たくさんのお見舞いと、同じくらいたくさんの勧誘
クラウドがよくなったというので、真っ先にやってきのはやっぱりザックスだった。用心して、エアリス嬢のことはコテージへ置いてきた。
「だって、男にとってはよ、自分がベッドで寝たきりのところなんて、女の子に見せたくないもんなのよ……」
エアリス嬢は、男のこのどうにもしようのないプライドについて、賢明にもくすくす笑うにとどめた。
ザックスは部屋に入ってきて、ベッドに横になっている友だちを見ると、一瞬泣きそうな笑顔を浮かべた。そしてすぐにいつものにかにかした顔になって、大股で部屋を横切り、枕元に立った。
「おまえってさあ、運がいいんだかなんなんだか、さーっぱり、わかんねえのなあ!」
クラウドは自分は運がいい子だと思っていた。だから、ザックスのこのことばに抗議した。
「おれは運がいいんだよ」
「ま、そうかもねえ」
ザックスはにやつきながら云い、クラウドと、母さんを交互に眺めた。それから、クラウドの母さん(と自分の彼女)をどのようにして遠方から運んできたか説明した。クラウドは自分の彼女までも連れてきたザックスを大いにからかってから、ヘリに乗りたくて、足をばたばたさせた。
「おれ、来年になったらヘリの操縦免許取るんだ。運転中は酔わないし」
クラウドは部屋じゅうのひとに……そこにはセフィロスと母さんがいたが……宣言するように云った。
「それで、マチェットじいさんに、ヘリの中身がどうなってるか、教えてもらうんだよ」
ザックスはそれで、マチェットじいさんからの伝言を思い出した。
「そうだった。じいさんが、おまえによろしくって。早くあとを継ぐ決意を固めてくれってさ」
クラウドはもったいぶった顔をした。
「うーん、でもなあ、おれ、まだわかんないよ」
かわいそうなマチェットじいさん! 彼はまた待たされるのだ。そのうちに、彼の寿命が尽きてしまったなんてことになったら、笑い話にもならない。でも、たぶん彼はあと二十年は大丈夫だろう。
翌日、クラウドはベッドの上で、膝の上にゾウのランチョンマットを敷き、ベージュの陶器の、取っ手がふたつついたスープマグで、朝ごはんに母さんが作ってくれた、じゃがいもをすりつぶしたポタージュスープを飲んでいた。クラウドの身体はじゃがいもと山羊のミルクがあれば、問題なくやっていける。彼の体温はもう六コンマ八まで下がっていた。これはほとんど普通だ。彼は早くフライにしたイモが食べたくて、母さんにいつになったら食べられるのか訊いているところだった。セフィロスはまたどこかへ出かけていた。
玄関の呼び鈴が鳴った。母さんは立ち上がって、ちょっと折れ曲がっていたランチョンマットを直し、部屋を出ていった。そしてピルヒェさんとコランダー捜査官を連れて戻ってきた。ピルヒェさんは「よう、坊主!」と明るく云い、腕を振り回した。
「聞いてくれよ! おれはとうとう、おじいちゃんになっちゃったよ!」
「この六日のあいだにですか?」
クラウドは面食らった。
「おお、そうなんだ。娘が妊娠してるって話はしただろ? それがな、産みやがったんだ! 男の子だ! まったく、妙な気持ちだよ。だって、おれはその男の子の母親が、おれの奥さんの腹から生まれてくるところ、見てるんだからな! それで、こう思ったんだ。おれもな、昔、誰かの娘をこんなふうにしちまったんだ、ってな」
ピルヒェさんは肩をすくめた。
「子どもの前でそんな話するもんじゃないよ」
コランダー捜査官がたしなめた。
「この子は子どもじゃないよ」
ピルヒェさんが云った。クラウドはすごくうれしくて、スープを全部飲んだ。母さんが、みんなにあったかいお茶を持ってきて、クラウドのマグとスプーンを片づけた。ピルヒェさんは陽気にハンチング帽を持ち上げて、ストライフ夫人にお礼を云った。
