ひとつの決断と、みんなの眠れぬ一夜
「悪い、おれの責任だ」
セフィロスが入ってきたとたん、ピルヒェさんがすまなそうに云った。
「なに云ってんですか」
ザックスが吐き捨てるように云った。
「あいつが勝手に単独行動に走るのはいまにはじまったことじゃないんです。いわば、有史以前からの風習ってやつで……なあ、ボス?」
ボスは額に手を当てて、ソファに力なく沈みこんだ。部屋の中にはカーニング、フリッツ、バロッサの三名の捜査官がいて、セフィロスに心配そうな顔を向けた。
「なぜあの子は、こうばかなことばかりするんだ。じっとしていれらないにもほどがある。余計なことはするなとあれほど云ったのに!」
コランダー捜査官とピルヒェさんは、このセフィロスのせりふに顔を見合わせてそっと笑った。まるで母親みたいな小言を、このきわめて立派な体躯をした、まだ若い、端正な男が発したことが面白かったのだ。
「その話、あとにしようよ。考え出したら、あいつのこと助けようって気持ちがなくなっちゃう」
ザックスがげんなりした顔でため息をついた。
「せっかく捜査官のみなさんが何人も、この寒い中、午後じゅう走り回ってくれたってのにさ」
「どうも申し訳ありません」
セフィロスが立ち上がって頭を下げようとするので、コランダー捜査官はあわてて手を振り、彼の肩を押してソファに戻した。
「いいんです、いいんです。もとはといえば、わたしが悪かったんだから。あの子を新聞記者に仕立てあげたのはわたしなんだから。でも、こんなこといつまでも云ってないで、わかったことをお話ししましょう」
コランダー捜査官は、ライオネル捜査官に目まぜをした。くそまじめな捜査官はくそまじめな顔で立ち上がって、ホープニッツェル教授との会談の最中に、ストライフ君がいかにして消え失せたか、またいかなる方法でもって、清掃員に扮したクルスをつきとめたと思われるか、そしてまた、ストライフ君の捜査がいかなる結果に終わったかをかいつまんで話した。話を聞きながら、セフィロスの眉間に徐々にしわが増えていった。ザックスはそれを見て、心のなかで大きなため息をついた。それから、友だちの閣下に向けて、相変わらず心の中で、あらんかぎりの悪態をついた。
「いまも捜査官数名が聞きこみにあたってますが」
ライオネル捜査官は苦しい顔で云った。
「どうだかわかりません」
部屋の中は、重苦しい空気に包まれていた。外はもう真っ暗で、それがみんなの気持ちをいっそう暗くさせた。ザックスが頭をかき、「ああもう!」と云った。
「閣下のこと見つけたら、頭ぶん殴って、じゃがいもの袋につめて押入れにつめてやる」
「それはどちらかというと悪人向けの仕置きじゃないか?」
セフィロスが相変わらず眉間にしわを寄せたまま云った。
「悪人だろ、あいつ。あんた、よくあんなのと一緒にいられるよ……まあ、おれもだけど」
「落ちつけ。クラウドがそのクルスに尾行を気づかれ、捕まったのだとして……おそらくそうだろうが……それでも、最優先事項は助手のなにやら腹黒いたくらみを阻止することだ。クラウドの捜索に必要以上に時間をかけるいわれはない」
「ボス!」
ザックスは悲鳴のような声を出した。セフィロスはいつもとなんらかわりない、落ちついた顔で、ザックスの悲鳴を制した。この発言にはさすがに捜査官たちもピルヒェさんもびっくりして、セフィロスの顔をまじまじと見つめてしまった。
「そうだろう?」
ザックスはなにか云いたそうな顔をしたが、あきらめて、歯をガチガチ云わせ、黙りこんだ。これは、セフィロスとザックスにとっては正式な仕事ではなかった。が、捜査局にとってはれっきとした仕事であり、それを邪魔してしまったのはこちらの責任だった。人間的な感情を抜きにしたら、セフィロスの云うとおりだった。
「はい、そうです、ボス。ってわけで、コランダーさん、あいつの捜索はもういいです。余力があったらひとを回してくれたらうれしいけど、でもそれより、明日のことに集中してください。明日の話しましょう。っていうか、そもそも! やばいことがわかったんだ、ボスにはまだ云ってなかったけど」
