発砲騒ぎ

 ホープニッツェル教授とその研究チームの精鋭の面々……全部で七人いた。古代種たちにとって、七という数字は非常に神聖なもので、彼らもまたそれを重んじたのだ……は、皆興奮でひとりでに大きくなりがちな鼻穴と、緩みそうになる頬と、それをこらえるためにけわしくなりがちな表情筋とを抱えて、神殿の中に入っていった。ひとりでに松明が燃えはじめる。この仕組を、チームのひとりが五年もかけて研究しているのだが、いまだにほとんど成果が上がっていない。松明そのものになにか特殊な物質が含まれていると仮定して、あらゆる角度から科学的な分析を試みたのだが、結局なにも見つからなかったのだ。その研究員は今度は、この神殿の空気を採取して、その中になにか変わった特徴がないか調べることにしていた。
 教授も含め何人かのメンバーにとって、この神殿に来るのは二度目だった。一度目はいまから五年前、本格的にこの神殿の調査にとりかかったときで、そのときは壁一面の壁画を写真と映像に撮ること、それからこの広間の石碑のしかけを解くこと、それに、神殿内部に小型のカメラつきロボットを入れて、中の様子を撮影することで、予定していた期間がほとんど終了してしまった。古代種の遺跡調査は、ほかの考古学調査とはわけが違う。古代種遺跡の調査をする人間は、現代の人間が持っている常識、文化、科学技術、いわばその発展方向とはまったく違った、まったく別の方向へ展開していった文明を相手にしなくてはならない。人間がその発展において自らのうちの自然を封じこめて、世界の他の構成員からの働きかけを拒絶し、自らの頭脳で世界を相手取って進化していったとすれば、古代種たちはいわば、そういうものと調和し、そういうものの中に自らを見出し、そこから想像もつかないような力を受け取っていた。人間は、この力を感得する方法を知らない。まったく異種の力、別世界の、異形の力ともとれる。それを科学技術でもって調査することに、果たして意味があるのか……これは、ホープニッツェル教授が昔から研究のたびに思い続けてきたことでもある。彼は、良心的な研究者だった。だから、できればそれを道理のわからぬ人間の側から汚すようなことはしたくなかった。それに、それは大変危険なことでもある。彼が例の鏡を、あんな非常識な手段に出てまで自分の手元に置こうとしたのは、そういう意図があってのことだ。
 彼があの鏡の存在を知ったのは偶然だった。学術書を主に出している出版社主催の大規模なパーティーに出席したとき、その出版社の社長の娘だというマティルダ・ラスカ嬢がいた。美しい娘だったが、彼女がなにげなく夜会バッグの中から取りだした鏡が、彼の注意を惹いた。それは彼の専門分野の品だったからだ。彼はラスカ嬢からは離れたテーブルにいて、たまたま視線をそちらにやっていたにすぎないのだが、その鏡が、本来あり得ない赤い輝きをまとっているのを目にしたときには驚いた。そうして、どうしても確かめずにはいられなかったので、彼女の父親にさりげなく頼んで、ラスカ嬢が席を立っているすきに、見せてもらったのだった。そして、裏側のあの模様を見つけた。教授の中で、それは即座にあの神殿の、扉のくぼみとつながった。つらい決断だった。祖母の形見だという品を奪うのは心苦しかった。だが、もしも自分以外の誰かがこれに気がついて、悪用する方に考えたらどうなるだろう? 彼は責任を持って、自分ひとりで処分しようと考えた。彼は調査に向かう前に、あの鏡を粉々にしてしまうつもりだった。粉々にして、ゴミへ出してしまう予定だった。そうすれば、この神殿の、そのほんとうの全貌を世間に明らかにすることはできないが、古代種たちの意思を尊重することにはなるはずだった。
 その鏡が、忽然と消えてしまった……教授は、昨夜遅く、鏡を破壊するためにそれを保管していた金庫を開けて、そのことに気がついた。彼は当然、うろたえた。それから、誰がこんなことをしたのか考えた。鏡の件は、誰にも話していない。勘のいい、自分の片腕であるカドバン准教授なら、集めていた資料を漁りでもすれば気がつくかもしれないが、彼はいまはミッドガルの大学にいて、そんなことをする意味がない。シノザキ助手……彼はこそこそしている。彼が自分の研究資料を盗み見ているのではないかということは、かなり前から疑っていた。だが彼が……否……もしかしたら……とにかく、断言できる自信はなかった。
