とんがり屋根と雪の街
翌朝クラウドが起き出す前にそっとベッドから抜けだしたセフィロスは、すぐに窓を開けて外を見た。窓の外は一面の雪原だった。昨夜のうちに汽車は海峡を渡り、アイシクルエリアに入ったのだ。雪を乗せた蝦夷松が立ち並ぶ中を、汽車は調子を落とすことなく走っている。はるか遠くに、小さな集落が吐き出す煙がぼんやりと見えた。太陽はまだ顔を出したばかりで本調子でなく、おぼろげで、重たい空気の中を上を目指してじりじり進んでいた。セフィロスは朝の澄明な、清々しい空気を存分に吸いこんで、あたりの風景を長いこと楽しんだ。
クラウドはまだぜんぜん起きそうにない。上質な毛布の下に格子縞のパジャマを隠し、ぐっすり眠りこんでいる。朝食は八時半ごろ、部屋にやってくるはずだ。それまでには起こさなければならない。セフィロスはこの朝の静かな時間を利用して、目を閉じてゆったりと精神を寛げ、それから本を開いた。シュティフターはもうやめて、ウータイの詩人の作品を広げ、雪についての美しい一遍を読んだ。
七時半をすぎると、大部分の人間が起きだして、それぞれがごそごそやりはじめ、車内はとたんに活気づいてくる。乗客の誰かが大きな声で笑い、クラウドはそれで目を覚ましてしまった。不機嫌な顔で目をこすり、それから自分がなぜ下のベッドで寝ているのかわからず、半分閉じたような目でセフィロスに云った。
「あんた、ゆうべおれのこと拉致監禁した?」
セフィロスは笑い転げた。その声でザックスが起きて、クラウドと似たような眠気を引きずった顔で朝の挨拶にやってきた。
「よく眠れたかよ、閣下。おれはだめだったね。なんつっても、ベッドが狭いよ。それにこの、なんつうの、微妙な移動感? これでさあ、トラックの荷台とかなら、おれ逆にぐっすり眠れるんだけど、中途半端はよくないね。半端にホテルみたいで、半端に移動してるって感じ。どうせなら、ぐらぐら揺れて、がたがたやりゃあいいんだよ、毛布の一枚あてがわれただけでさ。したら、おれすやすや寝ちゃう」
「朝からしゃべりすぎだよ」
クラウドはぴしゃりと云った。彼は格子縞のパジャマをまだ着ていて、というより、脱ぐ気がなかった。それを着ている自分がすごくかわいいことを知っていたからだ。
「そんだけしゃべれたら、ちゃんと寝たのとおんなじだよ。それにおれ、そんな移動ごめんだ。ぜったい吐く。昨日の鴨とか牛とか、全部戻しちゃうよ。せっかく食べたのに」
ひとのいいザックスは肩をすくめた。
上等なパンとバター、卵にサラダにスープのたっぷりした食事を終えると、そろそろ下車の準備にとりかからなくてはならない時間だった。クラウドはお定まりの三十分かけたヘアセットを終えると、遠心力と重力の実験と称してぴょんぴょん跳ねるだけでなにもしなくなったので、セフィロスは彼の枕をまたトランクへ戻し、連れこんだぬいぐるみを袋へ入れて、バッグにつっこんだ。クラウドはいつの間にか、おそらく脳内再生されているなにかの音楽にあわせて踊っていて、セフィロスを見るとすごく生意気な顔をして舌を出した。
昼前に、汽車はアイシクルエリアの玄関口であるトルギポリに着した。ここは北の万年雪エリアのもっとも南に位置する、もっとも大きな都市で、ミッドガルほどではないけれど、世界の中でも機械化、文明化が特に進んでいる都市のひとつだ。トルギポリとはもう歴史の澱に埋もれてしまった古い古いことばで「高い塔の町」を意味するのだが、というのもこの地方に伝わる伝説によると、その昔、トルギポリにひとりの年老いた予言者がやってきて、次のように云った。「いまから数十年のち、ここよりはるか北の地に、星を揺るがす異変が起こる。高い塔を建て、空を監視せよ。異変を察したら、すぐに逃げよ……」当時このあたりを治めていた王は、この予言者のことばを信じて、町の中央に塔の建設をはじめた。石のブロックを積み上げ、それこそ数十年かけて高さ百メートルを超える塔をこしらえた。それがいまでも残っていて、観光客はいつでも中へ入ることができる。研究者の説では、この予言者というのは古代種であり、星を揺るがす異変とは北の大地にクレーターをこしらえたなにかの衝突事故のことであって、実際昨今の研究で明らかになったことだが、このトルギポリ周辺は、衝突場所の割合にそばであったにも関わらず、人的被害が少なかったようである……云々。
歴史や神話まで踏みこまなくとも、トルギポリはたいへんきれいで魅力的な街だ。はるか遠くからでも、他を圧倒する高さの石の塔が見え、それを囲むように円形に作られた街は、石づくりの古い建物が並んでいるのだけれど、どの建物も雪が積もらないように傾斜の急な三角屋根がぴんととんがっている。大通りは広くて、チョコボ車が二台余裕ですれ違えるくらいの幅がある。雪道に一番強いのはチョコボだから、この街ではいまでも、燃料を食う自動車ではなくチョコボ車が幅を利かせている。天然ガスが豊富に出るので、道にはガス灯が等間隔で並び、どこの家もガスを引いて室内を温め、煙突からもうもうと煙を吐き出している。ヴラデミロス・ガスという会社が、その採掘や各家庭への配給を一手に引き受けているのだが、エネルギーを独占しているにもかかわらず、神羅のように独裁的な雰囲気は持っていない。これは現在は会長の座に収まっている二代目エリック・ヴラデミロス氏の温厚な性格のためである、と云われている。エネルギーを魔晄だけに頼らないこの街は、神羅との過度のかかわり合いを避け、独立独歩を貫く希少な都市でもある。街を出て少し北に行くと神羅軍のアイシクル基地があるが、こちらの方でもトルギポリに不用意に干渉することは避けている。結局のところ、情勢の安定した都市に攻め入るための決定的なカードというものは、世界中を探してもないらしい。