ザックスは、鏡に関する重大な発見を大急ぎでセフィロスに伝えた。例の神殿の意味も。
「今回の調査自体を中止にするべきです」
カドバン准教授が真剣な顔で云った。
「いまならまだ間に合う。わたしが教授に話をつけます。その鏡がシノザキ君の手にわたってしまうことを考えると、この調査は、あまりにも危険です」
「わたしもそう思います」
ライオネル捜査官が云った。
「先回りしたり、あとをつけたり、そんなことをやってる場合じゃありません。これはあきらかに、われわれの手に負えないレベルのものです。それがもし、悪さをしたら……」
「……そうだな」
コランダー捜査官は云った。
「計画は変更だ。シノザキ助手は逮捕しよう。そうすれば、少なくとも、彼が妙な行動に出るのは防ぐことができる」
捜査官たちがため息をついた。カドバン准教授が、懐から携帯電話を取り出した。
「……いや、ちょっと待って下さい」
セフィロスがふいに云った。みんなが彼を見た。
「今回の場合に限っては、それでことなきを得るでしょう。でも、後世の人間が、性懲りもなくあの神殿の調査をして、そして、たとえ鏡が失われていたにしろ、なんらかの方法を使って、その封印を解いてしまう可能性は、百パーセントないのでしょうか?」
みんなカドバン准教授を見た。
「……ない、とは云えません」
准教授は苦々しい顔つきで絞りだすように云った。
「神殿の、その根本的な原理や仕組みについては、われわれは驚くほどなにも知らないのです。ですから、なんらかのきっかけで作動することは、ないとは申せません」
セフィロスは眉をつり上げた。
「では、ここから先はわれわれが受け持ちます。なにが云いたいかというと、シノザキ助手をこのまま泳がせ、そして神殿のしかけを解除させます」
捜査官たちがどよめいた。
「もちろん、みなさんを巻きこむつもりはありません。ですから、引き受けますと云ったのであって……わたしと、それに同僚のザックスが、現地へ向かいます。助手に予定通りの行動を取らせ……もちろん、ひとを殺しそうになった場合は止めますが……化け物が出てきたら、それをどうにかする。そうすれば、少なくとも脅威はなくなるわけだから」
セフィロスは静かに云った。部屋中が、打たれたように静まり返った。沈黙を破ったのは、ライオネル捜査官だった。
「しかし、もしその怪物が手に負えないものだったら、どうするんです?」
セフィロスは苦笑した。
「どうでしょうね。しかし、自分を過信するのではありませんが、そういうことにはならないと思います。あなた方は実態をご存じないが、この星におけるあらゆるものの中で、われわれソルジャーという存在が、もっとも化け物じみている」
「……おれもそう思うよ、ボス」
ザックスがつぶやいた。
「云ってみりゃ、化け物どうしってことよね。仲良くなれるかもよ? タッグ組んでさ、踊っちゃったりなんかしてね」
ザックスがふざけて笑った。でもみんな笑わなかった。ザックスはひとがよさそうに肩をすくめた。
「ま、そんなわけで、明日はおれとボスがちょっと出張してくるってので、どうでしょうねみなさん。もちろん、迷惑かけません」
みんな押し黙って、重苦しい、考えこむような顔をした。ライオネル捜査官なんか、苦虫を噛み潰した、ということばがあるけれど、苦虫というより、ぶちゅっと潰れるなにかの幼虫でも噛んだみたいな顔だった。
「……あんたらがいいなら、おれはついて行きたいんだけどな」
ピルヒェさんが云った。
「おい!」
コランダー捜査官が叫んだ。ピルヒェさんは涼しい顔で肩をすくめた。
「おれは明日の朝、腹痛起こして二、三日有給休暇消費するのさ。どうせ毎年ほとんど取らないんだ。それくらい、大目に見てくれるだろ。それにだねえ、新聞記者ってのは、好奇心が強くてどうしようもない人間なんだよ。途中まで参加してたのに、しまいまで見届けずに引き下がるってのができない人間でね。まあ、病気だな。人間が歪んでるんだよ。実に魂を害される仕事で……」
