降誕祭の夜 T 事件当日……十二月二十五日 第一章 「やあよ、おれ今日はもう仕事じまいなの。ザッくんは閉店しました。だって世の中祝日だもんね。これからおれゴンガガ伝統カエルカレーつくんの。袋詰めにされた何十匹って冷凍ガエルがおれを待ってんのよ。いまごろ溶けていい感じじゃない? 罪なきカエルをわれ捌き給う。あ、きみ手伝いに来る?」  相手はそそくさと電話を切った。悪いやつではないのだが、ちょっとしつこい男なのだ。曰く、彼は「クリスマスにおけるミッドガルひとり暮らし男性を救済する会」を主催しており、要するに、大都市ミッドガルにおいて家族から遠く離れてひとり寂しく勉学や職務にはげむ単身者男性が集まって、家族のように団結し痛飲し愉快にやろうではないか、という会なのだ。本来は無害な会らしいのだが、二年前に、酔っぱらった勢いで道行く女性に手当たり次第に声をかけるというバカな真似をする男が出て、通報され、手入れに遭うという手痛い経験をした。通報した女性は、自分が性産業従事者と間違われたというので怒り狂っており、駆けつけた警備兵にありとあらゆることを吹きこんだらしく、警備兵たちはテロリストのアジトにでも乗りこむかのごとく武装して突入してきたのだった。  実際、クリスマス華やかなりしミッドガルの陰では、街を警備する治安維持部隊の兵士たちの緊張は頂点に達している。この時期には毎年多くのチャリティイベントが開催されるが、神羅の重役の出席するイベントには、必ずといっていいほど爆破予告やら殺害予告やらが舞いこんでくるからだ。たいていはいたずらにすぎないが、だからといって警戒をゆるめるわけにはいかない。特に、プレジデント神羅やその息子のルーファウス神羅が出席するとなると、警備を担当する兵士たちは、その後三日もぶっ倒れて眠りこむほど神経を使わなければならない。  とはいえ、ザックス・フェア氏は治安維持部隊の人間ではないし、いまのところどこからも援助を請われてはいない。つまり彼のクリスマスはうるわしき自由に彩られ守られているのであり、午前のうちに早々に仕事を切りあげて帰宅したところで誰も文句は云えないのだ。  だがクラウド・ストライフはそうはいかなかった……フェア氏は愛車を転がしながら、半月ほど前、クラウドにさんざん文句を云われたことを思いだしていた。クラウドは清く正しい治安維持部隊第十七連隊隊員であったから、クリスマスはもちろん書き入れどきであり、当然勤務表に名前が載っていた。クラウドいわく、この十二月になってからそれを変更してくれと云うことは、自分のような新米にとっては許されざることであり、これでおそらくクラウド・ストライフは、養成学校に続いてこの治安維持部隊においても村八分の目に遭うであろう。  クラウド・ストライフは今年の八月、めでたく神羅軍の養成学校を卒業した。十四歳から十六歳までのひよっこ少年兵たちを預かる養成校は、幼年学校とも「保育園」とも呼ばれ、二年間の在籍期間を経て正式な兵科に配属されるための予備学校である。卒業後の配属先はおおむね本人の希望が通るようになっているが、ソルジャー志望であったクラウド・ストライフは、卒業直前に十六歳の誕生日を迎え、受験資格を満たしたので、ソルジャーになるための適性試験を受けた。そして落ちた。クラウド・ストライフはこの世の終わりが来たかというほど落ちこみ、卒業式にも出ず、配属先の希望を出すどころの話でなかった。残酷なことだが、このような目に遭う少年兵はクラウド・ストライフが最初でも最後でもなく、たいていは次の配属希望先が見つかるまで、自動的に治安維持部隊に入れられる。もっとも人手不足の深刻なところだからだ。そこからなにか新しい適性を考えつけばそれでよし、軍人をやめるならそれもそれだというわけである。  だが試験に落ちたあとのクラウドはほんとうにひどかった。精神的にかなり不安定になって、ザックスをはらはらさせ、セフィロスをうろたえさせた。いらいらしたり、沈んだり、つっけんどんだったり噛みつくようだったりするクラウドを、ザックスはこのあいだまで自宅で預かり、毎日仕事に送り出してやっていた。セフィロスと一緒にしておくと、ふたりとも崩壊してしまいそうだったからだ。  セフィロスほどの男になると、どんなに真剣なときでも、思いつめたときでも、どこかまだ余裕を残しているという印象を与えるが、クラウド・ストライフときた日には、いったん思いつめるとなったら、世の果てまで行きついて、崖のふちのふちに立たないと、自分は思いつめているのだと自分に云いきかせることもできないような人間なのだ。こういう人間が挫折の極みに達しているときに、セフィロスのような人間がよりによって当事者としてそばにいるのはたまらない。クラウドはどうしたって彼から離れなければならなかった。それに、セフィロスのようになるのだという夢が指先からこぼれ落ちたとき、クラウドはそのこぼれ落ちた夢であるセフィロスを、自分の知っているセフィロスから、ほんとうの意味で引きはがさなければならなかった。  これがどれだけ困難な作業であるか、ザックスにはわかるような気がした。もちろん、ザックスはクラウド・ストライフなんかより、もっとずっとのんきな人種だ。セフィロスにあこがれたと云ったって、ザックスはセフィロスと自分があくまで別ものだとわかっている。できることはできるし、できないことはできないと割りきることもできる。でもクラウドはそういうタイプではなかった。なるとなったら、なりきらねば気のすまない子だった。