アンケートおよびうちわ事件の顛末

「おれ、今日ちょっと出かけてくる。伍番街だけど、マリーのとこに行くわけじゃないよ」
 セフィロスにとってはよくわからない冗談ではあったけれど、彼はそうかとうなずいて、元気よく出かけていくクラウドを見送った。かれこれ十二時間は前のことだ。
「買い物か」
 とセフィロスは一応訊ねたのだ。訊いても無駄だろうとは思ったけれど。
「買い物っていうか、まあちょっと。たいしたことじゃないけど。昼過ぎには戻るから。昼ご飯? わかんない、気分で食べてくるかも」
 そういう答えだったから、セフィロスは遅くとも、三時までには帰って来るものと思っていた。それに、今日のおやつは未亡人お手製のババロアだった……クラウドが、三度の飯より好きだと云ったやつだ。ドーム型のそれを、注意深く見守っていないとクラウドはいちどきに全部食べてしまう。製造工程を考えれば、これはたいへんな脂質糖質摂取過多だ。ババロアを見限ってまで彼がなにかに没頭するとは、よほどのことがないかぎりあり得ないし、実際よほどのことが起きたのだろうと思われた。現在、時刻は午後九時を回っているが、クラウドときたらちっとも戻ってくる気配がない。明日は仕事だというのに。
 セフィロスは、午後六時を回ったあたりから見ているほうが哀れになってくるほど落ちつきを失い、はらはらしはじめた。クラウドの携帯にかけてみるのだけれど、いっこうに出ない……どころか、電波の届かないところにいるか電源が入っておらぬ、という例の冷たい女の声が聞こえるばかり。とうとうたまりかねて、彼はザックスに電話を入れた。もしかしたら、偶然か故意か一緒になって馬鹿騒ぎをしているだけかもしれないのだ。
「閣下あ? 一緒じゃねえなあ。久々のフリーダムな休日を満喫してるんだけどさあ、おれ」
 なにやらがやがやとやかましいところにいるらしいザックスの声は間延びしていて、アルコールが入っている可能性を示唆している。
「なんかあったの、閣下」
 セフィロスは、たいしたことではないが待てど暮らせど帰ってこないのだと云った。
「どっかに引っかかってんじゃん? あいつのことだから」
「おそらくそうなのだろうが、どうにも腑に落ちないというか、なにか違和感を感じる」
 電話越しのザックスの気配が変わった。彼は長年の経験で、セフィロスの違和感ほどあてになるものはないと確信しているのだった。たとえ色恋沙汰が絡んでいようと、なんだろうとだ。そこで、彼は説明を求めた。セフィロスは今朝からの経過を、ババロアのことまで詳しく述べた。ザックスはうなった。
「なにやってんだよ、あのばかたれ。ちょっと待っててくんない? おれここ抜けてあんたんとこ行くわ。そーねえ、二十分で行くわん」
 気持ちの悪い口調でそう云うと、彼は電話を切り、そうしてほんとうに二十分後にやってきた。
「お待たせ、ピンチのときにも頼れるザックスちゃんだよ。道々考えてきたんだけどさあ、ちょっとパソコン貸してくんない? 閣下が使ってるやつ……なんだっけ、SR−259スカイブルースペシャルバージョン、またの名空色ちゃん二号」
 空色ちゃん二号は、昨年の暮れ新しく出たばかりのノートパソコンで、予約注文をすると抽選番号なるものが割り当てられ、運よくそれに当選すると、本体を好きな色にカスタム可能という権利を手にすることができた。そういうところで抜群の勝負強さを発揮するクラウドは、見事引き当ててしまった(本人曰く、おれが本気出したらなんだって当たるんだけど、“世のバランス”なるものを考えて、そうしないよう配慮しているとのことだった。神のごとき、寛大な視点)。で、当然彼は空色にしてくれるようメーカーに頼んだ。以来空色ちゃん二号……二号というのは先代の一号がいたからだが、これはクラウドが空色のマニキュアを一ダース使用して、カラーリングしたのだった……はクラウドの溺愛対象となり、毎日隅から隅まで布で拭かれ、使わないときはきちんと電源を抜かれ、さらにほこりよけのカバーまでかけておかれる始末だ。加えて、他人が触れることまかりならぬ、という持ち主の無言の圧力もある。だから、セフィロスが「あまり邪険に扱わないでくれ」とザックスに頼んだのは、当然のことだった。ザックスはわかりきっているというふうに、手をひらひら振った。