「まったく君には、はらはらさせられたよ」
コランダー捜査官が笑いながら云った。
「あの、おれ迷惑かけちゃってほんとにすみません。おれのせいで夜通し働かされた捜査官のみなさんに、おれからって謝ってもらえませんか?」
クラウドはちょっとばつが悪そうに云った。コランダー捜査官はうなずいた。
「心配ないよ。もっとくだらない理由で警察の手をわずらわせるやつはうんざりするくらいいるからね。君のはまあ、正当な理由があったからねえ。おかげで、男の子ってものがどんなものか、身にしみて思い出したよ」
「おれは、坊主みたいなやつ悪かないと思うけどね」
ピルヒェさんはいたずらっぽく笑った。
「勇み足ってのは、歳を取りゃたいがい落ちついてくるもんだけど、最初からその意気ごみもないやつは、歳を取ったってやっぱりだめなんだ。坊主みたいなのは、新聞記者に向いてるかもしれないよ。なんにでも鼻っつらつっこんでく勇気と好奇心こそ必要な商売なんだ。もしもその気になったら、アイシック・リポートに電話かけて、おれを呼び出しなよ。特別に、おれが面接するよ」
クラウドの母さんは相変わらず窓辺に置いた椅子で編み物をしながら、これを聞いて密かにほくそえんだ。うちのクラウドったら、その気になりゃ、なんだってできるじゃないの!
「君が具合を悪くしていた五日のあいだに」
コランダー捜査官はお茶をおいしそうに飲みながら、その間の出来事を説明してくれた。
「ザックス・フェア君が機転を利かせて奪還してくれた鏡は、無事ラスカお嬢さんのところに戻ったよ。彼女はひどく喜んでた。もちろん、その恋人もね。ふたりは今日の午後、ようやくマグリムさんの父親に会いに、ミディールへ出発するそうだ。クリスマスは向こうで過ごすそうだよ。それから君がアジトに潜りこんだふたり組の男は、拘置所に送られて、毎日取り調べを受けてるよ。どうやら、彼らが所属する犯罪組織は、ふたりのことを切り捨てることにしたらしいね。ザックス・フェア君が取引をしたんだ。大した男だよ、彼は。うちに欲しいよ。
それでだね、君が寝てるとこ悪いと思ったんだが、こないだみんなで話し合いをしたんだ。その結果、広く世間一般に向けては、こういう筋書きを押し通すのはどうだろうかという話になった。犯罪組織に鏡を盗み出すように依頼したのはシノザキ助手でね……これはある意味事実だろう? 彼は、自分がウータイ系だという理由で、出世に関して差別を受けてると思いこんでた。そして、教授が自分を妨害しているんだと思いこんでいたんだ。ちょっとおかしくなっていたんだね。これも事実だろう? それで、教授の鼻を明かしてやろうと、彼の研究資料を盗み見たわけだよ。で、ラスカさんの鏡に行きついた。彼はそれをふたり組の男を通じて盗み出して隠しておき、学術調査に向かった。ここからがポイント」
捜査官は咳払いした。クラウドの耳がぴくぴく動いた。
「ところが、ラスカさんの鏡があの神殿の謎を解く重要な鍵だったというのは、シノザキ助手の見当違いだったんだ」
クラウドは目を丸くして、口を開いた。
「そうなんだ。これは非常に残念な、そしてわれわれにとっては幸いな間違いだった。あの鏡は、なんてことない出土品のひとつで、おばあさんからの遺品にふさわしい程度の価値を持つものにすぎなかったんだ。これは悲劇だね。そして、シノザキ助手はあの神殿で自分の致命的な勘違いに気がついたんだ。彼はもともと、ちょっと頭のねじが締まりすぎていて、やぶれかぶれになっていた。彼は死のうとしていたんだよ。教授が研究するつもりだった神殿を台無しにして、彼に復讐しようとも考えていた。なにしろ、自分が出世できないのは教授のせいだってことになってたからね。それで、助手は荷物と見せかけてひそかに大量のダイナマイトを持ちこんでいて……」
