家出

 ソルジャー1stはいわば特権階級なので、呼び出しに応じられるならばどこでなにをしていてもよかった。ザックスはたいがい、ダウンタウンの繁華街にいるか、本社近辺をうろうろするか、誰にも会いたくないほどオフモードの日には、自宅でぼんやり映画でも見ている。音楽をかけるのも好きだけれど、ソルジャーになったばかりのときに、いつもの調子でものすごい音量で流したら、耳が冗談でなくもげそうになったことがあって、それから音楽再生にはすこしだけ注意を要する。本は読まない、ゲームははまりすぎてやりこみがこわいのでそこそこに切り上げる派。ひとりでできる娯楽なんて、限られているとザックスは思う。誰かとなにかするほうが、楽しいと思う。面倒も多いけれど、面倒だって楽しめばいいのだ。自分の気分は自分の責任だから、他人がどんな不愉快なことをしようが、楽しいことをしようが、結局それを受け止めるのは自分だ……それさえわかっていれば、ひとといることだって、ぜんぜん苦じゃない。
 結局なにをするでもなくぼんやりしていたら、夜になっていた。むしろこれからが活動時間だ。夜になれば、蛾みたいにどこからともなく繁華街の明かりに群がってくる連中。頭のいかれたのもたくさんいるけれど、みんなそれなりに面白くて、いいやつらだ。いまこの瞬間を最大限に楽しむという目的では、みんな一致している。部屋着を脱ぎ捨てて、すっかり履きなれたジーンズに脚をつっこみ、Tシャツを着て(先月買ったこれは実に高かった、でもデザインは最高だ)、髪の毛をセット。首になにかぶら下げるのは、今日はやめにした。このあいだ空けた左耳のアウターコンクがいい感じだった。もう傷はふさがっている。ソルジャーは便利だ。そういえば、クラウド閣下がトラガスを空けようかどうしようか迷っているというようなことを云っていた。今度いっしょにピアッシングスタジオに行かないとならない。連れていったら、たぶん空けるだろう。どうせ金がないとかなんとか云いだすだろうから(ザックスだって、クラウドくらいの歳にはいつだって金欠だった)、それくらい出してやろうと思う。たかが五十ギルくらい、安いものだ。
 ジャケットを羽織って、財布を尻のポケットにつっこみ、携帯を取り上げたとたんに、インターホンが鳴った。これはマンションのエントランスに、誰かこの部屋に入りたがっている人間が来ていることを意味する。ザックスは一瞬眉をしかめたけれど、すぐにボタンを押して応じた。
「ザックスー、いる? おれだけど」
「あんだよ、閣下かよ」
「なんだよってなんだよ。いるの? じゃ入れてよ」
「あのさあ、閣下、ひとの予定聞いてから来よう? おれ、これから出かけようとしてたんだよね」
「じゃキャンセルで」
 ザックスは額を押さえた。ほんとうに、このわがままな態度はどうにかしたほうがいい。今度、セフィロスにきつく云っておかなくてはならない。自分の家の子くらい、社会生活に適応できるように教育しなさい、と。でもたぶんセフィロスは、クラウドに云うことを聞かせられるのは、母親しかいないに違いないと云うだろう……正確には、クラウドが云うことを聞くのは、自分自身に対してだけと云えるかもしれない。
 ザックスは舌打ちしながらも、この腹の立つ友だちのために、オートロックを解除してやった。しばらくして部屋の前にやってきた友だちは、ちょっとぎょっとするほどの荷物を抱えていた。
「……夜逃げ?」
 だからザックスはそう訊ねてしまった。クラウド閣下ときたら、旅行に行くときに持つような大きなバッグに(蛍光ピンクと蛍光黄緑と白のボーダーというおそろしく派手なやつだった)、輪をかけて大きなトートバッグを持っていた。
「家出」
 クラウドはそう云って、ずかずかと部屋の中へ入りこんできた。
「はあ? 家出?」
 リビングに上がりこんだクラウドを視線で追いかける。
「イエス、家出。しばらく泊めて」
「はあ? なんでおれんち? ああ、おれしか友だちいないのか。そらそーだね。つーかなんで家出?」
 クラウドはとてつもなくいやそうな顔をした。
