資料室での攻防

「はいはいどうも、あんがとさん。鍵はあとで返すね。君今度お茶しない? え? やだなあ、社交辞令じゃなくってよ。だめ? 彼氏がいる? あっそう。んじゃあまあしょうがない。あとで鍵返しに行くよ。ここの電話ってまだ使えるんだっけ? ゼロ発信? ああ、なるほどね。どうもどうも。それから、たぶんあと一時間くらいで客が来るはずなんだ。おれんとこに。そしたら、ここに通してって受付の子に伝えてくれない? ああ、ありがとね、よろしく」
 総務部の女性社員は、ザックスのおしゃべりに苦笑しながら出ていった。ザックスは資料室でひとつ伸びをして、首を回すと、耳にイヤホンを差しこみ、音楽をかけながらノリノリで資料探しにとりかかった。ときどき、彼はちょっとしたステップを踏んだり、手を動かしたりした。仕事は、楽しみながらやるのが一番だ。資料室にはめったにひとが来なかったし、来たところで、ザックスは別に気にしなかったろう。またあの風変わりなソルジャーが、ひとりでごそごそなにかやっていた、と云われるのがおちだ。そしてそんなことになら、彼は慣れていた。ザックスは臆病者とか恩知らずとか云われることは大変不名誉に感じたが、変だとかいかれているとかいうことについては、いくら云われても毛の先ほども気にしない。
 資料を探しはじめて二十分ほどで、彼は机の上に書類の山を築き上げた。それから、そいつをひとつひとつ手にとって、調べはじめた。こういう果てしない、ちまちました作業が大嫌いだというひとがいる。一方で、そういうものにこそ云いしれぬやりがいを感じるというひともいる。ザックスは、どちらかというと後者だ。誰にも信じてもらえないが、ザックスはほんとうは、ひとりでこつこつやる仕事のほうが好きだ。誰かと共同作業も捨てがたいけれど、ひとりで、自分のペースで、自分の回転速度でする仕事は、よそでは味わえない満足感がある。
 彼がひとりきりの仕事を満喫していると、資料室のドアが開いた。ザックスが目をやると、栗毛を短く刈りこんだ、若い男が片手を上げて近づいてきた。
「ボンジュール、ムッシューパトリス」
「ボンジュール、ムッシューザックス」
 ふたりはけたけた笑いあった。入ってきたのは、顔なじみの2ndソルジャーだった。同期生で、寮ではとなりの部屋に住んでいた。ザックスも明るかったが、彼の明るさも底なしで、ふたりはよくばかなことをして、みんなの頭を痛めたものだ。
「おまえが資料室にいるって聞いてさ」
 パトリス君はザックスの向かいの椅子を引いて座り、ばかでかい紙コップと、二ダース入りドーナツの化け物級の箱を机においた。
「おいおい、ここ飲食禁止よ?」
 ザックスはにやにやしながら云った。
「残念、おれは文盲なんだ。ガキのころ、家がまずしくて学校に行けなかったんだよ」
「ははあ。だったら、おれはこないだから突発性視力障害で、目が見えないわ」
 ザックスはドーナツにかじりついた。
「強制休暇の調子はどうよ? つーか、なんで戻って来てんの?」
 パトリス君もドーナツにかじりついて云った。
「それがさあ。休暇を滞りなく楽しんでたんだけど、ちょっとね、ちょっとした事件に巻きこまれあそばしてね」
 ザックスはかいつまんで話した。
「ふうん。なんだかよくわかんないけど、大変だな。おれも手伝うよ。どうせ午後まで暇なんだ。ときどき思わないか? おれって、なんのために生きてんだろうって」
「思う思う」
 ザックスは紙コップのコーラを飲みながらうなずいた。
「でさ、こうやってコーラ飲んで、ドーナツ食うだろ。そうすっと、ああ、今日も食い物がうまいなあ、なんて。そんで、どうでもよくなんだよ」
「だよなあ。そこが問題なんだ。つまりさ、おれって、なんにつけても、悩みが十分と続かないんだよ。ばかにされるのも無理ない。でもさあ、悩んでたってしょうがないんだもんな」
 パトリス君は云って、三つ目のドーナツにかじりついた。
