第一章 豪華列車の旅……話はぜんぜんはじまらない

ミッドガル壱番街ステーション

 蒸気機関車が真っ黒な煙を吐いてホームにのろのろと進んでくると、クラウドはベンチから立ち上がって、大急ぎで首にぶら下げていたポラロイドカメラを構え、その威風堂々といった姿をぱちりとやった。大きなものは、なんでもそんなふうに見える……特に、動いているあいだは。この列車は、神羅カンパニーが技術(と金)の粋を尽くして作成した、豪華旅客列車だ。乗客たちは、食堂車でくつろぎながら食事を堪能することもできるし、ベッドや洗面台がしつらえられた個室で、のんびりと自分の時間を満喫することもできるのだ。係の男たちはよく訓練されているので、たとえ揺れる車内であっても音もなく移動し、客が必要とするときにはなぜかその場に必ず居合わせることができるというすぐれた特技を身につけている。車体はシックな黒みがかった赤で、窓枠には金の縁取り、先頭車両にだけ、大きな例のカンパニーロゴがくっついている。
 プレジデントはこれを作成するにあたり、技術者たちに「動くホテル」なるものを要求した。というのも、プレジデントは船旅や空の旅があまり得意ではなく、移動するならばバスか列車で、という、いくぶん古風な考えを持っているのだった。だがいざ社長の地位を手に入れて贅沢な暮らしに慣れてみると、どうも身の丈にあった列車がない。ないならば作ってしまえ、ということで、制作に十年を費やした末完成したのがこの「神羅・コンチネンタルエクスプレス」だった。コンチネンタルとは大陸という意味だけれど、この列車は大陸というよりは世界を一周していて、ミッドガルを出て、海峡を渡ってアイシクルエリアに立ち寄り、コレルを通過したのちウータイに寄り道し、コスモキャニオンの真っ赤な大地を通り抜けてジュノンからミッドガルへ戻る、というコースを取る。これをあくまで大陸と主張したのにはプレジデントのささやかな願望がその根底にあり、つまり、ひとつの大陸を掌握するように世界を掌握してしまえという、なかなかに大それた、けれどもらしいと云えばらしい願望なのであった。そして、金持ちによくあるように、作った本人がそれに乗る機会はどこかへ出張する場合に限られていた。列車を利用するのは主に別の金持ち連中で、けれどもまともにこの列車で世界旅行をしようとするととてつもない日数がかかるので、乗客たちは当然、どこか適当な区間に限って、ほとんど娯楽のために利用することになる。
 クラウドは満足げな笑みをもらし、のろのろとホームに滑りこんでくるやつを感心したように見つめながら、赤くなった鼻を鳴らし、しょっちゅうずれが生じる灰色のフェイクファーの耳当てをなおした。こいつはクラウドがまだ子どものときから使い続けている代物なので、いまの彼の成熟した頭蓋骨には、はっきり云って合っていなかった。おかげでちょっとした振動でも、すぐにずり上がっていってしまう。おそろしく不便そうだけれど、でも本人は替えるつもりなんかこれっぽっちもないらしい。耳当てといえば世の中にこれひとつきりしかないとでも思っているみたいに、クラウドは毎年毎年同じものを使い続けている。彼は、そういう子なのだ。
 機関車はぎしぎし苦しそうにうめいてから完全に停止した。整備を完了して車庫から出てきたばかりの列車は、いよいよこれから運行に向け、食料や備品をつめこむのだ。赤帽が何人か駆け寄り、車掌は降りてきてホームをいかめしい顔でうろつく。クルーたちがきびきびと動きまわって、箱詰めの食料を積みこむ。こういう光景を眺めているのは面白い。セフィロスは喧噪から一歩離れたホームの隅のベンチで、そうした動きを見守った。太ったコックらしき男が、積みこまれる箱を数え上げている。乗客たちがどこからともなく集まりはじめ、赤帽が、かわいそうに顔を真っ赤にしながら重たい荷物を運ぶ。乗客はみんな例外なくコートを着て、手袋をはめ、真冬の寒さから身を守っている。ものすごいとしか云いようのない毛皮のコートを羽織ったご婦人が、赤帽にキンキン声で命令している。
