FF7インターナショナルプレイ記

たぶん十年ぶりくらいにFF7インターナショナルをやることにした

 今日ふいに思い立って、たぶん10年ぶりかそれ以上ぶりくらいだが、FF7インターナショナル版をプレイすることにした。
 せっかくPSやらソフトやらメモリーカードやらを引っぱりだしてやるのだから、皆さんにその顛末の一部始終を報告する。
 最後まで行けるかどうかあんまり自信がないのだけれど、今回は必殺奥の手を利用してゲームを進めるので、たぶん比較的簡単にラスボスのセーファ様が拝めるはずである。

 なんだか書いているだけで興奮してきた。さっそくゲームの画面でも共有して皆さんと盛り上がりたいところだが、これがなかなかうまいこといかず、そうは問屋が卸さないのである。まあそのへんはあとで書くとして、今日はどうしてこんなことになったのかとか、プレイ環境とかについて書いてみよう。

どうした

 まったくである。急にどうした?
 いや、これにはいろいろと深いわけというか因縁があるのだ。

 第一に、わたしが数ヶ月前実家に戻ってきた話をしないとならない。この出来事のわたくしのなかでの精神史的意義とか、霊的配慮の云々とかについては退屈だろうからここには書かない。知りたい方は一次創作サイトの会員になってくれればいいけど面倒だろうから勧めない。
 ともかく、わたしは今年のはじめ、長い東京生活に見切りをつけて実家に帰ってきたのである。実家には、余っている古いテレビ、余っている初代PSとPS2がある。そしてもちろん、FF7とFF7インターナショナルがある。

 わたしはしかし、帰ってきた当初FF7をやろうというようなことは考えなかった。驚くべきことにFF7のデータは全部でたったの2ギガバイトほどで、スマートフォンに余裕で入れられるサイズである。実際わたしはスマートフォン版FF7を購入してあって、まあやるならそれでいいかなとか思っていたのだが、何度かプレイしたら、画面は小さい、操作はしにくい、セーブデータはちょいちょい消えたりする、等々いろいろあって、やるのをあきらめてしまっていたのであった。
 でも人生ほんとうになにがあるかわからないのだ。実家はたいへんな田舎にあるから、むやみに敷地が広くて、家も昔の家といま住んでいる家と二軒あったりする。わたしはある日、ほとんど物置状態になっている昔の家を何の気なしに見まわっていた。ぶらぶらと一階、二階と見てまわり、やがて二階の昔寝室だった部屋にたどりついた。その部屋には布団だとか寝具だとかに混じって、なにが入っているかわからない段ボール箱がいくつか、それにプラスチックの大きなケースがひとつ置いてあった。わたしはなにというわけでもなく、なんとなくそのプラスチックケースを開けてみた。そうしてその中に、青色のプレイステーション2が昔のままの姿で放置されているのを発見した。

 どうやらこれが、わたしのなかで決定打だったようである。実家には弟のものである初代プレイステーションもあるのだが、それはなんといっても弟のもので弟の部屋にあるし、スーパーファミコンやゲームボーイと並んでなんとなく骨董品めいており、手を触れるのがためらわれた。ところが旧家の二階から見つかった青色のプレイステーション2は、確かわたしが中古で買ったもので、わたしのものであり、たぶん10年くらい前に昔のサイトをやっていたころ、それでFF7をプレイしたと思う。
 どうしてこのプレイステーション2がこんなところに眠っている羽目になったのか、もはや記憶がないのでわからない。わたくしの勝手な感傷で、この日を待っていたのだということにしよう。そのようなことはよくある。過去はそのようにして、常にわたくしの前に現れ、いまのわたくしによって解釈しなおされることを望む。そのようにして、現在とつながることでかえってはっきりと過去になり、いまをかたちづくる閉じたひとつの輪となることを望む。

