車内で一泊
ウェルカムドリンクを飲み終わり、気分が落ち着いて、ザックスも部屋に戻ったところで、セフィロスは部屋の片方を寝室、もうひとつをリビングがわりとすることを決めて、車内に持ちこんだ細々した荷物をせっせと移動させはじめた。
「なんでザックス別部屋なの? だってここ四人は寝れるよ」
クラウドはソファにどっかりと座りこみ、ピーナッツ入りのチョコレートバーを取り出してかじりはじめた。最近彼はこのメーカーのチョコレートバーがたいへん気に入っていて、こればかり食べている。好きな理由は、パッケージについている牛のイラストがつぶらな瞳でかわいいからだ。彼はこれをごっそり六ダース買いこんで、トランクに詰めて預けてある。
「プレジデントのはからいだ。おれにはいい部屋をよこして、ザックスにごく普通の部屋をあてがってある。おまえのことは考えもしなかったろうが、おまけについてきた場合、おれとセットにするしかあるまい。ザックスと一緒がいいなら止めないが。おれに静かな時間を提供してくれる気があるのか?」
「ないね」
クラウドはきっぱり云った。
「楽隊みたいにやかましくするよ」
セフィロスは肩をすくめた。クラウドはせっせとブーツを脱いで裸足になり、母さんが編んで送ってくれた毛糸の温かい靴下を履き、ブタの室内履きに履きかえた。それからかっこいいけれどちょっぴり窮屈な上着を脱いで、部屋着の空色セーターに着替え、耳当ては大事に毛並みを整えて、壁に打ちつけられていたフックに、コートと一緒にかけた。彼は衣替えにすっかり満足して、乗り物酔い対策に窓を数ミリ開けた。ぞっとするほど冷たい空気が徐々に車内に流れこんできた。が、これはクラウドにゲロゲロやられないために、セフィロスがどうしたって堪え忍ばなければならないことだった。
それからクラウドは、ポケットからルーペを取り出し、窓の鍵にほどこされた飾りを熱心に眺めはじめた。セフィロスは従僕のようにまめまめしく動き回って、クラウドが持ちこんだチョコボとモーグリとトンベリとブタのぬいぐるみを倒れないようにバランスよくソファの上に並べ、彼が脱ぎ散らかした上着をはたいてハンガーにかけ、靴はきっちりそろえて部屋の隅に置いた。昼食と夕食は食堂車で摂ることになっているのだが、食堂車には正装をしていかなければならないので、セフィロスは皺にならないようにクラウドの買ったばかりのスーツを一度広げて、ほこりを取り除いた。
「そのかっちりした服さあ」
クラウドは窓枠に肘をついてむくれた顔を向けてきた。
「着ないとだめなの? 正装って、誰が考えたの?」
「そういうルールだ。正装を最初に考えたひとが誰かは、残念ながら知らないな」
「おれ、そいつのことつかまえて皮剥いでやりたい」
クラウドはいまいましそうに云った。彼はかっちりした服が大嫌いなのだ。
「人間はさ、好きな格好してるべきだよ。仕事以外は。母さんが、せっかく気合い入れて空色のセーター編んでくれたのに。これがおれの正装なんだって云ってもだめ?」
セフィロスは微笑して、クラウドの毛嫌いするスーツをハンガーにかけると、ソファのところへ行った。彼は背が高く、よって歩幅も大きかったので、ソファまではひと足だった。クラウドが、尻を動かしてちょっとよけた。セフィロスはできた隙間に座った。
「いいかげんにあきらめろ」
クラウドは鼻を鳴らした。セフィロスはクラウドの空色セーターをちょっと引っ張った。確かにそれは脱いでしまうのがもったいないくらい、すごくクラウドに似合っていた。袖と裾のところに白いラインが入っていて、袖と丈はちょっと長め。クラウドの母さんは、毎年冬になる前に必ずクラウドのためにセーターとマフラー、手袋、帽子、靴下などを編んで、送ってよこす。クラウドはそれを大事に着る。でも彼はいま成長期なので、去年のセーターなんかは大きさが合わなくなってしまう。そうすると、クラウドはそれを潔く送り返す。母さんはそれを受け取ると、毛糸をほぐして、また別のものを編むのだ。この旅行が決まったとき、クラウドの母さんは最高に気合を入れて、息子のために大きな箱を三つ送ってよこした。新しく編んだ服や、細々したものがたくさん入っているやつだ。それを開けて、ゴミ箱を漁る飢えた犬みたいに猛烈に中をひっかきまわしていたクラウドが、これはあんたにだ、と云って、セフィロスに小さな箱を投げてよこした。その中には、すごく暖かそうな黒のマフラーが入っていて、こんな手紙が添えられていた……
息子二号(仮)へ
あんたの好みはよくわからないから、一応マフラーだけにしておいた。黒って好き? 訊くの忘れたけど、まあいいよね? ところで毎年聞くけど、あんたほんとにうちの息子になる気があるの? 男ってなんで十八からじゃないと結婚できないか知ってる? あたしは知らないけど、そういうのってばかばかしいことよね! こないだ思ったけど、クラウドのこともう三年くらい早く産んであげればよかったかも。だって、そしたらあんた犯罪者にならずにすんだでしょ? でもそしたら、あたし十五で母親ってことね。これはこれで、犯罪的かも。まあとりあえず、身体に気をつけること! あと、クラウド寝相が悪いから、冬場は風邪引かないように気をつけてやってね。寝る前にひと汗かいてうんと温めること推奨! あんたの仮のママより
