ザックス・フェア社、設立される
たっぷりの食事を楽しんだあと……ほんとうに量もたっぷりだったが、時間もたっぷりだった。二時間はかけて食べたのだ。例の麗しのライラ嬢はこのあいだと同じようにご一行のテーブルを担当してくれ、ザックスはチップをたくさんあげた。でもクラウドは、ふたりのあいだに自分の知らないなにかがあったことをちゃんと嗅ぎつけていた。視線や雰囲気からするに、ふたりの親密度は、前回から飛躍的に向上していたからだ。クラウドは、そういうのを見極めるのがすごく得意なのだ。彼は母親のようにザックスの動向に目を光らせて、なにかあればエアリス嬢に報告しようと待ちかまえている。あるいはお目付役かなにかみたいに。ザックスがもしそれを知っていたら、自分の周囲に張り巡らされた包囲網に恐れおののいて、たちまち世界中の女性と口を利くことをやめてしまうだろう……。
「なんぼなんでも、そろそろ捜査官に話がいってるよな。あのふたりから」
ザックスは捜査本部方面へ行く乗合チョコボ車を待ちながら、腹をさすりさすり、見ている方までうれしくなってくるような満ち足りた顔で云った。見慣れたとんがり屋根がかかった狭い木造の待合小屋には、誰も並んでいなかった。小さな石炭ストーブがひとつ置かれていて、そいつは誰にもほめてもらえないだろうに、ちろちろと火を焚いて律儀に仕事をしていた。クラウドは自分の故郷の、小さな小さな駅の(鉄道チョコボ車の駅だ)待合室を思い出した。そこで仕事をしていたふとっちょの薪ストーブもすごい年寄りで、それでもちゃんと仕事をしてくれていた。ときどき駅員がやってきて、灰になった薪をかき出し、きれいな薪を入れる。待合室はその熱気でむっとしていて、窓ガラスがくもっており、クラウドは冬場そこにいるといつも暑苦しくて、息がつまる思いがした……。
「たぶんな」
セフィロスはため息をついて云った。
「行っていなかったら、ちょっとした事件だ」
「おれはその展開の方が好きよ。だって、面白いじゃん? あのひとのいい大佐の息子疑うのはちょっとやだけどさ」
「いつも思うんだが、おまえはあらゆることを楽しみすぎるきらいがあるな。悪いことじゃないが」
「まあね。自分でもいけない子って思うけど、無理。どうしようもない。変更不可。なんつったって、これがおれだもんね」
「まあ、それはその通りだ」
小屋の外では相変わらず雪が降っていた。道行くひとたちはもこもこのコートやマフラーや帽子で、しっかり身を守っている。白い景色の中を縫って、二頭立てのチョコボ車がやってきた。よたよたと待合小屋の前で止まり、ドアを開け放つ。誰も降りてくるひとはいなかった。三人は乗りこんだ。チョコボ車はがらがらだった。
クラウドは結露した窓に鼻先を押しつけて、小さくため息をついた。彼はさっきの小屋から、まだ感傷的な気持ちを引きずっていた。田舎での、いろいろなことが頭をよぎった。母さんと、雪道をバスに乗って買い物に出かけたときのこと、バス停までの道のりを転がりながら歩いたこと、クラウドのまだ小さかった手を自分の手であっためてくれた母さんの、あったかい手のこと。
セフィロスは、そういうクラウドの変化に気がついていた。彼がなにを思いだし、どんな気持ちにおそわれているのか、痛いくらいわかった。なんといっても、クラウドはこのあいだまでたったの十五歳だったのだ。彼は、クラウドを抱きしめてやりたかった。でも、公共の場でそれをやることは叶わなかった。だから、チョコボ車を降りしなに、そっと彼の尻をぽんぽんたたいてやるだけで満足した。クラウドは彼を見上げてきた。無邪気な、これといって表情という表情のない顔で。セフィロスはおっ立ったブロンドを撫でて、目の前の雪道の中へその背中を優しく押し出してやった。
雪道というのは、正確には、アイシクル特別捜査局本部に通じる幅広の、真ん中らへんで蛇みたいにくねっと曲がった道のことだ。総距離無慮六十メートルで、チョコボ車が走る大通りから枝分かれするところに、大きな標識が立っている……黒字に、白い立派な書体ででかでかと「アイシクル国立特別捜査局」と書かれている。でもなにが特別なのかについての説明は書かれていないので、ここがどういうふうに特別かを知りたければ、この道を通って捜査局の中へ足を踏み入れなければならない。道の両側には広葉樹と街灯が等間隔で並んでいて、木のそこここに監視カメラの赤いランプがそっと光っている。木はいまは葉を落としているので、監視カメラはむき出しでちょっと滑稽だった。一行はそれらに確実に撮影されながら、レンガ造りの、例に漏れずとんがり屋根の捜査局本部へ歩いていった。
