相談と切断される髪の毛、そして家庭内での立場が呼称に変わること

「そういうわけなんだけど、どうしたらいいと思う?」
 クラウドはコーラをがぶがぶ飲み、サワークリーム味のポテトチップをばりばりやりながら、ちょっと不機嫌に云った。ザックスはなにか驚くようなことがあったときにいつも云うことにしている「ほあー」を云って、それからにやにや笑った。
「婿入り先に定住なんてさ、セフィロス本格的に婿っぽいなあ。なんかうける」
 ストライフ家の婿は顔をしかめた。
 新婚のふたりはまた都会に戻ってきていた。家をどうにかしたり、友だち(すくないけど)にさよならを云ったり、いろいろとすることがあった。ザックスはセフィロスの部屋のリビングの、テレビが一番よく見える位置に陣取って、いつものように相談を受けていた。ただいまの相談は、村社会に住みつくことになるセフィロスの見た目をどうやったらもっと地味に、目立たなく、他人が見ても本人だとわからないようにできるか。これは難問だった。さしもの名案進言家ザックスさまも首をひねり、コーラの二リットルボトルは空になり、ポテトチップの袋はつぶれた。
「整形はできないしなあ。第一、整形外科医にしてみりゃもっと不細工にしてくれなんて依頼、されたことあるわけねえもん。無理だよな」
「医者のほうですくみあがるよ。この顔にメスを入れてくださいなんてことになったら」
 クラウドが塩と油にまみれた指先をなめて云った。
「それにそういう小ずるい方法は好きじゃない」
「おれもできればメスと麻酔はかんべんしてほしい……麻酔は効かない体質だ」
「そうなの?」
 ザックスははじめて知った、と云った。
「そのようだ。昔一度打たれたことがあるのだが、眠れるどころの話じゃなかった」
 セフィロスはそのときのことを思い出したのか、心底いやそうな顔になった。
「じゃますます整形は却下だ。麻酔が無理なんじゃ、痛みで死んじゃうっての。とりあえずそのまたとない色と瞳孔の目玉はコンタクトあたりでごまかせるとして……あとはなんだろな……そうだ! 髪の毛! あんた、髪の毛切っちゃえ。それしかない。染めろとは云わない。せめてもっと、まともな長さにしてくれよ。腰のあたりか、それより上。できれば背中の真ん中まで。おれ前から云いたくてうずうずしてたんだよ。あんた、髪の毛長すぎ」
 ザックスはセフィロスを指さして云うと、勝ち誇ったような顔になって、どんなもんだ、と云った。それから器用にソファの上でぴょんと跳ねた。
「ついに云ってやったぞ! ああーすっきりした! 明日みんなに報告しなきゃ。ザックス、みんなの前に立って咳払いをひとつ。おほん、おれはついに、ボスに髪の毛についての苦言を呈しました! 一同からの温かい拍手と尊敬のまなざし。よし、みんな集めよう、明日」
 ザックスは云うが早いか携帯を開き、かちゃかちゃやりはじめた。セフィロスとクラウドは顔を見合わせた。
「……おれの髪の毛は、そんなに他人の不快感を煽っていたのだろうか」
 クラウドは小さくため息をついた。
「まあね、おれも、びっくりした、最初は。もう慣れたし、あんたの髪の毛嫌いじゃないけど。でもさ、やっぱりときどき思うんだよね。そこまで伸ばすことないのになって。あんたは支障ないかもしれないけど、見てるほうがはらはらしちゃうんだ。いつか踏んづけるか、なんかするんじゃないかって。まあはっきり云うと、伸ばしすぎだよ」
 セフィロスは複雑な顔になって、すっかり考えこんでしまった。
「どうするセフィロス? 髪切る?」
 ザックスがメールかなにかを打ち終えて陽気に云った。
「もちろん、あんたがその長さにこだわってるんだったら、無理しなくたっていいけど、でもその髪でいたら、どんな変装したって地味になんかなれっこないって」
「あきらめなよ、セフィロス」
 クラウドが同情的な顔で云った。
「おれもそれがいいと思う。その長さの銀髪なんて、悪いけどこの世の中にあんたしかいない。なにしたってばれちゃう」
