感傷的な道のりと生き物禁止のポスト
「うん、そうだよ、びっくりして禿げあがるくらい美人なひと連れてくから、楽しみにしてて。もうすぐ会えるよ。あと一日だよ……うん……ザ・ウルフに車出してもらって……いまは父さんって呼ばなきゃなんだろうけど……いや、あとは実家泊まるよ。どうせ空いてるし。パパにも連絡しなきゃ。え? したの? ほんとに? パパにさあ、結婚祝いなんか買ってもらったほうがいいと思う? うん……それはおれも思う。まあいいや、帰ってから相談しようよ。うん、じゃあもう時間だから」
コレルにあるバス乗り場には、ひとがごったがえしていた。ニブルヘイム行きは七番乗り場から、夜の八時に出ることになっている。丸一日がかりで山脈を横断する実に刺激的なコースで、クラウド自慢の乗り物酔いも大変刺激的なことになりそうだった。おれ寝るから大丈夫、と本人は云っているけれど、セフィロスは念のため酔いどめから睡眠剤までありとあらゆる備品を用意しておいた。これでいくらかクラウドがつらい思いから解放されればいいのだけれど。セフィロスは立てているコートの襟ごしに、自分の横で電話をするクラウドを感慨深げに見つめた。
いま、彼が十四歳でたどった道を、逆にたどっている。おおよそ四年前。ソルジャーにあこがれて、田舎から出てきたおのぼり少年クラウドは、バスに揺られ、船に揺られ、電車を乗りついで、ミッドガルへたどりついた。想像以上に遠くて、そして重苦しい道のりだった。すくなくとも、十四歳の子どもにとっては。彼が見たもの、感じたものを、セフィロスも感じようとつとめてきた。汽車の窓から見える景色、船着き場の騒がしさ、待合室のごたごた、流れていく景色の、うつくしさ。彼はおなじように、四年前このバス乗り場から母親に電話したのか? ちゃんと着いたよ、と云って。まだまだ道は長いけどね、と冗談のひとつも云って。
クラウドは電話を切って、今度は別の番号へかけはじめた。
「もしもし? パパ? クラウドくんだよ。久しぶり。いまいい? あのおっかない奥さんは? 寝てる? ふーん、具合悪いんだ。そのままおっ死ねばいいのにね……本音云わないでどうすんのさ、死ねばいいってパパも思ってるくせに……うん、なにってわけじゃないけど。母さんに訊いた? おれ帰るって。そうだよ。だからパパにも報告しなきゃと思って。なんか欲しいもの? なんでも欲しいよ。ゴキブリ以外なら。うん、次の日ならいいよ。おれニブルのほうの家にいるから、たぶん。でもパパ忙しくないの? ふーん……うん……わかった、気をつける……うん、じゃあね。おやすみ」
終始妙に甘ったれた声のまま、クラウドは電話を終えた。
「パパ?」
セフィロスは訊ねた。
「そう。パパ。母さんのパパね。正確にはパトロン。肉体関係はないよ。昔から呼び方パパだったから、いまもパパ。いいひとだよ。母さんがさ、再婚しちゃったから、派手に援助できるひとがいなくて寂しいんだ。おれ帰ったら、なんかすごい量のおみやげとかもらいそうだけど、別におれが貢がせてるわけじゃないから。そういうのが好きなひとなんだよ」
クラウドは電話をしまって、なにかを懐かしく噛みしめるような顔で笑った。セフィロスはここへきて新しくわかったクラウドの人間関係について、すこし考えを巡らせた。母親とその夫とパトロン。これらがなんの諍いもなく共存している関係というのはどんななのか? そしてそこに違和感なくおさまっているクラウドのこと。セフィロスは彼の妙に甘ったれた口調を思い起こした。それは自分にそうするのに、いくらか似ていた。安心して頼ることのできる相手にすり寄るときの、しなやかですこし粘着質なそれに似ていた。
