名字の問題に加え、戸籍の問題が浮上すること

「大変申し訳ないことがわかった」
 セフィロスが深刻な顔でそう云ったとき、クラウドはソファでうたた寝から目覚めたばかりで正直とても眠くて、あまり話したい気分じゃなかった。だから、返事が邪険になった。
「なに?」
 セフィロスはクラウドの横に座って、相変わらずおそろしく深刻な顔をしている。
「クラウド」
「なに? 愛してるって? 知ってるよ」
「ばか話をしている場合じゃない。わりと一大事だ」
「ばか話ってなんだよ……ああそういえば、おれも話があるんだった」
 クラウドは目をこすって、だらりと伸びていた身体をちゃんと元に戻した。今日どうしてこんなにくたびれたのか、思い出したからだ。
「あんた先に話す? いいよ、なに」
 クラウドの話は、すごくいい内容のものだ。セフィロスだって、笑い出すにちがいない。だからクラウドは、できれば自分の話は最後にとっておきたかった。
「実は」
 セフィロスはそこでことばを切って、すこし云いよどんだ。クラウドは顔をしかめた。
「なんだよ。やけにシリアスぶるなあ。なに? 実は結婚できませんとか?」
 セフィロスがなんとも云えない苦い顔をした。
「……正解かもしれない」
「……うそ」
 クラウドは冗談でなく飛び上がった。なんだって? そんな話があるだろうか? 数日前プロポーズしたときは、セフィロスだってすっかりその気だったし、彼があとから実は……なんて話を持ち出すほど間の抜けたところがあるなんて、考えたこともなかった。
「なに? どゆこと? あんたもしかして知らないあいだに結婚させられてたとか? 実はサイボーグだったとか? 隠し子がいたとか? あのさ、二番目はともかく、一番か三番なら、おれ略奪愛って一度やってみたかったからぜんぜん問題な……」
「……すこし黙ってくれ」
 セフィロスは眉をしかめて、クラウドの口を左手で覆った。ちょっと疲れているみたいだった。クラウドはおとなしく黙った。黙りたくなんかなかったけれど、セフィロスの様子がほんとうに話は深刻だというのを、伝えていたから。
 セフィロスは朝、今日本社に行ってくると云っていた。クラウドはそのまま出勤してしまって帰ってきたらセフィロスがいなかったから、なにかすごく長い話でもしているんだろうと思った。ソルジャーたちか、もしくは重役たちと。なにしろ、セフィロスはいなくなろうとしている。神羅から、永遠に。それはたぶん、とても大変なことで、クラウドには想像もつかないくらいきっと大変なことで、でもクラウドはセフィロスをすごく愛していたから、どうしたってセフィロスに軍をやめてもらわなくちゃいけなかった。セフィロスと彼の肩書きを、決別させなくちゃならなかった。だから、結婚を持ち出した。セフィロスに、ふんぎりをつけてもらうために。クラウドか軍への責任か、どっちか選びましょう。そうしてセフィロスはクラウドを選んだ……当然だけれど。だからあとは、その結婚を現実にするために動くだけだ。セフィロスはそのために、本社に行ったはずだ。それなら、いったいなにごとが起きて、結婚できないかも、などと云うのだろう?