クラウドが両手を頬に当てて、声にならない悲鳴をあげた。
「どっかん、と神殿は吹き飛んでしまいましたとさ」
ピルヒェさんが結んだ。
「おれが考えたんだぜ。どうだい?」
ピルヒェさんはにやにや笑いながら云った。
「小説家になれそうなもんじゃないか。ま、ここだけの話、一時期なろうとしたんだがね。結局、才能がないことに気づいたんだ。いまとなっちゃ、よかったよ」
「天才的ですね」
クラウドは興奮して、口をぱくぱくさせた。
「おれ、その小説読みたいです……あのう、でも、できればマンガで」
ひとのいいピルヒェさんは大笑いした。
「じゃ、主人公は君だな。少年記者で、どこにでもいそうな子なんだけど勇気があって、ちょっと向こう見ずで勇み足なんだけど、でもいざとなったらすごく機転が利く。こりゃ、いけるんじゃないかな?」
実際、ピルヒェさんはその話を書いた……定年後に。で、それは大当たりして、世界中の冒険精神あふれる男の子たちの目を輝かせたのだが、それはまたうんと別のお話だ。
「それから、大事なことがある。この件に、君や、君の上司や、友だちは一切関与していないことになる。これは君の上司や友だちの意見だ。事件は、最初から最後まで捜査局が独自に捜査し、解決したことになる……心苦しいがね。でも、その方がいいとわれわれは判断した。そこで、この筋書きを採択し、公表するにあたっては、関わったみんなの同意が必要だ。いまのところ、ほかのみんなは同意してくれているが、君がもし反対するなら、われわれはまた考えなおす必要がある」
捜査官は云った。
「いろんな意見を尊重しなくてはいけないからね。たとえば、やむを得ない事情があってのことにせよ、教授だって悪いことをしているのだから、それを罰しないのはおかしい、というのは立派な意見だ。教授はたしかに社会的地位もある。すぐれた研究者でもある。でもだからって、われわれはそういう人間をみんな見逃していいと思っているわけじゃないよ。われわれがそういう筋書きでまとまったのはひとえに、教授のひとがらのためなんだ。わかるかね?」
クラウドはこくんとうなずいた。教授とピルヒェさんと三人で面会したときのことを、そのときの教授のすこし寂しそうな顔を、クラウドはよく覚えていた。彼が好きなだけ研究に没頭できるようになった代わりになにを失ったのか、クラウドにもおぼろげながらわかった。
「ではそこを理解してもらった上で、君の意見を聞こう。難しい問題だ。でも遠慮することはないよ。君は、われわれの筋書きに同意してくれるかい? それとも、別な意見があるかね?」
クラウドは真剣な顔になって、別の意見はありません、と云った。ピルヒェさんは微笑んだ。コランダー捜査官は、表情を動かさず、うなずいただけだった。
「では、これで決まりだ」
「おれは、明日の朝刊向けに急いで記事を書くよ」
ピルヒェさんはもう立ち上がっていた。
「民衆はいつだって真実を知りたがってるからね」
そうしてクラウドの母さんに丁寧に挨拶し、コートを着てハンチング帽をかぶると、部屋を出て行こうとして、慌てて戻ってきた。
「おまえにやるよ、坊主」
彼はクラウドの手のひらに小さな銀色のものを置いた。
「記者クラブの紋章なんだ。こいつがどういうことかわかるかい? ええ?」
そうして、非常に含みのあるウィンクをしてよこした。つまり、クラウドはその気になったら、それをちょっと悪用してもいいのだ! もちろん、もう少し大きくなったら。クラウドはぽうっとなって、手の中を覗きこんだ。銀色の羽ペンの形をした紋章が、鈍く光っている。
「じゃ、わたしも失礼するよ」