塔の周辺はだだっ広い広場になっていて、向学心があればすぐそばの博物館や記念館でいろいろと勉強することが可能だ。塔には、いまでも伝統にのっとって管理人の男が泊まりこんでおり、毎日日の出とともに窓から空を眺め、異変がないことを確認すると、鐘を三度鳴らす。この音が響き渡ると、一日のはじまりだ。新聞配達少年たちはこの鐘の響きが終わる前に配達を完了するし、除雪車もこの時間までには道路の降り積もった雪をきれいにならして、雪は郊外へ運び去ってしまう。前日の仕事の疲れを癒していたチョコボが小屋の中で目をさますのもこの時間帯だ。いま、街はクリスマスの支配下にあり、どこもかしこも赤と緑に侵食されつつある。ショーウィンドウ、ガス灯とガス灯のあいだいに吊るされた豆電球、そこかしこに設置されるもみの木、そしてどこからともなく流れてくるクリスマスの音楽。
ほかの建物と同じく石づくりのどっしりしたトルギポリの駅に降り立ったご一行は、同じくここで商用をすませるマグリム氏とマティルダ嬢に、お別れのあいさつをした。
「お父上によろしくお伝えください」
セフィロスはそう云って、マグリム氏と握手をした。
「もちろんですとも。僕があなたに会ったと云ったら、父はくやしがるでしょう。今度、ぜひミディールへ顔を出してやってください。お忙しくなければ。どこかに住所が……父の名刺を持ち歩いているんですよ、あんな父でもなにかと役に立つことがありまして……ああ! あった。これです。電話番号も書いてありますから。ほんとうに、気兼ねなくいらしてください。遠慮なさらずに。昔の話ができるひとに飢えているんです。それに、母も喜ぶでしょう。ええ? なんだって? (と彼はなにやら彼に小声でささやいた赤帽に顔を向けた)車が待っている? ああ、もう! ベアトリスさんはせっかちだからいけない。よこす迎えの運転手までせっかちなんだから。では、僕たちはこれで」
この間、同じ汽車でやってきたほかの乗客たちは次々とホームから駅舎の中へ移動して、誰もいなくなってしまった。セフィロスが誰だか思い出せない立派な口ひげの紳士もこの街に用があるらしく、大きな鞄を抱えて、握り口のところがアヒルの形になっている変わったステッキをついて、すたすた歩いていった。そしてザックスはマティルダ嬢となかなか念入りなお別れのことばを交わしていた。
「あなたみたいな面白い方がご一緒で楽しかったわ」
マティルダ嬢は微笑んで云った。
「こちらこそ、あなたみたいにきれいな方がご一緒で目の保養ができましたよ」
ザックスはふざけて敬礼して云った。そうして、ぱちんとウィンクした。マティルダ嬢はくつくつ笑った。クラウドは、やってらんねえよ、と心のなかで思い、耳あてを直して、首からぶら下げたポラロイドカメラで、駅の風景を写真にとった。
「まあ、そうだわ、わたしたち、記念に写真を撮りましょうよ」
マティルダ嬢がふいに云った。彼女の婚約者がすぐに同意した。クラウドはそういうことが恥ずかしい年ごろなので、カメラマンに徹するつもりだったが、マティルダ嬢が赤帽を呼びつけてしまったので、一緒に写真に収まった……といっても、大きなセフィロスの後ろにちょっと隠れるようにしていたけれど。写真は、お互いの手元に一枚ずつ残るように、二枚撮られた。マティルダ嬢は最後に、クラウドに声をかけていった。
「あなたがひと見知りなのは残念だったわ。またお会いできるといいわね」
そう云って彼女が微笑んだので、クラウドはちょっと赤くなった。
「あのお嬢さん、なかなかやり手だぞ」
ふたりがいなくなると、ザックスは云った。
「誰にでも愛想振りまかずにいられないひとっているけど。悪い意味じゃなくて。でも、男にゃ悪い意味だよなあ。だって、勘違いしちゃうもん。ありゃあ、旦那が苦労するね」
ザックスはふたりがいなくなった方に手を合わせた。
「天真爛漫というのも考えものだな」
セフィロスも首を傾けてつぶやいた。
「そうね、おれのエアリスちゃんも天真爛漫だけど、ああいうタイプじゃないもんな。こっちの閣下は真っ黒だしね」
クラウドはすっかり退屈していたので、ザックスのことばに反応して、なに? と云った。ザックスは笑って首を振った。
ご一行はぞろぞろと駅舎の中へ移動を開始した。改札を抜けると、ひとがひっきりなしに行き交う長方形の、広い駅舎の喧騒の中へ突如として投げこまれたように感じる。天井が高く、床も石が敷きつめられていて、ひっきりなしにアナウンスが流れ、子どもが走り回り、天井からぶら下げられた大きな時計が時を刻む。ピカピカ光るクリスマスツリーが、駅舎の真ん中に設置されていた。そのまわりに椅子が並べられ、大きな石炭ストーブが置かれて、簡易待合室になっている。土産物屋や、簡易のカフェなどもあって、そういったところに用事のあるひとたちが何人かひっかかっている。三人は、大きな荷物はほとんど事前に保養地に送ってしまっていたので、手持ちの荷物はとても少なかったが、その手荷物も赤帽が運び去ってしまっていたので、あたりの景色を楽しみつつのんびり歩いていった。クラウドは横に長い駅舎の中を歩きながら、さっき撮った写真を眺めた。
「この写真、誰が保管すんの?」
彼は気になったので云った。
「おまえのアルバムにはさんどきゃいいだろ」
ザックスがそう云って、横からひょいと写真を取り上げてじろじろ眺め、ふうん、と鼻を鳴らした。
「閣下、すげえ隠れてる。おまえってほんと、慣れてるやつとそうじゃないやつで態度違うよなあ。このシャイボーイめ」