「……今日、本社に暇をもらいに行ってきた」
 セフィロスはクラウドの口をふさいでいた手をはずした。
「……うん」
 クラウドはおとなしくうなずいた。
「それはまあいい。どうせもともとまともに仕事なんぞしちゃいなかった。交渉の後半は脅しめいていたがそれもまあいい。最終的には、社長やらハイデッカーやらをうなずかせたから、ひとまず解決だ。さて問題は、だ。おれの誕生日は?」
 クラウドは眉をしかめた。
「知らない。だってあんた知らないって云ったじゃないか。おれといっしょにやるんだろ、八月に」
「では、血液型は?」
「…………気にしたことなかった。あんたの血が緑色でも、別に驚かないかも」
「さて、じゃあおれの名字は?」
「……………………」
 クラウドはなにか云おうと口を開いて、それから閉じた。目をしばたいて、そうして髪の毛をつかんで引っぱった。
「おれ、ばかだ! ぜんぜん気がつかなかった! っていうか、気にしたことなかったよ、あんたの名字なんて! てっきり、なんかあるもんだとばかり思ってたんだ。だいたいおかしいよな、誕生日も血液型もわかんないなんて……うわあ、あんた、もしかして戸籍とかないの?」
「よく気がついた、いい子だな。さすがにおれでも、これを自分の口から云うのはちょっとばかりぞっとするところだ」
 クラウドはびっくりしすぎて、笑いだしてしまった。
「戸籍ないとか! あはは、あんた、規格外だなあ。本気? 本気でないの? うけるね、あんた」
 セフィロスがちょっといやそうな顔をした。でもクラウドは笑いが止まらなかったから、しばらくげだげだ笑って、そうして呼吸を整えた。笑いすぎて涙が出そうだった。
「おまえが笑ってくれておれはうれしい。泣かれるか腹を立てて家出されるかしたらどうしたものかと思った」
 セフィロスはあきれたようにため息をついて……でもそれは、だいぶ安堵の色が混じっているものに感じられた。
「だって、あんたのせいじゃないだろ、それ。考えたらたぶん、腹立つけどね。あの会社、とことんなにしてるんだろ? ていうかあんたもそれ、いままで知らなかったんだ?」
「知らなかった。気にしたこともなかった。だいたいおれは、役所的な手続きをいっさいしたことがないからな……納税だの、住所の書き換えだの」
「ああ……わかるよ。そういうことしてるあんたなんて、想像できないしね。だいたい、そういうまともな世の中に組みこまれてるあんたも想像できない。ある意味、あんたらしいと思うよ? 思わない? おれそういうわけわかんない話、好きだな」
 クラウドはとなりの身体にもたれかかった。
「っていうか、おれ自分にもびっくりだ。なんの名字になるつもりだったんだろ? もしこれでさ、あんたの名字がすごく恥ずかしいやつとか、ださいやつだったりしたら、どうしてたのかな? なあ、おれってばか?」
「……ときどきな」
 セフィロスの手がクラウド自慢の金髪をくしゃっとなでた。
「おれもばかだが」
 クラウドはちょっと笑った。
「そうだね。ふたりともばかでちょうどいいと思うよ。でも、結婚するにはとりあえず、籍がなきゃお話にならないよ。どうしよう? ザックスってそういうこともどうにかできる? 無理? 無理だよな? あ! そうだ、あのひとは? ほら、本社の六十二階でいっつも書類整理してるミッドガル市長。あのちょっと卑屈になっちゃってるかわいそうなひと。おれあのひと、いつか爆発すると思う」
「……ああ。ドミノ市長か」
「ドミノ? あのひとそんなしゃれた名前なの?」
「ドミノがしゃれているか?」
「しゃれてるよ、あの世代とあの顔にしちゃ。だって、あのひとってなんか、腹痛起こしたパグ犬みたいな顔してる」
 セフィロスは、なにも云わずにため息をついただけだった。
「とにかくさあ。そのひとにお願いしたら、戸籍とか作ってくれないの? でも登録する前に、名字決めないとな……うーん……なにがいいかな……」
 Aから順番に、アルファベットを並べていってみる。すくなくとも、ローコヴェンハウムなんて長ったらしい名字だけはごめんだ。しばらく考えたけれど、クラウドはぜんぜん思いつけなかった。
「それも問題だが、おまえの話というのはなんだ?」
 頭を捕まれて、上を向かされる。セフィロスがちょっと苦笑いしている。
「ん? ああ、そうだ、おれ、今日で退社になったよ」
「はあ?」