セフィロスは自分がとても、感傷的になっているらしいのを意識した。クラウドの故郷に近づくにつれ、彼の核心に近づいていっているような、そういう奇妙な感覚がある。彼の頭の中に、もぐりこんで行くみたいだ。セフィロスの前に、次々と謎が明かされる。クラウドの養育環境、培ってきた人間関係、総じて、彼を作りあげてきたもの。その最大の要因は、たぶん母親だろう。クラウドの母親。写真だけは見たことがある。びっくりするほどそっくりだ。雰囲気、顔のつくり、笑いかたまで似ている。おれは母さん二号なんだ、とクラウドが云っていた。双子みたいにそっくりだって云われたよ。見た目もだけど、中身も。
とても楽しみだ。クラウドの育った村、家族、人間関係を見るのは。それは彼の秘密だし、彼そのものでもある。クラウドがクラウドであることの、実在する記録なのだ。目で見て、触れることができる。
バスのエンジンがかかる。クラウドが勢いよく立ち上がった。セフィロスも立ち上がって、バスに向かって歩きはじめる直前に、胸の中の生ぬるい感情のために、おそろしくぴったりしたジーンズにおおわれたクラウドの尻を、ぽんぽんとたたいた。クラウドはくしゃみをした。
クラウドがバスから飛び降りて地に足をつけたとたん、セフィロスには彼がこれ以上ないほどクラウドであるというふうに感じられた。身につけているのは、都会で買った長袖のTシャツとジーンズ、厚手のジャケット。たかが履き物であることを考えれば不相応に高かったスニーカー。でもクラウドは、そういう都会製の商品を身にまといながらも、田舎の空気に実によくなじんでいた。クラウドの歩く地面、吸いこむ空気、そういうものが、みんなクラウドの延長、あるいは、もともとお互いにお互いの一部だったみたいに、とてもよく調和している。セフィロスは、すこし感激していることに気がついた。都会ぐらしのクラウドしか知らなかったけれど、この子は、正真正銘の田舎ものなのだ。彼は大きな荷物を全部セフィロスにあずけて、自分はショルダーバッグひとつで身軽に歩きはじめた。
正確に云えば、いまふたりが歩いているのはニブルのひとつ手前の村だ。クラウドの母さんが再婚してからこっち、彼女は新しい夫とともに、夫の故郷であるこの村で暮らしている。時刻は夜の八時ちかく。田舎ではもう夜だ。正真正銘の、闇が支配する夜。もう十月も半ばを過ぎていたので、空気はひんやりと冷たかった。クラウドはごくごくすくない街灯の明かりを頼りに、実にすいすい歩く。彼はここいらの地理を、もう身体で把握している。セフィロスはそのことにも、妙な感動を覚える。
「母さんがいまの父さんとつきあいだしたの、おれが九歳なるかならないかくらいなんだ。おれよく、遊びに行ってたよ。父さんの店……陽気な乗り物修理組合って名前だけど。組合っても、従業員ひとりしかいないんだけどさ。わけわかんない鉄の塊がいっぱいあって、楽しいよ。おれニブルより、こっちの村のほうが愛着ある感じ。知り合いもいっぱいいるしね。全部父さんの友だちだけど。あれが」
と云ってクラウドは三階建ての煉瓦づくりの建物を指さした。
「役場。ほんとは鍵なんかかける習慣ないんだけどさ、村長の次男が、あそこの三階の会議室に職員の女の子としけこんで妊娠させちゃってから、不妊夫婦が拝みに来るとかで、いま三階だけは厳重に閉鎖されてる。かわりに、猫が住んでるんだ。スビャーナリフっていうすっごいでっかい雄がボスでさ、もうじじいなんだけど、村の野良猫はだいたいそいつの子どもじゃないかって云われてる。おれスビャーナリフとはちょっと仲がいいんだ。敬意をもって接してるから。まだ生きてるといいなあ」
セフィロスはいずれその猫とも会ってみなくてはならないと思った。クラウドが敬意をもって接している存在というのがどんななのか、非常に気になるところだ。
