紫色の「通勤バッグ」を背負ってクラウドがやかましく出て行く。今日はもうさすがに忘れ物を取りに戻ってはこないだろうと思う。クラウドが一度や二度必ず家に引き返してくるのは、生来の寂しがり屋のためだろうか、それとも単に、行きたくないということを暗にほのめかしているのだろうか。後者であるなら、セフィロスの答えはひとつきりだし、前者であるなら……それもまた、出せる答えは限られているような気もする。
寂しがりで甘ったれ。このふたつのことばで、クラウドの大まかな輪郭を説明できてしまうような気もする。このふたつの性質を生まれつき強く持った人間にありがちなことだけれど、クラウドもまた触られたがりで触りたがりだ。彼の肌は、独立して自分の身体だけを包むのでは満足できないらしい。彼の白く、まだみずみずしい肌は根っから、誰かの肌に触れて触れられて満足するようにできているのだ、そうとしか思われない。おそらくは、彼の母親が、小さいころからうんとクラウドに触れてきたのだろう。頭をなでたり、抱きしめたりキスをしたり、クリームを塗ってやったり、爪を切ってやり、へそや耳の掃除をしてやり、髪の毛を梳いてやる。母ひとり子ひとりの生活が、そうした傾向に拍車をかけたのだと云うつもりはないし、そうしたことを、過保護だと非難しようとは思わない。それはクラウドの性質に合っていたし、いつも誰かに触れられて、抱きとめられる経験をしてきた人間は、同じことを他人にすることができる。それによって、セフィロスはずいぶん恩恵を受けているのだと云える。クラウドが膝の上にしょっちゅう乗っかろうとしてくること、隙あらば背中にしがみつこうとすること、髪の毛を引っ張ること、感心したように手足を眺めたり、膝小僧を指先でぐりぐりやろうとしてくること、そして、だっこをせがむこと。肉体的なふれあいは、どんな誠心誠意の愛の告白よりも、愛の名のもとに払われるいかなる精神的犠牲よりも、感情を直接心へ届ける力がある。相手の身体へ触れることは、百万回の愛のささやきよりも強力だ。
そういうことを考えながら、クラウドの脱ぎ散らかしていった服を拾い上げる。いましがたまで身につけていた衣服は、まだほのかに彼のぬくもりをとどめている。クラウドの体温。眠るとひどく高まる、彼の子どもらしい体温。ふかふかした手触りのいいセーターに、セフィロスは思わず口づける。クラウドがそのセーターの中に、いるみたいに。
寝室の掃除を、彼は自分でする。通いの家政婦グロリア未亡人に寝室の掃除を頼むことは、かなりためらわれることだ。大きな、ふたりがどっちに転がっても落ちることのない大きなベッド、その乱れた皺や散らかった枕を見るにつけ、性的な匂いが、その生々しさがこみあげてくるからだ。もちろん、ベッドは眠るための場所だ。なにもせず眠っている時間のほうが長いし、なにもない夜も多くある。それでも寝室には、しみついてとれない匂いに似たものがあるような気がしてならない。濡れて汗をかいたクラウドから立ちのぼってくる匂い。女のように官能的で陰湿でなく、うるおった、満ち足りた芽吹きはじめの植物を思わせる、清々しい匂い。しっとりとした金髪から溢れ出るような匂い。鼻腔にそれを吸いこむときの幸福な気持ち、それを通じて自分の中に入りこんでくる生命。生きて呼吸をする彼。その鼓動。揺れる、とろけるような目。そういうものを、この寝室のベッドや、壁紙やカーテンは呼吸し、記憶しているに違いない。たとえ雇い主自身が家事に手を出してくることについて、未亡人がしきりに気をもんだとしても、こればかりは譲るわけにいかない。この部屋の匂いと、家具の保持する秘密とは、彼のものだからである。ベッドの上に落ちている金髪を見つけ、目を細める。入浴が済んで自然のままに戻った、あのへたっとした猫っ毛の束を、丁寧に愛撫すること。昼間はわざと尖らせてごわごわにしている金髪の、本来の姿がその感触を通じて感じさせるもの。なめらかな皮膚、しなやかな肢体。今日の頭がどうにもこうにもそちらへ向かいがちなのは、二度目の行ってきますをしたあとにクラウドが戯れに行った、こちらの喉仏への、ふいうちの、やや熱烈な、キスのためだったかもしれない。なんかかわいい形だから好きだよ、とクラウドが以前云っていた。喉仏をほめられたのは、そのときがはじめてだった。クラウドは次いで、おれのことは、どこがかわいい? と訊いてきた。鼻が好きなことは肉体的にもことばの上でもさんざん表明していたから、セフィロスはどこかこまっちゃくれたようなへその具合が、どうにもかわいいと云った。クラウドはころころ笑い転げた。
「母さんも、おれのへそがかわいいって云うよ」
クラウドは無邪気な顔で云った。
「へその緒がついてたときから、かわいかったって」
この親子に関する微笑ましい逸話は、枚挙にいとまがない。たとえばクラウドは都会へ出てくるまで毎晩、寝る前に母親にキスしてもらってから、「あんたは今日もかわいくて、すごくいい子だった」と云われて眠りについていたらしい。そういうことを毎日されていた子が、いきなりひとりぼっちで都会へやって来たことについて、セフィロスはちょっとした責任を感じざるを得ない。そしてそうした子はそれこそ世界中に五万といて、毎年毎年ミッドガルへやってきては、しばらくのあいだ枕を涙で濡らすのだ。あのザックスだって、寮に入って何日かたってから、ちょびっとだけ泣いてしまったと云っていた。ザックスの場合は、その両親にとって、年をとってからようやく授かったひと粒種であるらしい。これもまた、責任を感じるに余りある。
誰かの息子である、ということ。愛情を注がれ、手をかけられて育った子どもであるということ。羊水に満たされて育まれ、生まれ出て、たくさん触れられて大きくなるということ。セフィロスは、自分がそうした背景にあまりにも乏しいことについて、真剣に悩むのを随分前にやめてしまったけれど、誰かに触れられるということ、抱きしめて、抱きしめられて愛を感じるということ、そういうことを、きちんとこなしてきた人間によって、ちゃんと与えられている。いま、この毎日の中で。相変わらず陰鬱な、都会の中で。それはなによりも素晴らしいことなのだと、彼は思うのである。肉欲とは、単なる肉体の欲求ではない。相手に触れ、相手を感じ、相手の心を感じ、その存在を通して、自分もまたここにあること、ここにあるべきものであることを、喜びとともに迎え入れることなのだ。
いま自分を奮い立たせ笑わせ、とんでもない気持ちにするクラウドのこと。彼の、発達中の身体。彼の無邪気さ、彼の知性。肉体的な知性。誰かに身体をあずけることができる、手放しの信頼を示すことができる、しなやかなその存在のこと。
セフィロスは自分の喉仏をさすってみる。このちょっとした凹凸が、なにゆえクラウドを「かわいい」と云うに至らしめたかは、謎である。そんな謎は、解き明かさぬほうがいい。どうしてクラウドの鼻を、へそを愛らしいと思うのか、その理由を彼に伝えようとしてもどうにもならないように。だからこそ、ふたりはせっせとベッドの上で、ことばを越えた説明を、証明を、確認を、やってのけるのだ。