「閣下って、ぶしょったれだからさ、携帯のメールからパソコンのメールから、全部お互いに転送されるようにしてんの。で、一箇所で全部見てすませるわけ。もしかしたらメールの中になんかヒントあるんじゃないかなあっていう、おれの素晴らしい発想」
 セフィロスはそれは知らなかったと素直に認めた。セフィロスが知っているのはおもにクラウドの中の部分であって、外側のもろもろにはそんなに詳しくないのだ。そういうところは、友だちであるザックスのほうが知悉している。その証拠に、空色ちゃん二号にはパスワードがかかっていたが、ザックスは一発で当ててしまった。おそらくセフィロスがやったら、夜夜中までかかっても正解にたどり着かなかっただろう。そういう胸次が顔に出ていたのか、
「閣下が前、おれのパスワードなんてセフィロスの身長とおれの身長足したのに誕生日くっつけただけだ、とか云ってたの覚えててさ、それで」
 と肩をすくめて云った。
「なぜそこにおれの身長が関与してくるのだろうな」
「さあ、本人に訊けば? お、立ち上がり早いなあ、やっぱ新しいOSっていいね。おれの八年ものの鈍重ちゃんとは大違い。買い換えようって何度も思ってんだけど、はじめて自分の給料で買ったやつだからなんっか捨てらんなくてさあ。一応ハードディスク入れ替えたりいろいろしてんだけどね。でもやっぱ、いまのよりものは格段にいいよ。いまほど大量生産に走る前の時代の産物だから」
 デスクトップ画像は、クラウドお気に入りブタのキャラクターだった。そういえば、彼のパソコンの画面をはじめて見たような気がする。セフィロスは新鮮な気持ちでそれに見入った。たくさんのアイコンで、クラウドの部屋みたいにごちゃごちゃしている。フォルダ名に「秘密」なんて書いたら、秘密をばらしているようなものではないだろうか? 彼はもっと見ていたいような気がしたけれど、ザックスがそそくさとメールソフトを立ちあげてしまったから、おあずけになった。それにいまはクラウドのパソコンに感心している場合ではないのだ。
「んん〜と……なんかいいメールないかな……こいつのメールひでえな。ファンクラブの会報と、通販関係のやつばっかだよ。もちっとましなことに使えばいいのに……あった、これだ! ファン必見、九月八日のイベントについて……セフィロスファンクラブ特別会員速報、だって。便利だなあ、あんたのファンクラブの会報。なになに? 今日、伍番街にあるショッピングモールで、アイス食ってアンケートに答えると、あんたのロゴ入りのうちわくれることになってんだって。あの、羽根のやつな。あれさあ、前から思ってたんだけど、なんであんたと関係あんの? 知らない? だよな。そんなもんだよな、世の中って。でも閣下きっとこれに行ったんだよ。間違いない。九時すぎには出てったんだろ? ショッピングモール開店十一時だから、早めに備えたんだって、ぜったい」
 セフィロスは頭を抱えたくなった。
「それなら、なぜまだ帰ってこないんだろうか? アイスを買うのに万里の長城のような列でもできているのか?」
 クラウドが帰ってこないという問題以前の問題で気が遠くなりかけながら、彼はあえぎあえぎ云った。
「さあ。なんか手違いとか、問題があったのかもね。よくわかんねえ。なんだってありそうだわ、閣下のことだから。うちわもらえなかったってんで、製造工場まで行ったかもしんねえし、アイスクリーム会社に怒鳴りこみに行ったかもしんねえし……とにかく、なんかあったんだ」
 ザックスは腕組みをして、ちょっと考えこんだ。
「いま何時? まだ十時前か。うん、おれちょっとここ行ってくるわ。なんか手がかりつかめるか、運がよけりゃ閣下に会えるかも。あんたは自宅待機で、あのバカチンが万が一帰ってきたら教えて。まあ、きっとたいしたことじゃねえって。また連絡するから」
