ザックス・フェア社、殷賑を極める

 突如設立されたおそらくは調査会社ザックス・フェア社代表ザックス・フェア氏は、捜査局の建物を出ると、まずちょっと伸びをした。それから大通りへ抜け、道路を渡り、ちょうどやってきたバスに乗りこんでトルギポリのステーション前で降りた。バスの中で、彼はメールを一本打ったのだが、なにか調査行動らしい行動といえばそれきりで、駅前の花屋をのぞきこんで、少し時間をかけて花を見て回り、しまいにはレジの女性に声をかけて、大きな花束をひとつこしらえてもらった。ザックス・フェア氏が会計を済ませて店を出ると、携帯電話がぶるぶる云いだした。
「はいはい、こちらザックス・フェアちゃん……おおー、おお、そいつはどうも! 悪いね、まじで。うん、例の北の大地からさ。ボス? 元気だよ。伸び伸びしてんじゃん? いやんなるくらい大自然の中に放りこまれてっからさあ、大喜びよ。ボスはいいけど、おれはもうやあよ。大都会に帰るよ。うん、じゃよろしく。マチェットじいさんが? じゃあピザでも買うわ。りょーかい、どうもどうも」
 ザックス・フェア氏は花束を抱えて歩き出した。駅前の商店街でピザ屋を見つけ、テイクアウトでピザを三枚注文した。花束とピザの箱を抱えて、ザックス・フェア氏はチョコボ車を拾った。
「神羅カンパニーのアイシクル基地まで」
 彼はそう云って、運転手に目玉を見せ、にこにこしながら座席にもたれかかった。

 すっかり日が暮れたころ、戦闘機が一機、密かにミッドガルの軍事基地内にすべりこんできた。機体が完全に停止すると、わらわらと数名の男たちが駆け寄った。相変わらず花束とピザの箱を抱えたザックスが降りてきて、にこにこしながらみんなに挨拶した。
「このクソガキが! おれの日曜日をなんだと思ってやがんだ! ちくしょうめ! おりゃあ便利屋じゃねえし年中無休で会社にご奉仕するような会社員でもねえんだ! エンジニアだよ、誇り高き技師! ボロ雑巾みてえにこき使えると思ったら大間違いだ、わかったかこのクソガキ!」
 立派な長い口ひげを生やした、小柄なご老人がザックスの横でわめきたてはじめた。頭にはてっぺんにぽっちのついた緑色のベレー帽をかぶり、油じみたつなぎの作業服を着ている。ザックスは彼にうやうやしく礼をすると、ピザの箱を差し出した。
「悪かったよ、じいさん。ほんとだよ。心から。わたくし、心からお詫び申し上げます」
「なにが心からだよ、爪の垢ほども思ってねえくせに。でもまあ、このピザはよかった。パイナップルがのってる。これでちったあビタミンとか、食物繊維がとれんだろ。ほら、さっさとそこどきな」
 ザックスはにやにや笑って、戦闘機の中に入っていくじいさんを見やった。
「あの金髪坊主は元気かあ?」
 機体の中からくぐもった声が聞こえた。
「閣下のこと? 元気だよ。うかうかしてらんねえよ、じいさん。あいつ、今度はチョコボ車の馭者になんないかって誘われてた」
 じいさんは鼻で笑った。
「あの坊主がそんなちんたらした商売やってられるもんか。あいつは技術者向きだよ。骨の髄までエンジニアだ。おめえおれに恩を感じてんだったら、もちっとしっかり勧誘してくれにゃあ」
「そんなのはじいさんがやることだよ。後継者育成は大事な仕事だろ?」
 ご老人はまた鼻で笑った。
 彼は整備士のマチェットさんといって、あらゆる空の乗り物の整備をすることができる便利なひとだ。口は悪いが腕はウルトラ級で、昔気質の粋な人物なので、みんなにじいさんと呼ばれて親しまれていた。正確な歳は誰も知らないし、知りたいとも思わない。じいさんは口も手も達者で、放っておいてもあと三十年くらいはもちそうだからだ。じいさんは本人の弁によれば身寄りがなく、給料といえばみんな酒と煙草に消えてしまうのでほとんど一文無しだということだった。もっとも、じいさんは生活費がほとんどかからなかった。一日中基地の中にいて、昼食は誰かが食べさせてくれるし、住居はというと兵舎の地下にあるいまは使われていない宿直室に住んでいるので、夕食は食堂で食べさせてもらえた。年中同じ服を着て、あれやこれやの整備に追われているマチェットじいさんは、約一年前にクラウドと知り合いになったのだが、彼の器用な指先を「キリスト様もおったまげる」ものだと称し、それ以来ぜひ自分のあとを継ぐようにしつこくせまっていた。
 ザックスはしばらくじいさんと雑談してから、花束を抱えてその場をあとにした。本社ビルに立ち寄り、同僚たちに顔見せをして、散々文句を云われなから退室した。
「さてと。じゃあ、おれの麗しの君に会いに行くかな」
 ザックスは軽い調子で云って、口笛を吹きながらビルを出て、電車に乗った。