ふたりは暗闇の中を、三十分ばかり歩いた。でも怖くはなかったし、寂しくもなかった。点在する家には明かりがともっているのが見えたし、虫の鳴き声があたりを満たしていたし、風がかすかに木々の葉を鳴らしてもいた。そういうすべてが、セフィロスにはとてもやさしく感じられた。彼はおそろしく感傷的になっていたのだ。いま闇の中に覆われている、明日の朝になればすべてが明らかになるだろうこの村に、ご幼少のクラウド・ストライフが確かにいたこと。ここは厳密には彼の故郷ではない。でもほとんどそうであるのと同じだ。これから向かう家にはうわさのとびきりいかれた母親がいる。クラウドくらいいかれた。セフィロスは先が思いやられると思った。こんな出だしでこれでは。クラウドの実家に行って、彼の部屋でも見ようものなら、感慨のあまり即倒してしまうかもしれなかった。
これからクラウドの母親に会うという点については、セフィロスはあまり心配していない。クラウドがぜんぜん心配いらないと云ったからだ。
「母さんのことなら」
と云ったときのクラウドはどこか誇らしげだった。
「ぜんっぜん心配いらない。相手が男って云ってないけど、大丈夫だよ。おれがニブル出てく前に、母さん云ったんだ。恋人がいるってのはいいよ、この際、性別なんてどっちでもいいよ、大事なのは誰かを好きになるってことなんだからさ、って。そういうひとだからね。ほら、うちの一族みんな変だから。あんた、ちょっとびっくりするかもしれない。すぐ慣れると思うけど」
おまけに彼の母親は、息子が結婚すると云いだしたとき、相手のことも訊かずに、楽しい気分ではじめろとか云うようなひとなのだ。そういう、心配ごとを自分の頭の中から駆逐できるひとを相手にするのに、こちらが心配する必要があるだろうか?
村の中心地からすこしはずれた、ちょっとした丘の上に、目指す家があった。
「父さんが、こだわった家なんだ。どうしても見晴らしがいい家がいいって聞かなくて、こんなまわりに畑しかないようなところに一軒だけ家建ててどうするんだってみんなに云われても、だめだったね。あのひと変なところで強いからさあ、それでだいたい痛い目にあうくせに、そういうこと、楽しんじゃうんだ。ボンクラなんだよ。おれとおんなじ。友だちに大工さんがいて、そのひとが家建ててくれたんだけど、ほかにも素人が大勢手伝ったせいで、新築なのに雨漏りするし、壁がちょっとぼこぼこしてるし、屋根裏がゆがんでるしですごいんだよ。でも、そういうのって楽しいからさ。壁に、みんなの手形があるんだ。家建てるのに協力したひとの手形と、あとは一家の手形。おれのもあるよ。去年帰ったときにつけたんだ。となりに名前彫ってある。そういう家だから、ぜんぜん問題ないよ。たぶん、あんたの手形をどっかにつけなきゃいけないって、大騒ぎすると思う」
セフィロスはまたも、ちょっと感動してしまった。世間話の延長で、こちらを安心させようと必死になっているクラウドのこと。セフィロスはなにか云うかわりに、彼の頭をなでた。ほんとうは、キスのひとつもしたかった気がするけれど。
丘の上の家。玄関にランプがつるされている。オレンジのやさしい明かりがともっていて、空色の玄関ドアを照らしている。空色は、クラウドの好きな色だ。水色じゃなく空色、というのがクラウドのこだわりどころ。空色ドアの横には木製の郵便ポストがあって、「配達員各位:ものすごく長い名字と名前の郵便物はこちらへ! S.V.A.M.L ただし生き物は投げこまないでください」と赤ペンキで書かれた板がぶらさがっている。
「このS.V.A.M.Lというのがおまえの父親の名前か」