 ザックスは口を閉じもしないうちにドアを開け、出て行ってしまった。セフィロスは間に合わなかった礼を心の中で云いながら、はじめて触る空色ちゃん二号への抑えがたい関心から、その前に置かれた椅子に腰を下ろした。こういうときに、なにもしないで待っているというのはつらい。でもザックスが行動を開始した以上、それに首を突っこむのは本意ではないし、いずれ自分も腰を上げる事態になる可能性だってある。彼はクラウドと別れるとき、いつも心のどこかで、これが最後のお別れでなければいいのだが、と漠然と思うのだ。たとえクラウドが仕事に行くのでも、またどう考えたってなにごともなく帰って来られるようなところへ、出向くのでも。それは彼のような仕事に就いている人間の、思考回路の一部みたいなものだ。激しい動揺を来さない、静かな覚悟のような、おごそかな観念だ。ことにセフィロスにとっては、好意を抱いたひとを失う経験が数限りなくあったせいで、彼の中でひとつの定説にすらなりつつあった。自分が好意を持つと、相手は死ぬのだ、という。もちろん、必ずしもそんなことになるとは限らないのだとわかっているし、彼はクラウドの妙な運の強さと、いざというときの機転を、とても信頼しているけれど。
 クラウドのメール受信フォルダは、ザックスが云ったとおり買い物とファンクラブの会報とでいっぱいだった。ばかな子だと思う。なぜ自分のファンクラブになど入っているのだろう。実物と虚構との、その両方を手に入れなければ気がすまないとでも云うのだろうか? だとしたら、相当欲の深い子だ。たぶん、そういうことではないだろう。単に面白がっているだけだ。
 彼はメールソフトを閉じて、デスクトップのごちゃごちゃしたアイコンの山をぼんやり眺めた。さきほど目に入った「秘密」のフォルダが妙に気になる。彼はしばし良心と葛藤したのち、そっとフォルダを開いてみた。「写真」「日記(不定期)」「いろいろ」というフォルダが並んでいる。日記は、とても見られない。他人の日記や手紙は、なにがあっても見てはならない。これはぜったいのルールだ。だからセフィロスは、写真だけならまだ許されるのではないかと思い、それを開いた。そうして、苦笑した。なんのことはない、デジタルカメラやトイカメラを手に入れたときに夢中になって撮っていた写真の数々……しかも、セフィロス関連のやつだ……が並んでいるのだった。クラウドが自分でシャッターを押すために、ふたりでべたっとくっついて撮っているのが何枚かある。写真は、好きではない。けれどもここにある写真に映っている自分は、どれもこれもなかなか自然な表情をしているものだと、彼はぼんやり思った。それはクラウドもまた同じであって、セフィロスはしばし苦笑しながら山のようにある写真に見入った。クラウドがもしも死んだなら、自分はおそらく毎日毎日いまのようなことをしているだろうと、彼は思った……いけない、これは悲観的になりかけている。彼はフォルダを閉じ、お互い知らないことは知らないままのほうがいいのだと、パソコンの電源を落とし、いつもクラウドがそうしているみたいに空色ちゃん二号を丁寧に拭いて、カバーをかけた。

 小一時間後、ザックスから連絡があった。
「ハアイ、ボス。アイスクリーム屋の店長が、閣下のこと覚えてた。女のひとなんだけどね。開店直後いの一番にいやにキュートな金髪の子が来たってんで、よく覚えてますってさ。顔のいいやつは得だよな。あんたもだけどさ。んで、そのひとの話によると、閣下、十一時ぴったしにアイス買って、アンケート答えてうちわもらったらしい。二本くれませんか、妹がファンなんで、ってバイトの子に云ったらしくてさ、その子、二本あげたみたいよ。そっから先だけど、ダメ元で警備員に監視カメラ見せてくれって云ったんだよね。そしたらさあ、この目ってほんと便利な、なーんにも訊かないで見せてくれた。あれ、でももしかして目じゃなくて顔だった系? おれもちょとは売れてる? まあいいや。