「だから、ここへは来ないでって云ってるでしょう? あんた、頭おかしいんじゃないの?」
 ザックスは、ロココ調の調度品に囲まれた豪奢な部屋で、ソファに座って女と向かい合っていた。脱色した金髪に、濃い化粧、そして官能的なボディラインを持った美しい女だった。ウータイ風の美しい着物をバスローブ代わりに羽織った彼女は、燃えるような目でザックスを睨みつけていた。
「それは認めます」
 ザックスはうなずいて、お茶、ありませんか、と云った。美女は無視した。
「帰ってよ。帰りなさいよ。じゃないと、撃ち殺すわよ」
「撃ち殺すはひどいなあ。お願いだから、おれの話も聞いてくださいよ。実は、ちょっと知りたいことがあって……」
「あんたの知りたいことなんか知ったこっちゃないわ」
 女はぷりぷりして、シガーケースから細長い煙草を取り出し、口にくわえた。ザックスはすかさずシガーケースの横に置いてあったライターを手に取り、煙草に近づけた。
「余計なことしないでよ」
 女の手がザックスの手を振り払った。ライターは床に転げ落ちた。ザックスは気にした様子もなく、かがみこんでそれを拾った。二度目にライターを差し向けたときには、女は拒まなかった。女の煙草の煙があたりに漂った。
 無言の時間が過ぎた。女は明らかにじりじりしていて、いらついていた。落ちつかなそうに身体をもぞもぞ動かし、やたらと速いペースで煙草を吸った。ザックスは悠然と構えていた。
「だからね」
 彼はなおしばらく時間をやり過ごしてから、口を開いた。
「おれは、個人的なお願いをしにここへ来てるわけですよ。いっつもそう。別に、断ったっていいんです。そしたら、ほかを当たるだけだから」
「……ほかの当てなんてないくせに」
 女は煙草を灰皿へ押しつけた。ザックスは肩をすくめた。
「まさか。おれこれで結構顔が広いんすよ。だから、別にあなたのお手を煩わせなくてもいいわけ。でも、おれはここへ来てる。いっつもね」
 ザックスは美女を見つめ、微笑した。ほんのわずかに。女は、あわてて顔を逸らした。
 彼女は、ペネロペという名前で通っている。肩書きは犯罪組織のボスの女だ。この地位にのぼりつめるための門戸は、非常に狭い。対応する職種は限られている。だからセフィロスは彼女の名前を聞いたとき、大笑いした……それは、貞節を象徴する名前だと云って。もちろん、そんなことは彼女には関係がない。彼女の本名がペネロペかどうかは、誰にとってもどうでもいいことなのだ。美しい金髪美女。それが、彼女の誇りであり全てだ。
 ザックスは、そうなる前の彼女のことを、少し知っている。たれ目で、鼻が不恰好に尖っていて、出っ歯で暗い顔つきの、ありきたりな茶色の髪をした女。過去を完全に隠蔽することは難しい。どこかから、情報は漏れてしまうものだ。彼女の場合は、写真で。ザックスは、これを好きにすることができる。そこに一種の、否応なしの力関係が成立する。けれども、彼は……これは非常に大事なことだが……本人の目の前で、その写真の少女を美しいと云った。これで、ふたりの関係はすっかり複雑なものになってしまった。主に、ペネロペ嬢にとって。屈辱的な屈服から、もう一段階先の、愛憎半ばするものへと変わってしまったのだ。そして生来の情熱的な気質のために、彼女はその感情を、容易に手放すことができない。
 ペネロペ嬢は、ザックスに向けて手を差し出した。ザックスはそこへ、三枚の写真を押しつけた。
「このふたりがおたくらの一味ね。こいつらが、いまどんな仕事を受けてるのか知りたい。それから、それにこの男が関わってるかどうかも」
 ペネロペ嬢は、写真を一瞥した。ザックスはソファから立ち上がった。女の目が、心なしかすがるような調子で、彼を追いかけた。
「電話ください」
 ザックスは云って、ドアに手をかけて開いた。
「……あたし」
 ザックスがもう半分部屋の外へ出たところで、ふいにペネロペ嬢がつぶやいた。ザックスは振り返った。彼女は、なにか思いつめたような目で、こちらを見つめていた。
「いつか、ほんとにあんたのこと殺すわ」
 ザックスは微苦笑を浮かべた……ほんとうに、なんとも云いようのない笑みだった。
「覚悟してます」
 ザックスは云い、ドアを閉めた。

