たまにはちょっと重量感のあるものを
と思い、書いてみました。普段書くものとちょびっと違うだろうか。別に少佐に苦しんでほしいわけではないし、伯爵もそんなことは望んでいないと思うのだけど、というか、伯爵はとっても明るい気持ちで少佐に愛を伝えているのだと思うのだけれど、それを受ける人間の心理みたいなものをちとまじめに追いかけてみたくて書きました。
なにを思っていたのかというと、たとえば、遠藤周作の沈黙とか。あれは、日本がキリスト教を禁教としていた時代にあえてやってきたパードレの、背教、つまり「転ぶ」までの葛藤を描いているわけですが、あれもう読みながら震えが止まらなくて、痛くて読みたくなくて、でも読み続けるしかなくて読み終えてもまた震えが止まらなくて、わたしにとってはしばらく現実へ戻って来られない、とにかくものすごい作品なのですが、人間が、自分が信じていたものを放棄する、あるいは別のところへ向かう、その決断の背後に、いかに意識的葛藤があるか、そして、逃れ得ぬ感情というものがあるか、ということ。そういうことを、書けるのではないかと思い、書きはじめました。
少佐にとって、伯爵の世界へ足をつっこむことは、すべてを放擲することに近いだろうと、わたしは思う。正常から異常へ、という云いかたはなんかいやだが、安穏として居座ってきた社会の「正常」側、それを越えて、そうではない側へ移行しなければならない、その事実に直面したとき、自分がもはや、昨日まで生きていた世界に戻れないことを知るとき。その瞬間の揺れを、少し書き出してみたかった。
これはとても大きなテーマであり、こんな一回こっきりで済ませられるテーマでもないですから、何度も書くことになろうかと思います。今回は、ふと思い出したダンテが力を与えてくれました。伯爵がなにを思い、なにを見つめてクラブのドアに地獄の門に記されていることばを書いたのか。その意識も、わたしの中で、ひとつのテーマなのです。