん彼の頭の中では、ソルジャー部隊の総司令官閣下は、立場もわきまえず、まだいたいけな未成年のストライフに懸想して、ありとあらゆる苦汁をなめさせる羽目に陥れた張本人であり、若造のくせに地位だけは高く、鼻持ちならないクソ野郎だとでも思っているに違いなかった。セフィロスは肩をすくめ、両手を挙げた。
「どうも困ったものだ、クイン曹長。そういう態度では、せっかくおれが抱きかけたあなたへの個人的な好意を撤回しなくてはならなくなる。あなたはストライフによくしてくれているようだし、それはこの子の態度を見ていてもわかる。あなたは確かに最近の技術革新についていけていないかもしれず、部下に対して甘くなりすぎるきらいもあるかもしれないが、実直で誠実な人だ。その誠実が、板挟みにあって苦しんでいる。あなたは直属の部下である伍長を守りたいし、ストライフのことも同じくらい守りたい。だがこの場合、このふたつは同じものではないし、あなたの敵はおれでも、テロ対策部でもない。さて、どうしたものだろう」
 曹長は唇をかみしめて、くそいまいましい坊主めとでも云いたげな顔でセフィロスをにらんだ。セフィロスがもっと若かったころには、たいていの人間はセフィロスにまずはこの手の顔を向けてきたものである。まだ二十歳にもなっていない若造が、ソルジャー部隊なる新設の部隊をひとつ任され、その総司令官などという地位を与えられたとあっては、多くの軍人たちが憤慨したのも致し方ないことではある。「総司令官閣下」といえば、いまではすっかりセフィロスを指す敬称として定着してしまったが、これははじめは相当な皮肉をこめた、ほとんど蔑称のようにして使用されていたのだった。いまいましいという顔を隠さない大人たちのなかをくぐり抜け、自分の地位の正当性を認めさせ築き上げることは、非常に難儀なことだったが、同時に愉快なことでもあった。その道のりで、セフィロスもまた、ちょうどクイン曹長のような下士官に何度も助けられたものである……一兵卒からのたたき上げで、幾度となく息子のような年齢の上司を持ち、その上官を一人前の軍人にしてやった男。またそれと同じくらい、幾度となくかつての自分のような兵卒どもを守り、育ててやることに力を尽くしてきた男。セフィロスは軍におけるみんなのおやじともいうべき、こうした軍人が好きだった。こいつはものになるとわかれば、協力を惜しまず、胸ぐらをつかんでぶん殴る男の愛情で徹底的に鍛えようとしてくれる。頑固で、こうと決めたらてこでも動かず、情に厚すぎるせいで問題を起こすことも多々あるが、こうしたおやじたちがいなければ、毎年どれほどの人間が道半ばでくじけてやめてしまうことだろう。セフィロスとて、親身になり盾になってくれるこうしたおやじたちがいなかったならば、どうなっていたかわからない。
 セフィロスがふと微笑んだのを見て、なにを思ったか、曹長が口を開いた。
「……ストライフ」
「はい、曹長」
 ストライフは急に呼ばれてぴんとつっ立った。
「おまえこんなやつのどこがいいんだ?」
 ストライフは赤くなった。
「おれにゃあわからんよ、最近の若い連中のことが……この何年かで、なにもかもわからなくなった。いい加減、辞めるべきだとはもう何年も思ってきた……確かにわたしの怠慢であります。わたしの責任であります。申し訳ございません、総司令官閣下」
 曹長は椅子から立ち上がり、頭を下げた。クラウドは動揺して、曹長とセフィロスを交互に見ていた。まるで、セフィロスがこの曹長に頭を下げさせるような偉い人だったとは、ちっとも考えたことがなかったとでもいうようだった。総司令官閣下は微笑んだ。
「これまでのすべての会話を考慮して、伍長がなにか不正を行った、あるいはそれに加担している可能性は?」
「個人的な心情を申せば、あくまでわたしは伍長を信じるのでありますが、客観的な事実を考慮すれば、その機会があり、手段があったことはたしかであります。ただ、動機のほうはまるでわからんのでありますが」
「伍長の過去についてなにか聞いていることは?」
 曹長はちょっと顔をしかめて、云いよどんだ。
「……平凡な、とは云いがたいところがあるのであります。いわゆる、グレていた時期があるのでありまして」
 セフィロスはつっ立ったままの曹長に座るように指示した。
「生まれはコスタ・デル・ソルの近くにある小さな漁村であります。両親は離婚しており、兄と姉がいるそうでありますが、どうも疎遠のようであります。入隊時は二十一歳で、その前までは地元の不良グループに入っており、詳しくは知りませんが、かなり悪さをしていたようであります。それが、親の病気をきっかけにいろいろと思うところがあり、まともに働く気を起こしたそうでありますが、地元では相手にしてもらえず、困っていたところ、治安維持部隊なら多少ワルだったところで受け入れてもらえると聞いて、入隊を希望したのだそうであります」
「一九九六年、第五連隊入隊、〇〇年、第十七連隊に異動……ってあるんだけど、これ、なんかあったんですか?」
 ザックスが端末と曹長を交互に見て云う。
「前の部隊で同僚とけんかをしたのであります。相手は伍長と同い年でしたが、幼年学校の士官コース出身で、上官の覚えもめでたく、いわばエースだったのであります。一方のスアレス上等兵は元不良、無口で無愛想、本人は云いませんが、どうも普段から、からかわれたり意地悪をされたりしていたようであります。おそらくだいぶ長いあいだ我慢していたのだと思われますが、堪忍袋の緒が切れた末のけんかだったのではありますまいか。エースを病院送りにし、あやうく除隊処分をくらいそうになったので、マルキン中佐が交渉して引きとったのであります」
「ああ、あの人らしいわ」
 ザックスが微笑んで云った。
「そういうの、ほっとけないんだよな、マルキン中佐って。そういうのばっか集めちゃうもんで、あの人の部隊は少年院ってあだ名がついちゃうんだ」
 クイン曹長が我が意を得たりというようにうなずいた。
「スアレス伍長のような人間を処分して終わりというやり方には、中佐は納得していないのであります。どんな人間にも、やり直すチャンスがあるべきだ、が中佐のモットーでありますから。あるとき中佐が、自分のところへ伍長を……そのときは上等兵でしたが……連れてきて、面倒を見てやってくれないかというのであります。けんかの一件ですっかり自信をなくし、これまでの警備兵としての自分の働きや、軍で働くことそのものにも疑問を持っていたようでありましたので、心機一転、なにか違った仕事をしてみてはどうかと云って、いろいろ提案してみたところ、未成年兵士たちにかかわる仕事に興味を示したのであります。伍長自身も貧困で苦労したからか、十三、四で家を出なければならない少年たちの境遇に同情していたようであります。それで、手はじめに少年兵たちの勤務シフトを組む仕事に就かせて扱いに慣れてもらい、ゆくゆくはいろいろな資格を取らせて、もっと専門的に少年兵たちのサポートをする職務についてもらおうと思っていたのであります」
「だが、ちょっと待ってください。それでは先ほどストライフ一等兵が述べた伍長の印象と矛盾しますね」
 ずっと黙ってなりゆきを見守っていたトースキー隊長が、ふいに発言した。隊長は、部屋に入ってきたときのぼんやりした羊のような印象とはまるで違って見えた……鋭く、射抜くような目で、彼はクイン曹長を見つめ、立ち上がって、ホワイトボードに自身の端末を立てかけた。画面にはスアレス伍長の証明写真が表示されており、トースキー隊長はその写真と曹長とを交互に見つめた。制服姿で無表情の伍長は、なんとなく蔭のある、すねたような目つきをした、面長の男だった。こういう傷ついた少年のような目をした人間に、つい庇護欲を駆り立てられるタイプは少なくない。
「ストライフ一等兵は、このスアレス伍長にあまりいい印象を持っていないようだった……そうだったね、ストライフ一等兵」
 トースキー隊長の視線を受けて、ストライフ一等兵はうろたえたような顔になった。クイン曹長は仰天して、ストライフ一等兵をふり返った。
「そうなのか、ストライフ? ……まさか、なにか云われたりしたのか?」
 ストライフ一等兵はかなり難しい立場に立たされた。彼は交互に曹長とトースキー隊長を見、いや、べつに、と云いよどんだ。
「頼む、云ってくれ、ストライフ。大事なことなんだ」
 曹長は真剣な顔で云った。
「こんなこと云いたかないんだが、特にきみのような子の場合、どんなに気をつけていてもなにもかも防げるというわけじゃない。わしの認識が完全に間違っていて、子どもたちをとんでもない危険に陥れているとしたら……」
「そういうんじゃないと思います、曹長」
 曹長がなにを懸念しているかわかって、クラウドはあわてて云った。
「そういうことじゃないんです……ただ、ちょっと、自分とは合わないってだけで」
 クラウドは先ほどの自分の発言を後悔しているというように、頭をかいた。
「別になにかされたとか、なにか云われたってわけじゃないんです。ただ、その、おれもあの人が苦手だし、向こうもおれのこと好きじゃないっていうか。そういうとき、どうしてもひとこと云っちゃったり、態度に出たりするっていう、そのあれなんです、うまく云えないけど。ほかのやつらに聞いたら、いい人って云うかもしれないです。ほかの人がどう思ってるかは、おれ知らないし」
「聞いてみるべきですね」
 トースキー隊長が云った。
「結果がどうであるにしても、いずれにしても重要なことだという気がしますからね……伍長について調査するよう本部に伝えてきてくれるかい、ベルゲ中尉」
 中尉ははいと返事をして、立ちあがった。
「まだ退勤していないようであれば、来てもらったほうがいいな。クイン曹長には、もう少しうちへ居残ってもらいましょう。どうしても伍長と一緒に話を聞かないと」
 ベルゲ中尉は出ていき、数分後に、困惑した顔で戻ってきた。
「スアレス伍長の姿が見当たらないそうです。退勤した記録はないんですが」
 クイン曹長が思わず椅子から立ち上がった。
「いま衛所じゅう探しているんですが、どこにも姿が見えないのだそうで」

「伍長が最後に目撃されたのが午後七時半過ぎ、同僚が、伍長が自分のデスクから立ち上がって出ていくところを見ています。特に変わった様子はなく、帰宅するようにも見えず、同僚は気にもとめなかったそうです。それからしばらくして、その同僚は仕事を終えて帰宅することにし、伍長が帰ってきていないことに気がついたそうですが、誰かに会って話が長引いているか、煙草でも吸っているんだろうと思って、そのまま退勤しています。ミッドガル市はいま治安維持部隊が封鎖してますが、伍長らしき人物は目撃されていないようです。どこかに潜伏しているか、スラムにでも潜ってしまったか。現在午後十一時近いですから、時間はたっぷりあったわけで、捜索は困難になりそうです」
 執務室の面々は、相変わらずホワイトボードを前に床に座って、頭をつきあわせていた。クイン曹長は責任者として衛所へ行かねばならないと主張し、許可されて部屋をあとにしていた。
「まあ、やることをやって行方をくらましたというのが穏当な解釈になると思うんですが」
 トースキー隊長があごをさすりながら、やはりどこか眠たげに見える顔で云った。
「いずれにしても、行方をくらますというのはまずい。犯行に加担していると云っているようなものですからね。捜査を混乱させるために拉致されたとか殺されて埋められたとかいうんでなければ。この場合、犯行に加担していたとなると、伍長は同胞団の人間かあるいは同胞団に雇われた人間で、今回の計画のためにスパイめいたことをしていたということになってしまいますが」
「でもそこがつながりゃ、ものすごく簡単な話だよな。伍長なら、警備兵の順回路もわかるし、未成年の連中の担当表をいじって、任意の人間を警備担当につけることもできた。第十七連隊にスパイをもぐりこませるのが簡単かどうかって問題はひとまず措くとしてもさ」
「実に簡単だったかもしれないと思いますよ、副司令官」
 トースキー隊長が云った。
「マルキン中佐率いる第十七連隊のあだ名は? 少年院ですね。少年院に入るにはどうすれば? 処罰されるような悪いことをすればいいんです。この場合、伍長の人物像は実におあつらえ向きにできていると思うんですよ。貧困層出身の元不良で、家庭にも人間関係にも恵まれなかった不幸な男。実際、クイン曹長なんか、すっかり同情的になっていましたね。おそらくマルキン中佐もそうでしょう」
 ザックスはうなった。
「あるいは、マルキン中佐は意図的にそのような行動をしている可能性もある」
 セフィロスはちょっと意地悪く云った。
「可能性だけだが、見過ごすわけにはいかない可能性だ……そうなると、第十七連隊がなにやらおそるべき伏魔殿の様相を呈してくることになるな。困った人を見捨てられない善良な人間という評判は、いい隠れ蓑になることもある」
 ザックスはさらにうなった。セフィロスはそれを見て微笑み、それ以上友人をいたぶるような真似はしなかった。
「伍長ひとりが同胞団の手先なのか、あるいは第十七連隊全体がスパイの巣窟になっているのかは、ちょっと大きすぎる問題ですからひとまず措くとして、いまはとりあえず行方をくらました伍長という事実に基づいて考えてみましょう。ところで、その前に、さっきはクイン曹長の前であんな立場に追いこんで悪かったね、ストライフ一等兵」
 トースキー隊長が突然クラウドに向き直って云った。
「だがきみの印象はとても重要だという気がしたもんだからね。クイン曹長の話しぶりでは、伍長は単に同情せずにいられない不幸な人間になってしまうが、きみが伍長に同情する理由はないから」
「……なんか、おれ余計なこと云った気がするんですけど」
 クラウドは膝を丸めて、ちょっと落ちこんでいた。
「いいや、その逆だと思うよ、ストライフ一等兵」
 トースキー隊長は思いがけず真剣な調子で云った。ぼうっとした顔が引っこみ、ふたたび目つきが鋭くなる。
「今回の事件では、ある特定の人や出来事に対してきみが受けた印象はとてつもなく重要だとわたしは思うんだ。きみが考えている以上に。というのも、わたしの考えでは、きみはおそらく今回の事件の鍵なんだ。この事件は、明らかに総司令官閣下を動揺させるために仕組まれたもので、そのためにはきみに危害を加えることがもっとも有効だ。そしてきみに危害を加えるためには、きみがいつどこでなにをしているか把握する必要があり、きみの身のまわりに、そうしたことを調査し、きみに接触する人員を配置することが必要になってくる。わたしの経験から云わせてもらうと、そうした人物、つまりきみの行動を調査し監視するスパイは、職業的に相当程度訓練された人間ならともかく、たいていその活動を支える強烈な動機を持っている必要があり、それは往々にして、きみ個人への感情につながっていることが多い。きみ個人か、あるいはきみが象徴するなにものかへの、意識的か、あるいは無意識的な感情だ」
 クラウドは顔をしかめて考えこんでしまった。一同は、この少年の金髪頭の中に、いまの言葉が染みこむまで待った。
「でも実際には、そうした感情を少しも相手に気づかれず、態度にもまったく出さないというのは、かなり難しいことなんだ。現にきみは伍長にあまりいい印象をもっておらず、それが伍長の性格というより、自分への個人的なものに基づいていることに気がついていたね。そういうことだよ。そういうところから、ほころびが出てきて、ほぐれてくることが多いんだ、わたしの経験ではね」
 クラウドは難しい顔で一同を見上げた。一同はいまクラウドをとりかこんで輪になっており、クラウドを見つめていた。クラウドはなんだか不思議な感じがした。彼はこれまで一度も輪の中に入ったことのない少年であり、このような景色にはなじみがなかった。それは小さな輪だった。決して大きくはなかった。しかしそこにいても決しておかしくはないような、自分がそこからはみ出していってしまうとは感じないような輪であった。クラウドは最後にセフィロスを見た。セフィロスは微笑み、クラウドにちょっとうなずいた。それでクラウドは、なんだかこれでいいんだという気がした。
「そこで、まずはストライフ一等兵の周辺を整理していこうと思うんですが」
 トースキー隊長が、セフィロスとクラウドを気遣うように交互に見つめて云った。
「わたしはそもそも、総司令官閣下をめぐってストライフ一等兵の身に起きた事件とやらをあまりよく知らないのです。うわさはいろいろ聞いてますが、そんなもの当てになりません。正確には、ふたりにいつどういうことが起きたのか、差しつかえない程度に話していただけませんか」
 クラウドはセフィロスを見上げ、セフィロスはクラウドを見下ろした。クラウドは赤くなって、おそろしくきまり悪げに視線をそらし、ますます丸くなってしまった。セフィロスはため息をついた。
「この子に最初に会ったのが一年半くらい前のことで」
 セフィロスは隠れるように丸まってしまったクラウドを見下ろした。
「おれはミッドガルを離れて休養の真っ最中。静けき森の中に引きこもって暮らしていたら、ある日わが副官殿が彼を連れてきた。いろいろあって、結局おれはミッドガルの自宅へ戻ることになり、この子も保育園の寮を出てそこへ住むことになった。彼は入寮したその日に、自分をからかった上級生を殴りつけてえらい目にあわせ、そいつがたまたま寮のボス的な存在だったために、以来総スカンをくらっていたから、まあ半分はその救済措置でもあった」
 ベルゲ中尉は顔を上げ、トースキー隊長は興味深いといった目で、この顔に似合わずけんかっ早い少年を眺めた。クラウドはますます顔を赤らめた。
「問題が起きたのは今年の三月のことで、ストライフ一等兵の同期生が、たまたまストライフが伍番街の一等地に建つマンションに入っていくところを目撃した。不審に思ったその同期生は、もともとストライフ一等兵に反感を持っていたので、すぐにとりわけストライフ一等兵を嫌っている連中にそのことを話し、とうとうおれと一緒にいる現場を押さえてしまった。さあ大変。一大スキャンダルが巻き起こり、ストライフ一等兵を半殺しにする計画から木っ端みじんにする計画まで、ありとあらゆる計画が立てられ、一部は実行された。あきれたことに、おれがそれを知ったのは五月に入ってから。この子はひと月以上も、自分が日々半殺しの目に遭っているのを黙っていた」
 セフィロスの声は冷たく、怒りに満ちていた。クラウドはいまいましいという顔になり、ボトルに残っていた炭酸水をがぶ飲みした。ベルゲ中尉が絶句してストライフ一等兵を見る。
「その胸くそ悪い話、ほんとうだったんだ」
 中尉は茫然としたようにつぶやいた。
「さすがに誇張だと思ってた……ごめん、ストライフ一等兵」
 ストライフ一等兵はベルゲ中尉をにらみつけた。「ほらほら」とザックスが止めに入る。
「やめれやめれ。中尉にけんか売ってどうすんの。ごめんね、中尉。こいつおれと一緒で田舎者だからがさつでさ、人に謝られたり親切にされたりすんの、慣れてないの」
 クラウドは鼻を鳴らして、また丸くなった。
「おれはなにか手を打つべきだと云い、自分があちこちに殴りこみをかければみんなおとなしくなるだろうと云ったが、この子はそんなことになるくらいなら死んでやると云って、頑として首を縦に振ろうとしないし、しょうことなしに、おれは毎日保育園までこの子を迎えにいってやることにした。この子を痛めつけている連中は、帰り道に襲ってくることが多いらしかったので。それだって彼はずいぶん嫌がったが、おれにもプライドというものがある。幸いおれの意図は向こうに正しく伝わったらしく、以降、あからさまに暴力をふるってくるやつはいなくなった……と一等兵は云っているが、おれはあやしいと思っている。その後もあざだの切り傷だのが絶えたことはなかったような気がするからな。卒業直前には制服をなくしているし。だが本人が証言を拒否しているので正確なところはわからない」
 やなやつ、とクラウドがつぶやいた。
「ここでその話持ち出すことないだろ」
 だがセフィロスは聞こえなかったふりをしてすましかえっていた。クラウドはますますいまいましいという顔になり、呪いの言葉をいくつかつぶやいた。
「なるほど。話してくださってありがとうございます、総司令官閣下」
 トースキー隊長が苦笑しながら云った。
「聞くことができてよかった。やっぱりうわさとはずいぶん違う。では、今年の三月以前に、閣下とストライフ一等兵の関係を知っていた、あるいは知っている可能性のあった人物はいますか」
「まずはフェア副司令官、それにうちの不動産管理者兼ハウスキーパーのグロリア未亡人。彼女を調査対象にするのは問題外です。調べはじめるが早いか、名誉棄損とプライバシー侵害で逆に訴えられるのがおちだ。『近ごろの殿方』と『慎み深さの衰退』あたりについて三時間も講義を受けるはめになるかもしれないし」
「そいつはぜひとも勘弁してもらわなきゃなりませんね」
 トースキー隊長は両手を挙げて云った。
「真面目な話ね」
 フェア副司令官が真面目な声を出す。
「おれもそれ、ずっと考えてた。おれがクラ坊のことセフィロスに引き合わせたわけだし、そもそもおれがつけられてたんだったらシャレになんねえし。でも、たぶんそれはない。今年の三月に、こいつのバカな同期がこいつのことつけまわして余計なことしやがるまで、おれもボスも気をつけてた。クラ坊だって気をつけてたはずなんだ。三月以降はタークスまで出てきやがって、もう知ってるも知らないもなくなっちゃったけど、どう考えても三月以前にクラ坊とボスのこと知ってるやつがいたとは思えないんだ。タークスだって初耳だったっつうくらいだから」
「タークスが知らないなら、誰も知らないでしょうね」
 トースキー隊長がうなずく。
「とすると、この計画が練られたのはどう考えても三月よりあとということになる。ストライフ一等兵が治安維持部隊に入隊することになった経緯についてはどうです? その話はいつごろ出てきて、事前に知ることができたのは誰か」
「時系列に沿って云えば、ストライフ一等兵は今年の八月に十六歳の誕生日を迎え、幼年学校を卒業することになっていた。卒業後の進路については、ソルジャー試験を受けることを希望し、書類を提出したのが確か六月の半ばごろだったと思うが、おまえそれ以前に、おれとザックス以外の誰かに話したか?」
「話してない」
 クラウドは首を振った。
「適性試験があったのが、満十六歳の誕生日直後の八月十五日だった。不合格の通知が来たのが五日後の八月二十日。九月の頭には所属先を決めなければならなかったから、あまり時間がなかった」
「その先はおれが話すわ。不合格って聞いて、すぐ頭に浮かんだのが、次どうするかってことだった。クラウドは落ちこんでてそれどころじゃねえし、でも次の希望先出さないと、ひでえとこに適当に飛ばされちゃうかもしんない。それは避けたかったから、おれどっか信頼できる預け先ないかなって考えて、思い浮かんだのがマルキン中佐だった。マルキン中佐が、ほかの部隊でどうしようもないって云われた問題児を引きとって面倒見てるのは有名な話だし、中佐を支えてる下士官なんかも信用できそうだった。で、飲み会ついでにちらっとクラウドのこと話題にしたら、中佐が、よかったらうちで引きとるって云ってくれたんだ……確か、八月二十四日の夜」
「そこ、詳しく聞かせてくれませんか」
 トースキー隊長が身を乗り出してくる。
「正確には、どういうやりとりだったんです? 副司令官のほうから話を持ちだしたんですか」
「直接引きとりの交渉をしたってわけじゃない。すごく正確に云うと、おれが今年のソルジャー試験も適性検査あらかた終わって、合否が出たけど、これからまだ何人か実技試験が残ってんだよねって云ったの。そしたらマルキン中佐が、そういえば、きみの友人のストライフ一等兵は、適性検査で不合格だったらしいね、彼どうするんだい、どこに行くにしても、かなり厳しいことになるだろうな、って云ったわけ。で、おれが、そうそ、だからおれいま悩んでんの、本人はソルジャーになる以外になんの目標も持ってなかったし、いま急に不合格だからほかを当たれなんて云われたって、考えつくわけねえじゃん、希望先の提出期限も迫ってるってのに、って云って、中佐が、うん、そうだろうな、わかるよ、ってすごく言外にいろんなものをにじませながら云って、とても意味ありげな目でおれを見るから、おれも同じくらいいろんなものにじませて、そっか、わかってくれるんだ、って云って、すごく意味ありげな目で中佐のこと見たわけ。
 そのままちょっと時が過ぎたんだけど、おれが、ねえ中佐、おれの云いたいこと、中佐わかる? って云って、中佐が、きっとわかると思うよ、きみとは長いつきあいだから、もしぼくがいま考えていることが当たっているとしたら、すごく名誉に思う、って云ってくれて、おれ、そっかあって云って、実は、ストライフの預かり先探してるの、あいつ頑固で、めんどくせえやつで、すごく迷惑かかるかもしれないし、すごく面倒なことになるかもしんないけど、マルキン中佐んとこに預けられるんだったらおれ、すげえ安心なんだ、って云ったわけ。で、中佐が、わかった、うちで引き受ける、彼のことは絶対に守るから、って云ってくれて、おれ感動しちゃって、中佐も感動しちゃって、あとは泣きながら酒飲んだ」
 この話でみんななんとなく照れてしまい、その場はちょっといたたまれない雰囲気に包まれた。ストライフなどは、耳まで赤くなって、膝に顔をうずめてしまった。
「なるほど」
 トースキー隊長が咳ばらいをして云った。
「よくわかりました。ということは……どちらかというと、マルキン中佐からというより、あなたから話の水を向けたようですね、フェア副司令官」
「そうなの」
 ザックスが困ったような顔で云った。
「おれ責任感じちゃってる。で、あとはマルキン中佐が直接幼年学校の担当官に話つけてくれて、ストライフ一等兵に対して治安維持部隊第十七連隊入隊の辞令が出たのが、ギリ九月の一日ってわけ。あと、トースキー隊長、おれのことザックスって呼んで。フェア副司令官って云われると、なんかこう、落ちつかないの、おれ。なんかやらかしちゃって呼び出し食らうときみたいで」
「わかったよ、ザックス。ちなみにわたしはトムだよ。呼びたいかどうかはきみしだいだがね。うちの部署じゃ、トム! って云うと、まあ五、六人はふりかえるし、よそでも似たようなものだろうし。それで、しつこくて申し訳ないんだけれどもね、そのソルジャー試験については、適性検査の合否を事前に知る方法があるものだろうか?」
「ない」
 総司令官閣下がきっぱりと云った。
「あの適性検査は事前の予測が不可能な性質のものだし、検査をするのがあの悪名高い秘密主義の科学部門のなかでももっとも秘密主義で悪名高い宝条の一派とあっては、誰にも、どうあっても結果の予測はできないし、結果を操作することも、途中経過を知ることもできない。プレジデントが一番恐れているのが、ソルジャーの製造方法が流出することだと云えば、その機密の度合いがわかるでしょう。ソルジャー部隊には関わるなというのは、なにもわれわれがつっけんどんでお高くとまった人種だからではなく、その背後にわれわれ自身も知らない秘密をうじゃうじゃ抱えているからです」
 セフィロスは吐き捨てるような口調で云った。
「思うに、ストライフ一等兵の配属先を事前に察知して今回の計画を立てるのは不可能だ。配属先が決まったからといって、この子がおとなしく治安維持部隊に行くとはかぎらなかった。軍をやめる可能性もあった。ソルジャー部隊で引きとる可能性だってあったろう。おれの醜聞を極度におそれる誰かや誰かあたりが気を回して、雑用係にでもしておけば丸く収まるなどと考えて」
「うわー顔が浮かんじゃう」
 ザックスが両手で顔を覆った。
「でもおれ許可しないよ、絶対」
「それはわかっている。おれが云いたいのは、わが副官殿がそういう男だということは、一般にはあまり理解されていないという意味だ。面倒見はいいが、甘やかすことは絶対にしない男だということは。このふたつは往々にして混同されてしまいがちだから」
 テロ対策部のふたりは、このソルジャーのやりとりをにやにやしながら見守っていた。ソルジャーたちはそれに気がついて、ちょっときまり悪げに肩をすくめた。
「わかりました。つまり、今回の事件の計画は、どう早く見積もっても八月二十四日の夜以降でなければ立てようがなかったということですね……」
 トースキー隊長は考えこんだ。
「だがそもそも、もしおれがテロ組織を指揮するとしたら、ストライフ一等兵云々を抜きにしても、第十七連隊第三大隊にスパイをひとりは送りこむと思う」
 セフィロスが考えこむような顔で云った。
「たとえば、今回の事件が、本来はプレジデントに本気で危害を加えるつもりで計画されていたものだったとしたら? 大いなる星の霊に導かれ、武装した反神羅組織、十字星同胞団の再始動を告げる事件としては、これ以上に効果的なものはない。クリスマスの市立歌劇場といえば、時期も舞台も完璧だし、アリアの真っ最中にプレジデント神羅が狙撃され胸から血を吹き出して倒れたとなったら……こんな回りくどいやり方でおれを心理的に追いつめるよりも、そのほうがはるかに印象的で、劇としての美しさがある」
 セフィロスは一同の頭にこのイメージが鮮明に浮かび、十分に浸透するまで待った。
「それに、プレジデントに危害を加えるにはどうするかということを考えた場合、彼が毎年同じ日に必ず訪れる場所を狙ったほうが、難易度は高いが効率がいい。何年もかけて研究すれば、警備の隙を突くことも可能になるだろう。おれにはどうも、同胞団はこの何年か、あるいはもっと以前からかもしれないが、そうした準備を進めていたのではないかと思えてならない。その場合、スパイをもぐりこませていた先におれと関係のある人間が転がりこんでくるとは、濡れ手に粟とはこのことだ」
「……ほんとだな。気づかなかったおれがバカだった。ごめん、ボス」
 ザックスが顔をしかめて云った。
「やめてくれ。そこまで事前に頭を回せたら、そのほうがおかしい」
「どうやら、当座の方向性が見えてきた気がしますね」
 トースキー隊長がふたたびあごに手を当て、考えこんで云った。
「総司令官閣下のおっしゃることはもっともです。そう考えたほうが、今回の事件から受ける印象にも合う。事件の第一報を聞いてわたしはこう思ったんです。どうも変だ、確かに多少劇的な効果はあったかもしれないが、そのためにかけただろう手間や、あの犯行声明の大仰さとは裏腹に、事件そのものはなんだが中途半端で、みみっちい感じさえする。わざと失敗しにかかったようじゃないか? それから、アントン・ベイリー一等兵とストライフ一等兵との勤務交代の件などが明らかになってきて、はじめてこの事件が示唆しているものに気がついてぞっとしました。この事件の性質は明らかに、特定の、事情をある程度知っている人間にだけ伝わるものであり、それを意図して実行されたものであり、もっと云えば、総司令官閣下個人に向けられた事件です……そこで、誰が、いつから、総司令官閣下とストライフ一等兵の関係を知ることができたか、ストライフ一等兵の幼年学校卒業後の配属先をいち早く知ることができたのは誰か、そうしたことが重要になってくるかもしれないと考えたのです。そしていま話を聞いて、また壁につき当たった。ストライフ一等兵の所属先が決まったのが八月の末では、そこからこれだけの計画を立てて実行するのはかなり難しい。そうすると、総司令官閣下がおっしゃったように、同胞団には事前にプレジデントを襲撃する計画があり、準備を進めていたが、その途中でストライフ一等兵という思わぬ材料が手に入ったために、計画を変更した……このように考えれば、仮説としてはまずまずと云えるかと思います」
 隊長が話している途中から、ベルゲ中尉が感激したような顔で彼を見ていた。隊長はのっそりした羊のような顔から、またも引き締まった鋭い顔へと変貌を遂げており、そうすると彼は親戚のトムおじさんといったところから、急に頼りがいのある有能な男に見えてくるのだった。
「そう仮定して、ちょっと整理してみよう」
 セフィロスはホワイトボードのところへ歩いて行って、ボードを裏返し、真っ白な面をあらわにした。
「同胞団の当初の計画は、プレジデントを襲撃することだった。同胞団は、毎年十二月二十五日にプレジデントが市立歌劇場でチャリティコンサートに出席しているという点に着目し、警備担当者や兵士たちの巡回経路などを探るため、第十七連隊第三大隊にスパイを潜りこませて準備を進めていた。そこへ今年の九月になって、ストライフ一等兵の第十七連隊入隊が決まり、同胞団はおれを動揺させるための思わぬ材料を手にした。そこで、急遽計画がこのように変更されたと考えてみるのはどうだろう。
 まずスアレス伍長が、クラウド・ストライフ一等兵を十二月二十五日のB二ブロック勤務につけておく。おれの威光のおかげであの子は腫れもの扱いだから、責任者のクイン曹長にさえ隠し通せれば、いつどこに配置されていようとあえて異を唱える隊員が出てくる可能性は低い。さいわい曹長はデジタルに疎く、部下を非常に信頼しているので……そんなもの云いたげな目でおれを見つめるのはやめてくれないか、フェア副司令官……さほど問題はなかったろう。
 クリスマス当日、ストライフは予定通り警備につき、規定通りの巡回ルートを回る。午後五時か六時かそれくらいの時間に、彼が公園裏通りを巡回しているところを襲撃し、公園のトイレに運びこみ、ヤンソン少年に彼の制服一式を着せて、勤務終了時間までの替え玉にする。捕らえられたストライフ一等兵は、おそらくそのまま拉致するのが一番効果的だろう。そして午後八時過ぎ、遅刻常習犯の交代要員が劇場前にやってくるが、ストライフはいっこうにあらわれず、あたりを探しても見当たらない。ここではじめて、どうやらストライフ一等兵の身になにかあったかもしれない可能性が浮上し、捜索が開始される。同胞団は、このタイミングでストライフ一等兵を捕らえている旨のビデオメッセージかなにかを本社に送りつけ、おれの心臓が止まりそうになるという筋書きだ」
 セフィロスはおそろしく美しい字で日付と出来事をボードに書きこんでいった。
「これをプランAとすると、十二月十三日、いまいましいことに、ストライフ一等兵が勤務変更を願い出た。彼の行動は終始監視されていたろうから、クイン曹長のかわりにスアレス伍長が対応することは可能だったろう。伍長はただちに同胞団にこれを報告し、同胞団はふたたび作戦を練り、プランBを考えつく。といっても、変更点はほとんどない。ストライフ一等兵のかわりに勤務するベイリー一等兵を、拉致する代わりに公衆トイレの個室に閉じこめ、『故障中』の札でもぶら下げておけば、毛布に巻かれてうめいているベイリー一等兵が発見される可能性をかなり下げることができる」
「そのプランBの場合、ストライフの拉致はできないわけだから、問題はなにかことを起こさなきゃインパクトないし同胞団の意図も伝わらないってことだよな。それで演出上、当初目的にしていたプレジデントを殺す線に戻して、替え玉役がわざと殺されるように仕向けたわけね。いいね。考えたね」
 ザックスが明るい顔で云う。
「ただし、この場合、替え玉をつとめる人間は単にクラウドに似ているだけではなくて、死をも辞さないというかなり特殊な心理状態をしていなければならない。教団に絶対服従を誓っており、教団のために死ねば魂が救われると心から信じているとか、あるいは希死願望のある情緒不安定な少年か」
「なんかその言葉、こないだまでのクラ坊思い出しちゃってやだな、おれ」
 ザックスは顔をしかめた。
「おれもそう思う。そこまで示唆しているのだとしたら、少々悪趣味が過ぎるな。だがともかく、このように考えれば全体の筋は通っていると思う。とはいえ、疑問はたくさんある。たとえば、伍長がスパイだとして、第十七連隊に異動してきたとき、わざわざ未成年兵士に関わる仕事を希望したのはなぜか。彼が異動してきた〇〇年といえば、ストライフ一等兵が幼年学校に入学した年だ。将来こんなことになるとはわかるわけがないから、なにか別の理由があったに違いない。プレジデント襲撃のために巡回ルートや警備兵の配置情報を得たいというなら、もっといい方法がほかにいくらもあったような気がする」
「やはり同胞団への協力者は伍長ひとりではないと考えたほうが自然ですね」
 トースキー隊長が真剣な顔で云う。
「どうやらマルキン中佐を正式に問いつめねばならなくなってきたかもしれない」
 トースキー隊長は申し訳なさそうにザックスを見、ザックスは「ああー」と云って天を仰いだ。
 ベルゲ中尉の電話が鳴った。
「はい、……はい、はい、わかりました……隊長、副隊長が、よければ本部に戻ってきてほしいと云ってます。それから、スアレス伍長の情報がいろいろと入ってきているようなので、ぼくも一旦本部へ戻りたいのですが」
 みんななんとなしに時計を見た。すでに日付が変わろうとしていた。
「そうだね、中尉。わたしは戻って、この仮説をどう思うかみんなに訊いてみるとしよう。聞きたいことはだいたい聞けたし、今日はこれまでとしますか?」
 隊長と中尉は執務室を出ていき、セフィロスはクラウドに風呂に入るように指示した。
「バスルームに備品がいろいろとある。仮眠室はどうなっている? ……ああ、実に清潔に保たれている。シャワーを浴びて、ここで寝ているといい。おれはもうひとつ用事を済ませてくる」
「用事って?」
 クラウドが首を傾けてセフィロスを見上げた。セフィロスはいたずらっぽく肩をすくめた。
「プレジデントのたぬきじじいに、誰かしら今日の経過を報告する人間が必要だろうからな。あんなに存在感を発揮しているのに、こういうときに誰も報告を思いつかないとは、なんだかおかしなことだという気がしないか?」