セフィロスも写真を見た。クラウドは確かに自分の影になってちょっとむくれたような顔をしていた。耳あてまでむくれて、ちょっと斜めになっている。マティルダ嬢はにこやかに微笑み、自らの人生の上に光が降り注いでいることを微塵も疑っていないという幸福な、打ちのめされたことのない雰囲気を余すところなく発していた。待ち受けている結婚、そしておそらく出産……女の幸福とは、その程度のものだろうか? そして不幸もまた? 夫の不理解、云いあらそい、破局……愛情をたっぷり注がれ、生活に窮したことのない、したがって魂がひねくれたこともない女性に、人生が与える試練とはどんなものだろう? マグリム青年ではないことだけは確かだった。なぜなら彼はその父親がそうであるように実直誠実な青年であり、間違っても結婚相手を不幸にするような男ではない。彼女を不幸に陥れる原因があるとしたら、彼女のその無垢さ……相手を無差別に信頼し、好意を寄せる行動、に潜んでいるように思われる。とはいえ、こんなことは目下セフィロスには関係のないことであって、彼は単にそういう印象をもって、写真の中のマティルダ嬢の美しい顔を眺めただけだった。
この街から保養施設までは、チョコボ車を利用しなければ行くことができない。馬よりも頑丈な足をしたチョコボは、雪道や山道に驚くほどの力を発揮する。このあたりのチョコボは毛並みが長くて独特の羽毛を持っており、とても寒さに強く、大陸のチョコボより脚が太くて丈夫で、どんな具合の悪い雪道でも歩くことができる。なにより、自動車は高い燃料が必要だが、チョコボはある程度自然が養ってくれる。彼らがどんな少ない食料で、どれほどの力を発揮するかは驚くほどだ。
駅舎を抜け、ロータリーに出ると、二頭立ての立派なチョコボ車が三人を待ち構えていた。クラウドはチョコボに狂喜狂乱して、あのかわいらしい黄色い鳥めがけて一直線に走っていった。
チョコボは、クラウドが知っているものと色形は大差なかったが、羽毛がふさふさしていて、身体を覆う毛も長くて厚かった。足がちょっと平べったくて、幅広だ。クラウドが近寄ると、チョコボたちは首をかしげ、彼を片目でじっくり見た。チョコボは鳥だから、ちゃんと見るときには片目なのだ。クラウドはしばらく観察させておいて、それからちょこちょこと近寄ると、そっと手を伸ばして、右にいるやつののどのあたりをちょっとくすぐった。この懐柔作戦は見事効を奏し、チョコボはクエクエ鳴いて、彼の金髪頭を、おかえしにくちばしでこちょこちょやりはじめた。左側のやつも同じようにしてやると、こっちはもっとひとなつっこいやつだったらしく、二、三回ステップを踏んで、クラウドの頬にくちばしをこすりつけてきた。クラウドはくすぐったくてけらけら笑った。
「おいや、こいつはなかなかだね」
ふいに背後で声がして、クラウドは振り返った。分厚いコートで着膨れした、パイプをくわえた男が立っていて、クラウドを見ると古びた灰色のケーバ帽子(よくおじいちゃんや小学生がかぶっている、左右の耳カバーを頭のてっぺんで結べるようになっている、キャップ型の帽子だ。わかるひとにはすぐわかるけど、生まれた場所の問題で、ぴんとこないひとがいるのはしょうがない)をちょっと持ち上げて、ぱちんとウィンクしてよこした。このチョコボ車の馭者に違いなかった。
「チョコボ好きかい、坊主」
クラウドはこくんとうなずいた。
「そうかそうか、そいつはいい。誰がなんと云おうと、人間の最高の相棒はチョコボだよ。犬なんか目じゃねえや。みんな個性的でな、人間みてえに、ぜーんぜん性格が違うんだ。こっちの右っかわのやつはちいとばっか難しい性格なんだ。根はいいやつだし、仕事はまじめにやるけど神経質でな。はじめてが苦手なんだよ。はじめて通る道、はじめての客。奥のやつは、ひとなつっこくて陽気ないいやつさ。でもちいっと思慮に欠けるとこがあるね。だからこの右っかわの」
と云って御者のおっさんは右のチョコボの首をなでた。チョコボはすごくうれしそうに目を細めた。
「まじめな先輩と一緒に仕事さしてんだよ。こいつらにも相性とか、癖とかいろいろあってな。二匹一緒に仕事するとなりゃ、人選……いや、チョコボ選か、なかなか大変なんだ」
クラウドはまじめな生徒みたいに神妙な顔で聞いて、二匹のチョコボたちを見た。馭者のおじさんの話を聞いてから見てみると、なんとなく右のやつは厳しい顔つきをしていて、左の方のやつはおちゃらけた顔をしているように見える。クラウドはチョコボの名前を訊いた。
「右のがケルバだよ。オス。今年で六歳だ。隣のやつがパンゴ。こっちもオスで、四歳だ。まだ仕事はじめたばっかさ。ガキだよ、ガキ」
クラウドは手を伸ばし、ケルバのくちばしを触った。ケルバは自分のことが話題にされているのでおどけて、その手をくちばしで挟む真似をしたが、ほんとうに挟むわけじゃあなかった。
「いまのうちにそんだけ慣れりゃあたいしたもんだ。坊主、馭者台に乗るかい」
「いいんですか?」
「おうよ。手綱をやるわけにゃあいかねえけどな。それから走ってるチョコボに触ったらだめだぞ。しっぽに触りたくなるのはわかるけんど、それやられるとこいつら気が散って仕事にならねえ。ケルバは特にだめだ。神経質だからな。そのかわり、丁寧な仕事する。こっちのパンゴは喜んじまって仕事どころじゃなくなる。ふざけるのが好きだからな」
クラウドはぜったいに触らないことを約束した。ザックスがやってきて、契約についてはどうなっているのかという話をはじめた。
「契約もなにもねえさ。とにかく街で一番の馭者を十一時に駅によこせってトルギポリチョコボ車連盟に連絡があって、おれが選ばれたんだよ。まあ、光栄なことだね。おれはあんたら三人乗せて、北の保養地へ行けって指示を受けてるだけだ。日当はもうもらってある。こいつは内緒の話なんだけどな、ちいっとばっかふっかけたんだ。そしたら、あんたらの会社の人間は、チョコボ車の賃金なんてなんにもわかっちゃいねえんだなあ! 見事に云い値をくれたよ。だから、おれは今日一日あんたらのもんさ。さて、どうするね? すぐに出発するかい?」
ザックスはふむふむ、と云って、「ボス!」と叫んだ。
「保養地には、今日中につけばいいことになってるんだけど、どうする? もう行く? それともちょっと観光客になる?」
「会議を開こう」