「退職願い書いて出したんだ、今日。それで、上官に持ってったら、速攻で受理されて、云われたんだよ……君が望むなら、もう明日からこなくてもいいんだが、って。まあ、前々からいなくなれって雰囲気、出されてたからね。せいせいしたんだろうね。おれ、そうですかって云った。で、もう今日づけでただのひと。最後だから、ロッカー壊してきた。ほかにもいろいろしたけど、ちょっと内緒。どうせそのうちザックスから聞かされると思うけどね。楽しみにしといて。だからさあ、おれ、どうしてもあんたと結婚しなきゃ困るんだよ。だって、このまま宙ぶらりんのプーのクラウドくんになるなんて、いやだよ。しかも名字がローコヴェンハウムだよ? 最悪だよ」
 セフィロスが笑いだした。
「おまえが一番気にしているのは、どうもその長ったらしい名字だという気がしてきた」
「間違ってはないね」
 クラウドはセフィロスの膝の上に倒れて、ため息をついた。
「世の中、うまくいかないもんだね」
 セフィロスは小さく、そうだな、と云った。

 セフィロスが本社に来るというので、ザックスは珍しくちゃんと朝から出勤した。重役連中との話しあいを終えて、大いに精神力を消耗した彼は、ちょっと科学部門に寄ってから帰ると云ったセフィロスを残し、ガハハやキャハハとのやりとりで疲れきった心を慰めるべく、恋人のもとへ向かおうとしていた。
 エレベーターで降りる途中、セカンドソルジャーがひとり乗ってきた。手を挙げて挨拶する。
「おいっす」
「あ、お疲れさまです。今日出社だったんですか」
「まあね」
「じゃあ、あの話ほんとうだったんだ」
 ソルジャーくんは首をかたむけた。
「話?」
「あれですよ、うわさのストライフ、今日づけで退社したってやつ。なんか、退職願い受理されたらしいですよ、ついさっき。んで、なんか、いろいろやらかしたみたいで……それじゃないんですか?」
 ザックスは口を開け、両手で頬をはさんだ。
「……まじで? うっそ、おれ知らねえわ、それ。今日ずっと上層階に鎮座ましましてたから。それ、いまの話?」
「たぶん。なんか騒いでましたよ? 訓練所のほうで」
 エレベーターを降りると、ザックスは大急ぎでバイクに飛び乗って、軍施設がかたまっているエリアに向かった。閣下のくそったれめ! やめるんならやめるって、先に云え! そうしたらザックスさまがぜんぶ穏便に済ませてやったのに、どうしてあいつはこう、肝心なところでひとに頼るとかいうことをしないんだろう。
 施設の入り口は厳重な警備体制になっていて、監視カメラ、銃を持ってうろつく兵士、ご丁寧に電流の流れる鉄線、戦車でもぶち破れないゲート、などが出迎えてくれる。問題なく通り抜けて(当然だ)、一番手前のビルに駆けこむ。ここには神羅カンパニー総務パート二があって、軍関係の書類は全部ここに集約されて、それから各上官なり、ソルジャーなりに振りわけられることになっている。ザックスは無遠慮に総務のドアを開け、ずかずか歩いていって、奥の個室に向かって大声を上げた。
「ハアーイ、ミス・ロジェット、ちょーっと教えてくんないかな?」
 ほとんどのフロアで、各部署の一番奥のスペースは、役職のある社員の個人的な執務室にあてられることになっている。ザックスは擦りガラスのドアをノックして、ばかでかい机で書類に目を通しているブルネットの女性に話しかける。ミス・ロジェットは肩書きこそミスだけれど、総務の大御所だ。もう三十年近く神羅に勤めていて、二十七年前に、盛大なラブロマンスをやらかして二週間失踪して以来、乙女の心を凍りつかせてしまった。いまでは立派な中年女性……服のサイズも、ここ三十年で大いに変わったにちがいないと思わせる。
「なあに、いま忙しいのよ、わたし」
 ちょっと低めの声。メガネ越しに、きっとにらみつけられる。ザックスはでも、そんなことじゃあへこたれない。ミス・ロジェットはこれで、すごくいいひとだ。ほんとうは実に気が小さいので、いつも周りを威圧して、先手をとっておかないと、とても正気じゃいられない。それだけだ。
「存じております(ザックスは敬礼した)。大変申し訳ございませんが、ひとつ教えていただきたいのでございますが」
 ミス・ロジェットはおそろしくめんどくさそうに手を振った。
「ふざけてないで、さっさと云いなさいよ。いまのとこ、あなたに関係ありそうな書類なんて来てないわよ」
「おれじゃないんだ。問題児の友だちのほう」
 ミス・ロジェットはため息をついた。同時に、眉間に細かなしわがいくつも刻まれる。