「セフィロスが腹立つから」
 ……そっか、腹立っちゃったか。つっこみもそこそこに、素直にそう思わせるなにかを、クラウドは持っている。たぶん、あんまり堂々としているせいだろう。自分が悪いとか、自分のせいもあるかもなんて、これっぽっちも思っていない。クラウドはただ、自分の感情に従っているだけだ。でも、それは耐えられないほどの自己中心とはちょっと違う。彼は、引っこむときにはちゃんと引っこむことができる子だ。でも、いつも相手と対等でいたいから、ちゃんと要求を伝えて、ときどき爆発して、ちゃんと収まる。彼は、ぶつかりあいを楽しむ。今回の家出だって、セフィロスに腹を立てたのはきっと事実だろうけれど、いまはどちらかというと楽しんでいるに違いない。
 ザックスはお出かけをやめることにした。どっちみち、ただ退屈だっただけだし、退屈なら相手がいればおさまることだ。使っていない折りたたみベッドを引っぱりだしてきて、ひとまず友だちの寝床を確保、ゲーム機を持ち出して、大格闘ゲーム大会を開催する。途中で、クラウドの電話が鳴った。着信音が、ブタの鳴き声だ。ブタが好きなのか? ザックスは一瞬疑う。まあ、ブタといるととても穏やかな気持ちになるのは事実だけれど。
「かーっか、電話、鳴ってる」
 クラウドは着信相手を確認して、電話を放り投げた。
「出なくていいひとだった」
「なんそれ? ああ、セフィロスか」
 からかい気味に訊くと、まあね、とぶっきらぼうに返された。
「てかさあ、そもそも、家出の原因なに」
 話しながら、でもゲームは続ける。クラウドが操作する、クマのぬいぐるみみたいなのを着たおっさんキャラクターに蹴りを入れる。
「ドラマの録画忘れられた」
 蹴りをくらって倒れたクマのおっさんは、さっと起きあがって、ジャンプしながら間合いをつめてきた。あわてて後退。ふたりぶんのコントローラー操作音ががちゃがちゃうるさい。
「はあ? そんだけ?」
「そんだけじゃないけど、大元はそれ。それが元になって、まあいろいろでケンカした」
「ふうん。あっそ。なんか意外。セフィロスもケンカすんだな」
 油断していたつもりはないけれど、クラウドキャラに必殺技をくらって、ザックスはやべえ、と思わず声を出した。
「いや、なんか、ケンカしてくれればまだいいんだけど、あのひと、かっとならないし、いっつも同じテンションだから、ぜんぜん面白くない。そのへんもいらっとくるし、とにかくいろいろ腹立つんだ」
 ザックスはなんとなく安心している自分に気がつく。クラウドみたいなガキといっしょになってぎゃんぎゃんケンカするセフィロスなんてのは、ちょっと存在して欲しくないと思ったから。別に彼を特別視はしないけれど、やっぱりどこかで尊敬しているわけだ。いっしょに仕事をしたからよけいにそう思うのだ。ただ遠目に憧れているだけじゃなくて。ちゃんと実感をともなった尊敬。相手の資質に対する敬意。
 でも同時に、クラウドみたいなのとつきあって、あげくに家出されて電話してくるようなセフィロスに、ほっとしたりもする。セフィロスは別に普通のひとなのだけれど、普通に扱うひとが少ないから、普通さがなかなか発揮されない。クラウドの態度は、結構な割合で意図的なものがまぎれこんでいるに違いない。ものすごく普通にすること。敬意を示さないこと、ちょっと邪険にすること。生じる感情を、殺さずにぶつけること。家出だってする。ザックスとしてはいきなり押しかけられるのは少々迷惑だけれど、でも仕方ない。どちらかというとセフィロスのためだ。彼にだって、恋人に家出されて右往左往する権利くらいある。
 ゲーム大会で盛り上がって、外に食事をしに行って、帰ってきて、なにをするでもなくぐだぐだやる。セフィロスからまた電話。クラウドは今回も出なかった。いいんだよ、少し思い知ればいいんだ、あんなの。クラウドはそう云って、楽しそうだ。なにを思い知るべきなのかはわからないけれど。