ボスは云った。ザックスとクラウドは彼を囲んだ。
「これより、臨時会議をはじめる。議題は、われわれは目的地へ向け移動中の旅行者という身分を保持すべきか、それとも一時的に観光客という身分を手にしたほうがよいか。本案は多数決により決定する。まず、このまま移動を続けたい者は挙手せよ」
誰も手を挙げなかった。セフィロスまたの名議長は眉をつり上げ、
「では、観光客になりたい者は挙手せよ。高らかに!」
ザックスは両手を上げ、クラウドは手を上げて飛び上がり、その際ずり上がった耳あてをあわててなおした。馭者のおじさんまで、帽子をとって振り上げた。
「では、賛成多数によりわれわれはこれより先、トルギポリの観光客となる。民の声は神の声なり。会議終わり」
「万歳!」
ザックスは叫んだ。
「じゃ、おじさん、悪いけど、おれたちおのぼりさんにつきあってくれませんか? まずは腹ごしらえ、ってのがいいと思うけど。飯おごります」
「そうこなくっちゃ。この街はいいとこだらけなんだ。実はおれも案内したくてうずうずしてた。まずは飯だな。安くて、うまいとこを知ってるよ。それから、おれはゲインシュタルトってんだ。おれの親父も、その親父も、その親父も親父もチョコボ車の馭者だった。自慢じゃねえけど、この街でゲインシュタルトったら、ちょっとしたもんだよ」
「ブラボー、ブラボー」
ザックスは云い、クラウドは口笛をぴいっと鳴らした。セフィロスは拍手を送った。
「よし、それでは皆さまお乗りください。出発いたします、出発いたします。坊主、おまえはこっちだよ」
クラウドはゲインシュタルトさんのあとについて、馭者台によじ登った。ゲインシュタルトさんが、馭者用の分厚いポンチョを頭からかぶせてくれた。
「これで、嵐が来ようが吹雪が来ようが、寒くねえってなもんさ」
クラウドはわくわくしてきた。
「いいか、座るときは、背中をぴたっと後ろにつけるんだ。深く腰かけて……そうそう。で、走り出すときは、手綱をこういうふうに引いてやんだよ。ほい、頼むよ、おまえさんがた」
御者のおじさんがぐっと手綱を引き寄せると、チョコボたちは小さく鳴いて、歩きはじめた。クラウドはしっかり耳当てをなおした。
馭者台から見ると、世界はぜんぜん違ったふうに見える。視線の位置が高いし、移動速度も違うので、クラウドはなんだか自分が別の生き物になったみたいな気がした。独特のとんがり屋根の建物や、ガス灯や、店のきらびやかな飾り窓が、歩くのよりもすこしだけ速い速度で、ゆっくりとやってきては、流れていく。道を歩く小さな子どもなどは、チョコボを見てぴょんぴょん飛び上がったり、手を振ったりする。白く薄く雪が積もった地面を、チョコボたちはしっかり踏みしめて、リズミカルに歩いた。しばらくすると、チョコボたちは汗をかきはじめた。それが冷たい空気に触れて、白い湯気となって薄く漂った。クラウドの息も白かった。ゲインシュタルトさんの息と、パイプの煙も白かった。クラウドはめちゃくちゃにうれしくなってきた。おれ、ぜんぜん知らない北国にいるんだなあ!
ゲインシュタルトさんは、手綱を握りながら自分のことをいろいろ話してくれた。彼は、子どものころからチョコボ車を扱い続けて四十年になる、と云った。
「おれのおとうもこの仕事してたんだよ。そのおとうも同じさ。だもんで、おれは生まれたときからチョコボ舎ん中にいたようなもんだよ。こいつらは頭のいい鳥だから、ひとの子どもだって育てられるんだ。ほんとさ。赤ん坊なんか置いとくだろ、そうすっと、みんなしてあやしてやるし、赤ん坊が寝ると静かにして、起こさねえように気をつけてる。おれは六人子どもがいるけど、仕事してるあいだ、だいたいそうやってこいつらに面倒見てもらってた。おれもそうやって育てられたしな」
クラウドは、そういうのってちょっといいな、と思った。ある程度知能のある動物が、ほかの動物の子どもや赤ちゃんに対してすごく優しいというのは、クラウドもいろんな例を見て知っていた。クラウドは生き物が好きだ。みんないいやつだからだ。耳をくるくる回す母さんヤギとか、のんびり屋の牛とか、おせっかいなアヒルおばさんなんか、田舎にはたくさんいた。野生のチョコボもときどき見た。チョコボは人間を見つけると、ちょっと首をかしげてしばらく見る。こっちに悪意がなくて、つかまえるつもりがないとわかると、チョコボはあいさつがわりにしっぽをふりふりしてから、そっといなくなる。人間が動物に興味があるように、動物のほうでも人間に興味があるのだ。二者間の興味と気分がうまくかち合えば、友だちになれる。そうじゃないなら、下手につっつくとひどい目に遭うか、お互い傷つくだけで終わる。人間関係と一緒だ。
チョコボ車は、街を十五分くらい走り、大きなパブのような店の前でゆっくり止まった。ゲインシュタルトさんは、「はい、どうどうどう」とやって、チョコボたちを止めた。クラウドはポンチョを脱いで、馭者台から飛び降りた。セフィロスとザックスも降りてきた。セフィロスは、この間簡易的な変身を遂げていた。長い銀髪をあまり高くない位置でポニーテールにして黒いコートの中に隠し、フェルト地の黒い帽子をかぶっていたので、ぱっと見でセフィロスとわかる人間がいたら、それはよほどのフリークか、よほど観察眼のするどい人間に違いなかった。セフィロスはセフィロスだが、パブリックなセフィロスというのと、ほんとうのセフィロスというのとはかなりの隔たりがある。セフィロスとしては、こんな楽しい旅行にパブリックなセフィロスを持ち出すのは、できれば避けたかった。
「さて、ここの飯はうまいよ。しかも、腹がはちきれそうなくらいの量を出してくれる。酒もうまい。で、会計は安い。お高くとまったレストランなんか行くより、こういうとこに来たほうが、この街がどういう街かわかるってもんだよ。おれはこいつらに飯をやってから行くから、あんたら好きにしてなよ。こっちもまあ、適当にやるから」