「気をつけてちょうだいよ! 鞄に傷をつけないで……」
 ご婦人は太っており、猪首型で、ボリュームのあるコートを着ているものだから、頭がコートから生えているように見える。おまけに結い上げられた髪はこれでもかとばかりに後頭部にてんこ盛りになっているので、云ってはなんだがそのさまはひどく滑稽だった。傷をつけたくない鞄なんか、はじめから買わなければいいのではないか、とセフィロスは思った。鞄は、しょせん入れ物なのだから。このご婦人は、金持ちになってからまだ日が浅いと見える。
 セフィロスは微笑して、毛皮おばさんから視線をはずす。駅とは、不思議な空間だ。都会の空気と、田舎の空気が混じり合う。どちらに乗り入れるにしても、汽車のドアを開けた瞬間に、ちょっとした異文化の空気が、そこからもたらされるわけだ。降りてくるひとたちのまとう雰囲気、持ち物、呼吸、いろんなところにそいつは潜んでいて、いずれ溶けてなくなってしまうのだけれど、少なくとも駅のホームには、まだその気配が色濃く残っている。やってきた乗客たちの視線、身振り手振り、服の色使いのようなものまで、都会を、あるいは田舎を感じさせるような気がする……。
 クラウドの撮ったポラロイド写真が出来上がった。彼はそうすれば仕上がりが早くなるとでも思っているみたいに写真をしきりに振って、やたらと光にすかして見たりしていたが、満足げな息をもらし、小走りでセフィロスの座るベンチへ戻ってきて(そのあいだ、彼はどうしても頭から外れようとする耳当てを少なくとも四回は整えなければならなかった)、それを見せた。なかなかよく撮れていた。うなずいてやると、クラウドは手持ちのバッグから小ぶりなアルバムを取り出し、写真をはさみこんだ。アルバムを閉じた拍子にまた耳当てがずれたので、彼は云うことをきかない子どもをなだめるみたいな手つきでそれをなおした。クラウドはこのところポラロイドカメラに凝っている。セフィロスつきの家政婦、気のいいグロリア未亡人がひと月ばかり前にくれたのだ。「お下がりでごめんなさいね」と彼女は云った。
「わたしの甥の持ち物だったの。一時期ばかみたいに凝っていたのよ。でも、寄宿制の学校へやられてから、すっかりひとが変わってしまって。まじめになったと云っていいのかしら。いいえ、違うわね。毎日、頭からけぶが出るほど勉強させられて、上級生に意地悪されて、ショーペンハウアーだかシオランだか、とにかく意固地な年寄りの本ばっかり読んでるうちに、なんだか悲観主義者みたいな雰囲気をまとうようになってしまったわ。なにもかも見下すという感じで。でも、そういうのってあるタイプの子どもには、思春期に必ずかかる病気みたいなものでしょう……」
 そういうタイプの子どものことはよくわかるし、セフィロス自身、哲学者だのモラリストだのといった連中とは、それなりに関わりを持って生きてきた。寄宿制学校に通わず、うるさい上級生の意地悪もなく、哲学書は読まず、したがってそういうタイプでもないクラウドは、それ以来すっかりカメラマン気取りになってしまって、なにからなにまでポラロイド写真に収めようとする。機関車や街の風景なんてものはまだまっとうな被写体と云えそうだけれど、セフィロスはたとえば、自分の足の裏だとか、目玉だとか、あるいは食卓テーブルの脚の下なんてものが被写体にふさわしいとは、あまり思えない。
 クラウドが隣に腰を下ろした。古い木製のベンチはすこしぐらついた。
「ザックス、まだかなあ」