「しかし……」
コランダー捜査官は眉をしかめて、口を挟んだ。
「あーあー、待った待った、おまえの意見なんかどうだっていいんだ。おれはこのふたりに訊いてるんだよ。それともおまえ、いますぐ教授のフラットに乗りこんで、なにもかも事前に食い止めるかい? それならそれで、おれは記者として同行するよ。んで、あすの朝刊のトップはその記事だ。徹夜仕事で記事を書くと。どっちだ?」
今度はみんな、コランダー捜査官の顔を伺った。捜査官は、あんまり眉をしかめたので、左右の眉がつながったみたいに見えた。
「おれは胃が痛いよ!」
捜査官は重たい気持ちを晴らすように陽気に云ってのけたので、思わず一人称が素の「おれ」になった。
「ここは民主主義国家なんだから、多数決を採択しないか? 挙手して投票するんだ。こんな問題を、ひとりじゃ決められない。最初に、われわれはいますぐ助手を逮捕すべきだというひとは挙手してくれ」
カドバン准教授が手を挙げた。ライオネル捜査官も。
「じゃ、危険を承知でこのふたりに化け物退治を依頼するってやつは?」
それ以外のひとがみんな手を挙げた。
「……決定だ」
コランダー捜査官は肩をすくめた。
「ただし、ひとつ条件があるんですがね」
バロッサ捜査官が手を挙げた。
「おれたちも行きます」
セフィロスとザックスは顔を見合わせた。
「途中放棄ができない性分は、なにも記者の連中の専売じゃないんで」
捜査官たちはにやにやした。
「だけど、わかってます? あぶないですよ? しかも、おれ情け容赦なくすっこんでろ! とか云うし」
ザックスが頭を掻きながら云った。
「もちろん、そっちの指示に従うよ」
フリッツ捜査官が手を振り回した。
「だけど、たとえば調査団のメンバーみんなを、誰が安全に避難させるかっていったら、そういう要員が必要だと思うんだ」
「で、君たちは化け物退治に集中してもらう。悪かないよな?」
カーニング捜査官がまとめた。
「……確かに」
セフィロスが認めた。
「あとは、あなたがたのボスの判断次第ですが」
コランダー捜査官の顔に、ふたたび視線が集中した……今度は、若干の期待をこめて。
「……ああ、わかったわかった!」
捜査官のボスはみんなをなだめるように両手を振った。
「好きにしなさい!」
三人の捜査官はハイタッチをし合った。カドバン准教授はため息をつき、ライオネル捜査官は顔をしかめて頭を掻いた。ピルヒェさんは「いよっ!」と友だちをはやしたてた。そしてセフィロスとザックスはというと、苦笑しながら顔を見合わせた。
「でもおれたち、明日教授たちが出発する前に先回りしようとしてるから、朝早いですよ。教授は八時半に出発なんですよね? ピルヒェさん」
ザックスが云った。ピルヒェさんはうなずいた。
「ここ七時半には出ますけど」
「ま、そりゃいいんだ。そういうのは、慣れてるから」
バロッサ捜査官が云った。ザックスは肩をすくめた。
「それから、まだ大事なことがある」
コランダー捜査官は云った。
「ストライフ君の捜索は、続けるよ、なんとしても!」
ときに、記者見習いのストライフ君は、後頭部を殴打されての昏睡から目覚めると、すぐに身構えてあたりを見回した。薄暗かったので、最初ははっきりとは見えなかった。目が暗がりになれてくると、どうやら浴室に閉じこめられているらしいことがはっきりした。クラウドは浴槽の中に転がされていたのだ! 両手と両足は太い縄でがんじがらめにしばられており、口には布きれをかませられていた。なんたる屈辱! クラウドはくやしくて、歯ががちがちいいはじめた……もちろん、布きれのおかげで音をたてることはできなかったけれど、もしそうでなかったら、獰猛な狼並みに歯を鳴らしていただろう。
クラウドはずきずきする頭と、まだどことなくぼんやりする視界を抱え、腰を浮かせたり脚をちょっとばたつかせたりして、自分の身体の状態を確認してみた。とりあえず、派手な怪我はしていないみたいだった。クラウドはあわてて腰のベルトにつけたガス・ピストルを確認した。そのままそこにあった! やれやれ!