 いまやミッドガルもクリスマス一色だ。街頭のあちこちに電球をいくつもぶら下げたクリスマスツリーが出現し、流れてくる音楽もこの時期特有の、弾むようなリズムのもので、どこの店も自分の商品をクリスマスプレゼントにと、こぞって宣伝している。この時期には心なしか、街なかに恋人たちの姿が増えるように感じられる……手をつなぎ合ったり、肩を組んだり、いろいろにふざけあう恋人たち。ザックスは白い息を吐きながら、相変わらず花束を左手に持って、あたりの景色を眺めながら足早に歩いた……八番街の繁華街の片隅に、彼は目的のひとを見つけた。
「ハロー、彼女、ぼくにお花売ってくれない?」
 ザックスが背後から陽気に云うと、そのひとは驚いたように振り向いた。茶色の髪に結んでいるリボンが揺れ、長い巻き毛もいっしょになって揺れた。独特の深みのある緑の目が見開かれる。そうして桜色の、かわいらしい唇が小さくこう云った。
「ザックス!」
 それから彼女はすぐになにか思いついたように笑って、こう云いなおした。
「お花ですね、ありがとうございます。一本、一ギル」
 彼女は腕にぶら下げていた籠から、白い花を一本取り出した。
「おありがとうございます、おありがとうございます」
 ザックスはわざとらしく受け取った。そうしてそれを、背後に隠し持っていた花束の中にこっそりつけくわえた。
「てなわけで、あら不思議、一本のお花が、こーんな花束になっちゃった」
「まあ、あなた、手品師?」
 かわいらしいエアリス嬢は、乗るとなったらとことん乗る性格をしていた。
「さようでございます。わたくし、稀代の天才奇術師、その名もザックス・フェアと申します。以後お見知りおきを」
 ザックスはふざけて深々と頭を下げた。
「お近づきのおしるしに、花束は差し上げます。マドモアゼル」
「わあ、うれしい、ありがとう……このあたりのお花じゃ、なさそうね。例の寒い国のお花? でも、どうしてあなた、ここにいるの?」
「それがさあ」
 ザックスはもういつものザックスに戻って、鼻の下をこすった。
「ヤボ用ができちゃって。やあね、サラリーマンって。でもよかったよ。おれ田舎に送られて退屈でさ」
「だけどあなたのボスは、退屈じゃないんじゃない?」
 エアリス嬢はくすくす笑った。ふたりは歩き出した。ザックス・フェア氏は紳士だったため、エアリス嬢が腕に下げていた籠を持つ係を引き受けた。
「まあね。ボスは、喜んでる。たぶん閣下も。それはそうとさ、おれたち、すげえ事件に巻きこまれたんだ。ちょっと変な事件。今日、時間ある? エアリスんちの母ちゃん、遅くなるのうるさい?」
「ぜーんぜん」
 エアリス嬢は首をふった。
「そういうの、割と自由なの」
「いいね、話のわかる母ちゃん、おれ好きだなあ。じゃあさあ、おれの腹ペコどうにかすんのにつきあってよ。食いながら話すから。あと、ちゃんと家まで送るからさ」
「お母さんがね、その点、ザックスはえらいって」
 エアリス嬢はなにかをこらえるような笑みを浮かべた。
「わたしが、おとなしく送られてくるだけで、たいしたもんだ、っていうの。でもこれ、ほんとよ」
 ザックスは眉をつり上げ、それからエアリス嬢に向かって、自分の曲げた肘をぴょこんとつきだした。エアリス嬢は、それに腕をかけた。クリスマスの街並みに、いまが盛りの恋人どうしがまたひと組増えたのだ。

 

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