 彼はポケットからチョコレートバーを取り出し、口につっこみながら、黒いブーツに覆われた脚をばたばたやった。待つのが嫌いなのだ。
「ザックスがいま来たところで、どうせこの汽車はたっぷりあと三十分は動かない」
 セフィロスはチョコレートバーのせいで手がふさがっているクラウドにかわって、足をばたつかせた際にずり上がった耳当てをなおした。
「根本的な問題としてさ、駅員がのろまなんだよ。汽車は早いのに。社内掃除だの備品交換だのなんか、ちゃっちゃとやっちゃえばいいじゃないか。駅員のやつら、時給かせぐためにのろのろやってるとしか思えない。おれなら、秒速で終わらすよ。ゴミはまとめて袋にぶちこんで、床と棚をモップでざあっとやって、見えたら都合の悪いところは猫を置くか、なんかしちゃうんだ」
「人間と機械を比較する方が間違っていると思うが」
 セフィロスは云って、チョコレートバーの殻を受け取り、ベンチ横にあるゴミ箱に捨てた。
「それはそうと、そろそろ薬を飲んでおけ」
 セフィロスはコートのポケットから空色のゾウのイラストがついたかわいらしい布袋を取り出した。これはクラウドが三歳のときから使い続けているお薬袋で、裏にはちゃんと名前と、クラウド印の雲マークが刺繍されている。クラウドは眉をしかめて、セフィロスが取り出した白い錠剤を口に入れた。彼は乗り物酔いがひどいので、乗り物に乗る前には必ず薬を飲むことにしている。でも本人が忘れやすいうえに、ゲロゲロやられて被害に遭うのはだいたいセフィロスなので、いまではクラウドのお薬袋はセフィロスが持ち歩くことにしていた。
 陽気なザックスが陽気な足取りで戻ってきた。彼は真冬だというのに丈の短い黒のダウンジャケットの前をはだけ、おそろしいことにその下には薄手のニット一枚しか着ていない。これで「南国生まれのザックスちゃんは、こんな北のはずれみたいなミッドガルで、冬ともなりゃあ寒い思いしてんのよ」などと云ってはばからないのだから、たいしたものだ。彼には、連れがあった。やたらと身体にフィットした濃紺の制服をまとった中肉中背のひげ男と、その後ろからくっついてくる、痩せ型の、こちらはちょっとぶかぶかに見える制服を着た、ひょろりと背の高い男。さらにその後ろから、まだ年若い赤帽がふたりついてくる。
「お待たせお待たせ。いやおれだけですませるはずだったんだけどさあ、どうしても、挨拶したいって云うもんで。紹介するわ。このひと駅長さん(と云ってザックスはひげ男を指さした)、で、こっちのひとが、副駅長さん。あとのふたりは荷物持ち」
 セフィロスは立ち上がり、駅長とやらから差し出された手を握った。駅長はやたらしゃっちょこばった顔をして、自分が駅長でいるあいだにサーのような高名な方をお送りできることをたいへんに誇らしく思うしまた、それはこの駅にとってもたいへんに名誉なことであります、と述べた。セフィロスは久方ぶりの「サー」なる呼称に身震いしそうになったが、自分が無断欠勤常習犯の長期休業中であることや、週末ともなれば牛と戯れ、土いじりに精を出しているということなどは、駅長にはなんの関係もないことであると思い改めて、身震いを制した。続いて彼は副駅長と握手を交わしたが、痩身のこの男のほうは、駅長のように鼻を膨らまして美辞麗句を並べ立てるようなことはせず、ただ静かに頭を下げただけだった。駅長は次いで、ポラロイドカメラをいじくり回しているクラウドをどうしようか悩みはじめたようだったが、相手がいっこう立ち上がる気配も、こちらを気にかけるそぶりも見せないことから、深入りしない方が得策と考えたようだった。赤帽ふたりが、サー・セフィロスに握手をする許可を求めてきた。彼は断る方が面倒だったので応じた。赤帽ふたりは同年代のクラウドの上に、羨望と嫉妬と疑問の入り交じった複雑な視線を投げたが、すぐに無表情に戻り、ふたたび駅長の後ろで待機の姿勢に入った。