ふいに話し声が聞こえてきて、クラウドはあわててまた浴槽の中に転がって、目を閉じた。
「兄貴、やっぱりあの子ども死んじゃったんじゃない? ちょっと強く殴りすぎたんだよ……心配だなあ」
「うるっせえなあもう。おりゃあもうほんとにおめえと組むのがいやんなっちゃったよ! ガキが死んだらどうだってんだよ、ええ? 明日の朝、街から出たらどっかそのへんの森の中へ転がしときゃいいだろ! 狼の餌になるか、そんなもんさ! たとえ春になって死体がめっかったって、それまでだよ。そのころおれらはもうここにゃいねえんだから。だいたい、ひとのあとつけてくるようなガキは、信用ならねえよ。ろくなことにならねえや。いったいどこの誰が差し向けたんだろうな……ま、どうせそろそろ目覚ますよ」
「そろそろって、いつさ」
「知らねえよ! もう三十分か、そこらだろ」
「もし死んでたら? 大人を殺すのと、子ども殺すのとじゃわけが違うよ」
「だから、そんなこたあおめえが気にすることじゃねえっての!」」
ふたりのやりとりは滑稽だったが、クラウドは自分の尾行が気づかれていたんだと知って、ものすごく悔しくてそれどころじゃなかった。気づかれて、逆におびき寄せられて、捕まるなんて最低だ!
浴室のドアが開いて、男たちが入ってきた。クラウドは目を閉じる代わりに耳をダンボにして、様子をうかがった。
「けっ、まだ寝てやがらあ! だけど、ガキは寝るもんだよ!」
「毛布かけてあげようよ。あと、ミルクとパンも置いといてあげなきゃあ。アレルギーがなきゃいいけど……」
「あーあー、いやな世の中だねえ。なにもかもが昔とは違うんだから。アレルギーに、偏平足に、神羅とくらあ」
「偏平足ってなにさ」
「おれの足のことだよ! じいさんの遺産さ。べたーっと地面にくっついて、かっこ悪いったらありゃしねえ。すぐ痛くなるしよ」
ふたりは出ていった。クラウドは起き上がった。自分が、軍の関係者だなんて思われるのはとりあえずまずい。セフィロスやザックスとの関係を突き止められるなんてことよりは、ひとりで死んだほうがましだ。ここは、だんまりを貫こう。拷問されたって、なんにも吐くもんか。クラウドは決めた。で、起き上がって、腹にぐっと力を入れた。そのときちょうど、ものすごい馬面のベッポの方が、毛布と食べ物の乗ったお盆を持って入ってきた。彼は浴槽のドアを開けて、クラウドが起きているのでびっくりして、一瞬固まった。それから、あわてて毛布とお盆を床に置くと、「兄貴、兄貴!」と云いながら走っていった。
「あの子、目を覚ましたよ!」
その声は、どこから聞いてもあからさまにほっとしていた。
「だから云っただろう、このまぬけ!」
ふたりの男の足音がどたどた響いた。そうして、浴室の明かりがついた。クラウドは、男たちを睨みつけた。ふたりの男たちも、浴室のドアの前で立ち止まって、動くのをやめた。三人は、奇妙な沈黙の支配する、膠着した時間を何秒か過ごした。
「なあ、おい、坊主」
クルスが浴室に入ってきて、浴槽の前にしゃがみこんだ。そうして、クラウドの口にあてがっていた布切れをとった。
「おめえ、なんでおれたちのあとついてきた?」
クラウドは黙っていた。
「黙ってたんじゃわかんねえだろ」
クラウドは強情に黙っていた。クルスは「けっ」と云った。
「んじゃあ、一生黙ってろよ。どうせおめえは明日のうちに死んじまうんだしな」
ベッポが「兄貴!」と叫んだ。
「相手は子どもなんだよ!」
「子どももへちまもあるかよ。いいか、おれたちはあとをつけられて、逆にはめ返してやったけど、これはまずいことなんだ。このガキは、人畜無害なただのガキじゃねえとおれは思うね! 十中八九、どっかの探偵社とか、なんかの回しもんだ。ガキを使うなんて、おちょくられたもんだよ!」
「そんなあ、兄貴、かわいそうだよ……」
