絶体絶命
神殿の中は、実に複雑な、とんでもない広さの立体迷路になっていた。道や階段が上下左右に交錯し、あるときは屋根がついた建物の中へ潜りこみ、またあるときはその外壁らしきところを歩かされ、小さな部屋に入って出たと思ったら、期待していたのとはぜんぜん別の方向へ出たりした。東西南北も、自分がいったいどれくらい深いところにいるのかも、まったく検討がつかない。
シノザキ助手は、複雑な道を全部把握しているらしかった。ときおりプリントされた用紙を見、右へ左へ指示を出した。あるときは、四人はいまのいま通ってきた橋のすぐ下を通り、建物の中へ入って、廊下を進み、四つある出入り口のひとつを選んで先へ進む。
クラウドはひったてられるままに迷路の入り組んだ道を、ぐるぐる歩いていた。自分が死ぬとか生きるとか、そういうことはもはやあまり問題ではなくなっていた。自分はたぶん死ぬに違いないと悟ったとき、ひとがそれに対しあくまでも醜く抵抗を試みるかどうかは、そのひととその場合による。今回のケースでは、クラウドは自分が助かる方の道をあまり当てにしていなかった。例のシノザキ助手は、ふたり組の男たちに財宝を分けてやるとかなんとか云って一緒に連れてきているが、たぶんそんなものはなくて、すきを見てふたりとも処分してしまうつもりだろう。自分だったらそうする。それに、たぶん、人質の少年も、殺してしまうだろう。だけど、いったい彼はなにがしたいんだろう? この神殿の奥に、なにがあるんだろう?
ここまでザックスと、たぶんセフィロスが来てくれたことはありがたいが、でも、セフィロスはきっと、クラウドのためだけに、みんなをせき立てて行動させるようなことはしないだろう。ザックスは、すごく抜群のタイミングで入ってきた。たぶん、しばらく待っていたのに違いない。そして、助手や泥棒たちを捕まえることが目的なら、あの場でできたはずだった。でもそうしなかったってことは、この先に起きるなにかを、待っているということじゃないだろうか?
それならクラウドも、それを待たなくてはいけない。焦って逃げたり、なにかよけいなことをしようとしないで。捜査局のひとたちや、セフィロスやザックスが来てくれることをあてにしてはいけない。クラウドはこれからなにが起きるのか知らないのだから、よく観察し、考えて、慎重に行動しなくてはいけない。彼はぐっと気を引き締め、いつかチャンスがくるか、こないか、どっちかだ、と考えて、鼻から大きく息を吐いた。それですこし落ちついた。
「ずいぶん歩いたような気がするなあ」
ベッポがふいに不安そうにつぶやいた。
「けっ、心配なのか? どうしようもねえな! じゃあてめえだけ帰れよ。迷わずに帰れるんならな。そしたら、お宝はおれがひとり占めだよ。それで、おれは組織を抜けるよ……」
かわいそうなふたり! 彼らは、たぶん騙されているのに、気がついていないのだ。クラウドはできたら、あなたたち、騙されてますよ! と叫びたかった。でも、さるぐつわが邪魔をしていた。前を歩くシノザキ助手がにやっと笑ったような気がした。こいつはまったくの悪党というものだ。でももしも、さっき助手が云ったような挫折や屈辱がひとを悪者にするのなら、セフィロスやザックスなんか、とっくに悪の大玉になっていなければおかしな話だった。クラウドだって、小玉くらいにはなっていなきゃ変だ。それじゃあ、その違いってなんだろう? シノザキ助手は、いやな悪いやつで、そしてそれだけだった。セフィロスやザックスには、なにか底抜けに明るい強さがある。どっちが好きか、と訊かれたら、断然後者の方だ。結局、助手は弱い男なのではないだろうか。みじめさとか、打ちひしがれたような気持ちに負けて、そこから抜け出せないということは、結局、その程度の人間でしかないということじゃないだろうか? クラウドは、そうはなりたくなかった。たとえどんなに頭がよくたって、それと引き替えにそんな情けないやつにはなりたくなかった。
「なんだか息苦しくなってきやがった」
クルスがふいにいらいらしたように云った。
「もう地上からだいぶ下の方へ降りてきている。そのせいだろう」
シノザキ助手が興味がなさそうに答えた。
一同はようやく天井まで届く大きな扉の前にやってきた。観音開き式の、すごく分厚くて重たそうなやつで、表面にはなにやら不思議な装飾が施されていた。扉の中央に金色に光る円形の、直径五十センチほどのプレートがはめこまれていて、真ん中にちょうど例の鏡をはめこむことができそうな、丸いくぼみがあった。そして扉全体には、頭が丸くて首の長い、ミミズに腕が生えたような怪物の姿が彫られている。凶悪そうな三角の形をした怪物の目のところに、赤いマテリアのかけらがはめこまれていた。正面に向かって口を大きく開いていて、その中には円形にぎっしり細かい牙が生えていた。クラウドはいやなものが胸の奥からこみ上げてくるような気がした。ふたりの泥棒も、さすがに気味が悪くなったらしかった。顔がひきつっていた。