第六章

 本社を歩くのは二年ぶりだった……もちろん、大きく変わっているところはないが、なんとはなしに懐かしいような、またここにいるのが悔しいような、不思議な気分だった。警備についている兵士たちが、セフィロスを見てぎょっとした顔をする。話しかけるような勇気のある者はいなかった。フィリポットのような厚かましいのは例外なのだ。
 神羅ビル七十階の社長室は、だだっ広く妙に威圧的で、あまり好きになれない。六十九階から階段を上っていくと、一番最初に目にするのは私設秘書のミス・ボディミードがデスクに陣どって仕事をしている姿だが、もうとっくの昔に帰ってしまっている。あるいはミス・ボディミードは、今日は休暇をとってカームにいる妹のところへ行っているだろうか。そしてプレジデントはまた年が明けるまで、使えない二番手の秘書相手にいらいらしなければならないだろうか。
 セフィロスは明かりの落ちた部屋を進み、奥にある扉へ向かった。この先はプレジデントの家みたいなもので、就寝中は電子ロックがかかるようになっているが、まだロックはかかっていなかった。セフィロスは一応ノックをしてから、中へ入っていった。書斎のような部屋に小さな明かりがともって、セフィロスを出迎えた。ソファとテーブルと本棚、酒の乗った棚がある。プレジデントの姿はない。たぶん奥の寝室なのだろう。セフィロスはまたずかずか部屋を横切って、奥の扉をノックした。耐えがたきドアの連続、という言葉が、ふと浮かんできた。
「……きみか」
 プレジデントは大きなベッドのヘッドボードにもたれかかって、葉巻をふかしていた。パジャマ姿で、眼鏡をかけて報告書かなにかを手にしている。
「来てくれると思ったよ」
 彼はかけていた眼鏡を外した……サイドボードのランプがともっているきりの、暗がりの広がる中で、プレジデントの顔は奇妙に老けこんで見えた。
「誰もあなたに状況を報告しようなどとは思いつかないだろうと思って」
 寝室は狭く、ベッドとサイドボードのほかには、ランプの乗った小さなテーブルと、布張りの椅子とオットマンが置いてあるきりだった。ベッドの正面の壁には、二世紀前の画家による、荒れ狂う海を描いた暗い絵がかかっている。セフィロスは華奢な脚を持つ椅子に腰を下ろした。クッションがゆっくりと沈んだ。プレジデントは眼鏡をサイドボードに置き、両手で目を覆った。
「明かりをつけてくれないかね……」
「おれは暗いほうがいい」
 セフィロスは云い、オットマンを動かして脚を乗せ、靴を脱ぎだした。
「好きにしたまえ……」
 プレジデントは葉巻をもみ消し、ベッドに横になった。
「まずはクリスマスの挨拶を申し上げますよ。それから贈り物をしようと思うんですが」
 セフィロスは両足から靴を取りさり、縮こまっていた足を満足げに伸ばした。
「わしはなにも用意していないよ……」
 プレジデントは半分目を閉じていた。
「いりませんよ。代わりといってはなんだが、社員や関連企業からのあなたへのプレゼントの山をかき分けていいですか。総務部の倉庫に毎年山をなしている、明日には孤児院と貧窮院行きになるあの箱、箱、箱……」
 セフィロスはうんざりしたように両手を挙げた。
「ああ、いいとも。どうせわしは見もしない。だがなぜだね」
「あの子をなぐさめてやろうと思って」
 セフィロスは足の指を揉みはじめた。プレジデントはちょっと目を開けた。それからまた半分閉じた。
「ああ……きみのところの少年か……チョコレートやらクッキーやら、どっさり持っていってやるがいいさ。彼はショックを受けているかね。そうだろうな。かなりショッキングな暗示というやつだ。わしなど、はなから狙いではなかった。それはすぐにわかったよ」
「おそらくは。でもどうやらまだしばらくはなぐさめてやる暇がないので、ものでごまかすことにします」
「それにしても、十字星同胞団ね……きみにとっては因縁の組織なのか? きみはあの十年前の任務で、そんなに恨まれることをしたのかね?」
 プレジデントはどこか眠たげな声で云った。
「どうだろう、ジャマル・ハーストンがおれを到底好きになれないだろうことはあきらかだが、個人的怨嗟というような感情を抱かれるほどのことをしたかどうか……もっとも、農場を破壊せしめたのがおれだと思われているなら、もしかすると恨まれる要因に該当するのかもしれないが、おれはその前に農場をあとにしているのだし」
「それがきみの弱点だ。昔から云っているじゃないかね……」
 プレジデントは微笑んだ。
「きみは相変わらず、自分が人にどんな印象を与え、どう思われるのかなどちっとも気にしていないんだな。そればかり気にしてびくびくと一生涯を終える人間も多いことを考えると不思議でならんよ。いい加減、自分の存在が与える強烈さをちょっとは自覚したまえ。自分がどんな人間の、どんな感情を刺激してしまうのかということをだね……そのハーストンという男は、えらく醜男じゃなかったかね? あるいは人生に対して、ひどくねじけた見方をする男なのでは? それか、猛烈な劣等感を抱いているか」
 セフィロスはしばらく考え、ふいに微笑んだ。
「なにを考えたんだね……」
 プレジデントはほとんど寝言のように云った。
「ウータイの聖者が説いたことを思い出して。その聖者の説によると、人生には八つの大きな苦があり、そのうちのひとつが、どこに行っても誰かしら憎むべきやつに出会ってしまうこと(※8。おれもまたその真理のただなかに、人間の渦のただなかにいるのだろうかと思って。なんだか夢のようだ……」
 セフィロスは椅子の背もたれに頭をもたせて、目を閉じた。
「きみは人間として、きわめて特異で、きわめて健全な発達を遂げている。安心したまえ」
 プレジデントは云い、今度こそほんとうに目を閉じた。
「さあ、もう夜も遅くなった……わしにクリスマスの贈り物をくれないかね。眠くなってきた。どら息子は今年もわしにクリスマスの挨拶をしなかったな。毎年律儀にしてくれるのはきみだけか」
 プレジデントはサイドボードの時計を眺めた。日付はとうに変わっていた。
「おれの贈り物はものじゃない。職務に復帰します」
 セフィロスは自分の足先を見つめて云った。プレジデントが目を開けた。しばし沈黙が流れた。
「そうか……そうか。そいつはでかいプレゼントだ。放蕩息子が帰還したか……クリスマスの復活劇といったところだな。もっとも、クリスマスは生誕を祝う日であって、復活を祝う日ではないがね」
「二年の時を経て」
 セフィロスは皮肉げに笑った。
「よければ理由を聞かせてくれないか。十字星同胞団に危機を感じたか? きみの少年を守るためか? それとも……」
「やり残したことがある気がするから」
 セフィロスはふたたび靴を履きはじめた。
「自分がこの先どうするか決めるために復帰する。おれは答えを見つける。自分が誰なのか、何者なのか、なんのために生まれたのか……すべての人類が探しもとめ、見つけたり、見つけなかったりした答えを、おれもまた」
 セフィロスは靴を履き終え、立ちあがった。そして出ていくために部屋を横切った。
「プレゼントに感謝するよ……」
 プレジデントはベッドの中で、もう眠りかけていた。
「ここ何年かで、最高のプレゼントだ。そうじゃないかね? きみはこれからも、わしのために働きながらわしに反抗しつづけるがいい。わしのやり方と、わしの目指す世界に。豊かで便利な世界に。きみが求め、目指す世界はわしが追放しようとしているものの中にある。きみの云う、人間の魂や愛や気高い精神といったものはな……きみはきっと答えを見つけるだろう。きみの時は、わしの時のあとに来る。そう云わなかったかね……いずれにしてもきみは若いんだよ……まだ……まだな……」
 プレジデントは口を閉じ、次いで目も閉じた。セフィロスは少しのあいだ彼を見つめ、ドアを開け、明かりを消して出ていった。

 セフィロスがプレゼントの山をかき分け、箱をいくつか選んで執務室へ戻ると、ザックスが電話に向かってうんざりしたような声を出していた。
「だーからー、おれに訊かれてもわかんねえんだって。直接ボスに訊いてよ。あと、その話、広めちゃだめよ?」
 ザックスはぐったりしていた。似たような電話を何件も受けたものと見える。どう考えても、フィリポットのやつめが、セフィロスが戻ってきたと吹聴したのに違いない。あれはそういう男だ。セフィロスは抱えていた紙袋を机の下へ押しこんでから、仮眠室をのぞいた。クラウドはまだバスルームにいるらしい。水の流れる音がかすかに聞こえる。
 仮眠室は、ベッドと壁一面を利用した本棚がある、狭い部屋だ。遮光カーテンのかかった小さな窓がひとつ。セフィロスは毎晩ここで眠っていた時期もあった。本を手にとって横になり、眠気が襲ってくるまで読みつづけ、そして眠りについた日々が。
 セフィロスはなんとはなしに、奥にある小さなウォークインクローゼットへ足を踏み入れた。ここにはセフィロスが例の服と呼んでいる例の戦闘服やら寝具やら替えのシャツやらがある。入っていくと、オレンジの小さな明かりが三つ、自動的にともった。なぜこのクローゼットの中に入ったとき、セフィロスは今日一番の懐かしさを感じたのだろう? クローゼット独特の匂いのためか、それとも昔、まだ十代半ばをやっと過ぎたばかりのころ、この狭いクローゼットに閉じこもってあれこれ考えた日々を思い出したせいか? 一度はこの部屋から、例の戦闘服から、脱皮したかと思ったのだが、結局また同じ皮を身につける羽目になったことに、憤りを感じると同時に安堵しているとでもいうのだろうか?
「おかいり」
 執務室に戻ると、電話から解放されたらしいザックスが手を上げて云った。
「おやっさん元気だった?」
「いやになるほど」
 セフィロスは答え、ホワイトボードの前に立って、眺めはじめた。ベルゲ中尉の几帳面な字で、事件の経緯がまとめられ、あちこちから送られてきた報告書や調査書が印刷されて貼られている。その横に関係者の顔写真が並んでいる。スアレス伍長のIDの写真……けわしくて暗い顔つき……入院中のベイリー一等兵のID写真……陽気な少年といった顔つき……そして死亡したニール・ヤンソン少年の写真……暗い目をした、覇気のない顔、ひとりだけ私服姿で、それがなんだか場ちがいな感じを与える。それに、いつの間に貼られたのか、二十歳くらいのハーストンの写真も並べられていた。プレジデント神羅は、彼が醜男ではなかったか、と云った。確かに、美男とは云いがたかった。セフィロスはそれで、少しのあいだ考えこんでしまった。彼は容姿というものにあまり重きを置いていなかった。だが、そうしたものになによりも神経質になる人間もいる。自分の容姿のせいで、自分は一人前に扱われていないと思う男など……女も……星の数ほどいるだろう。それがあらゆる不幸の原因であるとすら信じている人間もいる。自分はそれをどうでもいいと思えるほど恵まれた人間なのではないかということを、おれはいつか考えたことがあったか? そのような視点で世界を見たことがあったか? だいたい、なにかを気にしないですむということは、かなり大きな恵みであるのだ。恵みであり、同時に無関心と無理解を生む怠惰への入り口。ハーストンは確かにおれを嫌っている、それにはいくつかの理由が考えられる、だがプレジデントの示唆したことは…………
「もうクリスマス終わっちゃったね。さっきからさあ、ボス帰ってきてんのって電話がすごいの、あっちこっちから。フィリポットのやつが話ばらまいたんだよ、絶対。ものすごく自慢げにさ。あいつ、まじで処刑してやりたい」
 ザックスはこの間もあれこれしゃべり続けていたが、こう云って、デスクにどさりとうつぶせになった。セフィロスはなぐさめてやった。
「あーあ、なんか、とんだクリスマスになったわね」
 ザックスがため息をついた。
「まったくだ。おかげでおれはプレジデントに復帰を宣言するはめになってしまった」
「およっ」
 ザックスががばっと起きあがり、姿勢を正した。
「まじで? ……ボスそれまじで云ってんの?」
「ああ、まじだ。こうなってしまったのはどう考えてもなりゆきだが、考えてみたら、このまま引退するにはなにもかも中途半端だという気がする。この立場と身分でやることをやりきっていないというような気が……いったんは拒否してみたものの、拒否してみると、それを捨てて次に移れるほどのものもまだ育っていなければ、生まれてこの方身につけてきた『セフィロス』でないセフィロスがどういう男なのかも、わかったようでわからない……おれは結局いまもって、神羅よりほかの世界をほとんど知らない。神羅のなかで生まれたものは、神羅のなかで解消するよりほかはないんだろう」
「……そっかあ……」
 ザックスは考えこむような顔で云った。それからあの、底抜けに明るい笑みを浮かべた。
「ま、なんにせよ、あんたがなんか結論出してくれてうれしいよ、おれは。悩むのって疲れるじゃん? それに本音云うと、あのくせ者だらけのソルジャー部隊統率して引っぱってくなんて、やっぱおれにゃ無理。あ、でもあんたが帰ってくるんだったら、その前にフィリポットのやつ片づけとくべきだったかな、やっぱ……」
「おれは今度こそ機会を見つけてあいつを処刑する」
 セフィロスは決然として云った。
「母親が見てもわからないほどの無残な体にしてやろう」
「そんとき、忘れずにおれもまぜてね」
 ザックスが拳を差しだしてきた。セフィロスも差しだし、ふたりはこつんと拳を合わせた。
「おかえり、ボス」
 ふいに仮眠室に通じるドアが開いて、クラウドが下着姿のまま、枕と毛布をかかえてやってきた。
「どうした?」
 セフィロスは首を傾けた。
「仮眠室はあっちだ」
 セフィロスは指さしたが、クラウドはぶるぶる首を振って、給湯室へ入っていった。セフィロスはあわてて追いかけた。
「だって、あの部屋奥まってて狭いもん」
 クラウドはテーブルの下に枕を放り投げ、すねたようにそう云うと、体に毛布を巻きつけて横になった。セフィロスは愕然とした。
「……悪かった」
 セフィロスは膝をつき、クラウドの上にかがみこんだ。
「おまえの閉所恐怖症を、忘れていたわけじゃないんだが」
「……別にいいよ」
 クラウドは毛布の中からくぐもった声を出した。
「おやすみ」
「だがここはあまりいい寝場所とは……まあ、おまえは眠れるかもしれないが……」
「……おやすみ」
 クラウドはもぞもぞ動いて、セフィロスを拒絶するようにさらに丸まった。
 セフィロスはしばらく丸まって眠ってしまったクラウドを見ていた。ありがちな失態が、なぜだかひどくこたえた。自分が急にクラウドを遠ざけ、つき放してしまおうとしているのではないかという気がした。この子のことを、手ひどく裏切ってしまったのではないかという気が。

 ザックスはおやすみを云いながら出ていった。彼の部屋にも仮眠室がある……本人曰く、寝床を置くのが精一杯の、とてもセフィロスのものとは比べられないような部屋であるが、あるだけありがたいと云わねばなるまい。
 仮眠室へ運ぶために枕と毛布ごとクラウドを抱き上げると、クラウドはむずがるようにうなった。セフィロスはシー、と云ってあやしてやったが、眠りが浅かったのか、クラウドは目を覚ましてしまった。
「……もう朝?」
「まだだ。夜中の一時過ぎ」
 執務室のベッドは普段寝ているものよりずいぶん小さかったため、セフィロスはクラウドを抱きかかえるようにして横になった。
「……おれ、あの十字星のマーク、どっかで見たんだ」
 クラウドはセフィロスの胸に頭を乗せるようなかっこうで、半分寝ぼけながらもごもご云った。セフィロスは目を開けた。
「どっかで見たんだ……最近だよ……どっか、すごく変なとこで……でも忘れちゃった……」
 クラウドは子どものように云った。これは寝言だろうか? セフィロスは考えた。いいや、そうではない。たぶん、寝ぼけているからこそ云い出したのだ。彼は無意識になにかを思い出しかけているのだ。
「おまえは忘れたわけじゃない」
 頭をなでてやりながら、セフィロスは優しく云った。
「人はほんとうには忘れないんだ、一度見たものは……ただ思い出せないだけだ、いまは。でもきっと思い出せる。なにかきっかけがあれば」
「きっかけって?」
「おれがおまじないをしてやろう」
 クラウドの鼻筋をなでてやりながら、セフィロスは云った。
「おまえはきっと思い出せる。そう思って眠ればいいんだ。眠っているあいだに、おまえの記憶の中に住んでいる妖精が、記憶の迷宮の中から答えを探してきてくれる。ちゃんと仕事をするように、おれがよく云っておいてやろう。おやすみ、クラウド。今日食べ損ねたケーキを、明日食べよう」
 セフィロスはクラウドの額にキスした。ふうんとひとつため息をついて、クラウドは眠った。クラウドは眠ってしまうととても体温が高くなり、いつも湯たんぽでも抱いているように暖かかった。セフィロスはなおしばらく、クラウドの頭をなでながら暗がりの中で目を開けていた。だがやがて閉じて、静かに寝息を立てはじめた。

Ⅱ 事件翌日……十二月二十六日

第一章

 どんな時間に寝ても一定の時刻に目を覚ましてしまう性質が、幸福なのか不幸なのかセフィロスは知らないが、ともかく彼は朝の六時にはもう目を覚ましていた。クラウドはまだ寝息を立てており、セフィロスは起こさないように、じりじりと慎重にベッドから抜け出した。
 シャワーを浴び、いつも髪を洗うたびに考える、なぜおれは髪をこんなに長くしている必要があるのだろうという問いをこの日もまた考えながら、セフィロスはバスルームを出て、物憂げに執務室へ入っていった。デスクの後ろのガラス張りの壁から、淡い乳白色の光が部屋一面に差しこんでいた。大アルカナ夫人が、やわらかな日差しの中で深呼吸するように葉を伸ばしていた。セフィロスは夫人に朝の挨拶をし、ご機嫌をうかがい、葉や土の状態を調べて少し水をやった。大アルカナ夫人は、パキラに擬態したマンドラゴラに擬態している夫人だが、誰もそのことを知らない。みんなただの観葉植物だと思っているので、セフィロスが大アルカナ夫人などと呼んでうやうやしく接しているのを見て、苦笑を浮かべるのが常である。笑いたくば笑えばいいのだ。大アルカナ夫人が永遠の生命の秘法を知るあの高貴なる「知恵」そのものであると口外することは、固く禁じられているのだ。そんな夫人がなぜセフィロスの執務室にいるのかを云うことも、固く固く禁じられている。
 セフィロスは大アルカナ夫人の横に椅子を引いてきて座り、物憂く髪をくしけずった。朝セフィロスの髪に櫛を入れるのは、クラウドの休日の趣味のひとつだった。あんまり好きなので、休日にしかやらないと固く決めているくらいだ。クラウドの考えでは、セフィロスの髪はいつもつやつやで美しくなければならず、間違っても縮れや枝毛が見つかるようなことがあってはならない。クラウドは織物職人かなにかのように、セフィロスの髪をくしけずりながら注意ぶかく見きわめる。セフィロスはクラウドが窓辺に持ちだした椅子に優雅に座って、背もたれの後ろに髪を垂らして本を読んでいる。髪にいいというので、冬場にはクラウドは美容加湿器とやらをかけながらブラッシングする。それがほんとうに効果があるのかどうか知らないが、クラウドは結果にとても満足しているらしい。
 ふいにドアが開き、マーリーンが大きなかごを押して入ってきて、セフィロスを見て悲鳴を上げた。
「ごめんなさい」
 マーリーンは胸を押さえながらあえぎあえぎ云った。
「あなたがいるなんて知らなかったから……」
「朝から驚かせてしまって申し訳ない。寿命が縮まないといいが」
 セフィロスはブラシを動かす手を止めずに云った。
「いいのよ……ああ、びっくりした。まさかあなたがいるなんて……二年ぶりくらい? ずいぶん久しぶりねえ。お留守のあいだ、わたしちゃんと部屋をきれいにしておいたでしょう?」
「完璧に」
 腰に手を当てて微笑むマーリーンに、セフィロスは微笑み返した。
「おかげで実にいい気分で眠れたし、実にいい気分でシャワーを浴びた。寝具にはラベンダーの香り、タオルにはいつものユーカリとレモングラスの香り」
「この男所帯じゃ、そんなことに気がついてくれるのあなただけだわ」
 マーリーンはため息をついて、笑みを深めた。
「だからいつもあなたの部屋を一番に、一番きれいにしたくなるのよね、わたし。その観葉植物、わたしちゃんと世話したでしょう? ほかの子たちもうちで元気にしてる。必要なら持ってくるから云ってちょうだい」
 マーリーンはセフィロスの部屋にあったたくさんの鉢植えの植物を、自宅で預かってくれているのだ。みんなヘルメス・トリスメギストスだの大アグリッパだのといったたいそうな名前をもっているのだが、マーリーンは何度説明しても覚えられなかった。
 マーリーンはちょっとのあいだ、まぶしそうな顔でセフィロスを見ていたが、やがて仕事にかかった。
「仮眠室にまだ寝ている子がいるので」
 セフィロスは云った。
「できればそっちはあとまわしにしてくれると助かる」
 マーリーンはなにを思ったのか微笑んで、なるべく静かにお掃除するわね、と云った。
「おっはよう諸君!」
 ザックスが元気よく入ってきた。
「シェフが来ましたよ! 食材もって」
 ザックスは大きな紙袋を抱えもっていた。
「おはようマーリーン、今日の髪型いいね! おれ給湯室使ってもいい? ありがと。おれまだだから朝のコーヒー飲むけど、ボスはおめざのハーブティー飲んだ? まだ? んじゃ淹れたげんね。クラ坊は? まだ寝てる? あ、そうだ、あいつにこのヘアワックス渡してやって。おれのだからどうせ気に入らないだろうけど。質感がどうたらうるせえんだ、あいつ」
 ザックスは給湯室へ入っていって、しばらくしてハーブティーを持って戻ってきた。朝用の小さなガラスポットに、セフィロスの朝のお茶が入っている。エルダーフラワーとリンゴとシトラス。朝はこれに限る。ザックスは自分のコーヒーを、マグカップになみなみ作っていた。彼はカフェインもアルコールもいくら摂取してもまったく問題ない男だが、セフィロスはそれらを本能的に嫌っていた。よけいなものを入れると、よけいなものが入ってきたのがわかって不快だし、体のあらゆる感覚が鈍るような気がする。
 しばらくのあいだ、ふたりは朝の光の中で、マーリーンが大きな体をゆすってあちこちのほこりをはらったり床を掃いたりするのを見つめながら(静かにするために、マーリーンは掃除機を使わなかった)、並んでデスクに腰をかけ、ぼんやり朝の一杯を楽しんだ。ザックスはセフィロスのデスクの脇にある、たぶん百五十歳くらいにはなっていそうなくたびれたラジオのスイッチをひねった。朝のクラシックチャンネルがはじまった。
「朝食は何時でしょうか、シェフ」
 セフィロスは訊いた。
「んー」
 シェフは時計を見ながらちょっと考えこんだ。
「まあ八時ってとこね。それまでにクラ坊起こして」
 時刻は七時十分すぎだった。
「わかりました」
「今日のメニューはなんなの?」
 マーリーンがゴミをひとつにまとめながら質問した。
「クラブサンドをちょっといじったやつ。オムレツをはさむの。マーリーンも食べる? ひと切れとっとこうか?」
「いいの? じゃ、遠慮なくいただくわ」
 マーリーンはバスルームと仮眠室の掃除をあとまわしにして出て行き、ザックスはコーヒーを飲んで、シェフとなるべく給湯室へ戻った。セフィロスはなおしばらく朝のクラシックチャンネルとともにハーブティーを楽しんでから、机の下から昨夜持ちこんだ紙袋を持ち出した。そしてクラウドを起こすために仮眠室へ向かった。
 クラウドは布団を盛大に横へぶっ飛ばして寝ていた。とても寝相のいい子なのだ。セフィロスは紙袋からお菓子の箱をとり出して、クラウドの顔の真ん前にそっと積み上げた。それからカーテンを開け、部屋の中を朝の光で一杯にした。クラウドがまぶしそうにうなった。
「お目覚めの時間でございます、朝の君」
 セフィロスはクラウドを揺さぶった。夜風呂に入ったあとのクラウドは、例のつんつん頭からとてもつやつやしたストレートヘアになるが、そうすると急に生意気で攻撃的な感じが消えて、まるでおとぎ話の王子のようになってしまう。本人は自分のこの容姿を死ぬほど嫌っているが、夜の風呂上がりから朝髪の毛をセットするまでのあいだにしか現れない王子のことを、セフィロスは「夜の君」ないし「朝の君」と名づけて、一日の終わりとはじまりのよろこびとしていた。朝の君はちょっとのあいだ目覚めに抵抗していたが、やがてしぶしぶといった感じで目を開けた……目の前の箱に焦点が合うと、クラウドは跳ね起きた。
「これなに」
 君はびっくりして云った。
「サンタクロースがいい子にプレゼントをくれるそうだ。一日遅れだが」
「サンタクロースって神羅ビルにも侵入できんの? すごいな、あのじいさん」
 クラウドは感心したように云ってから、セフィロスを見上げた。
「開けていい?」
 セフィロスはうなずいた。クラウドは上の箱から順番にリボンをほどき、蓋を開けていった。一番上の箱がロクム(※9の詰めあわせで、二番目の円柱型の箱はチョコレートボンボンがぎっしり詰まっており、三つめの箱はクッキーの詰めあわせだった。
「これ全部おれの?」
 クラウドは胸が一杯になったかのように、震える声で云った。
「そうだが、一度に食べ過ぎないようにな」
 クラウドはこくんとうなずいて、ため息をつきながらお菓子の箱をなでた。みんな見るからに高そうな、きらきらしたきれいな箱に入ったお菓子だ……本人曰く「欠食児童」だったクラウド・ストライフは、村の金持ちの家の子が、誕生日やクリスマスにとてもおいしそうなクッキーやケーキを食べさせてもらっているのを見て、世の不平等に対する憤りを募らせていたという。たぶん、ニブルヘイムにおけるクラウドは、母親に対して自分もあんなお菓子が食べたいなどとは死んでも口にしない子だったろうし、セフィロスの前でもしたことはない。そんな欲求を抱く自分を恥ずかしく思い、自分で自分をぶん殴らずにいないのがクラウド・ストライフだ……こうして彼は自分にたくさんの禁止令を発令する。それこそサンタクロースの力でも借りないかぎり、動かしがたいほどの固い禁止令を。
「さあ、着替えて顔を洗ってくるといい。ザックスが八時に朝食だと云っている」
 それでクラウドはお菓子の箱からそっと手を離し、出ていった。たぶんいまクラウドの頭の中には、母さんへのクリスマスプレゼントに、チョコレートのひと箱も一緒に入れてやるべきだったのではないかという考えが渦巻いているかもしれない。なによりも先に母さんが受けとらないでは、クラウドはなにも受けとることができず、母さんが楽しまないでは、なにも楽しむことができないのだ。あとで、今度の母さんの誕生日には、忘れずになにかお菓子を贈ってやればいいと云ってやることにしよう……セフィロスは笑って、クラウドがぶっ飛ばした布団をもとへ戻した。ふと視線を感じてドアのほうを見ると、クラウドがドアから顔を半分のぞかせていた。
「あのさ」
 クラウドはもじもじして云った。
「どうした」
「……サンタさんにお礼云っといて」
 クラウドは蚊の鳴くような声で云うと、真っ赤になり、さっと首を引っこめた。セフィロスは思わず笑ってしまった。