 明日も訓練があるのに、クラウドはぜんぜん眠くないと云って寝ない。興奮しているのだ。いつもと違う部屋、いつもと違う同居人、いつもと違うベッド。いつもと違う関係。だからザックスは、目をつぶってやることにした。眠らなくて明日つらい思いをするのは本人だ。それに、友だちの家に泊まった日なんて、あまりちゃんと眠らないものだ。なにがあるわけでもないのに、わあわあやって、いつの間にか日が昇りかけている。十二時をすぎたあたりに、また電話。クラウドは、しつこいな、とぶつぶつ云いながら、今度は出た。通話ボタンを押しながら、部屋を出ていく。「あんたさあ、いま何時だと思ってんだよ……」そういうせりふではじまる電話。クラウドがどうせ寝ていないのを、セフィロスはわかっていたのに違いない。だからたぶん、彼は寝る催促でもしたのだろう、関係ないだろ、というクラウドのちょっと怒ったような声が廊下から聞こえる。通話時間は、短かった。最後に、反省しろよ、というようなことを、クラウドが云ったみたいだった。すごいせりふだ。
「帰ってこいって?」
 部屋に戻ってきたクラウドに、ザックスはからかい気味に訊いた。クラウドはぶすっとした顔をした。
「関係ないだろ」
「あるだろ。ここおれの部屋。おまえ居候。いま出てくか、明日出てくかで、おれの予定が違ってくるの」
 クラウドはますます顔全体をゆがめた。
「当分、出てかない」
 ……あっそう。となぜかこちらを納得させてしまうのが、クラウド。閣下の、閣下たる由縁。堂々として、媚びない。

「かーっか、起きれ、ばかたれ」
 六時に、クラウドが持ちこんだチョコボ型目覚まし時計がけたたましく鳴り響いたから、ザックスはもうすっかり目が覚めてしまっている。なのに、折りたたみベッドの上のクラウドはちっとも動かない。ザックスはとうとういらいらして、クラウドの身体を覆っている布団を引っぺがし、丸まった背中に蹴りを入れた。でも無駄だった。クラウドはうう、と唸っただけで、あくまで眠りの世界にしがみつこうとする。しかたがないので、Tシャツをつかんで無理やりベッドから引き剥がす。でもクラウドの目は眠っている。頬をつまんでぐいぐい引っ張ってみたけれど、痛い、と不機嫌につぶやいて、また眠ろうとする。ザックスは腹が立って、友だちを持ち上げて床に落とした。
「いってえ!」
 床に尻をしたたかにぶつけて、クラウドはようやく目が覚めたらしかった。
「なにすんだよ」
 顔をしかめて尻のあたりをさすっている。
「なにじゃねえよ。起きろっつってんの。とっとと顔洗う。んで飯食う。で、さっさと出てく」
 このままいくとクラウドはいつまでたっても家から出られないから、軍隊式きびきび法でいくことにする。まずはバスルームに放りこんで、ドアを閉める。そのあいだに、なんでおれが、と思いながらも朝食を用意してやる。昨夜、夕食からの帰りに、店に寄っていろいろ買ってある。クラウドはボトル入り特大の山羊ミルクを買ったし、オーブントースターですぐできちゃう式ポテトを買って、ひとりしてほくほくしていた。ベーコンエッグとかいいな、と云いながらベーコンの塊を買っていたのを思い出して、スライスしてちょっと焼いて、上に卵を乗っける。目玉焼きには、ふたをして加熱するのがいい。我ながら最高のタイミングでフライパンから皿に移す。卵料理は料理の基本だ。母親にしこまれたのを、ザックスは忘れていない。料理だけは昔からうまかった。たぶん神さまの手違いかなにかだ。母親が云ったものだ。「だいたいね、おまえはソルジャーだかなんだかなんて都会のヨコモジ商売するより、厨房で鍋釜やかん振り回してるか、おとなしく牧場で牛とブタのケツおっかけるかしてりゃいいんだ……」母ちゃん、ごめん、と何度も思ったものだ。罪深き息子。でも、だいたいの息子は、母親の期待なんて裏切るようにできている。母親の心配なんて、そっちのけの人生を送るようにできているのだ。きっとおおかたの息子が、仕事から結婚相手、子どもの数に至るまで、母親の気をもませながら一生を終えるに違いないのだ。それでいい。母親は気をもむ。息子は、それをわずらわしく思いながら、感謝する。料理をするたびに、ザックスは田舎の母親のことを、すこし考えたりする。母と息子なんて、きっとそんなものでいいのだ。
