あやしい雲行き

 

 二日が経った。クラウドはピエントさんと協力して、コテージのすぐとなりに鳥用の餌台を設置したし、近くの村でスケート靴を作ってもらうために、型をとった。彼はほかにも、木板をくりぬいて的をこしらえ、それでガス・ピストルを撃つ練習をした。パチンコを作ってそれで枝の雪を落としたりもしたし、鉄道模型を部屋中に広げて、がたごと走らせたりもした。
 ザックスは退屈で死にそうだと云いながら、毎日昼寝と料理に精を出した……もっとも、ザックスには頻繁に電話がかかってきた。ミッドガルに取り残された同僚や部下たちが、しきりに相談を持ちかけたり、指示を仰いだりするからだ。彼にかければ、ついでにセフィロスあたりにも話がいくだろうと踏んでのことだった。あんまり相談ごとが多いので、ザックスは同僚のひとりに訊いた……「なんでこう、おれが休みのときに限っていろいろ起きるんさ?」
 同僚は笑って、おまえは運が悪いんだ、と云った。あまりのことに、ザックスはプレジデントに帰りたいと直談判したが、却下された。プレジデントにとっては、ザックスの仕事や、ソルジャー全員の仕事より、セフィロスのほうが大事だったからだ。そのセフィロスはというと、本を読むこととときおりあたりの風景をキャンバスに描いてみるほかは、散歩ばかりしてまるでなんにもしなかった。でも彼は、この生活を心から満喫していた。彼は、自然の中にいることを愛していた……。
 そして今日も今日とて三人はセフィロスとクラウドのコテージに集まって、シェフザックスの今日のおすすめランチを食べ(この日はメカジキのソテーをメインディッシュとした、野菜たっぷりヘルシーサラダプレートだった)、クラウドはデザートにピエント夫人からもらったリンゴも食べて、気だるい食後のひとときを過ごしていた。この日はここへ来てはじめての横殴りのひどい雪で、とても外へは出られたものじゃなかった。こんな日には、暖炉のある暖かい部屋でおとなしくしているに限る。ザックスは、もう今日は自分のコテージに帰るのはやめて、ここへ泊まるつもりだった。
「そういや、スケート靴があさって出来るんじゃなかったっけ?」
 ソファに寝転がり、ヘッドホンを耳にあてがってなにやら聞いていたザックスが、ふいに云った。
「そうだ!」
 クラウドは飛び上がった。彼はとうとう本格的に鉄道模型にはまって、部屋いっぱいに広げてしまっていた。いま彼は、アイシクルエリアを走る鉄道のジオラマを作っていて、さっきまでぞっとするような音をたてて発泡スチロールの緩衝材を削っていたが、いまはおとなしく紙粘土で小さい羊をこしらえていた。
「取りに行かなくちゃ。おれ、スケートなんて久しぶりだ。子どものとき以来だよ」
「おれはぜーんぜん、やったことないね。まったくもって。氷の塊なんて、見たこともなかったよ。おれの麗しの故郷じゃあ……」
 ザックスの話は、残念ながらそこで中断させられてしまった。山羊の頭のドアノッカーが、コンコン鳴らされたからだ。
「ピエントさんかな? はいはーい、いま開けますよ〜」
 ザックスが陽気にドアを開けると、雪だるまが三体あった……いやいや、正確にはたたきつけられる雪のせいですっかり雪だるまになりかけているピエントさんと、ふたりの男だった。
「どうも突然すみませんな」
 ピエントさんが申し訳なさそうに云った。
「こんな天気の中よく来ましたねえ」
 ザックスが感心したように云って、三人を中へ入れるために一歩退いた。
「こんな天気? なあに、まだまだ。こんなの吹雪のうちにも入らないくらいですよ」
 ピエントさんは明るく云った。ザックスは窓からびゅうびゅう吹きつけている雪を眺め、思わず身を震わせた。
「それ、本気で云ってます?」
「本気ですとも」
 ピエントさんは請け負った。
「ほら、だから云っただろ」
