あこがれの終わり

「やばいやばいやばいやばい」
 割合に大きな声でその単語を繰り返しながら廊下を走るザックスに向けられる視線はただ困惑、あるいは冷たかったが、彼は気にしなかった。この場合、周囲の状況を気にしている場合ではなかった。友だちの緊急事態に、自分が置かれている状況の隅から隅まで気にしていられるほど冷酷な上官にはなれない。なりたくもないし、そんな人間離れしたことができるのはたぶんこの世でボスだけだ。そのボスの顔を思い出して、焦燥感がさらに腹の底からせり上がってくる。友だちは、ボスのアレでもある。目下同棲中。なかなかうまくやっているらしい。興味のない人間には徹底して関心を示さない気むずかしい友だちだから、せめてそうじゃないひととはうまくいってほしい。たとえ相手が自分のボスでも。もっと云うと、男でも。
 化学部門が占領しているフロアは、ひどく独特の雰囲気を持っている。湿っぽくて、薄暗くて、薬品のにおいが鼻をつき、受付に出てくる男はそろいもそろって幽霊並みに陰険だ。ぼそぼそと力なく、相手の顔を見ずにしゃべる。今回の男もそうだった。ぼたっと法外に太っていて、その眼鏡の奥の目と自分の目とを接触させたいとは夢にも思わない。
「はいこれ、ID。今日のテストでぶっ倒れたのいるだろ、引き取りに来た」
 太った男は無言でザックスの差し出したカードを一瞥すると、無表情のまま白衣のポケットから取り出したカードキーを差しこんで、ラボへの重たい扉を開いた。扉の先は、ますます湿っぽい。わけのわからない色の液体が並んでいるし、資料は山積みだし、天文学的数値の計算が得意らしいやたらに大きな端末が、ときどきぶん、とうなり声をあげている。研究員ひとりひとりに小さな部屋があてがわれているので、フロア全体がいくつにも間仕切られていて、ぎゅうぎゅうづめの蜂の巣みたいに見える。
 気味の悪い太った男は無言のまま廊下を歩き、フロアのもっとも奥まったところにある扉の前で、暗証番号と静脈認証の儀式をやってのけた。セキュリティレベルが高ければ高いほど、ザックスはなぜだかいらいらするのを抑えることができない。まどろっこしい。そしてきな臭い。
 開いた扉の先は、天井まで届きそうな巨大なカプセルが並ぶ部屋だ。縦置きにされたもの、横にされたもの、いくつもある。ここには何度か世話になっている。魔晄漬けになるための部屋だ。ソルジャーになるための、必須の儀式だ。なりたいやつは、一度はここでテストを受けなければならない。魔晄に対する耐性は、個人差が著しくはげしい。耐性のないやつは、ほんのちょっと浴びただけでも、もうだめだ。そのまま永久にもとの世界に帰ってこないやつもいる。実際試験の時期には、毎年そういうのが何人か出て、そうして密かに処理される。そこまで重症化しなくても、半年くらい体調不良を訴え続けるやつ、しばらく幻聴に悩まされるやつ、いろいろだ。そういうものと引き替えに、強さを手に入れることが正しいのかどうか、ザックスにはわからないし、考えない。そういうのは、個人で答えを出すべきことだから。たぶん正解のないことなのだ。世の中の、ほかのいろいろのことと同じように。
 居並ぶカプセルのあいだを通り抜けて、さらに奥にある医務室へ。気分が悪くなった人間は、しばらくここで横になることができる。ありがたい気遣いだけれど、でもこの部屋に温かさはぜんぜんない。白いベッドがただ無機質に並んでいる。モニターや、薬品棚や、そういうものも無機質に置いてあるだけだ。彼の友だちは、一番奥のベッドに横になっていた。もともと色は白いほうだけれども、友だちの顔色はまるで石膏みたいにざらついた感覚を呼び覚ます無機質なおそろしく白い白さ、死んでいると云われれば信じてしまうほど生命力のない白さをしている。ザックスはほんとうに、ふるえそうになる。このうえ友だちを失うなんてことは、耐えられないことだ。いくら鋼の精神をしていたって、人生で何度も友だちを失うなんてことは。そういう道を選んだのは自分でも、友だちくらいもっとしっかり守れるものと思っていた。でも実際は、友だちはみんな勝手に死んでしまう。他人の生命を、他人はどうにもしようがないことを、最終的に本人以外の誰にも責任がないことを、ザックスは理解している。でもだめだ。とても受け入れられない。そんな無力感は。