 もう一匹の息子が、バスルームからぜんぜん出てこないことに、ザックスは気がついた。同時に、クラウドの携帯がまたもやブヒブヒ云っていることにも気がついた(この着信音は、ほんとうにどうかと思う)。ちらりとディスプレイを確認すると、セフィロスだった。想像以上にまめだ。ザックスはため息が出た。ついでに電話に出た。
「おはよーさんです」
「……やはりおまえのところだったか」
「閣下の家出先? そーだよ。あいつゆうべ云わなかったの? まあほかに友だちいないからね」
「すまないな」
 心から出たものらしい謝罪のことば。ザックスは噴き出した。
「いいえーどういたしましてー」
「あれは起きたか?」
「あ? 一応ね。床落としたら起きた。閣下ってさ、すんげえ寝起き悪いのな。まあ夜更かししたせいもあるだろうけど。さっきバスルーム放りこんだんだけどさあ、出てこないわ、まだ。なにしてんだろ?」
 セフィロスがため息をついた。
「たぶん中で寝ている」
「はあ? まじで?」
「たぶんな。だいたいいつもそうだ」
「まじかよ。ふざけんなよ。あいつなんなん? ほんとに軍に所属してんの? やる気あんの? モグリなの? アホじゃねえの?」
「……否定はしない」
 ザックスは携帯を耳に当てたまま移動して、バスルームのドアを開けた。クラウドは、ドアの横の壁にもたれるようにして寝ていた。
「ビンゴ。おれもう無理。あんたなんとかしてちょ」
 クラウドを蹴飛ばして、耳に携帯をあてがう。不機嫌に目を開けたクラウドは、電話から漏れてくる声にぎょっとした顔をした。
「なんで電話してくんだよ。ていうか、ザックスひとの電話勝手に取るなよ、ばかかよ」
 知らん、と云って彼はその場をあとにした。クラウドがなにやらぎゃあぎゃあわめいているのが聞こえる。もうつきあっていられない。クラウドには、どうあったって出ていってもらうことにする。だいたい、こんなことをしていたら、せっかく作ったお手製ベーコンエッグが冷めてしまうではないか。できたて料理のうまそうな匂いに気がつかずに寝ているようなやつなんて、人間失格だ。

「だから、荷物まとめたら出てけっつうの」
「無理だよ。おれまだ怒ってるから」
 クラウドは当然のように、訓練終わりにこの部屋に戻ってきて、居座っている。リビングのソファは、ほとんど占領されてしまったようなものだ。家中のゲームや雑誌が、ソファ周辺に集結してしまった。クラウドはソファの真ん中に座って、やりたいゲームを選別中だ。
「知るかよ。おれもうおまえの面倒みたくない」
「みなくていいよ。寝場所だけ貸してくれれば。勝手にやるから」
「おまえばか? 朝起きねえしバスルームで寝てるし料理はできねえしなやつがどうやって勝手にやるっつうの?」
 ザックスはぜったい出て行かせようと思うから強い口調で云うのだけれど、でも頭の隅のほうでは、夕食用の食材はちゃんとあったかな、なんて考えてしまっている。これも相当にばかなことだ。
「今朝は不覚だったんだよ。昨日夜更かししすぎて、眠かっただけ」
「うそこけ。セフィロスがバスルーム寝はデフォルトだっつってたぞ」
 クラウドが顔をしかめた。
「あのひとそういうこと云ったの?」
 ああ、これは墓穴を掘った。クラウドの反セフィロス感情をあおってしまうだけだ。ザックスはあわてて「反感」に傾いたクラウドのセフィロスメーターを戻しにかかる。
「おまえがそんなんだから心配してんだろーが。だからとっとと帰れって」
 クラウドは複雑な顔になった。
「そういうとこも腹立つんだ。おれよりちょっとおっさんだからって、調子乗りすぎなんだよ」