捜査官は立ち上がって、これまたクラウドの母さんに「すばらしい息子さんをお持ちですね」と云って、丁寧に挨拶をすると、ピルヒェさんがくれた紋章の隣に、もう型が古くなってしまった警察のバッヂを置いた。銀色にぴかぴか光る、かっこいい星型のバッヂで、クラウドは目を輝かせてそれを受け取った。
「わたしはもう少し常識的な人間だからね」
捜査官は楽しそうに云った。
「責任ある大人として、こう云っとくよ。悪用しちゃいかんよ!」
クラウドは敬礼した。捜査官は笑いながら出ていった。
セフィロスが戻ってくると、クラウドは大はしゃぎでそれを見せた。パジャマの胸に紋章とバッヂをつけ、ガス・ピストルを持ちだして、西部劇の保安官みたいに高飛車に振舞い、口汚くののしる真似をした。そして、七コンマ三まで熱が戻ってしまった。セフィロスは怖い顔をして、クラウドをベッドに寝かしつけた。
「テンガロンハットがほしいよ。ほんとに十ガロン水が入るか確かめるんだ」
クラウドは懲りずに云った。
「寝なさい」
セフィロスは怒った声を出した。
午後からは、ひっきりなしにひとがやってきた。まず、マグリム氏とマティルダ嬢だ。ふたりは旅行カバンを持っていて、もうミディールへ向けて出発するところだった。
「あなたの具合がよくなるのを待ってたのよ」
マティルダ嬢がくすくす笑いながら云った。
「だって、あなたもこの鏡が戻るのに、協力してくれたひとりなんですもの。ほんとは気味が悪い鏡なのかもしれないけど、でもわたしにとっては、やっぱりおばあちゃんの大事な鏡だわ。ありがとう」
マティルダ嬢が裏に独特の模様がある、例の丸い鏡を取り出した。クラウドはそれをちょっと複雑な気持ちで眺めた。
「ともかく、君が治ってよかった」
マグリム氏がやれやれというふうに眉をつり上げた。
「だって、鏡が戻ったからぼくたちだけは万々歳だなんて、世の中、そんなわけにいかないからさ。君が治ってくれなかったら、ぼくたち、どうしようかと思ってたよ。ほんとによかった。それから、彼女の鏡のために力を尽くしてくれてありがとう」
マグリム氏はクラウドに手を差し出した。クラウドはそれをおそるおそる握った。マグリム氏は、しっかりクラウドの手を握り返した。それは、つまり、男どうしの握手だった。相手を認め、尊敬する男が求めてくる握手だった。クラウドはちょっと感激して、赤くなった。
「それから、君が鉄道模型にはまってるって聞いてね……」
マグリム氏はいたずらっぽく笑った。
「気に入ってくれるといいんだけど」
マグリム氏はクラウドに、高級そうな濃いブルーの包装紙に包まれた箱を差し出した。クラウドがマグリム氏を見ると、彼はうなずいたので、クラウドは包装紙を破って、箱を開けた。プラスチックの透明な保存ケースが出てきた。中に入っているものを見て、クラウドは目を丸くした。
「ぼくたちが先日乗ったコンチネンタルだけど、見て、ここにコンチネンタル開通記念車両ってあるだろう? シリアルナンバーもついてる。ベルクリン社が、主に関係者に配るために五百台だけ作ったんだよ。ぼくはオークションでこれを買ったんだけど、今回の記念品にちょうどいいと思わないかい?」
クラウドは一見、ほとんど話を聞いていないかに見えた。ぼうっとして、顔を赤らめ、唇は半開きで、目はなにか途方もないものを見たときの、うつろな、焦点の合わない感じだった。
「白状するとね」
マグリム氏は頭を掻いた。
「ぼくも好きなんだ。たまらないよね。暇があると、HOゲージのをいつもいじってるよ。走らせたり、風景をこしらえたり……飽きないんだ」
「……これ、あることは知ってたんです。写真で見ました」
クラウドはようやくか細い声でつぶやいた。
「いいなあって思ってました。でも、ほんとに実物を見られるとは思ってませんでした」