 クラウドが不満げに口を出した。
「ほんとの雪っていうのは、どこから降ってきてるんだかわけわかんないだって。こんなちょっと斜めなくらいで騒ぐなんておかしいよ。何回云っても聞かないんだから」
「さよう、さよう」
 ピエントさんは云って、コートや帽子をぱたぱたはたいた。ふたりの男もおなじようにした。
「彼の云うとおりですよ。ほんとの雪ってものは、降るなんてもんじゃないんだから。めちゃくちゃにぶっとんでくるんですよ。ほんとに。もっとも、北国の人間でなきゃ、わからないことでしょうけど」
「ほんとかなあ」
 気のいいザックスは云いながら、温かいお茶を煎れるために台所へ入っていった。
 三人がすっかり雪をはたいてきれいになると、ようやくそれぞれがどんな格好をしているのかわかるようになった。ピエントさんは見慣れたチョッキとズボンで、おしゃれにきまっていた。そして一緒に来た男ふたりは、スーツ姿で、見間違いでなければ、警察のバッヂを身につけていた。ひとりはおそらくベテランで、黒くて濃い眉とひげの、でも優しそうな顔をした男だった。もうひとりは小麦色の襟足の長い髪、ひょろ長くて一見して都会派、おそらく三十を少し過ぎたくらいだろう。ベテランの方がコランダー捜査官で、ひょろっとした男がライオネル捜査官と名乗った。そしてふたりは警察ではなくて、国立捜査局の人間だと説明した。特殊な犯罪や事件を扱うために設立された機関で、警察からは独立している、ということだった。ふたりは緊張しているらしかった。たぶんセフィロスのせいだろう。本人にはそんなつもりがまるでないのに、セフィロスを前にすると、彼がいったい誰か知っているひとは、だいたい緊張してしまう。英雄なんて肩書きがついているものだから、みんな彼のことをなにか近寄りがたくて、威圧的なひとだと思ってしまう。ひとによってはもっと直接的に考える……どうせひと殺しが専門なんだ、と。クラウドはそういうのにいらいらしてしまう。それで、不機嫌になるのだ。
「みなさーん、お茶ですよ」
 お茶を運んできたザックスが、母さんみたいに陽気に云った。彼は身体があたたまるようにと、即席のジンジャーオレンジアップルその他ごたまぜフルーツティーなるものを作ってきて、みんなにふるまった。クラウドももらって飲んだが、すごくおいしかった。ザックスって、きっと舌が天才なのだ。
「腹減ってます?」
 ザックスはひとがよさそうな笑みを浮かべ、外からやってきた三人に訊いた。でもだれも減っていなかったので、彼は仕事から解放され、ソファに座った。
「お休みのところ申し訳ありませんな。こちらの捜査官さんたちが、みなさんにお話があるということなので」
 ピエントさんがのんびり云った。年輩のコランダー捜査官が小さくうなずいて、話を引き取った。
「貴重な休暇の時間を割いていただいて申し訳ありませんが……」
「まさか。それほど貴重でもありません。休暇という意味なら」
 セフィロスが微笑して云った。捜査官には意味がわからなかったので、同僚と目を見合わせ、曖昧に微笑み返した。
「では、さっそくですが。お話というのはほかでもない、先日、みなさんはコンチネンタルにお乗りになりましたね」
「そこで殺人があったとか?」
 ザックスが楽しそうに云った。
「殺されたのは金持ちの未亡人で……」
 クラウドがそれに続いた。
「犯人は愛人。未亡人が、結婚を拒んだんだ。愛人は財産が自分のものにならないってわかって、腹立ちまぎれにバーン!」
「犯人はおそらく、サイレンサーを使ったんでしょう」
 ピエントさんが楽しそうに云った。
「だから、車内のひとたちは気がつかなかったんですな」
「で、駅でなにくわぬ顔して降りて、行方をくらましたんだ。すごいなあ!」
 クラウドが目を輝かせた。
「お見事」
 コランダー捜査官が拍手をした。
