セフィロスが都会でも場合によってはまともに暮らせることに気がつく
生クリームのたっぷり入ったホットココアと大きなパンケーキが目の前にあって、クラウドはそれに必死になってかぶりついているのに、むくれた顔だけは崩さない。セフィロスは向かいの席で苦笑していた。
ザックス・フェア社の調査がすむまで目下のところ暇になったので、ふたりはこれからどうするかについて話し合うため、コランダー捜査官に教えてもらった、捜査局の近所にある雰囲気のいいカフェに来た。焦げ茶色の木板がはめこまれた床に、ゆったりと並べられたごつごつした木のテーブル、たくさんの観葉植物、マスターの背後に並ぶおびただしいカップの数々。カウンターの横にある本棚には、珈琲や紅茶に関する本と、なぜか歴史書が並んでいる。小さな音量でピアノ曲が流れていて、数人の客が気だるい午後を満喫していた。話し声はほとんど響かなくて、静かだった。通りに面した窓の外では、相変わらず雪が降って、道行くひとたちは寒そうに身体を縮こませて歩いている。店内の暖かさとは対照的だった。
「機嫌を直せ」
セフィロスは優しく云った。クラウドは鼻を鳴らした。すごく生意気な感じで。でもそれは八割くらいは甘えているだけで、ほんとうのクラウドの気分を表してはいないことを、セフィロスはとっくにわかっていた。
「ケーキも食べるか?」
クラウドはこくんとやって、メニュー表を指さした。
「このホイップクリームがわんさか乗ってるやつ」
セフィロスは店員を呼んで、それを注文した。クラウドはまた鼻を鳴らした。
「何度も云うが、ザックスは特別なんだ。あいつなら、どこへ行ってもその道の一流になれただろう。もしかすると、三つ星レストランなんぞ経営していたかもしれない」
「そんなことどうだっていいよ」
クラウドはパンケーキの最後のひと切れを口につっこんで、もぐもぐやった。
「あいつがおれくらいの歳のときにはだよ、もうソルジャーとしてのキャリアをスタートさせてたんだって考えると、なんか複雑な気持ちになるってだけ……なあ、あいつがさ、十六のときってどんなだったの?」
セフィロスは目を細めて、昔のことを懐かしむときの顔になった。
「いまと変わらない。よくしゃべって、よく笑って、よく怒られてもいた。だがおまえの質問は、こういう答えを期待してのものじゃないな。ザックスだって、最初から頭が切れて使える人間だったわけじゃない。技能や人脈というようなものは、ソルジャーになったからといって身につくわけではない。おまえが見ているいまのザックスは、おまえの知らない血も涙も枯れ果てるような下積みの末に、ようやくつかんだものだ。確かに、もともと能力値が高かったことは否定しないが……納得したか? 人間はほかの動物に比べてだいぶ各自の個性の強い生きものだが、やることはといえば驚くほど似ているものだ。誰も、ひと足飛びになにかができるようになったり、目が覚めたら幸福になったりはしない。そこへ至るまでの重苦しい道のりというものが必ずある。そんなところはひと目につかないから、ないものと思われてしまいがちだが」
「それでやっかんだり、うらやんだりするんだろ? わかってるよ、知ってる。でも、知ってるってことと、納得することってぜんぜん違うんだ。おれにいつ、そういう経験が来るんだろうって歯がゆくなるんだよ」
「そうだな。おまえの歳でそれだけわかれば大したものだ。一生わからずに終わるのも大勢いる。ある種の傾向を持ち合わせた人間は、若いうちは、経験を渇望する。いわば時間を渇望しているわけだが、これは悪いことじゃない。辛抱強くなることだ。時間の問題は、時間が解決する」
ホイップクリームがたっぷり塗りたくられたケーキがやってきた。それで、この話はおしまいになった。クラウドの不機嫌、あるいはその演技は、セフィロスがしっかりかまってやったので、落ちついた。大概のことは、そうすればちゃんと落ちつく。でも時期を逃したり、対応が不十分だったりすると、びっくりするくらい尾を引くこともあるのだ。