そのマフラーを、セフィロスはちゃんと首に巻きつけてきた。黒は嫌いではなかった。少なくとも、真っ赤とか、真緑とかよりはよほど好感が持てる。けばけばしい色は、存在を際だたせるので好ましくない。ただでさえ、身長が長すぎるために感じてしまう妙な存在感に苦しんでいるというのに。
クラウドがふたつめのチョコレートバーをかじりながら立ち上がった。
「おれ、ザックスの部屋見学してくる」
そう云って、隣の部屋にずかずか入っていった。セフィロスはクラウドが開けっ放しにしていったドアを閉めに立ち上がった。昼食までは二時間ほどある。さあ読書だ! うるさい子が帰ってこないうちに。彼はカバンからシュティフターの短篇集を引っぱり出す。人間のちからを信じられる書物が、彼は好きだ。もうすっかり死滅してしまった、そしておそらくこんにちでは口にすることすらはばかられるようになってしまった「徳性」なるものを、同胞のうちに信じられるような書物。読みはじめてしばらくして、ザックスとクラウドがいるはずの隣の部屋から、ふたりぶんのけたたましい笑い声が響いてきた。セフィロスは本から視線を外して、この部屋と隣室とを隔てている壁を見やる。あの部屋にあるのは若さだ。彼は思う。自分のそれはとっくの昔にどこかへ行ってしまったけれど……否。セフィロスは、年齢的に若かった十代のころよりも、最近のほうが己の身体に若さというものが馴染んできたという気がする。染みこんでいって、同化しはじめている……クラウドのせいで。彼の喜怒哀楽。ばかばかしいふるまい。天性の悪戯者であり永遠の子どもである彼は、セフィロスの中で息も絶え絶えになっていたその部分に、復活のくちづけを与えた。クラウドが大はしゃぎで部屋中を駆けまわり、ばか笑いし、塩と砂糖の置き場を逆さにし、夕食のテーブルのミネラルウォーターを酢にすりかえたりするとき、セフィロスはだから眉をしかめつつほんとうはとても楽しんでいるのだ。だから、彼のやかましさや、迷惑極まりない行動の数々を、非難する資格などどこにもない。
彼は本を閉じた。大笑いは、断続的に続いている。セフィロスは車窓の風景を眺めはじめた。いまや列車はミッドガルを離れ、草原の中を走りはじめている。空はどんよりと曇り、きびしい冬の、灰色の風景だ。人間があんまり早く移動することを彼は好まないが、高いビルや櫛比する家々のないのんびりとした風景は、流れる時間をゆるやかに感じさせ、彼の目を楽しませた。田舎へ行くのだ! ふいに彼は実感した。そうして、気分が高揚してきた。列車から降り、目的地へ着いたら、うんと手足を伸ばすのだ。規則的な、規律のある生活を送ろう。朝は早く起きて散歩をし、日に三度の食事と、読書と。
クラウドが慌てた顔で戻ってきた。
「セフィロス! おれ、枕ちゃんと荷物に入れた?」
セフィロスは微笑んで、うなずいた。
「ちゃんと専用のトランクに入っている」
クラウドは安心したように、またザックスの部屋に戻った。ドアを開けっ放しにして。セフィロスはまた、立ち上がって閉めた。ついでにクラウドが開けた窓も閉めた。
「やれやれ」
彼はひとりごちた。
「あの子のあとを、まるっきりついて回らなければならないようだ。旅行中は普段よりはいくらか平穏な暮らしができるよう、神に祈るしかあるまい」
結論から云えば、神はどうやらこの祈りを聞き届けなかったか、無視することにしたようだ。
昼食の時間になると、クラウドは食堂車へ行くための正装に最後の最後まで抵抗して、スーツのジャケットは着ず、表と裏で微妙に色の違うチョッキを着た。表が赤銅色で、細かな蔦の模様が入っており、裏が暗赤色で模様は入っていない。彼はこれに、シャツの第一ボタンはわざと開けて、ゆるめに黒の蝶ネクタイをしめた。鏡の前で三十分も髪の毛をいじって、本人が完璧にかわいいと納得するクラウドくんになってから、彼は非常に意気揚々と食堂車に向かった。セフィロスはスーツ姿で慌てて追いかけた。
食堂車は左右の窓際に、白いテーブルクロスをかけられた四人がけのテーブルがずらりと並んでおり、天井には、まがいものだろうけれどシャンデリアがぶら下がっていた。床は真紅のふかふかした絨毯で覆われており、どこかのお高いレストランにでも行ったような雰囲気だった。すでに乗客たちが集まりはじめており、皆思い思いの顔でメニューを眺めたり、おしゃべりに興じたりしていた。華やかな女性たちは華やかなドレスやワンピースで着飾っていて、セフィロスが入って行くと好奇心むき出しの目で彼を見た。ホームで見かけた、毛皮のコートのご婦人もいた。テーブルにひとりで座っている男がいて、それが彼の目を引いた。非常に立派な、濃い茶色の口ひげを生やし、口ひげが立派なひとというのはかなりの割合でそうだが、頭髪の方は無慈悲な時の流れとの抗争に敗れ、不釣り合いなほど後退してしまっている。目はうるんでいて、どこか夢見がちだった。年齢は五十を数年過ぎているだろうか。どこか落ちつかない様子で、目を瞬かせながらあたりを眺め回している。セフィロスは彼のことをどこかで見たことがあるという気がしたが、いつまでもじろじろ眺め回すわけにもいかないので、そっと視線を外した。隅っこのテーブルに、ザックスが慣れないスーツ姿できまり悪そうに座っていたので、セフィロスはそこへ移動した。
