第四章 普通じゃない遺跡調査

みんな出発

 翌朝は、殴りつけたくなるくらい晴れそうな空模様だった。まだ早朝六時前で、あたりは薄暗かったが、空には雲ひとつなく、澄みきっていた。セフィロスは結局一睡もしなかったが、ベッドから起き上がり、ふとクラウドが履いているブタの室内履きに目をやって、それを取り上げ、丸っこいブタの顔を撫でた。それから勢いよく立ち上がって、着替えをすると、ザックスの部屋のドアを叩いた。
「おっはようボス!」
 ザックスは元気だった。背中には、例のどうしようもない大きさの剣をしょっている。
「いい天気ね! 行動するにはもってこいだよ。さてと。とりあえず、捜査局へ出向。の前に、どっかで朝飯食っていい? そんなにしっかりじゃなくていいのよ。パンと、ジュースくらいで。大食い仲間の閣下がいないと胃の調子が出なくてさ……」
 十分後、近所のカフェで、彼はバタパン四切れとベーコンの塊とソーセージ三本と炒り卵とボウルに山盛りのサラダと、りんごとヨーグルトという比較的小規模な食事をすませ、チョコボ車を拾うついでにオープンしたてのドーナツ屋でドーナツを三ダース買い、コーヒーショップで熱々のコーヒーも買って、捜査局に突撃した。
 まだ朝の七時だった。建物の中にはほとんどひと影がなかった。ふたりは音も立てずにエレベーターで四階へ上がり、すっかり会議室と化してしまった例の応接室へ入っていった。捜査官たちがそろっていた。一緒に現地に向かうことになっている三名の捜査官は、いつものスーツ姿ではなく、登山にでも行くような格好をしている。カドバン准教授もソファの隅っこに座って、朝食のクロワッサンをもぐもぐやっていた。コランダー捜査官はふたりを見とめると、にこやかに微笑み、あほんだらのピルヒェ記者がまだ来ないのだと云った。
「昔から、時間にはちょっとだらしのないやつで。べらぼうに早いかと思うと、三十分も遅刻したり。まったく!」
「まあまあ、かっかしないで。教授たちの方はどうなってます?」
「まだ動きはないようです」
 くそまじめのライオネル捜査官がまじめな顔つきで答えた。
「出発予定は八時半時だそうですしね。動きがあれば、連絡が来ますよ」
「で、われわれは七時半と。そろそろ、裏庭にチョコボ車が来るころだと思うんだが……」
 コランダー捜査官があごをさすりながら云い、フリッツ捜査官が裏庭を覗くため、部屋を出ていった。
「裏庭に、二台来てますよ」
 彼は戻ってきて云った。
 それから三十分は、荷物を運んだり持ち物を確認したりして、あっという間に過ぎた。特殊部隊がやってくると、あたりはいっぺんにものものしい雰囲気になった。ゲインシュタルトさんは、荷物を運んだり、GPSや無線の使用方法を習ったり、まめまめしく動きまわった。彼ほどの経験のある馭者でも、捜査局の捜査に協力するのははじめてだった。
「歴史的一瞬ってやつだね」
 ゲインシュタルトさんは相変わらずパイプからもくもく煙を吐き出しながら、軽やかに云った。
「ゲインシュタルト家はじまって以来さ。捜査に協力するなんて。まったくこりゃあ、名誉なことってのか、なんてのかね!」
 チョコボ車は二台で、ケルバがリーダーを務める。彼はいつもより引き締まった顔をして、少し緊張しているようだった。セフィロスは彼に微笑みかけ、身体を叩いた。ケルバは小さく「クエ」と云って、すっかりなじみになった男にちょっとばかり甘えるように身体をすりつけた。
 ピルヒェさんは出発十五分前になって、ようやく裏庭に姿を見せた。
「よう、遅くなって悪いな。娘の具合が悪くなっちまって、かみさんがゆうべからいないんだ。臨月でな、娘は。おかげで時間通りに起きて、飯食って着替えるだけで大仕事だったよ。男って、まったくなあ!」
 その場にいた既婚者の男たちは皆、同情をこめて笑った。ピルヒェさんが、出発準備の最後の仕上げみたいなものだったので、コランダー捜査官は一同を見回し、なにか忘れたものがないかざっと確認した。今回神殿へ行くのは全部で七人。セフィロスとザックス、三人の捜査官、ピルヒェさん、それにカドバン准教授だ。
「出発前に、皆さんに云っときたいことがあります」
 いよいよ出発という段になって、ザックスが真剣な表情で手を挙げた。
「やばいのが出てきたら、皆さんはぜったい手出ししないでください。自殺願望がなきゃ」
「おれらをなんだと思ってるんだよ」
 バロッサ捜査官がにやついた。
「これでも、危険な場面にはちょっとばっかし慣れてるんだよ! あんたらだけが危険な任務こなして、死の淵から何度も生還してるわけじゃないんだ」
 ほかの捜査官が、拍手したり口笛を鳴らした。
「そうこなくっちゃ」
 ザックスも同じようににやついた。
 みんな、チョコボ車に乗りこんだ。その様子を見守っていたライオネル捜査官が、ついにたまりかねた様子で口を開いた。
「あの、ぼくも連れてってもらえませんか?」
 みんなはいっせいに彼に注目した。
「ほら、チョコボ車は四人まで乗れるから、あと一名、空きがあるでしょ? その、考えたんです、ぼくは……」
「とっとと乗れよ」
 フリッツ捜査官が云った。
「おまえがおとなしくこのまま黙ってたら、それこそ、見損なうとこだったもんな」
 みんな笑った。
 セフィロスとザックスは顔を見合わせ、唇を持ち上げて笑った。そうして、おもむろに手を挙げ、ぱちんと音をたててタッチした。ミッション前の、彼らの儀式だった。
 ゲインシュタルトさんが、ケルバとパンゴに出発の合図をした。二匹は身体を震わせ、力強く一歩を踏み出した。総指揮を取るコランダー捜査官は、走り去るチョコボ車を見ながら、深くため息をついた。