「朝ごはんですよ!」
 ザックスが八時きっかりに給湯室から顔を出し、銅鑼に負けてなるものかとばかりに大声で云った。クラウドはラジオをいじっていたが、給湯室めがけて鉄砲玉みたいに飛んでいった。
「クラブサンド変形版、トリュフオイル香るちょっと高級オムレツとグリュイエール、ベーコンのサンドイッチ、ならびにレタスとトマトとローストチキンのハーブマヨソースサンドイッチ。つけあわせはじゃがいものおやきにベイクドビーンズとインゲンであります」
 シェフはすっかり食卓を整えていた。生搾りオレンジジュースをピッチャーから注ぎながら、シェフ自ら料理を説明する。真っ白なプレートの上に、サンドイッチが四切れちょっと斜めに並べられており、小さく丸く焼いたじゃがいものおやきの上にベイクドビーンズが小山を作り、インゲンとそれにかけられたオリーブオイルが緑のアクセントを添えている。ザックスは常々、おれは料理作るより盛りつけを考えるほうが好きなタイプなんだよね、と云っている。クラウドは興奮して目を輝かせ、よだれを垂らしそうになった。ザックスはちょっと意地悪してじらしてから、食べてよろしいとうなずいた。クラウドは三日もなにも食べていないかのように、サンドイッチに勢いよくかぶりつき、世にも幸福そうな顔をしてもぐもぐやりだした。
「おまえ幸せなやつだよ。十六でトリュフオイルなんか口にしちゃってさ」
「トリュフオイルってなに?」
 クラウドが不明瞭な発音で訊ねた。
「トリュフってキノコの香りをつけたオイル。トリュフは地面の下に生えてんの。すげー高いんだ」
「おれは昔あれを食べると吐き気がするんだと思っていた」
 セフィロスは云った。
「トリュフ風味のナントカいう料理を食べたあとで、ひどく苦しめられたせいだ。ところがそれはトリュフ風味の香料のせいであって、トリュフのせいではないということがあとになってわかった。それで五、六年は損した気がするな」
「香料はおれも好きじゃない。気持ち悪くなる匂いするかんな、あれ。このオイルはだいじょぶよ。化学香料入りとか、出来あいの惣菜とか缶詰なんかあんたに絶対食わせないね、おれは」
「副官殿は副官兼おれの戦場シェフなんだ」
 セフィロスはクラウドに云った。
「携帯食は具合が悪くなる」
「おれ、期限切れて一年経った豆の缶詰食べてもなんともないけど」
 クラウドはベイクドビーンズを口に運びながら云った。
「こういう話すると、自分がどんだけ適当な作りしてるかわかるよ……おやきまだある?」
 ザックスはフライパンからもう二枚出してやった。
「そういう頑丈さはいいことだぞ」
 セフィロスは云った。
「現代の大量生産社会に適応している証拠だ」
「それ、ほめてんの?」
 クラウドがおやきを頬張りながら疑わしげな顔でセフィロスを見て云った。
「もちろんだ」
 食事が済むと、みんなシェフの皿洗いを手伝った。ザックスは食後のお茶を淹れると、いまからいったん家に帰ると云って、出ていった。セフィロスとクラウドは執務室に残された。クラウドはちょっともじもじした……これからなされるだろう会話を察したのに違いない。昨日から、あまりにも多くのことが起き、あまりにも多くのことがろくに説明もされないままに放置されている。セフィロスはクラウドをソファに座らせ、自分も横に座った。クラウドはちょっと逃げていった。セフィロスは苦笑した。
「こら。どうした」
 セフィロスは長い腕でクラウドをからめとった。クラウドはクッションを抱きかかえて、赤くなり、あからさまに顔をそらした。
「……だって」
 クラウドは消え入りそうな声で云った。
「ん?」
 セフィロスはクラウドに顔を近づけた。クラウドは真っ赤になり、クッションに顔をうずめてしまった。セフィロスは待った。
「……おれこの部屋の写真見たことある。セフィロスがあそこのデスクの前に座ってた」
 クラウドは机を指さして云った。
「神羅の広報誌に載ってた。ネットにも載ってる」
「うん」
 セフィロスは待った。
「……おれ知らなかったんだ」
 クラウドはクッションの下から、ちょっと震える声で云った。
「あんたがセフィロスだって」
「それは大変だ」
 セフィロスは深刻な声を出した。
「おまえにはじめましてと云ったほうがいいのか? おれが知らないだけで、おれはふたりいるのだろうか?」
「あんたがふたりもいるなんてやだ」
 クラウドはクッションの隙間から、ちらりとセフィロスに目をやった。
「……だってさ」
 クラウドはまたクッションに顔をうずめてしまった。セフィロスは待った。
「あんた、昨日まで毎日家にいて、おれが帰ると家にいて、おれが家にいると家にいたんだもん」
「うん」
「なのにさ、昨日から、おれがぜんぜん知らない、なんか偉そうな人たちと話したりやりあったりしてるんだ……ときどきちょっと、なんか上からな態度で」
「ああ……要請される職業的態度というのがあってな……」
「知ってるよ」
 クラウドはすねたような声で云った。
「それでおれ、なんかぐちゃぐちゃになっちゃった。周りみんな知らない人ばっかだし、あんたも知らない人みたいだし、なのに朝起きたらサンタクロース来てるしさ。こんなこと云ってる場合じゃないのわかってるけど……でも……」
 クラウドのクッションを抱える腕にぎゅっと力がこもった。彼はひどく戸惑って、混乱している。急に見知らぬ人のように見えはじめたセフィロスに距離を感じている。クラウドは私人としてのセフィロスしか知らないし、それでよかったはずだった。セフィロスだって、英雄セフィロスとして仕事をするセフィロスのことを、クラウドに知ってほしいとは思っていなかった。彼らの関係は、確かに「英雄セフィロス」があってはじまったものだが、むしろそれを打ち消すようにして成立してきたのだ。クラウドは英雄の面影を探してセフィロスに近づき、逆に生身の、私人の、決して無敵でも無謬でもないセフィロスを見つけた。クラウドの見つけたセフィロスは、正しく英雄の残骸だった。自身の役割に疲れはて、すり切れて、すべてに倦み疲れて厭世気分のまっただ中に引きこもっていた。クラウドが見つけたのはそういうセフィロスであり、セフィロスはそこから自分を立て直すためにクラウドを必要とした。そしてそれはいつしかクラウドの特権になり、名誉になり、勲章になり、正しく彼のミンネ(※10になった……戦士が命がけの戦いの理由とするただひとつのものだ。その戦いを、クラウドは正しく戦った。セフィロスについて回る英雄の亡霊から、生身のセフィロスを守るために。
 結局、ソルジャーであろうがなかろうが、クラウドは正しく戦士だった。古風すぎるくらい古風な騎士だった。この小柄で未成熟な体に宿った、偉大な魂よ! だがあいにくセフィロスは城の奥にいる姫ではなくて、剣をとるやすべてを討ち滅ぼしてしまう悪魔の騎士であり、いまや騎士はふたたび剣をとろうとしているのである。
「おれたちはみごと新しい穴に落ちてしまったな」
 セフィロスは云った。
「見ないふりをしてきたものを、直視せざるを得なくなった。ありとあらゆる意味でだ。たぶんこれまでのつけが回ってきたな。なにごとも流れに任せていると、幸福も不幸も分割されずにそのままの大きさでやってくる。こよなく平穏な日々のあとで、突然思いもしなかったような大きさのつけを支払う羽目になる。わかっているんだが、おれはそれでもそういうやり方しかできないんだろう。あそこに穴が見えるから、大きくならないうちにふさいでしまおうなどというのは、なんだか穴に失礼なような気がするんだ」
 クラウドが顔を上げた。
「おれはそういうやつなんだ。ものごとがほんとうの姿を現すまで、敵が持てる最大限の力を発揮して襲いかかってくるまで、勝負はしたくない。敵が小さいうちに叩けなどというのは卑怯なやり方に思える。のんきに構えていると云われるのはたぶんそのせいだ……おかげで目の前にやってくる問題という問題がいつもとてつもなく大きいんだが、仕方がない。それを選んでいるのはおれなんだ。だからおれにつきあうやつは全員、いつもばかでかい問題の処理に追われて苦労する羽目になる。いまもな」
 セフィロスはどこか自嘲するように微笑んで、クラウドを見た。クラウドはひどく無邪気に見える顔で、セフィロスをじっと見つめていた。
「おれは思うんだ。どこに穴があるか予測して、落ちないように計画的にその穴を埋めていくような人生が楽しいか? と」
「ぜんぜん」
 クラウドは首をふった。
「おれはある朝目覚めたら、突然穴に落ちているのに気がつくほうがいい……そして穴についてなにひとつ知らないところから、脱出しようともがくほうが。あるいは穴と一緒になるのでもいいさ、穴がおれを逃がしてくれないのなら。頭のいいやつからしたら、たぶん愚かしいやり方に見えるんだろうな。でもおれはそういう人間なんだ……だから、それでもおれについてきてくれる人間には、苦労をかけますと頭を下げなくてはならない気がしているし、そういうおれに反発する人間には、冷たい人でなしめといって憎悪の目を向けるし、おまえには……おまえはなんだろう? 実はおれにはよくわからないんだ。おれにわかるのは、こんなおれと一緒になっているおまえの気が知れないということくらいだ」
「それはおれも思うよ、あんたに対して。めんどくさいもん、おれ」
 クラウドはもう顔を隠していなかった。いつも家のリビングで話し合いをするときそうするように、セフィロスの横にちょこんと座って、クッションをひとつ抱きしめて、そして人間に残された最後の楽園とも云うべき、あの無邪気な信頼に満ちた目で、セフィロスを見ていた。
「そう思ったことは一度もないが」
「おれも思ったことない、あんたがめんどくさいなんて。ていうか、知ってた気がする、あんたなんかと一緒にいたら、ありとあらゆる苦労するんだぞって。ザックスにも百万回くらい云われたんだ。いっぺんでいいから普通の子とつきあってみてからにしろって」
「そうなのか?」
「うん。せめて一回くらい普通の恋愛してからにしない? とか。おれうるさいって云った。だいたい、普通の恋愛ってなんだよ」
「わかるような気はする。相手がソルジャーでもなく、まして総司令官でもなく、神羅の人間でもなくて、権力はなく、権限もなく、政治的な立場にもいない。誰からも特別扱いされなくて、自分の態度や発言の影響を常に考えなくてもいい。つまり、話題にするのは貯金のこと、恋愛や友だちのこと、明日の仕事のこと、休日の予定のこと……ずいぶん違った世界だな、確かに」
「うん。おれも貯金とか明日の仕事とか話すほうの人間だと思うよ。それで、ザックスの云ったこと、ちょっとわかったんだ、ゆうべ。それから、おれ、あんたがこんな人だったなんて知らなかったなあって思ったんだ」
「それはおれのとてもとても小さい一面でしかないぞ。おれがこれくらいの面積だとしたら(セフィロスは両手を丸めて円をこしらえた)、たぶんこの爪の先の点くらいだ」
 クラウドはなんとなくくすぐったそうに笑った。
「でもおれその爪の先の点のファンなんだよ。おれも……みんなも。みんな、その爪の先の点のあんたが見たくて待ってるんだ。ただの爪の先の点なのに」
「らしいな。そしておれを嫌いなやつはこの爪の先の点のおれが嫌いで、なんとか撃ち落としてやりたいと思っているんだろうさ」
「そんなやつ、みんな投げ飛ばしてやる。壁にたたきつけて、クリスピーピザの生地みたいになるまで伸ばしてやるんだ」
「気持ちは泣くほどありがたいが、おれのつきあう相手はお偉方ばかりだからな。そこらの兵士相手なら、なにをしてもまあそこまでひどく問題にはならないが、お偉方の場合には権限というものがある。それがちょっとやっかいだ」
「……おれが考えなしなことしたら、あんたまずいことになったりする?」
 クラウドはちょっと不安そうな顔つきになった。
「おれというよりおまえがまずいことになるだろうな。そして結果的におれが追いこまれる形になるだろう」
 クラウドはセフィロスの言葉に眉根を寄せ、不満げに唇を突きだした。
「おれなんかいくら干されてもクビにされてもいいけど」
 クラウドは怒ったような声で云った。
「あんたがまずいことになるのはやだな。あんたがピンチになることなんかないかもしれないけど、おれがへまして大ピンチは普通にありそうでやだ」
「だから、ありとあらゆるやつがおまえを狙うだろう、おれではなくて。十字星同胞団のようにだな」
 セフィロスはもの憂げにクラウドを見下ろして、頭をなでた。
「……おれ、どうしたらいい? 迷惑かけたらまずいのわかってるけど、いい子にしてる自信一ミリもない」
 クラウドはセフィロスを見上げた。セフィロスは安心させるように微笑んだ。
「どうもしなくていいさ。身辺に気をつけろとか、ひとりでうろつくなとか、云えることはいろいろあるだろうし、誰彼かまわず殴りかからないだけの分別を持ってくれたらそれはそれでうれしいが、無理してまでそうなってほしいとは思わない。たとえおまえがハイデッカーを殴りつけたとしても、逆にあいつを放り出すように仕向けられないかどうかやってみるだけだ。だめなら仕方がない。プレジデントのたぬきじじいがほんとうにおれよりハイデッカーをとる気なら……本当にその気ならばだ、おれはそのときにこそお役御免を云いわたされたものと思って、正々堂々と出ていくさ。たぶんビルごと吹っ飛ばしたあとに」
 クラウドは吹っ飛んだ神羅ビルでも思い描いたのか、満足げな笑みを浮かべた。
「そうなったら、あんたきっとそっから先ずっと無職のプーだね。実はおれ、こんなことになるなんて思わなかったから、あんたが一生プーでいるかもしれないって思って、生活設計考えたんだ」
 セフィロスはなにごとかという顔でクラウドを見た。
「土地買ったり、家建てたり、月々生活していくのにいくらかかるかって考えて、どうやったらその金作れるか考えた。母さんも養わなくちゃならないし、あの家ボロいから一回ちゃんと手入れなきゃなんない。まずおれが泥みたいになるまで働いて、百万ギルくらい貯めるんだ。で、それをチョコボレースに賭けて一千万くらい稼ぐだろ。そしたら……」
「のっけから設計という言葉とはかけ離れたことになってきた」
 セフィロスは額に手を当てた。
「あのね、云っとくけど、おれみたいな薄給の一般人が金作ろうと思ったら、賭けか投資か富くじ買うかしかないんだよ。で、この中で一番まともなのが賭けなの、おれの計算では」
「許されるなら、おまえの頭を輪切りにしてその計算とやらを直に見てみたいものだ。隅から隅までクラウド・ストライフの思考様式にあふれているだろうな、きっと蜜壺のようにかぐわしいことだろう。それで?」
「うん。最初の一千万ができたらあとは楽なんだ。そこからは生活費と賭けの元手のバランスだけ間違えなけりゃいいんだよ。だから問題は、結局最初の百万をどうやって貯めるかってことなんだ。それでおれ、兵站部に異動願い出そうと思うんだ」
 いつものことだが、クラウドの話は脈絡をたどりづらかった。少なくともセフィロスくらいクラウドの金髪頭の中を理解していなかったら、支離滅裂だと思うことだろう。
「それが昨日おれが話そうとしたことなんだけどさ」
 クラウドはいまやクッションを抱きしめたまま、よく家でやるように、セフィロスにちょっともたれかかった。たぶん、なにごともなければ、昨日クラウドはあの自宅のソファで、セフィロスにこんなふうに話をしただろう。
「試験落ちて、おれ考えた。ソルジャーにはなれないし、団体行動嫌いだし、このままいったら、おれ一生ただの一兵卒なんだなって」
 クラウドの顔は冷静だった。
「ただの一兵卒で、あんたのこと養うなんて無理だよ。おれ、金がないからその本買うのはあきらめてくれなんてあんたに云うくらいなら、自分にかけられるだけ保険かけて死ぬほうがましだもん。それで、いまの条件でできること考えたら、そういう結論になった。おれ兵站部の兵器車両部隊に行って、朝から晩まで戦車とかトラックとか大砲とか整備して暮らすんだ。それなら、クビになったって身につけた技術ってやつは残るから、また生活費くらい稼げると思うんだ」
 セフィロスはなにかとても貴重なものを見るように、しばらくクラウドを見つめていた。クラウドは急に生活の現実に目覚めてしまった人間のような顔をしていた。否、彼は十四のときからそのことを知ってはいただろう。故郷の母親を養い守らねばならぬというのは、なんといってもこの子どもを突き動かす動機のひとつであったから。
 だがいま、彼の顔からは、あの夢想の雰囲気が消えていた。子どもらしい夢想、あの空想の中の、現実に少しもおびやかされていない夢の世界、いずれ現実という残酷で容赦ない手がそれをとらえ、引きずり下ろすのだということをまだ知らない者の、天使に守られた夢。セフィロスみたいな強いソルジャーになるんだという、あの幼子の夢。
 いま天使はクラウドの世界から飛びさった。そしてもう戻っては来ない。大きな挫折のなかで彼は、自分がもう天使に守られて歩いてはいないこと、それでも歩きつづけなければならないことを知ったのだ。これから先は天使の翼で進むのではなく、自分の足で歩かねばならないのだと。
 クラウドがどう思うかと問いかける顔でセフィロスを見つめてきた。セフィロスは少し考え、微笑んだ。
「……兵器車両部隊は少々特別な部隊で」
 セフィロスはさまざまなことを思い起こしながら云った。
「旧神羅製作所の技師がいまだに頑固に現場を牛耳っている。四十年以上もプレジデントにつき従ってきた技術者たちだ……昔のこともよく知っている。そういう意味ではいい部隊だ。つきあうのが楽な人たちだとは云えないが」
「あんた知ってんの?」
 クラウドが不思議そうな顔をした。
「昔入りびたっていた時期があるんだ。兵器開発の歴史に興味を持ってしまって。戦場において、人間にできることはなにで、兵器にできることはなんなのか、そのあたりを見極めたかった」
 クラウドはちょっと目をしばたいてから、口を開いた。
「……あんたってさ、なんか、けっこう地道に片づけてく人だよな、いろんなこと」
「自分の足で一歩ずつ歩かないやつは嫌いなんだ。列車で目的地まで運ばれて、運ばれているあいだのんきに寝ていたなどというやつは滅びればいい。誰だって、自分にどれくらいのことができるのかやってみるまでわかるわけがない。たとえばおれが連日兵器車両部隊の作業場に入りびたって、使い古しの武器を使ってどれくらいの速度で連射される機関銃なら打ち返せるかとか、人間ひとりで何台の戦車を破壊できるのかとかいうことを実地に研究しなかったらばだ、誰がおれになにができて、なにができないかわかるんだ? 自分の限界を知っておかないのは愚かなことだ……おれのように、新種の生物兵器にとっては特に。おかげで部隊の整備施設を全部破壊してしまい、ただでさえ怒り心頭に発しているところ、歓喜する作業員たちを目のあたりにしてさらに怒りをつのらせたプレジデントに、今月の給料はなしだと怒鳴られたりした」
「で、あんたどうしたの?」
「プレジデントの唯一の弱点を突いた。つまり、唯一頭の上がらない存在である秘書のミス・ボディミードを抱きこんで、こう云わしめた……ひとこと申し上げたいことがあります、かわいそうだとお思いにならないんですか、こんな子どもに! それから、腹いせに神羅の私設図書館にあるありったけの蔵書を家に持ち帰ってやった。いまだに返却していないのがかなりあるんだが、誰も気づかない。まあそんなものだ。それはともかく、そういうわけで兵器車両部隊にはいろいろと世話になったんだ。おれのおそろしく破壊的な実験につきあってくれたうえに、どうすればおれに壊せない武器を作れるか頭を絞ったせいで、兵器開発の連中とけんかすることになったりしたが、とにかくなかなか味わい深い部隊だ。いまもそうだといいが」
 クラウドはだいぶ長いこと考えこんでいた。それからうなり声をあげて、
「そういう話、もっと早くしてほしかったなあ。すごく悲惨なのかと思ってたよ、あんたの子ども時代って」
「おれよりよほど恵まれた環境にいながら、おれよりはるかに悲惨な感情の中で子ども時代を送った人間も大勢いるだろうな。おれは単に自分を悲惨にしないと決めただけなんだ。悲惨にも、特別にもしないと」
 クラウドはまた長いこと考えこんだ。
「……おれもそう思えばいいのかな、自分のこと」
「おまえはそんなことをしなくていい」
 セフィロスは微笑んだ。
「おまえはおれじゃない。自分のやり方で行けばいい。おれのやり方は、おまえにはきっと軽すぎる。おまえはどん底まで落ちこんで、自分は人類史上最大の汚点で失敗作だと思うところから、這いあがってくればいいんだ」
 クラウドはまたも長いこと考えこんだ……それからその言葉の意味を噛みしめるように、こくんとうなずいた。
 外はもうあわただしい気配につつまれていた。午前九時……多くの人にとって出勤の時間だ。たぶんいまごろ、ベルゲ中尉は仮眠室から抜け出して眠たい目をどうにかこじ開け、自分のデスクについているだろうし、マーリーンは朝のルーティンを終えて、休憩室でザックスのサンドイッチを食べているに違いない。つまり、セフィロスもそろそろ執務室のドアの横に、在室の印である緑のランプをともさなければならない。デスクの上にあるボタンを押して。一日のはじまり! この執務室での!
 セフィロスは立ち上がり、どこか憂鬱そうに、しかし毅然として、自分のデスクについた。さまざまな思いが頭をよぎった……きっと今日はとてもせわしなく、長い一日になるだろう。
「……あの」
 クラウドがふいに云った。彼はまたも真っ赤になっていて、クッションの陰からセフィロスを見つめていた。
「ん?」
「…………あとでサインください」
「…………はい」