「いまの間に事件がひとつ片づいた。シャーロックばりですね。今度ぜひ捜査に協力していただけますか、ええ?」
「喜んで」
 クラウドとザックスが声をそろえた。若いライオネル捜査官はくそまじめで、こういったおふざけは苦手だったので、決まり悪そうにみんなを見回していた。
「で、実際はなにが問題なんですか」
 セフィロスが微笑を浮かべて云った。
「盗難があったんですよ」
 コランダー捜査官はまだにやついていたが、うそではなさそうだった。ザックスが口笛を吹いた。くそまじめなライオネル捜査官はちょっと眉をしかめた。クラウドはそれを見て、このひとをからかったらおもしろそうだなと思った。
「誰のなにが盗まれたんです?」
 ザックスが陽気に訊ねた。
「当ててみませんか、名探偵?」
 コランダー捜査官はまだふざけていた。ザックスはひとがよさそうに両手を振った。
「考えたくもないですね」
 セフィロスが顔をしかめた。
「おや、ということは、もう答えがわかってますね?」
 捜査官はおどけた。セフィロスはうなずいた。
「ほんとですか?」
 ピエントさんがまたまた楽しそうに云った。あんまり楽しそうなので、ちょっと薄気味悪いくらいだった。
「んじゃ、ボス、またの名シャーロック、どうぞ」
 ザックスがにやにや笑いながら云った。シャーロックはパイプをくゆらせ……はしなかったが、相変わらず物憂い表情でザックスお手製のごたませティーをひと口すすり、口を開いた。
「たぶん、マティルダ嬢でしょう」
「……当たりだ」
 コランダー捜査官は微笑んだ。
「ほんとですか? 当たった? すごい!」
 ピエントさんは飛び上がって跳ねた。彼は身体が重かったので、隣に座っていた身体の軽そうなライオネル捜査官の身体も浮き上がり、ソファは苦しそうにいやな音を立てた。もっとも、壊れたところで問題なかった……修理に出すのもピエントさんだからだ。
「でも、どうしてわかったんです?」
 ピエントさんが飛び跳ねるのをやめて云った。
「予知能力で」
 セフィロスはまじめな顔で云った。
「ソルジャーになると、問答無用で未来を予知する能力が身につきます。誰かと握手をしただけで、そのひとの三ヶ月先まで見ることができる。わかっていました、彼女が盗難に遭うことは。注意しようと思ったが……」
「それ、ほんとですか? すごい」
 くそまじめが目玉をひんむいて云った。コランダー捜査官は大笑いした。
「アホ、冗談だ。おまえは少しシャレを勉強した方がいいぞ。そういうセミナーなんかがあるだろ。そんなことじゃあ、この先が思いやられる」
「捜査能力とは関係ないでしょう」
 くそまじめはむっとした顔をした。
「そういうところがだめだってんだ。人間関係をぎくしゃくさせるだけだよ。いやしかし、ほっとしましたよ。あなたが思いのほか気安いひとでよかった、サー……」
「それをつけて呼ぶのはやめていただきたい」
 セフィロスがぞっとした顔をした。
「震えが出ます」
 コランダー捜査官はまた大笑いした。彼は、俗に云うゲラらしい。ライオネル捜査官はますます居心地が悪そうな顔になった。
「しかしですね、どうしてわかったんです? セフィロスさん」
 ピエントさんがしつこく訊ねた。
「だいたい予想がつくでしょう」
「ところがですね、わたし、その方面の能力はさっぱり持ち合わせないもので、ぜんぜんわからないんですよ」
「単純なことなんです……ああ、そういう顔をなさらないでください。いいことを思いついたときの子どもみたいだ。母親をいやな予感でいっぱいにする。わかりました、白状しましょう。ほんとうに簡単なことです。話を聞いたとき、真っ先に彼女のことが思い浮かんだ。ひらめいたんですよ。で、それはなぜか考えた。かなりの確率で、直感は正しい。この直感をどう説明するか?