「こんなところでお待ちにならずに、駅長室へいらしてくださればよかったのに」
 駅長は残念がるそぶりをみせた。セフィロスは、そういうのがわずらわしいのでザックスを自分の代わりに挨拶に行かせたのだが、というのもこの駅長はプレジデントの母親の父親のはとこの腹違いの妹の娘の子どもだかなんだかで、とにかくよくわからないが例の一族の血縁者であり、いろいろな事情の手前、挨拶をしないわけには行かなかった。セフィロスは曖昧な微笑を浮かべながら、駅の中を見物したかったことと、また冬の寒さは健康によいことでもあり、ご遠慮したのだと述べた。駅長は微笑み、なおしばらく本人にとってもっとも高尚であると思われるにちがいない話題を連発していたが、クラウドがやたらに大きなあくびを連発しはじめ、それにつられてザックスも大あくびをはじめたので、セフィロスはしめたとばかりに手持ちのバッグを抱え、やかましい駅長を残して列車に近づいた。ザックスがあとに続いた。赤帽たちが大慌てで荷物を受け取って、きびきびと運びこみ、駅長は取り残された。列車の入り口で、クルーのひとりが案内をしていて、セフィロスを見ると帽子を持ち上げ、挨拶した。
「サーは、最後尾車両、特別室になります。お連れの方は、そのお隣の部屋です」
 セフィロスは礼を云って、そそくさと乗りこんだ。ちらりとホームを見やると、残された駅長が、名残惜しそうにふたりを見つめていた。せっかくの上物の獲物を取り逃がしたというような目だった。セフィロスはぞっとした! あんな男に絡まれるのはごめんだ。
 車内は空調が効いて、非常に温かかった。見事なガラス細工のランプが、壁に等間隔でかかっており、淡いオレンジの光をあたりに投げている。ひとひとり通るのがやっとな細い廊下の、片側は窓で、もう片方に部屋が並んでいる。ザックスはひらひらと手を振って、一番奥から二番目のドアを開け、中へ入っていった。セフィロスも自室に足を踏み入れた。
 コンパートメントは、夜になれば二段ベッドに変身する大きなソファ、窓際にくっつけて設置されているテーブル、電話ボックスほどの大きさの、コンパクトな洗面台で成り立っている。広さは四畳半みたいなものだったけれど、プレジデントがセフィロスに気を利かせて部屋をふたつぶち抜いて続けた特別室なんぞあてがったために、さながらちょっとしたリビングルームに見えた。純粋に構造が同じ部屋がふたつ、鏡あわせにくっついているだけだが、それだって一般の部屋の倍の広さには違いなかった。ソファは紺碧のビロード張り、クッションがふかふかしていて、セフィロスは小さくため息をつくと、持ちこんだトランクを開き、クラウドの歯磨きコップと歯ブラシ、空色のタオル、ブタの室内履きなどを出してふさわしい場所においた。ごそごそやっていると、ザックスがひょいと現れた。
「わーお、さすが特別室。広いね。いいねえ。おれ狭くて死にそうよ。ところでボス、ハンガー余分に持ってない? あったら貸してくんない?」
 セフィロスは、母さんみたいになんでも予備を持っていた。折りたたみ式のやつをひとつ取り出して、ザックスに渡した。
「あんがとさん。助かった。まーったくもう。こんな列車で移動なんて、ほんとに勘弁。おれ発狂しちゃうよ。トラックの荷台で移動するほうがマシ。プレジデントのやつ、ほんとにあんたのこと愛してるよなあ」