「おまえ、また誰かの悩み聞いたな?」
 ザックスはにやにやした。パトリス君は、絶対に解決できないにもかかわらず、生来のひとのよさで、悩んでいるひとを見ると、寄っていってしまうのだった。
「そうなんだ。そいつさあ、なにで悩んでると思う? 冷蔵庫の音がうるさくて、眠れないんだってさ!」
 ザックスは笑い転げた。
「おれだって、笑いたかったよ! だけど、そいつはマジなんだ。だから、おれ考えちゃったよ。おれって、もしかして、ちょっとばっか、無神経でおめでたすぎるのかなあ……ってさ。でも、いまおまえと話してて、ドーナツ食ったらどうでもよくなったけど。そんなもんなんだ、おれって」
「けっこうけっこう」
 ザックスは笑った。
「みんながみんな、深刻な顔してどんよりしてさ、デカルト、ニーチェ、ナントカ! とか云ってたら、おれは息がつまるね。そんなのはやりたいやつにやらしとけばいいんだよ。人生、大事なのは明るく楽しくやることよ。そうできないやつ、かわいそうっておれ心から思うもん」
「だよな」
 パトリス君は微笑んだ。
「おれはおれだよ。それが大事なんだ。で? おまえを手伝うにはどうすればいい?」
「いまちょっとさあ、鏡に関しての資料を探してて」
 ザックスは説明した。
「古代種と、鏡。キーワードはこれね。これから、大学の教授が資料検討しに来てくれることになってるけど、その前にこっちでできるだけの資料を見ておきたいわけ。おまえ速読って習った?」
「できるようになっちゃったよ、いつの間にか。鏡に関する資料、集めればいいんだな。了解。ところで、ボス元気にしてる?」
「うん、してるよ……」
 ふたりはどうでもいいことを話しながら、資料の山を漁った。
「このへんがくさいなあ」
 三十分ばかりたったころ、パトリス君が云った。
「古代種とその映像技術について……だってさ。どう思う?」
 ザックスは差し出された資料をめくった。
「くさいなあ」
「くさいだろ」
「こっちもくさいと思うんだ。古代種と彼らの終末予言について……なんか、いわくありげなことが書かれてる」
「どれどれ……」
 ふたりは資料を交換しあって、読みあった。ふたりが夢中になっているところへ、資料室のドアがノックされた。ふたりは顔を上げた。
「きっとおれのお客さんだよ。どうぞ!」
 ザックスが陽気に云った。総務部の女性社員につきそわれ、小柄なやせっぽちの、ロイド眼鏡をかけた中年男性がひとり入ってきた。
「やあやあ、どうも遅くなってすみませんな。わたし、ご連絡いただきましたミッドガル大学准教授のカドバンと申します」
 ザックスは両手を広げて歓迎の意を表し、カドバン准教授の手を親しげに握った。
「どうも、わざわざこんなとこに呼びつけてすみません。おれ、お電話したザックスです。ザックス・フェア。肩書きは一応ソルジャー。こいつは同僚のパトリス・ルグノー。ちょっと手伝ってもらってました。こっちの机にどうぞ。ドーナツ食べます? あ、ごめん、君さあ、コーヒーひとつ持ってきてくれない? 飲食禁止? 堅いこと云わない云わない。なんか云われたら、おれたち集団感染性認知症なんだって云うよ。ソルジャーになると、それに必ず一度は感染すんの。君が責任問われることないのよ」
 カドバン准教授は机につくと、遠慮なくいただきますといって、総務部のひとがあわてて持ってきたコーヒーといっしょに、ドーナツをたちまちふたつ食べてしまった。
「それで……緊急事態とのことですが、ソルジャーの方がわたしにどんなご用です?」
 カドバン氏は、ひとのよさそうな微笑を浮かべて、ふたりを交互に見やった。
「ええっと、ホープニッツェル教授に関することなんですが……実は、北にいる同僚が、教授と知り合いになったんです。あなた、彼の研究室のメンバーなんですよね?」