 われわれ神羅の、おまけに軍関係者に捜査官が話を聞きにくるというのはよほどのことだ。われわれがやった疑いが濃厚か、あるいは被害者……または加害者と懇意であることが判明しているか、もしくはなにか重要な手がかりが得られると確信しているか。ただ同じ汽車に乗っていたというだけなら、わざわざこんなところへ来ないでしょう。もちろん、われわれはやっていない。では、なにか重要な手がかりを握っているのか? だとしたら、われわれが親しくしていた人間か、おなじ駅で降りた人間かでしょう。降りたあとのことは関知していませんからね。さてここに、その条件をふたつとも満たしているひとたちがいる。そのひとたちは少なくとも金持ちですし、女性の方ときたら、善人ゆえにやや用心に欠けるところが見受けられる。いつかなにか起きると思っていた。いまだとは思いませんでしたが……やれやれ、理屈をつけると陳腐ですね」
「マル!」
 コランダー捜査官が叫び、両腕を上に挙げてマルをこしらえた。
「おいライオネル、そういうことだよ。おれがいつも云ってるのは。ひらめき。それから理屈だ。理屈はあと。おまえに欠けてるのはひらめきだよ」
「どうせ僕は発想に個性がなくて貧弱ですよ」
 ライオネル捜査官はいじけた。
「まあ、おまえ保守的だからなあ。でもそりゃあおまえのせいじゃないよ」
 上司は部下を励ました。
「素晴らしいですな、ほんとに」
 ピエントさんがにこにこしながら云った。
「わたしみたいな生活をしてますと、そういう能力を磨く場面も、発揮できる場面もまったくないもんでね。いやはや」
 彼はほんとにうれしそうに両手をこすりあわせた。コランダー捜査官が咳払いをした。
「さて、冗談はここまでにして、いい加減話を戻してと。盗まれたのは、彼女の鏡なんです。その……」
「ばあちゃんからの形見の?」
 ザックスが割りこんだ。
「そうです。その意味ではマティルダ嬢にとっては非常に大切な品ですが、残念ながら、ほかの誰かに盗みたいと思わせるほどの価値はさほどないらしいですね。似たような鏡は世界中で五万と見つかってるそうで……」
 コランダー捜査官は頭を掻いた。
「そういや、ボス汽車ん中でそんなようなこと云ってたね」
 ザックスが云い、セフィロスは苦笑した。
「あなたは、そういった方面に明るいので?」
 コランダー捜査官が眉をつり上げた。
「うちのボスは博学なんですよ。本の虫。ほっとくと、朝から晩まで本にかじりついて暮らしてる」
 ザックスがにやにやしながら云った。セフィロスは首を振ってたいしたことはないと否定した。
「そうですか。そりゃ結構なことですな。うちの息子も少しは書いたものに興味持ってくれると助かるんだが……話を戻しましょう。まあ、そういう、たいして価値があるわけではない鏡ですから、これが盗難に遭うというのはちょっと不可解といえば不可解なんですが、世の中ってのは、骨董品ってだけで価値があるもんと思って盗んでしまうようなのもいないわけではないし、古くて神秘的なものってのは、なんとなく価値がありそうに見えますしね。神秘的ってなら、うちのかみさんの家に代々伝わってるカメオブローチだって神秘的ですけどね。単に古いってだけなのに。で、その鏡ですが、持ち主の話によると、汽車を降りる直前には、確かにあったそうです。手持ちのバッグの中に入れてたそうなんでね。それで身繕いをしてから、汽車を降りたそうなんで。で、なくなったのに気がついたのは、汽車を降りて、婚約者であるマグリムさんの商売仲間の、ええーと……」
「ベアトリスさん」
 クラウドが云った。彼は目を真夜中の猫みたいに輝かせ、耳をダンボにして、ひとことも聞きもらさないよう細心の注意をはらっていた。