 ご一行が、こんなふざけた成金主義の車両のやっかいになりかけているのは、立派な、やむを得ないわけがある。理由のわかりやすいところから述べれば、プレジデントがセフィロスのことを熱烈に愛している、ということがあげられる。プレジデントは、カンパニーの大事な商品であるセフィロスを非常に重んじるところがあって、彼がそろそろ引退したいと申し出たときにはさすがに腰を抜かしかけたが、正面切って否定はせず、無期限休養を許可、のみならず、心身のリフレッシュが必要であろうという心遣いのもと、実に様々な提案をしてきた。コスタのリゾートでのゆったりとした休暇、ミディールの温泉での静かな休暇、ウータイでの異国情緒あふれる観光、コレルでゴルフ三昧、ゴールドソーサーの貸し切り、などなど、カンパニーの慰安施設と特権とを駆使し、いわばなんとかセフィロスのご機嫌をとろうと四苦八苦してきたわけだ。当然、セフィロスとしてはそういうすべてをはねのけてきたのだが、プレジデントのあまりの熱心さに、ザックスなどはつれない女に求愛し続ける男のごとしと云い、クラウドは「ぞっこん」と称した。そしてセフィロスはというと、例の金髪狸社長のことを、少々気味が悪いと思っている。いつだって本気の情熱は、伝えたい相手にこそ伝わらないものなのだ。
 今回の豪華列車使用の旅は、プレジデントの最後の切り札と見えた。
「これを彼がうんと云わなければ」
 仲介役をしたザックスの話によれば、プレジデントは社長室のばかでかい椅子の上であえぎあえぎ云ったということだ。
「わたしはもう八方ふさがりだ。どうか、頼むから首を縦に振ってくれたまえと、彼に伝えるんだ」
 そうしてザックスが預かってきたプレジデントからの手紙は、要約すれば以下の通りだった。
「これまでのわたしの提案は、君と君の感性にとって見当違いであったということにようやく気がついた。つまり、君はまったくの田舎趣味なのだ。田舎はいい。田舎の健康効果については、われわれも大いに着目しているところだ。君に、とっておきの場所を紹介しよう。アイシクルロッジのそばに、大がかりな保養施設があることは知っているだろうか。森の中の、湖のほとり、かなり広い土地に立派なコテージがいくつも点在しているのだ。もともとはサナトリウムだったが、医療の進歩によって肺病は不治の病ではなくなったため、サナトリウムは閉鎖され、豊かな自然を体験できる別荘へと変身した。湖はこの時期、すっかり凍ってしまっているのでスケートもできるし、氷に穴を開ける気があれば魚釣りもできるだろう。少なくとも半径三キロ以内にひとが集まる場所はない。少し離れたところに小さな村があるが、そこから用聞きが毎日チョコボ車でやってくる。もちろん、散歩をしても構わないのだ。これぞ、正真正銘の田舎ではないかね…………」
 プレジデントは、万が一の場合を考え、護衛としてザックスをくっつけてやることを提案し、雪の中で静かなクリスマスを過ごす、という案をごり押ししてきて、ザックスを青くさせた。クリスマスといえば、男にとって一世一代のイベントだ、と彼は力説したそうだが、当然プレジデントには通じなかった。夢破れ、田舎になど行きたくもないザックスは、腹いせにクラウドを連れていくことにした。そこで、例によって例の顔ぶれが、よりによってクリスマスにはまだ遠い十二月の一日に、不釣り合いな豪華列車に乗りこむことになったわけなのだ。ザックスはクリスマスの時期に都会を離れなければならない我が身を嘆き、わからず屋のプレジデントを呪った。
「あの出っ腹の金髪の狸じじい、地獄に落ちりゃあいいんだ。こんな金のかかった箱の中に善良な一般市民をぶっこみやがって。エアリスちゃんには、同行を断られたし。そんな長い期間、お母さんをひとりにしておけないでしょ、とか云って……あーあー! いい子とつきあうって、つらいわあ!」
 彼はぶつくさ云いはじめたが、セフィロスはいつまでたっても見慣れた金髪がやってこないことに疑問を抱いた。
「あの子はどこへ行ったんだ」