「いや、髪の毛の長さを思って嘆いていたわけじゃない」
 セフィロスは云った。
「長年にわたって、周囲にそのように思わせていたということに対して、責任を感じる」
「いいよ、別に。どうせもうそのひとたちとは関係なくなる」
 セフィロスはそれもそうかと思ったので、もうぐだぐだ云ったり考えたりするのをやめにした。
 断髪式は可及的速やかに行われた。クラウドが自前のはさみを持ち出し、床に新聞紙やいらない紙が敷かれ、椅子が用意されて、セフィロスは肩からビニールシートを巻きつけた状態でそこに座らされた。クラウドがはさみを持ってセフィロスの後ろに立つ。セフィロスは寒気がした! クラウドはしばらくうだうだ迷っていたけれど、やがてままよとばかりに一直線に銀髪を切断し、それから別のはさみで体裁を整えにかかった。
「これくらいでどう?」
 美容師クラウドはザックスに確認のまなざしを向けた。
「完璧! いいぞ閣下。これでだいぶ人間らしい長さになった」
 セフィロスはではこれまではなんだったのだと思ったが、あてなにも云わなかった。肩胛骨よりすこし下あたりまでの長さになった髪は、驚異的に扱いやすくて軽く、セフィロスはなぜいままでこんなふうにしなかったのだろうかと後悔した。ザックスは心の底から満足したように何度もうなずいた。クラウドはでも、自分で切っておきながらセフィロスの長い髪になにかしらの未練らしきものを感じていたようで、切られた髪をかき集め、捨てるふりをしてどこかへ持っていってしまった。そうしてその夜クラウドは、いつもより髪の短いセフィロスに大興奮して、ベッドの上でいろいろと大変だった。

 こうして偽装工作を終え、グロリア未亡人を半泣きにさせつつ住んでいた家を引き払い、ザックスとその彼女であるエアリスに結婚祝いまがいの宴会をされてから、ふたりはまた田舎に戻った。旅行ではなく、今度はここに地に足をつけて住むためだった。
「うちのとなりに家建ててさ、そこに住むとかどうなの?」
 クラウドの母さんは云った。
「でもニブルの家、もったいないよな、せっかくの持ち家なのに」
 ローコヴェンハウム氏がギターをぽろぽろやりながら云った。彼は今日は休日で、朝から好きなことをしていいというので上機嫌だった。
「まあいいよ、しばらくあの家で暮らすから。それで、おれ父さんの仕事手伝うんだ。明日からだよ。まずは父さんがいかにいい加減な支払方法を認めてたかつきとめて、金を回収しなきゃ。セフィロスは主夫だよ。家で、畑耕してご飯作って、おれのこと待ってる。おれ、大黒柱。えらいなあ、おれっていい子だな」
「そうね、あんた昔からいい子よ。当たり前じゃないの」
 クラウドの母さんが鼻を鳴らした。
「だけどおまえ、通勤用の乗り物欲しいだろ。これから雪の季節になるから、バイクはやめといたほうがいいと思う。とりあえずうちが持ってる廃車、なんか修理しておまえのにするか」
「おれ、かわいい子がいいな」
 クラウドが夢を見るような目つきで云った。
「それからさ、あたしたち、外でうちの婿殿のことなんて呼ぶ? 一応、正体ばれたらまずいんでしょ? だいたいそんなことしたら村がひっくり返っちゃう」
「そしたらパパがまた気を失っちゃうよ」
 クラウドが思い出したように云った。
「難しいなあ。縮めにくい名前だし、縮めたとしたって、どっちにしろセフィロスなんて名前、この世に婿殿しかいないだろうし……おれみたいだよな。変な名前だ、いや、いい名前だけど」
 セフィロスはややこしい名前で申し訳ないと云った。
「別にあんたが謝ることじゃないでしょ……どうしようね? いっそのことみんな好きに呼ぶ? ポチとかデイドリッヒとか、エッペンクラークとかヴェルヌスとか」
「ローコヴェンハウムとかな」
 ローコヴェンハウム氏がふざけて云った。でもみんな無視した。クラウドがうなった。