「ああ、そう、そのひと、そのひとの家に向かう途中のチョコボ車の中でした。バッグを開けたら、なかったんだそうですよ。当然、お嬢さんは動揺してバッグの中をひっかき回す。婚約者の青年は、どうしたんだと大声を出す。お嬢さんはますますパニックになる。チョコボ車は停車する。で、ふたりしてよくよく考えてみたところ、そういえば駅舎の中で、変な男とぶつかったことを思い出した。その瞬間にやられたんだ、と合点がいったお嬢さんは、すぐに地元の警察署に駆けこんだ。そのときにあなたたちをつかまえられればよかったのかもしれませんが、マグリムさんがあなたたちのことを思い出したのは、警察に事情聴取されてしばらくしてからだったそうですよ。まあ、致し方ないことでしょうね。気が動転しておられたんでしょう」
 セフィロスが同情もあらわに首を振った。
「惜しいことしたなあ」
 ザックスもため息をついた。
「おれたち、鏡が盗まれたとき、すぐそばのホームにいたのにさ! あのふたりと一緒に駅を出るんだったなあ! そしたら、あやしい動きを見せる男を見つけるや猛犬のごとく飛びかかり、はっしと取り押さえられたね。惜しいことしたなあ! おれ責任感じちゃうよ」
 ザックスは悲劇の登場人物みたいに、大げさに腕を顔に当て、胸をかきむしって嘆く真似をした。
「まあ、そんなことを考えてもはじまりませんよ」
 コランダー捜査官が優しい顔つきで云った。
「地元警察は、盗難事件ということで捜査を開始しかけたんです。しかし、マグリム青年の御尊父が神羅軍の関係者であること、そして、あなたがたの名前が出てきたところで、署長が両手を挙げ、われわれに話を持ってきました。おわかりかと思いますが、警察というものは……まあ、あなたたちとは、関わりあいになるのを避けたいんですよ。おわかりでしょ? われわれは、警察よりももう少し政治的な匂いの強い事件や、利権やら利害関係やらがややこしい事件を扱います。で、わたしたちふたりが今日こうして、遠路はるばるやってきたわけで」
 ザックスは肩をすくめた。セフィロスは妙な気を遣わせてしまって申し訳ないと云い、クラウドはなんだかよくわかったようなわからないような話なので、目をこすった。ピエントさんはザックスの作ったお茶をおいしそうに飲んだ。ライオネル捜査官は、表向き無表情でじっと座っていた。
「で、なにか参考になるようなことをご存じないでしょうかねえ。マグリムさんとその婚約者から、なにか参考になるようなことを聞かなかったでしょうか」
 セフィロスとザックスは考えこむような顔をした。クラウドは考えても無駄だとわかっていたから、考えるふりもしなかった。
「特になんもねえなあ……ボス、なんかある?」
「関係あるかどうか不明だが」
 ライオネル捜査官がメモ帳を片手に身を乗り出した。
「われわれの乗った汽車の中に、ミッドガル大学名誉教授のホープニッツェル氏がいたことはもうご存じですか?」
 ライオネル捜査官は上司を見た。上司はうなずいた。
「捜査の出だしの段階では、その人物がもっともあやしく見えたんですがなあ。なにしろ彼は、古代種文明研究では右に出るものなしというくらいの世界的な権威らしいですから」
 ピエントさんが「ほほーう!」と眉をつり上げて云った。
「そりゃあ、偶然にしてはすごい偶然ですね」
「でしょう? だから、真っ先に疑ったんですよ。彼が誰かひとを雇って盗んだんじゃないかとね。みなさんと同じ駅で下車しているし。でも警察が街のフラットにチェックインしていた教授を慎重に訪問し、事情聴取したところが、手荷物検査に快く応じたうえに、問題の鏡についてひとくさりやってくれたそうですよ。実は、その鏡に盗むほどの価値はないってお墨つきをくれたのは教授なんですが。マティルダ嬢に鏡が写っている写真がないかどうか思い出してもらって、そいつをわざわざ実家から送ってもらい、あちこちの専門家にもファックスを送って確認してみましたがねえ、だいたい似たような答えでしたよ。学術的、芸術的価値中の下、と。おまけにこの教授ときたら、子どものころに中耳炎にかかったもんで、片方の耳がほとんど聞こえない、いつもは補聴器をしてるが食堂車のようなところは雑音がうるさくて頭痛がしてくるので外していた、だからよその連中の会話なんぞ聞き取れなかったとこうきたもんだ。さすがにこれだけのことで聴力検査を依頼するわけにもいかんでしょう?」