「ストライフ? 来てるわよ。いま来たの。ロッカーの破損被害届けと、ベルクマン教官の個人ポストにパイがぎゅうぎゅうづめで使用不可になってるってのと、寮のトイレにバナナの皮が大量発生してるっていうの、ドアというドアにケチャップの瓶がしかけられてて、何人かがケチャップまみれになったあげくに、床が瓶の破片だらけになってるっていう報告もあがってるんだけど、これ、関係あるかしら? ある? そうでしょうね。こんな芸当、普通思ってもやらないから」
「……ごめんなさい」
 ザックスは謝った。
「あなたがやったわけじゃないでしょ? よくあることよ。辞めていく子が憂さ晴らしにもの壊したり、落書きしたりなんてのは。バナナとパイとケチャップはちょっと聞いたことないけど。なかなかユーモアのセンスがあるんじゃない? あたしに云われてもうれしくないだろうけど。それから、あなたこれちょっと説明してくれる? あなたのお友だちの退職届け……この退職理由の欄だけど。そのままの意味でいいの?」
 ザックスは、ぺらぺらした紙を受け取った。正真正銘の退職届けだ。紙じたいは何度も見ている。これをそっと差し出してきたやつが、何人かいたっけ。そしてついに閣下もこいつをたたきつけてやめてしまった……ザックスは感慨深い気持ちになって、その書類に目を通した。そうして、その美しい感情をひどく害された。退社理由欄に書かれていたのは、「ことぶき」という文字。ザックスは腹がねじり切れてしまうかというほど笑った。フロアのすべての人間が、ぎょっとしたようにこちらを振り返ったのがわかる。
「ばかだ、あいつばかだ。しかも字書けてねえし、まじばかだ、あいつ」
 ザックスはミス・ロジェットにすいません、と云ってまた笑い転げる。ことぶき! そうだあいつの場合は寿退社だ。ぜんぜん、間違っていない。おめでた、とか書かないだけまだ良心的というものだ。さんざん笑ってから、ザックスは書類をミス・ロジェットに戻した。
「これであってる。あいつ、結婚するらしいから」
 ミス・ロジェットは眉をつり上げた。
「それ、もしかしてサーとそうするつもり? 別に個人的なことに首をつっこむつもりないけど、法律的に難しいと思うわよ。あのひと、戸籍ないもの。もろもろ隠蔽が大変なのよ。税金とかね」
 ザックスは口をOの字に開いた。

「どうかしてるよな」
「どうかしてるよ」
 ザックスはまじまじとセフィロスを見つめて云った。クラウドも相づちを打つ。
 セフィロスの部屋は、何度来てもすごく広いと思わずにいられない。ゆったりした間取りのリビングに、これまたゆったり配置されたソファとテーブル、ほとんどクラウドのためだけに購入されたでかいテレビ、アクアリウム、ダイニングテーブル。使っている本人がでかいから、部屋がでかいというのは当然のことではあるけれども。
 ザックスは突如浮上したセフィロスの戸籍問題について討論するべく、ここへやってきた。ほかにも云いたいことや訊きたいことは山ほどあったけれど、どれかに的を絞らないとどれもこれも中途半端になりそうだった。
「とにかく、戸籍がないってのはどうかしてる」
 ザックスはソファにふんぞり返って力強く云った。その下に敷かれた絨毯に寝転がってゲームに興じているクラウドが、「どうかしてる」とオウム返しにつぶやく(彼は正直なところ、話しあいは苦手だ……すぐに飽きてしまうから。ゲームは眠気防止だ)。
「おれもどうかしているとは思うが、これはおれのせいなのか?」
 セフィロスが首を傾けた。
「……いや、あんたのせいってわけじゃないと思うけどさあ……誰のせいかっつったら会社のせいで、もっと限定すりゃあ科学屋のせいだろうけど……ミス・ロジェットがな、あんたの給料、会社の税金対策に使われてるんだって教えてくれた。寄付扱いだって。だからあんな法外なんだ、あんたのお手当」
「……そうか。節税という方面からは効果的な方法だと思うができれば知りたくなかった」
「おれもだ。っていうかさあ、そもそも、あんた気づこうよ? 三十年生きててぜーんぜん、そういう疑問持たなかったわけ?」
 セフィロスは反対側へ首を傾けた。
「法律だとか国家だとか、国民の義務だとかいうのは好きじゃないし、興味もなかった。知りもしなかったしな」
 ザックスはため息をついた。
「まあ、あんたそういうひとだよね。わかってた気がする、おれ。だけど、どうすっかなあ? いまさら戸籍って、作れんのかなあ?」