「じゃ、これもらってくよ」
 いろいろな感情を振り払って、いつもの調子で自分を引率してきた太った男に云う。
「十日」
 男がふいに声を上げた。奇妙に甲高い声で、子どもじみたものに聞こえた。ザックスはぎょっとして男を見た。
「十日たって、まだ意識が戻らなかったら、そのときは、連絡をください。規定で回収しないといけません」
 そう云って男はぐっと眉を、目の回り全体をしかめた。眼鏡に、盛り上がった頬の肉が当たっている。普通は目を細めていると形容されるのだろうけれど、男の場合はたっぷりついた肉のせいで、大変な難儀をして目の周りの肉を寄せ集めているように見える。
「これだって特例措置なんですよ。博士がOKを出したからいいですけど、ほんとだったら僕がデータとれるはずだったんだから」
 怒ってはいけない。このフロアの人間はみんなこういう人種なのだ。人間的な感情なるものは、確かにひたむきな追求の邪魔になる。怒ってはいけない。自分だって、その恩恵を被って生きているから。
 ザックスはぜんぜん動く気配のない友だちを抱えあげた。いつも本人の手によって「完璧に」セットされているはずの金髪はすっかりへたりこんでいる。それを見ただけで、ザックスはもうだめだ。花がしおれたのを見たときみたいに、でもそれよりはるかに悲しくなる。
「宝条せんせーに、ご親切にどーも、つっといて」
 そう云って、男が開けてくれたドアをくぐって出ていく。さっき歩いた気味の悪い道のりをもう一度。背中にのしかかる重みが、ひどく重い。そしてひどく冷たい気がする。さっき怒ってはいけないと思ったのに、ザックスは最後のドアを抜けてから、それを思いきり蹴飛ばした。

 誰かを抱っこした状態でバイクに乗るのは女の子が最初と決めていた。もっと云えば最初から最後まで女の子以外にそんなことをするつもりもなかったし、またそうあるべきだった。健全な若い男としては。でも、これは緊急事態だ。クラウドは大好きなバイクに乗せても飛ばしてもぜんぜん動かなくて、ほんとうに死んだみたいだった。こういう動かない人間を運搬するときには車を使うべきなのだろうけれど、そんなもの持っていない。軍のやつを借りるわけにもいかない。これはごくごく私的なことだからだ。
 夕暮れのミッドガルはきれいだけれど、そんなものを堪能していられない。ザックスはほんとうのところ、泣きそうだった。泣きそうだということを真剣にとらえて、そして抑圧しなければほんとうに叫びだしてしまうかもしれなかった。はじめての友だちを、失くしたときに似ている。というよりも、自分の身体が、心が、そのときに舞い戻ってしまっている。紙みたいに白いクラウドの顔。色見のない唇。怖かったのだ。彼を失うことが。ひとが死ぬのをたくさん見ていることと、友だちを失うということのあいだには、違いがありすぎる。俗な用語でいけば、ザックスのそれは過去に友だちを失ったことの、トラウマだった。こういうことばは便利だ。トラウマ、抑圧、コンプレックス。この三つのことばで、たいていのことはわかったような気になる。けれども、そのほんとうの重さは、それを乗り越えることのほんとうのつらさは、こうしたことばにはちっとも含まれないし、うかがい知ることもできない。ザックスは怖かった。ほんとうに怖かった。また、ひとが死ぬんだということ。自分が無力なのだと思うこと。会社に、世界に対するどうにもしようのないやるせなさを感じてしまうこと。感じる前から、怖がっている。こんなことじゃだめだ。まだクラウドが死ぬって決まったわけじゃない。そう思う。けれども、想像力が、そして一度作られた神経回路が、ザックスを容赦なく恐怖の中に引きずりこむ。そのおそろしい引力。ほんとうはそれが一番怖いのだ。わかっている。わかっているのに、わけのわからない恐怖を、焦燥感を、どうしたってぶち破れない。