 過去はたびたびわたくしを呼び、わたくしに精算をせまる。あるいは単に思い返されることを、追体験されることを、わたくしのなかに自己を呼び覚まされることを望む。FF7はいまわたくしを呼んだのだろうか。それがわたくしになにを与え、なにを教え、どこへ導こうというのだろうか。わからない。わたくしはすでに25年前のわたくしではなく、10年前のわたくしですらない。わたくしの書いたものを読んだ方はおわかりであろう。わたくしは不変の変わりゆくものである。わたくしは変わりゆく不変のものである。このような云いまわしでしかわたくしというものをあらわせないことを、いまのわたくしは理解できるけれども、こんなことは10年前だってわからなかったことである。

 わたくしは変わってしまった。この世に常なるものなどなにもないということを、自己というものすら、というかそれこそがそうしたものであることを、わたくしはいまおぼろげに理解しつつあるけれども、そのようなわたくしが、かつてのわたくしを、あのクラウド・ストライフに200パーセントくらい感情移入していたわたくしを、ひとつ見に行ってみようか、あのFF7の世界を通じて、あの世界の中において。そこにおいて、わたしはまたなんらかの誤解を、思い違いをもまた見出して、修正する必要に迫られることもあるだろう。

ものはそろっているかな?

 プレイステーションのゲームをプレイするには以下のものが最低限どうしても必要である。

1.テレビ
2.プレイステーション本体
3.メモリーカード
4.ゲームソフト

 このうち、3以外はすんなり見つかった。ところが、不思議なことに家中どこを探してもメモリーカードだけがないのだ。なぜだ? さっぱりわからない。あの攻略本の付録のシール(よくありましたね、メモリーカード用シール)を貼った灰色のカードはどこへいったのだ。
 仕方がないので、メモリーカードだけ購入することにした。アマゾンを探したら、中古の純正PS2用カードを見つけたので、これでいいやと思って購入、翌日早速届いた。さあこれでゲームができる。それにしても、当時のメモリーカードって容量が8メガバイトしかなかったのだね。びっくりである。ということは、ゲームのセーブデータはせいぜい数百キロバイト程度ということだ。なんだかとてつもない容量の小ささである。FF7の全データが2ギガしかないということも非常に驚くべきことだけれど、それが3枚のディスクに分かれているのだから、単純計算して1枚あたり600メガバイトちょっとの容量である。気になって調べてみたら、プレイステーションのディスク1枚あたりの容量は650メガバイトだそうだ。ディスク1はミッドガルを出るところで終わっているから、ミッドガル全体で650メガバイト程度の容量を食っていたということだ。

 ミッドガルはもちろんFF7の象徴であるし、同時にプレイステーションという次世代のゲーム機の象徴でもあった。FF7から一気に作品世界の近代化が図られたことからしても、当時の制作スタッフがこのミッドガルという都市ひとつにどれだけのものをこめたかがわかろうというものである。猥雑で、ごたついていて、なんでもかんでもつまっていて、たぶんこの都市には、この先のゲーム作品のあらゆる可能性がつめこまれていた。FF7とは最初から、そういう宿命のもとにあったゲームなのである。その重さを正しく感じられるか。それをいま正しくよみがえらせることはできるか。そんなことが云いたくなるような気がする。

 どうも脱線してしまった。でもこれで、必要なものはみんなそろったのだ。いよいよ電源を入れて、ゲームをやってみよう。

ゲーム環境

必殺の奥の手

 上記1~4があればゲームは可能であるけれど、わたくしの実家にはなんと、ゲームの攻略をたいへん有利にする必殺の奥の手があるのである。
 ご存じの方はご存じであろう、「チョコボの不思議なダンジョン」なるゲームに付録としてついていた、「不思議なデータディスク」というものがある。
 このディスクにはゼノギアス体験版がついていたので、これを目当てに買った人もいるのだろうか、よくわからないが、そのほかにも、このディスクにはいろいろな特典データが収録されていた。そのうちのひとつに、FF7を全アイテムマテリアすべてそろった状態ではじめられるデータというのがついている。