とにかくその結果ですね、以下のことがわかりまして、閣下、店を出てしばらくあちこちぶらぶらするんだけど、最終的にゲーセンに行ってさ、そこに例のブタのぬいぐるみのUFOキャッチャーがあったもんだから、その前でしばらく遊んでたわけ。ふたつ取ってた。あいつうまいわ、悔しいけど。でも、そのあいだに、なにが起きたと思う? 閣下、もらったばっかのうちわ、ひとつはバッグにしまってたんだけど、もうひとつはすぐ使えるようにバッグのポケットに差しこんでたんだ。それをさ、どっかの若い兄ちゃんがヒョイ! 閣下、もちろんすぐ気がついたよ。だてに軍人やってない、えらい。でも、そのときちょうどぬいぐるみが取れるか取れないかの瀬戸際でさ、あいつの行動ときたら! 目で男追いかけながら、勘だけでボタン操作して、ぬいぐるみは取ったんだ、で、それから男のこと尾行しはじめた。男が手でうちわ持ってうらうらするあとをずーっとついてってさ、しばらく建物の中ぶらぶらしてたね。蛇みたいに執念深いやつだよ、あいつ。男が飯食うそばで自分も食ったりして、適度に休みながら午後五時すぎにモールを出てったんだ。で、そのあとはまだわかんない。とりあえず、すごくやばそうな気配ではない。いまのとこ。どうしよう? おれさあ、なんか迷子になって帰れないとかそっち系な気がしてきた。あいつほら、都会だとわりかし方向音痴だろ? 乗り物酔うし。まあ、とにかくどうにかしてそのあとの足取りつかんでみる……また連絡すっから。そうだ、最後にこれだけ云っとく」
 ザックスはわざとじらすように一瞬間をおいた。
「ご苦労さん」
 セフィロスはまったくだと云って、電話を切った。

 ザックスの活躍は目ざましかった。彼は電話ののちしばし考えこみ、うちわ泥棒の顔がなるだけ鮮明に映っているデータを選別し(男は小柄で、ネズミみたいな顔をしていた)、総務部調査課の、こういうふざけた話題にもっとも乗り気になりそうな赤毛の男に送りつけた。赤毛の男はくだらない仕事になればなるほど早いという特性を持ち合わせていたので、十五分ほどでこちらの望むデータを引っぱり出してきた。要は、賊のIDを割り出し、住所を特定したという話だ。個人情報はすべてコンピューター管理されている世の中の、当然の帰結である。
「ちょいワルってとこかな、と」
 赤毛の男は電話の向こうで独特の口調で云った。
「軽い窃盗罪で何度か捕まってるぞ、と。タバコ、オネーチャンのパンツ、アイドルのCD……だめだこりゃ。大物にはなれそうにないぞ、と。ところで、おまえレノさまをこき使ったからには、それ相当の報酬を支払うのが義務だっての、わかってんだろな。タークスの時給、高いんだぞ、と」
 レノさまはこのように用法用量に注意が必要だが、使えるときは大変に使えるのだ。ザックスはわかってるってんだよド畜生と叫んで、電話を無理やり切った。切る直前に「すっぽかすんじゃねえぞ豚野郎」というのが聞こえたが、聞こえなかったことにしておいた。
 必要な情報を手に入れたザックスは、目的の男の住所めがけて軍隊式に突撃した。家はスラムの、あまり治安のよろしくない地区にあった。スラム全体がそもそも為政者たちに見捨てられた世界ではあるが、そこにも一定の秩序、階級意識、などが存在する。男の住むあたり一体はスラムの中でも下層にあたるところであって、立ち並ぶ家はほとんど廃屋同然、ごちゃごちゃとむさ苦しく、ボロ布のような洗濯物が枯れ枝を集めて作ったような物干し竿にぶら下がっていたり、栄養失調気味の子どもが不機嫌な目つきでうろついていたりする。なにやら不快な臭いもし、足を踏み入れただけで身体は生命の危機あるいは不穏な空気を感じて警鐘を鳴らしはじめ、全身に細かな電流が走る。こういうところは犯罪の温床地区でもある。ザックスはここへ来て、クラウドが無事である可能性を急速に疑いはじめている。彼がうちわをすぐに取り返さずに後をつけるようなことをしたのは、どこか人気のないところまで徹底して尾行し、相手が安心しきっているところへさっと歩み出て、会心の「返しやがれ」攻撃をしかける心づもりがあってのことに違いなかった。であるならば、順当に家までつけて行ったに違いないとザックスは踏んだのだけれど……どうにも嫌な予感がする。バイクをゆっくりと走らせながら、彼は妙な胸騒ぎをおぼえた。こういうのは、よく当たるのだ。ソルジャー云々の問題でなく、ザックスはもともと第六感が発達しているというのを誇りにしている。ひとことで云えば鼻が利く。不穏な空気の源を嗅ぎ当てる、見えざる力を持っているわけだ。