 警察に届け出るわけにも行かなかった。そんなことをしたら、この調査自体がおしゃかになってしまうし、それは今回の調査をなによりも楽しみにしていたチームのメンバーのこと、それに、資金援助をとりつけた神羅カンパニーの性質を考えたら、できないことだった。あの会社は、当然自分たちがしゃしゃり出てくるに違いない。そうして、この美しい神殿を、その精神を、めちゃめちゃにしてしまうだろう。古代種たちの偉大な精神に、いわば土足で入りこみ、ひっかきまわして、汚してしまう。彼は眠れない一夜を過ごし、しかし表面上はなにもないように装って、調査に乗り出したのだった……計り知れない不安を抱えながら。
 ひとしきりの感慨をやりすごしたみんなが、教授に早くしかけを解くようにせまった。教授はしゃがみこみ、石碑の土台部分にある三つ並んだ石玉の、真ん中の石にひとさし指で実に優しく触れた。すると、真ん中の石がちょっと浮かび上がった。教授は次に、左側の石に触れ、最後に右の石に触れて、三つの石を順番に触ってあっちへ動かし、こっちへ動かしした。石碑が音をたててスライドしはじめた。壁に取りつけられた松明が不安げに揺れ、やがて止まった。石碑は完全に左側にどけていて、床に真四角の穴が空いていた。奥深く続く階段が見える。教授はため息をついた。立ち上がると、みんななにかを期待するように教授を見ていた。彼は小さく神経質に笑って、その気持ちに応えるため、短い演説をはじめた。
「さて、みんな、いよいよ中へ入るときが来た。人間がこの中へ入るのは、おそらく有史以来はじめてのことだろうと思う。そのひとりになれたことを、わたしは誇りに思うし、そのために尽力してくれたみんなのことも、誇りに思うよ。ひとりひとりの熱意がなければ、わたしはここまで辿りつけなかっただろう。さて、現実的な話だ。科学技術のおかげで、われわれはまだ入ったこともないのに、この中の構造についてはあらかじめ知っている。けれども、決して油断しないように。どんな目に見えないしかけが待っているものか、わからないからね。鉄則を守って行動して欲しい。では、中へ入ってみることにしよう」
 そのとき、シノザキ助手が手を挙げ、前へ進み出た。
「大事なことを云い忘れていませんか、教授」
 チームのみんなが眉をしかめた。教授は一瞬、どきりとした。嫌な予感が胸の中に広がる。心臓がふいに、激しく脈打ちはじめる。
「……なんのことだね?」
 シノザキ助手は、見るものを嫌な気持ちにさせる、歪んだ笑を浮かべた。
「鏡の件です」
 教授は、瞬時にかっとなった。
「君……君が……!」
 そうして彼に掴みかかろうとしたが、踏みとどまらざるを得なかった。助手がピストルを向けてきたからだ。あちこちから悲鳴が上がった。助手はにやにや笑いながら、教授の頭にピストルをつきつけ、彼と同じ方向を向いて、みんなに視線を注いだ。皆、恐怖に凍りついた顔、ひきつった顔をしている。教授はなすすべもなく、ただ無様に両手を胸のあたりに挙げ、唇を噛み締めた。
 助手が、入り口の方に向かってなにやら合図をした。すると、ふたりの男が入ってきた。教授はその男たちに見覚えがあった。名前や素性までは知らなかったが、教授はこの瞬間に、自分が罠に落ちたことを悟った。自業自得だ。自分が依頼した連中が、自分の依頼を受けたように、よその人間の依頼もたやすく受けるだろうということを、考慮していなかった。小柄な方の男は、まだ若い少年に、助手のようにピストルをつきつけながら、ひったてるようにして歩いてくる。教授は、その少年にも見覚えがあった! 彼は、取材の途中で、なにか見てはいけないものでも見てしまったのだろうか? ふたりの男は、助手と教授をはさんで立った。のっぽの男が、メンバー全員に向かってピストルを向けた。
 助手がにやりと笑って、口を開いた。