「まあ、わたし、彼のゼミの卒業生ですからね。もう二十年も前の話。そのまま研究室に居ついてしまったんですけど。で、ずるずる大学にいて、准教授なんかやってるんですよ」
「どうして今回の遺跡調査には行かなかったんですか?」
「それはねえ、誰かが教授の代理をしなければならないからですよ。生徒たちの面倒を見たり、レポートを添削したり、授業のことを考えたり。事務的な問い合わせも多く来ますから、そういうものにも対応しなければいけません。ホープニッツェル教授は、そういうところも万事ぬかりなくきちんとやらないと気が済まないひとでしてね。決して、研究業だけに没頭するようなひとではないわけです。だから人望があるんですよ、あの方は。そりゃあもちろん、わたしだって遺跡の調査に同行したかったですよ。でも、教授の気質を考えると、大学の雑務をきちんと肩代わりできる人間がいなくては、安心して調査に専念できないんです。だから、いつもわたしがそういうことを引き受けているんです。不満はありません。わたしは、教授の役に立てるのがうれしいんです」
 ソルジャーふたりは顔を見合わせた。
「教授は、ボスとしていいひとなんですね」
 ザックスがしみじみ云った。ちょっと、自分のボスを思い出したのだ。
「そうですよ。そういうひとはめったにいません。いまでは研究室も大所帯になってしまいましたが、わたしが大学を出たころは、教授はようやく注目されはじめたいわば若手で、研究設備もそりゃあおそまつなものでした。でも、わたしたちはそれなりによくやってました。あのころはよかった。研究チームは全部で六人。うち半分はボランティア。わたしたちみんな、すこやかでしたよ」
「じゃあ、いまはすこやかじゃないんですか?」
 パトリス君が訊ねた。准教授は微笑した。
「名声ですよ。結局、ひとの運命を変えてしまうものは。こういうものに、どんなものがぶら下がってくっついてくるか、おわかりでしょ? 研究成果を盗まれないように注意はしないとならない、ちょっとミスすれば叩かれる、マスコミは追い払わなきゃならない、すり寄ってくるご婦人たちは撃退しないとならないで……教授は独身なもんでね……たいへんなもんです。少数の仲間たちだけで、好きに研究していられたころが懐かしいですよ。ところで、教授になにかあったんでしょうか?」
 ザックスは頭を掻いた。
「ええと……教授の助手に、シノザキさんってひとがいますよね?」
「彼がなにかしたんですか?」
 カドバン准教授の顔に、たちまち疑惑の表情があらわれた。
「なにかするように思えますか?」
 ザックスは慎重に訊ねた。
「もちろん! なにかするとしたら彼です! いつもこそこそして……わたしは、教授に彼は危険だと何度も云ったんです。でも教授は、彼は確かに人間性に問題があるが、着眼点は独創的ですばらしいからと云って、取り合いませんでした。いつかなにかやると思ってました! で、なにをやったんです?」
「その前に、シノザキさんってどういうひとなんですか?」
 ザックスはもうひとつドーナツをすすめた。カドバン准教授はありがたくいただきますと云って、もぐもぐやりだした。パトリス君は、こりゃドーナツが足りなくなりそうだと踏んで、買い足しに出ていった。
「素性についてですか? それとも人間性について?」
「両方です」
 カドバンさんはふうん、とうなって、椅子に座り直した。
「彼は、ウータイ系の移民です。両親が、息子にいい教育を受けさせるために、教育が進んでいたアイシクルへ移住したんですよ。シノザキ君は非常に頭のいい人間で、大学に入ったのは十五歳のときだったそうです。そこで古代種に関する研究をしていたんですが、ぜひともうちの教授の研究を手伝いたいということで、うちのチームに入ったんです。確かに、彼はすばらしく頭の切れる男ですよ。なんとも独特のひらめきがあるし、論理的にものを考えるのが得意です。教授もその点は非常に評価していますし、われわれだってそれを認めないわけではありません。