ゲインシュタルトさんはふたたび「はい、どうどう」をやって、チョコボたちを動かしはじめた。クラウドは「すっごいなあ!」と云って、目を輝かせた。
店の入口に、奇妙な置物があった。一メートル近い直立型のグリズリーで、そいつは丸い台座に乗って、電力によってぐるぐる回っていた。店の名前を見ると、この置物の由来がわかった。「森のグリズリー亭」。三人は店の中に入った。庶民的な酒場で、たいそう広く、昼間にも関わらず男たちが大きなジョッキでせっせとアルコールを摂取していた。おそらく、ガスの採掘に携わる労働者たちに違いない。作業着を着て、頑丈そうな身体つきをしている。大勢の声があたりにこだましている。天井でいくつも回っているファンはどっちにしろ役立たずで、葉巻やパイプ、にんにくや香草、アルコールなどのにおいが混ざりあってあたりにたちこめている。客たちが食べている料理を見ると、大きな皿にこれでもかとばかりに肉や野菜がもりつけられており、これはまったくいかにも庶民的であり、そして、ザックスが好きそうな店でもあった。実際、ザックスは案内を待つあいだにスクワットをやって、胃を調整した。
「大人三人。あ、ひとりは子どもか。なにがおいしいの? ビール? おすすめの料理ってある? うまくて、量が多いやつね」
席につくと、ザックスがさっそく社交精神を発揮し、やってきたウェイトレスの女性に……女性というより女の子だったけれど……あれこれ話しかけはじめた。ライラといって、十七歳で、赤茶けた黒髪に、すごく魅力的な灰色がかった緑の目をしていた。ここの制服らしい、黒い丈が短かめの、タイトなスカートがよく似合っていた。
「おすすめは羊。鹿も牛も豚も鳥もあるけど。魚は白身の揚げたのがおいしいかな。イモ? よく訊いてくれたわ、めちゃくちゃいっぱいあんの。店長の奥さんの妹が農家に嫁いでるんだけど、ちっちゃいこんくらいの(と云って彼女は親指とひと差し指で丸をつくった)どうしようもないイモいっぱいくれたわけ。わかんでしょ? 食べ物屋だからって、押しつけられんの。去年はひん曲がったニンジントラック一台。捨てるよりいいってわけよね。イモはしょうがないからそのまま素揚げして出してるんだけど。消費してくれる? ひと山? いいわよ。山盛り持ってくるから。店長喜ぶ。あたしもいい加減毎日まかないについてくんのにうんざりしてんの。ビールはなんでもおいしいけど。あたしは黒が一番おいしいと思う。三人とも飲む? 未成年? 云わなきゃばれないわよ。あたしも飲んでるもん。山羊? チーズがある。それも持ってくるね。あんたたちどんくらい食べんの? ものすごく? よだれ出てる狼みたいに飢えてると思えばいいわけね。だいたいわかった」
ライラ嬢は一同を隅から隅まで眺めた挙げ句、やはりもっとも社交的なザックスに目をとめて、ウィンクし、手をひらひら振ると、腰を左右に振りながら注文を云いつけに厨房へ消えていった。ザックスは去っていく彼女の後ろ姿を眺めながら、ぴゅうっと小さく口笛を吹いた。
「すごいおしゃべりだね。おまえみたい」
クラウドが耳あてを外しながら云った。
「なかなかやり手らしいな。あのウィンクひとつで、うんとこさチップをはずんでもらった上に、うまくいけばベッドの中にも引きずりこめる」
「ボース、そういうことはっきり云わないの。いいじゃんか、そういうのって大事よ」
クラウドはこの発言を頭の中にしっかりメモした。あとでエアリス嬢に云いつけるためだ。
三人はライラ嬢が運んできた、すごくたくさんの料理を食べた。チーズの盛り合わせには、クラウドの愛する山羊の乳からできたのがあって、クラウドはそれを黒パンと一緒にひとりで全部食べた。最後のひと切れを舌の上に乗せてしまってから、山羊の乳が嫌いなザックスはともかく、セフィロスにもひと口あげるべきだったことに気がついた心優しいクラウドくんは、口から出して、それをセフィロスの皿の上に置いた。セフィロスはすごくいやそうな顔をした。ザックスは気がついていないふりをした。チーズは、一分弱そのまま皿の上にあった。そして消えた。もちろん、セフィロスの口の中にだ。クラウドはそれで、セフィロスもやっぱり食べたかったんだと思い、おれってなんて気の利くいい子なんだろうと思った。チーズはどれも、びっくりするくらいおいしかった。ビールもミッドガルで売られているものよりはるかに濃くて、いくら飲んでも悪酔いしなさそうだったし、羊の肉ときたら、まるごと一匹細切れにされて来たのかと思うほど大量だったけれど、ぜんぜん臭くなくて、いくらでも食べられた。クラウドはイモをひとりで一キロばかり食べた。確かに小さくていびつで、店で出すような料理には使えそうもなかったけれど、クラウドにとってイモは胃に入るものだから、見た目なんてどうだってよかった。店の中を見回すと、馭者のゲインシュタルトさんが、カウンターの席で、同僚らしい数人の男たちとわいわいやりながらビールを飲んでいた。
食事が終わると、クラウドは一刻も早くチョコボに会うために、とっとと走って出ていった。ザックスが代表して代金を払った。その際、例のライラ嬢にすごくたくさんのチップを渡し、なにやら長いこと話しあった。セフィロスは礼儀として耳をふさいでいた。会計が済んで外に出た途端、セフィロスはぎょっとさせられた。クラウドがグリズリーの置物と一緒になって、ぐるぐる回っていた。台座に上手に足をかけ、両手を指揮者のように振り回していた……実際、指揮者の真似をしているに違いなかった。数日前、テレビでたまたまクラシックコンサートの中継をやっていて、クラウドはやたらと激しい動きをする指揮者を見て、げらげら笑っていたからだ。そしてクラウドが懸命に腕と頭を振り回しながら指揮を執るのにあわせて、ゲインシュタルトさんの二匹のチョコボが、首や羽を動かしていた。店に入っていくひとや、出ていくひと、通りかかるひとたちが、この光景に笑っていた。セフィロスもこらえきれずに笑い出してしまった。ザックスが演奏に加わって、ぐるぐる回るクラウドの前で、猛烈な勢いでバイオリンを弾く真似をはじめた。セフィロスはしばらく放置していた。