「ケーキ食べる?」
クラウドが訊いた。セフィロスは首を振った。
「すごく甘いよ」
クラウドは満足げに云った。
「砂糖がうんざりするくらい入ってて、身体に毒って感じがする」
「なぜ毒だとわかっていて食べるんだ」
「破壊願望だよ」
セフィロスは「ああ!」と云った。
ふたりは楽しい話をして、クラウドなんかあんまり楽しいので、周りのひんしゅくを買うくらい笑って、セフィロスに例の一本指と蛇が威嚇するときみたいな音でたしなめられた。でも、これは仕方がないことだった。ミッドガルでは、こうはいかない。もちろん、今日みたいに変装していればセフィロスがセフィロスであることはいくらかばれにくいかもしれないが、セフィロスはあの都会ではあまり出歩きたがらないし、どこで知っているひとに会うかわからず、どこで軍の連中が警備にあたっているかわからなかった。そういうことを思うと、クラウドは息がつまるような気がしていたのだ。でも、ここは違う。ここでは、文明的な生活の中においても、セフィロスはうんと自由なのだ! だからクラウドが得意の百面相を披露したり、セフィロスが自身の「パブリックイメージ」なるものを一瞬にして崩壊させるような冗談を云っても、誰も気にしない上に話題にもならないわけだった。クラウドは、そういうことにとっくりと満足していた。
ふたりは店を出て、本日の宿を探すことにした。行き当たりばったりに。彼らは、グランドホテルのような金のかかった建物には目もくれなかった。もっとごくごく普通の、一般のひとが一般的に利用するようなホテルを探した……そうしない理由がどこにあるだろう? もしもあらゆる選択が金の有無で決まってしまうとしたら、世の中はあまりにも単純で、味気なさすぎる。
通りをぶらぶら歩いて、ホテルを探す。クラウドはおおよそ十歩歩くごとに耳当てを直さなくてはならなかったし、それに街の風景も写真に収めたかったので、とにかく忙しかった。セフィロスは耳当てをとったらどうだと云ったが、クラウドはきかなかった。目に留まったホテルに飛びこみをしてみる。クラウドはホテルのフロント係を納得させるようなすこぶるつきのしつけのいい子になってみせると云って、セフィロスを従えてフロントに立っていた男とかけあいをはじめた。彼はほんとうにすこぶるつきのいい子になっていて、口調は丁寧、態度は慇懃、中流階級の、きちんとしつけをされた男の子のように振る舞った。「ふたりです、おとなと子ども……禁煙がいいです、片方は未成年なので……」セフィロスは笑いをこらえるのに必死だった。
無事部屋を確保すると、ふたりは街をぶらつきに出た。クラウドがぴょんぴょん飛ぶようにして歩いて、耳当てを落としそうになったりひとにぶつかりそうになるので、セフィロスははらはらし、過度のはらはらは胃と心臓に悪いという結論に達して、クラウドの腕をつかまえて自分の腕で抑えつけておくことにした。クラウドはまだぴょんぴょん跳ねて耳当てを一回ごとに落っことしそうになっていたが、ひとにぶつかることはなくなった。クラウドは怒るに決まっているが、彼が子どもであるゆえに、ふたりが腕を組んで歩いていたとしても誰も驚かない。クラウドは童顔の気があるので、聞きわけのない子どもが大人に連れていかれているように見える……もっとも、これは事実だし、それ以外の見方をされても別にかまわなかった。ここはミッドガルではないのだから。クラウドもしまいにはウサギみたいに跳ね回るのをやめて、おとなしくなった。そして相変わらず十歩ごとに耳当てをなおしていたが、ふいにそれをはずして、首にかけた。片手ではとても直しきれなかったからだ……それはつまり、セフィロスに捕獲された片腕の方を、耳当てよりも優先したということだった!