第二章

 在室を示す緑のランプがともると、たくさんの人が執務室にどっと押しかけてきた。ソルジャーたちがおっかなびっくりやってきて、泣き出したりぼうっとなったり呼吸困難を起こしたりし、そのほかにも、事務職員、広報課の社員、ありとあらゆる部局の連絡係ならびにその上司、など、ソルジャーフロアのカードキーを所持するすべての人間が出入りしようともくろみはじめ、戻ってきたザックスが交通整理をする羽目になった。
「えー皆さま、本日はお越しいただきありがとうございます。こちらソルジャーフロアでございますがお間違えの方はございませんか? まことに申し訳ございませんが、ただいまのお時間は大変混みあっております。総司令官閣下に面談をご希望の方は、こちらに所属とお名前をご記入の上、一列でお待ちくださいませ……」
 クラウドはソファに座りこんで、ザックスがもってきてくれたゲームをはじめたが、執務室にやってくる人間とセフィロスの応対をちらちら盗み見ていた。セフィロスが嫌っている人間を見きわめるためだ。こういうことに関して、セフィロスはとてもわかりやすいので助かる。親しみを持っている人間とそうでない人間とでは、セフィロスは声も態度もなにもかも違っているのだが、ザックスいわく、多くの人間にはそれがわからないらしい。クラウドは、セフィロスが嫌っている人間を発見するたびに、心の中でサンドバッグよろしくぶちのめし、尻を蹴飛ばして神羅ビルの最上階から突きおとしてやった。そして決してその顔を忘れないように、頭に叩きこんだ。ソルジャーの中に、例のフィリポットとかいう間のぬけた名前のやつを含めて特に失礼なのが数人おり、クラウドはそいつらへの憎悪を決して忘れないようにしようと思いつめるあまり、お腹を痛くしたくらいだった。
 セフィロスの永遠の敵ハイデッカーは執務室に永久出入り禁止であるうえ、万人が自分の元へ出向くべきであると思っているタイプの人間だったため、遭遇する心配はなかったが、クラウドはこの男がちらりと顔をのぞかせでもしたら、二目と見られない姿にしてやろうと思って、ひそかに拳を握りしめていた。物見高いパルマーがうひょうひょ云いながらやってきて、人だかりを一瞥し、うひょうひょ云いながら帰っていった。白衣を着た科学部門の人間が、宝条博士がぜひ検査に来てほしいと云っておられますがと云いに来て、これまでにないほど冷ややかな視線を浴びせられ、特大級の慇懃無礼な態度で追い返された。セフィロスの顔にあんなにはっきり「死ね」と書いてあるのは珍しい。クラウドは科学部門がセフィロスにとってなにやら鬼門らしいことを悟り、その統括である宝条という男のことも抹殺リストに加えた。来る人間という人間がクラウドをじろじろ見、あからさまに敵意を見せたり、見なかったふりをしたり、にやついたりしていたが、クラウドはそいつらのこともみんな頭の中でふるいにかけ、ぶちのめしたりこき下ろしたり放っておいたりするリストに分類していった。
 九時半を過ぎたころ、テロ対策部のガントナー部長がやってきた。人だかりをかきわけて執務室に到着したとたん、ほかの部署の社員をみんなまとめて一喝した。
「さあ、こっちは昨夜の事件でなにかと急を要しているんです。よほどの案件ならともかく、うちには総司令官閣下の時間を優先的に割いてもらう権利があるはずです。悪いがみんなあとにしてもらえますか」
 ガントナー部長のきびきびした事務的な口調と態度で、みんな執務室から押し出されてしまった。
「なぜよその部署では管理職の人間ほど暇なのだろう? とても考えられない」
 部長は嘆かわしいというように首をふって、セフィロスの前に書類を何枚か置いた。
「形式的なのが二枚、ちょっと形式的ではすまないのが一枚あるので、文面について相談に来ました。訂正すべき箇所があれば教えてください」
 セフィロスが書類を読んでいるあいだ、みんなをエレベーター前でお見送りして戻ってきたザックスによって、クラウドが部長に引き合わされ、握手とお決まりのやりとりが交わされた。
「いますぐにきみの協力が必要ななにかが出るとは考えにくいが」
 ガントナー部長はなにを思ったか、クラウドを見て微笑んだ。
「よければうちの初級講座『テロリスト集団に対する者の心構え』を受講してもらってもいい。少しは気が楽になるからね……きみではなくて、われわれのね」
「治安維持部隊に入隊したとき、ちょっと研修を受けましたけど」
 クラウドが云った。
「ああ、うちのはそれとはまた別なんだよ」
 部長はうなずいて云った。
「治安維持部隊の講習は主にテロリスト集団に遭遇した場合か、事件に直面した場合に効力を発揮するように作られている。うちの講習は、自身がテロリスト集団の標的になるところまで考慮して作成されているんだ」
「おまえあれ受けたほうがいいかも」
 ザックスがうなずいて云った。
「おまえおれと一緒でペーパーの試験通るのは厳しいかもしんないけど、実技ならついてけると思うよ。問題がかなりよくできてんだよ」
「なるほど、ストライフ一等兵は実技で力を発揮するタイプなんだな」
 ガントナー部長は顎に手を当ててクラウドを見つめた。
「それはなによりだ。最近は頭だけ発達して腕はからっきしというやつが多すぎる。それが悪いわけじゃないが、割合が逆なのがもっといてもいいはずだ。部隊長の許可が下りたらだが、ぜひうちの研修を受けてほしいね。ベルゲ中尉に、テロリストから身を守る対策に特化したプログラムを組ませよう。なにかのときに役に立つこともあるかもしれない」
 セフィロスが書類を読み終え、いくつかの文について部長とやりとりが交わされた。部長は実にてきぱき仕事をし、事件のことでセフィロスと意見交換をしたあと、またすぐにきびきびと出ていこうとした。
「ねえ部長、今日もしかしてランチタイム暇だったりしない?」
 出ていきかけた部長に、ザックスがのんびりした声で訊ねた。ガントナー部長はちょっと考えこんだ。
「今日はたいへん重要な人物との非常にどうでもいい会食があるんだがね」
「あら、そうお? 部長がもし暇だったら、おれたちの昼飯につきあってくんないかなって思ってたの。さっきアンヌの店に電話したらね、いつでもどうぞって云うんだもん。あんな人気店なのにさ」
「ルナンシェフの店が当日予約に対応してるとは驚きだ」
 部長は驚いた様子もなく肩をすくめた。
「まあでも、きみのことだからな、きっと世界中のあらゆる人間が親しみを感じていて便宜を図ってくれるんだろう。会合をキャンセルできないかやってみるよ。それに部下どもにも、たまにはうまいものを食わせてやらなけりゃ」
 部長はきびきび出ていった。
「いいだろ、ガントナー部長」
 部長の後ろで閉まったドアを見つめながら、ザックスがクラウドを小突いた。
「胸くそ悪い事件だけど、あの人が指揮官だってのが救いね。仕事早いし、人のこと、自分の目で見るまで絶対判断しない人なんだ。なかなかいないよ、ああいう人」
「うん」
 クラウドはうなずいた。いまやありとあらゆる人間に、ありとあらゆることをまくしたてられているクラウド・ストライフだけに、部長やその部下たちが、自分をごく当たり前の兵士として扱ってくれるのは、ともかくもありがたいことだった。
 部長と入れ違いに、ベルゲ中尉がやってきた。
「あれから九時間ほど経ちますが、スアレス伍長は見つからず、そのほうでは進展はありません」
 挨拶もそこそこに、さっそくホワイトボードの前に立って、報告にかかる。一同は昨日のように並んで床に座って、中尉の話を聞いた。
「その代わり、伍長に関するクイン曹長の証言は、ほとんど裏づけがとれました。ニコラス・スアレス伍長の故郷はカスペポブレ村という、コスタ・デル・ソル南西の漁村です」
 中尉はボードに地図を貼りつけた。村の場所に赤丸がついている。
「村の元憲兵隊長サンス氏が電話で話してくれたんですが、一九八〇年、伍長が四歳のとき、コスタへの魔晄エネルギー供給のため、村の南西約十キロのところに魔晄炉が建ちました。おわかりだと思いますが数年のうちに漁獲量は激減、多くの漁師たちが立ちゆかなくなり、村を捨てたりほかの産業への転換を考えなくてはならなくなりました。伍長の父親は、村を出てなにか商売をはじめようと思ったようです……一家でコスタ・デル・ソルへ移住して、貸しボート屋かなにかはじめたようですが、慣れない客商売で赤字続き、母親は知りあいのひとりもいない土地で三人の子どもを育てなくてはならず、しだいに追いつめられていったのだと思います」
 ザックスが舌打ちした。
「まったくです。夫婦は伍長が十四のときに離婚していますが、親権は父親が取得してるんです。どうも母親が男をこしらえて出ていったようなんですね。末っ子のニコラスが義務教育を終了したので、もう母親としての義務は果たしたと思ったのかもしれません……それで父親は、おそらくコスタ・デル・ソルでふんばり続ける気持ちをなくしたんでしょうね、離婚後、末っ子のニコラスだけ連れて、生まれ故郷の村へ帰ってきています。長男と長女は、すでにコスタで働いていたり恋人がいたりで、田舎村へ帰るのなんかいやだと云ったんでしょう。
 すっかり尾羽打ち枯らした父親とふたりきりで、ひなびた漁村へ戻されたニコラス少年は、ひどくふてくされて殻にこもった少年になっていたそうです。父親のほうは、なじみの漁業を再開し、ほかにもいろいろな職をかけ持ちして、どうにか食いつないでいたようですが、ニコラス少年はしだいに村の不良たちとつるむようになって家に帰らなくなり、十五、六になったころには、立派にギャングの一員になってたんだとか」
 中尉が引き伸ばされた不鮮明な写真を一枚、ホワイトボードに貼りつけた。盛大に髪をおっ立ててバイクにまたがり、カメラに向かって中指を立てているスアレス伍長の若き日の写真だ。
「こういうの、黒歴史っつうんだよな」
 ザックスがしんみりした口調で云った。
「でもミッドガル出て働こうなんて思わなかったら、おれだってこうなってた気がする。こうなる以外ないもんね、魔晄炉が建っちゃったあたりってさ。仕事はないし、結局まともに生きてくためには、神羅とガッチガチにからんで交付金やら手当やらもらえる連中にたかるしかないんだけど、そういうの、どうしてもできないやつもいるし、見てるとしんどいんだよな。で、嫌気がさしちゃって、グレたり反神羅運動なんかに没頭しはじめちゃったりする。こういうきつさ、たぶんクソ田舎の魔晄炉あるとこの人間にしかわかんないと思うけど、おれはわかるな」
「おれもわかる気がする」
 クラウドが云った。
「結局さ、一番まともなやつが、一番まともな生活できないことになるんだよ」
 ともに故郷に魔晄炉を持つふたりの男はため息をつき、やりきれなさを吐き出した。
「確かに、伍長の少年時代が不幸なものだったのはほんとだと思います。兄と姉はうまくそこから抜け出したんだと思いますけど、両親の離婚当時未成年だった伍長が、結果的に父親と一緒にみんな背負いこむような形になっちゃったんでしょうね。母親のほうは再婚して、いまでは別の港町で、新しいパートナーと一緒に子どもを育てながら元気にやっているようですよ。新しいパートナーは、伍長の父親よりは才覚のある人間だったみたいですね。飲食店を経営して、そこそこ繁盛してるようです」
「でもおれとしては、伍長の父ちゃんみたいな父ちゃんのほうが好きだな」
 ザックスはなにかなつかしがるような声で云った。
「たぶんおれの父ちゃんに似てる。いい人なんだけど、いざってときの踏んばりがきかないのよ。そういう男には、肝っ玉母ちゃんがついてないとね、うちの母ちゃんみたいな」
「あのトラを素手で倒したっていう伝説のお母さんですか?」
 中尉が顔を輝かせた。
「あらま、その話、そんなに広まっちゃってんの? そうなの。倒したってのはちょっと大げさなんだけど、おれの母ちゃんね、ガキのおれ連れて森にいたとき、トラに遭遇しちゃってさあ、いきなりわめきちらしながら殴りかかってったもんだから、驚いたトラが逃げてったの。あれ、たぶんガキ育てたことあるメスのトラなんだわ。だから、小さいの連れた母ちゃんに同情したんだっておれは思ってる」
「おれの母さん、オオカミとやりあおうとしたことある」
 クラウドが云った。
「おれと一緒に山歩いてたとき、運悪く出くわしちゃって。そのときも、母さんが持ってた荷物ふりまわしたら、オオカミが逃げてった。おれその日から、山に行くとき忘れずにナイフ持ってくことにしたんだ。ほんとは銃が欲しかったけど、なかなか手に入らなくて」
「母は強いのよね。そういうことよ」
「そうですけど、そこまでできるお母さんはめったにいないと思います」
 中尉が云い、境遇になにかと似ているところの多いらしいザックスとクラウドを興味深そうに交互に見た。
「偉大な男を作るのは、たいてい偉大な母親だとおれは思う。それも、往々にして男運がないか、夫に泣かされている母親」
「ま、たしかにおれがしっかりしなきゃって思うもんな。でもそれも母ちゃんがいればこそなんだよなあ。父ちゃんしかいないってなったら、家に帰らなくなんのわかるな」
「伍長の不幸な生い立ちはわかったとして、そこから彼と十字星同胞団をつなぐ線はなにかあるのだろうか?」
「それがですね」
 中尉はちょっと暗い顔つきになって云った。
「伍長の借りてる部屋を調べたんですが、それらしいものはなにも出てきてないんですよ。祈祷書とか、関連する書籍の一冊もないなんて、宗教教団の信者として、そういうことってあるもんでしょうか? もちろん、どこか別の場所に保管してあるって可能性もあるんですが、伍長の部屋にあった本といえば、軍関係の資料やなんか除けばバイクと格闘技の雑誌くらいのもので、とても宗教に熱中するタイプの人間の部屋には見えないんですよ」
 中尉は印刷用紙にプリントした部屋の写真をとりだして、ホワイトボードに貼りつけた。やや殺風景な、インテリアにもものにもあまりこだわりがないのが明らかな部屋だった。ラックや机、テレビとソファなど、ありきたりな、統一感のあまりない家具が適当に配置されている。
「あるもので間に合わせてる家って感じね」
 インテリアにこだわる派のザックス・フェア氏が云った。
「たぶん、中古の家具屋で適当に手に入れた感じじゃない? 店にあるものでとりあえず見繕ったって感じ」
「暮らしというものに注意を払わないタイプらしいことはわかる。趣味もあまりないらしいな。自己探求などということには縁のないタイプに見える。こんな男が宗教教団に入団して、スパイまで働くほど身も心も捧げるなどということは、確かにちょっと考えられない」
「うちの部長もそう云うんですよ。たぶん宗教心とは別の動機が絡んでるにちがいないって。それで調べてみたんですが、伍長は去年、ものすごく高いバイクを買ってるんですよ。しかもキャッシュで。おまけに専用のバイクルームを借りてました」
「まじ? なに買ったんだろ」
 バイクと聞いて、ザックスもクラウドも首を乗り出してきた。
「ぼく、バイクには詳しくなくて。なんでもハーディ・デイトナの上位車種らしいんですが……」
「うわーお、最低でも五百万はするわ。ちくしょー、おれもほしい」
 ザックスは叫び、クラウドはその高級車種の雄姿を思い描いたのか、ちょっと夢見るような顔になった。
「おそらくそれと関連するのではと思われますが、伍長には、また別の疑惑が浮上してるんです。彼は治安維持部隊に入隊して、ギャングから卒業したと思われてたわけですが、実はつながりが切れてなかったんじゃないかというものです。伍長の通話履歴を当たってみたら、カントスなる人物と定期的に通話しているんですが、その番号、どうも契約内容が怪しいんですよ。知り合いに、そっちの方面に詳しい人がいるので訊いてみたんですが、ギャングのメンバーが偽装して契約してる可能性が高いって云ってました。典型的なやつだそうです」
「ありゃりゃ」
 ザックスがおどけて云った。
「でも、伍長が入隊したの、一九九六年だっけ? 戦争の折り返し地点じゃん。治安維持部隊の人手不足はいつものことだけど、あのころたぶん、いまよりもっと足りなかったろうからなあ。身元調査なんてほとんどしないでばんばん雇ってたよな、きっと」
「ひょっとしたら、そのつけをいま払わされているのかもしれないな。どう考えても、神羅軍はウータイ戦争を境に一気に拡大しすぎた。そして年々拡張を続けている。戦争が終わって軍事費が下がるどころか毎年右肩上がり、九月になれば世界中から入隊希望者がうじゃうじゃやってくる。自分の存在がその片棒を担いでいるのかと思うとなにやらおそろしいような気がするが、明らかに人を雇い入れるペースにチェック体制が追いついていない。いまの状態では、ギャングだろうと狂信者だろうとテロ組織のスパイだろうと、いくらでも潜りこめてしまうだろうな。わが部隊だって、おれに云わせれば人員が多すぎるくらいだ。おれは少数精鋭で足りると何度も云ったんだが」
 セフィロスがいまいましいというような顔で云った。
「おれ、次はタークスがいまのままでいられなくなると思ってんだよね」
 ザックスがうれしそうに云った。
「レノちゃんがさ、戦争からこっち、仕事が三百倍に増えて、給料据え置きだってぼやいてたの。まあ、あの主任がそう簡単に組織改革だの人員増強だのに納得するとは思えないけど、とにかくあちら様お得意の身辺調査ってやつが、クソ重要なくせにどう見ても間にあってないし人手も足りてないのはほんとね」
「組織の暗部って感じですね」
 ベルゲ中尉は、人のいい人間が人生の暗黒面に直面したときに示す、あのはかりしれない衝撃をにじませながら云った。
「この世はそもそも闇だらけだ。奥へ一歩進めば、至るところ暗闇に包まれている」
 セフィロスはうんざりしたように両手を挙げた。
「それゆえに神は云った、光あれ! と。スアレス伍長に話を戻そう。つまり彼は、同胞団の信者というより、金で雇われて今回のことを仕組んだ可能性が高い。となると、伍長が第十七連隊に移動した〇〇年ごろからすでに、なにかしらの計画が密かに準備されていたと考えることができるが……金で雇われるような男が、自分から少年兵のサポートをしたいなどと云いだすわけがないからな。そんな面倒な仕事はそれこそ金でももらわないかぎり選ばないだろう。同胞団と、伍長がまだつながっているかもしれないギャングとは、どのような関係があるのだろうな」
「それはこれから調べなきゃならないところです。先ほど話に出たぼくの知り合いが調査してくれるかもしれません。特殊犯罪対策課に所属してるんですが、いま協力を頼めないかどうか交渉中です」
「特殊犯罪対策課とテロ対策部って、むちゃくちゃ仲悪くない? 大丈夫なの?」
 ザックスが面白がるような声で云う。
「そりゃ、特殊犯罪対策課は、うちと捜査権をめぐってしょっちゅう争う羽目になるし、おまけにテロ対策課だけテロ対策部に格上げされたので、よく思ってないのは事実です。でも、そういうのって、すごく些末なことだと思いませんか? 大事なのは、事件を調査して解決することのほうじゃないですか。せっかくいろんな方面に詳しい専門家がそろってるんだから、部局の違いがどうこうとか捜査権がどうとか云っていないで、知恵を出しあって捜査すればいいんです」
「思うさ。みんながきみのような人間だったら、世の中平和だろうな。とはいえ、人間は政治的動物だ」
 ドアがノックされ、トースキー隊長が人を連れて入ってきた。中尉と同じくらいの年ごろの、浅黒い肌をした小柄な男だった。
「きみの友だちを連れてきたよ、中尉。やれやれ、ギャング対策班のモリガン班長がたまたま同期だったからよかったものの、そうでなかったら、百年待っても許可が下りなかったかもしれないよ」
 トースキー隊長は少々くたびれたような顔で苦笑を浮かべていた。
「ご紹介します。ダレン・バラン上等兵、先ほどお伝えしたとおり、ギャング対策を専門にやってる男です。ぼくたち、入隊した時期が近くて、部局や上下士官の垣根をとりはらうって目的で、一緒に研修を受けたりしたんですよ」
「はじめまして、総司令官閣下。副司令官も」
 バラン上等兵は握手しながら云った。声も物腰ももの静かだが、黒い目は熱っぽい雰囲気を帯びており、なにかをうちに秘めたような感じを与える。気さくなザックスが気さくにクラウド・ストライフ一等兵を紹介し、皆のあいだでお決まりの挨拶が交わされる。
「事件の概要はわたしからだいたい説明してある。上等兵は、今日の午後からさっそく調査に行ってくれることになった。それまでのあいだ、中尉、上等兵をきみに預けておくから、共有できる情報はみんな共有しておいてくれるね。もうすぐマルキン中佐が本社に来るんだ。わたしは彼の取り調べをしなけりゃならないからね。同時進行で、ニール・ヤンソンの弟の聴取も進めなけりゃならないし。ひとりで本社まで来るというので迎えを出したよ。よろしく頼むよ」
 自分の部隊長の名前を聞いて、クラウドがちょっと心配そうな顔つきになった。トースキー隊長が残念そうに首を振る。
「悪いがね、ストライフ一等兵、どうしてもきみの隊長からは話を聞かなけりゃいけないな。いまの段階では、彼を尋問して監視下に置く以外にないよ。それじゃ、頼んだよ、中尉」
「まあ、しゃーないわな。仕事だから」
 ザックスがなぐさめるように云い、クラウドの頭をぽんぽん叩いた。
「事件のことどれくらい聞いた?」
 ベルゲ中尉がバラン上等兵に訊ねる。
「必要なことはだいたいわかったと思う。まずは、伍長と連絡を取りあっていたカントスという男がどのギャング団のメンバーかつきとめて、そこからなにかわからないかやってみるつもりだよ……これ、昔の伍長の写真かい?」
 バラン上等兵が、ホワイトボードに貼られていたスアレス伍長の「黒歴史」写真を指さして云う。
「うん。たぶん十七、八のころだと思う。写真からなにかわかることってあるかい?」
「うーん、この写真じゃちょっと難しいな……」
 バラン上等兵が真剣な顔で写真を見ながら云う。
「せめてタトゥーの端っこでも映ってくれていれば、ずいぶん違うんだけどな……」
「ギャングのメンバーがみんなタトゥー入れてるって話、まじなの?」
 ザックスが上等兵とうち解けようと明るく訊ねる。
「ええ、そうでなかったらモグリと云ってもいいくらいです。たとえばぼくも、この通りです」
 バラン上等兵はおもむろに着ていたシャツの袖をまくり上げ、左の前腕をあらわにした。頭蓋骨の下で二匹の蛇がからまりあっており、十三という数字が彫られている。
「これはぼくの所属していたギャング団のシンボルマークです。こういうものを、構成員は必ずといっていいほど体のどこかに彫っています。一種の通過儀礼のようなもので、仲間意識や忠誠心を育てるのに非常に効果的です。ぼくもこいつを彫ったときには、自分が生まれ変わったような、なんとなく誇らしいような気がしたものです」
「てことは、上等兵は元ギャングなの?」
 ザックスが無邪気に訊ねる。
「そうです。十一歳からギャング団のメンバーでした。ありとあらゆることをしましたが、ギャング対策班に引き抜かれてここに来る前は、刑務所にいました」
 ザックスが口笛を吹いた。
「なにしたの? 訊いていい?」
「ええ、かまいません。仲間と四人で別のギャング団を襲撃してほぼ皆殺しにした罪で、終身刑を食らっていました。その事件を担当したのが、いまの上司なんですが」
 上等兵は天気のことでも話しているような口調で云った。ザックスはまたも口笛を吹いた。
「なにも知り合って早々云うことないのに」
 ベルゲ中尉が顔をしかめる。
「こういう話は、いずれ耳に入ることだから」
 上等兵が、どこか寂しそうに云った。
「ほっときゃいいよ、昔のことでどうこう云うやつなんか」
 中尉がぷりぷりして云った。
 セフィロスは、さっきからクラウドがバラン上等兵のタトゥーを穴のあくほど見つめているのに気がついた。
「どうしたんだ?」
 セフィロスは訊ねた。
「なあに、クラちゃん、タトゥーに興味あんの? 入れたいならおすすめの彫り師紹介するよ。そのへんの適当なやつはやめとき。下手なのに当たると最悪よ」
「…………思い出した」
 クラウドがぼそりと云った。
「なにを?」
 ザックスが訊ねると、クラウドは困惑したように顔を上げて、みんなを見まわした。
「うん、あの……おれあの十字星同胞団のマーク、どっかで見たことあるって気がしてたんだけど、どこで見たか思い出したんだよ」
 クラウドはセフィロスを見た。セフィロスは微笑んだ。おまじないはよく効いたらしかった。
「それがさ、そのマーク、その、ベイリーの腰のとこに入ってるんだ……つまり、あいつ、同胞団のマークのタトゥー入れてるんだ。おれ、いつだかあいつが着替えてるときに見たっていうか、ちらっと見えちゃったんだ。かなりきわどいとこに入ってるやつだから、普通だったら見ることなんかないはずなんだけど、そのとき、あいつ指輪かなんか落っことして、それがロッカーの下に入ってっちゃって、ものすごいかがみこんでたんだ……どうしよう。おれすごくまずいこと云ってる気がする」
「まずいどころの話じゃないよ、冗談じゃない! 病院のベイリーを押さえなきゃ!」
 ベルゲ中尉が叫び、電話をかけながらあわてて執務室を出ていった。
「……えらいこっちゃ」
「えらいことですね」
 バラン上等兵が考えこむように顎をさすりながら云った。
「どんどこ妙になってくる」
 セフィロスが楽しそうに云った。
「第十七連隊伏魔殿説は、どうやら本式になってきた」
 中尉が戻ってきた。
「ベイリーがいません」
 中尉は憤慨して、赤くなっていた。
「今朝九時過ぎの回診のときには確かにいたそうですが、いまはどこにも姿が見えないそうです。消えました、病室から、完全に!」
 そしてふいに爆発し、「ああもう!」と云って、頭をかきむしった。
「どうなってるんだ、この第十七連隊ってとこは! どいつもこいつも!」
 クラウドは自分もそこに含まれているような気がして、頭をかいた。

第三章

「アントン・ベイリー、一九八六年五月十二日生まれ、十六歳、ロケットポートエリアの出身」
 ベルゲ中尉はまだどことなく不機嫌な顔つきのまま、ホワイトボードに貼りだされたベイリーの写真を指しながら云った。セフィロスがあくまで床に座るので、みんななんとなく床に車座になって中尉の話を聞いた。セフィロスには、任務や事件の第一報を聞いたときにとっていた姿勢を、それが片づくまでとり続けるという奇妙な癖がある。窓の外を見ていたのなら、報告のたびに窓を向いているし、ソファに転がっていたのならソファに転がっており、ひどいときには、第一報を知らせるソルジャーが駆けこんできたとき、たまたま床に座ってウータイの仏のごとくに禅定印を結んで半分目を閉じていたというので、報告のたびに瞑想に入ったようなかっこうになってしまい、われわれのボスがとうとう出家して悟りをひらいてしまうのではないかと、ソルジャーたちをたいそうおののかせた。この奇癖ならびにみずから好んでふりまく与太話のせいで、ソルジャー部隊の総司令官閣下はおそるべき変人として通っていた。
「ベイリーの父親は材木商で、ウータイと取引があり、ベイリーが八歳のとき、取引を終えてウータイから帰る途中、ゲリラ戦に巻きこまれて死亡してます。不幸なことに、亡くなる直前に新規事業のためかなり大がかりな融資を受けたばかりだったので、ベイリー家はその返済で困窮し、母親はやむなく、まだ小さかったアントンの弟を養子に出しました。アントンはこのことで母親を決して許さないと周囲に漏らしていたことがあるそうです。弟を猛烈にかわいがってたそうなんですね。生まれつき、ちょっとネジの巻きすぎた人間なのかもしれません」
 ホワイトボードに貼られたベイリーの写真は、制服姿で無表情だが、人なつこそうな眼をしている。危険人物にはとても見えないし、はきはきしていそうだが、とびきり優秀そうにも見えなかった。
「彼の過去にはほかにとりたてて特別なものはありません。十四歳でうちの幼年学校に入学、担当教官の話では、真面目で人当たりがよく、問題を起こしたことは一度もなかったとか。いわゆる『普通』でひとくくりにされてしまう生徒のひとりだったようで、可もなく不可もなく、あまり印象に残っていないようでした」
「得難いスパイの素質を持ってるな」
 バラン上等兵がベイリー一等兵の写真を見つめて云った。
「そういう人材は貴重なんです。毎日接する人の印象に残らないというのはかなり難しいことですから」
「母親とどういう関係だったのか気になる」
 セフィロスが云った。
「弟の件で母親とぎくしゃくしているなら、ちょっと潔癖の度が強いというだけですむが、良好な関係を築いているとすれば、かなり危険なタイプの少年かもしれない」
「それをすぐ思いつくのがあなたなんですよね。それにうちの部長。母親には、昨夜事件のことを連絡してあるんですが、ひどく心配してとり乱した挙げ句に夜のうちにバスに飛び乗って、いまミッドガルに向かってるそうです。母親の経済状況では高速移動は期待できそうにないですから、到着は早くても年明けになると思います」
「控えめに云って最高にやばいやつっぽいね」
 ザックスがうれしそうに手もみしながら云った。
「たぶん、母親を軽蔑しきっていて、くだらない女相手によき息子として接してやっているとでも考えていたんじゃないか? そういうタイプはよくいる」
「トースキー隊長のやり方に従って、ストライフ一等兵の印象を訊きたいんだけど、ベイリー一等兵についてはどう思っていたんだい? きみとは同期になるけど、幼年学校時代につきあいはあった?」
 クラウドは首を振った。
「連隊に入るまで存在も知りませんでした。おれ、学校の連中とはほとんどつきあいないし、知らないんです」
「じゃあ、第十七連隊入隊後の彼の印象を教えてほしいな」
 クラウドは首を傾けて考えこみ、それから頭をかいた。
「いいやつだと思ってました……普通に挨拶とかしてくれるし、更衣室で会うと話しかけてきてくれたりして」
「……それだけ?」
 中尉はだいぶ待ってから、拍子抜けしたような顔で云った。
「これまた印象に残るようなことはなにもなしってやつか。参ったな。いま捜査部隊の連中が、ベイリーの同僚やなんかに話を聞きにまわってるんですけど、どうもみんなそういう反応らしいんですよね。あいつはいいやつだよ、そんなことするわけないし、できるとも思えないよ、って。それで、その根拠を問いつめると、しどろもどろになってしまうんです」
「おまえの『いいやつ』にはずいぶんいろいろな意味があるからな」
 セフィロスはクラウドを見つめて云った。
「ザックスに対して云うような『いいやつ』、どうでもいい『いいやつ』、よくわらからないからとりあえず適当にぶちこんでおく『いいやつ』……ベイリー一等兵はどの『いいやつ』なんだ?」
「んー、……たぶん一番最後の。性格のいいやつなのはわかるけど、だからってどうしたらいいかわかんない。なんていうか、いっつも『きみの味方だよ』みたいなにこにこした顔してて、はじめはちょっとうざいなって思って、なにか目的があっておれに近づこうとしてるのかなって思ったけど、どうでもいいような話しかしないし、それ以上おれに近づきたいみたいな感じもなかったから、おれきっと誰にでも気さくなやつなんだなって思うことにした……だって、なんか変なんだ。誰にでも気さくなやつって、おれに云わせればザックスみたいなやつのことだけど、でもベイリーってザックスみたいにいっぱい友だちいるような感じじゃないんだ。みんなににこにこしてるけど、別に誰とも仲よくないっていうか、なにしたいのかよくわかんないんだ。だから、とりあえずいいやつってしか云えないんだよ」
 クラウドは云い終わると、セフィロスを見た。
「……なるほど。おまえの云いたいことはわかった」
「この状況でその話を聞くと、なんだか不気味ですね。ずいぶん変なやつに聞こえますよ、それ」
 ベルゲ中尉が考えこむように首をひねった。
「だがともかく、ベイリー一等兵が今回の事件となんらかの関係がありそうなことはまず確実と見られるから、事件をちょっと訂正してみよう」
 セフィロスはホワイトボードをがたがた音を立てながら裏返し、前日に自分がまとめていたプランAとBが書かれた面をあらわにした。
「たとえば、当初実行される予定だったプランA、すなわち、ストライフ一等兵を公園に連れこんで拉致するプランにおいては、拉致されたストライフ一等兵の身代わりはベイリー一等兵がやることになっていた、と推測できないだろうか。仲間が襲撃して、ベイリー一等兵はトイレで待っていたと考えることもできるし、着ていた制服のサイズから考えても、彼は年齢の割にかなり体格がよく力がありそうだから、ベイリー一等兵自身がストライフ一等兵を襲撃する予定だったと考えることもできる。いずれにしても、ベイリー一等兵は勤務時間が終わる午後八時近くまで、ストライフ一等兵のかわりに巡回路を巡回し、交代場所の劇場前には行かずにどこかのタイミングで抜け出してしまう。ベイリー一等兵とストライフ一等兵の体格はあまり似ていないが、制服姿で入れ替わってしまえばすぐにはわかるまいと思う。うちのあの悪名高いヘルメットのおかげで。あの顔の判別を困難にするヘルメットはどうにかならないのかとおれは前々から云っているんだが」
「なーる」
 ザックスが陽気に云った。
「ベイリー一等兵は、そのお役目のために十二月二十五日を空けとかなきゃなんなかったから、もともと休みになってた。で、今回実行されたプランBに変更になったとき、勤務兵としてそのまま使えたわけね。んでもって、ストライフ一等兵の身代わりには、ヤンソン少年を持ってきたと。このヤンソンくんって、どんなやつ? おれ思うに、この子たぶん典型的な学校のいじめられっ子だよ」
 ザックスはがたがた音を立てながらホワイトボードを裏返し、ヤンソン少年の絶望的に暗い顔写真を指さした。
「あの犯行声明動画見た瞬間に思った。この子はやられるタイプの子だって。そういう顔してるし、そういう雰囲気してる」
「残念ながらぼくもそう思いました」
 バラン上等兵が云った。
「入学したその日にどやされて地面に投げ倒される子。その場でやり返せなければ、卒業までそれが続く」
「今日は学校での聞きこみと、いま弟の聴取も行われてますが、聞きかじったかぎりだと、射殺されただけでもやりきれないのに、ますますやりきれないことになりそうな感じがします。普通、こういうことがあった場合、なによりも両親に話を聞くものですが、ヤンソンくんの場合、どうやら両親からの情報はあまり期待できないみたいなんです。大学教授の父親のほうは、研修やら学会の発表やらで飛び回っていることが多いみたいで、母親も泊まりこみで実験しなきゃいけないような研究をしているらしく、ふたりとも家にいるほうが珍しいらしいんです。家事や子育ては人を雇って任せてたようですね。それに、両親の経歴の割に、ヤンソンくんの通ってる高校のレベルが低いことも気になってるんです。一応名門の部類に入るっちゃあ入るんですけど、裏じゃ金持ちのドラ息子ドラ娘が入る名ばかり名門校って云われてて、成績のいい人間はまず入らないようなとこですね。両親はどちらも有名大学で博士課程を修了してるんですが。父親なんか、博士号を三つも持ってるらしいんですよ」
「ヤンソンくんが希死願望を持った情緒不安定な少年になるのがわかる気がしてきたな」
 セフィロスがため息交じりに云った。
「明るい我が家の光はともっていそうにないし、学校では成績がぱっとしないうえにいじめられているときては」
「これで弟ができのいいやつだったりしたら完璧ですね」
 バラン上等兵は少しも皮肉のない真面目な調子で云った。
「この場合、弟がいいやつであればあるほど悪い」
「たぶんそうだろう。賭けてもいい」
 セフィロスは憂鬱そうに云った。
「そういう最悪の組み合わせなら、世にいやになるほどあふれかえっている。最高の組み合わせというものに滅多にお目にかかれないことを思えば、なにやら恐るべきことのような気がする」
 中尉の電話が鳴った。
「はい、ベルゲです……はい、……はい、ええっ? それは……はい、はい……わかりました、そうします。ありがとうございます……」
 中尉は電話を切ると、セフィロスとザックスを交互に見つめた。
「おふたりともちょっといいですか? 確認していただきたいものがあるんですが」
 中尉がドアを指さしたので、ふたりは中尉とともに執務室を出た。ドアが閉まると、中尉はすぐにふたりをふり返り、真剣な顔で口を開いた。
「いまの電話は、ベイリーの自宅を調べに行った人からなんです。ベイリーは幼年学校を卒業すると同時に、親戚の人が持ってる物件だとかいうふれこみの、八番街のアパートに引っ越しているんですが、その部屋には、部屋の大きさにそぐわないような年代物の大がかりなワードローブが置いてあって、その中に、ちょっとした祭壇らしきものが作られていたそうなんです。扉を開けたなかに小さな棚がひとつ置かれて、十字星同胞団のマークの入った青い布がかけられていて、その上にろうそくと、ハーストンの写真や著作などの同胞団の出版物が置かれていました。さらに、その棚の横に……とにかく、写真を見てください」
 中尉はちらりと気遣うようにふたりを見たあと、端末を操作し、ふたりに向かってさし出した。
 大きなクローゼットの扉が左右に開かれ、中があらわになっている写真だ。中尉の云う祭壇のようなものがクローゼットの右寄りに置かれ、左側には、正面を向いたクラウド・ストライフ一等兵の証明写真と幼年学校の制服がぶら下がっている。正面向きのクラウドの写真とあいまって、一瞬そこにクラウドが立っているかのような錯覚をおぼえる。制服の胸の部分に、一枚の紙が貼られていた。中尉がその拡大写真を見せてくれた。次のような文言が、手書きで書かれていた。

