待ち焦がれる男のひとり遊び
来て来て来てよ
じゃないと死ぬよ!
ヒリア ヒリエ ナツァツァ トリリリウォス
きれいな顔
きれいな目
きれいな髪
おおなんたる美人!
バラより赤く
ユリより白く
誰よりうつくし
自慢の種よ!
カルミナ・ブラーナ 第174歌 拙訳
小高い丘の上で彼は待っていた。そこには楡の木が一本枝を広げて立っていて、風が吹き抜けるたびにやさしく木の葉を揺らし、その根本に腰を下ろす彼に涼を与えた。風がやってくると彼の長い銀髪も揺れたけれど、もしその場を通り過ぎるひとがあったら、その方が木の葉のそよぐ音よりか涼しい気分になると云うかもしれなかった。
すこし離れたところで、ミス・メリーウェザーが草を食んでいる。今日は彼女の名前のような天気で、秋口のいくらか落ちついた日差しが、ミス・メリーウェザーの背中をやさしく温めていた。彼女はこのところすこし太ったので、ちょっと運動しないといけないわ、と云って散歩をはじめた。セフィロスはすることがないのでつきあうことにした。本を片手に、彼女の横について歩くのだ。彼は当然ミス・メリーウェザーにあれこれ話をする。その内容がこのところ、金髪のつんつんした頭の少年に終始していることを、そしてそれが意味するところをミス・メリーウェザーは知っている。彼女はときおりつぶらな瞳を恋する男に向け、励ますように首を振る。耳もいっしょになって少し回転するように動く。話をするとき、恋する男は非常に楽しげだ。ミス・メリーウェザーには、それがたいへんうれしい。
シェイクスピア。この地上に出現したもっとも偉大な魂のひとつであった。彼は革張りの表紙に、金箔の加工がほどこされた豪奢な筆記体のタイトルが踊る美しい本を開いて、恋をめぐって繰り広げられる喜劇を読む。恋とは。彼は考える。おそらく骨の髄まで喜劇的な現象だ。必死であればあるだけ、その姿はいっそ滑稽なのだから。そうなのだ。感情に従って生きるとき、ひとはひどく滑稽なのだ。理性的な目で見れば。けれどももし理性が吹き飛んでいる場合、そんなことは問題にならない。
彼は本を閉じる。ああ理性よ、人生を導く光よ、砕け散るがいい。彼の思考はシェイクスピアにあてられていたために幾分劇的だった。恋に落ちたとあったなら、人生は輝ける正午、誰しも詩の一片のようなものをひねりだし、鳥よ花よとひとくさりやらずにいられない。なぜなら鳥も花も特別なものに見えるからだ。木々も見慣れた風景も、あらゆるものが浮き立つ心の光跡を帯びて見えるからだ。ばかばかしいが仕方がない。ときに理性を逸した愚かさに道を譲れぬ人間などたかが知れている。
彼は待つ。ここへ来るはずのひとを。今週あたりは出向いてやろうぞ、と待ちびとは尊大な口調で云った。彼は来るだろう。家の中を覗き、そこに誰もおらず、ミス・メリーウェザーもいないことを見てとったら。論理的推理など必要ない。必要なのは、思い出すことだけ。近ごろミス・メリーウェザーの肥満予防のため、森を抜けて小高い丘まで散歩するのが日課になっていると、電話越しに語ったあの会話を。その程度の記憶力はあるはずだ。彼は若いし、頭は悪くない。よく見せようとしないのが難点だが、それは彼の頭だけでなくそのほかありとあらゆる点についても云えることだ。ことばづかい、お行儀、性格。彼は、いいのは見た目だけと周囲に思いこませようとしているのではないだろうか? 確かに見た目だけなら完璧だ。それだけで、三日眠らず恋い焦がれるに足る。青い瞳、ちょこんとしたかわいらしい鼻、形はいいが皮肉げな、肉感的な唇。まだどことなく子どもらしい緩やかな丸みを帯びた頬、それに似合わぬ複雑な表情の数々、しなやかな肢体、忘れてはならない媚態。
彼は草むらに仰向けに倒れた。そうしてなにかをつかむように、両の腕を宙に伸ばし、太陽が差し向ける光芒の、そのまぶしさに目を細めた。それから声を立てて笑い、目を閉じて、待ちびとの容姿を瞼の裏に想い描いてみた。なるだけ正確に。それはなにがなし色めいた遊びだった。彼の肌色、唇の輪郭、瞳の揺れやまつげの生み出す陰影、そうしたものをひとつずつ描いてゆくごとに、なにか陽気な淫靡さが、彼の中に湧いてくるのだった。
わがうるわしき金髪よ、と彼はやりだした。おお比類なきその美しさよ。詩人を目指すべきだっただろうか? だがもう遅すぎる。それに詩人は目指すものではない、生まれたときからそうなのだ。そういえばこんな古い歌がある……なんてすてき、ぼくの、ぼくの、ぼくのブロンド!
彼はほんの小さな足音を耳ざとく聞きつけて打ちふるえた。軽やかな足どり。草食動物のようだ。たとえば聡明な目をした子鹿。あれの逃げ足ときたら! 足音は近づく。彼の足どりと、そよ風に揺れる金髪を彼は夢想する。到着直後にまた歩かされて不機嫌かもしれぬ。その唇はわずかにとんがっているかもしれぬ……自身の想像する彼を頭から追い払うのも惜しく、けれどもその現実の姿を早く拝みたくもあり、その奇っ怪な葛藤に、彼はしばし遊んだ。
だがもう目を開けなくては。己の名を、呼ぶ声がする。死んだふりなどと思われて、のしかかられてはたいへんだ……否、それもまた、一興であるかもしれない。