「おれ見てくれよ! この格好! どう思うよ。田舎の母ちゃんが見たら、死ぬほど笑う。おまえにゃあ悪いけど向いてないよ、スーツなんちゅう、都会のシロモノは、とか云ってさ。あーあ、なんかおれ、おれじゃないみたい。閣下も閣下じゃないみたいよ。セフィロスはまあそういうのもありだね」
彼がひとしきりわめいているところへ、ウィリアムソン氏の手によって食事が運ばれてきた。すさまじいとしか云いようがないほど豪勢で、贅沢で、金がかかっていた。食前酒にはじまり、前菜からデザートとコーヒーまでのフルコースだ。セフィロスとしては考えただけで悪寒が走るが、出てくるものは仕方がない。クラウドは鴨肉を生まれてはじめて食べてひどく興奮した。
「鴨って、食べられるんだ。おれ、よろよろ歩いてるやつをつかまえたことあるけど、あいつの切り身ってこと?」
セフィロスはそのひとことで、鴨肉を見るのも嫌になった。それで、全部クラウドにあげた。クラウドは「鴨、鴨」と云いながらフォークを振り回し、「グエ、グエ」と鳴きまねをした。通りがかったまだ若い給仕が、それを見てかすかに眉をしかめた。
乗客たちの多くは昼食後もしばらくその場に残って、胃の中のものを消化しつつ、コーヒーなど楽しんでいた。ザックスはコーヒーをブラックで飲めないクラウドをからかっていて、セフィロスは満ち足りた気持ちで車内の話し声が織りなすざわめきを楽しみながら、あたりを見るともなしに見回していた。それぞれのテーブルに、いかにも金持ちらしい身なりの人間たちが収まっている。社会的な地位と、財産を手に入れたひとたち。もちろん、金があることは人生を送る上でひとつ、有利な点であると云える。けれども、だからといって苦労がないとは決して云えない。みんなそれぞれの仮面の中に、いったいどんな不幸を隠し持っているものか、わかりはしないのだ。そんなことを考えながら、食後のすこし怠い感じをやり過ごしていた。
「あのう、失礼ですが」
ふいに頭上からそう声をかけられて、セフィロスは顔を上げた。ザックスもクラウドをからかうのをやめたし、クラウドもコーヒーを睨みつけるのをやめた。まだ若い、おそらく三十に手が届くか届かないかというような年齢の、オレンジがかった薄い茶色の髪をした血色の良い青年が、眼を見張るほど美しいブロンドの女性を伴ってテーブルの傍らに立っていた。
「突然すみません。僕はマグリムと申すものですが、僕の父があなたに……」
セフィロスは軽く目を見開いて立ち上がり、青年に手を差し出した。
「これは、大佐自慢のご子息とはあなたのことでしたか。いえ、それ以上説明なさらなくて結構です、どこか面影がある」
青年は肩をすくめた。
「横顔が父に似ているとよく云われます。あなたのことは、父の口からさんざ聞かされていました。あなたは命の恩人だと……」
「いえ、それは逆だ」
セフィロスは思わずきつい調子で云った。
「あのときこのぼけた頭を目覚めさせてくれたのは大佐でしたから」
ザックスがふいに「ああ!」と叫んだ。
「マグリム……マグリム大佐だ! 廊下を直角に曲がるあの……」
「ザックス」
セフィロスはたしなめたが、マグリム青年は笑い出した。
「そうです。父は子どものころから軍隊式に育てられたんですよ。いつでも規律正しくきびきびと行動するように命令されてね。祖父も軍人でしたから。マグリム家は軍人一家ですからね。僕は違いますが。父が、好きにさせてくれたんです。大学は私立の経済学部に行かせてくれましたし、独立資金を援助してくれたおかげで、一応一国一城の主です。貿易会社をやってます」
ザックスはまたも「ああ!」と云った。
「親父さん、そういえば云ってたなあ。息子がひとりいるって。あ、おれザックス・フェアです。ソルジャークラスファースト。まぜものみたいなもんだけど。親父さんには、ぺーぺーのときジュノンですごく世話になって」
ザックスは席を立って、ふたりにそこへかけるよう勧めた。そうしておいて、彼は通路を挟んだ向かい側のテーブルに移動した。ちょうど空いていたからだ。そこに座っていたのは年をとった婦人とその息子らしき人物だったが、食事のあとすぐに部屋へ戻ったのだった。
マグリム氏は、傍らのブロンド美女を自身の婚約者のマティルダ・ラスカ嬢であると紹介した。父親が大手出版社の社長だということだったが、確かに彼女がいわゆるお嬢さまであることはひと目で知れた。品のいい服に、よく手入れされた手とブロンド、そして独特の、ぎすぎすしていない、生活に追われていない雰囲気。セフィロスはうやうやしく彼女に挨拶したのち、自分のブロンドのことを紹介した。