 みだらな者、偶像を礼拝する者、男娼、男色をする者……心せよ。『みだらな行いをする者は、自分の体に対して罪を犯している』(※11と古の書は云う。しかし、われわれは云う。自然に反する行いをする者は、星の意志に対し大逆の罪を犯しているのである。すべて人の行いは星の意志に調和するものでなければならず、道徳的で、自然なものでなければならない。そうでないものはすべて道に外れている、と大いなる星の霊は云われる。

「この顔写真、気味の悪いことに、ちょうどストライフ一等兵の身長の高さくらいのところに貼られているようなんです。それに総司令官閣下は確か、ストライフ一等兵は幼年学校の卒業直前に制服をなくしたとおっしゃってましたよね……」
 ベルゲ中尉の顔は、理解できないものを目にしたときの困惑した人のそれだった。
「……わーお」
 ザックスが無感動に云った。
「ねえボス、十字星同胞団って人の性的指向方面にまで首つっこむ団体なの?」
「そうらしいな」
 セフィロスは写真を凝視したまま云った。
「まあ行くところまで行けば当然、そうなるだろうな。男女の結合と子孫繁栄は人間に残された最後の自然ともいうべき領域だろうから。男色や家族制度の崩壊は、文明が生んだ悪徳のせいというわけだ。旅の生活を拒否し、定住し、母なる星が耕さずとも恵んでくれる自然の恵みを否定して、農耕を開始し文明を築き上げた罪深いわれわれ新人類。だがおれは思うんだが……いま人間に自然と調和する部分など残っているのだろうか? このような戒めを必要とする時点で、人間の自然な本能などすでに壊れているのだと思わないか? ともかく、ベイリー一等兵がそれを非常な悪徳だとみなしていることはわかった。男色は悪徳で、子どもを自分で育てない母親も悪徳か。やれやれ。だがベイリー一等兵がほんとうに裁いているものは、いったいなんだろうな。非常に興味深い問題だと思わないか?」
 ザックスとベルゲ中尉は、思わず顔を見合わせた。

 アントン・ベイリーがどのような深層心理を抱えているかはともかく、ニール・ヤンソン少年の弟カールは、不幸なことに、めったにないほどできたやつだった。十三歳にしてすでに、顔には賢明さと誠実さがあふれており、自分がまだ未熟であることを知っていて、しかも変に成熟を焦ろうとも、装おうともしていない。彼は神羅ビルの高層階に連れてこられ、大人たちに囲まれて話をするあいだ、とり乱したり泣き出したりするようなことは一度もなかった。両親は一緒に来ていなかった。カールがそう望んだのだ。
 調書には、次のようなカールの言葉が記録されている。
「ニールは幸せそうに見えたことがぜんぜんありませんでした。すごくいい人なのに、自分をとりえのひとつもない、この世で一番のダメ人間だって思いこんでました。ぼくはそんなことないって何度も云ったんだけど、ニールはほんとにしませんでした。学校の成績がいつもぼくより下なのを気にしてました。でもぼくは別にニールより上になりたかったわけじゃないし、学校の成績がよくたってひどい人はいっぱいいます。それでも、ニールにはそういうことがすごく気になったみたいです。お父さんが教授をしてるってことが、すごくプレッシャーだったみたいでした。
 ニールは学校でもずっとうまくいってませんでした。友だちはいたけど、いやなやつらに目をつけられちゃって……ぼくたちニールが高校に入るまで同じ学校に通ってたので、ぼく、なんとかしたかったんですが、ニールはぼくには関わってほしくないと思ってたみたいで、一度ぼくが止めに入ったら、余計なことしやがってってすごく怒られて、何日も許してもらえませんでした。
 ニールの様子が変だって思うようになったのは、ちょうど一年くらい前からです。去年のクリスマス前、ぼくたち一緒にクリスマスの買い物に出たんですが、そのときニールに声をかけてきた男の人がいて……ええと、たぶん四十歳くらい。普通のビジネスマンみたいな人でした……ニールはその人のこと知ってたみたいで、ぼくから離れて少しその人と話しました。聞くつもりじゃなかったんですが、今度の会合とか、次の課題とか、ちょっとニールっぽくないような言葉が聞こえたので、ぼくあとから、あの人誰なのって訊いてみたんです。ニールは友だちのお父さんだって云ってたけど、ぼくは嘘だなって思いました。
 それからしばらくたった日ですが、ぼくたちが一緒に歩いてたら、またニールに声をかけてきた人がいたんです。今度はニールと同じくらいの歳の男の子で、友だちにするみたいにニールに手を挙げて、ぼくだよ、元気? とかなんとか云いました。ニールも彼に笑いかけて、ふたりが話しはじめたので、ぼくは離れてましたが、ちょっと驚きました。ニールがその男の子にすごく楽しそうに笑いかけたり、話したりしてたからです。そんなに仲のいい友だちがいたなんてはじめて知りました。もちろん友だちはいたけど、一緒にいてもあんなに楽しそうにはしてなかったんです。それに、その子のこと、学校で一度も見かけたことがない気がしたんです。ぼくしばらくのあいだ、学校でずいぶん注意してその子のこと探したんですが、結局一度も見なかったし、たぶん同じ学校の生徒じゃなかったと思います。
 そのあとしばらくはなにもおかしなことはなかったんですけど、中学の卒業前くらいから急に、ニールがなんていうか、ちょっとこそこそしはじめたんです。ニールが、今日は卒業パーティーの打ち合わせがあるから帰るのが遅くなるって云った日があって、その日はぼくもたまたま少し帰りが遅くなったので、ニールがまだいたら一緒に帰ろうと思って、教室に行ったんです。そしたらニールはいなくて、まだ残ってた人たちに訊いたら、今日は打ち合わせなんかないって云うし、ニールはとっくに帰ったって云われました。それから続けて何度かそういうことがあって、ニールの友だちに聞いてみたら、最近学校を休みがちだっていうんです。ぼく全然知らなくて、すごくびっくりしました。でもそのときは、ニールらしくないとは思ったけど、もうすぐ卒業だから、もう学校に行く意味なんてあまりないのかもしれないと思いました。行ったって、どうせいじめられたり、からかわれたりするだけだから。
 今年の九月にニールは高校生になりましたが、高校がはじまってひと月くらいしてから、今度はだんだん家に帰らなくなったんです。高校生になったんだし、生活とかつきあう人間が変わったんだってニールは云ってて、夜はすごく遅くに帰ってくるか、帰ってこないこともあって、週末は友だちの家で過ごすからって、いつもいなくなってしまうんです。それがずっと続くので、ぼくなんだか心配になってきて、これはつい先週のことなんですが、思いきってニールが留守のあいだに部屋に入ってみたんです。なにか理由がわかるものがあるかもしれないって思って。ニールは部屋に入られるのをすごく嫌ってて、いつも鍵をかけてたんですが、その鍵、古いのでちょっといじるとすぐ開いちゃうんです。ぼくは部屋に入って、中をぐるっと見まわしてみました。でも別におかしなものはなかったので、すぐに出ていこうとしたんですが、ふとラップトップのランプがちかちかしてるのが目に入って……いけないってわかってたけど、スリープを解除して見てみました。パスワードは知ってました。いつも同じの使ってたんです。
 ラップトップは、メールが立ちあがったままになってました。『今回の任務の件』とか『次の訓練の件』とかおかしな件名のメールばっかり並んでました。友だちの兄さんにサバイバルゲームが好きな子がいて、その子がそういうやりとりしてるの見たことがあるから、ぼくそういうものなのかなって思って、試しに一通開けてみたんです。そしたら、星の運命とか、きみの使命とか、やつらに裁きをとか、すごく変な内容のメールでした。ほかのもいくつか読んでみたんですが、きみは勇敢な行為によって歴史に名を残すとか、死は終わりじゃなくはじまりに過ぎないとか、ぎょっとするようなことが書いてあって、ぼくちょっと怖くなりました。それでどうしようか考えたんですが、ぼくひとりじゃどうにもできないような気がして、クリスマスにはお父さんとお母さんがそろうから、そのときに相談しようって決めて、誰にもなにも云いませんでした。
 事件の連絡があったのは、ぼくがちょうどお父さんとお母さんにそのことを相談しようとしてたときでした……だからこのこと、まだふたりに云ってないんですが、ぼくから云わなくちゃだめでしょうか? ぼく、なんだか……ぼくがすぐにニールと話しあうとか、なにかしてたら、こんなことにならなかったんじゃないかって気がして……」
 一同はこれを床に車座になって読み、すっかり気分が暗くなってしまった。なお調書には、カール少年が事件関係者の写真を見せられて、アントン・ベイリー一等兵を、いつだか路上で兄に話しかけた少年だと認めた、とあった。
「お先真っ暗でドッ暗って感じ」
 ザックスが天を仰いで云った。
「まじでこういうの一番苦手。勘弁してほしい」
「おれニールってやつのことかわいそうになってきた」
 クラウドが怒ったような顔で云った。
「気持ちわかる」
「なぜ世の不幸というものは、ひどく偏在しているように見えるんだろうな」
 セフィロスは真剣な顔で考えこんでいた。
「まるで、ひとつ不幸の根があると、ほかのありとあらゆる不幸を呼び寄せてしまうという人間がいるように見えることがある。同じ環境で育っていながら、これほどかけ離れたふたつのタイプの人間を見ると、なにか底なしの不気味な穴をのぞいているような気持ちになる」
「ヤンソンくんのラップトップは、昨夜のうちに押収してあったんですが、初期化されていて役立たずだったそうです。おそらく家を出る前にそうするように、指示されていたんですね」
 中尉がくやしそうに云った。
「ほかになんか同胞団つながりをにおわせるようなものってないの?」
 ザックスが訊いた。
「本人の部屋からはなにも出てきていません。たぶん、同居する家族もいるし万が一のことを考えて、みんなラップトップひとつですませてたんだと思います。部屋にあるものといえば、学校のテキストやコミックや少年の部屋にあるお決まりのものだけで……思うんですが、なんでも端末でできるようになるのは便利でいいことだと思うんです。でも、なにかあったとき、そのなかのデータがなくなっちゃうと、個人を思わせるようなものがなにもないってのはどうなんでしょうか? 捜査上の不利益も甚だしいし、親御さんは息子を偲ぶための形見の品がないし」
「息子の主な遺品がデータの残っていない端末一台とは確かに笑えないな。だからおれは文明が間違った方向に進んでいるというんだ。もっともこれから先、人類に故人を偲ぶ気持ちもなくなっていくなら別だが」
「それがなくなっちゃったら、おれなんのために生きてんだかわかんなくなるな。てことはよ、いまんとこ、アントン・ベイリー一等兵しか生きた証拠がないってことか」
「ええ、だからなんとしてもベイリーを見つけなきゃならないんですが、これがまた難しそうで。どうやって病院から抜け出したのかもわかってないんです」
「面会に来たのは誰なの?」
 ザックスが訊いた。
「そう云うと思ってました。ここにリストを作ってあります、来た順番に……まずはマルキン中佐ですね」
「ああー」
 ザックスが絶望的な声を出した。
「中佐はいま聴取を受けるためにうちに来てて、もうすぐはじまると思います。念のため見張りをつけているので、彼まで逃走する可能性は低いと思います」
「おれはじまったら見に行っていい? なんか責任感じちゃうわ」
「ええ、もちろんです。ベイリーの面会者リストの続きですが、面会者は全員、連隊の人間かうちの関係者ですね。母親は移動中だし、友人や知人は誰も来てません。いやな話ですが、面会した全員を問いつめなきゃならないことになると思います」
 ベルゲ中尉の電話が鳴った。
「はい、……はい、わかりました、ありがとうございます……マルキン中佐の聴取がはじまります。行きますか、フェア副司令官?」
 ザックスは諸手を挙げて行くと云った。

 取調室の椅子に、マルキン中佐が手持ち無沙汰で座っている。狭い部屋だ。小さな机と、椅子が二脚。ザックスは隣室に待機して、ミラーガラス越しにその部屋の中を見ていた。ガントナー部長も来ていて、難しい顔で腕を組んでいた。
「ひとつ教えてほしいんだが、きみは正確にはいつごろからマルキン中佐と知りあいなんだい?」
 部長がザックスに訊ねた。
「一九九七年から。当時、マルキン大尉はジュノンで治安維持部隊の小隊長してた。ウータイの精鋭隊がジュノン襲撃した事件、覚えてる?」
 ガントナー部長はうなずいた。
「一九九七年のジュノンの奇跡だね。彼があのときの指揮官だったとわかって驚いた。あれだけのことをなしとげた指揮官なら、もっと花形の部隊で活躍していてもいいはずなのに、治安維持部隊の連隊長とはね……」
「これ云っちゃうと、ジュノンの奇跡が奇跡じゃなくなっちゃうから口外しないでほしいんだけど、おれあのときたまたま近くにいて、連絡受けてジュノンに急行したんだよね。ちょっと単独行動してたの。あれはウータイが冴えてた。いい作戦だった。神羅軍は、ウータイ軍が山地を抜けてジュノンエリアからミッドガルエリアに移動してくると思ってたから、みんなそっちに駆り出されて、ジュノンはほぼがら空き状態だった。そこを一万の精鋭隊に襲撃されて、おれが着いたとき、指揮官といや留守を任されたマルキン大尉ほか十名くらいしかいなくて、兵士の数はかき集めても四千ちょっと。状況は絶望的って感じだった。おれが行かなかったらたぶんジュノンは落ちてた。ザックス・フェア史上一番きつい戦いだったかも。おれがひとりで行かされたこと、ボスがあとで知って、怒り狂って大変だったんだ……そんときは、まだハイデッカーがときどきしゃしゃり出てたからさ。まあそれはともかく、おれ公式にはジュノン近郊なんかにいるはずないことになってたから、四千の兵で一万のウータイ軍を破ったジュノンの奇跡は、その場にいた指揮官の機知とたくみな戦術、それに兵士たちの連携と高い士気によってなしとげられた、ってことになった」
「なるほど、そういうことだったのか。あのジュノンの奇跡がどう考えても不可能だったことは、兵法のド素人でもわかる。勝てるはずのない戦いだった。なにか裏があると思っていた。それじゃマルキン中佐はきみに頭が上がらないだろうな」
 ガントナー部長は苦笑した。
「実際いまでも恩に着てるって顔されることある。おれはそんなことどうだっていいんだけど。そのとき以来、なんか話が合っちゃって、いい飲み友なの。おれどうしても、あの中佐が今回の件に噛んでるとは思えないんだ」
「でも中佐みずからが、ストライフを引きとると云ったんだろう? みんなつながっていたと考えるほうが話は早いはずだがね」
「まあね……でもそうなると、連隊長クラスの人間が同胞団に汚染されてることになって、それはそれでえらいことじゃないの」
「その程度のえらいことは、これだけ巨大な組織なら起こり得るさ。いまじゃ世界中で、神羅と少しも関係のない仕事なんてまれになってしまった。もぐりこむ隙もチャンスもどこにでも転がっている。だからタークスのようなのが必要になり、我々が必要になる……そういえば、ツォン主任がきみによろしくと云っていたよ。きみ、彼をほくろ上司なんて呼んでるのかい? 勇気があるね」
 ザックスはうなり、きっとその話を漏らしたに違いないタークスの赤毛の男に向かって毒づいた。
 トースキー隊長が取調室に入室してきて、立ちあがったマルキン中佐に着席をうながした。トースキー隊長はガントナー部長ばりにきびきびと仕事をこなすべく、いくつかの事務的な確認のあと、スアレス伍長ならびにベイリー一等兵の素性についてぎょっとするほどぶしつけな質問をし、マルキン中佐を赤面させたり困惑させたりした。
「うまい」
 ザックスは口笛を吹いた。
「誰かのこと追いつめるとき、ああすりゃいいんだ」
「おまけにその反応で、相手がほんとうになにか知っているのかどうかわかる。トースキーが捜査部隊長になったのは、あの眠そうな羊みたいな目で、どんな質問も顔色ひとつ変えずにしてのける男だからさ……ほら、汗が出てきてる」
「そのような形でわたしを揺さぶらなくても、知っていることはなにもかも話しますし、進んで協力します」
 マルキン中佐は額の汗をぬぐって云った。
「ですが、その話すことがなにもないんです。わたしはいまどれだけ間抜けに見えていることだろう。部下が立てつづけにふたりも失踪し、重大な事件にかかわった可能性を指摘されているというのに、なにも云うことがないとは」
「別に間抜けには見えません。お人好しと間抜けの差は微妙なものだとは思いますが」
 トースキー隊長は戦略的な恥知らずであるだけでなく、戦略的な皮肉屋でもあるようだった。
「あなたの経歴ですが、一九九七年のジュノンでの一件をのぞけば、とりたてて興味深いものは見当たりませんね。部下からの評価はおしなべて、優しい、いい上官。あなたの部隊では、部下の処分や処罰の件数がほかの部隊と比較してかなり少ないですが、これは見逃しているんですか、それとも温情をかけているんですか? あるいはなにか特殊な力が働いていて、あなたの部隊だけどこにでもいるような問題児がやってくるのをまぬかれているんでしょうか。いや、現状はむしろ逆ですね。あなたの部隊は問題児だらけだ。よそで問題を起こした人間をあちこちから引きとってやっているじゃありませんか。たとえばスアレス伍長。二年前、同僚ともめて暴力沙汰を起こしたのを引きとっていますね。それにストライフ一等兵。彼はよりぬきの問題児という前評判の人物ですが、あなたは寛大にもソルジャー部隊のフェア副司令官に引きとりを申し出ている……」
 トースキー隊長は繰っていた書類の束を、興味がなさそうにまたひとまとめにして、脇に置いた。ストライフ一等兵の名前が出たとき、マルキン中佐の顔がぴくりと痙攣した。
「あなたはなぜ、スアレス伍長やストライフ一等兵のような問題児を引きうけようと思ったんですか。メリットはなにもないはずですね。もしもストライフ一等兵が改心して優秀な警備兵にでもなったとしたら、少しはあなたの手柄になるだろうか? 問題児を立派に育て上げた名指揮官として……そうは思いませんね。彼がどんなに優秀で、星の数ほど功績を上げたとしても、手柄は本人のものでも、まして責任者であるあなたのものでもなく、すべてソルジャー部隊総司令官閣下の名前に帰されるのがオチですしね」
 トースキー隊長は淡々と話していた。
「おれ、あの人に好感持ってたけど、苦手かもしんない。痛いとこぐさぐさついてくんなあ!」
 ザックスはうめいた。
「まさか。取調室以外ではいいやつさ。陰じゃみんなトムおじさんと呼んでいて、ときどき勤務中に奥さんから電話がかかってくるんだが、まあそれが見事でね。『わかったよ、ベティ』、『帰ったらすぐやるよ、ベティ』、『いいとも、買って帰るよ、ベティ』……あれを一度も真似しないですませられる人間がいたら、それだけでたいしたものだね」
 ガントナー部長がにやりと笑って云った。
「なぜって、困っている人間は助けてやるべきだからに決まってるじゃありませんか」
 取調室ではマルキン中佐が憤慨して、思わず椅子から立ちあがらんばかりになっていた。
「ストライフ一等兵は、確かにかなり問題行動を起こしがちな少年かもしれませんが、わたしには彼がなぜそうなるのかわかる気がするんです。あれくらいの年齢の子どもには、世慣れた大人のような顔と、おそろしいくらいの純粋さとが、おかしなバランスで同居しているものなんです。あなたお子さんは?」
 トースキー隊長は肩をすくめた。
「わたしには息子がふたりいます。上の息子もちょうどあれくらいの年齢で、いっちょまえの顔をしていっちょまえになにかしていますが、まだどれほど保護を必要としている存在かということが、親にはよくわかるんです。神羅軍が未成年兵士を容認しているからには、もっと子どもたちを保護し、支援してやる義務があると思います。難しい立場に立たされている子や、問題を起こしがちな子には特にそうです。問題行動はただ処罰して終わりというやり方には、わたしは賛成できません」
「わたしに云わせれば、その手の支援は年齢を問わずありとあらゆる場面でもっと必要なような気がしますけどもね。まあ、その議論は措いておきましょう。お考えはご立派です。じゃああなたは、そうした考えからストライフ一等兵を引きとる意志をフェア副司令官に伝えたと。そしてその結果、今回のようなことが起きた……思うんですが、あなたは、自分が部隊の統率をとれていると思っていましたか? 自分はミッドガル市民を守る治安維持部隊の指揮官にふさわしい人間だと思いますか? だってそうでしょう、人員配置のチェック体制に致命的な欠陥があり、ほとんど機能していないことが発覚する、あなたがたいへん気にかけている未成年兵士たちの配置を決定するのに、よりによってスアレス伍長のような人間を選んでしまう、警備兵が入れ替わっていても誰も気がつかず、夜勤の兵士は遅刻の常習犯。これだけのものを積み上げられてしまっては、悪いがとてもあなたを擁護する気になれない。あなたが致命的に無能な隊長か、目的があってあえてこうした事態を容認しているかのどちらかです。後者なら、まだ話を聞く気にもなりますが、前者の場合、わたしはあなたになんと云ったらいいかわからない」
 トースキー隊長はぴしゃりと口を閉じ、じっとマルキン中佐を見つめた。中佐は歯を食いしばり、しばらくじっと机の上を見つめていた。
「……いつかこうなるんじゃないかと思っていた」
 だいぶたってから、マルキン中佐は絞りだすように云った。
「いつかきっと、こういうことが起きると。もともと、軍の世界には向いていないとずっと思ってきました。おっしゃる通り、人に厳しく当たるのが苦手なんです。問題を起こすのは困っている人間だとどうしても思えてしまって、時間をかければきっとよくなると思ってしまう。それでも、支えてくれる部下に恵まれて、これまでなんとかやってきました。でもとうとう限界が来たんです……もともとわたしの昇進は棚ボタもいいところで、九七年のジュノンの件があったればこそでしたが、あれはさまざまな偶然が重なった奇跡であって、自分の功績にできるようなものではないんです。そのことがずっと気になっていました。自分の能力でこの地位を得たわけではないんだということが……そもそも、このように昇進して重大な責任のある職務に就くだけの器をもっていないんだということが、ずっと頭から離れなかった」
 ザックスが額をぴしゃりと叩いた。
「でも、降りるわけにはいきませんでした……昇進を取り消してくださいなんて云い出す勇気もなかったし、養わなくてはならない家族もあり、気づいたら後には引けないところまで来ていました。自分にもどうにかやれるんじゃないかとがむしゃらにやっていたら、ここまで来ていたというのもあるかもしれません。ですが、ずっと不安でした……こんな形になって、無能さをさらけ出して、かえってよかったのかもしれません。わたしのような上官をもった部下たちには、不運だったというしかありません。そしてこのような事件を起こす隙を作ったことについては、ストライフ一等兵やフェア副司令官に対して申し訳ないとしか……自分の部隊でなにが起きているかもろくに知らず……知っている隊員がいても云えなかったかもしれませんね、処理するのがわたしですから……」
 マルキン中佐は力なく笑った。
「……中佐がこんなに苦しんでたなんて知らなかった」
 ザックスが腹立たしげに云った。
「おれに向かっては、感謝しか云わなかったからさ……でも、きついよな。自分が実力以上の評価されてるんだなんて、いつも思ってなきゃならないとしたら。マルキン中佐なら、実力あったはずだし、実力どおりの指揮官になれたはずなのに……なってるもんだとばっかり思ってたのに」
「大きくなりすぎた影か」
 ガントナー部長が云った。ザックスはあとでこれとまったく同じ言葉を、セフィロスから聞いた。