セフィロスになると決めたのだから、セフィロスのすべてを自分の血肉としなければ満足しない。だが現実は冷酷だった。それはクラウドの夢を破り、希望を無残に引き裂いた。立ちなおるには時間が必要だった。ザックスはクラウドを引きとり、不安定で危険な数か月をなんとかやりすごした。クラウドはようやく二週間ほど前、急に「おれ帰る」と云いだして、セフィロスのところへ戻ったばかりだった。  それでザックスはこのクリスマスを、彼らの和解と新しい出発に捧げる、ひとつの儀式にしようと考えていた。といって、別になにか神秘めいたことをするわけではない。ただ一緒に食事を作り、食べ、飲んで、くだらないことやくだらなくないことを話しあうのだ。クラウドはひとつの危機をむかえ、まだようやくそれを半分乗り越えたばかりだ。それにセフィロスもセフィロスで、自分の身のふり方という未解決の大きな問題を抱えていた。たぶん、クラウドがソルジャー試験に落ちたいま、セフィロスもまた考えねばならないだろう。ふたりとも、またとても大きなものを越えていかなくてはならないだろう。それがどれほど大きいか、どれほどの困難が待ち受けているかは、まだちっとも予測がつかないにしても。ザックスとしては、彼らになにがあっても、いつまでもできるだけ愉快にやっていてほしかった。そのためにできることなら、なんだってしてやりたいと思っていた。  フェア氏の愛車が伍番街の高級住宅街にあるマンションに着いたのは、もうすぐ正午になろうかという時分だった。フェア氏は地下にある駐車場へ愛車を転がしていき、数分後には、食材のつまった大きな木箱を掲げもってセフィロス氏の自宅の玄関に現れた。そしてさっそく台所へ木箱を運びこんで、腕まくりをはじめた。 「ジャガイモの皮は剥いておいた」  セフィロスが、台所の床に置かれた、大きな桶いっぱいのジャガイモを指さして云った。 「あらー、ありがとボス、ボクうれしい、愛してるわ」  ザックスは感激して手を握りあわせた。 「おれの揚げじゃが、いつできんの?」  クラウドがソファからとことこやってきた。 「一番最後だっつのバーカ。おまえ自分で食うぶん皮むけよ」 「なんで? そこにいっぱいあるだろ」  クラウドは不満げに桶を指さした。 「これはおれとボスのぶんの揚げじゃがと、マッシュポテトと、その他諸々用なの。おまえのぶんは別なの」  クラウドはぶつぶつ文句を云いながら、木箱の中身をかき回しはじめた。  クリスマスのこのよき日に先だって、ザックスは今回の会食を、ゴンガガならびにニブルヘイムの郷土料理舞いおどる酒池肉林とするため、二週間ほど準備にいそしんできた。地方食材を仕入れ、セフィロス氏の自宅へ運びこみ、下ごしらえの必要なものはその都度下処理をして冷凍していくという、根気のいる作業をひとつずつ進めてきた。カエル数十匹の解剖はさすがにしなかったが、冷凍品を買いこんで、小麦粉やスパイスをまぶして漬けこんである。クラウドの愛する羊肉のシチューは、クラウドの母さんのレシピ通りに作るとすると、暖炉の上に鍋を何日もかけておかなくてはならなかったので、ザックスはひとまず自宅で煮こんでおき、今日は仕上げればいいだけにしてあった。ニブルヘイムのおそるべき塩漬けダラにいたっては、塩抜きに数日を要するため、セフィロスに頼んで桶に水をはってタラをつっこみ、定期的に水をとりかえてもらわなくてはならなかった。伝統的な料理は、手間も暇もかかる。  ザックスはかつて、義務教育を終了した十四歳のころ、みずからの進路について兵士になるか料理人になるかで迷った男である。両親は、当然ながら息子が料理人になることを希望した。ひとり息子だったし、親として兵士などという危険極まりない職業に反対するのは当たり前だったが、ザックスはそれでも兵士になる道を選んだ。高給取りだし、料理人よりは早くひとり立ちできると考えたのだ。料理の世界では、十四で弟子入りしたとして、両親に仕送りしてみずからも生計を立てられるようになるまでに、まあ十年はかかるであろうが、兵士であれば、養成校を出てすぐにそれなりの給料が見こめるし、なによりセフィロスのようになることができるかもしれない。ザックスがそんな期待を胸にミッドガルへ出てきたとき、同じようなことを考えて田舎から出てきた少年はほかにも大勢いた。ソルジャーという存在は、まだ世に出て間もなかった。セフィロスという少年兵の存在が話題になりはじめたのは、そのたった一年かそこら前のことだ。誰もソルジャーというのがどんなもので、なにができるのか、よくわかっていなかった。神羅カンパニーだってよくはわかっていなかった。ザックスは、その未知の可能性にもなにか魅力を感じたのだ。たぶん、うまくいけば、二十歳そこそこで指揮官になり、途方もない給料をもらったり、名誉を身に受けたりすることだってできるかもしれないではないか? 「おれも若かったのよ」  ザックスは母ちゃん直伝ゴンガガ伝統カエルカレーの食材を切りながら云った。ザックスの母ちゃん曰く、カエルカレーには、フルーツを蒸留して作った地酒をちょっと入れるのがコツだった。 「あんたにあこがれて田舎から出てくるやつなんて、まあだいたいそんな夢膨らまして来るんじゃない? な、クラ坊」  クラ坊は踏み台に座って黙々とジャガイモの皮をむいていたが、顔を上げた。そしてテーブルに身をかがめて、サラダを彩りよく盛りつけることに命を懸けているらしいセフィロスを見た。