それから頭をぶんぶん振って、大慌てで包装紙で箱を包み直した。
「だめです、もらえません」
クラウドは厳しい顔で云った。
「もらうには貴重品すぎます!」
マグリム氏はちょっと困ったように笑って、婚約者の顔を見た。
「ねえ、わたしたち、話し合って決めたのよ。あなたにこれをあげようって。だから、あなたが受け取ってくれないと、わたしたちすごく困ってしまうの」
クラウドは音がしそうなくらい首を振った。ふたりはまた困った顔をした。成り行きをじっと見守っていたクラウドの母さんが、かぎ針を持ったまま椅子から立ち上がった。
「はいはい、ストップ。息子のことかばうんじゃないけど、この場合は、うちの子の意見が正しいかもね。だってさ、あのね、法外な値段のプレゼントするってことが別に悪いってんじゃないけど、問題なのは、今回の場合は、その金額に値するようなことしてないってこの子が思ってるってこと。それってすごく重荷なわけ。特に、湯水みたいに金を使えるような環境で育ったわけじゃない人間にしたらよ。そのことで、あんたたちに対する気持ちを変えたくないわけよ。気持ちよくつきあいたいの。最後まで。そういうの、尊重してくれない?」
マグリム青年とマティルダ嬢は、ふたたび目を見合わせた。セフィロスは微笑していた。マグリム青年が頭を掻き、肩をすくめた。
「わかりました」
彼はきっぱりと、晴れやかな顔で云った。
「どうやら、ぼくが間違っていたみたいです。じゃあこれは、相変わらずぼくのものでいいんですね? でもそうしたら、君にはどうやって気持ちを示したらいいんだろ!」
「テンガロンハット持ってませんか?」
クラウドは訊いた。しつこいやつだ。
「テンガロンハット? 悪いんだけど、持ってないなあ。でも、来年コスモキャニオン方面に行く用事があるから、そのとき本場のやつを探してみるよ」
セフィロスはもしその本場のテンガロンハットとやらが届いたら、クラウドの保安官ごっこにどれだけつき合わされるかしれないと考えて、早やため息をついた。それからみんな、汽車の時間まで、お茶とクラウドの母さんが焼いたベリーケーキと一緒におしゃべりした。
クラウドの母さんは、ふたりが帰ってから、ふたりについて例の毒舌を振るった。
「超お坊ちゃんとお嬢じゃない。世間知らずっていうか、純粋っていうのか。でも、ま、世の中幸せなことにあれで生きていける人間っているのよね。そういうのもいなきゃ、救いようがないわよ」
お次に、ホープニッツェル教授と、カドバン准教授がやってきた。
「わたしとは初対面ですね」
カドバン准教授はクラウドに手を差し出して、握手を求めた。
「でも、君のことはよーく知ってますよ。いろいろ聞かされたから」
カドバン准教授はいたずらっぽく笑った。
「君が新聞記者じゃないと知ったときは驚いたよ」
ホープニッツェル教授が肩をすくめた。
「だって君、どこからどう見ても見習い記者って感じだったからねえ!」
クラウドは目を輝かせた。
「おれの変装、うまくいってましたか?」
「大したもんだったよ。あのキャスケットとニッカポッカはよかった。伝統的なスタイルだからね」
クラウドはうれしくて、むふ、と鼻息を漏らした。
「われわれは、今日これからミッドガルへ戻るんだ」
教授が少し物憂い顔つきで云った。
「研究するものがなくなってしまったからね。でも、これでよかったんだと思っているよ。今度のことは、いい教訓になった。自分ひとりが責任を負えばいいと思って、こっそりものごとを解決しようったってそうはいかないってことだね。カドバン君やみんなに打ち明けて、調査を中止するべきだったんだよ。君も今回は、似たようなこと反省したんじゃないかな?」