「そう。シュースタインベルク・ヴォルなんとか・アスだかアルだかなんとら・ミハイル・ド・ローコベンハウム。ドはぜったい抜かしたらだめなんだ。それやると、父さんのばあちゃんが激怒する」
「……覚えておこう」
ここに、彼の知らないルールがあり、秩序がある。人間関係が広がるということは、そういうことだ。
「それで、このポストは、なぜ特別に生き物が禁止されているんだ?」
セフィロスは赤ペンキの板きれをまじまじと眺めながら云った。
「猫の子どもが五匹入れられてたことがあるからだよ。生まれたての目もろくに見えてないやつ。たぶん配達員のせいじゃないと思うけど、そのときから一応注意書きすることになったんだ。おれに云わせれば逆効果だと思うんだけど。その投げこまれたうちの一匹が、ここに居ついてる。名前はエスメラルダ……その顔やめろよ、おれがつけたんじゃないよ。フルネーム聞く? エスメラルダ・ベルレトワ・ド・ローコベンハウムだよ……わかってるって、ばかばかしいけど、仕方ないよ。猫も伝統には従わなきゃ。ここんちで飼われてるんだから。いやなら野良やるしかない。でも、まだ野良なんてとてもじゃないけどできないくらいちっちゃいはずだよ。そいつが六ヶ月で何十センチもでかくなる猫でなきゃ」
セフィロスはそんな猫はなかなかいないだろうと云った。
「あんたさ、ちょっと玄関から見えないとこに立ってよ。そこ、そのへん……うん。びっくりさせるから、母さんのこと」
セフィロスは云われたとおり、玄関からすこし離れて、ちょうど建物の陰になるあたりに立った。
クラウドが玄関わきにぶら下げられたカウベルのヒモを引いた。ベルが陽気に揺れ動き、陽気な音を立てた。セフィロスは自分がいささか緊張していることに気がついた。
すこしして、空色のドアがちぎれ飛べとばかりに大きく開いた。そうして、女性……クラウドの母親……が劇的なやりかたで飛び出してきた。悲劇の舞台で女優が、瀕死の恋人か、あるいは久方ぶりに再会した恋人に飛びかかるのに似ていた。彼女はそのままクラウドに飛びついた。
「お帰り、クラウド!」
「母さん!」
ふたりは百年くらい離れていたみたいにぎゅっと抱きあった。クラウドの母親は、背中まであるクラウドみたいな金髪で、真っ赤なVネックの……おかげで谷間が見えるわけだけれど……ワンピースを着ていた。腹が、不自然に膨れている。彼女は、妊娠中なのだ。無事生まれたら、クラウドには異父きょうだいができることになる。年齢的にいろいろと複雑な家族構成ではある……だめだ、見えない。セフィロスは思った。クラウドみたいにでかい息子がいる女性には、とても見えない。彼女はちょうどいまが結婚適齢期で、妊娠出産に向いているまさにその時期に、うまいことことを成し遂げた女性みたいに見える。
「腹大丈夫なの? 母さん」
ようやく長い抱擁を終えて、すこし身体を離し、クラウドは母親の大きく膨らんだ腹をおそるおそるなでた。
「だいじょぶだいじょぶ、二回目だから。年くったぶん、きついけどね。あんた生んだときは楽だったのよ。つわりもなにもぜんっぜんなくてさ、予定日三日前に破水した! と思ってたらぽこーんと生まれるし、母乳はがんがん出るしさ。あたしの身体がギンギンだったね、あのころは。いまじゃしなびちゃってべちゃべちゃ。これ以上歳とって、一本でもしわが増えたらあたしショックで死ぬかも。んで? あんたの選んだ美人はどこ?」
クラウドがにやっと笑って、こちらを振り向き、ちょっと目配せした。セフィロスは小さく息を吐いてから、玄関の明かりの前にのっそりと歩み出た。大きな影が動きにあわせて揺れる。
一瞬の静寂。続いて、はた迷惑なほどの笑い声が響きはじめた。