 ただ、彼はまあ、ちょっと考えものな人間なんです。彼の書いた論文を見ればわかりますが、攻撃的で、独善的で、他人の研究を必要以上にけなします。プライドが高くて、他人を寄せつけず、コミュニケーションをとることが苦手……というより、あまり必要性を感じないんでしょう。黙々と、自分の考えるようにやりたいことをやっているタイプです。教授は、こうも云ってましたね……彼のような人間は、誰かが守ってやらないと、才能をだめにしてしまうものだ、と。それは、一理あるのかもしれません。一般社会じゃ、まあ生きていけないタイプですよ。だから、いまだにただの助手なんです。大学だってひとつの組織、社会ですから、誰にも発見できなかったことを発見したとかいうケース以外は、当然世慣れた人間がうまく渡っていくわけで……。ところが彼は、それがわかっていないんです。彼が認められないのは自分の態度のせいなのに、自分がウータイ系の移民だから、差別されているんだと思ってるんですよ。教授やみんなが、自分の出世を妨害しているんだとも思っているんです。元のプライドが高いだけに、自分のいまの立ち位置に我慢ならないんでしょう」
「なあるほど」
 ザックスは云った。
「で、彼がなにをしたんです?」
 カドバン教授は気遣わしげな顔で云った。ザックスはちょっと考え、カドバン准教授を見た。彼の目は、不安に泳いでいるが、その奥の方にたしかな光があって、少年の輝きを失っていない。口元はしっかりと結ばれ、なにかひとつの意志のようなものを感じさせる。ザックスは、事情をある程度話してみることにした。
「実は、鏡なんです」
 ザックスは捜査局から借りてきた鏡の写真を准教授の目の前に差し出した。
「鏡? これは……あの問い合わせの件ですか?」
 カドバン准教授は目を丸くした。ザックスはうなずいた。
「先にアイシクル国立捜査局があなたに問い合わせた鏡は、ある女性が、自分の祖母から遺品としてもらったものなんですが、盗まれたんです。別に、大したものじゃないと盗まれた本人も、それにあなたも、思ってた。でも、それがどうやらたいしたものだったみたいなんです。この鏡を、おたくのシノザキさんが是が非でも欲しがってたみたいで……」
 カドバン准教授は腕組みをして、鏡の写真を覗きこんだ。それから、すぐに「おや?」という声を出した。
「どうしました?」
 ザックスも鏡の写真に身を乗り出した。
「わたしのところへ送られてきたのはファックスの、白黒写真だったものでね……いま気がついたんですが、ここの……この、鏡のふちどりのように並べられてはめこまれているのは、赤いマテリアですよね?」
「たぶんね。色からして、なんかの召喚ものだと思うんですけど、でも、どれもかけらですよね?」
「ええ、そうです、そうなんですが……しかし……」
 カドバン准教授は、ふうむ、とうなりながら、ロイド眼鏡に手をかけて、写真を左右に傾けたり、ひっくり返したりしながら、舐めるように見回した。
「カドバンさん!」
 ザックスは叫んだ。
「なんですか! はやく云ってください! おれ、じりじりしちゃう」
「ちょっとお待ちを! いま考えてるんです! ……ふむ……しかし、いや……やはり……」
 ほんの一分ほどだったが、ザックスにしては拷問のような時間が過ぎた。カドバン准教授は真剣な顔で写真から顔を上げ、ザックスを見据えた。
「ザックス・フェアさん」
「はい」
 ザックス・フェア氏はおそるおそる返事をした。
「わたしは、捜査局の皆さんに、謝らねばなりません」
「……と、申しますと」
 カドバン准教授の額から、汗がにじみ出た。
「よろしいですか。この、鏡の周囲にはめこまれたマテリアのかけらですが、これは召喚用マテリアのかけらですね?」
「はい、そうです。ということは、どういうことなんですか?」
 准教授はロイド眼鏡を指先で上に押し上げた。
