コスモキャニオンはネイティブアメリカンの文化圏ですよね

 という認識のもと、出発した話でございました。七夕にあげようとしてたけど、どこが七夕か? うーん、星……つながり? ←とても苦しい
 ナナキのデザインや、コスモキャニオンの感じがネイティブアメリカンの文化を下敷きにしているそうなので、これはきたなあと思って、突発的に書き出してみたものです。ネイティブアメリカンの思想……というか、彼らの世界観、認識、そういうものが、わたしはとても好きです。だから大いに拝借しつつ、ちょっと変えつつ、作りました。たぶんあの谷に住むひとたちは、ネイティブアメリカンな文化をもとに、暮らしているのだろうと思って。だから、星命学やアバランチが、あそこから生まれたのだろうなと思う。7の世界観は、ネイティブアメリカンや、あるいは日本の古神道もそうだし、云ってしまえばたぶんほとんどあらゆる民族の原始的な世界認識がそうであるところの、わたしたちはひとつであって、循環しているという思想と連動するものを持っていて、とてもとても興味深いです。ネイティブアメリカンの思想なんか引っぱってきても、ぜんぜん違和感がないですものね。いやすごいと思います、あの作品は。
 古代種とか、もっと掘り下げたらものすごい面白いことになると思うんですが、これはもう仮説も仮説なので、やるとしたらちょっとパラレルワールド的な感じになってしまうかもしれない。ちょっとだけ、違う世界。そういうのも、いつか書きたいんですけれどもね。
 クラウドとナナキがつきあいを続けるっていうのは、この話を書く段階で確定した(笑)で、セフィロスのことを考えたけど、人間長いこと生きてりゃ、よっぽどのこともそれなりのことになるわけで、彼はいつか、ちゃんと赦しを受け取るのだと思った。ひとからも、もっと大きなものからも。わたしはあらゆる不幸、あらゆる災厄は、すべて想定されたものであり、必要なものであるという認識のひとですから、それでいけばセフィロスがやったことだって、ちゃんと想定内のことであったわけです。わたしたちが見なければならないのは、その結果生じたものです。それをどう解釈し、どう活かすかによって、すべてが変わってくる。人生ってたぶんそういうもので、それはこの世界レベルでも、宇宙レベルでも、そして彼らの星レベルでも、変わりはないんじゃないかな。そういうふうに思います。
 星と、世界と、セフィロスへのforgiveness。そういうものを、駆け足でつめてみました。五十枚以内にまとめるのちょいちょいきつかったですこれは。。伏線とかちゃんと張りきれてないし、生かしきれてない。五十枚っていうのは自分の中でのひとつの制限なんですが、これを超えたらもうちょっと本レベルかなって思う、ぎりぎりのライン。本にするものは、百枚超えレベルでいこうっていま勝手に思っているんですけど。ていうか作る気あるんだねめーこさんあんたいま云ったよ覚えてろよ。。
 とりあえず云いたいのは、わたしはセフィロスが好きです、ということ。そして彼らの世界も、わたしのいる世界も、好きです。
 長ったらしいものにおつきあいくださって、ありがとうございました! まあなんだか毎度のことではありますが、あまり深読みせずに流してください(笑)いえ、深読みしていただいてもとてもうれしいですが。。

 

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