セフィロスは画家かなにかのようにときどき身を引いて、全体のバランスを見極め、またかがみこんで、なぜこのイクラという愚か者はおれの意図に反してずり落ちてくるのだろうかとでも云いたげに、ころころ転がりまわる魚卵を根気よく移動させたりしていた。 「でもさ、ザックスの場合は、戦争行って、間近でこの人のこと見てたからまだいいよ。おれくらいのやつなんか、さんざんテレビでこの人のいろんな映像見せられて、あおられてミッドガル来たのはいいけど、戦争は終わってるし、本人は出てこないし、なんていうの? むなしさ? とホームシックのダブルパンチ食らって、とっとと田舎帰ったやつ、けっこういた。最初の半年で、たぶん三分の一は消えたもん」 「昔っからそんなもんだったよ」  ザックスは地酒を鍋に入れるついでにひと口失敬して、んまい、と満足げに云った。 「だいたい、ソルジャー試験受けられるようになるまで軍のいじめ体質に耐えぬいて残ろうなんて骨のあるやつ、半分いりゃいいほうっしょ。試験受けて運よくソルジャーになったってさ、そっから先がまた長いんだ。まあおれんときは、いまとちょっと状況違ったけどね。そもそも人材少なかったから」 「あのころはまだよかった」  セフィロスが急に話しはじめた。 「わが副官殿がソルジャーに昇格したころは。おれの責任もいまに比べれば紙のように薄かった。考えるべきことも多くはなかった、いまのようには……いまでは、あまりに多くの人間がこの分野にやってきたせいで、ありとあらゆるやつがいる。たびたび頭をぶち抜いて処刑したくなるような男もいる。誰とは云わないが……」 「あーあ、おれ誰かわかっちゃった」  ザックスがその人物を思い出したとでもいうように、うんざりした声で云った。クラウドはまたジャガイモの皮むきに戻った。 「おれがファーストの進級になんのかんのと難癖をつけていつまでも寡頭政治体制にしておくのはそのせいだ。いざというとき自分が責任をもちたくないやつはそばに置かない。専制政治と云いたいやつは云えばいい。その手のストレスを常時抱えているくらいなら、ファシストとののしられたほうがましだ。もっとも、おれがいなくなったらどうなるのかは知らないが」  セフィロスがこんな話をするのは珍しかった。彼は自分の立場や自分をとり巻く状況についてどう思っているのか、なかなか明かそうとはしない。というより、たぶん彼がそういう話を安心してすることができるのは、ザックス・フェア氏の前でだけだろう。それ以外の関係のなかでは、セフィロスの発言は常に公であり政治だった。ソルジャーの仲間うちで冗談を飛ばすときでさえ、彼は踏みはずさないように気をつけていた。それが習い性になってしまっていたので、はじめセフィロスは、クラウドになにを話してもよく、なにを話すのはよくないかの見きわめに苦労していたくらいだった。結局、その壁をぶち破ったのは怒りに満ちたクラウドの一撃だったが。 「ボスがいなくなったら、おれだって知らね。そうなったら、なんかどうでもよくなりそう、おれ。燃えつきて、田舎帰っちゃうかも。んで、しばらくしたら、またどっかちょっと開けたとこ出てさ、バルかなんか開いてさ、毎日客と一緒に飲んだくれんの」 「揚げじゃが出る?」  クラウドがイモをむきながら訊いた。 「おれイモの皮むきのバイトくらいだったらしてやってもいいよ、揚げじゃが出るんなら。あと皿洗い」 「おまえに飲食商売ができるとは思えないんだよね、おれは」  ザックスは疑わしげにクラウドを見た。大量のジャガイモが茹であがり、ザックスは用途別によりわけはじめた。 「おまえには向いていないと思う」  セフィロスも云った。セフィロスはようやくいまいましいイクラやサーモンとの戦いを終えて、今度はチーズやマリネやオリーブなどの芸術的盛りつけに熱意を傾けはじめた。 「おまえほどサービス精神のない子も珍しい」 「だってどうでもいいだろ」  クラウドは唇をとんがらせて云った。 「他人のことなんか。マッシュポテトできた? おれ味見する」  ザックスは小さな皿にのっけて、食いざかりの坊主に出してやった。ザックスはたいへん美味なマッシュポテトを作る……すごくたくさんのバターと、ジャガイモの皮をひたして香りを移した牛乳で。  彼らの今年のクリスマスはそんなふうにはじまった。三人で一緒に過ごそうなどとは、ザックスが云い出さなかったら誰も思いつかなかっただろう。そしてこれは、セフィロスにとってもクラウドにとっても、なかなかいいアイディアに思われた。クラウドは田舎から出てきてからというもの、クリスマスシーズンになるたびに、ニブルの母さんを思いだしてしまってなんだかやりきれない気持ちになるのだが、去年は、セフィロスといるとそのやりきれなさが解消されるどころか、よけいひどくなってしまうらしいことに気がついた。たぶん、セフィロスがクラウドの感傷に優しすぎるせいだ。それでクラウドはついいらいらしてしまい、いらいらした自分にあとから落ちこんで、とにかく散々だった。おまけにケーキをホールで食べるなどというばかな真似をしたせいで、夜中に気持ちわるくなったりした。ベッドのなかで気持ちわるさにうめきながら、もう来年は絶対にクリスマスなんかしないと心から誓ったくらいだ。でもザックスがいるのだったら、クラウドは落ちこまないですむ。ザックスはセフィロスではないし、クラウドの気分を甘やかしたりしないからだ。  