おまけ
NATOボン支部を震撼させた話
少佐の部下たちの一部が、食堂でかたまって昼食をとっていた。他部署の人間たちは、いつでもこの情報部の連中に興味津々だった。彼らは特殊な上にも特殊な仕事をしているし、NATOの内情も含めたあらゆる情報に通じている。組織犯罪に関すること、政治的なこと、くだらないゴシップ。もしも業務の息抜きになるような楽しい噂話を聞きたいなら、アフロの部下Bをつつけばいつでもなにかおもしろい情報を引き出すことができるのだ。なにより、皆この部下どもを率いている鬼のエーベルバッハ少佐に興味津々だった。彼はどんなときにも崩れないことで有名だった。いつも厳しい顔つきで、冗談を云うときですら無表情か、怒っているかのような顔をしていることもよくある。愛想がないわけではないが、たまにはこの男の人間らしくくだらない一面を見てみたいと誰もが思っていた。
「そういえばさあ」
アフロのBがよく通る声でそう云ったとき、食堂にいた職員連中の耳はいっせいにダンボになった。
「こないだうちの嫁さんが、少佐がおもちゃ屋にいるのを見たって云うんだよ」
何十もの耳がぴくぴく動いた。もっともよく動いたのは部下Gの耳だった。彼……否、彼女は、持参していたお手製のサーモンとクリームチーズのサインドイッチを北欧ブランドの花柄の弁当箱に戻すと、きっと顔を上げた。彼女のとなりに座らされていた部下Zがびくっと身体をふるわせた。彼は自分の皿を食べ終え、Gと同じサンドイッチを食べていた。姉貴分のGから、毎日おすそわけをもらっているからだ。頼んだ覚えはなかったが、いつの間にかそうなってしまった。「はい、これ、あんたのぶんよ」と云って、Gは毎日Zにアルミホイルときれいなペーパーでつつんだサンドイッチをよこすのだ。ときどきは、スープとかオーブン料理まで加わることがあった。Zは迷惑しているというより、困惑していた。でも、Gの手料理はおいしかった。
「詳しく話して」
Gが身を乗り出し、真剣な顔で云った。Bはまわりを見回し、ほかの部下たちも同じような顔をしているのでうなずいて、続けた。
「うちの嫁さん、おとついまでしばらくケルンの妹んとこに行ってたんだ。向こうがお産したばっかりでさ、いろいろと大変で。んで、こないだの日曜に、生まれたての子どもにおもちゃを買うつもりで、その手の店に行ったんだよ。嫁さんが車から出て店に入ろうとしたら、店の窓から見たことのある黒髪が見えたんだとさ。嫁さんはこう思ったらしい……いやだ、エーベルバッハ少佐だわ!
なにがいやなんだよっておれは訊いたよ。でも、あいつよりによって顔を赤らめやがったからその話はもうよした。話は変わるけど、うちの嫁さんって、おれがこんな仕事してるもんだから、一時期ばかみたいにスパイ映画とかスパイ小説にこってたことがあってさ、早い話がそういうのが好きなんだよ。好奇心が強くて。んで、よりにもよっておもちゃ屋で夫の上司を見つけた嫁さんは、好奇心に勝てなかったんだな。少佐をこっそり監視して、なにを買ったのか確かめたんだ。嫁さんによると、少佐はその日、ウサギのぬいぐるみと風船と、ぬいぐるみ用の小さい帽子を購入したらしい」
食堂がしんと静まり返った。いくらバカンスシーズンに突入しているとはいえ、昼どきのもっとも混雑した時間帯においては、本来あり得ないことだった。しばらくの間ののち、ある団体はあわてて食器を下げて食堂を出てゆき、また別の団体はばかに大きな声でくだらないおしゃべりをはじめ、さらに別の団体は意味深に顔を寄せあってひそひそ話をはじめた。そして少佐の部下たちは、めいめいに顔を青くしたり、固まったり、困惑したりした。Gはというと、顔をしかめてしばらく考えこんだのち、祈るような声で「きっと親戚の子どもかなんかへのプレゼントなんだわ」と云った。Bはにやりと笑った。
「おれもそう思ったんだ。だけどな、万が一ってことがあるだろ。だから、調べてみたんだよ。結果としてはだな、少佐の親戚には、ぬいぐるみを喜ぶような歳の子どもはいないんだ」
さっき食堂から出ていった連中は、行動が早すぎた! 彼らは、もう少し待つべきだったのだ。辛抱して食堂に残っていた連中も、もう我慢ができなかった。彼らは我先に食器を下げて、外へ出ていった。自分の部署に戻って伝えられるだけの人間に残らずこの話を伝えるために。
一方少佐の部下たちは、みんな難しい顔をして考えこんでしまった。
「少佐に極秘任務でも入ったのか? おい、A、なんか知らないか」
「さあ、なにもきいてないけど……」
「友人の子どもとか、そういう可能性はありませんか?」
「そりゃあまあな。でもZ、考えてみろよ。あの少佐がぬいぐるみだぞ? こりゃよっぽどの任務に違いないよ。ことによると、少佐が明後日から休暇ってのもうそで、どこかで密かに動くのかも……」
「ああ、なんてこと! おいたわしいわ! バカンスにも仕事だなんて、あたしがかわりに行ってあげられたら……」
ボンのNATO支部は、クリスマス休暇までその話題でもちきりだったということだ。いつものことだが、休暇帰りのエーベルバッハ少佐はただひとり、その噂話についてはなにひとつ知らずに、いつもと変わりなく過ごした。
伯爵さまお誕生日おめでとうございます!