 セフィロスもセフィロスだ。なんだって、止めなかった。ザックスはそう考えそうになる自分にぞっとする。あれはたぶん、ソルジャーは無理だとセフィロスはいつだかはっきり云ったのだ。クラウドのなにかが、セフィロスにそう思わせたらしい。能力を否定するわけじゃないが、ソルジャーになれるか否かは、それとは次元の違う問題だ、努力も潜在能力もなにもかも、ほんとうのところどうでもいい、大事なのはただひとつ、魔晄の力に耐性があるかどうか、それを肉体が、そして精神が受け入れられるかどうかだ、あれはたぶん、無理だ。
 ザックスは化学部門のやっていることについて、セフィロスのようにいろいろ知識を収集して、考えているわけではない。だから、セフィロスがそう判断した理由を訊かなかったし、訊いたって理解できなかった。ただ、なんだか残念だな、と思った。ザックスはいつか、クラウドとふたりでモンスター相手に暴れるのを楽しみにしていたから。そうしてクラウドのことを、かわいそうなやつだと思った。セフィロスがそう判断したのなら、たぶんそれは間違っていないという確信があったから。この世で一番正確な診断をする医師に、死の宣告を受けたようなもの。クラウドはきっと、ソルジャー試験、受けないだろうな。そう思った。魔晄に耐性のないやつが、どうなるか知りすぎるほど知っていたから。そんなことを、セフィロスが許可するはずがない。それがクラウドの夢だったのに。夢がつぶされるということは、とてもしんどいことだ。運よく叶えてしまった自分には、想像もできないくらいの、たぶんとてもみじめな気分だ。プライドをぶちのめされるだろうし、きっとしばらく立ち直れないに違いない。そうなったクラウドに、かけることばなんて思いつかない。おれ、なにがあってもおまえの友だちだからさなんて軽くて適当なせりふは、ぜったいに吐けない。クラウドのことだから、そんなことを云おうものなら二度と口もきいてくれないだろう。そういうやつだ。
 そんなことを考えて、しばらく前から感傷的な気持ちだった。だから、試験の一週間前に、クラウドが受けるだけ受けると云ったときは、気が狂ったのかと思った、セフィロスの。相談したかと訊くと、したと云う。いろいろ云われはしたが、最終的に、好きにすればいいと云われたという。クラウドも悩んだような気配があったけれど、でもまあそう決めたから、と結んだ顔は、どことなく誇らしげだった。ザックスはわけがわからなかった。ほんとに受けるのか、と云うと、にやっと笑い返してきた。
「云わないつもりだったんだけどさ、ほんとのこと云うといまのいままで、云わないつもりだったけど、でもさ。友だちだし、そういう隠しごとってなんか自分がされたらむかつくなって思ったから」
 結局、続いて投げられたクラウドのそのことばだけで、ザックスは十分だった。好きにしろよ、おまえの人生だから。そう云った。そしてその瞬間に、セフィロスもこういう気持ちなのだということを、理解した。そのときは、たしかにそう云うだけの覚悟があったはずだった。クラウドがどうなっても、どうにかしてやる。今度こそ。死にかけの魂だって、引きずり戻してやる。そう決めていた。クラウドになにかあっても化学部の連中に好きにされないように、打てるだけの手を打っておいた。そして実際、クラウドはぶっ倒れた。みごとに。意識不明。引っぱられてしまったのだ。変な云い方だけれど、あっちの世界、たぶん人間が行ってはいけない世界に。魔晄漬けになるあの感じを、ザックスはそれ以外に表現できない。一度いわゆる中毒状態になると、もうあとのことはぜんぜんわからない。ここから、目を覚ますのかどうか。覚ましたところで、まともな人間に戻るのかどうか。だめだ。不安材料が多すぎる。未確定要素が、多すぎる。