「うるせえ! おめえは黙ってろよ! そうやって同情すると、結局あとで自分にいやーな形で返ってくるんだ。そういうもんだよ、世の中!」
クルスは大股で浴室を出ていった。ベッポは実にあわれな顔をして、出ていってしまった自分の兄貴と、とらわれの少年を交互に見やった。
「ごめんよ」
ベッポはそう云って、いったん部屋から出て行くと、毛布と、ミルクとパンとチーズが乗ったお盆を持ってきた。
「今夜は冷えるからさ。これにくるまってなよ。それからこれ、ご飯」
ベッポはまた世にもあわれな顔をした。
「おいらだってさ、なんとかしてあげたいよ。でも、兄貴の手前、それもできなくてさ。兄貴、あれで面倒見がよくて、おいら、すごく世話になってるし。君のことはかわいそうだけど、兄貴に逆らうわけにいかないんだ。悪く思わないでよ、ね?」
義理と良心の板挟みだ。この世の中に、よくあるやつだ。クラウドは、この馬面のへんな男のことを、そんなに嫌いじゃなくなっていた。
「別にいいよ」
クラウドは云った。
「あんたのせいじゃないよ」
ベッポは真心のこもった顔でクラウドを見ると、そそくさと浴室から出ていった。
「まいったなあ」
クラウドは毛布にくるまって考えた。
「あいつら、おれのことどうするんだろう。おれ、生きて帰れるかなあ……」
セフィロスはひとりきりで、庶民的なホテルの部屋に戻った。ザックスもついてきて、別の部屋をとった。セフィロスはぜんぜん眠れなかった。クラウドは、いまごろどこにいるだろう? 暖かいベッドの中とは、いきそうになかった。夕食はなにか食べることができただろうか? お腹を空かせると、あの子はとてもいらいらしやすくなるから心配だ! ああ、そもそも、彼は無事なのだろうか?
セフィロスはたまらずベッドから起き上がった。部屋の中をうろうろし、窓から外を見、椅子に座りこんで、ため息をついた。そうして、ついにコートを羽織り、クラウドの母さんが作ってくれたマフラーを巻いて、部屋を出た。
フロントには誰もいなかった。セフィロスはそっと肩をすくめ、表玄関から外へ出た……
「ボース、セフィロスさん」
突然、後ろから声がかかって、セフィロスは振り返った。ザックスが、後ろに立っていて、にやにやしながらこちらを見ていた。
「こんな夜中にどこ行くの?」
「ついてきたのか」
セフィロスは苦笑した。
「やな云い方しないでくれる? 月がとっても青いからさあ、遠回りして帰りたくなっただけ」
セフィロスは、こらえきれずに吹き出した。確かに、とてもいい月が出ていた。ぜんぜん気がつかなかった。
「どこ行くのさ」
ザックスは相変わらずにやにやしながら、セフィロスと並んで歩きだした。
「あの子がいなくなったというあたりまで、行ってみようと思って」
「でも、捜査官のみなさんが、がんばってくれてるんでしょ? 地元警察にも依頼してさ。あーあー、いい恥さらしになっちゃうよ。軍の人間が、民間人に生け捕りにされたかも、なんてさ」
セフィロスはまた微笑した。
「そうかもしれないな。だが、おれ個人の問題としては、なにかしていないと、胃がでんぐり返りそうだ」
ザックスは声をたてて笑った。
「まあね。そうよね。わかるよ。動きがあるまで動けないってのも、じりじりしちゃうよね」
ふたりは、麗しき十二月の月夜の中を歩きながら、しばしだまりこんだ。月明かりが地面に薄くつもった雪に反射して、青白い、幻想的なきらめきを見せていた。空気は切るような鋭い冷たさで、通りに並ぶガス灯をぼんやりと覆い、ふたりの男を取り巻いた。
「でもまあ、じりじりしてたってしょうがねえし。こういうときは身体動かすと、なんとなく気分が変わるってもんよね。運動の効果って、すごいよなあ」