「バカ」
セフィロスが呼ぶと、バカは指揮をとるのをやめた。
「降りてこい」
バカは飛び降りた。バイオリンの演奏は止まり、チョコボはひょこひょこ動くのをやめた。
「なかなかいい指揮だった」
セフィロスは褒めた。
「あれは剣の舞か?」
世界的指揮者クラウド・ストライフ氏は、生意気に鼻を鳴らして、「チョコボのための準備運動交響曲っていうんだ」と云った。
「なるほど」
セフィロスは納得した。この「チョコボのための準備運動交響曲」はしかし、一定の効果があるらしかった。チョコボたちはますます力強く軽快に、街を走ったからだ。一般的な観光ルートに則って、ご一行はまず広場の高い塔を見に行った。レストランから広場までは十分ほどで、灰色の石づくりの建物と、白い雪と、黒いガス灯と、そういったモノトーンの街並みに、クリスマスのイルミネーションが明るい色を添えていた。そのどこか幻想的な街並みを、みんな楽しんだ。クリスマス当日まではまだ二週間ばかりあるけれど、あちこちにサンタクロースやトナカイが出現し、あらゆる店がクリスマスプレゼントに自分のところの商品を選んでもらおうと躍起になっている。
広場に着いた。石畳の真っ平らな円形の広場のど真ん中に、見上げるほど高い塔がびょんと生えている。それがなんとなく変だった。ものすごく寒いのに、広場にはそれなりのひとがいた。三人はチョコボ車から降りて、ゲインシュタルトさんと二時間後に落ち合うことを約束し、歩きはじめた。変なじいさんがいて、このひとは黒い山高帽をかぶっていたのだけれど、それを一歩ごとに右手でちょっと持ち上げ、また頭にかぶせなおすのだ。「おまえみたいなやつがいんじゃん」とザックスはにやにや笑って云った。クラウドは自分の耳あてを直して、鼻を鳴らした。
塔にはアーチ型の門から入っていく。重たい木の扉が左右に開かれていて、見学時間は午前九時から午後五時までだと書かれた看板が取りつけてあった。その下に注意書きが添えられている……ただし、塔の上まで登る心づもりの方は、終了時刻一時間前までには中へお入りください。無理をなさらないでください。心臓の弱い方はご遠慮ください。運動不足の方、足腰の弱い方、ご高齢の方、ご注意ください。妊娠中の方も無理はなさらないでください。塔のてっぺんから外にものを落とさないでください。途中からも落とさないでください。特に固いものはご遠慮ください。けが人がでます。質問のある方は管理人室までお越しください。ただし、塔のてっぺんまで登る必要があります。
「こりゃまたご丁寧に」
ザックスは云った。
「百メートル以上延々階段を登るんだ。これくらい書かないと、死人もけが人も出るだろう」
セフィロスは云い、中に入っていった。塔は、七の階に区切られており、壁づたいに設置された螺旋階段がそれらをつないでいる。最上階は管理人室になっていて、緊急の場合を除き、観光客は立ち入ることができない。そのさらに上に鐘が設置されていて、管理人の男が毎朝これを鳴らすのだ。もちろん、エレベーターだのエスカレーターだのは存在しない。我が足を頼みに一歩ずつ登っていくしかない。セフィロスはたいへん気に入った。彼は基本的に人力勝負が好きなのだ。
「これ、おれたちが登る必要あるの?」
クラウドがいやそうな顔をした。
「今朝まであんな豪華な列車で鼻歌歌いながら移動してて、午後はこれ? それって、変だよ」
「そうだな、世の中は変だ。そしておれに云わせれば」
セフィロスはうきうきしながら階段を登りはじめた。
「豪華列車の方が変で、こっちが正しい」
「あーあ」
ザックスが云った。
「ボス、喜んでるよ。古くて手間がかかってやってらんねえようなの、好きだからなあ。云ったっけ? その昔遠征中にな、ジャングルの中にあるちっちゃい村に立ち寄ったときにさあ、そこの村の水が川から汲み上げ式で、お湯はたき火で沸かしてたんだ……ボス、大喜び。ありゃそのうちジャングルの原住民に混じって暮らし出すね。間違いない。おまえ、覚悟しといた方がいい」
「そしたらおれ、離縁する」
クラウドはげっそりした顔になって、うなだれながら階段を登りはじめた。
「感想はどう? ボス」
「実に気分がいい。街並みが見渡せて……あの森の向こうが、アイシクルロッジの近くだろうか。明日はあそこを抜けるわけだな。クラウド、へばっていないでこっちへ来い、チョコボが走っていくのが見える」
体質のせいで息ひとつ上がっていないセフィロスとザックスをよそに、クラウドはぜえぜえ云って床にうずくまっていた。
「チョコボなんかくそ食らえだ」
クラウドは寒いというのに大粒の汗を流しながら、あえぎあえぎ云った。
「くそ、なんで観光中にこんな苦しい思いしなきゃなんないんだ」
「肺を鍛えたと思えよ。あと、脚力な」
ザックスが苦笑いしながら云って、クラウドに手を伸ばした。彼はそれをはねのけて、立ち上がった。なにしろ、どんなに弱っていたって男にはプライドってものがあるのだ。
「そりゃあさ、いいよ、ミッドガルにいるときなら。でも、おれはいま特別休暇中なんだよ。なんでそんなときに、身体鍛えてなきゃいけないんだ。おまえじゃあるまいし」
「おれじゃねえしってなによ。スクワットのこと? だってしゃあねえじゃん、おれスクワット趣味だもんね」
そうして見せつけるようにしゅっしゅしゅっしゅやりはじめたので、クラウドはいらいらして、ザックスの尻に蹴りを入れた。
「いてえ! マジで蹴った! こいつマジで蹴ったよボス〜」