食卓はいまや簡易的な世界地図に見立てられ、南ブロックにゴンガガのカエルカレーや、すっぱいサラダや、スパイスがたっぷりかかった豆と野菜の煮こみなどが並び、北ブロックに、ザックスがはじめて挑戦したクラウドの母さん直伝ニブルの羊肉のシチューや、タラの干物料理や、塩ぬきした塩漬けダラとマッシュポテトのディップなどが並べられた。そしてそれらの周囲に、ミッドガル人セフィロスのために、ミッドガルでクリスマスの定番になっている鶏の丸焼き、サラダ、オードブル等々がちりばめられた。  ザックスは大いに痛飲すべく、ゴンガガとニブルヘイムの地酒をたくさんとり寄せていた。クラウドのよく知っている、ニブルの男たちが炉端でちびちびやるジャガイモとスパイスで作った蒸留酒の瓶もある。スパイスの調合で、いろんな種類があるのだ。この酒を母さんもときどきちびちびやっていた。料理をこしらえながらときどき……けっこうたまに。クラウドは昔母さんに隠れてこっそり飲んでみたことがあるが、とてもまずくて変なにおいがし、飲めたものではなかった。そのときに、クラウド・ストライフは一生涯酒を飲まないことを誓ったのだ。 「いやいや、はじめて飲んだけど、このニブルのジャガイモ酒、うまいよ」  ザックスは瓶を持ち上げてしげしげと眺めながら云った。 「貧困の味だよ、おれに云わせりゃね」  クラウドは自分用の大きな鉢に盛られた揚げじゃがを満足そうに食べながら云った。 「食い物がジャガイモと、ぶちのめした羊と、チーズと、獲れてから一年もたったタラくらいしかないんだもん。あと干からびた豆」 「厳しそうだもんね、おまえんとこの土地。おれ北国に定住しようと思った人のこと尊敬しちゃうな……でもゴンガガだってやあよ。高温多湿、ものはすぐ腐る、作物はカビにやられやすいし、水害に遭いやすい。いやーな虫とかいっぱいいるしね。油断すると人さまの皮膚に卵産んだりしてさ……」 「おれぜったいやだ、ジャングルのそばに住むの。でっかい蚊がいるし、そもそも虫が全部でかいし」 「虫天国なのは否定しねえかな。でもおれたちはさあ、うるわしい故郷ってのがあるけど、セフィロスはどこに住みたい? それかどこに行きたい?」  セフィロスはジャガイモ酒を味わいながら考えこんだ。 「なんだか、たいていのところに行ったことがある気がするんだが」  セフィロスは考え考え、微笑んだ。 「どこもそれぞれに魅力的だった気がする。個人的には木があって、川が流れているところが好きなんだが」 「おれ頑張って川のある土地買ってもいいけど、そしたら水車小屋建てていい? 好きなんだ、水車。それで毎日粉ひいて、パン食べ放題にしてやるんだ」  ニブルヘイムの貧困と乏しい食料の中で育ったクラウド・ストライフは、夢を見るような顔で云った。 「水車小屋には悪魔が住んでいる」  セフィロスはおどすように声を潜めた。 「おまえがさらわれないように見張っていよう。それにおれは悪魔と仲良くやれそうな気がしているんだ、昔から」 「悪魔も逃げだすと思う、クラ坊の食い気見たら」  セフィロスもザックスも、そのような少年時代を経てきたこともあり、クラウドの牛馬級の食欲を見ても少しも驚かないが、上品なご婦人あたりが見たら腰をぬかすだろう。大鉢いっぱいの揚げじゃがと、テーブルを埋めつくす料理の数々を食したのちに、なおケーキを食べフルーツをつまもうというような食欲を、クラウドの母さんひとりに背負わせなくて幸いだったと云わねばならない。ニブルヘイムの痩せ枯れた土地と冷涼な気候では、こんな少年を養うのは困難である。  せっかくなので、めいめいにひとつ郷土料理にまつわるお話を披露してほしいとセフィロスが云った。ザックスとクラウドはじゃんけんし、ザックスが勝ったので、クラウドから話しはじめることになった。 「別に改めて話すようなことなんにもないんだけど」  クラウドは唇をとがらせて云った。 「なんにもないってことはないっしょ。クリスマスにいつもなに食ってたとかさ、特定の日だけ食える料理があったとかさ」 「そりゃね、クリスマスの日は、ちょっとだけシチューの中の肉の割合が多かったよ。隣んちのじいさんは、羊のキンタマ食べてた」  セフィロスがフォークをとり落した。 「すごく変な味がするんだ。発酵してて、すっぱくて、臭いんだ。でも隣んちのじいさんは、それを食うとまた一年元気でいられるんだって云ってた。元気って、どういう意味っておれ訊かなかった。やな予感したから」 「……それ、どういう形状で出てくんのか、一応訊いていい?」  ザックスがすごい顔で訊いた。かつての料理人希望であり、自称全世界を股にかけた食の伝道師ザックス・フェア氏としては、いつかそれを食さねばならぬと早くも覚悟を決めているように見えた。 「スライスしてあるんだ。こんな感じで」  クラウドは揚げじゃがのひとつを皿にとり、ナイフで斜めに切りわけはじめた。聴衆の顔が青ざめた。 「羊のキンタマって、けっこうでかいんだよ。一頭分食えりゃ立派なもんだぞ坊主って、じいさん云ってた。スライスされたキンタマに、ゆでたジャガイモと、豆の煮こみがついてた。それとパン食べるのが、じいさんのクリスマスの食事なんだって。でも連れのばあさんは、普通にソーセージ食べてた。おれ、ソーセージがあんなにうまいってこと、はじめて知ったんだ、その日」  セフィロスは気が遠くなったような顔をしていたが、ザックスが揺さぶると、意識をとりもどした。 「おまえがとてもたくましい精神を持っている理由がわかったような気がする」  セフィロスはげっそりして云った。 「そんなものまで食して生きのびてきた土地の子が、たくましくないわけはない」 「もうやめよ、クラちゃんの話。