「教授は、みなさんに重大な秘密を隠していました」
 彼は空いた手でポケットをまさぐり、例の鏡を取り出した……昨日までは教授の金庫に入っていた鏡だ。
「この鏡は、この神殿の意味を解き明かす上で、非常に大事なものです」
 みんな、恐怖に固まった顔をしながらも、助手の掲げる鏡に釘づけになっていた。
「これがなくては、この神殿は本来の姿を我々の前にさらけ出すことはないのです。知っているでしょう、古代種が神殿をこしらえるとき、そこにはなにか封印されたものが、隠された意味があるのです。そのキーになっているのがこの鏡です。教授は、これをこともあろうに善良な一般市民から、犯罪組織を利用して盗み出させました」
 聴衆は、ただおびえたような、困惑したような顔をして押し黙っていたが、その中からひとりの男が「うそだ!」と叫んだ。教授を父親のように尊敬している、まだ若い研究員だった。
「それがほんとうなんです。この両脇にいるふたりが証人です。教授はこの鏡をどうされるつもりだったかわかりませんが、わたしは、研究者のひとりとして、みなさんに、そして世界中のひとたちに、この神殿の真の意味を伝える義務があると思ったのです」
 助手は微笑した。
「教授はだいたい、昔からあまりフェアな方ではなかった。大事な情報は自分だけが握って、他人には見せてくれなかった。わたしの研究のことだって、あまり評価していなかったようだ……」
「それはあんたが信用出来ないからだ」
 先ほどの研究員がきびしい口調で云った。助手は肩をすくめた。
「だから、君たち白人は嫌いなんだ。君たちはわれわウータイ人のことを、自分たちより劣る民族だと考えて、信用しない。わたしはそのイメージを払拭したいんです。わたしは、教授なんかよりずっとうまくやれる。現に、あなたを出しぬいたでしょう、ええ?」
 助手は、教授の頭にピストルを強く押しつけた。
 そのとき、男の叫び声が聞こえた。
「国立捜査局だ!」
 馬面の男が、入り口に向けて発砲した。教授は床に突き飛ばされ、小柄な男と少年、それに助手は床に空いた穴の中へ消えた。長身の男はもう何度か発砲してから、そのあとを追って中に入っていった。調査局の頭文字が入ったダウンジャケットを着ている男たちがわらわらとなだれこんできた。
「ああ、もう!」
 黒髪を逆立てた、いまどきふうの若い男が叫んだ。ただ、いまふうでないのは、彼がばかでかい剣を背中にしょっているということだった。
「閣下まで中に入っちゃった!」
「教授、教授!」
 ミッドガルにいるはずのカドバン准教授が、心配にはちきれそうな顔で駆け寄ってきた。
「カドバン君!」
 教授は驚いて目を見張った。
「君、なぜここに?」
 准教授は首を振って、「あとで詳しくお話しします」とあきらめたように云った。
「ボス、この場合、どうする?」
 黒髪の男がそう云って振り向いた先に視線を向けて、研究チームの面々は肝をつぶした。長身で、腰のあたりまである銀髪をゆらゆらなびかせて、音もなく歩いてくる。その端正な顔立ちと、長い銀髪にはみんな見覚えがあった……彼の顔は、世界中に知られていた。
「中へ入るのは、ふたりだけでいい。ほかのみなさんは、申し訳ないが神殿を出て待機していてください。それから教授」
 教授はセフィロスに話しかけられた。
「あの鏡がいったいどんな危険な代物なのか、われわれはカドバン准教授から伺いました。あなたの助手を、勝手に連れてきて申し訳ありません。われわれを、中へ案内してくれませんか? あなたの生命はわれわれが必ずお守りします。われわれは、シノザキ助手にこの神殿の封印を解除してもらう予定です。そして、ここに封印されているらしい怪物を、二度と起き上がれないようにするつもりです」
 教授は、はじめ目を白黒させたが、やがて静かに首を振って、それに同意した。大急ぎであとを追わねばならなかった。大きな剣を背負った、ソルジャーの目をした男は、このあとのことに備えてか、しきりにひとりでスクワットをしていた。

 

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