 不安が、どうしようもない。ザックスはこうやってバイクを飛ばして、セフィロスに投げるしかできそうにない。それ以外には、なにもできそうにない。あんなに、なにかあったらなんとかしてやると決心したのに。まただめかもしれない。いいや、だめじゃない。そのふたつのことばのあいだを何度も。運転中の目にオレンジが眩しく、きっとすごくきれいな夕焼けなのに、それにぜんぜん気を配れない。こんなときの景色ほど、ほんとうはいやになるほどきれいなのだ。わかっている。でも、どうあってもそれに心を配れない。動かないクラウドの身体が、おそろしい。

 クラウドを片手で抱きかかえて、セフィロスの部屋を呼び出す。人間の配達なんて、もう二度とごめんだ。
「ザックスか」
「そう、おれ。クラウド届けに来たよ。入れてちょーよ」
 口調はこんなときどうしたって、本心を裏切るようにできている。ザックスの場合は。筋金入りだ。明るくすることで状況はますます明るくなる。これは絶対的な真理だ。彼はそれを徹底して守ってきた。本音を吐けないわけじゃない。素直になれないわけでもない。けれども、暗くしていたってしょうがないことが世の中に多すぎるから、それなら笑って、笑い飛ばして、そうすれば、ほんとうに笑いになる。いつも笑うこと。なにがあっても、くじけないこと。これはほんとうのためになる教訓だ。そういう人間にこそ、幸福が訪れる。ザックスはそれを身体で知っている。だから、状況がよろしくないときの口調は、本心を裏切る。でもそれはいいことなのだ。うそでも笑えば、気分が変わるから。
 エレベーターを降りて、玄関をノック。セフィロスはすぐに出てきた。ザックスと、そして彼に抱えられているクラウドを一瞥し、小さくため息をつく。
「こうなると思っていた」
 そのひとことに、ザックスは瞬間的にかっとなる。そうしてそれをあわてて押しこめる。
「別に抑えこむ必要はない。当然だ。いまのはおれの云い方が無神経だった」
 クラウドを受け取りながら、セフィロスは云う。ザックスは頭をかく。
「いや、悪かったよ。おれちょっと混乱してんだわ、頭」
 抱え上げたクラウドの顔に視線を走らせ、セフィロスはザックスをまともに見た。
「……なに?」
「いいや。結局、おまえもこいつの意思を尊重したわけだ」
 そうして、こんなときになんだけれど、セフィロスは唇をつり上げた。
「そーするっきゃねえじゃん、だってさあ。ほかにどうしろっての? おれにこいつのやりたいこと止める権利とかないっしょ。ってか、あんたもそう思ったんしょ。だから……だからさ、おれこいつになんかあったら死んでもなんとかしてやろうと思ったのに、でも、だめだわ。すくんじゃってやんの。怖いの。身体の真ん中らへんが。昔に飛んじゃってんの。もうずっと前の話なのにさ。止めなかったこととか、後悔しかけてみたりしてさ……でもとりあえず、閣下頼むわ。なんかあったら電話くれよ。おれ本気で、なんでもする」
 すがるような云いかたになったのは仕方がない。こんなになったクラウドをどうにかできるかもしれないのは、たぶんセフィロスだけだから。自分では役不足だということを、ザックスは素直に認めるしかない。セフィロスみたいに頭が良くない。そしてザックスのクラウドへの感情と、セフィロスのクラウドへの感情とでは、そこに働く根元的な力がぜんぜん違う。
「さしあたってできることがひとつだけある」
 セフィロスが云った。ザックスは顔を上げた。
「なに?」
「自分の面倒を見ること。そんな死にそうな顔をしていると、おれまで死にたくなる。まだこいつがだめになると決まったわけじゃない。縁起でもない想像は、単にするだけでも悪影響が出る。悪想念を発するな。正直な話、迷惑だ」
