リョサさま拝借してすみませんでした

 

「わたしは誰なのか」という問いを、あの瞬間に問いかける。これは、リョサの『継母礼賛』という小説に出てきます。どこを切り取ってもエロティシズムに満ちたこの小説を読んだのは少なくとも一年は前のことですが、この「わたしは誰か」を、オルガスムスの直前に問う、という描写に対する衝撃は並ならぬものがあり、わたくししばらく頭を抱えてうずくまってしまったほどであります。
 今回、おそれ多くもそれを拝借いたしました。こういう形での借用が、いったい全体許されるのかどうかわたしはよくわからない。リョサさままことに申し訳ない。しかしこの問いほど、少佐に似つかわしいものはないのではないか、と思うんだ。このやりとりほど、少佐と伯爵にとってふさわしいものはないのではないか、と。
 少佐は変装したりいろんな名前を使ったりしている。スパイって、ときに全く別人として人生を生きなくちゃならない、すごく酷な仕事だと思う。自分が誰なのか? 自分の根っこはどこにあるか? それを、絶えず確認して保ち続けていなくちゃいけないなんて、なんて酷なことだろう。
 わたしが作中で書いた答えは、たしかにひとつの答えではあるけれど、でも答えとしてはたいへん安直なものです。それはわかってる。安直なものだけれど、いいじゃねえか、夢だから。そう思って、書いてみた。だってこのたぐいの甘さや安直さは、文学の中では往々にして許されないことだから。そういうこと考えながらまじめに書いていたら、あたいなんのためにクラドリ書いてるんだかわからんくなってくるじゃないか。一次でできないことできるから二次なんじゃないかあああそうだああああ、と叫びながら、書きました。

 

 実はこれ、最初コメディタッチでぜんぜん別な話書くつもりで書き出したんで、なんかこう、調和してないな、って感じがしなくもないんだけど、こういういいかげんさ、流動性も、許されるよね、ということで……。。。
 重ね重ね、リョサさますみません。少佐あいしてる!

 

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