受付には、非常に残念なことにきれいな女性はいなくて、かなり威圧的な、大柄の黒人男性が青い制服を着て立っていた。ザックスが独特の深みのある青い目でその男の顔をのぞきこむと……これは実際、身分証を振り回すとか、総理大臣からの推薦状を見せるとかいうことよりも強力で、速効性があった……男は態度を軟化させ、先日知り合いになったふたりの捜査官の部屋を教えてくれた。クラウドは、建物を外から撮影してもいいか念のためその男のひとに訊いた。男のひとは意外に気安い笑みを浮かべて、中はいけないが外からならいくらでも記念撮影してくれて構わないと云った。三人は礼を云って、ロビー中央にあるエレベーターのところへ歩いていった。そこにも警備員がふたり立っていて、出入りする人間たちをするどい目で見つめている。ロビーは開放的だったけれど、そういうところはものものしくて、ここが一般市民にとって秘密たっぷりの場所であることがわかる。
「もしここでおれがガス・ピストルをポケットから出したら」
クラウドは考えた。
「あの警備員が飛んできて、おれのこと取り押さえるんだろうな。で、おれきっと事情聴取ってのをされちゃうんだ。それで、警察のデータベースに要注意人物とか書かれて、登録されるんだ。いいなあ!」
クラウドはそう考えただけでもう身体が興奮してきて、コートのポケットにあるガス・ピストルを握りしめた。
捜査局本部のエレベーターは二重ドアになっていて、ごく普通のドアの内側に鉄格子のドアがあって、それが順序よく開いたり閉じたりする。鉄格子だけの状態だと、ほとんど牢獄みたいだ。クラウドは囚人になったらこんな感じなのかな、と考えて、またまた興奮してきた。クラウドはちょっと危険な子なので、反社会的行動や、その結果としての囚人生活なんかにちょっとした憧れがある。つまり、ワルが好きなのだ。セフィロスはこの点、とてもクラウドの理想に適っている。英雄というのは戦場下非常下においてのみ社会的合理的なのであって、平常下においてはただの犯罪者、野蛮な力を駆使する文明の夾雑物にすぎない。文明において悪とされるのは、結局のところ、暴力だ。肉体的な力。セフィロスはそれを持っている。おまけにセフィロスは未成年者と性的関係まで持っており、こちらの点でもどうあっても罰せられる存在だ。もしもセフィロスが逮捕されたら、クラウドも一緒に刑務所に入って、一緒に裁きを受けるつもりだ。「セックスは合意の上でした。初回からです。当然です。どっちかっていったら、おれが誘ったんです。もしこのひとが罪に問われるんだったら、おれも問われるべきだと思います……」
エレベーターが四階に着いた。扉が二重の手間ひまをかけて開き、三人を廊下へ吐き出した。廊下は明るくて、だいたいの部屋はただパーテーションで区画されているだけで、開放的に開け放たれていた。中にはそうではなくて、箱みたいに囲まれた部屋もあったが、これはおそらく噂の事情聴取なんかをするようなところに違いない。ファイルを抱えて足早に歩いて行くひとや、コーヒーカップを片手にぼんやり考えこんでいるひと、立ち止まって話しこんでいるひとたちなど、いろんなひとがあちこちにいた。そういうのを眺めながら廊下を歩いて行くと、右側の部屋で顔見知りのコランダー捜査官が、知らない中年男と話しこんでいるのが見えた。たぶんライオネル捜査官みたいに、彼の部下のひとりだろう。陽気な気安いザックスがパーテーションのドアをこんこんやると、ふたりはなにごとかと振り返った。そうして、コランダー捜査官が顔をほころばせた。
「やあやあ! こりゃどうも! まさかあの保養地からわざわざここへ来るために出てらしたんじゃないでしょうな? ああ、あのふたりのお見舞いね! そりゃあどうしたって必要でしょうよ。で、ついでにここへ? 例の教授の話は聞きましたか? われわれはついさっき電話をもらって、それについて相談してたとこです……」
三人は部屋を出て、となりにある応接室のようなところへ移された。髪の毛がきれいな灰色になりかけている初老の女性がにこにこしながらお茶を運んできて、「長話してふざけすぎるのはだめよ、コランダーさん」と云いながら出ていった。コランダーさんは、「わかったよ、マーサおばさん!」と叫んで、からから笑った。
「ありゃこのフロアのママでしてね」
コランダー捜査官はお茶をおいしそうにすすった。
「職場にああいうひとがいるってのはいい。潤いを与えてくれる。若い女じゃないのがいいんですよ。若いのは目にいいが、それだけだ。深みってもんがなくて、毎日楽しみたいとは思わない。さて、で、このご訪問の意図はなんです? 不法侵入したんでなきゃ、一階からエレベーターで来たわけでしょ? 受付にあなたがたの目玉を差し出しました? それがありゃ、どこへだって入れるでしょうから」