「マグリム大佐は数年前までジュノン駐屯軍の責任者を勤めていた方だ。古きよき時代の、最後のひとりだったかもしれないな。われわれソルジャー連中が、軍全体の規律も風習もなにもかもを台なしにしてしまったようなものだ。おまえももう少し前に軍に入っていたら、また居心地が違っていただろうが」
クラウドはまだ若かったので、セフィロスが云っている古きよき時代というものがどんなものかまるでわからなかったし、ソルジャーが軍をだめにしたなんてことはぜったいにないと思った。彼は初対面の人間にはすぐに打ち解けられない子だったため、幾分ぶっきらぼうに挨拶した。ザックスはというとこれ以上社交的な人間はいないというほど社交的なので、マティルダ嬢にもうやうやしく一礼し、お知り合いになれて光栄ですと云った。マティルダ嬢はちょっとはにかむように微笑んだ。まんざらでもないようだった。
「あなた方というより、神羅が介入してきたことで、と云ったほうが正しいのではありませんか?」
青年は首をちょっと引っこめて、微笑した。
「これは父の意見なんですが。よくこぼしていましたよ。あの会社ときたら、武器製造をしてたころからろくでもなかったが、やっぱりろくなことをしないってね。ソルジャーは一種の生物兵器だ、そんなものを作ることは間違っているって」
「かもね」
ザックスは笑って云った。
「おれなんて、さしずめ人造人間なんたらーみたいな感じ。時速百二十キロで走り、百万馬力の怪力の持ち主、ジャンプさせりゃあ月まで届くし、しまいにゃ月夜の丘でガオオー……」
ザックスのばか話はそこで中断させられた。マティルダ嬢が笑い出したからだ。
「面白い方ね」
ザックスはにかっと笑った。
「そう云っていただけてなによりです。面白いだけがおれの取り柄でね。あとはなーんにも」
マティルダ嬢はまた笑って、隣の青年にちょっともたれかかった。青年は彼女の肩をそっと抱き寄せた。クラウドはそういうものをあからさまに見せられることに嫌悪感を抱く年ごろだったので、心のなかで舌を出した。でも、マティルダ嬢はすごくきれいだと思った。
「ところで、父上はお元気で?」
セフィロスは笑いが静まったのを見て話題を戻した。
「非常に元気ですよ」
マグリム氏は明るく笑いながら云った。
「軍役に就いていたころより健康的です。趣味の骨董品集めと釣りに精を出してましてね。いまはミディールに家を買って温泉に浸かりながらすっかりふやけてますよ。このほうがよかったんです。父はあまり軍人向きではありませんでしたからね。僕はちょっと北の方で商用を済ませてから父に会いに行くところなんですが、先日ミッドガルのオークションで古い壺を落札したので、その報告を兼ねてね」
「目がさめるような値段でしたのよ」
育ちのよさそうなマティルダ嬢が、心地よいソプラノで話に加わった。
「わたし、びっくりしました。あんな小さな壺に、あんなに丸がいくつもある値段がつくなんて」
「母が嘆いているんです」
マグリム氏は苦笑いを浮かべた。
「そのお金があれば、わたしの花壇がうんと立派になるんだけど、って」
「古いものには、独特の魔力がありますからね」
セフィロスは微笑して云った。
「昔のものを見ていると、古と現在とのはざまに、立つような気がします」
「確かにね」
マグリム氏が感慨深げに云った。
「古いものといえば、わたしのこの鏡なんて、二千年以上前のものなんだそうですよ」
マティルダ嬢が小さな夜会用のバッグから、丸い銀のケースを取り出し、ミスリル製らしい鏡を取り出した。マティルダ嬢の手のひらよりひと回り大きなもので、ふちどりに小さな赤いマテリアのかけららしいものがいくつかはめこまれてあった。表面はきれいに磨かれていて、窓からの光を受けてきらきらと光った。
「この鏡はもともと、祖母の持ち物だったんです。一年ほど前に、病気で亡くなってしまって……わたしがこれをもらったんです。形見として。祖母はどこかへ出かけるときはいつもこれを持ち歩いて、化粧室で取り出して使ってましたわ。わたし、とてもうらやましくて……これを持っていると、なんだか祖母が近くにいてくれているような気がします」
マティルダ嬢は微笑んだ。
「とても素敵な方でした」
マグリム青年も同意するようにうなずいた。
「彼女と知り合って間もなく亡くなってしまったから、ほんの短いおつきあいだったけど……優しくて、チャーミングな方でした」
一同はなんとはなしにため息をつき、マティルダ嬢の手の中の鏡をのぞきこんだ。炎の中で丹念に鍛え上げられ、磨かれたに違いない全体が青緑の光沢を帯びていて、それに対抗するような赤いのマテリア片のきらめきが、なにかこの世のものではない幽玄な雰囲気を感じさせる。一同はしばしそれに見入っていた。ことにセフィロスは、ものを見るときには徹底して見るくせがあったので、マティルダ嬢から鏡を受け取って、まじまじと見つめた。裏側には、複雑な凹凸の蔦模様が刻まれていた。
「ほんと、なんか不思議な気持ちになる鏡ねえ」
