第三章 巻きこまれ型人間たちのあやしい跳躍
大人ぶった訪問
急な依頼にも関わらず、ゲインシュタルトさんはちゃんとケルバとポンゴをともなって保養地に来てくれた。三人はふたたびチョコボ車に乗りこみ、トルギポリへ運ばれていった。ピエントさんが見送りの係を引き受けた。別にいなくたっていいのだが、いた方が雰囲気は出る。もちろん、クラウドは御者台に乗っていった。彼はコートの胸のところに、このあいだケルバにもらった黄色いチョコボの羽をつけていた。おかげで、まるでなにかの慈善事業に募金したひとみたいに見えた。
「しかし、こんなに早くまたあんたたちを乗せることになるたあね。なんかあったのかい?」
ゲインシュタルトさんはパイプをふかしながら、鷹揚な調子で云った。
「重大事件なんです」
クラウドは厳しい顔で答えた。それで、ゲインシュタルトさんはクラウドが軍人だったということを思い出した。
「ま、人生ってのは楽じゃねえや」
ゲインシュタルトさんは煙をたくさん吐き出した。
見慣れたとんがり屋根の並ぶ街を走り、大きなホテルの前で、チョコボ車は止まった。マグリム青年とマティルダ嬢は、街で一番豪華なグランドホテルに泊まっているのだ。クラウドは馭者台から飛び降りると、またチョコボたちとお別れをやった。最低もう二回は会えると云っているのに、ケルバはすごく心配そうな顔で、何度もクラウドの顔に頬のあたりをこすりつけ、クウクウ鳴いた。パンゴは先輩のすることを不安げに見つめていた。
「おいおいどうしたってんだよ」
ゲインシュタルトさんが見かねて云った。
「坊主が明日に死ぬわけでもあるまいし」
ケルバはいらいらしたように鋭い声で「クエ!」とやった。ゲインシュタルトさんは首をすくめた。
セフィロスが胸のポケットから浅黄色の封筒を取り出して、ホテルの部屋番号を確認した。三人はゲインシュタルトさんに礼を云ってホテルに入っていった。ゲインシュタルトさんは、例の古ぼけたケーバ帽子を振り回して見送った。
フロントには金髪の、たいへん美しい女性がいて、熱心に仕事をしていた。ザックスがにじりよっていくと、にこやかな笑みを浮かべ、用件を聞いてきた。ザックスは万国共通強力免罪符である自身の独特の瞳をさりげなく差しだしながら、
「八○二号室のマグリムさんとラスカ嬢を訪ねて来たんだけどさ。おれたちの友だちで。勝手にあがってっていいの?」
ブロンド美女はこてんと首を傾けた。
「まあ、今日はこちらのお部屋がずいぶん繁盛するんですね」
「ってーと?」
「さっきも、男性の方がひとりそのお部屋を訪ねていらしたんですよ。いましがたお帰りになったけど」
「どんなひと?」
ブロンド美女は口元に手を当てて、かわいらしい仕草で首を反対に傾けた。
「ええと、そうですね。小柄な、立派な口ひげを生やした、おしゃれな、おもしろそうな方でした。高そうな杖をついてました。握り口のところがアヒルになってるんです」
「……同じものをつい先日見たな」
麗しきブロンドに礼を云ってエレベーターに乗りこんでから、セフィロスは云った。
「マジで?」
ザックスは壁によりかかり、楽しそうな顔で云った。
「小柄な、立派な口ひげを生やした、おしゃれな、おもしろそうな方が持っていたな。記憶違いでなければ、ホープニッツェル教授だ」
「ボスが記憶違いってのは、おれの記憶違いでなきゃこれまで一度もないっての」
ザックスがにやにやしながら云った。
「面白いことになってきた。な、閣下」
「なんかあったら、おれのガス・ピストルが活躍できるしね」
クラウドはポケットの中のガス・ピストルをなでた。
エレベーターが八階についた。三人は廊下をぞろぞろ歩いていって、八○二号室の前で一度顔を見合わせ、セフィロスがドアをノックした……ドアは開かれた。マグリム青年が目を丸くして立っていた。
「これはこれは! わざわざいらしていただいたんですか? どうも、これは……ねえ、君! うれしいお客様だよ。さあ、どうぞ、こちらへ。ソファへおかけになってください」
三人が部屋に入っていくと、ソファに座っていたマティルダ嬢がさっと立ち上がった。握手やお礼やお茶の用意や同情のことばやいろいろが取り交わされるのが面白いので、クラウドはじっと見ていた。大の大人たちがそろいもそろって握手だの挨拶だのをせわしなくやっているところは、コメディ映画みたいに見える。
「大人になるってことは」
彼は考えた。
