ブログをブログにするという行為

 Memoをやめて、旧サイトをブログとして引き続き利用してみようという試みですが、なんでこんなことやったかというと、やはりウェブサイトというものとブログというものとの性質の違いを最近痛感しているからです。

 サイト運営はほんとうに悩ましい問題が多くて、まじめに考えてくとブログもウェブサイトもどっちも帯に短し襷に長しみたいなとこがある。ウェブサイトの利点はなんといってもその軽さとデザインの自由なところにあり、小説ごとにページを切り替えるとかいろんな表現を追求できるが、反面あまりページが増えすぎると運営管理が極端に困難になるという問題を抱えている。
 一方で、ブログはページごとのデザインを臨機応変に変更するようなことはできないのでその点はいちじるしく制限されるが、その代わりページが何万と増えようが意に介さないというパワフルさをもっている。各記事に自動的に固有のIDとURLが割り振られるため、目的のページを探しやすくしかもデフォルトでサイト内検索ができる。この便利さは、最終的に、わたしのように主張の多い人間にはやはり捨てがたいものがある……ということらしい。悔しいがこれは事実だ。

 いまさらっと主張の多い人間だと書いたが、これはその通りで、わたしはどうしてもなにか書きまくる時期というようなものを定期的に必要とするらしいのである。しかもそれはツイッターのような短いものではどうにもならぬなにかまとまった質量を持ったものであって、日々の益体もない考えひとつであっても書いてみれば結構重大な問題をはらんでいたりして、まあとにかくわたしには気軽に気楽にものを書いて投稿できる場というのが不可欠なのだが、これ、ウェブサイトではなかなかそうはいかない。なんといっても、HTMLの手動更新はひと仕事だ。ブログのようなページを開いて書いて投稿ボタンを押すだけというようなサービスに慣らされてしまったいまとなっては。

 最初、このブログを削除して外部サービスを借りようかと思った。ブロガーとかFC2ブログとか色々あるでしょう。ああいうのはほんとにもうページ開いて書くだけでいいんで、データベースの心配もしなくていいし、プラグインをアップデートする必要もないし、わたしはもうそういうのに疲れてきたんでできれば外部の力に頼りたいと思った。でもあいつらはみんなもれなく広告がつきやがる。わたしは広告が嫌いだ。大嫌いだ。蛇蝎のほうがまだ好きになれる。というか蛇は嫌いじゃない。おそれおののくことと嫌うこととは違う。混同しがちだが違う。

 なんてことはどうでもいいが、とにかく外部サービスには広告がつきもので、じゃあ広告を外すとなったら月額料金がかかる。まてよ。なんでおれサーバー借りてドメイン料払ってるのにさらに月額料金を支払わなきゃならないんだ。そうは思うけど、やはりワードプレスの保守点検って地味に面倒なんである。定期的にいろんなバージョンアップに対応していかなくちゃならないし、サイトは常に海外からの攻撃にさらされている。ワードプレスそれ自体の良し悪しはこういうところにある。つまり、設置やサイトの開設はばかみたいに簡単だが、それを自力で維持していこうとなったら、いろいろと要求されるものが大きい。地味に負担が大きい。じゃあやっぱり外部サービスをという話になるが、そうすると広告と有料化の壁にぶち当たる。

 趣味でやっているウェブサイトなのだから多少の広告など目をつぶってとか云うやつがいるかぎり世の中からウェブ広告はなくならない。わたしはこいつを自分の世界から撲滅する運動に参加している。とにかく自分の目につくところに広告を置かせないし置きたくない。買い切りのアプリなら買う。料金を払って広告を解除できるなら解除する。そこまでいかないアプリは極力利用しない。広告を解除するためにサブスクリプションが必要になるものもあるが、こういうものは信用ならないからなるべく利用を避けている。ツイッターはどうなるだろう。このまま利用し続けるのかどうか、どこかで決断しなければいけなくなるような気もする。いますぐにではなくても。

 とにかくそのようなことで、わたしの広告くたばりやがれ的な憎悪がひどいので、この点に関してはどうしても妥協できない。万が一自分の作品を置くところに広告を出す日が来たら、マスダも終わったなと思ってほしい。そのときはゆくゆく金がなくなってどうにもならなくなったか、あるいはわたしが思想的良心的に死んだかである。前者の場合にはまだ情状酌量の余地があるが、後者の場合には、みなさんわたしという人間の書いたものを読むのは金輪際やめてください。あなたの良心にかけてそうしてほしい。これはそういう問題だからだ。

 まあともかく、そのようなしだいで、とさっきから書き続けているが、ウェブサイト運営における帯に短し襷に長し問題がここしばらくわたしを苦しめていた。しかるに今日、それは前々日にイグナチオ・デ・ロヨラの自叙伝を読んで心の底から感動し、彼のようになるにはどうしたらいいか、そのために自分がなにをすべきか、自分が全く間違った生き方をしていたかもしれないという深刻な問いを前に神に祈って答えを得なければならないような気がした、しかしおそらくその答えはもう与えられていて、わたしが単に嫌がっているだけではないかと思われ自分の卑小さに嫌気がさしている、そんな懊悩を今日も今日とて抱えている今日、しかし人間は結句行動あるのみだと思い立って、ブログとウェブサイトをともに活用するということをはじめようとしている。

 そもそもこんなところ、すなわちウェブサイト運営がどうたらいう悩みに落ちこんだのは、わたしがあんまり極端から極端へ行きすぎる人間であることが大きな原因のひとつなわけだが、しかし現実を現実的に考えてみれば、この世界にひとつのもので間に合うというようなものはまずないわけである。わたしの精神発達において洋の東西がどちらも重要であるように、神と摂理とがいずれも等しく必要であるように、自作のウェブサイトとブログとはどちらも必要なものであるらしいのだ。ほんとは自分自身もっとすっきりした人間になれたらどれだけいいかと思うのだが、こういうのはもうどうしようもない。自分の妥協できないところと妥協可能なところの境目を自分で見つけて自力でどうにかするよりほかない。
 まあブログひとつ残すのでもこの騒ぎであることからもおわかりいただけるように、わたしのサイト運営における迷走はわたしなる人間の迷走を図らずもあらわしているわけだが、これももう致し方ない。そういうものと諦めていただくよりほかない。

 そういうわけで、Memoが我がサイトから消し去られたが、あのデザインは好きなのでどこかに残しておこうと思っている。旧Memoにあった記事は全部こっちに移しておいた。せっかくフォーム送信機能があって外部サービスに頼らずとも使えるのだから、お手数ですがご連絡の際はこのブログのフォームを使ってください。レスもこっちに乗せるつもりです。

 最近考えていること。10日くらいあとに本が無事出たら、というかまだ無事出るのかどうかわからないのだが、記念になにかしようと思っていますが、なにをしたらいいんだかわからない。今回の作品がいったいなんだったのかということをわたしもまだわからないので、わからないということを話したいような気持ちはあるけど考え中。モクリに月額500円払うとトークルームにパスワードをかけられるサービスってのがあって、買った人限定でパスワード制でなにかできるかもしれない。需要あるかないかまるでわからないので、というかわたしの読者なる人たちはインターネットの表にすら出てこないような人たちかもしれないとも考えたりすると、わたしとあなたという関係はどうあるべきなのか悩む。これもまあ好きに悩めばいいのだけども。皆さんいつもどうもありがとう。