クラウドがクラウドだっていうのは、彼の場合とても大事なことだと思うんだ

 

 ということを、ものすごく云いたい気がする。
 自分が自分じゃないってことは、ものすごく気持ちが悪い。二十六年くらい自分じゃなかったひとが云うのだから間違いない。わたしにとって、わたしがわたしであるということはとてもとても意義深いことだし、苦心の末にようやく見つけたこのあたいみたいな、ものすごい価値があることで、だからわたしはぜったいに自分以外になりたくないし、自分にできることしかしたくないし、でも全力でなにかしたい。
 みんなほんとうに、自分が自分だなんて生まれたときから思っているのか、わたしは疑っているのだけど。自分が自分であることの頼りはひとつに記憶なわけだけれど、それは単純に同一性の証明にしかならなくて、じゃあ自分はなにで、いまなにを思っていて、なにを感じているのか、そういうことがまるでわからないってことは、そして自分がなにをしなくちゃならないかまるでわからないってことは、とても気持ちの悪いものですよ。無感動、無感覚。変化のない世界、音のない世界、色もない世界。自分が自分でないということは、だからとても怖いことなのです。全部、嘘みたいに見えるから。いま思い返してみるに、これはすごい恐怖であって一種の停止であり、もっと云ってしまえば死んでいるのと同じこと。これはすごくすごく危機的なことです。
 もちろん、わたしの経験そのものがクラウドの経験なわけではないわけだけど、でも感覚をなんとなくつかむことならできる。なりたいなにかに必死になろうとする感じ、でもそれがぜんぜん自分と調和しない感じ。なにもわからない。なにも見えない。
 わたしがそういうひとだから、たぶんわたしの書くクラウドは、自分であることをとても大事にする。そこから一度自分が消えて、また戻ってくる。クラウドが、ほかのだれでもないクラウドであるということ。わたしはセフィクラフィルターがかかっているひとなので、だれでもないクラウドは、セフィロスの前で出てくるクラウド。偽りのクラウド、演技中のクラウド。いろいろなクラウドがいて、でも彼が、これがずばりクラウドだって認識しているところのクラウドは、誰も知らない。
 クラウドがクラウドであることと、クラウドがクラウドじゃないこと。そのあいだを、変容を、落差を、わたしは書きたいなあ、と思っている。実はちょっと書きかけてるのがあるんだけれど、そこでもうちょっと、詳しく書けるかもしれない。

 

 とりあえず、そんなことを思いながら書いたものです。自分に戻ったクラウドは、現実との時間差にちょっと混乱していて、あるいは自分が自分である認識をより強固なものにしたくて、一人称がひそかに何度かクラウドとかになってればいいと思います。いやこれ、まじめな話結構大事ですよ。わたしはとても大事でした。クラウドにも、そんな時期、あるんじゃないかなあと思って。
 そのへんのところも、もしかしたらそのうち書くかもしれないです。でもたぶん、あんまり面白くない(笑)
 とりあえず、なんか妙なものでしたが、自分を取り戻したあとのクラウドに、わたしはとても強い思い入れがあります。今後もこういうのがちまちま出るかもしれませんが、ああまたなんか云ってんなこいつ、と思って流していただけたらいいです(笑)変なものに変なあとがきですみませんでした。。

 

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