セフィロスはうなずいた。ザックスがこうやって隣にいて、のんびりした会話をともにしてくれていることが、せめてもの慰めだった。ふたりとも、同じ焦燥感を感じていた。同じ不安にさいなまれていた。けれども、どちらもまるでそういう競争でもしているみたいに、決してそれを見せなかった……ふたりは、いつもそうなのだ。不安は口にせず、悪い予感は笑い飛ばし、淡々と、ただ人生がいい方向に流れると信じて、その時間を生きるのだ。広大で変幻自在な人生の前に、少しでも頭の働く人間は、そうすることしかできないのだといずれ悟るものだ。人間は神ではない。すなわち、神は人間ではない。よって神は、人間が思うほど意地悪でも、無慈悲でも、節操なしでもない……。
セフィロスは祈りに近い気持ちで、クラウドの無事を願っていた。あのやかましい子が消えてしまったら、自分はこの先、いったいどうやって笑って生きていくというのだろう? そんなことは、とうてい考えられなかった。だから、まだ、彼がいなくなるには早すぎる。だから彼は、いなくならない。
「エアリスちゃんが十八になったらさあ」
ザックスがふいに月を見上げて云った。
「ザックスちゃん、プロポーズなんてしようと思ってるのよね」
セフィロスは首を小さく傾けて、続きを促した。
「これ、来年の話。あの子、二月生まれなの。あとちょっとだわ」
ザックスは鼻を鳴らした。セフィロスは「そうだな」と云った。
「閣下ちゃんが十八になったら、セフィロスちゃん、そういうことする?」
セフィロスは、ザックスと同じように月を見上げて、微笑した。
「かもしれない」
そうして、ひとつ息を吐いた。
「だがあの子の場合、向こうからしてきそうだ。たぶん、自分こそが大黒柱だ、と云うだろうな。意地でもおれを養いにかかるに違いない。稼がざる者は黙っていろ、と云われそうだ。あれは、なかなか責任感のある亭主関白な亭主になるような気がする。ただし、肝心なところでからっきしなんだが。そんな気がしないか?」
ザックスは気味が悪くなるほど笑った。
「だいたいあいつ、仕事に不自由しなさそうだもんな。いくつの職業に勧誘されたっけ? 整備士だろ、スパイだろ、チョコボの御者だろ、世界中に仕事のあてがあるよ。どれやっても、食っていけそうだし。仕事嫌いなやつに、仕事好きなやつがくっつく。ずぼらに潔癖性がくっつくのとおんなじだよな。世の中って、反対どうしでうまくやってんだ、きっとさ」
「ああ、そうだろうな……」
ふたりはとりとめもない会話をしながら、ソルジャー基準の早足で、クラウドが行方知れずになったというひどくうらぶれた地区まで来た。
「ずいぶん遠いとこまで来たのね、閣下」
ザックスが小声で云った。セフィロスはうなずいた。
「こりゃあ、探すのに手間取るわけだわ」
ザックスはぐるりを見回して、ため息をついた。安普請のアパートやホテルが立ち並んでいて、おそらく相当数の人間が、法に則らないかたちで住んでいるに違いなかった。こういう地区のホテルのオーナーやアパートの大家は、金さえまともに払って、かつもめごとを起こさずにおいてくれれば、借り手がどこの人間だろうが、どんな経歴の持ち主だろうが、あまり頓着しないものなのだ。たとえ貸し与えている部屋のひとつである日突然出産が執り行われようが、そんなことはぜんぜん気にしないし、その結果生まれた赤ん坊のことについては、苦情が出なければなおのこと気にかけない……。このあたり一帯に、正確にどれくらいの人間が住んでいるのか、警察だって把握できていないに違いない。
ふたりはしばらくあたりをうろついた。途中で、捜査官に会った。重たいコートを着て、寒そうに肩をすくめている。
「ちくしょう、冷えるなあ!」
ザックスがつぶやいた。セフィロスは「そうだな」と云って、ため息をついた。しばらくあたりをうろついたが、結局、なんの手がかりも得られなかった。クラウドが凍えなければいいのだけれど。セフィロスは考え……首を振った。