おれが別の話するから。ゴンガガ育ちのガキにはね、クリスマス前の恒例行事として、森にカエルつかまえに行くってのがあんの。食用にするためにね。母ちゃんにこんなでっかい瓶持たされて、カエル一匹入れられるくらいの口があって蓋がついてんのね。ゴンガガのカエルってさ、でかいんだよ、手のひらぐらいあって。しかもけっこう重いの。じゃなきゃ腹の足しになんないんだけどさ、ともかくガキどものミッションは、なるたけいっぱいカエルつかまえて、瓶の中でぴょんぴょん跳ねてる活きのいいところを、すぐさま家にもって帰ること、ってわけ。  ある年のクリスマス前にさ、おれ友だちと三人で森にカエル獲りに行ったの。おれともうひとりは入れ物に瓶持ってきたんだけど、もうひとりはでかい麻の袋でさ、たしかにそっちのほうが軽いしいっぱい入るんだけど、そいついっぱい入るからっつって欲張りすぎたのね。気がついたら、袋ん中が妙におとなしいの。それで、そいつがおそるおそる袋開けたら、重みで下のほうの…………あれ? おかしいな、おれもしかして、いま羊のナニくらい気持ち悪い話してる?」 「してる」  クラウドは青い顔で云った。 「おれはもっとささやかな、あるいは家庭的な話を期待していたんだが」  セフィロスはため息をついた。 「この面子でそんな話を期待した自分がばかだったという気がしてきた」 「来年はもっと考えるよ、たぶん、覚えてたらね」  クラウドは云い、最前羊のナニに見立ててスライスした揚げじゃがを口に入れた。セフィロスはそれを見てしまい、怖気をふるった。  クリスマスの楽しい会は続いたが、クラウドはゴンガガのフルーツ酒をおそるおそるひと口飲んだとたんに眠気を覚え、途中で寝てしまった。ザックスはなおしばらくセフィロスといろいろ話しこみ、片づけをして、帰ることにした。午後七時近くになっていた。 「クリスマスに毎年顔出してるクラブのイベント、今年ものぞいとこうかなって思ってんの」  セフィロスに今夜はなにをするのか訊かれて、ザックスは云った。 「クラ坊、年明けは一日が休みなんだっけ?」  玄関まで見送りに来たセフィロスに、ザックスは訊いた。 「そうらしい。変則労働も深夜勤務もできないので、未成年は割に合わないとぶつぶつ云っていた」 「あいつ、まだ未成年なんだよなあ……」  ザックスは天を仰いで云った。 「副官殿はなにを考えているんだ?」  セフィロスがからかうように訊ねた。 「んー……なんか、おれも十六なときあったけど、おれの十六って、人生で一番うきうきだったんだよね。ほら、あのころのソルジャー試験規定って、いまよりめちゃくちゃ緩かったじゃん? おれなんか試験受けたの十五んときだし、そもそもそのころって、受かるも落ちるもないみたいな感じでさ。あれ完全に人体実験だったよなあ……廃人になるのが続出してさ、ぜーんぶ後決めだったじゃん、いろんなこと。そうやって、危険たっぷりだけどとにかくやっちゃえみたいなのと、いまみたいにちゃんと基準があってふるいにかけられんのと、どっちが幸せかなあって思って、たまに考えちゃうの」  セフィロスはうなずいた。 「……どうすんのかなあ、クラちゃん、この先。あいつときどき、もう燃えつきて年寄りになったみたいな顔してるときあって、おれびっくりすんのよ……しっかりしろよおまえ、まだ十六年しか生きてねえんだぞって云ってやりたいんだけど、余計なお世話だよな、これ、きっと」 「熱量の問題で云えば、倍くらい生きただけ燃えたのかもしれないしな、実際」  セフィロスは記憶を追いかけるような目をした。 「人間が生きているのは時間ではない、どう見ても。この何か月か、あの子がこのまま死ぬかもしれないと思っていた。あれはそういう子だとわかっていた……一瞬間、強烈にきらめいて、すぐに燃えつきてしまう……そういうタイプが確かにいる。そうした人種にとって、生き延びることが幸福なのかどうか、おれにはわからない。もしかすると地獄かもしれない。でもともかくあの子はまだ生きている。まだ生きているということは、少しは先を考えるつもりがあるんだろう。見つかるかどうかは別にして」 「川の流れる土地買う金貯めるくらいまでは、生きてるかもね。おれ、なんかむやみに感動しちゃったんだ、さっきクラウドがそう云ったとき。……なんか、ほんと、世話の焼けるやつだよ、あいつ。今度本気でぶっ飛ばしてやる。目覚ましたらそう云っといて」  ザックスは安堵のあまり怒ったようになりながらセフィロスの家を出ていった。そして、セフィロスもクラウド・ストライフもザックス・フェアもみんなばかやろうだと思いながら、なじみのクラブへ向けて愛車を転がした。 第二章  フェア氏が去ったあと、ソファに寝ていたクラウドの横に座ったセフィロス氏は、いつもクリスマスに読むことにしている断想集を開いて、読みはじめた。断想はいくつかの章にわかれている。愛、怒り、悲しみ、魂、そして神。クリスマスほど、神を考えるによい日はない。人とこの世のあり方、それに人類の救いについても。機関銃や飛行機がついに戦争に導入されはじめた激動の時代に従軍したこの思想家は、人類の行く末を深い憂いをもって見つめている。日々死体が積み重なる戦場において、神はどこにいると考えるべきか。これほど大量の同胞を死に至らしめることのできる人間とは、いったいいかなる存在であるか。いまひとりの同胞を殺すことは、明日の自分を殺すことではなかろうか。その問いを胸に抱いて、自分はこれから先を生きられるかどうか。