ファンクラブ

「あんたさあ、自分のファンクラブあるって知ってた?」
 ソファに寝転んで携帯をいじっていたクラウドが、ふいに云った。セフィロスの膝の上には、彼の脚が無造作に乗せられていた。頭じゃないところがなんとなくクラウドらしい。細長く、しなやかな脚。その先についている足の形も、彼は好きだった。かかとの丸み。指先のカーブ。
「……うわさに聞いたことはある」
 そういうものには、興味がなかった。ザックスは、おれのファンクラブなんてうれしいしかわいい女の子がどうのと云っているけれど、セフィロスは別にどうだっていい。どうせ、その連中が見ているのはただの幻だ。かわいそうな話なのだ。会社の戦略に、いいように乗せられている。
「おれ、入ってるよ」
「はあ?」
 セフィロスはいささか頓狂な声をあげた。
「おれあんたのファンなの。もう溶けそうなくらい大好きなの。うれしい?」
 クラウドの目は、云っていることとは真逆に、意地悪く笑っている。セフィロスは顔をしかめた。
「うれしいことばのはずだが、そう思えない」
 クラウドは笑って、起き上がった。セフィロスのとなりに座って、携帯の画面を面白そうに眺める。
「ファンクラブに入ると、いろいろメールが来んの。面白いよ。あんたの情報とかね、なんか流れてる。ほとんどうそっぱちだけどね。でさ、これ読んで、目をハートにする連中とかがいるわけ。同期のやつとかでも、楽しみにしてるのいるしね。セフィロスさまさまに憧れてるひと、いっぱいいるから。ばかみたいで、ばかみたく面白い」
 クラウドはばかにしたように鼻を鳴らす。嫌味なやつだ。こういうところは、とことん意地悪く楽しむようにできている。
「別に誰がおれのことをどう思っていても関係ないが、おまえだけは複雑な気持ちになる」
「なんで? だってどうせ作りもののあんただよ。最初から全部うそでさ。実物を知ってて、作られたイメージ見てると面白いんだよ。ほんと、あんたなんかただのおっさんなのにさ、神格化されてて、熱望されてて、なんか、おれいつも思うんだけど、あんたのこと、徹底的に侮辱されてるような気持ちになるよね。で、腹がたって、やりたくなる」
「はあ?」
 セフィロスはほんとうに混乱した。それと性欲がどこで結びつくのか理解できない。
「したくなるんだよ。なんか。なんか、確認してあげたくなるんだよ。猛烈に好きだと思っちゃう。ぜんぜんこんなんじゃないあんたのこと」
 見上げてくるクラウドの視線の中に、セフィロスはそのぎらつきを、確かに見て取ることができた。物憂くすこしだけ細められた目と、わずかに開いた唇、傾けられた首が、誘惑する。しない? おれはしたいんだけど。
 欲望の誘発。セフィロスはいつだって乗る気持ちがある。理性を超越する瞬間を、彼は待ち望んでいるのだ。いつだって、こちらを強力に支配してしまう理性。統制が強すぎて、抜けだすのはとても困難だ。クラウドはその強固な鎖を、いつも見事に断ち切る。予測不能な行動で、誘惑で。がんじがらめになったこちらを、解放する。セフィロスはいつも解放されたがっている。突き抜ける。向こう側へ行く。逸脱。それにたいする強い欲求。いつかそれが、爆発するだろう。予感がある。そのときに、クラウドはきっとよろこぶだろう。あんた、ようやく振りきれたんだ、よかったな。
 耐え難いほどのよろこびだ。理性的でなく、肉体的なものの、欲求への理解。存在へのまるごとの理解。皮膚を強く吸い上げれば、その身体はよろこびでふるえる。どんな刺激も、快楽も、彼は受け入れてしまう。こちらのすべてを許容する。身体をなで回される。髪の毛に口づけられ、頬をすりよせられる。
 クラウドの思考回路を、理解できた気持ちになる。画面越しのいいかげんなうそ情報じゃなくて、現実のあんたが好き。クラウドはそう云っている。快楽に溺れる顔が、必死でこちらの腕をつかむ指が、そしてこちらを受け入れる身体全体が、そう云っている。
「セフィロス、気持ちいい」
 確認して、確認されている。存在が、現実のものとしてちゃんとここにあること。確かにお互いの中に存在すること。それをちゃんとつかまえているということ。セフィロスはだから、彼の髪の毛を、頬をなで、唇で触れて、それに応える。ほんとうの自分を、知っている人間は少ないけれども。でも彼の中に、確かにいること。それをはっきりと感じ取れる。物理的にも明確なやりかたで。
 突き上げると首をのけぞらせてふるえた。行き渡る快楽と、ある感情。情熱。ほんとうの自分を求められるのは、とても幸せなことだ。あるがままの自分。何者でもない自分。それを、たいていの人間は見失っている。ステータス、財産。そんなものは、本質とは無関係だ。けれどもそれにばかり目を奪われて、つりあうとかあわないとか、年齢がどうだとか条件がいいとか悪いとか云っている。それは存在への冒涜だ。魂の侮辱だ。社会性を取り払って、その奥にある、ほんとうの自分を、見つけること、育てること。相手のそれを、見出すこと、そして受け入れること。それが関係性の、最低ラインだ。そこにすら到達できずに振り回されている人間が多すぎる。
 クラウドが必死にそうするように、セフィロスだって彼の、一番の核を愛おしむ。繊細で大胆。態度がでかいとか、わがままだとか、友だちがいないとかそんなことは問題じゃない。そういうところではなくて、むき出しの生身の核。彼の気質、彼そのもの。それが愛おしいから手放せない。自分の前にしか、提示されないもの。セフィロスはそのことにも、密かに満足している。クラウドがそう望むように、別に誰も知らなくてもいいと思う。ほんとうの彼。独占欲なのか。そうだろう。醜い感情だ。でもクラウドがほんとうに誰かほかの人間を望むなら、おとなしく明け渡す程度の欲でありたい。それはわからないことだから。けれどもいまは、この状態に、とても満足している。彼の身体の熱に。そして心の温度に。こちらへ向けられる感情の真摯さに。
 達して吐き出したあとの、クラウドの鼻に抜けるような声が好きだ。快楽に、ぐずぐずに溶けている。こちらも溶けている。融解している。まぜあわさって、混沌としてひとつになっている。お互いの感情、熱。