「確かにそうですね」
 セフィロスが考えこむような顔で云った。
「証拠もないし、これ以上著名な教授をつつき回してもいいことはないんで、泣く泣くこの線はひとまず放置することにしましたよ。まあ、これで教授が犯人だったら、ちょっと単純過ぎて面白みがないといえばないんですが」
「じゃあ、第二の線ってのはなにかあるんですか?」
 ザックスが訊ねた。
「第二の線というか、いまはその駅でマティルダ嬢と衝突した男について聞きこみをしています。駅周辺で別の男とふたりで歩いているところを見た、という情報が複数件あるので、ふたり組で行動していたことはまず間違いないでしょう」
 ふたり組の泥棒かあ! 組織犯罪の匂いがするなあ、とクラウドは思った。彼が読んでいる冒険マンガとか、探偵マンガなんかでは、ふたり組ときたら必ずその背後には悪の組織があって、めっぽう悪い親玉がいるのだ。もちろん、クラウドは分別のある子だったので、プロの捜査官の前で自分の意見を口にすることは謹んだ。
「しかしトルギポリのような広い街で、たったふたりの男を探すとなると、大変でしょう」
 セフィロスが静かに云った。
「それがそうでもないかもしれないんです。どうやらそのふたり組、揃いも揃って容姿に著しい特徴がありましてね」
 ピエントさんがふたたび「ほほーう!」と云った。
「マティルダさんとぶつかったのは、背の低い男だったそうですが、これがびっくりするほど特徴的な鼻をしていて、まるで太い棒がついてるみたいに丸っこく飛び出していて、赤鼻だったそうです。もうひとりの男の方は、のっぽで、こいつがどうもまれに見る面長だったらしいんですなあ。端的に云えば馬面ね」
「変な泥棒」
 クラウドは思わず口に出して云った。
「まったくね」
 とコランダー捜査官が相槌を打った。
「とにかく、いまはこの二名の行方を追ってるところです。手がかりがほかにないんでね。それはそうと、ちょっとはっきりさせときたいんですが、マティルダさんの話によると、あなたがたは食堂車で、盗まれた鏡を見せてもらったんでしたな。その……昼食の後に」
「丸くて、きれいなやつね。昼飯のあとでしたよ。つい話しこんじゃって」
 ザックスはそう云って、台所へ引っこんでいった。もうおやつどきだったので、なにか作って出すつもりなのだ。
「そのとき、食堂車にはほかにどんな人物がおりましたか? なにしろ食後には乗務員連中は散り散りになってましたし、肝心な被害者ふたりの記憶はどうもはっきりしませんでねえ。ほかの乗客ひとりひとりに当たろうにも、みんなあっちこっちに散らばってしまってるもんで」
 セフィロスは首をかしげた。
「乗客の、半数近くは残っていたと思います」
 クラウドが立ち上がった。なにも云わずに出ていって、スケッチブックと空色の鉛筆を持って戻ってきた。そして、それを開いてなにやら描きはじめた。
「君、なにを描いてるんだい?」
 ピエントさんが相変わらず楽しそうに訊いた。
「図面を引いてます」
 クラウドが丁寧に答えた。
「おれ、こういうの得意なんです。機関車とか、建物とか……機械の図面なんか引くの。見たら覚えちゃうんです。ちょっと待っててください。これができたら、セフィロスに誰がどこにいたか答えさせます」
 最年少の少年が上官をこき使うようなことを云うので、その場にいたひとたちはちょっとびっくりした。ことにくそまじめは礼儀正しい男でもあったので、自分の上司に対してそんなふうに云うことはないんじゃないかと思った。