 目指す住所まであと数百メートルというあたりにさしかって、ふいに銃声がした。反射的に、彼はそちらの方向へ軌道修正した。いやな予感は、いまや焦点をぐっと絞りつつある。音がしたのは、さらに住宅が密集している路地裏の区域で、狭苦しい、道と呼ぶことさえはばかられるような道では、バイクはかえって邪魔だった。ザックスは盗みやがったら覚えてやがれ、と吐き捨ててバイクを空き地に置き去りにすると、走りだした。また銃声。先ほどよりも確実に近づいている。もうほぼ目と鼻の先だ。両側の家の軒と軒がくっついてしまうような細い路地を右へ左へ勘を頼みに曲がる。だいたいの見当をつけたあたりにさしかかって、彼は走るのをやめた。銃の持ち主が……そしてそれは間違ってもクラウドじゃない……どこに潜んでいるかわからなかったからだ。
 プラスチック板やなまこ板、薄汚れた木板などを組みあわせて作った家が並ぶ裏路地は、時間が時間なだけにひとかげもなく、いやにひっそりしている。ただでさえ外灯も乏しく暗い通りに、ときおりなんの目的かドラム缶や薪が積み上げられていて、スムーズな歩行を妨げる。どこかの家の軒下にくくりつけられたライトのそばを通ると、それはこちらをぎょっとするようなどぎつい眩しさで照らした。
 ザックスはふいにかすかな物音を聞きつけて立ち止まった。確かに、衣服がこすれるような音を聞いた。聞き間違いでなければ、斜め前の家の陰から聞こえてきたように思われた。ザックスは全身の神経を尖らせながら音を立てないよう移動した。廂間のわずかな隙間にうずくまっていたのは、見慣れた金髪の閣下だった。
「閣下あ」
 ザックスは小声で云った。クラウドがはじかれたように顔を上げ、目玉が飛び出しそうな勢いで目を見開いた。
「ザックス!」
 彼も小声で応じた。
「なにやってんの、バカタレチン」
「いろいろあったんだ……っていうか、手っ取り早く云うと、銃持ってるやばいの怒らせちゃったんだ」
「うん、だいたい知ってる。セフィロスがどぎつく心配してさ、おれここまで来ちゃった……まあ積もる話は……あとになるよなあ、この状況じゃなあ」
 ザックスが急に小声で話すのをやめたので、クラウドが怪訝な顔をした。
「おまえが怒らしたやばいの、いまここ見つけて向かってるっていうか、あと何メートルかな、そろそろ来るな。心配すんな、おれさまザックスさまだから……ほら、おいでなすったでしょ」
 ザックスは両手を挙げた。
「勘弁勘弁。暴力反対。出会い頭にひとに銃なんて向けないでくれる? しかも背中にって、それひどいわ、屈辱的」
「うるせえよ、オカマ野郎」
 銃を持った男が云った。
「そこどけ、その金髪に話があんだ。ひとのあとつけてきやがって、うちわ返せだ? そんな理由でまる一日ひとのことつけまわすやつあるかよ、おれがちょろまかしたの何時だと思ってんだよ、普通じゃねえぞ、それがほんとだったら異常だ、異常。頭くるくるぱあ。わかるか? くーるーくーるーぱーあ。なんか目的があんだ、別のなんか。ツヴァイクの仲間のやつか? そりゃ、こないだの分け前はおれがちょっと多めにもらったかしんねえけど、でもありゃ当然だったんだ。だってガラスぶち破ってやったのおれだもんな」
 ザックスは口の動きだけで、なんの話? と云った。クラウドは不機嫌に眉をしかめた。おれに訊くな、というやつだった。
「とりあえず、そこどけ。おまえも組か? だったらなんだ、ちくしょう、こんな話ってあるか」