「もしこのマテリアがほかの色なら、この鏡は、よく作られていた装飾品のひとつで、別段目新しいものでも、貴重なものでもありませんでした。古いことは古いですし、観賞用に集めているひともいますから、それなりの値がつくことは事実ですが、どちらかというと日用品で、研究者がどうしても欲しがるようなものではありません。通常、この手の鏡には、いくつかの種類のマテリアのかけらがはめこまれています。たとえば、回復効果のあるものと、ちょっと運がよくなるマテリアとか。自分に足りない力、あるいは自分が必要とする力、そういものを、一種のお守りのようにして、持っていたんですな。かけらですから、ほとんど効果はありませんし、そもそも、マテリアを使って魔法効果を生成しようなんて考えたのはもっとずっとあとの人間たちでして、古代種たちは、そんなものがなくてももっと自然な形で星の力を利用できたと考えられています。ところがですね。この鏡には、召喚用のマテリアがはめこまれていまして、そんな鏡は、そんなに多くない……というか、ほとんどありません」
 ザックスはごくりとつばを飲みこんだ。
「これには非常に複雑な説明が必要ですが、現行ときおり目にする召喚というのはかなり強引な方法でして、古代種たちはそういう方法は取らなかったのです。ゆえに召喚マテリアなんてものは使いませんでしたし、異世界とやたらに交流することは、星全体、あるいは宇宙全体の秩序を乱すと考えていました。彼らがもし召喚のマテリアを持っていたとしたら、その意味はひとつきりなのです」
「……そりゃ、なんですか、カドバンさん」
 カドバンさんもつばを飲みこんだ。
「ちょっと待ってください。話が前後してしまいますが、古代種の遺跡、神殿というのは、それ自体がなにかを封印したものだったり、なにかの力の象徴であったり、力そのものであったりする場合も多いのです。古代種たちにとって、神殿というのは単に儀式的な意味や宗教的な意味を越えた、もっと現実的な、ひとつの装置だったのです」
 カドバン准教授は額の汗を拭った。
「ここだけの話ですが……今回の遺跡調査に対して、教授は最初とても意気ごんでいました。なんとか資金を調達できて、調査の見通しがたったときには、踊りださんばかりに喜んでいました。でも、いつからだったか、わたしは、教授があまり乗り気でないように見えてきました。わたしは、その神殿になにかあるのではないかと考えて、非常に心配しておりました。ご存じのように、古代種たちは謎に満ちた存在です。現代の科学技術を持ってしても、とても説明のつかないような不思議な力を持っていました。わたしも、それに教授も同じ考えなのですが、彼らのことは、敬意を払って慎重に扱うべきなのです。手に負えないと思ったら、潔く引き下がるべきなのです。そうしないと、ひどい目に遭います。これまでも、無鉄砲で無遠慮な連中が、ずいぶん命を落としてきました。われわれのように、研究チームが大きくなり、いくつもの企業や団体から援助を取りつけられるようになることは、確かに大きなメリットがあります。しかし、なにか不都合があった場合に、そのひとたちを説き伏せ、研究を中断することは困難になります。教授は、ただでさえ周囲のひとたちの気持ちを重んじる方です。ああ……」
 カドバン准教授はため息をついて、額を押さえたが、すぐに気を取り直した。
「その鏡の大きさはどのくらいありましたか?」
 ザックスは見たときの印象を話した。
「お嬢さんの手のひらより、ちょっと大きいくらいでした。これくらい」
 ザックスは両手を丸めて、穴をこしらえた。
「この写真ではわかりませんが、鏡の裏側に、なにか模様がありませんでしたか?」
「ありました、ありました。すごく複雑な、でこぼこのある、蔦みたいな模様が彫ってありました」
 准教授は苦しそうに目を閉じた。
「間違いない。ちょっとこれをご覧ください」
