星は決して破壊されない

 星は決して破壊されない。肩の上を無邪気に走り抜けていくリスの、一瞬の野生のにおい。森の深い、湿った緑の香り。土の甘いにおい。花の香り。大地に寝転がっていると、そのエネルギーと一体になれるような気がする。母なる大地から、沸き起こるもの。この身体を、流れるものとおなじ。
 楽園は、いつも自分の中に存在する。答えは、外にはない。外は、もたらすだけだ。はじめからすべて、手の中にあるのだ。自分の中に。古い時代の賢人が、財産を没収され、身ぐるみ剥がされてなお、自分はなにも失っていない、すべて自分の中に持っていると云った。それは正しい。なにもかも、自分の中にある。知識、気高さ、そして愛。ひとが楽園を想い描けば、必然的に愛にあふれた世界になるだろう。そのとおりだ。楽園は、愛に満ちている。この星とおなじように。それに気づかない人間は、信じていないのだ。この世で最も強く、揺るぎないもの、なにものをも打ち負かすのは、愛だけであること。最後の最後まで、生命の炎を支えるものは、愛だけであること。星の愛。すなわち、神の愛。途方もなく大きく、全体にしてひとつ。それがすべてだ。
 セフィロスは目を開けた。耳に慣れた心地よい足音が、近づいてきたから。彼の足どりは、鳥の羽のように軽い。いつもそうだ。彼は自分を持っている。自分が存在することに肯定的だ。自分の価値を、ちゃんと知っている。わだかまりのない、ひとつの身軽な魂。足音までが、それをあかししている。
「昼寝?」
 クラウドの目は空とおなじように青かった。もっとも、空のほうが幾分黒みがかっていた。青すぎて。まぶしく照りつける太陽。クラウドはそれを背負って、顔がほとんど影になっている。目だけが、非常に美しく鮮やかに青い。かがみこんだ彼の髪に、手を伸ばした。アシンメトリーに長い右側の髪を撫でると、眉をつり上げて面白そうに笑った。
「おれ昔から思ってたんだけどさ」
 クラウドは彼の頭の上のあたりに腰を下ろした。逆さに見下ろしてくる目は、やはり青い。空と見比べても、いい勝負だ。
「あんたって、お花おじさんって感じだよ。そうやって、花畑に寝転がってたりするとさ。だるくていい感じの顔してる」
 クラウドがまぶたをつまみ上げて引っぱってくる。縦長の瞳孔を、クラウドは好きだと云う。剣呑な目だけれども、好きだと云う。
「だるくていい感じというのはどんなだ」
 クラウドの手が引っこんだ。折り曲げた両膝の上に肘を置き、頬杖をつく。口の端に浮かぶ微笑は昔からいつもわずかな尊大さをにじませている。彼の甘え。気を許した人間の前でだけ、彼は王のように振る舞える。自分が当然そう扱われるに値することを、彼は知っている。彼は愛されていることを全身で感じる必要がある。なぜなら、感度がとても高いから。そしてそれ以上の愛を、返してくる。なぜなら彼はとてもけなげだから。全身で愛し、全身で愛されることを欲する。魂の底から。彼の情念。あふれるほど愛を注がれたなら、見事にそれを受けてきらめきを返すのだ。目が覚めるほどの。セフィロスはたぶん、その美しさに、新鮮さに釘づけにされているのだ、いまでも。
「どんな? うーん、抜けてて、自然な感じだよ。自然な感じ。うん。刀ぶんぶん振り回すあんたもいいんだけど、やっぱり、あんたはこっち。土にまみれてるほう。あんた、自然が好きだろ? なんか、こういうときのあんた、星ごと愛してるって顔してる。それだ、星ごと愛してるって顔」
 セフィロスは笑った。星ごと愛している。それは事実だ。一度は壊そうとしたもの……けれどもセフィロスは知っている。星は、決して破壊されない。星を破壊するような力は、誰にも与えられていない。人間だろうがジェノバだろうが、おのずから限度がある。なぜなら、すべて全体の中の一部であり、あらゆる災厄も幸福も、全体を織りなすもののひとつであるから。星の中で繰り広げられる、ドラマの一部。その舞台を破壊することは、出演者には許されていない。舞台演出の逸脱は。セフィロスはもう知っている。たしかにこの身体……それにクラウドの身体もだが……は、星の循環から少々逸脱しているが、それもまた、定められたドラマなのだと。この逸脱も、永遠には続かないだろう。魂には、巡礼すべき道がある。たどるべき経路がある。その最後をセフィロスはまだ知らないが、きっといつかそこへたどり着くだろう。なぜなら彼も、全体の一部であり、この地上を覆っている愛の中に、存在するから。神の手の中に、存在するから。
 その証拠に、この青年だ。星はセフィロスをひとりにはしなかった。欠落した魂の、その部分を、こんなにも明確な形で、彼に与えた。対をなすもの。完全なる、アフェニティ。かつてある哲学者が、妻に先立たれてこう云った、彼女を失ったからには、自分はもうこの世で完全ではないと。同じことだ。ふたりは、個的な存在として独立していながら、ひどく融合しているのだ。リユニオン? そんな次元の話ではない。動物的本能の求めるものなど、足元にも及ばない。惹きあうのは、魂だ。いずれ星に還り、またどこかで旅を続けるはずの、魂。その永遠の道を支えるもの。何億人もの人間の中から、ひとりがひとりを選び出すのは、そうして結びつくのは、それがあるからだ。すなわち、至高のものである、愛。この星をめぐる力と、同じもの。
 セフィロスはだから、この星ごと、愛している。そこに存在する愛を、感じるからだ。自分がその中で生かされていることを、感じるからだ。たとえば孤独が億千年も続いたとする。だがその果てに、きっと見つかるのだ。見出さずにおかないのだ。この世界のすべてが、愛で包まれていることを。

 

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