 ザックスはすごくめんどくさくなった。勝手に色々思いこむのはそれこそ勝手な話だけれど、こういう人間はひとの話を聞いてくれないので、埒があかない。自分が賊の仲間かなにかみたいに思われるなんてぞっとするし、クラウドのこともそんなふうに思ってもらいたくなかった。それに男がおしゃべりなのも気に食わない。人間の自然な心理として、陽気なおしゃべり男を自認しているザックスとしては、自分よりよけいにしゃべる男があらわれると、ついつい対抗意識を持ってしまうのだ。彼は、クラウドに肩をすくめて見せ、まだべらべらしゃべり続けている男の顎に、靴の底を思いきり、といっても死なない程度に、ぶちこんでやった。男は伸びた。話は終わった。

「だーかーらー、反省してます、ごめんなさい」
 クラウドはやけくそ気味に叫んだ。
「だってさ、しょうがないだろ。携帯の充電は切れてるし、いたっ! おれは自分のうちわ取られたんだよ? 被害者なんだ……うわあ、だから痛いって! 自分のもの取り返すのは当たり前だろ? だっておれのだもん」
 明るい光のもとで見るとクラウドは見るからに全身薄汚れていたので、すぐさまシャワーを浴びさせられた。すっかりきれいになって出てきてみると、目立つのはあちこちにできたかすり傷や引っかき傷。セフィロスはため息をついて、程度のひどいものから順に消毒液をぶっかけはじめ、クラウドはそのたびに悲鳴をあげた。
「それは間違ってはいないが、取り返すだけならさっさとやってしまえばよかった。余計なことを考えて余計な行動をするからこういうことになる。その男のことばじゃないが、無料でもらえるうちわひとつのために、丸一日つけ回すなどまるっきりのくるくるぱあだ、おまえは」
 クラウドはぶーたれ、それから消毒液の手ひどい一撃に悲鳴をあげた。
「くるくるぱあ閣下」
 ザックスは云い、げらげら笑った。
「あの男、よくよく調べたら、高級車の車上荒らし常習犯なんだって。車ごと盗んで、スラムに運んで売り払うってやつ。たまにちょこっとした盗みで引っかかってたのは、その程度のやつだと思わせときゃいいってことだったみたいよ。すげえ得意げに云ってたらしいけど、それって、知能犯って云う? 云わないよな? 先週もでかいのに手つけたばっかりで、報酬に関して仲間のあいだでもめごとがあったらしいよ。で、たまたまおまえがあとつけてきたもんだから、勘違いしちゃったんだ。どっちみち、あんまし頭いい話じゃないね。そいつのも、閣下のも。ていうかさあ、閣下、スラムのあんなとこ行くうちに決着つけよう? 気づこうよ、バカタレチン」
「そのバカタレチンってのやめろよ。新しく作ったとこまではいいけど、赤チンとなんかの手間賃と一緒になったみたいで、なんかすごくばかにされてる気がする」
「ばかにしてるもーん」
 ザックスは云い、クラウドは飛びかかろうとしてセフィロスに抑えつけられ、とりわけ大きな切り傷に消毒液をぶっかけられてまた悲鳴をあげた。
「消毒液攻撃いいね」
 ザックスはセフィロスに向かって親指を立てた。
「大変有効だ」
 セフィロスはうなずいた。クラウドはいじけた。
「おれのせいじゃないよ。あのばかが悪いんだ。あいつこそバカタレチンだよ。あのネズミ顔。猫みたいに、引っ掻いてやればよかった。おれこんな傷だらけになっちゃってさ。こんなにかわいくていい子なのに。もう売り物にならないよ、こんなんじゃ」
「売り物にする気があったのか?」
 セフィロスが驚いたように云った。ザックスは微笑んで、帰る素振りを見せながら云った。
「明日、念のため休んどけ。上官にはおれが云っといたる。あとはおふたりでどーぞ。最後に云っとく」
 ザックスはまたひと呼吸おいて、相手を愚弄していると取れるほど同情した声で云った。
「ご苦労さん」