 ザックスは知らない、と云った。廊下へ出て、ホームを見渡したが、駅長が副駅長と赤帽を従えて頑固にホームに居座っているほか、誰の姿も見あたらない。だが、どうも一団は、なにか車両の先頭のほうを、気づかわしげに見やっている。セフィロスは大変いやな予感がして、その方向に目を転じた。そうして心臓が止まりそうになった。クラウドが、あろうことか煙を吐き出す煙突のすぐそばによじ登っており、熱心にカメラを構えているのだった。しかも、悠長に耳当てをなおしたりなどしている。
「あのばか」
 彼はつぶやき、あわてて外へ出ようとして、通りがかった年配の給仕服を着た乗務員に呼び止められた。
「どうかなさいましたか?」
 給仕服は穏やかに訊ねた。セフィロスは連れのばかさ加減を説明した。乗務員は青い顔をしてあわててホームに降りた。セフィロスは車両から身を乗り出して、行方を見守った。
「お客様!」
 給仕服はホームを一直線に走っていって、絶叫した。つるつるのエナメル靴を履いているために、彼は何度も滑りそうになった。
「お降りください! そこから出る煙はたいへんお熱うございます! 万が一当たりでもしましたら、いわゆる……焼けただれてしまわれます!」
 クラウドはのんびりホームに目を転じ、あわてず急がず煙突をぱちりとやってから、降りてきた。給仕服は高みの見物を決めこんでいた駅長一行をうらみがましく見やり、はた迷惑な客をきっちり車内へと連行した。セフィロスは給仕服に礼を云った。
「とんでもありません。ご無事でなによりでした。ただいまご挨拶に伺うところでございました。わたくし、あの特別室を長年担当しております。特別室だけは、専用の係がつくことになっておりまして。ですから今回はお客様のご担当になるわけです。ウィリアム・ウィリアムソンと申します」
 クラウドはいま撮ったばかりの写真を振り回しながら、目を丸くした。
「それ、すっごくいい名前ですね」
 彼は云った。
「さようでございますか?」
 今度はウィリアムソン氏が目を丸くした。
「だって、ウィリアムと、ソンだけ覚えればいいってことでしょ? おれみたいに、クラウドとストライフのふたつも覚えなきゃならないって、おれにしては大変なことだったんです」
 セフィロスはこらえきれずに吹き出した。ウィリアムソン氏はまだ面食らった顔をしていたが、やがて普段の顔を取り戻して、それからなんとも云えない微笑をほんの一瞬だけ浮かべ、御用の際にはいつでもベルでお呼びくださいと云って、いなくなった。セフィロスは部屋に戻ると、クラウドに「め」をした。
「だってさ、かっこよかったんだ、煙突」
 クラウドはポラロイドカメラを大事そうに机の上に置いて、生意気な顔になった。
「それにさ、いいだろ、どうせ停車中だもん」
「停車中だからといって、煙を吐き出さない保証はない」
 セフィロスは怖い顔をした。
「なんでもなかったからよかったものの」
 クラウドは肩をすくめて、耳当てを外し、ソファに座って三度跳ねた。クラウドの声を聞きつけて、ザックスがふたたびやってきた。
「いい写真撮れたかよ、閣下」
 ザックスはにやにやしながら訊いた。
「もちろん。おれ、軍人やめたらカメラマンにだってなれるね。見る? 正面だろ、側面だろ、アップ、車輪も撮ったし、ほかにもいろいろ。あとで、母さんに送るんだ」
 それから、クラウドは思い出したように辺りを見回し、天井からぶら下がっているシャンデリアを見つけて、げらげら笑った。
「シャンデリアだってさ! 列車にシャンデリアだってさ! つけてどうすんだろ?」
「知るかよ。プレジデントに聞けよ」
 ザックスがげんなりしたように応えた。
 給仕服のウィリアムソン氏が、三人のウェルカムドリンクを携えてふたたびやってきた。クラウドはザックスに、ウィリアムソン氏の栄誉ある個性的な名前について話をした。