そして自分の生きるその世界は、どこへ向かおうとしているのか。  セフィロスが戦場に送られるようになったとき、すでに神羅カンパニーはありとあらゆる武器や移動手段を開発し戦争に導入していた。空を自在に飛ぶ戦闘機があり、機関銃があり、大砲をぶちこまれてもびくともしない要塞のような戦車があった。それらの技術を、終戦後は広く開放し、民間人の移動や生活をより便利にするであろうと、当時の神羅カンパニーは喧伝していたものである。われわれの目指す世界は便利である。魔晄とともにある世界は豊かである。その世界においては、もはや飢餓も貧困もなく、人は食料のために土地にしがみつくのをやめ、果てしのない労働から解放され自由を手にするであろう……それはまさにプレジデント神羅の理想であり、彼はそのために力づくで覇権を握ろうとしていた。いまは、ただ単に、そのための苦しい過渡期に過ぎないのだ、というのがプレジデントとその取り巻きの共通認識だった。この戦争も、先の戦争も、なにもかも、輝かしい未来のために捧げられる犠牲である。  プレジデントは実際セフィロスにもそう云った。プレジデントが神羅製作所創業者一族の正式な嫡子ではなく、貧困と多産の中で人生を開始した人間だと、いまでは誰が知っているだろう。もしかしたら、知っている者はもう誰もいないかもしれない。なぜセフィロスがそれを知っているかは興味深い問題だ。なぜプレジデント神羅はそれをセフィロスに隠さなかったか。側近中の側近ですら知らないようなことを、実の息子でさえ知らないようなことを、セフィロスだけは知っているのはなぜか。セフィロスはその答えを知っているような気がする。そしてそれがプレジデントの思想の限界でありセフィロスの領域への期待であることを、知っているような気が。  隣に寝ていたクラウドが、もぞもぞ動きだした。 「……ザックス帰ったの?」  眠たげな、やや不満げな第一声はこれだった。 「おまえによろしくと云っていた。今度ぶっ飛ばしてやるそうだ」 「そしたら、ぶっ飛ばし返してやる」  クラウドはにんまり笑って、体を起こした。 「ケーキ食べた? まだある? あの緑色の箱の」 「食べていないしそのまま残っているが、今日はやめておいたほうがいいんじゃないのか? また夜中に気持ちわるくなるかもしれない」  セフィロスはちょっとからかった。クラウドは唇をひん曲げて頭突きをくらわしてきた。セフィロスは笑った。クラウドはそのままセフィロスによりかかって、おとなしくなった。心地よい沈黙が流れた。 「いま何時」 「七時半を過ぎた」 「じゃあおれ母さんに電話しよう。セーターのお礼云うんだ」  クラウドはそう云うと、母さんに電話するために部屋を出て行った。クラウドの母さんは、離れて暮らす息子のために、今年はセーターと、靴下と、帽子を編んで送ってよこした。クラウドは母さんに、ハンドクリームと、いい香りの石鹸とタオル、それに丈夫で温かい靴下を贈った。クラウドは荷物の中に、このあいだちょっぴり出た賞与をみんな入れてやったが、母さんが気を悪くしないかどうか、ちょっと心配だった。もしかしたら、こんなことをしないで、自分のためにとっときなさいと怒られるかもしれなかった。荷物をこしらえているときセフィロスにその話をしたら、セフィロスは、怒ったほうが怒りんぼのクラウドの母さんらしくていいのではないかと云った。クラウドはそれもそうだと思ったので、お金をみんな入れたのだ。  クラウドが戻ってきた。ちょっと目もとが赤らんでいたが、それをさとられないように、彼はソファに勢いよく飛び乗った。 「もうすぐ八時だ……クリスマス終わっちゃうね」 「去年おまえが、来年はクリスマスなんかしないと云ったので、今年はなにもないかと思った」 「……おれも。できないと思った」  クラウドがうつむいた。セフィロスは体をひねって、クラウドに顔を向け、ソファの背もたれに頬杖をついた。 「おまえが帰ってきてくれたのでおれはうれしい」 「あんたそれ前も云ったよ」  クラウドは赤くなって、その赤くなった顔を隠すように膝を立てて丸まりながら、ぼそぼそ云った。 「云えるときに云っておくさ。おまえのような子は、またいつどうなるかわからないんだから」 「まあね……情緒不安定ってのはなんとなく自覚ある……そういうの、自分でもどうなんだって思うんだけど、どうにもならないんだもんな……あの、いろいろご心配おかけしました」 「それも前に聞いたな」 「云えるときに云っとくんだよ」  クラウドはやりかえし、しまいにはふたりして笑いだした。笑いが収まると、クラウドは急に真面目な顔になった。 「あのさ、話したいことがあるんだけど」  セフィロスはうんとうなずいた。 「おれ……」  そのとき、クラウドの電話が急に間の抜けた音楽を流しはじめたので、ふたりはちょっとびくっとなった。 「ザックスからだ……なんだよ、もう」  クラウドはぶつぶつ云いながら電話に出た。 「もしもし……なに? 起きてたよ……横にいる……うん……わかった、いま代わる……」  クラウドはセフィロスに電話を渡した。 「おれだ。どうした?」 「あんねボス、今日、プレジデントのおやっさんどこにいるか知ってる?」  ザックスの声は真剣だった。 「例年、クリスマスは壱番街の市立歌劇場で、オペラのチャリティーコンサートに出席しているはずだが」 「せーかい。あのね、いましがた、その市立歌劇場に、巡回中の治安維持部隊の兵士がひとり乱入してきて、プレジデントに銃向けようとしたらしい。