 これはもうゲームをやりこむ派の人には禁じ手というか、こんなデータを使ってゲームをすることに意味があるのかとかいうレベルの話にまで及んでしまうようなたいへんなしろものだけれども、わたくしのようにゲームそのものをやりこむことにあまり興味を感じないライトなユーザー、単にストーリーを楽しむのが主な目的というユーザーにとっては、この手のチートはたいへんありがたいものである。
 これは正式に配布されたデータだけれども、昔のゲームにはこの手のバグがときどきあって、アイテムを無限に増やせてしまうとか、お金をどこまでも増やせてしまうとかいう現象が起こったものである。またそういうのをよく発見するゲームの達人みたいなお兄さんが近所に必ずいて、新発売のドラクエを二日でクリアしてしまったりして子どもたちに尊敬の目で見られていた。なんだかおおらかな時代であった。ソフトは買い切りであったし、ほかのプレイヤーとネットでつながるというような機能もなかった。そもそもネットがなかったのだから、情報の獲得と伝達は現代よりはるかに人力頼みであった。別にいい時代だったとはいわないが、確かに違う時代であったとは云える。

 またも脱線してしまったが、要するに、わたくしの用意したプレイ環境は以下の通りである。

 ゲーム機器:プレイステーション2(SCPH-39000AQ) 完全に好みで購入した水色ちゃんである。
 ソフト:FF7インターナショナル
 テレビ:PanasonicのVIERA32インチ型
 メモリーカード:PS2用メモリーカード8MG ゼン・ブラック(あとで書くがこれで盛大に誤爆する)
 備考:全アイテム、マテリアがそろっているかなりずるい状態でスタート

 さてどうなることか。ちゃんと電源が入るかな?

旅の目的

 プレイに入る前に、大急ぎで今回のわたくしの旅の目的を書いておく。主な目的は、あの世界を追体験することであり、ストーリーをふり返ってみることである。マテリアの入手だのチョコボの育成だのといったやりこみ要素は、たいへん魅力的だができれば省略いたしたい。それでデータディスク様の手を借りるのだ。
 このような回り道をしていると、プレイ時間は無限に長くなり、数十時間経ってもまだ北の大空洞に行けないということが容易に起こりうる。こうなってしまっては、セフィロス氏はしびれを切らし、かのメテオは星に落ちてくるであろう。だがアイテムフルでもっている状態であれば、たぶん10時間かそこらでセーファ様とご対面し、エンディングを迎えられるはずである。

 今回FF7をプレイしようというのは、単にストーリーをふり返ったり懐かしんだりするという意味もあるけれども、そのほかにも、現在の理解力であの世界を体験しなおし、ジェノバと古代種についてもう少し正確に理解したいということがある。
 最近アップした『北の果てへの巡礼』という作品があるが、あれの続き物のような感じで、わたくしは少しジェノバと古代種の核心に触れるような物語を書きたいと思っている。ジェノバがどのような生命体であるかについてはおそらく無数の考察があろうし、わたくしもわたくしなりの仮説をいま組み立てているところだけれども、その確固たる足場を作る意味でも、FF7をやり直すというのはどうしても必要である。

 それにわたくしはいにしえのザックに会いたい。インターナショナル版にほんのちょっとしか出てこなかったあの彼を、やっぱりわたしは愛しているのだ。あの彼がわたしのなかの彼である。わたしはいまなんだか無性に彼に会いたいのだ。

さあはじめよう

 これでようやく準備が整った。やれやれえらいこったね。プレステ本体をテレビと接続し、電源コードをコンセントに差して、電源を入れる。ウィーンというかなり大きな音がする。昔のPC並みの音の大きさだ。こんなに大きな音がしたかしら。

 ゲームをはじめる前に、中古で買ったメモリーカードのデータを一応チェックしておこう。以前の持ち主は、2007年ごろまでこれを使用していたらしい。いろんなゲームのセーブデータが入っていたが、どれも何百キロバイトとかなのだ。少な。なんだか感慨深いものがある。