「うははははははは(というのがもっとも実物に近い彼女の笑い方だった)! あんた、なに? そういうことなの? うはははは! あっそう! うあーっはははは! ああうける、やばい、生まれる、笑いすぎて生まれる、ちょっと、ちょっともう勘弁、ひー!」
かつて自分の顔を、これほど笑われたことはなかった、とセフィロスは思った。いったいなにが面白かったのだろう? とてつもなくおかしな顔をしているという自覚はなかったけれど……だがクラウドの予言は当たったわけだ。母さん、あんたのこと見たらぜったい爆笑する……そのクラウドは、母親といっしょになって笑い転げている。ふたりして、笑いすぎてお互いの肩に手を置き、身体を支えあっている……初対面の人間にこれでは、あまり感じのいい親子とは云えない。一般的には。
家の奥から、男が出てきた。クラウドの新しいほうの父親だ。ふいに玄関のランプの下にひょっこりあらわれた男は、髪の毛が実に見事な黒髪のウルフヘアで、口の下にごくごくわずかな面積の髭を生やし、左耳に三つのピアスが並んでいて、そうしてたぶん、当然のことだが、美形だった。雰囲気が、どことなくザックスに似ている。生来の朗らかさを思わせる顔、がっしりした頑丈そうな体格と手足、薄い灰色の目は生き生きしていて、子どもみたいにいつも楽しいことを探しているようだ。底なしにいいひとそうだった。クラウドは彼を見ると笑いを引っこめて歩み寄り、そうしてハイタッチを交わした。ごく自然にだ。それは親子の再会というよりは、信頼しあっている友だちどうしの再会を思わせた。ちょうどザックスのように。
「クラウド、おまえ母ちゃん笑い死にさせる気か? なにしたよ?」
「まあいいからさ、あれ見てよ。おれが結婚をもくろんでるひと」
男は首をひねってセフィロスを見つけ、そうして口を開いたまま固まった。
「ね? ね? おれいい仕事したと思わない?」
どちらへともなくクラウドが誇らしげに云う。答えたのは、たっぷり五分は笑ってからようやくそれを引っこめた母親のほうだった。
「したねえ。いいの選んだねえ。相手の顔だけは妥協するなって、あたし昔からあんたに云ってたけど、うん、いい仕事した。さすがにあたしでも、これはちょっと真似できないね。きっと、選んだ仕事がよかったのよ。ほら、軍隊行かなきゃ会えなかったでしょ、このひとにはね。っていうかあんた、そっちの趣味だったわけね」
こぼれた涙をぬぐいながら、彼女は息子の背中をばしんとたたいた。
「おれもね、十五年間ノーマルなつもりだったんだけど、そりゃあ転がり落ちるよね。この顔じゃね」
ふたりはまた大笑いをしはじめた。
「転がるねえ。あたしが男でも転がるね。間違いないね。あんたあたしの子だね。完全に顔だけで相手選ぶタイプだね」
「みたいだね」
母子は意味深な目配せをしあった。
「……でもショックだ。なあ、エミさんこのひと誰か知ってるか? 友だちのいとこが、えらいファンなんだ。そりゃもう! このひとが、おれみたいなろくでなしだったなんて。だってそうだろ。クラウドが選んでくるやつが、まともなわけない」
ようやく静止状態から立ち直ったローコヴェンハウム氏が云った。
「もちろん、まともじゃない。選りすぐりの変人だよ。すごく変なんだ。おれも苦労してるよ。まいっちゃうよ」
クラウドはいっぱしの亭主みたいな口を利いた。
「いいのよ、顔がよけりゃなんでも。変でもバカでも精神異常でも。なんならサルだっていいわけよ。ときめくような顔のサルがいればだけど」
母親がうまいことまとめた。セフィロスは自分が動物園の見せ物になっているみたいな気がした。
男たちをきっちりまとめた母親が、近づいてきて手を差し出した。
