浪費家のための貯蓄方法
「貯金ってさ、どうやったらできる?」
クラウドは切りわけられたアップルパイの特別大きなかたまりを、口の中へつっこんでしまってから、思い出したように云った。咀嚼中だったので、非常に不明瞭な発音になった。
「貯金?」
セフィロスは眉をしかめ、手を伸ばして、クラウドが座っているあたりのテーブルにぼろぼろこぼれたくずを拾った。食事をひと通り終えてから、こんなにばかでかいパイを腹に入れることができるのは、なんといっても驚きだ。成長期の特権。いくらでも食べられる。
「うん。したほうがいいのはわかってるんだけど、できないんだよ。なんか。なんでかわかんないけど、なくなるんだ、毎月毎月。でもショックだったのは、ザックスだってちょっとはしてるってことだよ。なんでできるんだろう? みんな」
云いながら、クラウドはいぶかしげな顔をしている。それも当然だ。彼はなにしろ計画性なんてものとは無縁な子だから。思うままに。思うように。やりたいと思ったことをしてしまう子だ。セフィロスはとてもクラウドらしいと思った。だいたい、金だってなくなるはずだ。クラウドの部屋には、ものがあふれかえっているのだから。似たような服ばかりいくつも持っているし、収集癖もある。乗り物のプラモデルは見ればもれなく買ってしまうし、お気に入りの気持ち悪いブタのキャラクターグッズは、ゲーセンに貢いだ、などと云って笑顔でいくつも持ち帰ったりする。どうあったって、貯められないはずだ。
「だいたいの人間は、多少なりとしていると思うが」
クラウドはきつく眉を寄せた。
「でもそれってさあ、先のためにいま我慢するってことだろ? おれ無理だよ。明日死ぬかもわかんないのに、いま目の前にある欲しいもの買うの我慢するなんてできない相談だよ」
すねたような顔をして、彼はひと切れ目のアップルパイを完食し、次にとりかかった。
セフィロスは確信した。クラウドはぜったいに、ろくでなしの亭主になるタイプだ。金を手にすると急に気が大きくなって、給料がもらったその日のうちに半分になるタイプ。徹底した快楽主義者。どこかの女が彼の浪費癖で苦労するよりは、むしろ自分でよかったかもしれないとさえ思った。
「ほんとうに貯める気があるのなら、最初から貯めるぶんをのけることだ」
セフィロスは黙々とパイを口へ運ぶクラウドに、苦笑を浮かべる。欲望に忠実な、真摯な彼は、けれども、美しいのだ。たとえ世間一般にはダメ人間の烙印を押されても。情熱的な、刹那的な生き方。誰でもできるものではないし、そういう生き方は危険だから、誰もが必死になって、そんなやり方はだめだと云うのだ。社会性のもろさ。あやうさ。そこを飛び越えて、生そのものが生み出す数多の欲望に、素直に身を委ねられる人間は、危険で、美しい。セフィロスはだから別に、クラウドに計画的な人生を歩むいい子になってもらいたいとは思わない。そんなクラウドなんてちっとも面白くないに違いない。でもこちらだっていつ死ぬかわからないのだし、いつまで面倒を見てやれるものかわからない。それに、クラウドにだって今後急に金が必要になることもあるだろう。適度な管理は、必要かもしれない。
「おれの百点満点にすっからかんな口座見る?」
クラウドがパイを食べ終えて指先を舐めながら云った。
「どれ」
その気があることを示すと、クラウドは立ち上がって、書斎に入っていった。軍からの給料は、入隊したとたんに専用の口座が作られて、そこに振りこまれる。オンラインで残高照会やら振りこみやら、なんでもできるようになっていて、利便性を向上などと上層部は云っているが、結局は情報管理の一環だ。万が一不審な金の動きがあったら、すぐにつまみ出せるように。セフィロスはのそりと立ち上がって、あとを追いかけた。書斎に入ると、クラウドがデスクの脇に立って、パソコンになにやら打ちこんでいた。セフィロスの気配を察して、椅子を顎で指す。彼は指示のとおりに座る。クラウドが膝の上に乗っかってきた。どうも、クラウドはこちらの膝の上を、座椅子かなにかと勘違いしているふしがある。硬いし、別に座り心地は良くないとセフィロスは思うのだけれど。
「はい、おれのすっからかん口座」
画面を向けられて、セフィロスはクラウドの頭越しに視線を向けた。
「どう?」
「……いっそ見事だ」
毎月毎月、給料日の数日前、早いときには十日以上前に、口座が空になっている。軍の給料は、決して悪くない。一応命がけの仕事だし、ひとを集めるために、もともと優遇されているのだ。給料が高ければ、軍に入ることは、一種のステータスになる。金のために命を投げ打つことはないとセフィロスは思うけれど、世の中には、自分の命より金や地位が大事な人間もいる。その悪くない給料を、毎月ちゃんと使いきるとはたいしたものだ。家賃も、光熱費も、食費もなにも払っていないのに。でもちょっと注意して金の動きを見ると、毎月定額別の口座に振りこまれているのがわかる……いわゆる仕送りというやつだ。母親への。セフィロスはもうそれを見ただけで、クラウドの金遣いが荒いこともなにもかも、いっぺんにどうでもよくなる。これはクラウドのいい子な一面。この金を、母親は使わずに、というより、使えずに、とっているのではないだろうか。たぶんそうだろう。だとしたら、彼はもうすでに立派に貯金できていることになるけれど、それはまた別の問題だ。