もちろんすぐ射殺された。すぐね……」  セフィロスはそれで? と云った。 「そいつ、うちの兵士じゃなかった。ぜんぜん違うやつだった。そこまでは百歩譲ってまあいいよ。問題はこっから。市立歌劇場って壱番街七区だろ? 第十七連隊第三大隊の担当だよ。クラウドのいる部隊。その射殺されたニセ兵士さ、アントン・ベイリー一等兵って兵士になりかわってたんだけど、このアントン・ベイリー一等兵って、今日クラウドが休む代わりに警備に入った子なんだよね。十六歳だって。本人は行方不明でいま探してる。四時の休憩終わりまでは確かにいたらしいから、きっとそっからなんかあったんだわ。んで、十字星同胞団が犯行声明出してる。本社に動画が送られてきた。いま送るわ。とりあえずそれ見て。その動画に映ってるやつが射殺されたやつだから。おれとりあえず劇場向かってる。とにかく動画見て。んでどうすっか考えて」  ザックスは電話を切った。 「……ザックスどうしたの?」  クラウドが怪訝そうな顔で訊いてきた。セフィロスはそれには答えず、ザックスから送られてきた動画を開いた。クラウドがのぞきこんでくる。  画面に、青いローブのようなゆったりした上着を身につけた金髪の少年がアップで映しだされた。おそらくクラウドと同じ年ごろだ。明るい金髪に、青のローブがよく映えている。ローブの胸元には、金糸で十字架の中心に五芒星を配したシンボルが刺繍されており、そのまわりに星がいくつもちりばめられている。少年は典型的な北方人種で、目は美しい青色だが、奇妙に表情のない据わった印象で、肌も抜けるような白などというものを通り越して、いささか病的に青白い。唇も青みがかっていて、わずかに震えているようにも見える。全体的に生気がなく、なにかにおびえているような、病んでいるような印象を受ける少年だった。  少年が静かに口を開き、こちらをまっすぐに見つめたまま話しはじめた。 「死、金、富、名誉を軽蔑する、新しい哲学者の学派が興る(※2)……五百年前のこの予言は真実である。そしてわれわれ十字星同胞団の予言者の予言も真実である。われわれはすでに三十年前、そのことを証明した。しかし度重なるわれわれの警告にもかかわらず、神羅カンパニーは魔晄炉の建設と魔晄エネルギーの使用をいまもって停止していない。われらが予言者の霊言の源、大いなる星の霊がこう云われる。 『あわれな人類よ、そなたたちが立ちあがらないなら、われらが母君の権能によって、われらはそなたらに悔い改めのための使者を遣わす。その使者は、世に平和でなく争いと剣をもたらす。剣に頼む者は、剣によって滅びる(※3)』  神羅カンパニー、ならびにその権力と支配の象徴である神羅軍よ、われわれは、死、金、富、名誉を軽蔑する、新しい哲学者の学派である。われらは死を軽蔑する、なぜならわれわれの希望は死ののちに、母なる星へ還ることのうちにあるからである。われらは金、富、名誉を軽蔑する、それはあなたたちの求めるものであり、この世のものでありむなしいものだからである。  われわれは今日、大いなる星の霊の命令によって、真の哲学者の集団であることに加えて、星の救済のための真の軍隊となったことを宣言する。われわれを率いるのはこの星の意志である。われわれはあなたがたに宣戦を布告する。われわれは死を恐れず、力による制圧をものともしない。それは今日証明されるであろう。今日われわれはこの星に、星の救済に向けた一歩をしるす。それは大いなる霊の命令であり、星の命令である。われわれはこの星の命令のもと、必ずや勝利をおさめるであろう。それは、神羅カンパニーの重役すべてと、神羅軍の壊滅をもって、達せられるであろう」  そして動画はぷつりと切れるように終わった。 「なにこれ」  クラウドは困惑した顔をしていた。 「なに云ってんのかさっぱりわかんない。こいつ、頭おかしいんじゃないの?」 「ある意味そうかもしれない」  セフィロスは唇に手を当てて考えこんだ。 「十字星同胞団ってなに? 神羅となんの関係があんの? っていうか、ザックスなんの話したの」  セフィロスは首をめぐらしてクラウドを見た。あの少年はクラウドと同じ年ごろだった。金髪碧眼という共通点があり、どことなく似た面影をもっている。彼はクラウドの就いていたはずの巡回警備につき、クラウドが歩いていたはずの道を歩き、おそらくはクラウドが通ったはずの劇場前を通った……そして突如として銃を構えて劇場に入りこみ、まっすぐに観客席のあいだを縫って、そして……  セフィロスは首を振った。どうするか考えろ……確かにザックスとしては、それしか云えないだろう。ウータイ戦争の英雄セフィロスはというと、戦争が終わってからというもの、もう二年近くも仕事をせず、責任と役割から逃げまわっている。最近は、このまま静かに引退するのもいいなどと思ってさえいた……クラウドのソルジャー試験の結果によっては、もう神羅と縁を切ってやろうとさえ思っていた。ごちゃごちゃ云うやつは黙らせればいい。それくらいの力はあるのだからと。だがいまは? この状況は? なにが起きている? なにをしなければならない? なにを求められている? 考えろ、考えろ………… 「……あんた、大丈夫?」  クラウドが心配そうな顔でセフィロスの顔をのぞきこんでいる。 「ザックス、なに云ったの、ほんと、なにがあったの? なんかまずいこと?」  クラウドの疑問と不安だらけの顔を見たとき、セフィロスの口は考えるより先に答えを与えるべく動いていた。 「市立歌劇場でプレジデントを襲撃しようとしたやつがいる。