「クラウドが、ドミノ市長に頼んだらどうかという案を出しているんだが」
「おっ、閣下にしちゃあ頭使った……っておい未来の新妻、ゲームしてねえで混ざれよ、あほたれ」
 ザックスが脚を伸ばして、下に転がっているクラウドをつついた。いまいいとこ、という返事が返ってくる。ザックスはふざけるなと云うかわりに、クラウドの背中に両足を置いた。
「そのままちょっと踏んで。腰のあたり。こないだテレビでそういうマッサージやってた」
「ああ? 内蔵つぶれるほど踏んだろかこら」
 ぐいぐいと力を入れて踏みつけると、クラウドはぎゃあぎゃあ騒ぎだした。
「呼吸できません、かんべんしてください」
「ゲームをやめて話に混ざりたまえ〜、混ざりたまえ〜」
「混ざります混ざります……ちょっとセーブしといて。下準備してくる」
 ザックスの手の中にゲーム機を投げつけて、クラウドは部屋を出ていった。そうして、コーラの二リットルボトルと大量の菓子袋を抱えて戻ってきた。テーブルの上に盛大にぶちまける。これでひとまず、話しあいのスタイルは整ったことになる。
「んでなんだっけ?」
 クラウドがテレビをつける。まあ、仕方のないことだ。クラウドに、なにかひとつのことに集中していろというのは、なかなかに難しいことなのだ。
「おまえ市長にセフィロスの戸籍頼もうなんていい線じゃねって話」
「だろ? でもどういう名字がいいか、ぜんぜん思いつかないんだ。昨日から考えてはいたんだけどさ。ていうか、セフィロスはセフィロスだよ。それ以外の何者でもなさすぎて、名字なんてあったら逆に変な気がする。いっそのこと結婚するのやめようか?」
 セフィロスは微妙な顔をした。
「……っていう解決策だと、こうなるんだ(と云ってクラウドは勝ち誇ったような顔でセフィロスを指さした)。おれにはおれで、申しこんだ責任あるし。これで結婚破棄したら、おれただのほら吹きのろくでなしになっちゃう。親戚のおっさんでさ、九回結婚してるのがいるんだけど、婚約破棄はその軽く倍はしてるっていう強者で、なんていうかもう人格破綻しててさ、おれああはなりたくない」
 そのクラウドの親戚とやらがどんなやつなのか考えたくもないが、とにかく結婚をやたらなことで中止するのはよくない……戸籍がない、というのがやたらなことに該当するのかどうか微妙な問題だけれど。ザックスは頭をかいて、ため息をついた。
「でもさあ閣下、これで、セフィロスと結婚なんかしたらなにがあるかわかんないってことがわかったわけだよな……ありがたいことじゃねえけど、もっとあとになってわかるよりはましだった」
 クラウドはコップに、表面張力がはっきりと目に見えてはたらくまでコーラを注ぎ、口をつけてすすり上げた。飲みこんでから、うなずく。
「そんなことずっと前からわかってたけどさ。おれ生きてるだけでありがたいと思ってるよ、ほんとに。よく三年無事だったと思う。とっくの昔に刺されるか、焼けた肉の塊みたいになるまでぶたれて、海に捨てられるかしてたかもしれないのに」
「ああ……うん。そりゃほんとだ」
 いくらザックスが面倒見のいい、神のように万能なお兄さんだったとしても、とてもじゃないが軍隊の中でクラウドを守りきるのは不可能だ。「セフィロス」の名前が出てくると(プラスの意味でもマイナスの意味でも)目の色が変わる連中によって、集団リンチなり殺害計画なりが実行されてもおかしくないわけで、事実クラウドは何度かそういう目に遭っているけれど、そのたびになぜか無事だった。おれ運はいいよ、と本人が云うとおり、たぶんそういう生まれつきなのだと思う。そうでもなきゃあ、セフィロスとつきあうなんて命がいくつあったって足りないし、普通のやつにそんな度胸はない。勇敢なのか無鉄砲なのか、単に意地が悪いだけなのかわからない。おかしなやつだ。でも、それくらいのやつじゃなきゃ、無理なのだ。世の中にとって特別な誰かとつきあうのは。
「おれほかにもいろいろ覚悟してるんだ。セフィロスが実は高性能な人造人間だったとか、宇宙人だったとか、ひっくり返したら女だったとか、髪の毛が別の生き物だったとか。そういうのに比べたら、戸籍なんてたいした問題じゃないだろ? でもおれ、名字が変わらないのだけはいやだ。こんな長ったらしい、書くのに時間かかる名字でいるなんて、この先一秒だって耐えられない。おれは五文字以上のつづりが覚えられないんだ! 発音もしにくいし。発音でいったらセフィロスのほうがしにくいけど」