「要するに、礼儀とか作法とか気配りとか、そういうのにどっぷり漬かっちゃうってことなんだ。母さんが瓶にいっぱい漬けてるピクルスみたいに。おれもあと二、三年したら、ひとに会ったらにっこり笑って、握手なんかして、やあどうもこんにちは、なんてやらないといけないのかなあ。それって変だな。だって、おれはそういうことしたくないのに。十八になったとかいう理由ではじめるのってどうかと思うな。年齢でおれが変わるわけじゃないし。今度セフィロスに訊いてみよう」
「盗まれたものが鏡でよかったと考えなきゃいけないですよ」
マグリム青年が笑いながら云った。
「彼女の大事な形見の品がなくなって、はらわたが煮えくり返りそうですけど、こういうときこそ前向きにいかなくちゃ。財布ごと盗られたとかいうよりはましです。カードなんか盗まれて、不正使用された日には目も当てられないですよ。そう考えた方がいいよって僕は云ってるんです」
「ほかのものはなんにも盗られなかったんですか?」
ザックスが訊いた。彼はソファの背もたれに両腕を預けて、相変わらずにこやかな顔をしていた。マグリム青年の悲しいときこそ前向き説を、支持しているみたいに。
「なんにも。わたし、同じバッグにお財布を入れていたし、アクセサリー類もいくつか入れていたのに、そちらはまったく被害がなかったんですよ。まさか、あの鏡をそういうものとは間違えないと思うんですけど」
美しいマティルダ嬢が答えた。
「変な泥棒ね。美術品や鏡のマニアなのかしら? 鏡のマニアなんています? わたし聞いたことがないわ」
「鏡はいるでしょうね。なにしろ神秘的だ」
セフィロスは考え深い顔で云った。
「そういやあ、さっきここに別のお客さんが来たんですって?」
ザックスが相変わらずのんびりした調子で云った。彼は自分が死にそうだという報告の電話でもこんな調子で話すので、セフィロスは以前よく混乱させられたものだ。
「そうそう、ミッドガルの大学教授というひとでした。ホープニッツェル教授とかいう……僕らが奪われたようなものの権威なんだそうですね。同じ汽車に乗り合わせていながらお役に立てず申し訳ない、とずいぶん謝っていかれましたよ。自分に多少なりと関係のあるものが出てきたんで、気が咎めたんでしょうね。でも、おかげであの鏡のことがいろいろわかりました」
マグリム青年はちょっと悲しそうな顔で笑った。
「ずいぶん優しいひとだなあ」
ザックスは思案するように唇をつきだした。
「そんな優しい大学教授っている? だって、大学教授ってさあ、みんな社会的地位のあるオタクだろ?」
ザックスは世のすべての研究者たちに殴り殺されかねないことをさらりと云った。
「正直云って、僕はあやしいと思いますよ」
青年が云った。
「なんといっても出来すぎですよ。われわれと同じ汽車に乗って、同じ駅で降りて、近くのフラットに滞在しているなんて。まあでも、こんなことをしてたんじゃ疑われることは確実でしょうから、もし彼が関与してるなら、よっぽど肝の据わったやつだということになるけど」
「まさか! 考えすぎよ。あんないい方じゃないの。わたしにほんとに気を遣ってくださって、大きなケーキを買ってきてくださったんですよ……そうだ、召し上がりません?」
目を輝かせて訊ねる美しいマティルダ嬢の気遣いを踏みにじるような真似は、誰もしなかった。彼女は立ち上がって、お茶の準備をはじめた。
「そういうところも、なんとなく大げさで、僕は引っかかってるんですけどねえ。だいたい、彼女はひとがよすぎるんですよ。大事な祖母の形見の品が盗まれたっていうのに、まだひとを疑うってことを学ばないんだから!」
セフィロスとザックスは微笑んだ。
「それが彼女のよさでもあると思いますが」
セフィロスが穏やかに云った。
「まあそれは、否定しませんが」
青年は苦々しげに云った。
「教授がやってきたことは捜査局には伝えましたか?」
「まだです。いましがた帰ったばかりなんですよ、ほんとに。伝えるべきなんでしょうね?」
セフィロスは小さくうなずいた。
「実際のところ、彼が関与しているとお考えですか?」
「わかりません。十分に怪しいことは認めますが、もし彼が犯行に関わっているなら、なぜそんな考古学的には大して価値のない鏡を欲しがったのかわからないし、反対に、専門家である彼にしかわからないような価値があるのだとも考えられる。下手な憶測は慎むべきですが……」
マティルダ嬢がケーキとお茶が乗ったお盆を持って入ってきた。ケーキは、極上のスポンジの上に、クリームとフルーツがこれでもかとばかりに乗っかった、ものすごく値の張りそうなやつだった。