 ……ああ、そこな。ケンカの原因。ザックスはなんとなく、いっぺんに微笑ましくなってしまった。わかる、そのもどかしさは。ザックスも昔、一度だけ、すごく年上のひととつきあったことがある。まだ二十歳になる前だ。相手のお姉さんは三十を過ぎていた。彼女といると、楽しかったけれど、ふとした瞬間に自分が単なる社会知らずの欠陥商品みたいに思われたものだ。生きてきた年数の差、経験の差。どうしたって、縮まらないもの。不足しているものを補うのはただ年月と、人生が与えてくる経験だけであることが明白だから、始末が悪い。追いつくまで生きるしかないのに、そのころには向こうはもっと先へ行ってしまっている。その、絶望的な埋まらない溝。相手がいくらこちらに気を遣ったって、どうしても感じてしまうものがある。そして最後には、自分ではどうあっても役不足なのだと思いこんでしまう。たしかに、その当時の彼女は、生い立ちが相当にヘビーだったというのもあるけれど。これもまた埋まらない溝だ。どうしようもない不幸を経験している人間と、さほどしていない人間とのあいだに生じる、人生の、絶対的な深度の差(でも実際には、不幸を経験している人間が、必ずしも強く豊かな人間であるとは限らない)。
 そういう意味で、クラウドは大変なわけだ。彼のお相手ときたら、年上で、複雑な生い立ちで、おそろしくセンシティブな立ち位置にいて、おまけに感性ときたら繊細の極みだ。そんなのを恋人にしたら、自分が大変に決まっている。重たいものを背負って、人生を送ることを余儀なくされているひと。そういうひととともにいようとするなら、それは腹も立つに違いない。その埋まらない差に。対等な関係を築くことが絶望的に思われるのに、それでも対等でいようとすることは、ものすごい戦いだ。萎縮しそうになる自分といつも格闘しなくてはならない。相手に必要とされているのだと、いつも信じていなくてはならない。相手の愛情に、そして自分の愛情に、信念を持たなくてはならない。
「ま、おまえんちの場合は、だいぶおっさんっつうのかもね」
 だからザックスはそう云って、笑ってやった。クラウドは素直じゃないので、本気のわがままなのか、ふりなのか、ごっちゃになりがちだけれども。でもその信念、あくまで自分を通し、相手も通そうとする信念は、見上げたものだ。わかったよ、おまえのは全部平等のための自己主張だったよ。忘れてたよ、悪かったよ。しゃあねえな、もうしばらく置いてやるよ。
 ザックスは夕食作りのためにキッチンに立った。気分よく料理するためには、音楽が必要だ。ミニマルな、別次元に行けそうな。なぜなら、料理の時間は無心だから。忘我とか恍惚と、紙一重だ。CDをかけて、手羽先をしこみにかかる。安物のワインの残りがあったから、鍋にぶちこんで、煮こむ。酒で煮るのは大事だ。これで、古くなりかけた肉も魚もどうにかなる。玉ねぎと人参と、ある野菜を適当に別のフライパンで炒めて、鍋に投入。こいつを煮るあいだに、イモを作らなくちゃならない。ざくざく切って、油で揚げる。ふとスパイシーなやつにしてみようと思って、スパイスを適当に調合。チリとガラムマサラとコショウ、クミンも少々。一本味見してみたら、我ながらうまかった。マヨネーズとトマトケチャップをつけて、皿へ。サラダも適当に作る。パンに塗る用に、アボカドディップも作る。そうこうしているあいだに、鶏がいい具合に煮えて、本日のお料理完成。クラウドを呼ぼうと思ってリビングを見たら、やつは雑誌を読みながら音楽にあわせて身体を揺すってノリノリだった。そのうち、クラブにでも連れて行ってやろうか。
 十時すぎに、セフィロスから電話。クラウドはベランダに出て、説教をはじめる。なんか誠意が感じられないなあ、遅いんだよ、電話が、ふざけてんだろ……うん怒ってる……。ザックスは興味本位で、ちょっと盗み聞きしてしまって後悔した。あほうな電話だ。どこがケンカ中だ。どこが怒ってるだ。やっぱり、セフィロスも閣下もくたばってしまえ。クラウドは電話を切る直前に、もうかけてくんな、と念を押すように云っていた。どう見たって「かけろ」と云っているようにしか聞こえない。あほらしい。