「いくらあたしでも、あんたの顔は知ってる。去年だっけ? おととしか。見たばっかりだしね。名前はエミヤっていうんだけど、別にクラウドの母さんでもいいよ。その呼び方なら許す。事実だし、息子かわいいから。ローコヴェンハウムの奥さんはやめて。まだそこまで愛着ないし、長いし。初対面でお腹大きくて悪いね。あと一ヶ月以内に魅惑のスレンダーボディに戻る予定だから、勘弁して。えーと、なんて云えばいいんだろ? 息子がお世話になってます? あなたが美形でうれしいです? それともこの息子を生んだあたしに感謝しろかな? ねえ、クラウドどれ?」
「一番はなくてもいいんじゃない? 三番は強調しておいたほうがいいよ。売れる恩は売らなきゃ」
「だよね。あたしもそう思う。子ども生んで育てるなんて、えらい大事業だしね。ってわけで、貸しひとつね。はいよろしく、息子二号」
セフィロスは息子二号、ということばにとても複雑な気持ちになりながら、おそるおそる差し出された手を握った。忘れていた。クラウドと結婚するということは、クラウドの母親と父親の、息子になるということだ。
「ていうかさ、息子二号とかうけるね。なんか得した気分。あたし生んでないのに、息子がもうひとりできるとか。でも最初に云っとくけど」
と云って彼女はセフィロスの耳にぐっと顔を近づけた。
「あの子になんかひどいことしたら、あたし自分が死んでもあんたのことぶつ切りのぎったぎたにして、ニブル山にぶちこんでやるからね。これ本気。OK?」
「……わかった」
セフィロスはできるかぎり重苦しい声で云った。彼女は顔を離し、にっこりした顔で……それがクラウドに似ているので、セフィロスは寒気がした。この笑い方をクラウドがするときは、すごくろくでもないことが待っているからだ……笑った。そうして振り返り、自分の旦那をはたいた。
「はい、次父親」
「いてえよ、もう……自己紹介か。気が重いよ。なんで? 名前が長いからだよ。つっかずに云えたためしがないわけ。三十二年もこの名前で生きてんのにな。ええー、心して聞け(ここでクラウドとその母親からさかんに拍手が送られた)、おれの名前はシュースタインベルク・ヴォルトメイン・アルステルト・ミハイル・ド・ローコヴェンハウムだ。無理だと思うけど、覚えた?」
セフィロスは握手を交わしてから、首を傾けた。
「たぶん。シュースタインベルク・ヴォルトメイン・アルステルト・ミハイル・ド・ローコヴェンハウム」
ローコヴェンハウム氏の顔が、太陽のように輝いた。それから彼は飛び跳ねた。
「すげえ! はじめてだ! 一発で覚えてくれたのあんたがはじめてだ! おれの友だちときたら、暗記が苦手なやつばっかりでさ! おれだって、自分の名前ちゃんと覚えるのに十年はかかったのに。ついでにスペルも教える。おれのかわりに覚えといてくんないかな? 役場で、かわりに署名してくれると助かるんだ。カンペなきゃとてもじゃないけど全部書けないし、欄からはみ出さないように書くのがひと苦労でさ」
長ったらしい名前のローコヴェンハウム氏はすっかり興奮して、セフィロスの手をつかんで振り回したので、セフィロスはもう一度彼と握手するはめになった。
「記憶力はいいんだ、そのひと」
クラウドが意地悪く笑いながら云った。
「じゃ助かるわ。うちときたら、そろいもそろって低学歴で暗記なんて大嫌いなのばっかりだもんね。ほんと、代わりに役所に行って欲しいくらい。まあとにかく、いい加減うちの中入らない? 晩餐準備して待ってるんだから」
「イモある? おれ腹ぺこなんだ」
クラウドが腹を押さえて云った。
「あるわよ。あたし誰だと思ってんの」
「前ストライフ婦人、現ローコヴェンハウム夫人」
そう云って、クラウドは勢いよく家の中に逃げた。母親に仕返しされると思ったからだ。