「音楽的な名前ってやつですね」
 ザックスはしみじみ云った。
「なんていうか、くりかえしの……リズムが」
「覚えやすくていいっておれは云ったんだ」
 クラウドが云った。
「普通のやつは、名前覚えて、名字も覚えなくちゃならないけど」
「だよな。つづりの問題がなくていいよ。おれの名字なんて簡単な方だけど、それだって学校に上がるまで書けるようにならなかったもんな」
「おれも。名前しか書けなかった」
「要するに、おれたち……」
 ザックスは頭の横でひとさし指をくるくるやった。クラウドは笑い転げた。
 この頭の横でのひと指し指くるくるは、ウィリアム・ウィリアムソン氏にはるか昔の子どものころのことを思い出させた。彼の父親は古きゆかしき植字工で、その方面の腕は確かだが、やんわりと云えば少々おつむが足りなかった。一点豪華主義の脳みその持ち主だったのである。時代の流れで、父親は年々稼ぎが悪くなり、母親はとうとう一念発起して理容師の免許を取り、自宅を改装して商売をはじめた。父親は昼間から酔っぱらってふらふらするようになり、母親は息子たちに……彼は三人兄弟の末っ子だった……よく頭の横で指をくるくるやっては、父親のような阿呆にはなるなと云いきかせていたのだった。けれどもウィリアムソン氏としては、母親を尊敬するように、父親もまた尊敬している。なぜなら彼はこの世に存在するほとんどすべての字体を網羅しており、何ポイントのウェイトいくつ、というのをすぐさま見分けられる。ウィリアムソン氏は子どものころ、父の勤めていた印刷所に遊びに行ったことがある。そこで彼は父親の、ほかに並ぶもののない素早さを誇る仕事ぶりを見た。そうして、自分も将来はなにか、父のように徹底して訓練された職人になろうと思ったものだった。不幸にして手先の器用さを持ち合わせなかったので、彼はホテルのボーイになった。もともと目端の利く性格であるのに加え、生来の生真面目さを頼みにして、彼は客室係の責任者にまでのぼりつめた。その丁寧な仕事ぶりでプレジデントに顔を覚えてもらい、定年より少々早く退職してからは、この仕事に引きぬかれ、六十を目前にした現在でも、立派にこなしている。彼は、有り体に云えば自分と自分の仕事に誇りを持っていた。父親と同じように。ウィリアムソン氏は、なつかしい気持ちに囚われながら引き下がった。
 ピイーっという発車の合図が、ホームに響き渡った。まだホームでぐずぐずしていた駅長は、もくもくと煙を上げながら走り去る汽車を見送り、ため息をついた。そうして、結局ひとことも喋らなかった副駅長を従えて、駅長室に戻っていった。
 幼なじみである赤帽ふたりは、ようやく長い見送りから開放されて、こんな会話を交わした。
「あの一緒にいた金髪野郎、なんだろな?」
「知らねえよ。どうせ荷物持ちかなんかだろ。おれらみたいなもんだよ。散々こき使われんだ。ざまみろ。ああいう色の薄い金髪の男って、ろくなやつがいねえよ。ウィンジーがそうだろ。あの野郎、休みっちゃあバーに通って、女のケツ眺め回してるんだ。あいつの頭がすっからかんなのと同じで、あの金髪だって頭空っぽだよ。さっきの見ただろ? 悠長に煙突になんかよじ登りやがって。でも、いいご身分だよな。コンチネンタルで移動するんだぜ。おれも軍人になりゃよかったかな。切符切ってるいとこが、口添えなんかしなかったらな」
「そんで、おれはおまえに誘われたりなんかしなかったらな。そしたら、おれホテルマンか給仕になったよ。向こうの方が、チップの割がいいだろ」
 ふたりはそれで、しまいにけんかになった。まあ、そういうのって、よくあることだ。

 

もくじ 次へ→

 

close