2022年12月14日

 いまさらサイト運営を手動でやることについてはいろいろ思うところもあるのだが、やろうと思ったのだから仕方がない。

 サイト運営には苦労が多い。というか正確には手間が多い。
 もしもあなたが、二次創作全般はピクシブですんでしまう現代においては奇跡的なことだが、独自ドメインを手に入れて、サーバーをレンタルし、自サイトを立ち上げようと思ったとする。すると、まずはどこのサーバーをレンタルするかについての長々とした調査がはじまり、それからドメインについて悩み、サーバーに独自ドメインを設定するところでだいたい一度つまずく。
 それを乗り越えたとして、今度は肝心のウェブサイトの中身を考えねばならないが、これをワードプレスでやろうと思ったらもうあとは簡単である。最近のサーバーにはワードプレスのインストーラーがついていることが多いので、ボタンひとつでインストールから大方の設定までやってくれるのである。ああありがたい。ログインしてテンプレートを設定したらやることはほとんど終わったようなものだ。あとは管理画面でがしがし記事を書いていけばいい。
 この楽さは、すべてのファイルをFTPソフトを用いて自力でサーバーにアップロードしていた時代からすると、ちょっと信じられないくらいである。

 ところがである。そんな楽さに惹かれてこれまでワードプレスでいくつものサイトを運営してきたが、ここ数年で、ついに気がついてしまったのだ。わたしはワードプレスが嫌いだ、と。
 いや、嫌いだというのは云いすぎだ。ワードプレスそのものはすばらしいCMSである(いまわたしはサイト運営の技術的な部分の話をしているので、やったことのない方にとっては意味不明な単語をたくさん使っているかもしれない。でも知らなくてもなんの問題もないので勘弁してほしい)。これは、サイト運営にまつわる何百もの手間をみんなはぶいて自動でやってくれる、素晴らしいシステムなのだ。

 たとえばいまわたしがここでやっているように、ブログ的なものを手動で作ろうと思ったら、まずはサイトデザインを考え、HTMLやCSSや場合によってはjQueryだのJavaScriptだの外部フォントだのの世話になりながらそれを構築してコーディングするわけだ。それからそれぞれのブログ記事をどんなディレクトリにどんなふうに格納していくかあらかじめ考えておいて、ファイル名の規則性などもあらかじめある程度決めておかねばならない。
 だって、手書きのウェブサイトにおいては、ファイル管理は全部手動だし、リンクを貼るのも全部自分の仕事なんだもの!

 ワードプレスは素晴らしい仕組みである。こいつはこっちが盲目的に書いて投稿するあらゆるファイルを規則的にフォルダに格納してくれ、アーカイブを勝手に生成してくれ、リンクを貼りたいと思ったらファイルを選択するだけでありとあらゆるところに間違いなくきちんとリンクされるように作ってくれる。
 これが手動だと、ええーと「memo」ファイルには「css」「img」「archives」の各種フォルダがあり、archivesのなかには2022年のフォルダがあって、このフォルダのなかに2022年分の記事をみんなぶっこむわけだが、あー、style.cssはcssのフォルダにあるわけだから、ファイルパスは../css、あ、間違えた、../../css/style.cssだ!

 あほらしいことに、これを間違えるとそのHTMLファイルは正しくデザインされた形で出てこずに、単なる文字の羅列になる。もちろん、絶対パスで書くという手もあるよ。https://bliss1997.com/…にすれば一番確実なんだけど、これ、なんだかあんまりやりたくない。たぶんhttp://を訪れるかもしれない人がいるのを恐れているし、もしかしたら、移転を恐れているのかも。だって、ドメインが変わっちゃったらまたみんな書き直さなきゃならないじゃない? 何百というファイルを。

 こういうことを間違いなくちゃんとやれる人間、管理できる人間、そういう人間だけが、昔はサイト運営を許された。当時はなんとも思わなかったのだが、考えてみればこれはかなり高いハードルだったはずである。自分がたまたまそういうことをやれるからといって、それが簡単だとは思わない。そういう時代から、テクノロジーは進歩した。ホームページ作成ソフトや手軽なツールが数々生まれ、ブログが登場し、ワードプレスが登場した。そしてサイト運営はばかみたいに簡単になった。その結果どうなったか? みんながウェブ上で自分を表現し意見を云えるようになった。すばらしいことだ。サイト運営には昔のような手間がかからなくなった。そのぶんの時間を、もっと創造的なことに当てよう。もっと作品を書こう。もっと自分を表現しよう。
 ……でもさ、気がついちゃったのよ。ツールやシステムが完成されすぎると、そのツールやシステム内のやり方でしかものを表現できなくなるってこと、そしてそれはとても窮屈なことだということをね。
 だって、ワードプレスを考えてごらん。こいつはページごとにデザインを変えるなんて器用なまねができないわけ。この作品はもっとダークに見せたいとか、軽やかなイメージで読んでほしいとか、ウェブサイトだからできる表現っていろいろあると思うんだけど、そんな器用なまねはできないんだな、ひとつのシステムだから。それが管理を楽にしている部分は否めない、でも、われわれ楽に管理するためにものを書いてるわけじゃないだろ? その根本を忘れていたってことに、最近気がついたのよ。

 人は、気がついたからには行動しなければならない。管理の楽さがウェブサイトにおける創造性を奪っていると気がついたからには、その人にはウェブサイトにおける創造的な表現というものをとり戻す義務が生じる。テンプレートを探すのもいいが、結局はなんとなく気に入らなくて自分で作る羽目になったりする。このMemoページは久々に自分でいちからHTMLファイルとCSSファイルを作ったのだが、この世界も日進月歩なのでいろんなことを忘れていたり知らなかったりして、勉強になったものである。
 ほかのページに関してはテンプレートを利用したのだが、そのうちやっぱりしっくりこないとか云いだして、自分で作りそうである。さいわい、それができる技術、というよりグーグル先生に聞いてなんとかできる技術くらいは、わたしも持っている。ありがたいことである。
 良くも悪くも、ウェブサイトのデザインにはその人の思想や個性があらわれる。あらわれざるを得ないところに、人間の人間であるゆえんがあるわけだが、インターネットの空間にもし人間の真に創造的な一面をもっととりもどす必要があるとすれば、個人サイト全盛期に味わったあの各サイトごとにただよう人間くささをもう一度感じる必要があるのだとすれば……これらはデジタルのなかのアナログな部分だった……あえて洗練されたシステムから降りてでも、われわれはサイト運営そのものにもっと手間暇を、無駄な時間を、かけてもいいのではあるまいか。そして結局は、それこそが真に創造的なものを生むのではあるまいか。創造とは遊びであり遊びとはほとんど無駄と同義なのだから。