ザックスが奥さまみたいに云った。
「マテリアのせいかもしれないな」
セフィロスは目を皿のようにして鏡を仔細に観察しながら云った。
「ほんの小さなかけらでも、なんらかの力を秘めているものだ。もちろん、不完全故に人間に感じ取れるほどの力を発揮するわけじゃないが、マテリアというのはひとつのエネルギーの結晶、太古からの、星の叡智の結晶だ。人間のある種のエネルギーに反応する……しかし」
セフィロスは唇を持ち上げた。
「古代種たちというのは、たいそうな技術の持ち主だったんですね。二千年も前に、完全な円形を作ることができたのだから」
「古代種?」
ザックスが頓狂な声を出した。彼は、自分の彼女であるエアリス嬢が、そのいにしえの種族たちと並みならぬ関係のあることを知っていた。
「これは、古代種美術品の一種なんですのよ。そのひとたちの不思議な力かしらないけれど、この鏡、ちょっと布切れでお手入れすれば、いつまでも曇らないし、汚れもつかないんです」
マティルダ嬢は微笑して、それをそのまま自分の婚約者へ向けた。
「わたしも、詳しくは存じませんけれど」
彼女の婚約者も肩をすくめた。
「ねえねえボス、古代種美術品ってなんなのさ」
ザックスがボスをつっついた。ボスは、おれも専門家ではないが、と前置きして、
「古代種たちは、文明的、文化的に、非常に洗練され、発達したものを持っていた。彼らの残した神殿をはじめとする建築物、壁画、彫刻、装飾品のたぐい、こういったものは、繊細で美しく、現代の芸術家や職人たちにも真似の出来ない独特の様式と、美意識でもって作られている。たとえばこの鏡は」
セフィロスは手の中の鏡をテーブルに戻した。
「おれのかじりかけの知識が正しければ、いまから二千五百年ばかり前のものだが、古代種の年ごろの女性たちがほとんど持っていたものとされている。古代種たちは文字を持たなかったので、映像を非常に重要視したらしい。イメージを記録し、再生する装置が世界各地で見つかっているし、鏡も、姿を映すものという意味でとても重要なものだったらしいな。似たような装飾を施された鏡が、世界中でいくつも出土している」
「ふうん」
ザックスは鼻を鳴らした。
「そういうわけなので、この鏡自体にひどく価値があるというわけじゃないんですの。仮に売ったとしても、たいした値段にはならないそうなんです」
マティルダ嬢がかわいらしく云った。
「でも、わたしにはとっても大事なものなんです」
彼女ははちょっと肩をすくめて、鏡を銀のケースに入れて、カバンの中へ戻した。
乗客たちは徐々に自室へ引き返しはじめ、気がつくと食堂車に残っているのは一行と、数人の乗客たちだけになっていた。それで、彼らもまた夕食までそれぞれの部屋へ戻ることにした。
ザックスは早朝から活動するという慣れないことをしたので昼寝の必要があると云って、部屋に引っこんだ。でも別にそんないいわけをしなくても、ザックスが隙あらばベッドへ潜りこむくらい寝ることが大好きだというのは、彼と関わりあったことのあるひとならたいがい知っていた。クラウドは部屋へ戻るなり、あのマティルダ嬢はすごくきれいだと興奮した調子でわめきはじめた。
「あんなきれいなひと、久しぶりに見た。あのひと、女優かなんか?」
セフィロスは首を傾けた。
「たぶん違うだろう。育ちのいい、善良なお嬢さんという感じがする。それに、マグリム大佐のおひとがらからして、そういったいわゆる浮ついた階層との交際を息子に許すはずがないという気がする」
「そのひと、ガチガチじいさんなの?」
クラウドは遠慮なく云った。セフィロスは微笑した。
「いいや。そういうわけじゃないが。まあしかし、軍人なんてものは大概保守的だから、おまえからしたらガチガチに見えるかもしれないな。おれだって、おまえから見た場合ずいぶんと面白味のないやつだということになるだろうし」
クラウドはひとにいたずらをしたあとのサルみたいな、すごく生意気な顔をした。
「まあ、あんたおっさんていうか、もうじいさんの域だからね。云うこととか、やることとかさ」
セフィロスはわざとらしく眉をつりあげた。
「退屈なら、別のやつに乗り換えてもいいぞ」
「うん、じゃあおれ、あのマティルダさんにする。略奪愛だ。一回やってみたかったんだ。おれたち、お互いの手を握りあって、北の大地を逃亡するんだよ。それで、小さい家に住むんだ。ひっそりね。おれあのなんとかさんっていう男のひととかその父さんに、生涯ひとでなしの色きちがいとか云われて、蔑まれるんだ。わくわくするよ」
ふたりがそういう他愛もないおしゃべりを楽しんだりしているうちに、アフタヌーンティーの時間になった。おおよそ午後三時に、クルーたちが各部屋を巡回して、お茶とお菓子を運ぶ決まりになっているのだ。彼らのところへは、熟練のウィリアムソン氏がやってきた。小さなケーキと焼きたてのスコーンが、銀のお盆に乗っかっているのを見たとたん、クラウドが発情した雄猫みたいに鼻息を荒くしたので、セフィロスは耐えきれずに噴き出してしまった。