 クラウドはしばらく黙々と空色の鉛筆を動かした。大人たちは、この少年の仕事を待った。
「できました」
 彼はそう云って、テーブルの上にスケッチブックを広げた。食堂車の俯瞰図で、長方形の外枠の中に、テーブルや窓の位置が、実に正確に描かれていた。セフィロスはクラウドから空色の鉛筆を受け取って、テーブルひとつひとつに人間の代わりに円を描きはじめた。
「われわれはここに座っていました。マグリム青年とマティルダ嬢は、確かここのテーブルにいて、われわれの横のテーブルに移動してきた。ホープニッツェル教授はここのテーブルにいて、食後しばらくはテーブルに残っていましたが、いつの間にかいなくなっていた……」
 セフィロスが、名前がわかる乗客には名前を、そうでないひとには、その特徴を書きこんだ。捜査官とピエントさんは、乗客名簿を取り出し、それと照らし合わせながら感心したように眺めていた。
 ザックスがうきうきした様子でお盆を運んできた。焼きたてのブラウニーと、トフィーが乗ったやつだ。ザックスは、たとえばウィリアムソンさんのように本物の給仕みたいにうやうやしくお盆からお菓子をテーブルに移し、それぞれのカップに新しいお茶をたっぷり注いで回った。そうしていると、ザックスはもともとシェフか、レストランで働いているひとみたいに見える。少なくとも、飲食産業に従事しているひと。ザックスは、そういう仕事に就くべきだったのではないだろうか?
「でも、おれはやっぱりその教授の存在が気に喰わないなあ」
 シェフザックスは動き回りながら云った。
「だいたい、偶然って、そうそう頻繁に起こらないですもんね。ドラマとか、映画の中みたいには……たまたま盗難に遭ったブツの専門家が、同じ汽車に偶然乗りあわせてたなんて、変な感じだなあ。なにか、おれらで役に立つことってあります? 割と使えますよ。ボスは一度見たものはなんでも覚えてるし、おれは特殊部隊並みに隠密行動が得意だし、閣下は銃撃と、ありとあらゆるほめられたもんじゃない悪戯と、ほかいろいろできるし」
「そりゃ心強い。もしかすると、お手伝いをお願いすることもあるかもしれませんよ。捜査状況は随時お知らせすることにします。規則じゃだめなんですが、あなたがたならいいでしょう。はなっから、法ってものを超越してるからね」
「賭けてもいいけど」
 捜査官二名とピエントさんが帰ったあと、ザックスはにやつきながら云った。
「おれたち、巻きこまれるよ。ぜーったい」
「なぜそう云いきれる」
 セフィロスは眉をしかめて云った。
「あの捜査官たちはきっと有能だ。さっさと盗難事件を解決するだろう」
「そりゃあさ、あのひとたち、きっとやり手っしょ。でも、そういう問題じゃねえなあ、おれが云いたいのは。だってさあ、ボス、君、失意のマティルダ嬢と、ショックを受けてる婚約者を抱えた青年に、慰めの手紙のひとつも書かずにいられますか? 第一章、ボス、手紙を書く。第二章、失意の会見。ぜったいそうなる。手紙を読んだふたりは、感謝の電話か、手紙よこすよ。そしたら、会うことになるね。間違いなく」
 結局、ザックスの云うことは、ことごとく当たっていた。マグリム青年とマティルダ嬢はまだトルギポリにいて、親切にも部屋を提供してくれていた商売相手のベアトリスさんのところから、ホテルへ引っ越していた。もしかしたら、奪われたものが戻るかもしれないという儚い望みを抱いて、もうしばらくねばっているつもりなのだ。セフィロスはどうしたって手紙を書かずにはいられなかったし、心のこもった手紙を受け取って、それに返事をしない人間がいたらそれはひとでなしというものだ。セフィロスは、どうあってもこの地を離れ、ひとこと見舞いを云わねばならぬ、と重苦しい口調で云った。ザックスは「そりゃ当然ね」と云い、クラウドはガス・ピストルを構えて「バン!」と云った。

 

←前へ もくじ 次へ→

 

close