 ザックスは話の途中から笑いだした。散々な云われようのセフィロスは渋い顔をしている。小声で、おれをなんだと思っているんだ、とつぶやいている。
「閣下さあ、おまえ結婚したいっていうか、自分の名字どうにかしたいだけだろ、実は」
「ばれた? 母さんの気が知れないよ。あんな名字でこの先一生過ごすのかと思うと、頭おかしいんじゃないかと思う。おまけに子どもまで作っちゃってさ。その子だってかわいそうだよ。あそこんち、ものすごく長い名前をつける伝統があるんだ。洗礼名は、最低でも三つ。おれのなんて、短すぎて名前って云わないって云われた、ばあちゃんに」
「うわさのやかまし屋ばあさん? そのばあさんの名前なんつうの?」
 ザックスは意地悪で訊いた。クラウドは頭をかきむしった。
「訊くなよ! アンナ・なんとかかんとか・なんたらかんたら・なんだかかんだかかんだか・ド・ローコヴェンハウムだよ」
 ザックスは笑い転げた。
「ほんと、ストライフは最高だったのに。おれっぽかったし」
 ザックスはそれはその通りだ、と云った。
「旧姓に戻すのって難しいんかねえ?」
「できないことないって母さん云ってたけど……でも母さんに訊かないと、詳しいことよくわかんない。母さん一回名字元に戻してるからね。父さん死んでから」
 ザックスはセフィロスを見て、クラウドを見、それからため息をついた。
「ちょっと閣下、母ちゃんにやり方訊きに行ってこい。だってさ、新しいの思いつかないんだったら、古いの使うしかねえだろ? しかもおまえその名字好きなんだったらさ。んで、ついでに結婚報告だ。どうせおまえ今日から暇だろ? ていうか、ひとに相談もなしにバナナばらまくとかそういう楽しいことすんのやめてくれる? おれだってばらまきたかった! トイレにバナナ!」
 セフィロスが怪訝そうな顔をした。
「トイレにバナナ?」
 ザックスはクラウドといっしょに笑い転げた。
「トイレにバナナ、ドアにケチャップだよ。な、閣下」
「おれほんとは、郵便受けという郵便受けに鳩を一匹ずつぶちこんでいこうかと思ってたんだ。公園から捕まえて。でも、鳩って黙ってないし、一応生き物だし、捕まったあと保健所にやられちゃったりなんかしたら、おれ呪われそうでやめたんだ」
 セフィロスはぼんやりと、なにごとが起きたのか理解したみたいだった。眉をぎゅっとしかめ、バナナとケチャップ、と低い声でつぶやいた。
「我ながらなかなかいいアイディアだったと思うよ。ケチャップのしかけ、考えるのに二日かかった。ドアを開けると瓶のふたが開いてさ、中身がばしゃあん! バナナの皮集めは、割と簡単だったよ。猿がいるペットショップと、クレープ屋に頼んだ。あの、赤毛のすごくかわいいお姉さんが働いてるクレープ屋」
 クラウドは誇らしげな顔になった。
「……前から思っていた。おまえはいろいろとやればできる子なのに……才能の無駄遣いだ」
 セフィロスは額に手を当ててため息をついた。
「無駄だって遣えるだけましだよ。それにあんた、忘れてたら困るから云うけど、そういうやつと結婚するんだからな」
 クラウドが鼻を鳴らした。
「そりゃそうだ」
 ザックスは心から云った。
「とにかく、あんたらふたりして、まず周り固めるとこからはじめなきゃじゃん? 会社に納得はさせた。あとはクラウドの母ちゃんにOKもらって、父ちゃんにも承諾もらって、名字と戸籍なんとかして、結婚はそれから。セフィロスは名字にこだわりないだろ? そもそもないのも知らなかったんだもんな」
 セフィロスはうなずいた。
「ない。自分の名前の後ろになにかつくというのは新鮮だが……それがローコヴェンハウムだろうがストライフだろうが……まあそれでも、ちっとも妙な気がしない、というのはうそになるか」
「あーあ」
 クラウドがふいに頭を抱えた。
「芸がないなあ。ストライフ−ローコヴェンハウム−ストライフ。行って、また戻るだけ。つまんないよ。ぜんぜん刺激的じゃない。でも人生ってそんなもんだよな、きっと」
 生意気ぬかすな、とは、ザックスには、そしてセフィロスにも、云えなかった。なぜって、人生はたぶんほんとうにそういうものだとふたりとも思っていたからだ。

 

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