クラウドは首をすくめた。みんな笑った。母さんは教授たちが帰ってから、
「そういえば、あんたの変装写真見たわよ! もう、胸がつぶれそうになるくらいかわいかった!」
と云った。
それから、ゲインシュタルトさんが来た。クラウドは興奮して、チョコボを見たいと云ったが、外に出るなんてまだだめ、と母さんが云ったため、渋々あきらめた。
「坊主、おまえ、ほんとにおれの下で修行する気ないかい? 坊主なら、いいチョコボ使いになれると思うんだがなあ! 奥さん、どうです? この仕事は、ちいっとばっか稼ぎがいいですよ。景気にもそれほどべらぼうに左右されるもんじゃねえし。息子さんに非常に向いてると思うんですがねえ」
これでクラウドは一日のうちに三つの職業に勧誘されたわけだった。整備士、新聞記者、そして馭者。
ピルヒェさんが書いた事件の記事が、翌朝のアイシック・リポート紙の一面に掲載された。「本紙独占! 貴重な古代種遺跡、失われる! 研究助手の暴走……その心の闇」セフィロスはベッド横の椅子でこれをクラウドに読んで聞かせながら、ピルヒェさんは社会派の本格記事も得意だが、こういうごてごてのゴシップ趣味満載の記事も実にうまいものだと評した。
「彼は楽しんでいるな。読者の好奇心をくすぐるポイントをことごとく押さえ、しかし文体の品位を保っている。やたらと過激なのは見出しだけで、中身は大したものだ。ミッドガルの新聞社に、こんな記事を書ける記者がいるかどうか」
クラウドはじゃがいものポタージュと、卵とハムのガレット、母さん手作りのフルーツグラノラ、それに薄く切った焼き菓子のシュトーレンを食べていた。彼の胃袋は、もうほとんど回復していた。
「ピルヒェさんって、すごいひとなんだね。あのひと、息子がいてさ、脚本家になりたいんだって……演劇の」
セフィロスは眉をつり上げた。
「文章家一家か。おれもそういう家に生まれていたら、なにかが違っていたかもしれない。書く文章の大半が、走行距離無慮千五百粁、などというものばかりでは気が滅入るというものだ」
「じゃああんたも書けばいいだろ。小説かなんか。こういうのどう? 主人公は男でさ、恋人が十も年下なんだ。で、すごくかわいらしくて、魅力的で、けなげで、いい子なんだ」
セフィロスはそんな人物では小説にならないと云った。クラウドは小説って、つまんないの、と思った。
「あんたさあ、毎日、外になにしに行ってんの?」
このところセフィロスが毎日のように何時間も外出しているので、クラウドは訊いた。
「いろいろだ。今回の事後処理やなんか」
「それって、おれに云えない薄暗い感じのこと? あと、そうだ、四次元ポケット見せてよ」
「まあ、なにもかも、おまえの具合がすっかりよくなったらな。ほら、熱を計っておけ」
クラウドは体温計をくわえたまま、顔をしかめてみせた。クラウドの熱は、もう六コンマ五、つまり、平熱だった。
その日もいろいろなひとが来た。クラウドはもうベッドから起きて、一階の居間でみんなを歓迎した。捜査局の面々が入れ替わり立ち代りクラウドのところへ来て、彼を励まして行った。ライオネル捜査官なんか、最後に敬礼までしてくれた。みんないいひとたちだった。自分の命が危険に晒される仕事をしているひとたちに限っていいひとが多いのは、人類の損失だ。クラウドはそう考えた。だって、みんな普通よりいいひとなのに、普通より高い確率で死んでしまう。ザックスだってそうだ。いいひとなのに、好んで自分の命を危険にさらしている。そのザックスは、エアリス嬢を連れて遊びに来た。クラウドの母さんはみんなにチェリーパイをふるまった。クラウドも食べた。わいわいやっていたら、呼び鈴が鳴って、ピエントさんが入ってきた。
「お客さんをお連れしましたよ」