 データをみんな消して、カードを空にしたら、今度は不思議なデータディスク様を入れる。起動するかな? ちゃんとした! PSのあの最初のロゴの画面覚えてます? あのテンテンテンテンテーンていう不思議な機械的サウンドとともに、黒いバックグラウンドに浮かび上がるPSのロゴマーク。それからSQUARESOFT(スクエニではない)のロゴが出現し、データディスクの初期画面になるが、これが粗い! 画像が粗い! ものすごくがくがくしている。今度写真にでも撮ってお見せすることにする。

 で、おまけデータを選んでメモリーカードにセーブしようとするのだが、これがいかないのだ。どうしてもだめなのだ。ディスクがメモリーカードを認識しないんである。「メモリーカードが挿入されていません」という文字が出てきて終わり。何度やっても、差し込み口を変えてもだめ。

 最初、メモリーカードの問題なのかと思ったのだが、本体はこいつを認識するし(前の持ち主のデータ消したのだから当たり前だ)、どうもそういう問題でないようだ。しばらく悩んで、もういいや本体もディスクも久々に起動したわけだし、まだ本調子じゃないんだろうとか思うことにして、電源を落としてしまった。そしてしばらくしてからふと気がついたのだ。

「あれ? PS1ソフトのセーブデータって、PS2のメモリーカードに入れられないんだっけ?」

 グーグル先生に訊いたら、その通り! PS2とPS1のメモリーカードスロットはおんなじつくりをしていて、両方使えた記憶があったので、てっきりデータも互換性があるのかと思ったらそうでない。初代PS用のソフトのデータはあくまで初代PS用のメモリーカードにのみセーブしプレイできるんであって、PS2のメモリーカードにはデータとしてコピーしたりはできるけど、直接のセーブやプレイはできないんであった。ありゃりゃ。すっかり忘れてた。

 考えてみたら、これ、当時としては当たり前というか常識というか、初代PSとPS2はあくまで別の機器であって、確かに初代のソフトをPS2で再生できるようにしてあるしメモリーカードもあえて規格をあわせてあるけど、ハード面からしたらこれ、ファミコンのソフトスーファミで遊べますかみたいな話なのねたぶん。PS2以降のことはなんにも知らないので、初代や二代目のソフトたちがこれ以降のハードで遊べるのかとかもぜんぜん知らないけれども、いやはや、最近この手のレベルの互換性のなさみたいなものに遭遇してなかったもので、まったく勘が鈍っていたことであった。

 そういえばありましたよね、コンピレーション作品が立て続けに出たころ、ハードを統一しろよみたいな話。DVDだったりPSPだったりケータイゲーム(ドコモオンリー!)だったりで、どれかひとつにしてくれよ、みたいな話。まあこういうのを商業戦略というのだろうから、なにも云わないけれども、ずいぶん思うことはありました。なんだかあの気分を思い出した。
 統一してくれよ、みたいなこの感覚は、いまだったらライトニングケーブルとUSBーCみたいな、そういう替えのきかないものの乱立ぶりに似ていなくもない。最近ではアプリもOSを問わず同じものが使えたりするので(とはいえそれは開発者側がそれだけ多くのOSに対応させてくれているということであるのだが)、利用者が互換性ということで不便を感じることは日に日に少なくなりつつあるけれども、久々にけっこう大きなレベルで互換性という問題について感じたことであった。ああ懐かしい。

今回のまとめ

 というわけで、思いがけないとこでつまずいてしまったので、PS1用のメモリーカードを買ってやり直しである。アマゾンさんは明日届けてくれるらしいので、届いたらまた仕切り直しだ。明日町場に出る予定があるので、暇があったらブックオフにでも行って、まだPSのメモリーカードなど現役で売られているものかどうか見てみよう。たぶんあるんじゃないかと思うけど。FF7本体とか解体真書とかも、たぶんある気がするな。