「しかしどうせ使うなら、いっぺんにまとめて引き出せばいいだろうに……この二十ギルだけ下ろしているのはなんだ?」
「いつの?」
「先月の九日。しかも休日の夜に引き出しているものだから、手数料が二ギル……ばかばかしいと思わないのか? その三日後にはまたまとめて引き落としているのに」
「九日? ……ああ、これ? これは、あれだよ。五ギルのくじってのやっててさ、景品がどうしても欲しくて、でも金が足りなくて、だけど、おれあと三回で当てる自信があったんだよ。それで、アイスも欲しかったから、二十下ろした……おれ、トンベリのぬいぐるみ持ち帰った日なかった?」
「……あったな。あのためだったのか」
そのぬいぐるみはいま、ベッドのわきに飾られている。なかなか愛らしくデフォルメされていて、手触りのいいやつだ。
「三回で当てるって決めたのに、必要以上の金下ろしたら意味ないだろ。そんなの詐欺になる。それくらいわかるだろ」
怒られた。そうだな、と云うしかない。非常に無駄なことをしている気がするけれど、そんなことを云って通じるような子ではない。
「それよりさ、おれの貯金問題について、考えてよ。大人なんだから。どうしたらいい?」
自分から見るかと云ったのに、クラウドはもうじっとするのに飽きはじめていた。膝の上でもぞもぞやりだす。
「だから、貯金をする気があるなら、最初から貯めるぶんはのぞいておけ……毎月おまえが自由に引き出せない口座に、定額入れるか」
「それってあんたの口座ってこと?」
「いや、それだとどっちの金だかわからなくなる。別に作らなくてはならないだろうな。だがそこまでする気があるのか?」
「……たぶん」
ずいぶん疑わしい返事だ。セフィロスはため息をついた。
「あるよ」
クラウドがむっとしたように云いなおす。
「それなら用意しておく。来月から問答無用で天引きするからな」
クラウドの頭をかきまわして、微笑する。
「いくら?」
「全体の三分の一」
クラウドがぞっとしたような顔になる。
「無理だよ。そんなんじゃおれ楽しいことなにもできないじゃないか。干からびて死んじゃうよ」
セフィロスは笑った。
「家賃もなにも払っていないやつが贅沢するな。外に出なければ金は使わない」
「そりゃそうだけど、あんた、なんか目がエロくなってる……ってそっちかよ! 変態」
脚を蹴られたが、別段悪い気はしなかった。蹴り方がぜんぜん本気ではなかったから。クラウドが膝の上から飛び降りた。
「だめだ、この場所危険。おれ逃げよう」
そう云って小走りに書斎を出ていった……が、すぐにドアが開いて、金髪と顔の半分がひょこっと現れた。
「あのさあ」
「なんだ?」
「天引きの件はまあいいとして」
「ああ」
「おれ、ほんとに金遣い荒いから、天引きされるようになったらたぶん、すぐなくなっちゃう。今度から、あんたおれの金の使い方あんまりだったら、めってしてくんない?」
セフィロスは微笑した。
「わかった」
ドアが閉じられた。「め」をしたらおそらく倍くらい怒られることになる気がするけれど、でもたぶん、云うことを聞く気はあるのだと思う。つまり、こちらに生活面を管理される気があるということだ。セフィロスは家計を預かる主婦にでもなったような気がしはじめた。そうしてその思いつきにそっと笑った。あんな亭主はごめんだ。第一、つっこむのはこちらだし。そこまで考えて、また笑いそうになる。それはそうと、新しく口座を作るのに、いろいろと面倒な問題を片づけなくてはならない。彼はいい知りあいを思いついて、手紙を書きはじめた。結局、この情報管理の世の中では、アナログが一番安全なのだ。こんなことをするために作った知りあいではないけれど、しかたない。クラウドの将来のためだ。ないかもしれないが親族の結婚式に出るとか、バイクを買うとかいうときには、すくなくとも自分の貯金から出した金だ、というくらいの自負を、持たせてやらなくてはなるまい。
手紙をそろそろ書き終えるというときに、またドアが開いた。最前と同じように、金髪と顔半分がのぞく。
「なあ、なにしてんの?」
声が少々不機嫌だ。顔に、構えよ、と書いてある。
「野暮用だ」
ペンを置いて、折りたたんだ便箋を封筒に押しこむ。あっそう、という声とともにまたドアが閉められる。ぐずぐずしていると怒られるから、すぐにリビングに戻らなくてはなるまい。手紙の相手は、口座開設の理由も、その用途についてもどうこう訊いてこないだろうけれど、毎月ささやかな額が振りこまれ、少しずつたまっていくのを見たら、どう思うのだろう。セフィロスはやっぱり、ひとりして笑ってしまった。ばかなことをしていると思うけれども、悪くなかった。ばかばかしいことこの上ないけれども、ぜんぜん、悪い気分ではなかった。