 クラウドは寒さで震えて目が覚めた。最悪の目覚めだった。風呂場の浴槽の中で、両手両足を縛られた状態で毛布なんかかけられていたって、なんの役にも立たない! クラウドは鼻をすすり上げ、あたりがまだ薄暗いので、これは朝早いな、と思った。ゆっくり起き上がって、両手両足を伸ばせたらいいのになあと思いながら、精一杯身体を動かした。
「あーあ!」
 クラウドは心の中でため息をついた。
「セフィロス、おれがどうしちゃったんだろうって思ってるよな。向こうには晩ごはんまでに帰って来いって云っといて、おれはこのありさまだなんてさ、ダッサいなあ!」
 そう思うと、クラウドはちょっとだけ泣きそうになった。ふたりで眠るときのベッドの中の暖かさを思い出し、それから母さんのことを思い出して、クラウドは急にとてつもなく心細くなった。子どもみたいに、母さん! と大声で泣きながら叫びたいような気持ち。でも、彼はすぐに気を取り直して、頭を振り、縁起の悪いことや、自分を弱らせるだけのことは、金輪際考えないことにしようと決めた。
 浴室のドアが開いて、ベッポがお茶とビスケットを持ってきた。でも両手を縛られたままだったので、まことにやりにくい状態で、食事にはずいぶん時間がかかった。
「兄貴がさ、君を、これから別の場所へ連れてくんだって。おいらたちも行くんだ」
「どこへ?」
 クラウドはダメ元で訊いた。ベッポは肩をすくめて、「行けばわかるよ……」と云った。彼はまだ良心と戦っていたので、長いことクラウドを見ていられないようで、皿やカップを持って、そそくさと出ていってしまった。
 それからしばらくしてクルスとベッポが入ってきて、クラウドは足の縄を解かれ、背中にピストルをつきつけられながら、浴室の外へ連れ出された。クラウドは背中に当たる硬い感触のことをつとめて意識しないようにして、「おれだってガス・ピストルなら持ってるのになあ!」と心の中で毒づいた。こういうときは、是が非でもちょっと意地悪くらいのものの考え方をしないといけない。
 部屋の中は綺麗に片づけられ、ふたりがもうここへ戻ってくる気がないことは明らかだった。クルスもベッポも、大きな旅行カバンを持っていた。
 クラウドが昨日そこから入ってきた裏口を抜けて外へ出ると、生垣の先に、チョコボ車が停めてあった。馭者はいない。どっちかが自分で運転するつもりなのだろう。クラウドはいささか乱暴に車の中に押しこまれ、クルスが横に座った。ベッポは車を走らせる係らしい。車が動き出した。クルスは車の覗き窓を、カーテンを引いて覆ってしまった。狭いチョコボ車の中で、ピストルを向けられながら、泥棒とふたりで移動するのは、正直云ってあまり愉快な経験ではなかった。クラウドはしだいに気分が悪くなってきた。自慢の乗り物酔いだ! こんな密閉された空間にいたら、出てくるに決まっている!
 クラウドの我慢が限界に達する寸前で、つまり二十分ほど走って、車が止まった。あたりはなにやらがやがやしている。荷物をこっちへよこせとか、コンパスはあるかとか、そんなことばが飛び交っている。クラウドはぴんときた! いま、教授のフラットの前にいるに違いない。彼は猫みたいに耳をすまして、音からあたりの様子を探ろうとした。ひとの声は、すこし遠くから聞こえてくる。その反対側からは、ときおり車輪が通る音がする。道路脇に車を停めているのだ。クラウドは大急ぎで、昨日見たフラット周辺の光景を頭の中に思い浮かべた。いまここで、叫びだすとか、なにかできればいいのに! このチョコボ車の目と鼻の先では、みんななんにも知らずに、動き回っている……。
 ふいにドアが開いて、ウータイ人が入ってきた。シノザキ助手だ! クラウドは反射的に身体を固くして、身構えた。助手はクラウドをいやな目つきで一瞥した。それから、向かいの席に腰を下ろした。
「これが電話で云っていた少年だな」
「へいへい、そうなんで。ま、うまいこと始末できるでしょう。都会で殺すより、森の中ってね」
 助手はうなずいた。
「鏡は持ってきたか?」
「へいへい、ここに」
 クルスはポケットから紙でくるんだ包みを取り出して、助手に渡した。助手は乱暴に紙をやぶいて、中身を確認した。彼の小鼻がぴくぴく動いた。間違いなくマティルダ嬢に見せてもらった、あの鏡だった。助手は一瞬、満足そうな、でも嫌な感じのする笑みを漏らした。それから鏡を、持ってきた自分のリュックサックの奥に押しこんだ。
「あとは神殿までついてって、教授たちを脅しあげて財宝を奪っちまえばいいと」
 クルスは云い、にやにや笑った。
「半分は、おれたちがもらうので間違いないですね」
 助手は小鼻を神経質にぴくぴくさせ、口を開いた。
「もちろんだ。古代種美術品のコレクターには悪どいのが多いから、売ればかなりの値段になるだろう。教授たちは全員、大変残念なことだが、調査中に不慮の事故で命を落とすことになるんだ」
 クルスはぐふぐふと気味の悪い笑い方をした。
「わけのわからねえしかけがほどこされた神殿なんて、死体を隠すのにもってこいだ。そこにこの坊主がひとりまぎれこんだって、わかりっこねえでしょうなあ」
 クルスが持っていたピストルを、クラウドにぎゅっと押し当ててきた。クラウドは、奥歯を噛み締めた。いやな汗が流れてきた。
 チョコボ車のドアがこんこん叩かれた。
「シノザキさん、準備はよろしいですか? 教授が出発するそうです」
 外から、女性の声が聞こえてきた。助手は手短に「ああ」とだけ答えた。少しして、チョコボ車は走りだした。