ウィリアムソン氏は、この部屋の温度がよそに比べて非常に低く、その原因は窓がわずかに開いているためだということに気がつくと、かすかに眉をしかめた。
「換気が心配でございますか?」
ウィリアムソン氏はお茶を淹れながら、なにげないふうをよそおって訊ねた。客の中には、絶えず外の空気を入れなければ酸素がなくなるとか、こもった空気は病原菌が多く身体に悪いとか、実にいろいろなことを云うひとがいるものなのだ。
「いえ、この子の乗り物酔いが少々」
セフィロスは穏やかに答えた。
「外の空気に触れられなければ酔ってしまうので。密閉された空間が苦手で」
ウィリアムソン氏は「ああ!」と軽い調子で云った。
「それでしたら、ご心配には及びませんよ。そこの丸い出っぱりが(と云ってウィリアムソン氏は窓の斜め上にある、銀色のドーム型のものを指さした)通気口なのです。この車両は空気の流れを計算して設計しておりますので、絶えず空気が入れ替わり、つまるところ、循環するようにできております。それというのも、効率的な空調管理のためでして」
これはウィリアムソン氏がよく説明する内容のひとつであったので、ことばは手回しオルガンの音みたいに機械じかけででもあるかのように、実になめらかに発せられた。クラウドがいぶかしげな顔で銀の丸い出っぱりを見上げた。
「ほんとうでございます。そのおかげかわかりませんが、このコンチネンタル・エクスプレス内でひどい乗り物酔いになったお客さまはひとりもいらっしゃいません。実を申せば」
とウィリアムソン氏は声をひそめた。
「御社のプレジデントさまもそれはひどい乗り物酔いをお持ちでございまして、わたくし、何度もこの汽車でお世話しておりますが、一度も酔ったことがございません。というより、そのために特別に設計されておりますので」
クラウドはそれで、ようやく納得したらしかった。寒々しい空気を運んでくる窓を閉め、もう一度銀の出っぱりを見やったが、やっぱり窓は開けるなどとわめき出すことはしなかった。ウィリアムソン氏はそれを見て微笑み、給仕が終わるとそっと引き下がった。
「あのじじいが乗り物酔いするなんて知らなかったよ」
クラウドは云って、ウィリアムソン氏が運んできたお茶を飲んだ。それは目がさめるようなおいしさだった。入り組んだ馥郁とした香りがふんわりただよい、「お茶の時間」などと呼ぶこともはばかられるような、深い官能的な気持ちにさせられる。セフィロスはセフィロスで、お茶を口の中であっちへ転がしこっちへ転がししながら、香りを存分に楽しんでいた。
「社外秘なんだ。神羅カンパニーの社長ともあろう人間が、みっともないと考えたんだろう。おまえが必死に乗り物酔いを隠そうとするのと同じことだ。傍目には、無様にも不恰好にも見えないのだが、これは本人のプライドの問題だからな」
クラウドはちょっと唇を尖らせた。彼は乗り物酔いは世界一かっこ悪いことのひとつだと思っていたからだ。同じ悩みを抱えるプレジデントに、うっかり親近感を抱いてしまいそうになるくらいには悩んでいる。ぶすっとした顔で唇を突き出していたら、ふいに頭をなでられて、彼は顔を上げた。セフィロスがカップを片手に笑っていた。
「窓を閉めても平気なら、お互いに寒い思いをしないで済んで助かったというものだ。それはそうと、スコーンは熱いうちに食べたほうがいい。その昔、クロテッドクリームを乗せて、だらだら流しながら食べるのが一番だと云ったご婦人がいた」
「それ、つきあってたひと?」
クラウドは慌てて焼きたてのスコーンをひとつ取り、わざと下世話な方向へ話を持っていった。セフィロスの気遣いがこそばゆかったからだ。
「いいや。しかしいわゆる上等な部類の婦人だった。グロリア未亡人のようにおしゃべりで……」
おしゃべりをしながらの、熱々のスコーンに上等なクロテッドクリームはすごくおいしかった。クラウドはスコーンをふたつと、ケーキをふたきれ食べた。つまり、セフィロスのぶんを全部食べてしまったけれど、これはまあ、いつものことだった。それに彼は優しい子だったので、どっちもひと口ずつ、セフィロスにちゃんとあげたのだ。これは、なんといっても気高い行為だった。
夕食は、昼食の倍くらい豪勢だった。昼間の豪華さを考えると、これは驚異的なことだった。クラウドは数時間前にあんなにおやつを食べたのに、もうそんなことなんかけろりと忘れてしまったようにがつがつ食べた。どの食材も新鮮で、そこいらに売られているものとは質が違った。ナントカカントカ牛というひどく難しい名前の牛肉は、口へ入れたとたんに中でとろけたし、はっとするようなオレンジ色のソースはフルーティなどという形容詞は子どもっぽすぎると拒絶するような複雑な哲学的味がした。つけあわせのパンすらふんわりして、嗅いだこともないような酵母の甘い豊かな香りがした。ジャムもただの砂糖で煮詰めたようなものではなく、奥行きのある香りを持ち、バターなんか、ひっくり返りそうなこくがあった。クラウドは頭がクラクラした。それで、けなげな彼はこう考えた……おれ、いつか母さんをこの汽車に乗せてあげなくちゃ!