「おれだめかも。だってセフィロスはセフィロスだもん。たとえ髪の毛が短くなったって、背が縮んだってさ」
「そうだ、思い出した、ごめん、髪の毛すてきよ。そっちのほうがずっと人間っぽい」
 セフィロスは複雑な気持ちになりながら礼を云った。
「じゃあ愛称を考えるしかないか。みんな順番に一個ずつ云ってこう。あ、セフィロスは除くぞ。本人が云っちゃったら、それにするしかないから」
「じゃ、最初っから本人に決めてもらえばいいじゃないの」
 クラウドの母さんが面倒くさそうに云って、手にしていた編み物針をかちかち云わせた。彼女はクラウドと同じで、自分から話題を振るくせに、長引くと飽きてしまうのだ。
「もう婿とかでいいんじゃないかなあ」
 クラウドも面倒くさくなってきたように云った。
「だって、それだったら名前がどうこうなんて考えなくたっていいし。しかも事実に基づいてるしさ」
 ローコヴェンハウム氏は婿、ということばを口の中で転がしてみた。それから、引き締まった一家の主の顔でうなずいた。
「異存なし。みんなどうだ?」
「あるわけない。あんたってほんと、頭いい子。飽きれば飽きるほど名案思いつくんだから」
 母さんがほめているのかいないのかわからないようなことを云った。でもクラウドは得意げな顔になって笑った。そうして、三人して期待をこめたような目でセフィロスを見た。
「…………おれも別にかまわない。この家にとっておれが婿なのは事実だ」
 三つの顔が輝いた。ローコヴェンハウム氏は即席の「婿の歌」を歌いだし、クラウドの母さんは編み物の手を早めた。クラウドはローコヴェンハウム氏の曲にあわせて婿を連発した。
「むこ、むこ、むこ、むこ、むこー。うん、これならセフィロスっぽい。なんとなく。おれ納得。おれ天才」
 クラウドはソファの上でぴょこぴょこ跳ねた。セフィロスはひとりでじっくり婿、ということばを発音し、それが自分の身体になじむのを辛抱強く待つことにした。まあ、三人に寄ってたかって十日も云われ続ければ、反射神経ができて慣れるだろう。セフィロスは苦笑した。それから、クラウドとその父さんが歌う、急ごしらえのために歌うたびに音程の異なる「婿の歌」を黙って聴いた。うちに婿が来たよ、というありきたりな、素朴な、たぶんひとによっては味わい深いと思うかもしれない、歌だった。クラウドの母さんはせっせと針を動かして、赤ちゃん用の毛糸の帽子をこしらえた。それから手袋と、靴下と、毛糸パンツも編まなくてはならない。赤ん坊が赤ん坊でなくなった暁には、今度はそれをほぐして、湯気に当てて毛糸を伸ばし、また別のなにかを作るのだ。セフィロスはその仕事ぶりをじっと眺めた。昔々、クラウドもそうやって彼女が編んだ毛糸の帽子や、手袋をはめて冬を過ごしたのに違いない。
 隣の部屋ではその生まれたばかりの女の子が眠っている。クラウドの父親違いの妹だ。そして十八歳違い。すごい差だ。でもそういうこともある。ストーブの上で、やかんが湯気を上げている。窓は結露ですこし曇っている。外は雪がちらついている。自分の連れ合いと、その父親は日曜日らしくのびのびと陽気で、母親は編み物をしている……こんなに家庭的な光景が、あるものだろうか? セフィロスは考える。そして自分がその中に、収まっていて違和感がないものだろうか? たぶん、ないのだろう。ここの家の婿なのだから。家族というのはそういうものだ、とみんな思っている。血がつながっていても、いなくても、戸籍の問題さえ片づけてしまえば、もう家族の一員だ。
 母親が立ち上がった。たぶん、夕食を作りにいくのだ。今夜は冷えるので、ショウガを使った温かいスープを作るに違いない。それから手作りのパンと、クラウドの好きなイモ。今夜あたりは、マッシュポテトが出るかもしれない。クラウドはひと山平らげるだろう。もしもメニューのどこかにピーマンがあったら、それはセフィロスの皿の上に乗ることになるだろう。そしてそのかわり、マッシュポテトが徴収される……セフィロスはそういう風景を、ありありと想い描ける自分に気がついて、すこし笑ってしまった。「婿の歌」は、いつの間にかしっとりしたバラードになっていた。たぶん、三十年か、四十年は前に流行った曲だろう。ローコヴェンハウム氏はそれくらいの年代の曲が好きなのだ。自分が生まれるより前の時代の曲。クラウドはその曲を知っているようで、鼻歌でときどき演奏に混じる。