 午前八時二十分、捜査局の電話が鳴り響いた。
「もしもし! シュミットです! ボス、聞こえますか? 教授のフラットの前に、あやしいチョコボ車が来ました。カーテンをぴったり閉めきっています……シノザキ助手が、それにひとりで乗りこみました。馭者は帽子を深くかぶって、コートのえりを立てて、明らかに顔を隠そうとしているように見えます……」
 おそらく、それがクルスたちの乗ったチョコボ車だろうということが、コランダー捜査官にはぴんときた。
「よし、ポルガーに電話して、そのチョコボ車のことを伝えてくれ。少しでも、中の様子がわからないかい?」
 シュミットはそれは無理だと答えた。
「わかった。ならいい。電話を頼む。教授たちが出発したら、君はこっちに戻ってきてくれ」
 また電話が鳴る。
「こちらジョイス! 教授たちが出発の準備をはじめました。チョコボ車に荷物を積みこんだりなんだり、てんやわんやです。チョコボ車は計三台、大所帯ですよ……」
「シュミットです。例のチョコボ車に、シノザキ助手が乗りこみました……」
 電話がひっきりなしに鳴って、まったくてんやわんやだった! でも、これはいつものことだった。コランダー捜査官は冷静に、それぞれの部下に指示を飛ばした。でもその慌ただしさは、時間にして約十分かそこらのものだった。八時半には、教授たちがフラットを出発した。依然気は抜けないが、ひとまずこれで、ひと息くらいはつける。コランダー捜査官はため息をついて、ザックスが置いていったドーナツに手を伸ばした。

 

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