クラウドよりはいくらかこうしたハイクラスな食事に慣れている大人たちは、もっと冷静に、しかし軽やかに食事の時間を楽しんでいた。向かいのテーブルにはマグリム青年とその婚約者、うるわしのマティルダ嬢が座っており、セフィロスとザックスと四人でワインを楽しみつつにぎやかに会話をしていた。
「そうすると、古代種というのは超能力者なんでしょうか?」
マティルダ嬢がかわいらしい声で訊ねた。彼らは、昼間の鏡の話から古代種のことを話題にしていた。
「さあ、どうでしょう。しかしそもそもわれわれ自身にももっと秘められた能力があるように思うのです。ヨガの行者ですごいのがいますし、そういう超越的な能力を、人間は文明に溺れる中で失っていったのではないかと思うことがある」
セフィロスが微笑しながら答えた。
「彼らの精神性もまた非常に魅力がありますね。もちろん、僕は学校で習うようなことしか知りませんが、哲学にしろ倫理観にしろ、古代の人間たちのほうが、なにか真理というものをしっかり掴んでいたという気がしませんか?」
マグリム青年が云った。
「身体性と精神性は、そうすると相互に関連があるという仮定もできそうですね」
「いや、そうとも云いきれません。われわれのように」
とセフィロスは自分と、ザックスを顎で指した。
「身体だけはやたらに発達しているようなのがいる。これは、中身を伴っているとは云いきれません」
「まあねえ。ボスはともかく、おれの頭なんてスポンジより軽くてスッカスカで、綿菓子よりふわふわだからなあ」
マティルダ嬢が笑った。
「ザックスさんて、ほんとうに面白い方ですね」
ザックスは直接には答えず、ウィンクした。普通の男がやろうものなら、婚約者のマグリム青年が目を剥いて怒りそうな行為だったが、ザックスの場合は彼のひとがらと陽気さが功を奏して、色ものというより単なる少年の茶目っ気という感じがした。
クラウドは話についていけないのでひたすら食べて、セフィロスのも食べた。どういうわけだかクラウドより身体の大きいセフィロスは、あまり食べなくてもちゃんと生きていけた。彼はこれをゴリラや馬やチョコボのような立派な体格の、力強い動物が草食性であるのと同じことだといったが、これはクラウドにはすごく納得できることだった。でも、立派な身体に憧れがあるからといって自分も小食になれるかと云ったらそんなことはないので、クラウドはたくさん食べて、いつかセフィロスをやり返すのだと思っている。
「ところで、そちらのかわいい方のお話を聞きたいわ」
クラウドは反射的に、これは自分のことだと思って顔を上げた。誰かがあの子はかわいいとか素敵だとかいったらそれはだいたいクラウド・ストライフのことなのだ。経験からいって、これは間違いないことだった。クラウドがマティルダ嬢を見ると、目があった。彼女の唇がそっと持ち上げられ、灰色がかったブルーの目が、ちょっときらめいた。
「ずっと黙っていらっしゃるんだもの。どんな方なのかとっても気になるわ」
「こいつはシャイボーイなんですよ」
ザックスがにやつきながら云った。
「ひと見知りで、打ち解けるのが苦手。おれの友だちで、仕事の上じゃあ一応部下なんだけど、でも私生活だとどっちかっつったら王さまって感じで……」
彼はべらべらしゃべりはじめた。それで、クラウドはテーブルの下でザックスの脚を思いきり蹴飛ばした。
「あづっ……!」
「どうかなさいまして?」
「え? いや、ちょっと。たいしたことじゃないんだけど……」
ザックスは涙目でクラウドを睨んだ。クラウドはほくそ笑んで、また食事を再開した。セフィロスはそのやりとりににやついていたが、口は出さなかった。クラウドは結局マティルダ嬢とそんなに親しくことばを交わすことはなかったが、食事から戻って歯磨きをしながら、セフィロスにやっぱりあのマティルダ嬢はすごくきれいだ、と云った。
「あんなに気遣いができて、いいひとで、やさしくて、きれいだなんて。おまけに年上なんだ。おれ大好きだ、そういうひと。心が舞い上がっちゃう。ここがこんなに気取った場所じゃなくて、おれが着てるのもこんなかっちりした服なんかじゃなくってさ、もっとクラウドがクラウドっぽくしてられる場所だったらなあ。そしたら、おれあのひととすぐ友だちになって、それで、うまくいけば恋人になっちゃうのに」
「そうか」
セフィロスは穏やかに云った。
「おまえはきれいでやさしくていいひとで、年上が好みなんだな」