 ザックスが帰ったあと、クラウドはすっかり不機嫌な子になった。セフィロスにはその原因がよくわかっていた。だから、なにも云わなかった。腹をすかせているだろう彼のために食事を温めて出してやり、それほどまでに大事らしいうちわ……黒地に銀色の、おなじみの羽根が入っていた……二枚を、彼の部屋の机に置いた。気まずい雰囲気だった。会話をはじめるきっかけをつかむのはとても難しかったし、つかんだところでなにを話すかというのは、それ以上に難しい。セフィロスは、これ以上彼の行動を咎めるつもりはなかった。それは、ちょっとやり方がまずかったし執拗すぎたにしても、実に男らしい行動ではあった。セフィロスは、彼のそういうところが好きだ。彼はいつだって、ちゃんと自分で問題を解決しようとする。自分の意志で、自分の力でだ。だから、その達成を阻んだもの……たとえそれが自分の大の友人であり、心底こちらのためを思ってくれていたのだとしても……に、感謝だけでない複雑な感情を抱いてる。それはまた、クラウドの根深い感情を刺激しもする。彼は、自分の存在だけで、強くありたいのだ。誰かに助けられることなく。できることならば、手を差し伸べる者でありたい。それは男の見苦しいプライドでもあり、彼のけなげさでもある。まったく矛盾している。普段のいい加減極まる、放恣極まる彼とは。そうして彼は、友だちにそんな複雑な感情を抱いてしまう自分なんてものを、それ以上に許せなかったりもする。というわけで、クラウドはいま自分で作りあげ自分で深めてしまった泥沼の中で、必死にもがいているわけだ。
 セフィロスは放っておく。それしかできないからだ。これは究極にクラウド個人の問題なのだ。誰かが干渉することは、決して許されない。クラウドが自分で、自分の感情に始末をつけて出てくるしかない。
 それは長引いた。長引いたといっても、ひと晩のことだったけれど。翌日の昼近くに寝室から出てきたクラウドは、もういつものクラウドだった。熱心に食事をかきこむ彼の頬にできた小さなすり傷を、セフィロスは撫でた。そうして彼は、その日一日クラウドを甘やかしておいた。一日も終わりにさしかかった時間に、クラウドはふいに云った。「おれのしたことって、そんなにばかなこと?」
 セフィロスは微笑した。「たしかにばかなことだ」と彼は云った。ふたりはなにをするでもなくソファでぼんやりしていた。
「でも、どの程度ばかかということは、おれには云えない。もっとばかばかしい理由で、もっと破壊的なことをするやつらはいくらでもいる。それは個人の問題だ」
 クラウドは鼻を鳴らした。
「ザックスに、お礼云ったほうがいいかな」
 セフィロスは笑みを深めた。
「あいつは、今回の件でタークスの赤毛に貸しを作ってしまったらしい。ある意味おまえ以上にねちっこい、ばかばかしいやつだ」
「あの変な口調でしゃべるひと? あのひとに貸し作るくらいなら、おれ自殺するよ……でも、そっか」
 セフィロスは金髪をすくって撫でた。
「まあ、その赤毛とザックスとは、口を開けば死ねの殺すのと云いあう割合に良好な関係らしいから、そんな深刻な事態にはならないだろう」
 クラウドはこくんとうなずいた。そうしてセフィロスに体重をかけて寄りかかってきた。彼はやんわり抱きとめた。
 ふたりはそれきり黙った。もっとあとになって、セフィロスがなぜおまえはそうおれの名を冠した商品にやっきになるんだと訊いたら、クラウドは「純粋なコレクター魂だよ」と云った。
「おれ見てればわかるだろ。集めたいんだ。コンプリートが悦楽なんだよ。一度手出したら、生半可な理由でやめられないんだ。たとえ実物とセックスしてたって、アイテムを集めてた過去の前には、そんなこと無意味なわけ」
 セフィロスはそれで、大変に納得したのだった。クラウドが死守した二枚のうちわは、部屋の壁の一角に飾られ、そしておそらくこの先一生、うちわ本来の役割を果たすことはないだろう。

 

そういえば、レノさんをはじめて書きました。
ザックスとレノさんというコンビは割に好きです。
ふたりはぎゃんぎゃん云いあう仲であってほしいです。

 

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