すぐに射殺されたそうだが、さっきの動画はいわばその犯行声明といったところだ。ザックスがいま劇場に向かっているが、悲しいことにおれもおまえも無関係じゃない。詳しくは道々話そう。長い話になるんだが。それに……まったく、今日は厄日なのか? こんなクリスマスがあるか? おれは最悪の気分のどん底で、おまえに見せたいものがある、駐車場に行こうと云わなくてはならないのか?」 「……ごめん、なんの話?」 「いいからとにかく出かける支度だ。ああ、今日という日は呪われろ! あるいは門出を祝うべきなのか? ザックスに電話して、いまから行くと云ってくれ」  セフィロス氏のマンションは、たいへん厳重なセキュリティに守られており、地下の駐車場へは、専用のカードキーがなければ降りられないつくりになっている。こうした設備があってはじめて安心できる人種が住んでいるのだが、それが幸福なことなのか不幸なことなのか、クラウドにはぜんぜんわからないし、セフィロスにもわからない。  駐車場に降りてはじめて、外がどれほど寒いのかがわかった。天気予報によれば、ミッドガル上空に寒波が居座っており、年末にかけて雪が降る可能性があるらしい。 「駐車場がどうしたの? ていうかあんたなに隠してる?」 「せっかくのクリスマスなので、おまえに贈り物をしようと思って。こんな形で云いたくはなかったんだが」  クラウドははっとして、立ちどまった。 「だめ」  クラウドはあわてた声で云った。 「プレゼントは交換しなきゃ。おれのやつ、部屋にある」 「おれだってそのつもりだったんだが、見事に邪魔されたというべきだろうな。考えるだにみじめだが、プレゼント交換はまだだし、おまえの話も途中だし、こうなってしまったからには、今日はもうなにをしても計画倒れということになってしまうだろうから、あきらめよう……ほら、あれだ」  セフィロスはある場所を指さした……その先にあるものを見て、クラウドは息が止まりそうになった。  乗り物酔いがひどいくせに、クラウド・ストライフは重度の乗り物オタクだったが、世の多くの乗り物好きと同じように、神羅の販売するさまざまなオートモービルを雑誌で眺めては、みずからの資産に思いを致し、ため息とともに夢を吐きだす庶民のひとりにすぎなかったはずである。ところが、いったいなぜいまクラウド・ストライフは、神羅カンパニーが二年前に百台限定で発売した超のつく高級車、タイプ五六Cを目の前にしているのか? タイプ五六Cは、真っ黒な二ドアのクーペで、時速三百キロを出すことができ、ラジエーターグリルにつながる直線的なフロントのデザインと美しい流線を描くフェンダーの対比が信じられないほどエレガントで、黒光りするダッシュボードに座席のカバーも黒の本革でできていて、とにかく考えられないほど美しい車なのだ。 「夢を壊すようでなんだが、おれが買ったんじゃない。もらいものだ。いまさらおまえがおれに夢を見ているとしての話だが」  クラウドはぜんぜん聞いていなかった。いまにもよだれを垂らしそうな顔をして、魂が抜けてしまったかのように、ふらふらと車のほうへ吸い寄せられていった。 「……すごい」  クラウドは茫然と車体を眺めまわし、手を触れようとしてひっこめ、あわててダウンコートの下からセーターを引き出して手のひらを覆ってから、おそるおそる黒光りしているボディに触った。 「これあんたのなの?」 「そうらしい。処分しようかと思ったんだが、どうも贈られたときの文脈上、そうもいかない気がして」 「どういう意味?」  クラウドは相変わらず指紋をつけることをおそれて手を覆ったまま、ドアを開け、運転席に鼻先をつっこんだ。 「おれがありとあらゆる乗り物に憎悪をいだいているのはわかるし、機械科学文明というものに反抗しているのもわかるが、それでもミッドガルに住んでいる以上車の一台くらいは持っていろというわけだ。どうせ気に入らないだろうが、最大限、おれの気に入るように作ったつもりなんだと、そういうニュアンスだった」  クラウドは運転席から這いだしてきて、じっとセフィロスを見つめた。 「どうした?」  クラウドはぱちぱちまばたきした。 「ううん、なんでもない。その人、あんたのこと好きなんだなって思っただけ。誰かは知らないけど」 「知りたいか?」 「知りたくない。だって、それ絶対おれにわかんないような頭よさそうな関係だもん、きっと」 「云っていることはわかる。確かに、はた目にはとてもわかりづらい関係かもしれない……とにかく、来年の免許取得に向けて、これで練習でもすればいい」  クラウドはあきれたように目を細めてセフィロスを見つめた。 「そういうこと云えるの、この車がいくらするか知らないって証拠で、あんたがほんとに車に興味ないって証拠だよな。これ練習に使うような車じゃないし、傷でもつけようもんなら、おれ一生自分のこと許せない……でもとにかく、これ、ありがとう。来年免許取れて、ボロい中古車でさんざんガリガリこすったり、壁にぶつかったりしたあとで乗りまわすよ。そうなったら……おれどうかなっちゃいそう」  クラウドは夢見心地で目を閉じた。セフィロスは笑いだしてしまった。 奥付 「降誕祭の夜」サンプル マスダ|Bliss 二〇二一年八月二十一日発行  本ファイルの内容、テキスト等の無断転載・再配布を固く禁じます。 Bliss https://mors-et-benefica.com/bliss/ info@mors-et-benefica.com