クラウドはざまみろ、と云い、ふんと鼻を鳴らして、窓に向かって設置された望遠鏡に右目に当てて、左目をつぶり、あたりの景色を観察した。たしかにセフィロスが云うように、遠くの雪原をチョコボが数頭駆けていた。野生のやつかもしれなかった。
「おやおや、若いのにこんなところへ来るとは感心感心」
ふいに後ろから声がしたので、みんな驚いて振り返った。さっき広場で見た山高帽の老人が、相変わらず一歩足を踏み出すごとに帽子を持ち上げて戻しながら、ゆっくり階段を登り終えるところだった。
「こんにちは」
ザックスは挨拶し、セフィロスは小さく頭を下げた。クラウドはなんとなくセフィロスみたいに頭を下げた。老人はものすごい数の階段を登ってきたのに、ぜんぜん疲れていなくて、ちょっと息が上がっているだけだった。
「若いひとたちは歴史に関心なんてないというのが定説ですが。観光ですか?」
「そうっす」
ザックスが云い、にやにやしてクラウドを見た。彼の耳当てと老人の山高帽を見比べて、ひとりで面白がっているのだ。老人は微笑んで、自らをエリック・エリクソンと名乗り、近所に住んでいるしがない年寄りだと云った。しがないとは云ったが、老人の着ているものはみんな派手ではないが洗練された雰囲気があって、金がかかっていることはひと目でわかる。老人が持っているステッキは、丈夫な樫の木を加工したもので、どうやら一点もの、という感じがした。
「われわれは、北の保養地に行く途中です」
セフィロスが丁寧に説明した。エリクソンさんはちょっと眉をつり上げた。
「おやおや。あの、元サナトリウムのあった場所ですかな?」
「ええ。ひょんなことから、冬の休暇をあそこで過ごすことになりまして」
エリクソンさんは顎をこすった。
「そりゃあまた、お若い方には珍しいことですねえ。あそこはなにしろ、そんなに有名ではないし、若いひとの興味をそそるような施設も、なにもないですからね」
「ま、それがいいんです。おれたち、自然の中で野生に帰ります」
ザックスがふざけてがおー、と吠える真似をした。
「そうですか、そうですか。まあ、楽しんできてください」
それから、優しいエリック・エリクソンさんは、新米訪問者たちのためにこの塔の歴史についてひとくさり講義をしてくれたが、そのあいだにもしょっちゅう帽子を持ち上げて、またかぶりなおした。
「エリクソンさん」
ザックスはとうとう話を遮って、我慢ならぬというように云った。
「帽子のなにが気に入らないんですか」
エリクソンさんはちょっとびっくりした顔をした。
「ああ、これですか? いやそれがね、これ、プレゼントでして。せっかくくれたのに悪いと思ってかぶるんですが、サイズが大きすぎてねえ。ひと足ごとに気になって、なおしてしまうんですよ。でも、やっぱりすてきだし大事にかぶりたい。そういう話です」
「ほら」
クラウドが勝ちほこったように云って、自分の耳当てをしっかり装着した。
「世の中、ちょっとやそっとのことで脱ぎ捨てたり放り投げたりしたらだめなんだよ。一回好きになったらさ」
「君、若いのにいいことを云いますねえ」
エリクソンさんは感心したように云った。
「愛着と、習慣。大事なのはこのふたつですよ。人生に規律と、滋味を与えてくれるものはね」
エリクソンさんは帰る前に、三人に名刺を取り出して渡した。名刺には小さな文字で、「所属クラブ S.O.N」と書かれてあった。
「このS.O.Nってなんです? 秘密結社?」
ザックスが興味深げに訊ねた。エリクソン氏は微笑した。
「世の中には、たぶん両親のネタ切れか創意工夫のなさかまったくの冗談で、奇妙な名前を持ち合わせてしまったひとがいて、わたしもそのひとりです。そういうひとの会ですよ。おわかりですかな?」
クラウドが叫んだ。
「そっか! 名前にプラスSONが名字のひとの会だ!」
「その通り」
エリクソンさんはうなずいた。
「もちろん、男性限定です。そういうひとがいたら、この会に入ることを勧めますよ。収入や職業に関係なく、誰でも入れます。全国に支部があって……年に何度か交流会があってね、なかなか面白いです。わたしはこのあいだ、ミッドガルで行われた交流会に参加して、元囚人というひとと友だちになりました」
「そのクラブには、会員がたくさんいらっしゃるんでしょうか」
セフィロスも興味本位で訊いた。
「大勢いますよ。数千人規模です。会長は、さる資産家だそうです。もっとも、世間には本名では知られていませんがね。そういうひとはたくさんいます。地位のあるひとが、ピーター・ピーターソンとか、ウィル・ウィルソンなんてさすがにちょっとばかしかっこわるいじゃありませんか」
セフィロスは大いに納得した。
「そういえばおれたち、そういうひと、ひとり知ってます。ウィリアム・ウィリアムソンさんっていうんですけど」
クラウドがはっとしたような顔で云った。
「それは立派に会員になる資格をお持ちだ」
エリクソンさんはまたうなずいた。
「今度会ったとき、会員かどうか訊いてみて、まだだったら勧めてみます」
エリクソンさんはぜひそうしてくれと云って、ごきげんようを云うと、階段を下りていった。
「健淡なご老人だ」
セフィロスは云った。
「少なくとも、あの年で毎日この塔を上り下りするとはたいへんな体力だ」
「そうね。なあ、もう降りない? 約束の時間までに、もうちょっとあたりを見まわりたいしね」
ザックスも老人のあとを追うように階段を下りはじめた。
「登りはきついけど、下りは楽だね」
クラウドが階段を見下ろして云った。
「まあ、そうだろうな。登山と同じだ。膝にとっては下りの方が負担が大きいが」
セフィロスは云って、先へ促すようにクラウドの背中を優しく押した。クラウドは走って降りていって、ザックスに後ろから体当たりした。ザックスはよろけて、あわや階段を転がり落ちるかというところまでいったが、ぎりぎりで体勢を立て直し、クラウドにぎゃあぎゃあ文句を云った。クラウドはけたけた笑って、あっかんべをすると、それこそ飛ぶように階段を駆け降りていった。