「おれさあ、退会したほうがいい?」
 食事中のテーブルから、リビングのソファに転がった携帯へ視線を移して、クラウドはだるそうに云う。メールうざい、と放り投げられた電話。あんたのファンクラブ、熱心すぎるよ。ほんとにばかみたい。
「そもそもいつ入会したんだ」
「いつだろ? 先月? わかんないけど、それくらい。ちょっと興味あって。ザックスがさあ、おまえこそファンクラブ入らなきゃだめだろ、恋してんだからさあ、とか冗談で云うから、なんかその気になっちゃった。でも、もうやめよっかな」
「好きにすればいい。そいつらが見ているのはおれじゃない。ファンクラブと云いながら、実在とかけ離れたものを崇める、というのはどういうわけだろう。謎だ」
「みんな、幻が好きなんだよ。現実が嫌いなんだ、きっと。耐えられなくて、逃げなきゃとてもやってけないって思ってる。そういうふうに思うから、ますます耐えられなくなるのに」
 セフィロスはその説に非常に納得した。そうしてあくまで現実で、現実と勝負するつもりのクラウドを、耐え難いくらいに微笑ましく思った。あるいは、愛おしい。クラウドがふいに不機嫌な視線を投げてくる。
「なんだ?」
「……あんた、目つきがまたエロくなってるよ。まだする? おれ今日はもういい」
 ああ、そうか、不機嫌なのではなく、照れたのだ。セフィロスは自分が、おそろしく素直になっているのを実感する。思ったことが顔に出る。それを相手も、まともに受け取る。
「別にそういうつもりじゃなかった」
 クラウドはどこか安心したように、食事を再開した。口の中にイモをつめこんで、咀嚼しながら、おれやっぱり、退会しよう、とつぶやいた。

 

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