ピエントさんの後ろから入ってきたのは、ずり落ち帽子の老紳士、エリック・エリクソンさんだった! セフィロスとクラウドとザックスはびっくりして目を丸くした。クラウドの母さんとエアリス嬢は、誰だかわからずきょとんとした。ザックスがふたりに彼のことを説明した。
「やあやあ、みなさん。このたびは、大変でしたね」
エリクソンさんは慣れた調子でコートを脱ぎ、例のずり落ち帽子を取って、ソファに座った。
「だけど、わっかんないなあ! なんでピエントさんがエリクソンさんと一緒に来るんですか? 知り合いなんですか?」
ザックスが明るく云った。
「推測してみてくださいよ」
ピエントさんが楽しそうに云った。
「いつだかみたいにね。あれがもう随分前のことのような気がしますな!」
セフィロスが独特の微笑を浮かべて口を開いた。
「推測するに、エリクソンさんこそ、この保養地の所有者なのではないでしょうか? あなたは一般には、エリック・ヴラデミロスの名で通っている、事業家の方だ。より正確に云えば、ヴラデミロス・ガス会社の会長でしょう。総従業員数四万人を超える、アイシクル一の巨大企業です」
「……すごい」
ピエントさんがぽかんとした顔で云った。
「また当たりましたな」
エリクソンさん……否ヴラデミロス老会長は、目を細めて微笑み、クラウドの母さんがくれたお茶をすすった。
「まあ、そういう見方もできますね。それはもちろん、わたしの一部ですが、全部ではありませんよ」
「他にもありますよ。クラブS・O・Nの会長もあなたでしょう?」
セフィロスがにやつきながら云った。
「まあね」
ヴラデミロス会長は肩をすくめた。
「そういう一面もありますねえ、確かに。わたしはヴラデミロス家の養子ですから。もともとの名字はエリクソンです。そして、わたしはこの名字にいまだに深い愛着を持っていますよ」
「エリクソンさん!」
ザックスが叫んだ。
「ひとが悪いなあ! 云ってくれればよかったのに」
「云われてわかったか?」
セフィロスが意地悪を云った。
「ま、なんのこっちゃらわかんなかったけどさ」
ザックスはひとがよさそうに肩をすくめた。
「ピエントさんからずっと、いろいろ話を聞いてましてね。君の具合がよくなってよかったですよ。心配してましたからね」
エリクソンさんはクラウドに微笑みかけた。クラウドはちょっと恥ずかしくて肩をすくめた。まったくみんなにこんなふうにもてはやされると、調子が狂ってしまう。クラウド個人の見解としては、クラウドをもてはやすのは、母さんとセフィロスで十分だった。
「しかし、わたしは感心しましたよ。いまどきの若い子の中にも、まだこういう勇気と狭義心のある、気骨のある子がいるんですね」
「やだなあ、エリクソンさん。素直に無鉄砲だって云っていいんですよ」
ザックスが混ぜっ返した。エリクソンさんは笑って、親しげに首を振りながら、クラウドの母さんの方を向いた。
「きっと、あなたの育て方がよかったんでしょうね。差し支えなければ、どのように教育なさったのか教えていただけませんか? 従業員を抱える手前、わたしは教育というものに非常に興味を持っているのです」
クラウドの母さんは編み物の手を止め、肩をすくめた。
「別に特別なことはなにもしてないけど……この子になんかあるとしたら、それは純粋にこの子の持ち物だと思うし。あたしが伸ばしたわけじゃないし、縮めたわけでもないし。損なわないように注意しただけで」
「それがなかなかできないんですよ……普通はね」
クラウドの母さんはもう一度肩をすくめ、エリクソンさんに、一緒に昼食を食べるかどうか訊いた。いただきますということだったので、クラウドの母さんは準備のために台所へ行った。
「実は君を勧誘に来たんですよ」
