まえがきその2……ゲームジャンル二次創作における小説的手法の諸問題について
このまえがきその2は、小説作法を重んじる方々、つまり小説の構成やその効果をついついまじめに考えてしまう、くそまじめな方々のために書いている。よって、そんなことは気にしない健全な精神を持ち合わせの方は、読み飛ばしてしまってぜんぜん構わない。
あらゆる創作物に対し、くそまじめな姿勢しか取ることができないひとは……わたしはそういうちょっとかわいそうなひとが確かにいることを期待しているのだけれど……続きを読んで、わたしのささやかな葛藤を知ってほしい。もしかしたら、同じことで悩んでいるひとがいるかもしれない。悩めるひとにとって、似たようなことで悩んでいる誰かの告白は慰めになるはずだ。わたしはそう信じる。
あまりにも不条理!
ゲームを下敷きにものを書こうとしたとき、真っ先にぶち当たった壁がこれだった。悩みを抱きつつ、わたしはネットの海に転がるいろいろな作品を読んでみた。そして絶望にたどりついた。みんな、この不条理を、少なくとも表面上は快く受け入れているか、あるいはたぶん、無視している。
考えてみてほしい。ゲームというひとつのシステムを構築するための縛りの、なんと非現実的なことだろう。
一、モンスターが金を落とすのか? やつらは、金を見つけると飲みこむ習性でも持っているのだろうか?
一、そもそも、モンスターというものがやたらと徘徊する世の中に、人間はまともに生息できるのか? そのほかの動物の生態系は? そして、モンスターの強さが地域によってばらばらだがだが、どうなっているのか?
一、ワールドマップというものがあるが、町や村が少なすぎやしないか?
一、そして、その世界でそれなりに発達しているテクノロジーに対し、移動手段たるやあまりにも原始的ではないか?
一、一、一、……………………
こういうことは「云ってはいけない」なのかもしれない。けれども、これは大事なことだ。少なくとも、わたしにとって。ゲームを構成するにあたってどうしても生じてしまうこれら「ファンタジーとしても現実的でないこと」と、いったい書き手はどのように折り合いをつけていけばいいのだろう? だって、考えてみてほしい、アイシクルエリアはどこもかしこも万年雪に覆われているらしいけれど、もしそうだとしたら、そこに住む羊たちはいったいいつ毛皮の刈り取りをするんだろう? 羊は、人間との長い長い歴史の中で、自らの力で毛代わりする習性を失ってしまった。何年も管理されずに放置された羊は、ほんとうにあわれだ。ゲームの作り手は、羊のことなんか考えなくていい。でも、物語の書き手はそうはいかない。
そういう細かいことは無視する? それは簡単だ。ゲームシステムに迎合する? それもまた簡単だ。けれども、少なくともこうした「ゲーム独自の、客観視するとちょっと笑ってしまう部分」が登場することによって、作品がまじめであればあるだけ、なにかがしらけてしまう。わたしの場合は。もしも、ゲームジャンルの二次創作に親しんでいる方全員が、そんなものは気にしない、むしろ、それは尊ぶべきものであり、変更は認めない、とおっしゃるなら、わたしはしっぽを丸めて、門外漢であることを認め、すごすごと逃げていくしかない。
わたしは決して、そういうシステムが悪い、と云っているのではない。あてこするつもりもないし、ばかにするつもりもない。RPGゲームということで考えたときには、わたしはその発想に万歳を三唱する。ただ、小説や、あるいはマンガもそうだと思うけれど、その中で展開されるべきこと、これはしかけも効果もまるで別なのだ。同じ歌劇の要素があるからって、能の舞台の真っ最中に、前触れもなく太ったオペラ歌手が機械のような声で歌いだしたら、観客はたぶん怒るか、笑いだしてしまう。そういうこと。
作品におけるシステム(あるいは秩序)の統一と、リアリティはとても大事なのだ。ちょっとでもまがいものやそぐわないものがまぎれこんでいると、すぐにばれる。読み手は、そういうものに対して驚くほどの鋭い感度を持ち合わせている。リアリティを逸脱する場合は、逸脱しているなりの宇宙を、そこでのリアリティを兼ね備えていなくてはならない。作品は生きているからだ。血が通っており、呼吸をする。作品に登場する舞台も、人間も、生きている。リアリティを殺すことは、その舞台を、人間を殺すことだ。そうしてそうなったとき、その作品自体も死んで、腐敗がはじまる。
なにが云いたくてこんなことを書いたかというと、ゲームシステムとしてのルールを、作品の中で厳密に展開していくことは、わたしには不可能であると悟った、ということを、ひとこと断っておかなくてはならないと思ったからだ。次からようやくはじまるお話の中で、わたしはいくつかの本編に出てこない街を作ったし、施設を作ったし、当然、そこにひとを配置して、そのひとたちが生活しているところを書いた。大自然の森の中に、変な攻撃をしかけてくるぶっそうなモンスターは出てこない。そういうところにいるのは、ごく当たり前の動物たちだ。そして、ゲーム中に出てくるいくつかのものについて、自分なりに考えたものを書いてみた。
これは、ゲーム作品の二次創作を骨抜きにしてしまう行為だろうか? そう思われたなら、わたしは前記したとおり、平謝りしてからしっぽを巻いて逃げる。けれども、その原作といかに向き合うか……結局、書き手の誠意というものは、そこにあるのだとわたしは思う。書き手の自由、書き手の葛藤。原作に対してそうであるように、書き手というものは、読み手に対しても誠実であらねばならない。わたしはそう思う。そしてわたしにとって誠実であるということは、読み手にいささかも、物語全体の調和を乱す場面を見せないこと、そして、骨の髄までわたしであることを貫くこと、なのだ。
わたしが臆面もなくあれこれ創作した箇所を、みなさまが笑って流してくださることを願って。まじめなまえがきおしまい。