「……メーワクってひどくねえ?」
 ザックスは唇の片方をつり上げて笑った。セフィロスのこういう云いかたは、悪くない。お願いだから悲観的にならないで、などと云われるより気が利いているし、押しつけがましくない。
「事実だ。自分の気分を制すること。大事なのはいつでもそれだけだ」
「……了解しました、ボス」
 さっと敬礼して、にやっと笑いかけると、ザックスはその場をあとにした。大丈夫。大丈夫だ。あのセフィロスだから。彼にできないことなんてないという単純で純粋な神話を、ザックスはまだどこかで信じている。セフィロスがうろたえるとか、困り果てるなんてところを、彼はまだ見たことがない。きっと、そういうことにはならない。大丈夫だ。あのセフィロスがついているから、クラウドは、大丈夫だ。死なない。ちゃんと戻ってくる。彼は、昔いなくなってしまった友だちじゃない。あんな引っこみ思案な孤独屋じゃない。孤独なのは孤独だけれど、でもちゃんと信頼できる相手がいる。だから、大丈夫だ。

 セフィロスからいっさい連絡はなかった。これもまた、ほんとうは予測できていたことだ。セフィロスは半死半生のクラウドなんか、あえて見せようとはしないだろう。彼はすることがない時間は、ずっとぼんやりしていた。悪想念を発するな、と釘を刺されていたから、なにも考えないということをすることにした。ぼうっとして、テレビを見て、笑って、クラブに行って、お姉ちゃんとデート。なにも考えずに、目の前の時間を生きることに夢中になる。クラウドのことなんてなかったみたいに。そうするしかできなかった。無事を祈るなんてことすらも。だってそういうことをはじめたら、またほんとうに助かるだろうかなんて、考えはじめてしまうからだ。
 期限の十日まで、あと三日という日になって、携帯が鳴り響いた。そのとき彼はたまたま女の子(知り合いの彼女だ、だがこちらに気がある。複雑な状況だ、悪くない)を送って帰る途中で、信号待ちをしていた。最近、電話に過剰反応する。もしかしたらセフィロスからかもしれないという淡い期待で。だが見事に裏切られた。それ以上のカウンターパンチを食らった気分だった。ディスプレイに表示されていたのはクラウドの名前だったから。ザックスは、冗談抜きに飛び上がった。
「もしもし?」
「あ、ザックス? おれ。あのさあ、おれのロッカーわかる? たぶん財布置き忘れちゃった。持ってきてくんない? セフィロスがさ、外出禁止とか云うんだよ」
 ザックスは泣き出しそうになった。なにごともなかったかのようなクラウドの、相手がぜったいに断らないことを念頭に置いた、むかつく頼み方。いつもどおりの。ザックスは、うまいことばが出てこなかった。なにか云ったら、とたんに目の奥から熱いものがあふれそうだったから。そうして、身体中から次々にいろいろなものがあふれそうだったから。
「ザックス? あ、おまえもしかして泣いてる? ほんとに?」
 ザックスは奥歯をかんで、自分の感激をやり過ごした。
「ばかたれ。生意気なことぬかすなっつの。だいたいなあ、おまえ、感謝のことばとかないの? おまえ運んでやったのおれなんだけど」
「ああ、そうだった。うん、ごめんごめん、はいはい、どうも」
「おまえ、ほんっとにむかつくな。やっぱ死んどけ、ばかたれ」
 クラウドがげらげら笑っている。なにごとだと云うセフィロスの声が聞こえる。なんでもないよ、ザックスがおれに死ねだって、とクラウドが答えている。おまえはすこし態度が悪すぎる、とセフィロスが説教しはじめた。クラウドはまだげらげら笑っている。ああ、だめだ。生きているんだ、こいつは。ちゃんと生きているんだ。ザックスは胸のところがぎゅっと押しつぶされたようになる。ほんとうにどうしてこんな性格の悪い友だちなんかできたんだろう。性格が悪くて、気むずかし屋で、顔以外にいいところなんかぜんぜんない。ぱっと見には。けれども、すごくいいやつだ。すごくまじめで、けなげで、いいやつだ。