第四章

 アンヌ・ルナンは、まだ三十そこそこでありながらすでにいくつもの賞を受賞している実力派のシェフであり、四番街にある彼女のレストランはいつも予約でいっぱいで、原則として予約制でないランチはたいへんな激戦である。十一時の開店前からすでに行列ができているのが常であり、食材がなくなると終わってしまうため、早いときには十二時台にも関わらず、もうランチ終了の看板が立てられていることがある。
 ザックス・フェア氏の頭の中には、ミッドガルでセフィロスを連れて行ける店リストが入っているが、アンヌの店はセフィロスも気にいっていた。現代の健康志向を反映して、ソースも食材も野菜が中心で軽く、精製された食品は使用せず、野菜は無農薬栽培のもの、動物性食材は動物福祉に配慮したものだけを使っている。アンヌの店はセフィロス氏が「食べても頭痛がしない」という貴重な店であり、ランチコース一万五千ギルからというやや高額な値段を支払うことができるなら、ミッドガルでも安心して食事ができる優良店である。
 ソルジャー二名とクラウド、テロ対策部のガントナー部長とトースキー隊長、ベルゲ中尉、それにバラン上等兵というやや大がかりな一行は、裏口から直接店の三階へ入った……三階は社員研修や特別のイベントに使われているのだが、広い部屋にテーブルが整えられ、中央には花が飾られていた。
「ごめんねアンヌ、結局七人になっちゃったの」
 やってきたシェフに、ザックスは手を合わせた。
「あなたのことだから、五、六人なんて云って二十人も来るかと思ったわよ」
 アンヌは笑って応じた。若い女性の給仕が、きびきびとカトラリーやグラスをテーブルに並べる。
「まあいいわ。こないだのお礼ってことで、これでチャラね。久しぶりに総司令官閣下のお顔も見られたし。職務に復帰なさったとか、おめでとうございます、でいいのかしら。少しお痩せになったんじゃありません?」
「さっそく職場のストレスに耐えかねて」
 セフィロスは胸に手を当ててうなだれてみせた。
「あらあら。じゃあ元気をつけてもらわなけりゃね。あとはよろしくね、マリー」
 マリーと呼ばれた若い給仕は、アレルギーや苦手な食材の有無を確認したあと、飲み物の注文をとって、出ていった。一同はなんとなく顔を見合わせた。クラウドは、こんな場所に来るのが初めてだったので、物珍しそうにあたりを見まわしたり、カトラリーやグラスをちょっといじったりした。
 ほどなく、先ほどのマリーと何人かの給仕がやってきて、食前酒のグラスやアミューズの皿をテーブルに並べはじめた。
「アンディーブと生ハムとトリュフでございます……いいえ、ソースはトリュフではなくマッシュルームです」
「トリュフ今朝も食べた」
 クラウドは小声で隣りに座っているザックスをつついて云った。
「ありゃ香りだけ。この黒いのが本体なの」
 ザックスが生ハムを包んだアンディーブの上にちりばめられたトリュフを指差して云う。クラウドは非常に疑わしげな顔つきで皿に鼻先を近づけ、くんくんやった。それから、ますます疑わしげな顔で、
「アンディーブってなに?」
「ちっちゃい白菜みたいな形した、ちょっと苦い野菜」
「苦いの?」
 クラウドはいやそうに云った。
「うるっせえな食う前から。文句あんなら食ってから云えよ」
 ザックスがフォークでひとつぶすりと刺し、クラウドの口に無理やり押しこんだ。クラウドはなにかおぞましい見てくれをしたものでも口に入れてしまったかのようにおそるおそる噛み、それから目をぱちくりさせ、さかんにもぐもぐやりだした。ほれ見れ、とザックスが勝ちほこったように云った。
「アンヌの料理がまずいなんつったら、絶交だかんな、云っとくけど」
 笑いが漏れ、その場は急に打ちとけた雰囲気に包まれた。
「ともかくも、ここに事件捜査に関わる主要なメンバーが集まったわけだ」
 ガントナー部長が笑いをこらえながら云い、グラスを持ち上げた。
「思えば、終戦後、大幅な組織の再編成がなされ、われわれがテロ対策部として独立して以来、ソルジャー部隊と一緒に仕事をするのはこれが最初になります。今回は、特殊犯罪対策課からバラン上等兵という心強い味方も来てくれた。この事件は一筋縄ではいきそうにないが、できるかぎりのことをしましょう。最後に、総司令官閣下の職務復帰を祝って」
「おかえりなさい、総司令官閣下」
 ベルゲ中尉がこれ以上ないほどうれしそうに云う。
「むしろ呪ってください」
 セフィロスが泣きながら云った。
「天がくずおれ、地が裂けたまがまがしい日とでも云って。まじめな話、二年も無沙汰をしたうえにこんな個人的な事情の絡む事件に巻きこんでしまって申し訳ない」
「なにをおっしゃるやら」
 ガントナー部長が鼻で笑って云った。
「これまで、あなたほど個人的な事情というものに乏しい人もなかったものだ。これでようやくおあいこといったところですよ……こっちで子どもが熱を出して休み、今度はあっちが失恋して目も当てられないほどの顔になって休む。それが自然なことであり人の組織の自然なあり方じゃないですかね。われわれは過去に何度もあなたとあなたの部隊に迷惑をかけてきた。もっと云えば尻拭いをさせてきた。状況が手に負えなくなると、きまって呼び出されるのがあなたがたソルジャー部隊であり、あなたはこれまで愚痴ひとつこぼさずに、突然混乱した状況の真っただ中に放り投げられることに耐えてきたんです。たかが二年の休暇と、これしきの個人的事情がなんです? 湿っぽい話はこれまでにして、とにかく食べようじゃありませんか」
 この手の話題につきまとう気恥ずかしさをふりはらうように、乾杯がなされ、食事がはじまった。
「今回の事件は、マスコミにも社内向けにも、あくまでプレジデント神羅を暗殺しようとしたテロ事件として通します」
 トースキー隊長が捜査方針の説明にかかる。
「事情をある程度知っており、また知らされる権限を持つのは、ここにいる全員と、それからわたしの部下の捜査員数名だけです。当座は、同胞団の現状を把握することに努め、いかにして第十七連隊に二名ものスパイが潜りこむことができたか、またほかにも同様の人間はいないのか、調査することに注力します。同様の事件がすぐにも再発する可能性は低いと思うのですが、ストライフ一等兵の身辺に関しては、正直、少々憂慮しています。おふたりにこんなことを云うのは猿に木登りを教えるようなものだということはわかっていますが、どうかくれぐれもお願いします」
 ザックスがまかせておけというように親指を立てる。
「それで、われわれが協力できることはなにかありますか」
 セフィロスが猛烈な勢いで食事にかかっているクラウドを見つめながら云う。
「いまのところは、こちらの質問に答えていただくだけで十分です。もちろん、なにか気づいたりひらめいたりしたことがあれば教えていただけると助かります。特にストライフ一等兵には、なにかを思い出したとか変だと思ったとか、どんな些細なことでも云ってもらえるととても助かる」
 猛烈にうまいスープを猛烈にすすっていたクラウドは、話を聞いていなかったらしく、急に名前を呼ばれて皿から顔を上げ、目をぱちくりさせた。
「バラン上等兵には、われわれから特に指図せず、単にスアレス伍長のギャングがらみの交流関係を探ってもらうということにしたほうがいいでしょうね、部長」
 トースキー隊長の視線を受けて、部長はうなずき、バラン上等兵もうなずいた。
「さっそく午後からコスタ・デル・ソルに行こうと思っているんです。実はいまも一時的にミッドガルに戻ってきていただけで、またすぐにコスタへ行かなくてはなりませんでしたし。コスタを仕切っているいくつかのカルテルが、あの周辺のすべてのギャングの親玉ですから、きっとなにかつかめると思います」
「よければ、差し支えない範囲でそのへんの事情を少々説明してもらえるとありがたいんだがね。われわれはギャング関係のことはなにも知らないんだよ。同胞団につながりそうな手がかりは見つかるだろうか?」
 ガントナー部長が上等兵に鋭い視線を投げる。
「そうですね……これは単なるぼくの思いつきですが」
 上等兵が慎重に話しはじめた。
「コスタ・デル・ソル周辺には、現在知られているだけで約百近いギャング集団があり、あのへんの不良少年たちは、たいていそのギャング団のどれかに所属することになります。そしてそれらのすべてが、もとを辿ればコスタ・デル・ソルを牛耳っているいくつかのカルテルに行きつきます……アルバレス・ファミリーとロス・ハチャス、それにここ十年ほどでいちじるしく台頭してきた聖カルロス騎士団です」
「聖カルロス騎士団? なにやら香ばしい香りを放つ名前だ」
 セフィロスの目が輝いた。
「はい。聖カルロス騎士団は、九〇年代のはじめごろ突如あらわれ、あっという間に力をつけて、二大カルテルに匹敵するほどの勢いを持つにいたったギャング集団ですが、単に武装集団であるだけでなく、一種の宗教結社に似ているという非常に大きな特徴があります。入団を希望する者は、『聖カルロスの密儀書』と呼ばれる門外不出の経典に従って、断食したり禊をしたりして準備し、入団儀礼を済ませたのち、はじめて正式なメンバーと認められます」
「またずいぶんオカルトっぽいのが出てきたわね」
 ザックスが半ば呆れたような、半ば感心したような口調で云った。
「おれの大好物だ」
 セフィロスは舌なめずりしそうな顔になっていた。
「カルロスと呼ばれる聖人は何人かいるが、どの聖人だろうな。王、殉教者、ヒーラー、あるいは伝説か架空の人物だろうか」
「おそらく、騎士団の目指す理想を体現するために創作された人物だと思われます。聖カルロスは古代の騎士にして殉教者らしいのですが、なんでも、偶像崇拝に陥った悪い王がコスタ・デル・ソルを支配していた時代に、その異端信仰と専制に勇敢に立ち向かい殉教した人物だそうです。
 それはともかく、興味深いのは、スアレス伍長がギャングに入ったと思われる九十年代のはじめごろは、ちょうどこの聖カルロス騎士団が動きはじめた時期と重なるということです。聖カルロス騎士団が台頭した背景には、やはりウータイ戦争の影響があって、コスタ・デル・ソルはご存じのように、ミッドガルエリアとウータイとのほぼ中間に位置し、貿易上大変重要な港ですが、戦時中、二大カルテルのアルバレス・ファミリーとロス・ハチャスが互いに牽制しあって中立の立場を保っているのを尻目に、聖カルロス騎士団はウータイへの輸送網を独自に確立することで莫大な利益を上げ、急成長を遂げました。二大カルテルがあわてて動き出したころにはあとの祭り、聖カルロス騎士団の存在は、長く二大カルテルの支配が続き、閉塞感が漂っていたコスタ・デル・ソルとその近辺の若者たちの心をがっちりつかんでいたというわけです。
 八十年代の終わりごろから、騎士団の設立メンバーである幹部たちは、今後の勢力拡大を見据えて組織を大きくしようと、地元の少年たちを相手に熱心な勧誘をはじめました。ぼくはそのころもう別のギャング団の一員だったものですから、直接勧誘されたことはありません。でも友人が誘いを受けたのを覚えています。幹部たちも十代、二十代が中心で、自分たち若者が力を合わせて二大カルテルの支配を打ちやぶり、新しい秩序を作ろうじゃないかというのが誘い文句でした。十字星同胞団の指導者ハーストンも、確かまだ二十代ですよね?」
「二十八だ」
 セフィロスが即答する。
「騎士団の幹部たちもいま二十代後半から三十代が中心ですから、単に戦時中反神羅側に与していたという共通点だけではなくて、若者が率いる比較的新しい集団という共通点もあるわけです。宗教がかった点でも似ているといえば似ていますが、騎士団の場合は、宗教結社のような入団儀式などを取り入れてはいても、それはどちらかというと入団者たちに仲間意識と特権意識を持たせるための方便ともいうべきもので、ほんものの宗教儀式というものとはちょっと違います。ただ、やはり少々特殊なやり方であることには変わりないですし、それがある意味功を奏しすぎていると云うべきでしょうか、騎士団は非常に閉鎖的な集団で、掟がおそろしく厳しいことで有名です。その結束力はすさまじく、脱退者は裏切り者とか背信者とか呼ばれて、非常に重い制裁が課せられるそうです。もし伍長がかつて騎士団か、あるいはその関連集団のメンバーだったとしたら、脱退は容易なことではありません。伍長本人が関わりを望んでいなかったとしても、所在がばれて無理やり巻きこまれてしまったという可能性もあると思います。あの世界から足を洗うのは、ほんとうに難しいので」
「でもさ、伍長バイク買ってんだろ?」
 ザックスが天井を見上げて考えこむような顔で云った。
「しかもデイトナの上位車種だよ? まじでうらやましい。そんなん買えるだけの報酬ちらつかされたら、おれだってちょっと考えちゃうわ」
 クラウドがデイトナの語にぴくりと反応し、皿から顔を上げた。そしてまたもその偉大な雄姿を思い浮かべたのだろう、瞬時うっとりとした顔になった。
「確かに、単に金をもらって仕事を請け負ったのかもしれません。でも、どうも買い方があからさますぎるような気がします。これ見よがしにキャッシュで買って、バイクルームまで借りるなんて、どこかから大金が手に入ったとふれ回っているようなものです。報酬として無理やり買わされたって可能性もないわけじゃないと思うんです。そうすれば、いざというときに、確実にどこかから予定外の金を受けとったと証明できる伍長ひとりを有罪にしただけですますこともできますから。伍長に接触し、仕事を依頼した人物は、そのときにはもうどこかに消えていて、結局みんなうやむやになってしまうという手です」
「わーお。そう来るか」
 ザックスは両手を広げた。
「ギャング団のメンバーなんて、しょせん末端の末端に過ぎません。いくらでも代わりはいるし、いくらでも犠牲にできます。幹部たちは、自分たちの利益と安全を守るために、ずいぶん用意周到であくどいやり方をしますからね。聖カルロス騎士団は、その設立理念からしてもうちょっと別の道を行くかと思ってましたが、やはり莫大な利益を得て組織が拡大してしまうと、先人と同じ道を歩むようですね」
「きみの説は興味深いな、バラン上等兵」
 ガントナー部長が考えこみながら云う。
「いろいろと納得できる仮説のような気がしてきた。その線で調査を進めてほしい。ところで、われわれへの捜査協力はきみの任務を邪魔しないかい?」
「しません。支障なく同時進行できると思います。むしろ少しやりやすくなるかもしれません」
「では問題ないな。バラン上等兵からの連絡は、直接きみにしてもらったほうが効率がいいだろうね、トースキー隊長」
 ガントナー部長が隊長に視線を送る。
「そうですね。判明したことがあれば、わたしの携帯に電話をくれるかい、バラン上等兵」
「わかりました。ですが、向こうでのぼくの行動は、逐一ご報告できないことはどうかご承知おきいただきたいんです。情報源も明かせないことが多く、ご不満に思われるかもしれませんが、こればかりはどうしてもできません」
「そのへんの事情はなんとなくわかるつもりだ」
 ガントナー部長がうなずいて云った。
「きみの情報を信頼するとしよう」
「調査中、万が一まずいことになったらおれに連絡してよ」
 ザックスがにこにこ笑いながら云う。
「疾風のように駆けつけるから。これまじな話よ。おれ、同時に三ヶ所にいることのできる男ってんで有名なの」
「ありがとうございます。でも大丈夫ですよ。なんとかひとりで切り抜ける知恵に関しては、多少身につけてきたつもりですから」
 バランは苦笑しながら、なんとなく遠慮したふうに云った。
 食事は進み、マリーがメインの料理を運んでくる。
「トースキー隊長ったらね、すごかったのよ」
 ザックスがマルキン中佐の取り調べの様子を報告する。
「わたしの経験上、無能といわれて平気な男はめったにいないものですからね」
 ザックスに持ち上げられて、隊長はちょっと微笑んだ。
「そういう方向で攻めてみようと思いましてね。マルキン中佐が、一九九七年のジュノンの奇跡を指揮した指揮官だということがわかって、そのくせその後活躍しているとはほど遠い状況なのを見て、ちょっとひっかかるものがあったんですね。あのジュノンの奇跡を起こした指揮官なら、なぜもっと華々しく活躍できる部隊へ行かないで、治安維持部隊の警備兵など指揮しているのだろう。おまけに隊員には、いわゆる傷ものがかなりいる。そこにヒントがあるような気がしましてね。なにかを狙っていたのか、単に性格の問題なのか。それがわかれば、彼が本件に噛んでいるかどうかわかると思ったので、無能ぶりを突きつけて、どう反応するか見てみようと思ったわけです」
「で、結論としてはどっちだと思ったの?」
 ザックスの質問に、隊長は独特の笑みを浮かべた。取調室で対面する相手を困惑させるにちがいない、考えの読めない謎めいた笑みだ。
「彼はおそろしく面の皮が厚い演技性人格破綻者か、おそろしくいい人すぎるかのどちらかで、たぶんいい人すぎるほうですね。いま彼の部隊の人間を全員調べてるところですが、とんでもなく面倒見のいい連中と、すね者の混合体という様相を呈していて、まああの人格が引き寄せたというところですか。いまは問題だらけかもしれないが、こんなことがなければ、数年後にはけっこういい部隊になっていたかもしれないと思います。たぶん中佐自身も、悩みながらもそれが自分なりにできることだと思っていて、まだ道半ばだと思ってるんじゃないでしょうか。本人は辞任する気でいるらしいんですが、できれば続けてほしいですね。指揮官がほんものの教育者だという例は、あまり多くないですから。どうにかできないかやってみます」
 ザックスが心底ほっとした顔をした。ガントナー部長はそれに励ますような視線を送ってから、話を引きとった。
「とはいえ、第十七連隊は当面うちの監察下に置かれることになるし、マルキン中佐もなんらかの処分は避けられそうにない。風当たりもかなり厳しくなるだろうし、それは部隊の隊員たちに対しても同じだろう」
 ガントナー部長は顔をしかめた。
「同胞団は、いったいどうやって人材を確保しているのか? アントン・ベイリー一等兵がニール・ヤンソン少年に接触していたという件にしても、元ギャングだったスアレス伍長が同胞団に協力している件にしても、どうも気味が悪い。実は背後でなにか非常に大がかりなことが起きているんだが、誰もなにも気づいていないとでもいうような。実際、同胞団なんてものは終戦からこっち、まるで頭になかった」
「例のアバランチがあくせく活動している以上、仕方がないのでは?」
 セフィロスが気遣って云った。
「なかなか統率のとれた、すぐれた組織のようだし」
「まあ、確かになかなか手ごわい連中ですよ。ハーストン率いる新生十字星同胞団など、戦争中に星の数ほど湧いて出たルサンチマン的衝動を抱えた集団のひとつにすぎないと思っていた。ウータイやほかの反神羅組織と協力してなにやらがさごそやっていたのは知っていますが、そんなものは、終戦とともに存在意義を失ってほとんど解体されてしまったし。正直に云って、同胞団がこんなことをやれるとは思ってもみなかった。ちょっとネジを巻きすぎたいかれた連中なだけだと思っていた」
「戦争のせいですよ、部長」
 トースキー隊長が励ますように云う。
「あの戦争で、なにもかも変わってしまったんです。あのあまりにも長引きすぎた戦争のあいだに起きたことといえば、長期にわたって大量の武器が必要とされたせいで、兵器製造技術があちこちに流出して、武器を製造したり運んだりするルートが各地で大量に開発されたこと、膨大な数の人間がそれに関わるようになり、またそれによって利益を得たこと、そしてそれはいまも続いていることです。特に、これといった産業に乏しい、貧しい地域ほど受けた恩恵は大でした。戦後、神羅はこうした民間の武器製造や流通を取り締まるようになったわけですが、そんなことはもうほぼ不可能でしょう。いまこの瞬間にも、どこかで武器は作られ続け、運ばれ続けている。それらはどこへ行くか? 反神羅組織へ、です。おまけにあの戦争の経験が、ウータイ側についていた反神羅組織に対して膨大なノウハウを提供してしまった。わたしは今後、同胞団のような武力も知恵もつけた武装組織がうじゃうじゃ出てくるんじゃないかと案じているんです」
「だからこそ、われわれは独立してテロ対策部に格上げされたのさ。タークスだけではもはや手に負えないことになると見越してね。戦争末期から、総司令官閣下ともずっとその話をしていたんだがね。この戦争がどんな副産物を生むかということをだね」
 みんななんとなく押し黙ってしまった。たった二年前に終わったばかりの戦争の記憶は、いまも生々しく残っている。開戦当初は、戦争はすぐに、神羅の圧勝という形で終わるだろうとの見方が強かった。なんといっても、神羅カンパニーはもともと武器製造の専門会社だし、圧倒的な資金力と軍事力を有しており、対してウータイなどは、確かに長い歴史と伝統を誇る国ではあるが、一面ではいまだ前近代的な発展途上の辺境国であり、その差は歴然としすぎるほど歴然としていた。ところがいざ蓋を開けてみると、ウータイは意外に多くの協力者や同盟者を有しており、奇襲やたくみな作戦でしぶとく戦った。ソルジャー部隊なる新種の生物兵器集団を投入したにもかかわらず、戦争は意外なほど長引いた。十年近くもだらだらと続いたせいで、人々の多くは戦争状態に慣れてしまった。そして各地の産業構造は、戦争にあわせて変わっていった。終戦後二年が経ったいまも、ポストウータイ戦争の産業構造など、なにも見えては来ていない。いまだに実に多くのことが、戦時中の非常時状態を引きずったままだ。
「ものすごく大きな矛盾と問いの前に立っている、って感じですね」
 だいぶたってから、ベルゲ中尉が静かに云った。
「古代人の考えでは、人間は未来を背にし、過去に目を向けて生きている」
セフィロスが口を開いた。
「その過去は、常に人間に向かって声を上げつづけている。不断の問いかけをともなった、矛盾に満ちた声を。その声はこう云う。われを見よ、そして行動せよ」
 セフィロスはどこか謎めいた口調でそう云って、会話などそっちのけで夢中で食事に励んでいる、自分が五千ギルをゆうに超えるひと皿を食べているとは夢にも思っていないクラウド・ストライフを見つめて、微笑んだ。

 食事を終えて店を出たあと、迎えの車を待っているあいだに、クラウドはガントナー部長に声をかけられた。
「きみのことをいろいろと聞いたよ。きみは面白い少年だね、ストライフ一等兵」
 ガントナー部長が真面目な調子で云った。
「やはりきみはうちの研修を受けるべきだと思う。きっと役に立つ。きみはたぶん、いまのままでも拷問だろうとなんだろうと耐え抜きそうだが、ちょっとしたコツをつかめばもっとずっとうまくやれるようになる。いざというとき、対処法を多少知っておけば余裕が持てるだろうし、総司令官閣下もそのほうが安心していられるはずだ。いいかい」
 部長は息子にでも云いきかせるような口調になって云った。
「きみのこれまでのけんか相手は、幸い、きみがひとりで奮闘してもなんとかやってこれた。きみは賞賛に値する戦いをしたとわたしは思うよ。でも、総司令官閣下が職務に復帰したいまは、これまでとは状況も、戦う相手も違ってくる。きみがこれから戦わなくてはならない連中は……それが神羅の人間であれ、別の組織の人間であれ……自分ひとりが奮闘してもどうにもならないような連中ばかりだ。わたしの云っていることがわかるね?」
 クラウドは少し考え、うなずいた。
「脅かそうというんじゃないが、きみの総司令官閣下は、悪賢い連中のなかでもより抜きに悪賢い連中にとりかこまれているといっても過言ではない。そういう連中に対処できるようになるには、きっときみ自身も少し変わらなくてはならないだろう。もちろん、人には向き不向きというものがある。無理して変われというんじゃないよ。だが、一度試してみるのも悪くはないだろう。どうも自分には合わないと思ったら、すぐにやめていい。やってみるかい?」
 クラウドはまた少し考え、やってみます、と答えた。ガントナー部長は微笑んだ。
「よかった。総司令官閣下には、きみの同意を得てからという条件つきで許可をもらってある。さっそく研修プログラムを組んでみることにするよ。開始は年明けからということにしよう。少し休んだほうがいいと思うからね。なにかあったらいつでもわたしに相談してくれと云いたいが、きみにはフェア副司令官がいるから、大丈夫だろうね。きみがこの先どんな道に進むにしても、必ずどこかで役に立つものになるようにしよう」
 クラウドはつい、自分は兵站部へ異動願いを出そうと思っているのだと云いかけた。だが、どんなに信頼できるように見える相手であっても、うかつになにか云うことは危険なのだと、さすがにもうわかっていた。
「そうそう、その調子だ」
 云いかけて口をつぐんだクラウドを見て、部長はうなずいた。
「口をつぐむことを知るのは、非常に大きな一歩なんだ。その一歩が、いつまでも踏み出せない人間もいる。無理に賢くなろうとか、しゃにむに自分を変えようとか思う必要はない。ただ、ちょっと違う視点をとり入れてみるというだけのことさ。研修の詳細は、改めて連絡するよ」
 ガントナー部長は、クラウドの肩を叩いて、ちょっとうなずくと、やってきた車に乗りこんだ。
 クラウドもまた別の車に、セフィロスの横に乗りこんだが、ドアが閉まったとたん、彼はものも云わないでセフィロスに両腕を回して、ぎゅうっとやった。
「どうしたんだ?」
 セフィロスはからかうような声で云った。
「なにかあったのか? ……なんだ、照れているのか? 誰になにを云われたんだ」
 クラウドはぶるぶる首をふって、顔をセフィロスの胸におしつけ、赤くなった顔とうるんだ目もとがもとにもどるまで、しばらくそうしていた。

第五章

 午後からは……もう午後も半ばだったが……セフィロスは断固として自分の部隊のために時間を用いると決めたので、執務室は閉ざされ、ソルジャー以外出入り禁止になった。クラウドはしょうことなしにザックスの執務室で時間をつぶすことになり、部屋の主と連れだって向かった。執務室の前に、サードの制服を着たソルジャーが立っていた。
「副司令官、荷物頼みました? さっき、総務から電話があって、副司令官宛にめちゃくちゃでかい荷物が届いてるって云われて取りに行ったんです。宛名が確かにそうだったし、そういや模様替えがどうたら云ってたなと思って、部屋に入れときましたが」
「あー、そうだった、あれだわ、頼んでた衝立」
「そんなことだろうと思いましたよ。いやに重かったんで。どこに置こうかと思ったんですが、とりあえず空いてた給湯室に運んどきました。執務室に置くとさすがに邪魔かなって思ったんで」
「オッケー、あんがと。おまえも早くボスのご尊顔拝みに行ってこいよ。部屋にいるからさ」
 サードのソルジャーはザックスのうしろにいるクラウドをちらちら見ていたが、そう云われて軽く頭を下げ、立ち去った。
「衝立ってなに?」
「ん? おれねえ、いま部屋の模様替え中なんだわ。だからちょっと散らかってんだけど、まあ気にすんな」
 執務室のドアにはロックがかかっておらず、ザックスが前に立つとすっと左右に開いた。
「おれは部屋に鍵はかけない主義でさ。盗まれるようなもんも置いてねえし、入りたきゃ誰でも入ればって思ってんの」
 ザックスの部屋は、たしかにセフィロスのものに比べれば狭い印象は免れなかったが、インテリアにおそるべき凝り性を見せるザックス・フェア氏の努力の成果か、モダンだがどこかに田舎臭い温かみが漂っていた。端末の乗ったデスクはよくあるタイプものだが、応接セットのテーブルはごつごつした印象の一枚板のテーブルで、ソファに乗ったクッションにはゴンガガ刺繍の明るいクッションカバーがかかり、ラグや壁にかけられたタペストリー、隅に置かれた観葉植物なども、どこかあの南国のジャングルを思わせる、かんとした底抜けの明るさをたたえている。籐素材の椅子やスツールなどがちりばめられているのもなにやら南国を感じさせ、ザックスが実家から持ってきたという、よくわからないあやしい模様の壺もある。部屋の隅の一角に、まだ整理されていない装飾品や組み立て途中の棚が置かれていて、やや雑然とした印象を与えていた。
「部屋の居心地がいいってのは、大事なことね。おれにとってだけじゃなくて、来る人にとっても。ときどき部屋の印象が変わるとさ、なんかいいだろ。おっ、って感じがして。だからおれ定期的に模様替えすることにしてんの……って、まあ単に趣味なだけだろって云われりゃそれまでなんだけど。いま考えてんのはさ、南国リゾート風のインテリアなの。籐の衝立置いて、天井にファンとりつけて、壁にもなにか別のものかけようと思ってる」
「仕事しなよ」
 クラウドは辛辣なことを云った。ザックスがあちゃあ、と応じる。
「いいじゃん、やるときやってあとはひまってのがおれの理想なんだよね。ま、とりあえず、ソファにでも転がって、勝手にやっててちょ。そっちの給湯室に、お茶類はひと通りそろってる。好きに飲みたまえ。お便所その向かいね。向かいのあっちの部屋は仮眠室なんだけど、寝てもいいけどおまえたぶん無理な部屋だわ、せまいから。筋トレすんだったらここにダンベルある。バランスボールとプッシュアップバーと、あとトレーニングチューブも箱ん中に入ってっから、好きにしたまえ。ちなみにそこにあるのはハンガーラックだとみんな思ってるけど、チンニングスタンドだからな、何回云ってもみんなコートかけやがるんだけど。机の上のそのボタン押すと、ドアにロックかかるから、しといたほうがいいかも。おれの部屋、誰でも勝手に入ってくるからさ。あとなんかある? ない? んじゃ、おれもちょっとご尊顔拝んでくるかな」
 ザックスはてきぱき説明すると、出ていった。クラウドはひとり残されたので、なんとなく手持ち無沙汰に感じ、部屋をぐるりと見回したあと、ザックスの筋トレグッズを検分し、借用して、筋トレを開始した。ソルジャーになることがかなわなくなったいま、強くなるためにクラウドにできることといったらせいぜい筋力アップのトレーニングくらいだ。クラウド・ストライフが大嫌いな連中は、ファーストソルジャーにふたりもお友だちがいるのだから、クラウド・ストライフはさぞあれこれ教えてもらい、剣術の手ほどきなど懇切丁寧にしてもらっているだろうと思っている。でも実際には、クラウドはセフィロスやザックスにそんなことを頼むくらいなら死んだほうがましだった。ずるはしたくないし、そんな動機でザックスと友だちになったわけでも、セフィロスとこんなことになったわけでもない。男なら、肝心なことは自分の力でどうにかしなくては。降って湧いたような運に頼るのではなくて、たとえばいまこうしてザックス考案の地獄のスクワット祭りで下半身を鍛えるように、チューブを使って地味に内転筋やハムストリングや中殿筋を鍛えるみたいに、誰にも頼らずに、自分で、ひとりきりで。見よう見まねで銃の扱いをおぼえ、ひとり山に入ってはじめて獣を撃った、あの日みたいに。あの日、クラウドは無限の自由を手にした気がしたものだ。ちゃちな猟銃とナイフで武装して、ひとり目の前に聳立するニブル山に向かっていったあの日。あの日から、クラウド・ストライフはたぶんただひとつのものだけを求め、いまだに求めている。でもそれはすぐ目の前にあるのに、どうしても手の届かないものに似ている。なぜ自分は試験に落ちたのだろう。自分の希望はそれだけなのに、どうして強くなることができないんだろう。どうしてそのたったひとつのことが、こうも手に入らないんだろう。
 流れ落ちた汗が目に入り、クラウドはふと我に返った。全身から汗がふき出していた。動きを止めた瞬間に、気だるい疲労感が襲ってきた。クラウドは買ってきたペットボトルを手に、床に転がり、浴びるように水を飲んだ。チンニングスタンドはやはりあると便利だ。自宅で懸垂できるようになれば、肩周りや背中の筋肉が強化されて見た目も男らしくなるし、いつかきっとセフィロスを一撃で倒せるようになるだろう。
 買ってきたペットボトルでは物足りなくなり、クラウドは起き上がって、給湯室へ向かった。体が疲労していて、感覚が鋭敏になっていたことは確かだが、給湯室のドアを開ける直前、なにか変だと思った。自動ドアがするりと開き、中へ体をすべりこませる前に、クラウドはとっさに体を丸め、なにかを横に避けていた。顔の横に、ぎらぎらと光るナイフが振り下ろされた。
 それからは、ほとんど無我夢中の乱闘が続いた。相手は大ぶりのナイフを持っており、クラウドにのしかかって、それをしゃにむに振り下ろそうとする。クラウドはその刃の下を必死にかいくぐり、相手をしたたかに殴りつけた。が、力も体力も相手のほうが明らかに上で、上から押さえつけられてしまうと圧倒的に不利だった。クラウドはどうにかベルトにぶら下げている自分のナイフを取り出し、相手の手のひらに突き立てたが、反撃できたのはそこまでだった。相手は自分の血を見て逆上したらしく、いきり立って手にしていたナイフを投げ捨て、拳銃を取り出して、隙をついて相手に飛びかかろうとしていたクラウドの額につきつけていた。
「きみ、意外と強いんだな」
 ぜえぜえと肩で息をしながらアントン・ベイリーは云った。薄手のダウンコートにジーンズという、天下の神羅カンパニー本社ビルにはまったくそぐわない格好をしている。
「武勇伝はだてじゃないか。正直、なめてたよ。こいつを出す羽目になるとは思わなかった……くそっ、まだ血が出てる」
「出血多量で死んじまえばいい、疫病神め」
 首筋を汗が伝い落ちていくのを感じながら、クラウドは毒づいた。銃口が、額にぐっと押しつけられる。
「人のことが云えるかい? みんなに云わせりゃ、きみが一番の疫病神だってことになると思うけどね。あるいは、総司令官閣下かな?」
「ぶっ殺すぞ」
「凄んでるつもりなんだろうけど、きみが云うと、なんだか別のニュアンスをもって聞こえるんだよ、なぜだろうね」
 アントン・ベイリーは鼻にかかったような口調でそう云いながら、銃の引き金をとんとんと人差し指で叩いた。その顔は、クラウドの知る人のいい、これといって特徴のないベイリー一等兵のものとは、似ても似つかなかった。
「知るかよ。だいたい、なんでここにいるんだよ、どうやって」
「荷物になったんだよ」
 ベイリーは簡単なことだと云わんばかりの口調でそう云い、ジーンズのポケットからハンカチを取りだして、口を使って手のひらに結びはじめた。
「神羅ビルに配送される荷物は、専用の倉庫から専用のトラックで出荷されるからね、量が多いから……うまく倉庫に潜りこみさえすれば、あとはけっこう簡単なんだ。倉庫を出たあとの荷物チェックなんて、ザルなんだよ、運送会社も、このビルもね。フェア副司令官はしょっちゅう大箱の荷物を頼むのかな? 配達員も荷物を取りに来たソルジャーも、疑いもせずに運びこんでたよ。それであとは……わかるだろ? おあつらえ向きにここは給湯室だし、トイレもある」
 ザックスの大バカ野郎。クラウドは心の中でめちゃくちゃに毒づき、ありとあらゆるものを呪った。
「ほんと、驚いちゃうよ、天下の神羅カンパニーの能天気さときたらね。さあ、こっちに来るんだ……このまま総司令官閣下の執務室まで行くんだよ、ぼくと一緒に……」
 ああ、死んだほうがましだ、こんちくしょう。クラウドは屈辱のあまり憤死しそうだった。ここでベイリーに撃たれて殺されでもすれば、まだ勇敢に戦って死んだとみなしてもらえる。でもよりによって、敵につかまって銃を突きつけられている、こんな情けない格好でセフィロスの前にあらわれ、ソルジャーたちの目にさらされなければならないのか? クラウド・ストライフは別に、いまさらどう思われようと構わない。だがセフィロスはどうなる? なんでこんな弱っちい男と一緒にいるんだろうなんて思われたら? こめかみに銃口の硬い感触を感じながら、クラウドはベイリーに引きずられていった。
 