 予想はしていたけれど、クラウドは翌朝やっぱりさんざん寝起きに苦労して、ザックスを手こずらせた。叱りとばして家から追い出し、ようやく安眠を確保。クラウドといっしょになって早朝六時に起床するなんて、冗談じゃない。そんなサラリーマンみたいな生活はごめんだ。別に身体はちょっとやそっと寝なくたっていいけれど、問題はそこじゃない。ザックスは昼過ぎに起きてくずくずして、夜から活動するような生活が好きなのだ。好きだからそうする。
 起きてから、夕食の買い出し。店に行く前に大型書店に寄って、ニブルヘイムあたりではどんな料理が一般的なのかチェックしてみたりする。寒い地方なので、保存食は種類が豊富、内陸だから、大型の魚料理はあんまり一般的じゃない。ウサギやシカなんてちょっと調理してみたいけれど、ミッドガルじゃ食材専門店に出入りしないと入手できない。だめだ、ニブル料理を作るなら、もうちょっと余裕のあるときでないと。今日は仕方がないから、めっぽううまいと評判のお手製シチューを作ることにしよう。友だちがばかのようにジャガイモを消費するので、ザックスはキロ単位で買った。食材屋のレジにいるお姉さんは愛嬌があって話すと面白いので、つい十五分くらい立ち話。「またこんなに買って、彼女に料理してあげるの?」発言にはちょっと苦笑いするしかない。たとえ性別が変わったって、あんなのが彼女だなんて、ぜったいにいやだ。
 ザックス君のお手製シチューを、クラウドは四回おかわりして食べた。イモは、今日はふかして、バターで炒めて塩、コショウだけ。クラウドはこれも大丈夫かと思うくらい食べた。
「ザックスと暮らすと、おれ太りそう」
 クラウドは食事を終えて、満足しきった顔で云う。
「未亡人のはさ、すごくおいしいんだけど、やっぱりちゃんと抑えるとこ抑えてるんだよね。油とか、砂糖とか。ザックスのはごってごてに、ほんとに店とかで出しそうな味がする」
「そ。おれの料理はうまいが至上命題なの。だから、カロリーとか脂質糖質とか無視。おれ板さんになりゃあよかったかもしんないっていまでもときどき思うわ。毎日食べても健康に影響ないような料理、作れないんだよね。前につきあった子がさ、おれとつきあいだしてから六キロ太ったとか云って、そんでケンカしたなあ、そういえば」
「かわいそうだよ、六キロは。服入らないじゃないか」
「そう、それが問題だったらしくてさ。露出の多い子だったかんなー、さすがにかわいそうだったかもな」
 デザートに、即席オレンジシャーベットを出してやる。クラウドはスプーンごとべろべろ舐めるような食べ方をする。もうとっくにわかっているけれど、あんまりお行儀はよくない。たぶん、母親がそういうことを気にしないひとだったに違いない。別に悪いことじゃない。でもこういう野生自由人のクラウドと、セフィロスはどんなふうに毎日過ごしているんだろうとふと思う。がみがみ云うんだろうか。それとも、もう好きにさせているんだろうか。たぶん後者だろうと思う。一応ひと声かけるだろうけれど、でも結局、苦笑しながら見ているだろうな、と思う。セフィロスはぜんぜん自由になれないから、クラウドを好きにさせて、そしてそこに引きずりこまれているくらいがちょうどいいのかもしれない。クラウドはそれをわかっているから、遠慮しない。クラウドが持っているのは、そういう力だ。とことん好きに振る舞うという、一番度胸と体力を要する力。
 ふいにクラウドの電話がブヒブヒ云う。彼は顔をしかめてディスプレイを確認し、ますます渋い顔になって、ベランダへ出ていく。電話は長かった。盗み聞きなんてするものか。どうせばかばかしい会話なのだ。恋愛の会話なんて、ばかげたものに決まっているのだ。そのあいだに、夕食の後かたづけ。食器を洗って、テーブルをきれいにしてもまだ電話は終わらない。なにをぐちゃぐちゃ話しているのかしらないけれど、毎日電話するくらいならとっとと帰れと云いたい。
 ソファに転がってぼんやりテレビを見ていたら、クラウドが戻ってきた。すぐ横にやってきて、こちらに向けて携帯を差し出してくる。あん? と云うと、クラウドは「ザックスに替われって」と電話を押しつけて、おもむろに荷物をまとめにかかった。帰るのか?