彼は銀色の小ぶりなトランクから、クラウドのダサいバラ柄の枕を取り出して、上段のベッドの上に広げてやった。なにしろこの枕がなくては、クラウドは一睡もできないのだ。
「うん。そうなんだ。ストライクゾーンまっしぐらだよ。あのマティルダさんってひと。それで、おれの世話をしてくれる家庭的なひとだったらもう文句な……」
クラウドはふいに押し黙った。年上でやさしくて家庭的な人物が、まさに目の前にいるひとそのひとであることにふいに気がついたからだった。彼は一気に真っ赤になった。それで、あわてて歯ブラシをくわえなおして、洗面室に駆けこむと、大きな音をたててうがいをしはじめた。セフィロスは笑った。ザックスがすさまじいうがいの音にびっくりして部屋を覗きに来て、怪獣でも出たのかと云った。
「いいや、幸いにして」
セフィロスは云った。
「もっとも、人間を怪獣と称していいのなら、一匹いないこともない」
ザックスはにやにや笑った。
「まあね。閣下は怪獣だね。間違いない。あんまり暴れさせないようにしてよ。いっとくけど、大声出したら丸聞こえだからね。ここ、あんまり壁が厚くないから」
セフィロスはわかっていると云った。ザックスは自分のボスにお休みを云い、そして洗面所の怪獣閣下に向かって大きな声でおやすみを投げつけると、また部屋へ戻っていった。
怪獣はしばらくしてようやく洗面所から出てきた。顔の赤みは引いていたけれど、まだどこかばつが悪そうな顔をしていた。セフィロスは入れ違いに洗面所へ入ったが、入る前に、どうか今晩はベッドから落ちてくれるなと頼んだ。蹴りが飛んできたので、セフィロスはあわてて避けた。
十一時を回ると、汽車の中はしんと静かになった。乗客はみんな眠っていた。でもザックスは夜型なので、まだ寝ていなかった。彼は音楽を聴きながら、ミッドガルにいる愛しのエアリス嬢にメールを打っていた。「食事はアホみたいに豪華だった。閣下ときたら馬みたいに食って、セフィロスのぶんも食って、食事の席にはマティルダさんていうすげえ美人がいたけど、でも美人といえばおれにはエアリスちゃんのことだから……」
セフィロスはベッドサイドの小さなランプをつけて、昼間読みそこねたシュティフターを読んでいた。クラウドは彼の上のベッドで、いつもの枕に頭をうずめて、その横にチョコボとモーグリとトンベリとブタのぬいぐるみを並べて、格子縞のかわいいパジャマを着て眠っていた。やがてセフィロスはランプを消した。窓の外は真っ暗で、星が出ていた。よく目を凝らしてみれば、なだらかな草原の風景が、横へ横へと流れているのがわかる。今夜のうちに、汽車は海峡の橋を渡り、雪原のエリアへと分け入ってゆくのだ。そうして、明日はいよいよ目的のコテージへと足を踏み入れることになる……セフィロスは微笑んだ。上にいるクラウドが寝返りを打った。耳を澄ませると、汽車が走行するかたんかたんという規則的な音に混じって、小さな寝息が聞こえてくる。セフィロスは満ち足りた気持ちになって、胸の上で手を組み、眠りについた。
真夜中に、クラウドがトイレに起きた。セフィロスは目覚めるともなく目覚めて、彼がたてる物音を聞くともなしに聞いていた。やがてクラウドは戻ってくると、なぜかはしごを登らずに、セフィロスのベッドへ倒れこんだ。セフィロスは仰天して飛び起きた。クラウドときたら、寝ぼけているのだった。
「クラウド」
彼は呼びかけた。
「おまえのベッドは上だ」
クラウドはもごもご口を動かしたが、セフィロスの胸にべったり貼りついて、起きる気配がなかった。セフィロスはため息をついて、クラウドを乗せたまま静かにベッドに横たわった。クラウドの母さんが今回の旅行のために用意してくれた新しい格子縞のパジャマは、もこもこしたすごく暖かい素材でできていて、ただでさえ寝ると体温が高くなるクラウドを抱いていると、正直なところ、暑かった。セフィロスは毛布をクラウドの首までかけて、自分はちょっとはみ出るようにした。腕を毛布の上に出して、クラウドの髪の毛をなんとはなしに梳いているうちに、また眠気がおそってきて、彼は眠った……セフィロスは、ふたりが融け合うみたいな夢を見た。とても官能的で、美しい夢だった。クラウドが腹の上でもぞもぞやるたびに、セフィロスはうっすら目覚めて、クラウドが汗をかきすぎていないか確認し、また寝るのだが、そのたびに夢の続きを見て、ひどく幸福な気持ちになった。