 執務室のドアがノックされ、大胆にもベイリー一等兵がクラウドとともに入ってきたとき、執務室は制服を着たソルジャーたちでいっぱいだった。皆けげんな顔でふり返り、すぐにぎょっとした顔をする。ベイリーにうながされてクラウドが歩きだすと、彼らは無言で道を開けた。その先に、セフィロスが無表情でデスクについていた。ザックスはデスクの端に腰を下ろし、同じく無表情でじっとふたりを見ていた。
「……これはこれは」
 セフィロスは歓迎するように両手を広げて云った。
「大胆不敵というべきか、自殺行為というべきか、どっちだろうな、これは。どう思う? ベイリー一等兵」
「どちらでもないと思います。ぼくはこれをきわめて沈着な行為である、と主張します」
「なるほど」
 セフィロスはうなずき、ザックスに視線を向けた。ザックスは両手を挙げた。
「で? うちのクラ坊人質にして、どうしたいの?」
「ほかの皆さんは出ていってもらえますか。総司令官閣下とフェア副司令官だけ残して。別に応援を呼んでもかまいませんよ……なにをしようと勝手です、ここに入ってきてさえくださらなければ」
「だそうだ。聞こえたか? ハーウィック。きみはなぜか重要な指示に限って耳が遠いからな」
 ハーウィックと呼ばれた小柄な男は、あやうくにやつきそうになって、あわてて顔つきを引き締めた。
「さあ、さっさと出ていってください」
 ベイリーがいらいらしたように云った。
「ぼくはあなたに用があるんだ、総司令官閣下」
 ソルジャーたちは無言のまま、セフィロスをふり返りつつ、これといった抵抗も見せずに出ていった。全員が出払い、扉が閉まると、ベイリーはふっと息を吐いた。その額から汗が流れ落ちた。ソルジャーたちが戦闘時や緊急時にあらわにする殺気立った気配にまともに耐えられる人間はまれだ。こいつ、震えてる、とクラウドは思った。クラウドだって、気をつけなければ震えてしまいそうだった。だがそれはソルジャーたちの気配にというより、いまや気配そのものを消してしまったかに見える、だがそれゆえになにやら異様な存在感を持ちはじめたセフィロスに対する反応であることに、クラウドは気がついていた。
「それで?」
 セフィロスは広げた両手を、武器を持っていないと示すかのようにひらひらと振った。
「沈着な行動の結果としてここへやってきたきみは、次になにを望むのか」
「ぼくの望みは、というより使命はといったほうがいいですが、それは単にわれわれ同胞団がどこまでやれるものかをあなた方に向けて示すことです」
 ベイリーは自分をなるべく大きく見せようとするかのようにちょっと胸を張った。セフィロスはふむ、と唇に手を当てて考えこむような顔をした。
「わずか四ヶ月ほどで計画を変更し実行したにしては、確かによくできていたと思う。非常に劇的な効果があったし、この先のさらなる展開を思わせるものもあった。軍の内部に入りこみ、セキュリティの厳重さを誇っているらしい神羅ビルにあっさり侵入するとなると、まさにお見事、シャッポを脱ぐ。ところでどうやってこのビルに侵入したのか教えてくれないか?」
 ベイリーはなにやらばかにされているような気がしたのか、顔つきを険しくした。
「云えばいいだろ、ザックスの部屋に転がってる荷物になったんだって」
 クラウドが代わりに答える。おまえは黙っていろというように、首に回されているベイリーの腕がぐいと締まり、銃を持つ手に力がこもった。ザックスがあちゃー、と云って天を仰ぐ。
「おれの模様替えのせいっぽいね。ごめん。今度からは、荷物うちに届くようにしてうちから運んでくることにするわ」
「椅子だのラグだのといった大がかりなものをか? 別に止めはしないが、それよりもセキュリティ対策課に職務怠慢と云って責任を押しつけたほうがいいような気がする。ところで、ベイリー一等兵、話のついでに一応提案してみるが、その子に銃を突きつけるのをやめて、おれに向けてみる気はないか?」
「それかおれでもいいわ。おれ嫌いじゃないのよ、頭に銃押しつけられるの」
 ベイリーはいらいらしはじめたようだった。どこか意固地になったような顔で、クラウドのこめかみに改めて銃口を向ける。
「だろうな。そうだろうとは思ったが、まあ、なんにせよ訊いておくに越したことはないから」
「あなた方、ずいぶんのんきですね。どうせぼくがストライフ一等兵を殺せるとは夢にも思っていないんでしょう」
 ベイリーが銃をクラウドの頭にとんとんと叩きつけるようなしぐさをする。
「いいや、その逆だ、ベイリー一等兵。きみはストライフ一等兵へのたいへん強い殺意があると思う。おそらくは、きみに与えられた任務に反するほどに」
 ベイリーが射抜くような視線を投げる。
「おれにはきみがすでに、与えられた任務の内容や権限を超えてここにいるような気がしてならないのだが。おれの思い違いならいいが、きみがこんなことまで……つまり、神羅ビルに侵入し、ストライフ一等兵を人質にし、われわれの目の前に現れるようなことまでやるように命じられたとは、おれには思えないんだ。なぜそんなことをする必要がある? 確かに天下の神羅ビルに侵入できたとなれば、あっぱれとは云えるかもしれないが、不気味さを演出するという意味ではどちらかというと逆効果なのでは? 昨夜の市立歌劇場での演出は、最大限の劇的効果と、冷酷で不気味な印象を与えることを目指したものだが、きみのいまの荒っぽい登場の仕方は、この美学に反するようにおれには思われる。きみたちがストライフ一等兵という切り札を手にし、おれにつきつける決定的な場面だというのに、よりによってこの殺風景極まるおれの執務室で、きみひとりがわれわれに対峙しているというのは、どうもハーストンの立てる計画にはそぐわないような気がするんだが」
 セフィロスは静かにベイリーを見つめた。ベイリーは黙りこんだ。そのこめかみや首筋には、大量の汗が浮き出ていた。
「図星かよ」
 ザックスがつぶやいた。
「おまえバカか? まじでひとりなのかよ? この状況、ひとりきりでどうするつもりだよ? もしかして死ぬ気か?」
 ザックスはあきれたように天を仰いだ。
「あーもう、ヤンソンくんといいおまえといい、バカばっか。人間死ぬ気になりゃなんでもできるっての、あれまじだけど、そう思って建設的になりなって意味だぞ、あれ。おれもこないだ知ったばっかだけど」
「ごちゃごちゃ云うのやめてもらえますか」
 ベイリーはついにこらえきれなくなったように、感情的になって叫び、改めてクラウドに銃をぐりぐり押しつけた。
「ええ、そうです。これはぼくの独断ですよ。ほんとうはぼくは、病院を抜け出したあと、仲間のところへ戻るはずだったんだ。でもぼくはそうしなかった。これは命令違反だけど、だからこそ、ぼくは自由に行動できる。ぼくは彼を撃てるんだ、このストライフ一等兵を。彼だって、総司令官閣下だって、自分自身だって撃てるんだ」
 ベイリーは銃のハンマーを起こした。
「まあ、そう興奮するな。きみひとりで考え、実行したのなら、この侵入計画はたいしたものだ。スアレス伍長には、こんなことは考えつけもしなかったろうな」
「彼はただの腰抜けですよ」
 ベイリー一等兵はおだてられてつい勢いを得、さげすむように笑った。
「彼にはこの星の意志だとか、正しい生き方とか、そうしたことはなにもわかりません。云われたことをやるだけの、つまらない男です」
「彼の云われていたこととは? 彼はなんの役をやっていたんだろう。われわれに教えてくれないか」
 セフィロスは下手に出て訊ねた。
「さあ、それはちょっと云えません」
 ベイリーはにやりと笑った。
「われわれにはある大きな計画があるんです。彼はそのために必要な役割のひとつについていました。たいした役じゃありませんが。でも……彼が無事でいるといいんですが。最後のほうでは、協力をかなりいやがってましたから」
 ベイリーはいやな感じに笑った。
「ということは、やはり無理やり協力させられていたほうの口か」
「彼が十代のときにやっていたことを考えれば、自業自得だと思いますが。恐喝、暴行、窃盗、女性に集団で乱暴したりもしていたようですからね」
「暴力って意味では、自分らも似たようなもんじゃないの? そいつに突きつけてる銃はなによ?」
 ザックスが目を細めてあきれたように云う。
「違いますね。われわれはああいう、考えなしに暴力を振るって楽しんでいるような連中とは違います。われわれは世界を正しい状態に戻そうとしているんです。明らかに、いまこの世界は病んでいて、星の意志に従った状態へと戻るべきなんです。われわれはそのために必要なことをやっているだけです」
「だがきみがその正しさを逸脱していないかどうかは重要な問題だと思う」
 セフィロスはなにかを憂慮するような顔になっていた。
「きみのほんとうの目的をまだ聞いていなかったな。きみが命令違反を犯してまで、ひとりここへ乗りこんできた目的を。きみはこけおどしのようなことをするために行動する人間ではないし、ニール・ヤンソンと同じようにか、あるいはもっと崇高な理由で、死をも恐れないという覚悟もあるだろう。ところで、その死というやつを前にしてひとつ確認しておきたいのだが、きみは同胞団の人間なのだから、人間の魂は死後すべての感情や記憶を携えてライフストリームに還るという説を信じているはずだ」
「ええ、信じています。それは古代から、あのすぐれた古代種たちによって云い伝えられてきたことです」
 ベイリーはうなずきながら云った。
「それなら、きみがいま選んでいる行動は間違いというものではないだろうか。死後の自己存続を信じているのなら、人の抱える苦しみというものは、それを生きているうちに自力で解消しないかぎり未来永劫消え去ることはないとわかるはずだ。そのためにウータイのかのホトケがどれほど苦労したことか、きっと筆舌に尽くしがたい苦闘だったろう。おれが思うに、きみ自身の魂にも非常に大きな苦悩が宿っているように見える。きみは深刻な自己分裂に苦しんでいる。きみの一部は同性に惹かれることを心底おぞましく思い、また別の部分がそのきみのもっとも嫌悪することを欲しているとあっては」
 クラウドは思わずベイリーのほうへ顔を向けた。
「実際、これほど不幸な組み合わせもない。きみは道徳的に非常に厳格で潔癖な人間のようだが、その同じ人物に、この自然の法則を逆なでするような性質が同居しているとは。きみの陥った絶望がどれほどのものか、おれにはわかるような気がする。きみはうるわしい母なる自然からかけ離れた、この腐敗し堕落した文明社会のなにもかもを憎んでいると思うが、それと同じか、それ以上に自分自身のその部分のことを憎んでいる。もしかすると……これはおれの単なる推測だが、きみはストライフ一等兵に出会ってはじめて、自身のそのおぞましい傾向をはっきりと自覚したのではないだろうか。そしてそれを自分に突きつけた張本人が、なんとまあ、別の男とくっついてしまった。すると彼もそっちの人間だったのか? 星の意志に反した、このおそるべき罪を背負った人種であったのか? 彼もまた……彼もまた、だ」
 セフィロスは嘆きを訴えるように首を振った。
「そしてきみは考える。なぜこんなことになった? なぜこんなに苦しまなくてはならない? 決まっている。クラウド・ストライフのような人間がいるせいだ。彼のような、罪深い自分の容姿を武器に、同性を誘惑するような男がいるからだ。自分はその犠牲になってしまって、こんなに苦しまねばならない。悪いのはあの男だ。あの男が自分を誘惑した。あの男が自分を罪に陥れた。だがこの罪に打ち勝たなければ。自分のなかからこの汚れを洗い清めなければ。そのために、彼はどうしても死ななければならない。あの罪深い存在をこの手で消し去らなければならない。彼を殺したとき……彼を自分から奪った・・・・・・・あのソルジャーの目の前で殺したとき、自分はこの汚らわしい罪に打ち勝ち、雪のように白くなることができるだろう。
 わたしの罪を払ってください、わたしが清くなるように。わたしを洗ってください、雪よりも白くなるように(※12
 ベイリーはセフィロスの話の途中から、ぶるぶると震えていたが、このとき、ある驚くべき反応を起こした。彼は突然大声で叫び、クラウドを突き飛ばして自分のこめかみに銃を向けた。が、次の瞬間にはザックスがもう飛び出していて、ベイリーの手から拳銃をもぎ取り、首に手を回して押さえつけていた。
「バカ、だから無謀だっつったんだ。おれ、敵に自死もさせない男ってんで有名なのよ」
 ベイリーはザックスにつかまれたまま手足をばたつかせて猛烈にもがいた。まるでその中で苦悩する魂が、逃げ場を求めて暴れまわっているとでもいうように、それはめちゃくちゃな、痙攣にも似た暴れようだった。
「こら、暴れんな、落ちつけって」
 ベイリーがいつまでもじたばたしているので、ザックスはじれたように云った。
「……ザックス」
 セフィロスが立ち上がった。
「待ってくれ、どうも様子がおかしい」
 ザックスはベイリーを見やり、腕をゆるめて彼を解放した。ベイリーは逃げ出すどころか、がっくりと膝から床に崩れ落ちそうになったので、ザックスはあわててその体を支えた。
「まじかよ、ちょっと、勘弁してくれよ。おい、おい!」
 だがベイリーはそのまま仰向けにひっくり返ってしまい、しばらくびくびくと痙攣していたが、やがて動かなくなった。
「……まじかよ……ああー、ちくしょう!」
 ザックスは叫んで、頭を抱えてその場でぐるりと一周した。セフィロスはベイリーの上にかがみこんで、瞳孔を調べたり脈を調べたりしはじめた。
「……そいつ、死んじゃったの?」
 クラウドがおそるおそるつぶやいた。セフィロスが立ち上がった。
「残念ながら」
 セフィロスはふり返って、クラウドを見た。クラウドは青ざめて、ベイリーをじっと見下ろしていた。
「これでおまえは、立て続けにふたりも同じ年ごろの人間の死体を見たわけだ。これがわれわれの仕事の現実だ。ある日突然、身近な人間やそうでない人間が、目の前で死ぬ」
「おまえだいじょぶか、クラ坊」
 ザックスが真剣な顔でクラウドをのぞきこむ。
「メンタルだけじゃなくて、ベイリーにどっかやられてないか?」
 この現実的な質問に、クラウドは我に返ったようにザックスを見た。
「だいじょぶ。ぶん殴って手にナイフ突き刺してやった」
「えらい」
 ザックスはクラウドの頭をなでた。
「おれ、人呼んでくるわ」

 外はもう日が落ちて、暗くなっていた。クラウドは念のため医療室に回され、異常なしとのお墨付きをもらって戻ってきていた。その間、セフィロスの執務室には多くの人間が出入りし、慌ただしく動き回ったり、また出ていったりした。ザックスの荷物も没収され、部屋は多くの人間に踏み荒らされた。ハイデッカーからの「遺憾の意」をこめた電話がかかってきたが、セフィロスは無視した。科学部門の連中が遺体を実験用にもらえないだろうかと無神経の極みの提案をしてきて、ガントナー部長の額と首に青筋を立てさせ、タークスの連中が部長をなだめたりした。
 嵐のような数時間のあと、セフィロスの執務室には、コスタへ旅立ってしまったバラン上等兵を除く、昼食会のメンバーが残った。
「この間に判明したことを報告させていただきますと」
 セフィロスに願われて、ベルゲ中尉がホワイトボードの前に立っておそるおそる切り出した。セフィロスがまたも床に座ったので、みんなそのまわりに車座になった。
「大きなものとしては、まず、先ほどスアレス伍長の遺体が発見されました」
 中尉は一座を見まわして、ちょっとためらうような顔をしてから、続けた。
「市立歌劇場の倉庫で見つかりました。今朝方撤去したというクリスマスツリーにぶら下がっていました……額をぶち抜かれていて、処刑されたのは明らかです……死後二十時間ほど経過しているそうです」
「わーお。それ、昨日の夜のうちに死んでるってことね」
 ザックスが時計を見て、無感動に云った。
「徹底的なやり方で来たな」
 セフィロスもまた無感動な声で云う。
「徹底的に劇的なやり方で」
「死体がいつ運びこまれて吊り下げられたのか、詳しいことはなにもわかっていません。どこで、誰に殺されたかも。それから、ベイリーに関してですが、死因は状況からして明らかに毒物中毒によるものですが、毒物の特定はまだできていません。分析にはもう少し時間がかかるとのことです。彼が毒物を摂取した方法ですが、どうやら、ストライフ一等兵につけられた手のひらの傷口から入りこんだようです。ベイリーが手のひらに巻いていたハンカチになにか染みこませてあったようだと。ベイリーは昨夜身ぐるみ剥がされた状態のまま病院に搬送されましたから、彼が病院を抜け出す前に、服と一緒に誰かが差し入れたのだと思われます。ですが、お伝えしたように、ベイリーの面会者はすべて神羅の関係者ばかりです」
 中尉は深刻そうな顔で唇を噛み、一同は暗澹たる顔つきになった。
「本人が死亡してしまったため、ベイリーが具体的にいつごろ、どうやって同胞団に接近したのか明らかにするのは困難ですが、ベイリーの父親に関して、ひとつ興味深い可能性が浮上しました。父親の仕事は材木商でしたが、材木を扱うついでに、ウータイへの支援物資などの密輸に関わっていたかもしれません。ゲリラ戦に巻きこまれて死亡したのは、単なる不運な出来事じゃなかった可能性があります」
「ベイリー一等兵はそれを知っていたのだろうか?」
 セフィロスはホワイトボードに貼られたベイリーの写真を、さっきからずっと見つめていた。
「わかりません。知っていたとしたら、反神羅組織に加担する動機のひとつにはなるかもしれません」
「あるいは、同胞団がそうした事情を知って、ベイリー一等兵に近づいたか」
「その可能性もあります。むしろ、入団のきっかけはそういうことだったかもしれませんね」
 ベルゲ中尉がうなずいた。
「いずれにしても、本人からの証言はもう得られないからな。ほんとうはもう少しいろいろ訊くつもりだったんだが、完全におれの作戦ミスだ。あんなに急所を刺すべきじゃなかった」
 セフィロスはベイリー一等兵の写真から目をそらし、床に視線を落とした。
「でもさ、あの状況でほかになにができたのよ? ほかにどうすりゃよかったんだよ」
 ザックスがちょっといらいらしたように云った。
「すぐにつかまえて、有無を云わさず気絶させテロ対策部に引きずって行く。できたはずだ。そう思わないか?」
「かもな。もう一度あの状況に戻ったとしても、そうできるかどうかはわかんねえけど。おれかあんたが、クラ坊とベイリー引き剥がすのが先か、ベイリーが銃ぶっ放すのが先か、あの空間じゃせますぎて、ちょっと自信ないわ」
「結局さ、おれがあいつのことぶちのめさなかったせいなんだよ」
 クラウドが暗い顔で云った。
「できたのに。もうちょっとうまくやってりゃ、あいつのこと失神させるくらい、ソルジャーじゃなくたってできたんだ」
「おまえいい加減にしろよ。やめろ、その話蒸し返すの」
 ザックスが鋭い声で云い、クラウドをにらみつけた。
「まあまあ、ちょっと、みなさん落ちついてくださいよ」
 ベルゲ中尉が困ったような顔で云う。
「まったくだ。こんなときに自分が悪いごっこしてどうなるんです?」
 これまで黙っていたガントナー部長が、あきれた口調で云う。
「そういうことは、三人だけでやってください。そんな状態で、これ以上報告したって仕方がない。われわれは出ていきますよ。さあ、もう行こう」
 そしていらいらしたようにみんなをせき立てて、さっさと部屋を出て行った。
 沈黙が流れた。
「……ごめん」
「悪かった」
「すいませんでした」
 しばらくして、三人はほとんど同時に云った。そしてちょっと気まずそうにお互いの顔を見合わせた。
「……ってことで」
 ザックスがその場の雰囲気を変えるように、パンと大きな音を立てて手を叩いた。
「いまのなし。前向きに行きましょ。クラ坊、おまえまじ大丈夫か?」
「だいじょぶだって云ってるだろ、しつこいな」
 クラウドが顔をしかめて云った。
「ベイリー一等兵の手のひらの傷を見た。おまえと彼ではかなり力の差があったと思うが、よくやった」
 セフィロスはクラウドを見下ろして、ちょっとうなずいた。
「目ん玉えぐってやりゃよかった」
 クラウドは毒づいた。
「その気になればできたと思う。でもその手のことができるかどうかは、どちらかというと心理的問題というか、度胸の問題だ。かなりの実戦的訓練が必要になる。保育園を出たばかりではさすがに難しいだろう。おまえはおそらく本能的に、相手をあまり深く傷つけない場所を選んでしまったんだ。ガントナー部長がおまえにどういう研修プログラムを組んでくれるかわからないが、それを受けてもなお、この問題は残りそうな気がする」
 セフィロスはなんとなく気遣わしげな顔でクラウドを見つめていた。
「確かにな。最大の難関だよ。自分が生きるか死ぬかって瀬戸際まで追いつめられても、その度胸がないばっかりに死んじゃうやつ、いっぱいいるからな。おまえなんか、典型的な自分が死ぬほうのタイプだ、悪いけど」
 クラウドはザックスをにらみつけた。
「違うって、弱っちいとかそういう話じゃねえの。なんつったらいいかなあ、人殺してまで自分が生きたいとかまじで思うかどうかっていうかさあ。ね、ボス」
「そういう動機をどうにかして作るか、職業的に割り切るか。おまえが自分の生命に執着するほうだとはとても思えないからな。負けん気とは少し違うんだ、それは。死への境界意識の欠如とでも云おうか、いざそれを目の前にすると、思っていたよりあっさりそちらの側へ行ってしまう人間は、けっこう多いものだ」
 セフィロスはやはり非常に気遣わしげな顔でクラウドを見ていた。
「じゃあさ、結局、おれどうすりゃいいわけ? どっかで訓練受けりゃいいの? どこで受けれんの、それ」
 クラウドは自分が軟弱な証拠をまたひとつ突きつけられたような気がして、すっかりふてくされていた。セフィロスとザックスは顔を見合わせた。
「ねえボス、もういんじゃない? こいつのプライドに配慮してる場合だと思う? プライド? 遠慮? わかんねえけど」
 ザックスはなぜか急にクラウドを見て、うれしそうに笑った。
「最初に云っとく。おれ好きなやつほどいじめるタイプ。ボスもね」
「……なんの話?」
 クラウドは思いきり怪訝そうな顔で、セフィロスとザックスを交互に見つめた。そのふたりはというと、にやにや笑いながら、互いに顔を見合わせていた。
「よし、立て、ストライフ一等兵。天国へ連れて行ってやるぞよ」
 ザックスはそう云って、勢いよく立ち上がり、ドアへ突進していった。
「……あいつ、なに云ってんの?」
 クラウドはセフィロスを見上げて云った。
「うれしくてしようがないんだろう。やっとこの日が来たとでも思って」
 セフィロスが自らもまた執務室をあとにしようとクラウドの背中に腕を回したとき、電話が鳴った。セフィロスはクラウドを先に行かせて、電話に出た。
「こんばんは、総司令官閣下」
「……これはこれは」
 クラウドがドアのところでふり返って待っていたので、セフィロスは先に行くように促した。クラウドがいぶかりながらも出て行ったのを確かめて、セフィロスは改めて受話器を握りなおした。
「わざわざ電話をいただけるとは光栄のかぎりだ、ハーストン導師」
「おや、実に十年ぶりだが、わたしの声をおぼえていてくれたとはありがたい」
「幸い、耳はいいほうなもので……実はよすぎて困るくらいなんだが」
 セフィロスはデスクに腰を下ろした。
「クリスマスのプレゼントは楽しんでいただけたかな?」
「存分に」
 セフィロスは下ろしていた窓のスクリーンを開けた。ミッドガルの夜景と本社ビルの明かりが、光の帯を描いて部屋に入りこむ。
「その件に関してだが、ベイリー一等兵の件は遺憾であると同時に申し訳なかったと思っている。きみにとっては、大事な信者のひとりを失ってしまったことだろうから」
「まあ、少々追求が手厳しすぎたのかもしれないね。彼はまだ十六歳だったんだ……おそらくきみのなかでは、十六歳と云えば当時の自分が基準になっているのだろう。そう考えれば納得もできる。きみはかなり辛辣な十六歳だったよ、いまだから云うが。ストライフ一等兵が、きみのその鋭い舌をものともせずにきみと一緒にいるのかと思うと、それだけで彼もまた並ならぬ十六歳だということがわかるが」
「それはたぶん、きみがおれの辛辣な一面しか知らないからそう思うのだろう。人にはいろいろな顔があるものだ」
「確かにそうだ。ああ、もう時間か。実はこれから用事があるんだよ。きみに云いたいのは次のことだ……きみにとって、わたしやわたしの一団など、数ある悩ましい存在のうちのひとつ、九牛の一毛とでもいったものにすぎないだろう。きみがそう思うのはよくわかるよ。でもわたしは、一毛の中でもちょっと毛色の変わった一毛……そしてきみの印象に残る一毛でありたいと思っているんだ。わたしだけではなく、みんなそれを願っているとわたしは思う。きみが出会う人間のすべてが……きみは自分がそういう男だと、ほんとうにわかっているだろうか?」
「おれがどういう男かはともかく、導師がウータイの文学に興味をお持ちだとは知らなかった。あの歴史家(※13は、おれも尊敬している」
「十年だよ、総司令官閣下、十年……われわれのあいだに流れた月日は……人がなにかを完全に体得するには足りないが、第一段階をクリアするには十分な時間だ。最近そんな気がしてきたんだ。おや、ほんとうにもう時間だ。では、また連絡するよ」
 電話は切れた。セフィロスは切れた電話に向かって、肩をすくめてみせ、それから受話器を置いた。