 戦争と平和。なぜその著名なタイトルが、セフィロスの頭の中にふいに浮かんだのかはわからない。これはとてつもない対比だ。でも、お互いに隣りあわせだ。このふたつの領域は、確かに重なっている。お互いが、お互いの運命の手綱を握っている。双方、その手綱を引っ張りあって、自分の陣地に相手を取りこもうと狙っている。平和と同じように、戦争もまた渇望される存在だ。セフィロスはそこから、いまいるこの場所まで、逃げてきた。戦争と反対に手に入れたこれは平和だろうか? 正直なところ、わからない。結局、また別の種類の倦怠ではないのか? 戦争の中に生きてきた自分の残滓が云う。戦争にすら気だるい反応しか見せなかったおまえが、なにもない日常になど、ほんとうに耐えられるのか? セフィロスは笑って、自らの残骸を振り払う。もちろんだ。ここに、この中にあるのは生だ。生粋の生。死ではなく。戦争によって生まれるものは死だが、生は、死よりももっと扱いにくく、波乱に富んだものだ。去れ、鈍き懸念よ、と彼はかつて読んだなにかのフレーズを思い出して唱える。新しいこの生活に、不安などない。あるとすれば、期待だけだ。それは確かだ。不安を生成するすべなど、忘れ去ってしまわなければならない。ほんとうに、実感をともなって生きたいと思うなら。実際に、驚異的なできごとの数々を重ねて、ここまで、この穏やかな世界まで、やってきたのだから。だから、これからもそうであると信じなければならない。
 彼は自分が選んだ伴侶を眺める。ときどき鼻歌を歌いながら、母親が置いていった編みかけの帽子を手にとって眺めている。名字が変わったり、籍が変わったりしたくらいで、人間は変わらない。変わるとしたら、外的ななにかが変わったという自覚が生まれるだけだ。でも、これからふたりとも、うんと変わってゆくだろう。ふたりで過ごす日々の中の、経験をともなって。それから、そこに絡んでくる血縁や、親戚や、もろもろを巻きこんで。それが生だ。それこそが生だ。セフィロスは、いまやっと真剣に、自分の生と向きあいはじめている。これまでも何度もそう思ったが、そのたびに、これまでのものはなんと生ぬるかったことかと思い知らされる。今回もそうだ。自分はなんと、人間的な生の営みの中にいることだろう。彼はそれを痛いくらい感じる。皮膚がこすれるくらいに。そうしてその感覚は、心地よかった。彼の中に、大きな感動すら生んだ。新しく得た「婿」の名称と地位、そして家族。セフィロスは微笑んで、いつの間にか足下にやってきていた子猫のエスメラルダを抱き上げ、毛並みをなでた。灰色猫はにゃあと小さく鳴いて、舌を丸出しにしてあくびをした。
 クラウドの母さん……いまではもうこっちにしても母さんだ……が夕食に呼んでいる。クラウドが一目散に台所に駆け出す。ローコヴェンハウム氏がゆっくり立ち上がって、伸びをした。そうして、今夜食事のあとに、ちょっと知り合いのバーまで、クラウドといっしょに一杯ひっかけに行ってみるかと訊いてきた。セフィロスはもちろんうなずいた。そこで紹介されるだろうまだ見ぬひとたちのことを思い、バーの薄暗いに違いない明かりのことを思い……そしてもちろん、べろべろになったふたりをどうにかして連れ帰るだろう自分のことまで想像して、セフィロスは笑った。そうして子猫のエスメラルダを床に下ろし、温かい食事の待っている台所へ、ゆっくりと入っていった。

 

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