「なあ、先生、古代種ってのは、悪魔崇拝でもやってたのかねえ?」
クルスが精一杯皮肉げに云った。
「いや、これは崇拝ではなく魔除けだ。おそろしいものを刻むことで、より恐ろしいものを防ぐ……」
クラウドはうそだと思った。すごくいやな予感がする。この扉を、開けてはダメだ。この先にあるのは、宝なんかじゃない。ものすごくいやな、見てはいけないものだ。頭がズキズキする。背筋を冷たいものが流れていく。たぶん……あの扉に彫られていた化け物。そいつが、この奥に眠っているに違いない。
「おいら、なんだかおっかないなあ。ほんとにこの中に宝物があるの?」
ベッポが疑わしげな顔で遠慮がちに意見を述べた。
「そんなに疑うなら、中を見ればいい」
助手はにやりと笑って……背筋が凍りつきそうな気味の悪い笑いだった……ポケットからマティルダ嬢の鏡を取り出した。
「さて、諸君は世紀の一瞬に立ちあうのだ。われわれは、かつて誰も成し得なかったことを、あの教授ですら成し得なかったことを成し遂げようとしている。つまり、古代種たちの秘密の核心に触れようとしているのだ。この扉の奥に」
助手はつばを飲みこみ、引きつったような顔で笑った。
「われわれの常識を根底から覆すような、世界中の連中を縮み上がらせるような、そういう力が眠っているのだ。これであの教授も、ちょっとは考えを改めるに違いない」
助手は鏡を両の手の中に閉じこめるようにして持ち、ひとつ息を吐いてから、それをすばやくプレートの中央のくぼみにはめこんだ。扉に彫られている化け物の目が赤く輝いた。それに呼応するように、鏡にはめこまれたマテリアも強い光を帯びた。目もくらむような赤い光が一瞬、あたりを満たした。クラウドはぎゅっと目をつぶった。そして突然、地響きのような揺れとともに、目の前の扉がゆっくりと開きはじめた。助手は鼻息を荒くして「やった! やったぞ!」と興奮した調子で……目玉が飛び出し、口は奇妙に歪み、その顔はほとんど常軌を逸していた……開いたどあのすきまから、我先に中に入っていった。
突然の光と揺れのせいで、ずっとクラウドに向けられていたクルスのピストルが外れた。クラウドはその一瞬の隙をついて、クルスの脚を蹴飛ばした! 彼はその場にすっ転んだ。それに驚いたベッポに身構える隙を与えず、素早く身体を捻って、そのみぞおちにザックス式一撃必殺の蹴り(すごく痛い!)をくらわした。ベッポはその場に伸びた。動揺し、身体を起こしてピストルをかまえようとしたクルスの手をまたまた蹴飛ばして、ピストルを遠くへ転がした。そして、まだ膝をついた状態のクルスの顔面を蹴り飛ばし、もう一度転がして、素早く喉仏に靴底を押しつけた。どんなもんだ! セフィロス相手に脚を鍛えた成果だ。
「ひい! 待った、タンマ、タンマだ! やめてくれ、喉が……」
クルスは押しつぶされたようなしわがれた声で必死にうめいた。クラウドは自分のさるぐつわを取るように見振りで指示した。クルスは云うとおりにした。
「あー、口の中がからからだよ! おっさんたちのこと別に好きじゃないけど、でも、死にたくないんだったら逃げなきゃ! あの助手、あんたたちに宝を渡すつもりなんかないし、第一この部屋の先に宝なんかないに決まってるよ!」
クルスは眉をぴくりと動かした。
「わかんないの? この先にいるのは、たぶんあの扉に描いてある化け物だよ! ぜったいそうだ! 早く相棒起こして逃げなきゃ!」
クルスは一瞬、思案するような顔になった。が、すぐにそれを改めて、うなずいた。
「わかった。おれも、さっきこの扉の前に来たときから、どうもいやな感じがしてたんだ。こういうのは当たるんでね。おれは、無理をしない主義なんだ。靴をどけてくれよ! ベッポのやつを起こさにゃ!」
クラウドは靴をどけた。クルスは急いで起き上がり、相棒の頬を叩いた。
「おい、相棒、あんなガキの蹴りくらったぐれえで転がってんじゃねえよ! 逃げるぞ! おいったら!」
クルスが耳元で叫ぶと、ベッポは飛び起きた。
「兄貴! いま何時?」
「うるせえよタコ」
続いてクルスはクラウドの手を拘束していた縄をほどいた。
「ま、これでおあいこだ。元来た道を戻れるかどうか知らねえが……ああ、ちくしょう! ついてねえなあ! 途中で警察の連中に出会えることを祈らなきゃならねえなんてよ!」
