父息子の関係、そして伯爵に見ている夢
これはさわりなんですが、少佐と少佐のお父さん、それに伯爵と伯爵のお父さんのことを、ちゃんと書きたいなと思っています。今回のやつで、どちらもだいたい関係性がぼんやり見えてくるように書いたつもりですが、これくらいの感じでちまちま出していこうかと。少佐はお父さんのことを避けているわけですが、父親と息子ってほんとうに難しいんだなっていつも思う。母親と娘も難しいけど、父親と息子も、同じくらい複雑で、恥ずかしくて、気まずい。特別に仲が悪いわけじゃない。大嫌いなわけじゃない。でも、なんだかちょっと、やりづらい。そんな感じ。愛情はあるけど。あるから。
わたしはそういう微妙な心理がとても好きなんです。好きというか、それが人間だと思ってるから、なんだかほんとうに愛おしいんです。どろどろしていても、ノスタルジックでも、そこには人間の姿がある。少佐にはお母さんがいない。伯爵のお父さんはもうこの世にいない(ってことが、確定してしまいましたね、公式で)。ぜんぜん違うふた組の父と息子だけど、でもやっぱり、愛はあるんだよね。ちゃんと。親は完璧じゃない。子どもも、完璧じゃない。でも、だからこそ、ぶつかって、葛藤して、見えるものがあるんだ。
これを書きだしたのは、伯爵の周辺をちょっと書いてみようと思ったからです。いくつかネタがあって、それを書こうと思っていたんだけど、なんかどんぴしゃにあれ、これ使えるんじゃないかって思って、前のやつからの続きとして書いてみました。伯爵の空気に触れる少佐っていうかね。そういうのをね、こう、描写しながら、お互いのなにかを、書きたいんですね。それこそ、微妙な心理をね。
今回の少佐は割と怒っているけど。悲しみが怒りみたいなね。青池先生が、少佐が怒ってるときは自分も怒ってるとかどこかでおっしゃってたけど、少佐って、誰かの代わりに怒ってる気がしてた、なんとなく。怒りを体現するって、結構なエネルギーだと思うけど、少佐は痛みとか羞恥とか悲しみとかいろんなものが、とっさに怒りに変換されてしまうのかもしれない。そういうひとっているよね。特に男のひとには。少佐は、怒ってる。伯爵の代わりに怒ってる。自分の痛みも、怒りになる。そういう感じ。うまく、云えないけど。
伯爵がたぶん、越えてきたもの、越えなくちゃならなかったはずのものを、そして彼の美しい微笑みの理由を、純粋さの理由を、わたしは書きたい。夢だけれど、わたしの中では夢ではないもの。わたしが、涙を流さずにいられないもの。