 セフィロスが神羅ビルを出て、敷地の外に立てられたソルジャー専用のトレーニングルームに足を踏み入れたとき、ザックスとクラウドは競技施設のように広々した空間の真ん中で、やいやい云いあっているところだった。
「ぜったいやだ。お断りだ。そんなことするくらいなら舌噛んで死んでやる」
「ほらー、そういうとこだぞ、クラちゃん、きみが死んじゃう側にいるやつだっての。ねえボスー、こいつまじくそ石頭。助けて」
 ザックスが両手を挙げてセフィロスをふり返った。
「あんたなんかともう一生口きかない」
 クラウドはかんかんだった。
「おれこんなことしてもらいたいわけじゃない」
 クラウドはいまいましそうに、トレーニングルームの壁に立てかけられている、訓練用の武器の数々を指さした。
「ここにある剣はなかなかいいぞ。普通の兵卒たちに支給されるのより百億倍はましなやつだ。あれは剣とは云わない。このレベルのものからそう名乗ることが許されるんだ」
 セフィロスは壁にかけられていたなかから無造作に一本とって、ザックスめがけて放り投げた。
「おれはこれ好きじゃないんだよなあ。細すぎんだよ。やっぱあのでかいのが好き。まあ結局好みの問題だけどさ。好みとそいつのスタイルね」
 ザックスはそう云うと、自分もひと振り取りあげてまじまじと見つめていたセフィロスに、いきなり飛び上がりざま打ちかかった。ザックスの振り下ろした剣はセフィロスが眼前に掲げた剣に当たって、ギインという鋭い音を立て、それから真っ二つに折れた。
「ね? だからこれ嫌いなの、おれ」
「おれも好きだとは云ってない。ああ、ひびが入った。開始三秒でふた振りだめにした。始末書ものかもしれない」
「おれやっぱ自分の取ってくる。そのあいだに、あんたクラ坊説得してよ、頼むから。クラちゃんの石頭!」
 ザックスは叫びながらトレーニングルームを出て行った。
 沈黙が流れた。クラウドはセフィロスを親の敵のようににらみつけていた。セフィロスはため息をついた。
「そんなにお気にさわりましたか」
「当たり前だろ」
 クラウドは吐き捨てるように云った。
「おれこれだけはやらないって固く心に誓ってきたんだぞ。あんたとかザックスに戦い方教わるくらいなら死んだほうがましだよ」
「だが客観的に見て、おれも副官殿もその道のプロだぞ。ガントナー部長の研修は確かに役に立つと思うが、それはおまえがほんとうに知りたい戦い方とは少し違うと思う」
「なんだよ、おれがほんとに知りたい戦い方って」
「決して誰にも負けないこと。誰にも、どんな相手にも、絶対に絶対に負けないこと」
 クラウドは真っ赤になって、セフィロスに殴りかかった。彼はめちゃくちゃに拳を繰り出し、セフィロスを思いきりぶん殴ろうとした。セフィロスはそれを手のひらで受けとめた。皮膚どうしがぶつかる、鈍い音が響いた。
「あんたにわかるかよ」
 殴りこんだ勢いでセフィロスの胸に倒れかかって、クラウドは叫んだ。
「あんたにだけはわかんない。絶対、あんたにだけはわかんないよ、おれの気持ちなんて」
 クラウドは泣き出した。
「あんたなんか嫌いだ。大嫌いだ。あんたも、ザックスも、神羅もみんなくたばっちゃえばいいんだ」
 クラウドはセフィロスにしがみつき、わあっと声を上げて泣いた。
「……たぶんな」
 クラウドが少し落ちつくのを待って、セフィロスは静かに云った。
「おれは生まれたときからこうだった。ものごころついたときから、たしかにおれは誰かに戦闘で負けたことはない。その意味では、おれはおまえの苦悩などたぶん一ミリもわからない。おまえがどれほど自分の容姿や体格や性格を恥じているのか、おれには想像もつかない。そのすべてにおいて、おれがおまえとまるで反対の意見を抱いているとしても。だがこんなことは、なぐさめにもならないだろうな。そしておまえは、自分の望みを叶えられる道がすぐそこに見えているのに、どうしても自分自身にそれを許すことができない……おれやザックスがこんなに身近にいるのに、おまえはそれを利用するということが、どうしても、どうしてもできない。それはそれでいい。それでこそおまえらしいとも云える。頑固で、意地っぱりで、自分が自分の理想とするところに足りないのなら死んだほうがましだと本気で思ってしまう。ばかな子だ。まわりが自分をどう思っているかを、少しは気にかけてみるがいい。そんなことだから、ザックスがおまえに剣術やなにかを教えたがって二年も前からうずうずしているのにも気がつかないし、おれがおまえはなかなか筋がいいと思うと云ったときもみんな右から左だった。さあ、いい子だから、顔を上げてこっちを見ろ……おれを見ろ、クラウド」
 セフィロスはクラウドの頬を両手ではさんで、無理やり顔を引き上げた。クラウドの顔は涙でぐちゃぐちゃに濡れて、ひどいものだった。でも、セフィロスは少しもおかしいとは思わなかった。自分をにらみつけてくるクラウドの目は、悔しがり、怒りをあらわにして、なにも、まだなにひとつ、あきらめていなかったから。
「許可を出すのはおまえなんだ。おれやザックスじゃない。欲しいものを自分から遠ざけているのもおまえなんだ。神羅でも、ソルジャー試験でもない。おまえが実在すると信じて疑わない、最低最悪のクラウド・ストライフなどというやつでもないんだ。そんなやつがどこにいるのか、おれにはまるでわからない。さあ、だから、いい加減そのおまえの石頭の中にこびりついているクラウド・ストライフとやらを葬り去って、自分に強くなる許可を出せ。それを自分に許すのは、おまえなんだ。わかったか?」
 クラウドはぼろぼろ涙をこぼしながら、しばらくしゃくり上げていた。それから涙をみんな絞り出してしまうようにぎゅっと目を閉じて、腕でごしごし目もとをこすり、こくんとうなずいた。クラウドが顔じゅうの涙をぬぐって、平静をとり戻したころ、ザックスが戻ってきた。
「じゃじゃーん! バスターソードくん参上。おいこら石頭、せめて石膏くらいにはやわかくなったかよ、バーカ。はいボスこれ、あんたの正宗さま」
「どうも遅いと思ったら、これを取りに行っていたのか。いまの間にこいつの眠る地の果てまで行ったとすれば、ずいぶん早いご帰還だと云わねばなるまい」
「まーね! なんつってもね、おれやっぱりあんたにはそれが一番似合うなって思ってんの。あんたが練習用の剣なんか持ってるの、正視に耐えないのよね。うーん、いいわあ、二年ぶりの正宗さま持ったセフィロスさま。ってことで、二年ぶりにひとつよろしく」
「さても、さても、汝の清く美しきかな! いかばかり久しゅう、汝を佩きて、王の御前に侍りしこと(※14
 セフィロスはそう云うと微笑んで、左手に愛刀を持ち、どこからでもどうぞというようにくつろいで立った。
「いいか、クラ坊、見てみ、あの人、ただぼーっと立ってるように見えるけど、どっこにも隙ないのわかる? あれ、どうやって切りこんでも返されちゃう。たとえば……」
 と云いながらザックスはもうその場におらず、次の瞬間、セフィロスのすぐ横へ移動して下段から斬り上げていたが、セフィロスはそれを、舞ってきた木の葉でも払いのけるような優雅なひと振りではねのけてしまった。剣どうしがぶつかりあうすさまじい音が響き渡り、衝突の余波が空中を伝ってびりびりと響く。
「……ってな具合よ」
 と云いながら、ザックスはまたもとの位置に戻っていた。
「だがおれの武術は全面的にウータイの伝統的身体技法に依っているんだ。それを自分の身体に合うように改良したわけだが、これは保育園の子どもたちが習う剣術とも、ほかのソルジャーたちが基本にしている技術ともぜんぜん別系統に属する。おれのまねをすると混乱すると思うぞ」
「ていうか、率直に云ってまあ無理だね。まねすんならおれにしとき、クラ坊。セフィロスの要求するのは美学って感じだけど、おれのは単にパワーがいるだけ。でもクラ坊は、もうちょっと力押しじゃないやり方のほうが向いてるか。ま、そりゃあとで考えよ。剣術の基本一! どっから斬りかかってこられても打ち返せる構えを作るべし。そこの剣とってそこ立て、ストライフ一等兵」
 この間クラウドはぽかんとしたままふたりのやりとりを見守っていたが、やがて鼻を膨らませ、目をうるませて、こくんとうなずくと、大急ぎで壁際から訓練用の剣を一本持ち出した。
「だいたいなあ、保育園で習うこの構えね。この身体の前に剣まっすぐ構えるやつさあ、ださいんだよ。あんま実用的じゃねえし」
「何千人もの兵士がいっせいにこの構えを取ると、間が抜けているなどということを通り越して、怖気をふるう光景だ。やめろやめろ、おれはこういう硬直したような教科書的技術が大嫌いなんだ。おまえはその小柄な身体をハンディキャップからメリットに変える必要があるのだから、そんな大ぶりな構え方では台無しなんだ。まったく美しくない。利き足を少し後ろに引いて、重心をわずかに、羽根枕の羽の一枚ほどわずかにだぞ、その後ろ足にずらすんだ」
「羽根枕の羽の一枚ってなに?」
 クラウドは困惑して叫んだ。
「この手のたとえがわからないやつは一生先へ進めない。羽根枕の羽一枚が何グラムなのか正確には知らないが、それほど微妙な微細な重心感覚を身につけろという意味だ。つべこべ云わずに羽一枚の重さを想像してみろ、自分のなかに」
 クラウドは急に羽一枚だのコンマ五ミリだのいう量子力学的単位の中に投げこまれ、腰が落ちついていないの、顎が上がっているの、切っ先の向きが美しくないの力が入りすぎているのと云ってさんざんにいびられた。構えひとつでこのありさまだったので、どうにか及第点が出たころには、ストライフ一等兵はすでにへとへとで、自分がこの二年間保育園で習ったことはすべて無駄だったことを痛感させられた。
「ま、それが訓練と実戦との差ですよ」
 ザックスはにやにや笑いながら云った。
「兵士を大量に量産しようなどと思うと、画一的な仕込み方をするしかないんだ、悲しいことに。人の身体が全部違っているからには、同じやり方で通用する人間など誰もいないのだが」
 セフィロス氏は嘆かわしく首を振ってみせたあと、スパルタ軍も名折れというほどの鬼教官ぶりを発揮して、くたくたになっているストライフ一等兵になお素振りを要求し、ああでもないこうでもないと口うるさく云い、さんざんにけちをつけたのち、クラウドが発狂しそうになったところでようやく口をつぐんだ。
「おまえやっぱ根性あるわ」
 ザックスがあきれたように云った。
「誰でもさ、みんなセフィロスに指導してもらいたがんの。でも、たいがいこれの途中で参っちゃって、また次回もお願いしますなんてやつ、誰もいなくなんだよね」
「そもそもおれは人に教えるのに向いていないという根本的な問題があるしな」
「それいまさら云う?」
 クラウドが恨みがましく声を上げた。
「まあいい、おまえが大変食らいつきのいい生徒だということはよくわかった。というわけで、最後にひとつ模範でも見せて終わるか?」
「おっけー、クラ坊はちょっとそっちに下がってな。まじでやりあうからシールド張っとかな」
 ザックスは壁にとことこ歩いてゆき、とりつけられていたパネルのボタンを押した。クラウドの目の前にするすると透明な壁があらわれた。
「たぶんだいじょぶだと思うけど、身の危険を感じたらとっとと避難すんのよ、クラウドちゃん。おれら、このトレーニングルームぶっ壊しちゃったことも何度もあるもんね」
「誰やらが、われわれを指して耐えがたい金食い虫の一派と云っていた。だがおれに云わせれば、問題は既存のありとあらゆる物質を破壊できるような生物兵器を作ってしまったことのほうだ。文句を云うやつらには、おれという人間がこのビルに生息しているとどういうことになるか、またぞろ思い知らせてやるさ」
「賛成! おれ人に迷惑かけまくんの大好きなんだよね。ってなわけで、うちのボスの復帰記念にひと暴れといきますか」
 その言葉を合図にしたように、ザックスは例の大剣を構えて立ち、セフィロスを挑発するようににやにや笑った。セフィロスは相変わらずただぼうっとしたように立っていた。だがいまはクラウドにも、セフィロスの立ち方のどこにも隙がないこと、無駄な力がすべて抜けていると同時に瞬時にどのようにも動き回れる力がそのうちに蓄えられていること、などが見てとれるようになっていた。
 そこから先は、夢のような時間だった。ザックスは信じられないほど高く跳躍し、右から左から後ろから、稲妻のように素早いひらめきをみせてセフィロスに打ちかかった。セフィロスはそれをやすやすとかわし、あるいは片手で持った刀でもって受け流し、少し踏みこんではからかうように引いてみせ、方向転換は円を描いて、それはほとんど舞を舞っているのに似ていた。クラウドはその動きにほとんど目が追いつかないような状態ではあったが、それでもはじめて間近で見る戦うセフィロスというものに釘付けになって、ぽかんと口を開いて見つめていた。対して、ザックスはびゅんびゅん動きまわり、跳ねまわり、躍り上がって、自分の身体能力というものを存分に楽しんでいた。剣のひと振りひと振りのパワーを、自分の膂力と大剣とが重なり合って生みだす衝撃を、その心地よさを彼は楽しんでいた。彼は実に楽しそうに戦った……彼が大剣をぶん回すのを心から好いているのだと、誰が見てもわかるような、勢いよく渓流を下ってゆく水の喜びに似たものが、彼の全身から放たれていた。クラウドはついこんなふうに疑った……自分が見ているものは、いったい強さという言葉であらわすべきなにかだろうか? 世界中の強さを集めてその身に帯びているようなふたりの人間が、いまここで見せているものは、強さだろうか? 強ければ、きっと誰にも負けないのはほんとうだ。そしてこのふたりがとても強い人たちなのもほんとうだ。でも、ふたりは勝ち負けなどにこだわっているだろうか? そういう種類の強さなのだろうか、ふたりが持っているものは? 誰にも負けたくないとか、誰からもバカにされたくないとか、誰にもなにも云わせないとか、あるいは、誰かをぎゃふんといわせてやろうとか……そんなものだろうか?
 急に、セフィロスがこれまでに云ったいろいろなことが頭に浮かんできた。心にも技にも遊びのあるとき、人はもっとも強いのだとか、弱さを追いやろうとすれば、その弱さの裏返しである強さの輝きを失うのだとか、セフィロスの言葉は、いつもクラウド・ストライフの脳みそには難しすぎた。でも、いまこの瞬間、クラウド・ストライフは、セフィロスが自分になにを伝えようとしていたかを、あるいは実にいろいろなことを自分に伝えようとしてくれていたことを、それを自分自身がはねのけていたのだということを、ほんとうに理解した気がした。セフィロスのようになろうとしてなれなかったのは、自分の弱さのせいというよりはむしろ、自分の頑固さの、愚かさの、意固地さのせいなのだということを、彼は理解した。その意固地さは、彼にはまだとても固く感じられた。自分のなかに、岩のように、おそろしくしぶとく頑丈な根のように、それはまだはびこっていた。でも、クラウド・ストライフはいま、自分がなにに銃口を向けるべきであるのかを、なににナイフを突き立てるべきであるのかを、理解したように思った。そんなことができるかどうかは、まだぜんぜんわからなかったけれど。弱っちくて、情けないクラウド・ストライフを手放すことは、強くてかっこいいクラウド・ストライフを招き入れるのと同じくらい、否その何倍も、何億倍も、難しいことのように思われたから。
 やがてザックスのひときわ激しい一撃が、セフィロスに向かって振り下ろされ、空間が割れるような音と衝撃が響き渡ったのを最後に、ふたりの「模範」は終わった。
「セフィロスちゃん、腕鈍ったんじゃない?」
 くるくると大剣を回しながら、ザックスが相変わらず挑発的な笑みで、からかうように云った。
「おれは都合五回は、おまえの脳天をかち割ることができたと思うぞ」
「ええー? どのときよ? んなわけあっかっての」
 ザックスは云いながらまた壁に向かって歩いてゆき、パネルのボタンを押した。クラウドの前の透明な壁がなくなった。
「模範というには少々奔放だったかもしれないが」
 セフィロスがクラウドをふりかえり、微笑んだ。
「少なくとも、保育園では見られないレベルの実技を見ることができただろう」
 セフィロスと目が合うと、クラウドは急に真っ赤になって、そのまま固まり、それから勢いよく後ろにぶっ倒れた。
「……なにが起きたんだ」
 セフィロスは目をぱちくりさせ、あわててクラウドに駆けよった。
「セフィロスオタクが昇天した」
 ザックスは云い、肩をすくめた。
 愛すべきセフィロスオタクは、それから年明けまで、セフィロスを見ると顔を真っ赤にして逃げまわっていたということだ。

最終章

 年が明けて何日か経ち、クラウドはガントナー部長推薦の研修を受けるために、毎日せっせと本社ビルに通うようになった。同時に彼の兵站部への異動願いが提出され、受理されて、二月から正式に配属されることになった。この間、ベイリー一等兵の母親は息子の遺体に直面して泣き叫び、一等兵は勇敢にもテロリストに立ち向かったが、力及ばず長時間にわたって監禁されたことがもとで亡くなったという説明を受けた。ガントナー部長はきびきび動き回り、トースキー隊長は眠たげな目で人々を尋問し、バラン上等兵はコスタで精力的に活動していて、いまはスアレス伍長が聖カルロス騎士団に所属していたこと、少年たちへの勧誘を精力的に行う仕事に就いていたことなどを確かめ、彼を処刑した人物を割り出すべく動いていた。ガントナー部長は、伍長が第十七連隊においても似たような任務を担っていた可能性があると云い、伍長が関わっていた未成年兵士たちへの監視を強化した。ベルゲ中尉は相変わらずテロ対策部とソルジャー部隊のあいだを行ったり来たりしたが、月が改まるころには、それもだんだん頻度が少なくなった。クラウドは新しい仕事にとりくみはじめ、折を見てザックスやセフィロスがトレーニングルームに誘った。こうして、クリスマスのあの事件は、十分に解明されないまま少しずつ遠ざかってゆきつつあった。
 ザックスが彼女の誕生日という重大イベントを前にそわそわしだしたころ、ノースコレルエリアにある神羅の軍事拠点が何者かによって襲撃され、壊滅的な被害を受けるという事件が起きた。犯行声明も出ず、襲撃者たちの正体も目的もわからないまま、あらゆる人員が後処理や調査に駆り出されることとなり、社内は騒然となった。
「ボース、召集令状が来ちゃった。タークスの主任から。明日から同行してくれとさ。あんたもおれも必ず来てくれって」
「ノースコレルエリアか。あのあたりはいまごろおそろしく乾いた冷たい風が吹き荒れて、たいへん寒いんだ」
「知ってる。おれいまから超憂鬱だもん。寒いの大っ嫌い。なんで事件っていつも北で起きんの? たまには南国の明るい空のもとで起きてよね、頼むから。あーあ、いっちょいまから奮発して、前からほしかったくそ高いダウンコートでも買いに行くかなあ。雪山仕様のやつなの。ついでに彼女に会って、誕生日会えなくなったって頭下げてプレゼント渡さなきゃ。あーあーあーあー、雇われ人ってつらいわあ!」
 セフィロスは帰宅する前に、タークスの主任と会話を交わし、プレジデント神羅を訪問した。社長室の前には、相変わらず有能な私設秘書のミス・ボディミードが待ち構えていた。
「誰も通すなと云われているけど」
 ミス・ボディミードは端末から顔を上げて、眼鏡の奥にある鋭い目でセフィロスを見た。
「いいでしょう、あなたなら」
 セフィロスは社長室の巨大な扉に吸いこまれるように入ってゆき、長いこと出てこなかった。ようやく出てきたときにはやや不満げな顔をしており、その足でまっすぐに兵站部の詰めている、よりによって敷地のうんとはずれのほうにある建物へ向かい、在庫整理を云い渡されて意気揚々とフォークリフトを乗り回していたクラウドを拉致して帰宅した。
「あーあ」
 とクラウドは云った。帰宅したとたん、彼はセフィロスとともに風呂場に投げこまれていた。
「とうとう出張入っちゃったね。うわさは聞いてるけど、なんかやばそうな事件だね」
 クラウドは風呂の上に浮かんでいる真っ白な泡をすくったりつぶしたりしながら云った。
「猟奇的な事件だ、こう云ってよければ」
 セフィロスはさっきから、クラウドの金髪頭を後ろへなでつけることに精を傾けていた。
「かなり不気味でもある。だが、こういう事件は今後増える一方だろう。さっきそのことで、プレジデントとめでたく意見が一致した。どうも、わが軍の内部情報はかなり流出している疑いがあるな、あのクリスマスの事件からこっち」
「もとをたどるとさ、みんな同じやつだったりしてね」
 クラウドは何気なく云ったが、セフィロスはそれを聞くとしばらく考えこんだ。
「可能性はある。とてもいやな可能性だがな。それか、ありとあらゆる反神羅組織がいっせいに手を組んだか。いずれにしても、やっかいなことだ。人はドンパチしているあいだだけが戦争だと思っているが、ウータイ戦争からこっち、世界から平時などというものは消え去ったと云えるのかもしれないな。神経を消耗するような事件が、この先ますます増えるだろう。ハーストンの言葉じゃないが、同胞団の事件など解決できたところで、山のような牛の群れの中から、毛を一房抜きとったというにすぎないだろうさ。まったく。だがあれは確実にはじまりだった……なにかの。なんのはじまりなのか、わからないのが腹立たしいところだが、なにか後に引けないものが、確実にはじまってしまったという気がする。あるいはおれがそれを望んでいたとでもいうのだろうか?」
 セフィロスはいまいましいというように云い、それから気をとりなおしてクラウドをくすぐりにかかった。
「うわっ、うひゃっ、ちょっ、やめろよ、あはは、あははは、うわあ!」
 クラウドは浴槽の中でひっくり返りそうになり、セフィロスに抱きとめられた。起き上がりながら、クラウドはふとまじまじとセフィロスを見上げ、
「あんた、大丈夫?」
「ああ、たぶんな。おれの家の浴室で、クラウド・ストライフが裸で笑っていてくれるかぎり。冗談抜きに、あの日襲われたのがおまえでなくてほんとうによかったと思う。おまえにもしものことがあったら、おれは正気を保てていた自信がない」
「大げさだよ」
 クラウドは笑って云った。
「だいたい、おれは死なないよ。少なくとも、あんたが死なないうちはね」
「そうだといいが」
 セフィロスはなんとなく気遣わしげな顔をして、クラウドを長いこと見下ろしていた。
「おまえの考える最強のクラウド・ストライフとやらが、早いことこの世に現れることを願っている。少し急いでみてくれ……おれのために」
 クラウドはなにを云われているのかよくわかっていなかったが、セフィロスを見つめて、こくんとうなずいた。セフィロスのために。

※1 バッハのカンタータ一九〇番(BWV一九〇)、「主に向かって新しい歌を歌え(Singet dem Herrn ein neues Lied)」レチタティーボより拙訳。出典は詩編一四三・十、恵み深いあなたの霊によって、安らかな地に導いてください(新共同訳)。なお、本テキスト内の聖書の引用はすべて新共同訳によった。(本文に戻る
※2 エーリッヒ・ケストナー『飛ぶ教室』山口四郎訳、講談社文庫、二〇〇三年(本文に戻る
※3 クリストファー・マッキントッシュ『薔薇十字団』(吉村正和訳、平凡社、一九九〇年)に掲載されている、ノストラダムスの言葉。(本文に戻る
※4 このへんの文章は、ヨーハン・ヴァレンティン・アンドレーエ『化学の結婚』(種村季弘訳、紀伊國屋書店、一九九三年)と、マタイによる福音書二六:五二からの引用のごたまぜ。(本文に戻る
※5 フェルナンド・ペソア『不穏の書、断章』澤田直訳、平凡社ライブラリー、二〇一三年。(本文に戻る
※6 ヨーガの哲学によれば、われわれの心や感覚器官は、真我のさとりのために物質的存在の原因であるプラクリティ(自性)が生じさせた幻であり、そのはたらきは止めることができる。そしてそれが、悟りと呼ばれる状態である。ウータイに仏がいる以上、あの世界にはどうしてもインド哲学があるのでなければならない。インド哲学と星命学の思想的対立を、セフィロス氏は真剣に考えているわけである。(本文に戻る
※7 ルスティカ(粗石積み)というのは石造建築の様式のひとつで、壁面をつくるときにあえてなめらかにせず、目の粗い切石を積んで構成しているもののこと。ルスティカ仕上げの一階部分の上にオーダーを積み重ねるという手法はルネサンス期に考案されたもの。ルーヴル宮殿やパリ・オペラ座のファサードなんかに取り入れられており、今回作中に登場する歌劇場はこのパリ・オペラ座を参考にした。個人的ルネサンスリスペクトの一環。(本文に戻る
※8 釈尊の説いた八苦のうちのひとつ、怨憎会苦のこと。(本文に戻る
※9 ロクムは、英語名ターキッシュデライト。トルコのお菓子で、コーンスターチと砂糖水と香料を煮て冷やし固めた、練り餅みたいなもの。材料はシンプルだが、ものすごく洗練された味がする。いろんな香りがあり、とてもとても甘く、とてもとてもおいしい。『ナルニア国物語』にも出てくるが、エドマンド少年じゃなくても、このお菓子を食べさせてもらえるんだったら云うこときいてもいいと思うくらいおいしい。サンタさんがこれを枕元に置いてくれたら、わたしは正気を保てる自信がない。(本文に戻る
※10 中世ヨーロッパの騎士道で重んじられた、騎士の貴婦人への精神的な愛のこと。中世騎士物語の傑作『パルチヴァール』の注で知ったのだが、これは本来は、神の人間への愛を意味したようである。騎士たるものは、ひとりの貴婦人(君主の妻など、恐れ多く近づきがたい人物であることが多い)を心に思い定め崇拝し、彼女をわが命とも守り神とも思い、これを精神的な支えとして、勇敢に戦う騎士たり得るのである。ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャがドゥルシネーア・デル・トボーソ姫に寄せる言葉の数々は、この騎士のミンネというものがどういう性質のものであったかを、戯画化して見せてくれる。
 余談だが、初期のFFシリーズやDQシリーズはこの中世騎士物語の系列に属するため、なにか読んでみることをおすすめする。『ニーベルンゲンの歌』なんか、翻訳も手に入りやすいし、たとえばドラゴンを倒すと腕輪が手に入るのはなぜかということが、おわかりいただけると思う。FF7の場合は、近代化された舞台のなかに、まだこの中世の伝統が色濃く生きていて、その齟齬、ないし奇妙な融合は、この作品の魅力のひとつである。まったく実験的な作品である。わたしのセフィロスさんがどう考えても中世人なのは、わたし自身中世人であることもあるが、多くはこの物語自体が秘めている、ふたつの要素の葛藤ということの象徴である。彼はこの葛藤に自らも苦しむ人であるのだ。(本文に戻る
※11 コリントの信徒への手紙一、六・九、十八(本文に戻る
※12 詩編五十一・九(本文に戻る
※13 司馬遷のこと。九牛一毛のたとえは、司馬遷の書いた手紙に由来する。(本文に戻る
※14 中世の叙事詩『ローランの歌』より、騎士ガヌロンが戦に先立っておのれの剣にかける、美しい言葉。『ローランの歌 狐物語 中世文学集Ⅱ』佐藤輝夫ほか訳、ちくま文庫、一九八六年。(本文に戻る

登場人物一覧

年齢が判明している人物は、カッコ内に記しておいた。

神羅関係者の面々
セフィロス(二十六)……ソルジャー部隊総司令官閣下。やっぱり仕事がきらい。
ザックス・フェア(二十五)……ソルジャー部隊副司令官。おそるべき交友関係の広さを誇る、陽気なゴンガガ男。
クラウド・ストライフ(十六)……ご存じつんつん頭。治安維持部門治安維持部隊第十七連隊隊員。一等兵。
ガントナー部長……治安維持部門憲兵総局テロ対策部部長。
トースキー隊長……テロ対策部捜査部隊長。
ヨーハン・ベルゲ中尉(二十五)……テロ対策部とソルジャー部隊の連絡係。
ダレン・バラン上等兵……治安維持部門憲兵総局特殊犯罪対策課ギャング対策班所属。
アントン・ベイリー一等兵(十六)……第十七連隊隊員。クラウドと同期。
マルキン中佐……第十七連隊隊長。クラウドの上官。
フィッツ・クイン曹長……第十七連隊の、警備兵配置の責任者。
ニコラス・スアレス伍長(二十七)……クイン曹長の部下。
フィリポット……ソルジャー。近い将来セフィロスに処刑されることが予想される。
マーリーン……ソルジャーフロアの清掃係。
プレジデント神羅……ご存じ神羅カンパニー社長。
パルマー……うひょ。
ハイデッカー……ガハハ。

十字星同胞団関係者の面々
シャーロット・ホフナー……「大いなる星の霊」の霊媒を務めていた女性。
ミリセント・ホフナー……その姉。
ジャマル・ハーストン(二十八)……十字星同胞団の現最高指導者。
ニール・ヤンソン(十六)……プレジデント神羅を射殺しようとした、地元の高校生。

その他の人々
カール・ヤンソン(十三)……ニールの弟。
アンヌ・ルナン……四番街で人気レストランを経営する若きシェフ。ザックスの友だち。
マリー……レストランの給仕。

事件関連年表

※公式の設定と独自の設定がごちゃまぜです。
※正しい公式の年表は、アニバーサリーアルティマニア等を参照してください。

一九六七年
 シャーロット・ホフナー、大いなる星の霊の霊媒となり、ニブルヘイム魔晄炉の稼働を予言する。
一九六八年
 ニブルヘイム魔晄炉建設。
一九七六年
 セフィロス誕生。
 ミッドガル市の建設がはじまる。
 シャーロット・ホフナーの記事が心霊雑誌に掲載され、注目を集めはじめる。
一九八六年
 クラウド誕生。
一九九二年
 セフィロスがグラスランドエリアにある十字星同胞団の農場を訪ねる。
 ウータイ戦争勃発。
二〇〇〇年
 クラウド、ミッドガルへ。
ウータイ戦争終結。
(この年まで〔μ〕-εγλ年代。翌年から〔ν〕-εγλ〇〇〇一年に年号変更)
〇〇〇二年十二月二十五日
 壱番街市立歌劇場にてプレジデント神羅暗殺未遂事件。
 十字星同胞団が犯行声明を出す。

『降誕祭の夜』
マスダ|Bliss
二〇二一年八月二十八日
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この話、ほんとうは有料配布するはずだったものです。
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お礼に設定資料集と解説(1万字程度)を用意しています。
実はこの解説が一番気合いが入ってます。
2021/09/03 二十枚弱の掌編をお礼に追加しました。