「おいしそうでしょう? こんなプレゼントをしてくださる方が、悪い方だとは思えないわ」
男たちは男どうしの話をぴたりとやめ、マティルダ嬢のお給仕するケーキに舌鼓を打った。セフィロスはクラウドを見た。彼は勇ましく敵陣営につっこむ将校さながらに、ケーキに猛然と襲いかかっていた。腹が減っていたのに違いない。食事をして一時間もすると、もうなにか食べたがる年ごろだ。セフィロスは自分のケーキを半分クラウドにあげたいと思ったが、ザックスならともかく、ほかのひとがいる前でそういうことをするのははばかられた。彼はちょっとした罪悪感とともに、自分のケーキを食べた。
「僕たちは、今週いっぱいはここにいようと思っています」
帰り際に、マグリム青年が云った。
「父のところへ行くのは、先延ばしですよ。まあ、仕方ありません。もしかするとひょっこり鏡が出てくるかもしれないし、なにかあったときにはるか彼方のミディールにいたのでは、捜査局のみなさんもやりにくいでしょうし。父が、あなたたちにくれぐれもよろしくと云っていました。今度ぜひ遊びに来て欲しいとも。母は僕たちのところへ飛んで来ようとしたんですが、父がその必要はないと云ったんです。父はやっぱり、たいした人物ですよね」
来たときと同じようにさかんに握手をして、たっぷりのことばの応酬と礼儀正しいふるまいをひとくさりやってから、三人はその場をあとにした。
「気に食わないねえ」
ザックスはエレベーターの中で云った。
「その教授、なんか変だって。ちぐはぐな感じだなあ。なんとなく」
「たぶんな」
セフィロスはだるそうにうなずいた。
「なんでもいいけどさ」
クラウドが唇をつきだした。
「おれ、腹減ったよ。あのケーキがだめだったんだ。食べると、よけいに腹が減るんだもん」
「だな。飯にしないか、諸君。そしたら、頭がすっきりするかも。ゆーっくり飯食ったら、ちょっと捜査局のぞいてみるってのどう? おれ、気になるのよね、そういうとこがどうなってんのか。なんかさ、そこ行ってみたら、おれらの方が会社にぼろ雑巾扱いされてることがわかって、がくーってなる予感がする」
「行ってどうする」
セフィロスが顔をしかめた。
「いやがられるだけだ」
「そーうかなあ? ザックスちゃんそうは思わないわ。だって、被害者の婚約者は元神羅軍の大佐だよ? しかもさ、ホープニッツェル教授なんか、神羅から金もらって遺跡調査に来てるんだしね。警察とか国家って、神羅が絡んでるひとたちに関わりたくないんだよね。いやがるのよね。あの捜査官たちにとっては、おれたち行ってあげた方が親切だと思うよ? 少なくとも、おれたちが向こう側の立場になって関わりましたって事実があれば、あのひとたちの胃がちょっとは楽でしょ。それにおれら、なにかと役に立つじゃん。前から思ってたんだ。警察と軍隊は連携するべきだよ。その方が話が早い。ボスだってわかってるくせにさ。普段さんざん迷惑かけてんだから、こういうときくらい協力してさあ、ご恩に報いようじゃん。しかもほら、おれたち休暇中だからこれ非公式。ね? どうよ?」
ザックスの提案に、セフィロスは考えこむ顔をした。それは、ちょっと、否かなり、お節介なのではないかと思っていたからだ。
「じゃ、閣下に決めてもらおう。閣下、どう思う? このままピエントさんとこに戻って、平穏な休暇を満喫しますか? それともこれを機に、国家警察ってもんがどういうふうに組織され、動いているか見学し、今後のいい教訓にすることを望みますか?」
「はい、議長、まだまだ未熟な身としては、当然後者であります」
クラウド・ストライフは挙手して答えた。
「決まり。本案は賛成多数で可決されました。ってわけで、こないだ行ったあのパブにもっかい行かね? 近いし」
「ライラちゃんのいるところだろ?」
クラウドはにやにやして云った。
「ピンポン。あそこの飯うまかったろが」
「はいはい、飯ね。うまかったうまかった」
「あ、閣下、君、なにかいやな云いかただなあ。いやな感じだなあそれ。ボクなんか引っかかっちゃうなあ」
ふたりはふざけながら歩きだした。セフィロスはため息をついて、それから首を振った。雪がはらはらと、彼の長いまつげの上に落ちた。結局、こうなってしまった。これで平和な休暇はおしまい。冒険精神あふれるクラウドが、警察捜査なんぞに首を突っこんだ暁には、いったいなにをしでかしてくれるやら、いまから頭痛がしそうになる……元はといえば、お見舞いを考え出した自分が悪いのだが。