「ザックス君だよ、お電話替わりました〜」
「……世話になったな」
 電話口から、申し訳なさそうな調子をにじませた声が聞こえてきた。
「べーつにいいけどさ。一回くらい。もう仲直りしたわけ? つーかあんた、よくあんなのと毎日暮らしてんね。おれ無理。ようやる」
「おれもそう思う」
 セフィロスが苦笑交じりに云う。まあ、でもしょうがない。恋する人間は、みんないかれているのだ。何百年も前の本の中でそう云っている。だから人間は何百年も前から、恋をすると頭がおかしくなり続けて、そうして繁栄してきたわけだ。その楽しさは、ザックスだって知っている。なにかをかなぐり捨てることの快感。人間は、社会生活の中でいろいろなものに縛られてしまっているから、そこを飛び出す瞬間として、恋愛の力……あるいはほかの情熱でもいいけれど……はどうしたって必要なのだ。それはとてもすばらしいことだし、人生を豊かにする。でも、できれば恋愛のばか騒ぎは、当人同士のあいだだけに留めてもらいたい。
「閣下の家出、もう禁止してよ。おれあんなのと二度といっしょに暮らしたくない」
「努力はしてみる」
 努力。でもたぶん、無理だろう。クラウドは自分の気分に従って、好きにするだろう。ザックスもそれはわかっている。でも自分の家が避難所として使われ放題に使われるなんてごめんだから、一応云っておいただけだ。
 クラウドはばかみたいに多い荷物をまとめて、おじゃましましたー、と云いながら元気に出ていった。二度と来んな、と云ってやったから、ちょっとすっきりした。ザックスは二日間、ふたり暮らしになっていた部屋を見渡した。嵐が過ぎたあとみたいだ。ひとりでいるときの部屋の秩序は、すっかりめちゃくちゃにされてしまっている。折りたたみベッドは、たたんでしまわないといけない。クラウドが使ったタオル類を、とっとと洗濯しないと。部屋中に散らかされた雑誌やCDやゲームを、なぜ自分が元通りにしないといけないのか? ザックスは、そういうものはちゃんと整理して置いておきたい人間だ。クラウドがレコードに手を出さなかったのはありがたかった。あれをばらばらにされたら、ほんとうに泣いていたかもしれない。一時期給料の大半を注ぎこんで集めたレコード。どうしても欲しい一枚を探しだすのに、店をかけずり回った。恋愛の情熱は、そういうのに似ている。恋愛中の感情の爆発も、そういうのに似ている。
 ザックスは二日ぶりにひとりに戻った部屋で、レコードをかけた。ぶつぶつ泡立つような耳障りな音の中に、なにかを煽るようにからみついてくるリズム。とても心地いいのだけれど、ザックスはすぐに聴くのをやめた。大急ぎで着替えをして、部屋を出る。二日前に行きそびれた繁華街へ、出かけるために。

 

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