エリクソンさんはクラウドの母さんが作ったチーズオムレツを猛烈においしいと云ってから、クラウドに内緒話をするように話しかけた。
「ピエントさんから、君がたいへん器用だという話を聞いてね。実はうちの工場で、ガスを掘り出すための新しい機械を開発することになったんです。そうじゃなくても、うちはいつでも優秀な技師を求めてる。生来手先が器用なのに加えて、粘り強くて、こだわり屋で、意志の強いのは、いい技術者になります。経験からして、これは間違いない。君は、どうもそういう子だと思うんですね。ですから、その気があれば、うちの会社に入ってもらって……もちろん、君が傭兵のままでいたいというなら、いいんですよ。でもその仕事は一般に云って危険が大きいし、決して軍隊をばかにするわけではありませんが、君のようなひとがそういう種類の仕事に就いているのは社会的に大きな損失です」
クラウドはこれで、都合四つの職業に勧誘されたことになる! クラウドはすっかりこんがらがってしまった。セフィロスは笑い出した。クラウドの母さんはにやにやした。ザックスは「ひゃあ! 閣下ったら、モッテモテ!」とやじを飛ばし、クラウド本人は顔をしかめ、頭をかきむしった。だって、こんなに悲しいことがあるだろうか? クラウドは傭兵をやっている。自分で選んではじめたのだ。でも、その分野では彼はほとんど注目されない。それなのに、いわば本職以外の職種には、こんなに重宝がられるなんて! クラウドはうなった。そして、ちょっと考えさせてください、と便秘のときの女のひとみたいな顔をして云った。エリクソンさんは、「まあ、急ぎませんよ」と云い、「しかし、おいしいオムレツですね!」と叫んだ。
「あたしに社員食堂のコックかなんかの口ありません?」
クラウドの母さんが云った。みんな笑い転げた。
クラウドがほとんど恢復したので、セフィロスはクラウドと同じベッドで安眠できるようになった。クラウドは母さんが持ってきた大きな星柄のパジャマを着て、ぶーたれていた。
「いらいらしちゃうよ。だって、誰もおれにいまの仕事続けなさいって云ってくれないんだ! おれこれでも、自分で仕事選んだんだよ! それなのにさ、みんな別の仕事ばっかり薦めてきて、ばかにしてるよ! おまけに母さんまで、まああと二年くらいぶらぶらしたっていいんじゃないなんて無責任なこと云うし」
セフィロスは穏やかに微笑した。
「だが、クラウド」
彼は静かに云った。
「結局、決めるのはおまえなんだ。周りの人間は、好き勝手に云う。でも、決めるのはおまえだ。おまえの人生だから。仕事も恋人も家も家具も、自分で選べる。でも、選ぶということには、ほかを切り捨てるということがともなう。そこを越えるのに、長いことかかるんだ。おれは十年近くかかった」
クラウドはぼんやりした顔でセフィロスを見た。セフィロスはうなずいた。
「いいんだ。おまえはおまえの気持ちにだけ従えば。いつか、自然にいまの仕事を辞めたいと思うかもしれない。それか、やればやるだけはまりこんでいくかもしれない。そんなことは、おまえくらいの年齢と経験で、判断しろと云うほうが間違っている」
クラウドは、ちょっと泣きそうな顔をした。こういうことを云ってくれるのがセフィロスだった。セフィロスは、自分が散々悩み多き人生を送ってきたので、他人の迷いや優柔不断に、すごく優しいのだった。手出ししないで、ただ黙って、あるがままに任せて、見ていてくれる。母さんと、根っこは同じだ。でもちょっと違う。経験と、感じ方の差で。
クラウドはセフィロスに向かって腕を伸ばした。彼はこちらを抱きこんで、ぎゅっとしてくれた。クラウドはベッドに潜りこんで、うとうとしながら、セフィロスと一緒にいられるって、なんて運のいいことなんだろうと思った。