ふたりはぶらぶら歩き回って、あちこちの店のショーウィンドウを冷やかし半分でのぞきこんだ。クリスマスのプレゼントはお決まりですか? というポスターはふたりに、まだ決まっていないいくつかのクリスマスプレゼントのことを思い起こさせた。クラウドはこのあいだから、セフィロスのプレゼントについてはもう作成にかかっていた……鉄道模型を作るふりをして。今回の旅先で見た風景を、幸いなことにポラロイド写真におさめているから、それを参考にして旅の思い出立体風景なるものを作るつもりだった。大きさは五十センチ四方、展示用の透明なプラスチックケースの中に作られる予定で、主な材料は紙粘土と絵の具、彼はいま、森の風景を作るのに懸命になっている。昨日ようやく豆粒ほどのクマゲラとノスリを枝の上に乗せたのだが、これはまったくたいへんな作業だった。でも、彼は自分の仕事に満足だった。
ぶらぶらしているうちに夕食どきになったので、ふたりはなおぶらぶらして店を探し、腹を満たしてホテルへ戻った。ベッドとテーブルにソファがあるきりの、いたってシンプルな部屋だ。でも部屋がどうかなんてことは、ふたりでいる場合、ぜんぜん問題ではなかった。
翌日の午前中、クラウドの携帯に、ザックスから電話がかかってきた。
「ハロー! ふたりともおれがいなくてさびしい? まあすぐ戻るよ。いやまじでさ。まあ、何日か以内には。いまミッドガルにいる。移動手段? おれを誰だと思ってんのよ。空を飛んだの! ちょーっと費用がかかったけどな。マチェットじいさんに怒られたよ。あ、そうそう、じいさんが、閣下によろしくって。いつでも弟子入りを待ってるってさ。そりゃそうと、事件に関係することだけど、いろいろわかった。ちょっとボスに代わってくんね?」
クラウドは云われたとおりにした。セフィロスは電話を受け取り、クラウドにも聞こえるようにスピーカーボタンを押してから、なにからなにまできれいな字でメモするために、小さなメモ帳を取り出した。
「んーと、報告は、簡潔かつ的確に。そう習ったけど、おれにゃあ無理。だいたいこれ、仕事じゃねえし。てなわけで、最初っから云うとですね、例のふたり組のすてきな泥棒は、スラム生まれの幼馴染どうしで、十代の前半からメンバーになってたって話。組織のヒエラルキー? あってる? の中では下に属し、このわんさかいる下っ端の連中は、金を貰えればなんでもやる……とか云うと自主性があるように聞こえっけど、実際にはもう少し上の階級の連中が受けた仕事にのっとって、馬車馬式に働かされるんだ。鞭がピシイッ! ってね。ボスはよくわかってることだけど、閣下は覚えとけ。そのうち役に立つから。
「んで、ゼロツーはちょうど二週間くらい前に、ある依頼を受けたんだ。スラム育ちでない、つまり金持ちのお嬢さんから、あるものを盗み出してくれ、って内容で、金払いのいい客だったんで、もちろん取引は成立した。泥棒役に選ばれたのが例のふたりで、理由はその手のことに慣れてたから。ふたりとも、父親が他人の財布をかすめ取るのが仕事ってひとで、だもんだから文字覚えるより先に、その仕事を覚えたとかいう話。それで、依頼主のことだけど、身なりのいい紳士で、テスターとか名乗ったらしいけど、あいつらは別にそんなのどうだっていいし、本名じゃないことは保証するって云われた。さてさて不思議なことに、その人物がホープニッツェル教授の顔に酷似した人物であることが判明。ここで、スポットライトが主人公に当たり、BGMはジャジャジャジャーン! と流れるのであった」
セフィロスは微笑しながら、相づちを打ったりメモを取ったりした。クラウドはものすごい音がしたときみたいに耳を澄まして、ザックスの話に聞き入った。
「まあ、ここまではだいたい首尾よくいってる話。予定通りね。んでもさあ、続きがあんのよ。その身なりのいい紳士が帰った直後に、もうひとり別の男があらわれて、さっきの男が盗み出したものを、再度盗み出してくれたら倍の金を払うって取引を持ちかけてきた。その男ってのがウータイふうの顔立ちで、あんま身なりにかまわない、むさくるしいやつ……たぶん変なにおいするんだ……だったんだってさ。もちろん、またまた取引は成立、泥棒ふたりはまだミッドガルに帰還しておらず、予定どおりにいけば、第二の犯行と取引は、教授が調査に出発する前に行われることになっているとのこと。詳しい取引方法なんかは本人たち以外知りようがねえって。まあたぶんそうだろうから、おれも詳しくつっこまなかった。どうする? ボス。おれそのウータイさんが誰だか調べた方がいい?」
「……いや」
ボスは云った。
「誰だかわかる気がする」
「マジで?」
「誰?」
ザックスとクラウドの声が同時に重なって響いた。セフィロスはクラウドに向かってにやりと笑いかけてみせた。
「ちょうど一週間前、十二月三日のアイシック・リポート紙朝刊を図書館かどこかで拾って、話をしてくれたおまえの友だちに見せてやってくれ。七ページ上段の、比較的大きな囲み記事だ。そこに例の教授と、それからおそらく噂のウータイさんとおぼしき人物の写真が並んでいるはずだ」
電話の向こうから、ザックスが大慌てで書き留めている気配がした。ザックスはすぐにやってみると云って、電話を切った。クラウドは、すぐにぴんときた。
「そのひとが親玉?」
捜査局に行くためにいそいで着替えをしながら、クラウドは訊いた。
「さあ、どうだろうな。そこまではわからない。だが、その鏡とやらがいったいどんな物騒な代物なのか、実に興味深い。あとで調べてみなくては」
「あーあ」
クラウドは云った。冒険はいいけれど、調べものは大嫌いだったからだ……勉強みたいで。
一時間後、ザックスから「ビ・ン・ゴ」というメールが来た。