「……なあ、閣下」
「ん?」
 クラウドがようやくげらげら笑いをおさめた。
「あのさ。おれ、うれしいわ」
「……うん。ごめん」
「今度、イモおごる」
「おまえ、そればっかだよな」
「しゃーねーじゃん、おれの財布そんな余裕ないの。んで? なに? 財布取ってこい?」
「うん。特別急ぎじゃなくていいけど。いつ鍵渡せばいい?」
「いらね。こじあけて二度と鍵使えねえようにしてやる。修理代おまえが払えよ。ざまみろ、ばかたれ」
 ザックスは電話を切った。高揚感と感動といろいろなものがもみくちゃになって、どこまでもバイクを飛ばしたい気持ちになったから、彼はその通りにした。高速に飛び乗って、ミッドガルを一周。ふたりがはじめて出会った日に、そうしたみたいに。

 クラウドは、ソルジャーになれなかった。本人は、まあそれでもいいや、予想ついてたから、と案外あっけらかんとしていた。おまえなんで試験受けたの、とザックスが約束のイモをおごりながら聞くと、クラウドはしかめっ面をして、理由がかわいすぎるから云えない、とぬかした。
「なんだよ、かわいい理由とかあんのかよ」
「あるんだよ」
「なによ、それ」
「いいだろ、別に」
「云えよ」
「やだね」
「云えっての」
 気味が悪くなるほどイモが乗ったトレイを持ち上げて、ぶちまけるふりをすると、クラウドがあわてた。
「それだけはやめて」
「じゃあお云い」
 クラウドはため息をついた。
「だって知りたかったからさあ」
「なにを?」
 トレイをテーブルへ戻しながらついでに一本イモをくすねる。
「セフィロスのいろいろ」
「……ああ」
 なるほどかわいいわ。と云うのはやめた。そんなことを云ったら、クラウドはたぶん、自分から云いだしたにも関わらず、しばらく口もきいてくれなくなるだろうから。
 まったくクラウドはいいやつだ。ほんとうにけなげなやつだ。あんな目にあうのを忠告されても、知りたかったわけだ。セフィロスのこと、彼の苦悩、孤独、いろいろ。その片鱗でも。そういう情熱は、自分にはない。身体を張ってでも相手のことを知ろうとする、守ろうとする、そういう情熱。ザックスはなんとなくまたうれしくなった。ボスにいい感じの……かなり生意気だしわがままだし態度がでかいけれども……理解者ができたこと。そしてこのおそろしく誤解されやすい友だちにもまた、いい理解者ができたこと。それから、そのふたりのことを好きな自分。
「おれもさあ、いい加減まじで好きになれる彼女っての、できねえかなあ」
 無理無理、とクラウドがイモをかじりながら云う。
「ザックス、浮気症だもん。顔派手だし」
「おまえ顔でひとのこと云えっかよばーか。浮気症ってなんだよ」
「そのまんまだよ。女の子の知りあいいすぎ」
「やっぱ整理しないとだめかなあ」
「いい顔しすぎなんだよ。あっちにもこっちにも。もっとどうでもいいやつなんかどうでもいいってなれば?」
「あのね、閣下。普通のひとはね、おまえみたいに性格悪くねえからそういうことできないの。心が痛むの」
 クラウドはいつもは皮肉げな顔に穏やかなものをにじませて笑った。
「うん、知ってる。おまえいいやつだから」
 ザックスは驚いて、手にしていた紙コップを取り落としかけた。そうしてとてもうれしくなって、それからお互い奇妙に恥じ入って、あわててふたりともどうでもいい話題をばらまきはじめた。

 クラウドをセフィロスのところまで輸送してから、ザックスはアルコールを探す旅に出た。彼はたぶん、すこしおかしかった。クラウドのことばのせいだ。おまえいいやつだから、なんてあのクラウド閣下の口から飛び出すとは、それこそ夢にも思わなかった。ザックスはちょっと気を抜くと、顔がゆるみそうになるような気がして、わざとぎゅっと唇を噛んで、バイクの心地よい振動に身を任せた。