三人は灰色の街並みをずいぶんと奥深くまで堪能した。目抜き通りに並んでいる店をひとつひとつ点検し、商品を手にとって眺め回したり、冷やかしたりしたが、それというのも三人ともクリスマスプレゼントのネタに困っていたからで、クラウドは母さんやグロリア未亡人や、ザックスや、そのほか旅先で知り合った何人かのひとたちに贈るものを考える必要があったし、セフィロスはクラウドの母さんに贈るものをまだ思いつかず、ザックスは愛しのエアリス嬢と、ゴンガガにいる両親、それにたくさんの友だちへのプレゼントを思いつかなくてはならなかった。クリスマスってなかなか大変なイベントなのだ。
目抜き通りには実に様々な店が軒を連ねていた。洋服屋、帽子屋というようなメジャーな店から、金物屋、年季の入ったクリーニング屋、靴屋、時計屋、そのほかたくさん。そのうちのひとつに、ピストルを扱っている店があった。当然許可証がなければ買えないが、クラウドは飛び道具が大好きだったので、そそくさと入っていった。ザックスも入っていった。セフィロスはその斜め前にある工芸店がショーウィンドウに飾りつけている彫り物に夢中になっていて、放っておいてもあと一時間は動きそうになかった。セフィロスの便利なところは、なにかものを与えておけばその観察に専念しておとなしくしているということで、クラウドはちょっと相手をするのが面倒になるとそういうことをする。もちろん、そうそうたくさんはないことだけれど。
クラウドとザックスはピストル専門店の棚をあれこれ眺め回した。店にはショーケースががらがら並んでいて、いろんな大きさのピストルが飾られていた。天井からは、猟銃やマシンガンがぶら下げてあった。クラウドは訓練でそういうののひとつを使用するが、ほんとのとこ、実際使うなら銃じゃなくて断然剣だと思っていた。銃は、使っているのを見るぶんにはすごくかっこいいけれど、なんとなくずるい感じがするからだ。ザックスはというと、ピストルは見るもので、使うものじゃないと思っている。だから当然ふたりは購入の意志などさらさらなく、ただ時間をかけて棚を見て回った。店の奥には太った中年の店主がいて、真冬だというのにTシャツを着て、つまらなそうに足下に置いた小型のテレビを見ていた。
「ガス・ピストルだ」
ひとつの棚の前でクラウドが叫んだ。ザックスはそちらに歩いていった。「この棚にあるのは全部ガス・ピストルです」と丁寧に張り紙がしてある棚の前で、クラウドは釘づけになっていた。棚の中にはがらがらとピストルが並んでいたが、どれも見た目は普通のピストルと一緒だった。
「ガス式なんて、ただのおもちゃじゃんか」
ザックスがからかった。ガス・ピストルというのは火薬の代わりに専用のガスを使用してBB弾を発射するピストルで、実用ではなく趣味の分野に属するので、許可証がなくても買うことができ、手軽に「ぶっ放す」ことができる。
「ばかにすんなよ。これだって、ひとに向けてぶっ放したら気絶くらいするんだぞ」
「そいつなら許可証がなくてもいいよ」
カウンターの奥から店主が云った。
「まあ、おもちゃだけどな。おれは割と好きだね。ガキのころはそいつで遊んでたよ。缶なんかへこむぜ。鳥なんかに当てたら死ぬかもな。当てたことないけど」
店主は重たい身体を揺さぶりながら苦労してカウンターから出てきた。カウンターは狭くて、店主は大きかったからだ。
「おすすめはこのリボルバーだね。本物とほとんど一緒なんだ。六発弾をこめて、連射できるし。ガス式なんて、見た目にゃわかんないさ。気分に浸りたいときにゃあいいよ」
クラウドは銃を好んで武器として使いたいとは思わないけど、おもちゃとしてガス・ピストルを持っているのはすごくかっこいいと思った。ポケットにピストル。クラウドだって、一応そこらの少年並みに、子どものころは凄腕のガンマンとか、荒野の用心棒みたいな連中にあこがれを抱いたものだ。目にも止まらぬ早業で銃を連射し、缶を次々と打ち抜けたらかっこいいに違いない……そう思って、パチンコでずいぶん頑張ったりしたものだ。おかげでクラウドは、パチンコで枝の上のカラスだって撃ち落とせる。クラウドはガス・ピストルを買うことにした。セフィロスに向けてぶっ放したらどうなるか見てみたいというのもあった。たぶんセフィロスが勝つけれど、面食らう顔くらいは見られそうだった。
店主は丁寧にガスの充填法を説明してくれた。グリップの下に空いている小さな穴にガスを充填する。クラウドは実際やってみて、すぐにこつをつかんだ。で、弾と一緒にごっそり買い求めた。
「わかってるだろうけど、ひとに向けて撃ったり、ひとごみの中でぶっ放したらだめだぞ、坊主。あと、生き物もだ。動くものに対して撃つのはおすすめしない。万が一死んだら後味が悪いからな。いいか、マナーを守ることは大事なんだ。世の中ってのは、ちょっと変わった趣味を持つやつがなんかやらかすと、すぐその趣味にかこつけて、だから云わんこっちゃないとか、あれこれ云うんだ。ひとと違うことをするやつは、普通のやつの三倍は気をつけて、行儀よくしてなきゃダメなんだよ。誰かひとりがルール違反すると、銃の愛好家みんながだらしないやつと思われて、迷惑する。わかったか?」
クラウドはそれを店主に固く約束して、店を出た。セフィロスは相変わらず工芸店の前に引っかかっていた。クラウドは走っていって、セフィロスにいま買ったばかりのガス・ピストルを見せた。セフィロスはそれをしげしげと眺めた。
「おまえ、銃が好きだったのか?」
セフィロスは眉をつり上げた。
「かっこいい武器はみんな好きだよ」
クラウドは胸を張って、男らしいところを示した。
三人はなおしばらく外をぶらぶらして、食料や水を買いこんだ。それから広場でゲインシュタルトさんと合流し、いよいよ、北の保養地に向けて出発した。