 准教授は黒いカバンの中から、小型のノートパソコンを取り出した。
「われわれは、五年前に一度、あの神殿の事前調査を行いました。そのとき、ざっと情報収集をして、五年かけてそれを分析したわけです。そして今回のが本調査、実際に神殿の中に入り、さらなる情報を収集します」
 准教授はパソコンを操作して、パスワードをいくつか入力し、ひとつのファイルを開いた。
「前回の予備調査では、われわれはまず神殿の入り口にほどこされた、複雑なしかけを解くことからはじめました。古代種は、おそらくパズル好きだったんでしょう。妙なしかけや装置を考えるのが好きだったようなんですよ。これには時間がかかりまして、日程のほとんどを費やしてしまったくらいです。そしてようやく入り口が開いたので、われわれはロボットカメラで中の映像を撮影しました。それで、だいたいの構造を把握したわけです。例の神殿はかなり複雑な立体迷路になっていることが判明しました。そういった情報は、大学に帰ったのちデータベース化されて、研究員全員が共有します。映像を元に地図を作製するとか、崩落の可能性の有無をチェックするとか、そういう細かい作業を、めいめい受け持つわけです。
 さて、これは神殿内部の映像です。その最奥部分の映像です。これは扉の一部なんですが、なぜかカメラの映像が突然乱れてしまいまして、見づらいのですが……ここに丸いくぼみがあるのがおわかりですか?」
 ザックスは目を細めてパソコンの画面を見た。画像の一部を拡大したものらしかった。画面全体が黒みがかって、非常に見にくかったが、金色のプレートらしきものの上に、丸いくぼみがあるのが確かに見えた。
「見えます、見えます……なんか、でこぼこしてますね。模様ですか? ん? これどっかで見たような……」
「そのくぼみの大きさは、さきほどあなたが手で示してくれた鏡の大きさとだいたい同じですよ」
 ザックスは飛び上がった!
「そっか! このくぼみ、鏡の裏の模様にそっくりなんだ」
 准教授はうなずいた。
「その鏡は、今回教授が調査することになっている神殿を、目覚めさせるキーになるものです。いいですか、ザックス・フェアさん。古代種たちは、この星にとって害をなすものを封じこめるという役目を持っていました。封印し、二度と悪さをしないようにするのです。召喚マテリアがはめこまれた鏡は、特別な意味を持っています。悪しきものを封じこめているという、警告の証なのですよ」
 ザックスは目を見開いた。
「この扉には、映像によると、非常に特殊なものが彫られています」
 カドバン准教授は、白っぽい石の扉全体が移っている画像に切り替えた。
「これも非常に不鮮明なのですが……見えますか? これが頭で、胴体で、これが腕のように見え……」
 准教授のことばに従って見ると、ミミズみたいなナメクジみたいな、得体の知れない化け物が浮かび上がってきた。ザックスは口を開け、両手で頬を挟みこんだ。
「なんですか、これ!」
 ザックスは叫んだ。
「……わかりません。神話の中に、さまざまな怪物が登場しますよね? それを退治する英雄の話は、神話によく見られるものですが……そういうものは、単なる伝承ではなくて、実際にいたのだという説を採っている学者は、大勢います。ときおり出現するモンスターなんかごらんなさい。あんなものの、特別凶暴なやつが生まれないとは、云いきれないと思いませんか?」
 ザックスはことばを失った。
「ああ……わたしたちは、この映像をあまり重要視しなかったのです。よく見えないということもあって。でも、教授はしっかり見て、考えたのに違いない。なんてことだ!」
 准教授が叫んだ。
「ヘイ、ニューなドーナツいらない?」
 パトリス君が、陽気な声でドアから入ってきた。

 

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