ザックスは「降参!」と云って両手を挙げた。
「わかりましたよ、もう。だから当てこすりはやめてくださいよ、悲しくなっちゃう。おれたち、手伝いに来たんです」
コランダー捜査官は眉をつり上げた。ザックスは自分の考えを全部説明した。
「ってわけで、おれらがお手伝いしたほうが、そっちとしてはいいんじゃないかと思って。それにほら、ほかのふたりがどうかは知らないけど、おれ、もう休暇ってのが退屈で退屈で。身体か頭かどっちか動かしたくてたまんなくて。できたら身体の方。万が一張りこみの必要があったらおれにやらせてもらえませんか? 後をつけたりするのも得意ですよ。猫みたいに音もなく忍び寄ってみせるし」
コランダー捜査官は得意の大笑いをはじめた。
「なあるほど。いいでしょう。直接的な協力をしていただいた方がわれわれも助かるし。で、なんでしたかな。ああ、そうそう、ホープニッツェル教授があのふたりを訪問した話は聞きましたか?」
三人はうなずいた。
「あの教授、ばかなんだかすこぶる頭がいいんだか、わからなくなってきましたな」
捜査官はあごをさすりさすり云った。
「もし彼が今度の窃盗の首謀者だとすると、行動があまりにも変てこですよ。もっとも、自分から疑いをそらすためには効果的な行動とも云えるでしょうがねえ」
このときどこかへ出かけていたらしい相棒のライオネル捜査官が帰ってきて、応接室の三人組にびっくり仰天した。
「なにしにいらしたんです?」
彼は目ん玉をまん丸にしていた。
「手伝い? あなたたちがですか? ひゃあ! そりゃあ……そりゃあどうも!」
「噂の教授の行動について、この方たちと話し合ってたんだよ。例のふたり組の男についてはなにかわかったかい」
くそまじめな捜査官はちょっと顔をしかめた。
「ようやくミッドガルから回答が来ましたよ。あそこの警察、ちょっとたるんでるんじゃないですか? 遅いですよ。電話で二回も催促して、ようやく情報をもらいました」
ライオネル捜査官はテーブルの上に数枚の紙をほとんど投げ出すようにして置いた。
「ふたりとも過去に軽い窃盗でぶちこまれてます。鼻の赤いのがクルスってやつで、馬面の方がベッポ。スラムの犯罪組織の一員だったようですね」
「どの組だろ?」
ザックスが興味津々の顔でつぶやいた。
「ミッドガルゼロツープレイボーイズ。なんです? このネーミングセンス」
「ゼロツーは、弐番街で誕生した犯罪組織のひとつ。一番古いグループのひとつで、規模もやることもでかい。そこの幹部にうちのOBが収まってる。よって、うちの会社とは腐れ縁ってやつ。そこが売りでね。安心、安全、合法的な非合法商売ができるってやつで。こいつはおれの出番じゃないかな?」
ザックスはうれしそうに手をこすりあわせながら、自分のボスを見た。
「おれがちょちょっと電話すりゃあ、ふたり組のことについてもうちょっとよくわかるんじゃなあい?」
セフィロスは微笑を返しただけだった。
「話が見えないんですが」
ライオネル捜査官が云った。
「見えない方がよろしいかと思いますが」
セフィロスが苦笑して云った。
「神羅カンパニーと、スラムの犯罪組織とのめくるめく蜜月について講義するには、大学カリキュラムと同程度の時間と忍耐を要します」
「わたしゃあそんなのはごめんです」
コランダー捜査官が云った。
「専門外のことは専門家にお任せしますよ。われわれの管轄地区でもないし、こちとらわかればそれでいいんです」
「じゃ、おれそのふたり組の素性について引き受けましたよ。責任もって対処します。迅速かつ誠実な対応をお約束、あなたの心のザックス・フェア社でございます。ご用命の際は下記電話番号までよろしくどうぞ。んじゃ、さっそくおれちょっと行ってきます。ね、役に立つって云ったでしょ! なんかあったら連絡するわ、ボス。閣下の携帯にするから。閣下はおれがいないとこでガス・ピストル使うんじゃねえぞ。おれが使ってるとこ見たいからだけど」
ザックス・フェア社代表のザックス・フェア氏は、しゃべりながら出ていった。ライオネル捜査官は茫然と見送り、その相棒はにやにやし、セフィロスは苦笑し、クラウドは小声で「ちぇ、いいなあ」と云った。友だちばっかり捜査に協力できるのは、ちょっといただけなかった。コランダー捜査官はそれを聞いて、優しい顔で笑った。この年ごろの、ちょっとばかり血気盛んな男の子のことならよく知っていた。
出ていったはずのザックスがひょこっと戻ってきた。
「あ、そうそう、結果は明日までにお知らせしますからね! なにかほかにも聞きたいことがあったら、おれの携帯によろしくどうぞ」
ザックスは敬礼して、ふたたび出ていった。