絶え間なく続いていた振動が止み、扉が完全に開いたことを告げた。三人はおそるおそるそちらを覗きこんだ。中は、おそらく闘技場ほどの広さのある、円形の間になっていた。松明が壁のあちこちで燃えている。部屋の奥に、祭壇のような、石の四角い台が設置されていた。助手はその前に立って、なにやらぶつぶつつぶやきながら、なにかを待っているらしい。クラウドたちのことは、もはや忘れ去ってしまったように見える。
「ちっくしょう、あの野郎、やっぱお宝なんかねえじゃねえか! ぶっ殺してやる!」
クルスが助手の背中に向けてピストルを構えたそのとき、地の底からなにかでつきあげられたような振動が来た。
「……まずいよまずいよまずいよ」
クラウドは両手で頬を挟んだ。
縦揺れの大地震のような、立っていられないくらいの揺れがはじまった。ベッポが「神さま!」と叫んで、気を失った。クルスはうなり声を上げて歯ぎしりした。クラウドは、これからなにが起きるのか、部屋の中の様子を見守った。
「さあ! 来るぞ来るぞ! さあ来い、おれが蘇らせたんだ。教授じゃない、おれがやったんだ! どうだ!」
シノザキ助手は揺れに足を取られて尻餅をついたが、そのまま、異常に甲高い、興奮した声でわめきたてた。突き上げるような揺れが来るたびに石の祭壇祭壇に亀裂が入って、それがしだいに増えてゆき、ついに祭壇はばらばらとくずれた。そうして、地の底からおそろしく気味の悪い咆哮が聞こえてきた。金属をこすりあわせたようないやな響きに似た、甲高い、そのくせどこかつぶれたようなその声は、小指の爪から前頭葉の先まで凍りそうな、耳を塞ぎたくなるような声だった。シノザキ助手はすっかり興奮して、起き上がって飛び跳ね、高笑いをはじめた。そうして、祭壇のあったところから、一息になにかが突き出てきた。
とてつもなく太くて長いミミズのような形状をした、どす黒い、身体の表面がナメクジみたいな粘液で覆われた化け物だった。三叉にわかれた指のある腕が規則正しく身体の両側面に何本も並んでいて、指の先には鋭い爪がついている。胴回りが十メートルはあるだろうか? 丸い胴体の先端が真っ二つに裂けて口になっていて、そこが開くとぎざぎざの、細かい牙がびっしり並んでいるのが見えた。人間ひとりなら軽々と飲みこめそうだった。そしてその口の少し上に、赤く光る目玉がふたつついていた。そいつは、広間の天井に頭が届いてもいるのに、まだ胴体の終わりがぜんぜん見えなかった。
「シノザキさん!」
クラウドは叫んだ。
「こっちに来て! 早く!」
だがシノザキ助手は、ぜんぜん聞こえないふうだった。相変わらず笑い、息を切らして痙攣したような呼吸を繰り返し、化け物に向かって「すごい、これはすごい!」と叫んでいた。そしてその化け物は、どこからが胴体でどこからが首なのかわからないが、ともかく首を動かして、自分のそばでぴょんぴょん跳ねているシノザキ助手を見つけた。化け物は大きく口を開いて咆哮し、ばねのおもちゃのスリンキーみたいに、身体を折り曲げ、助手めがけて一気につっこんでいった。助手は声を上げるひまもなかったし、クラウドも、ぜんぜん動くことすらできなかった。
「うげえっ」
クルスが少々下品な声を漏らした。クラウドはなにが起きたのか、とっさにはわからなかった。そして、叫んだ……「逃げなきゃ!」
クルスがベッポを叩き起こしにかかったが、彼は目覚めなかった。クルスは彼の両手をつかみ、ずるずる引きずりながら走りはじめた。クラウドはふたりをかばうように化け物の方を向いて、唇をかみしめ、できるだけ素早く後退しはじめた。ああ、でも、だめだった! 化け物がこっちに気がついた! 真っ赤な目がこちらへ向けられる。そのおそろしいことといったら、普通の人間なら尻の穴まで凍りつきそうなものだった。大きな口をこちらへ向けて、そうして咆哮し、奇妙に身体をくねらせはじめた。口の中に、紫色のガスのようなものがたまっていくのが見える。
「……まずいよまずいよ」
「どうした、坊主」
クルスが叫んだ。
「あれ、ドラゴンがブレス吐くときにそっくりだ」
「なにい?」
クルスはびっくりして、足を止め、振り向いた。化け物の口のまわりに、高濃度の紫のガスのかたまりができていた。クラウドはクルスからピストルをひったくって、化け物めがけて引き金を引いた。弾は見事に化け物に命中したが、そいつはぜんぜんひるんでいなかった。
「来るな、こっち来るな!」
クルスが必死に叫んだ。クラウドはクルスの前でできるだけ腕を広げ、両足を踏ん張って、つばを飲みこんだ。冷や汗が流れた。ガスのかたまりは、どんどん大きくなっていく。そうしてついに、ごお、という呼気の音が、辺りに響き渡った。ああ、もうだめだ……クラウドはぎゅっと目をつぶった。