 伍番街スラムにさしかかったときだった。なにかを必死に探す少女の姿が目に入った。女の子が困っているのに見過ごす男は、男じゃない。ザックスは母からのその教えを忠実に守っている。その気になれば、というよりも、家族のためなら熊とだって喧嘩するような母だった。気が強くて、でも涙もろくて、ちょっと型にはまっていてぶっきらぼうなのだけれど、いつだって優しい。
「どうしたの? こんなとこひとりじゃ危ないよー。なんか探しもの?」
 バイクにまたがったままゆっくりと、しゃがみこんでいる彼女の背後に近づいた。振り返った少女の顔は、ひどく印象的だった。それを決定づけていたのは目だ。深い緑の、大きめの目。あまり見たことのない色をしている。そして、不思議な意志の光を放っている。ちょっとたれ目。小さめの鼻と唇。守ってあげたくなるタイプの作りだ。長く伸ばされ、編みこんでまとめられた茶色の髪が猫のしっぽみたいに揺れた。そこにくくりつけられているリボンもいっしょに。それが、いまどき珍しいくらい清楚な印象を与える。
「大事なアクセサリー、落としちゃったの。ピアスなんだけど」
 少女はちょっと困ったように眉を寄せる。それから安心させるように笑う。その気遣い、いいな、とザックスは思う。
「ちっこいの?」
「これくらいしかないの」
 と云って、少女は親指とひと差し指で、小さな丸を作る。
「うわ、見っかるかな、そんな大きさの。このへんで落としたん?」
「そうなの。大事なものだから、できれば見つけたいけど」
 ザックスはバイクから降りた。
「お手伝いしましょう、お兄さんが」
「ほんと? ありがとう」
 ザックスはかがみこんで、薄汚れた地面の上を探しはじめた。ピアスはなかなか見つからなかった。でもザックスは、見つかるのがうんと先になればいいなと思った。少女がとてもいい子で、話していると楽しかったから。性的なものが露骨じゃない。すれていない。変に慣れているような、男を男と意識しているようなそぶりもない。ここ最近では見なかったタイプ。新鮮だった。
 別にいますぐそういう意味でつきあいたいわけじゃないけれど。でも、こんないい子もいるんだな、とザックスは思った。このミッドガルの、スラムにも。ピアスは散々探した末に見つかって、ザックスは彼女を家のそばまで送り届けた。結局、彼女のことはなにも聞かずに別れてしまった。でも、ザックスは別によかった。自分の人生に関わるべきひとなら、たとえ何度別れても、ちゃんとまた会うことになっているから。クラウド閣下みたいに。彼女も、きっとそうだな。そんな予感があった。こういう勘は、昔から発達している。だから、初対面からいろいろ聞き出して、警戒させるようなことをしなくてもいいのだ。
 アルコールを探す旅は、やめにしてしまった。ザックスはまっすぐに家に帰ることにした。バイクを転がしながら、幸せで幸せで死にそうだみたいなどうしようもない歌詞の、いやに明るい、何年か前に流行った歌をうたった。そうだ、今度閣下を連れて、ライブに行こう。はじけられるやつ。それで、あいつに酒を飲ませよう。女の子と絡ませてみよう。たぶん面白い。
 人生は、いつだって楽しむためにある。暗い気分、怒り、悲しみ、そんなものを、いつまでもぐずぐず引きずるやつはばかだ。そういうものは、意志を持って振り払わなければいつまでもついてくる。だから、楽しいことを探す。いいことを見つける。そうすれば、いいことだけが起きるようになる。こんな単純なことを、みんな信じない。本気にしない。ほんとうは、人生はこんなに豊かで、楽しいのに。
 ザックスは部屋に帰って、ズカズカにやかましいCDをかけた。そうして瓶に入っているワインをラッパ飲みした。「人生万歳!」と彼は叫んだ。ひとりで笑った。そうして、幸せな気分のまま眠った。夢の中でも彼は幸せだった。いつまでも幸せなことを、信じられる。こんな気分のいい夜には。

 

もくじ 次へ→

 

close